「スサノオ・大国主ノート145 岡野眞氏論文と『引橋長一町』『出雲大社故地』」の紹介
Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に「スサノオ・大国主ノート145 岡野眞氏論文と『引橋長一町』『出雲大社故地』」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina
ブログ・ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「130 『古代出雲大社』は外階段か内階段(廻り階段・スロープ)か?」、ヒナフキンの縄文ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「106 阿久尻遺跡の方形柱列建築の復元へ」などで、私は古出雲大社の「引橋長一町」が直階段(階:きざはし)ではなく「高橋・浮橋(桟橋・浮桟橋)」であることを明らかにしました。
さらに「スサノオ・大国主ノート141 出雲大社の故地を推理する」では、古出雲大社の位置が現在の場所ではなく、東に200mほど離れた、神名火山(神那霊山)である八雲山と琴引山を結ぶ線上の、出雲平野や日本海から見える場所で、真名井から神水をえられる場所であったとの説を提案しました。
縄文社会研究会・東京で事務局長であった山岸修氏がALSを発症し、昨年の8月末、「小生も日日、前向きにガンバル所存です」のメールとともに手持ちの縄文社会研究会の資料を送っていただいたのですが、12月19日治験入院中に感染で亡くなられ、遅まきながらその資料を子細に見直すと、私が入会する前に岡野眞氏(香川大学教授)が報告された2010年3月発行の『社叢学研究』の「古代・出雲大社の立地場所をさぐる」という論文の抜き刷りがありました。
岡野眞氏は「河川・地盤の立地環境」と「磐座・神木・神水祭祀」から出雲大社の故地について推定されたいたのですが、そこはまさに私の「引橋長一町=桟橋・浮橋説」と「出雲大社故地八雲山-琴引山線上説」から考えた故地と一致しており、ここに紹介しました。
霊(ひ)と霊継(ひつぎ)(DNA=命のリレー)を大事にし、全ての死者が神として祀られる大国主の八百万神信仰は、旧約聖書一神教以前の全世界の人類共通の宗教であり、戦争・殺戮のない世界の実現に向けてその歴史をアピールすべきであり、そのためにも出雲大社故地からの巨木3本柱の柱痕の発見・発掘と、縄文巨木建築の伝統を受け継いだ世界最高の48mの出雲大社の復元、さらには世界遺産登録運動を進めることを期待したいと思います。
本ブログの「縄文論」としても、諏訪の中ツ原遺跡・阿久尻遺跡、三内丸山遺跡の縄文巨木建築と48mの古出雲大社の関係について、前者は縄文人の建築、後者は弥生人(中国人・朝鮮人)の技術による建築などと分離・断絶した理解でいいのかどうか、検討する参考にしていただければと思いまず。雛元昌弘
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
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帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
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