TBSの12月4日の「ピラミッドの真実!5000年の封印を破る鍵は太陽の船と科学とツタンカーメン」をやっと見ました。
果敢にエジプトで発掘を続けた吉村作治早大名誉教授は昔から大好きな学者ですが、氏のピラミッド説には「半分賛成、半分批判」であり、ここに紹介しておきたいと思います。
1.ピラミッドは王墓か人工の神山(神名火山:神那霊山)か?
これまでピラミッドは王墓と考えられてきましたが、吉野氏はギザにあるクフ王の大ピラミッドについてクフ王は埋葬されていないという説であり、この点については私も同じです。
吉野氏は、地下へ向けての通路は地下墓をつくろうとしたが岩盤に当たって掘れなかったため、墓の工事を止めてピラミッドを建設し、上に向けての通路は「王の間」「女王の間」に向かうもののそこにはミイラを入れることのできる大きさの石棺や副葬品、壁の壁画などもなく、クフ王の墓室ではないとしています。
森島邦博名大助教・髙﨑史彦高エネルギー加速器研究機構名誉教授らは宇宙からの素粒子・ミューオンでピラミッドを透視し、大回廊の上に空間があることを突き止めていますが墓室がある可能性は低く、吉野氏はピラミッド周辺の地下にクフ王の墓地があるとみて地中レーダー探査などを続けています。
ピラミッドが王墓ではない宗教施設であるという点については私は同意見ですが、その理由は白や上が白く下が赤いピラミッドは「母なるナイル」の源流域の万年雪を抱く「月の山」ルウェンゾリ山や「神の山」ケニヤ山、「神の家」キリマンジャロを模した人工の山であると考えたからです。
<縄文ノート56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ(210213)>
2017年3月11日のTBS「世界ふしぎ発見! ~世界初!ついに解明か!?ピラミッド王朝の秘密~」の河江肖剰氏の解説では、最大のクフ王のピラミッドは「白いピラミッド」で、カフラー・メンカフラーのピラミッドは上は石灰岩の白、下は花崗岩(御影石)の赤であったことが報道されていました。 なかでもメンカウラーのピラミッドには、3分の1位の高さ辺りまで、赤色だったとされています。
この上が白、下が赤の配色は山頂に雪を頂く山を模したものであり、クフ王のピラミッドが4500年前頃に築かれたことからみて、7500~5000年前頃の寒冷期に近い頃に全山が雪に覆われた白い山を模したものであることが明らかです。そして、カフラー王、メンカウラ―王と下部が赤色になるのは温暖化により山裾に地肌の赤色が増えてきたことを示しています。
また、吉野氏は「地下への通路」について「岩盤により掘削を断念した」としていますが、もともと建設前に地盤が固いかどうかは調べているはずであり、地下への通路は盗掘者を欺くダミーであると私は考えます。
「太陽の船」2艘がピラミッドの横に埋められていたことからみて、「王の間」「女王の間」とされている部屋は、死体から遊離した王・女王や人々の霊(ひ=魂)が、太陽の船に乗ってピラミッドの頂上からあの世に向かう際の出発ロビーとしたのではないか、と私は考えています。
吉野氏はナイル川中流の「王家の谷」は、ピラミッドに近いような富士山型の神名火山(神那霊山があり、人工のピラミッドを作る力がなくなった王家が集団墓地として選んだ、と正しい指摘をしていますが、この地でもピラミッド型の山の麓にツタンカーメンなどの王族たちは埋められていたのですから、ピラミッドが墓ではなく、神山であったことの裏付けになります。
2.ピラミッドは太陽パワー塔か死者の霊(ひ)が天に昇る人工の神山か?
近年、ピラミッド建設に従事していた人たちの住居跡やパピルスに記された労働記録が見つかり、彼らが十分な食事をとっていたことなどが明らかとなり、ピラミッドが奴隷労働によって作られたという西洋中心史観は、近代奴隷制度を擁護するために作り上げたフィクションであることが明らかとなってきています。
ピラミッドは全ての古代エジプト人にとって死者の霊(ひ)が天に昇る人工の神山であり、共同労働としてピラミッド建設が行われたと考えられるのです。
吉野説はピラミッドが太陽のエネルギーを集め、周辺の墓を守る役割をしていたという「太陽パワー塔」説ですが、この説では「太陽の船」やピラミッド内の「王の間」「女王の間」の役割が説明できません。
死者の魂は「太陽の船」に乗り、太陽神ラーとともに大空を渡って西の空に沈んであの世に向かい、次の日に必ず太陽神ラーは東の空に昇り、死者の魂は黄泉帰ると信じられていたのであり、ピラミッドは死者の霊(魂)がその頂きから「太陽の船」に乗るための神山として王や貴族、さらには人々によって信仰されたのです。
3.ピラミッドは日本に伝わったか?
吉野氏は「ピラミッド太陽パワー塔」説にもとづき、このような神山信仰が日本に伝わったとして、熊本県人吉市の6世紀後半の大村横穴群や福岡県嘉穂郡桂川町の6世紀の前方後円墳の王塚古墳の三角文がピラミッドを模したものであり、大塚古墳などの蕨手文(わらびてもん)(吉野説はエジプトの羊の角を模したもの)とともに日本に伝わったとしています。
しかしながら、茅野市の「ヒジン様(筆者説:霊神さま)」が宿るとされる蓼科山(通称:女神山)信仰が6000~5500年前頃の阿久尻遺跡、5000~4000年前頃の中ツ原遺跡の縄文時代に遡り、4500年前頃のクフ王のピラミッドより古いことを考えると、大村横穴群や王塚古墳の三角文は縄文時代から続く神名火山(神那霊山)信仰に基づく可能性も考えられます。蕨手文もまた縄文土器に見られるため、時代からみてその起源はエジプトではありません。
4.霊(ひ)(魂)信仰、天神信仰、神山信仰はアフリカで生まれ、世界各地に伝わった
神山信仰と人工の神山・ピラミッドの世界への伝播は、熱帯のアフリカで魂魄分離(魂と死体の分離)宗教思想と死者の霊(ひ)(魂)が天に昇り降りてくるという天神宗教が生まれ、さらに万年雪を抱く活火山から死者の霊(ひ)(魂)が天に昇るという神山信仰(神名火山(神那霊山)信仰)となりエジプトやメソポタミア、インダス、中国、さらには日本列島、アメリカ大陸など世界各地に伝わり、さらには天に向かって伸びる人工のピラミッドやジッグラト、神木(神籬=霊洩木)、神塔などが建設され、天と地を結ぶ龍神や雷神・水神・神使信仰が生まれたと私は考えています。
以上の霊(ひ)信仰、天神信仰、神山神木信仰、ピラミッド・神木・神塔信仰、龍神・雷神・水神・神使信仰などについては、下記の「縄文ノート」を参照下さい。なお、新旧で叙述に食い違いがある場合、新しい方が私の現時点での考えです(古い方を修正しきれていません)。
<霊(ひ)信仰>
縄文ノート9 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に
縄文ノート15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰 190129・0307→200411
縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)について 150630→201227
縄文ノート37 「神」についての考察 200913→210105
縄文ノート38 「霊(ひ)」とタミル語peeとタイのピー信仰 201026→210108
縄文ノート74 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰 210518
縄文ノート128 チベットの「ピャー」信仰 220323
縄文ノート132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰 220404
<神山天神信仰>
縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰について 200808→1228
縄文ノート40 信州の神名火山(神那霊山)と「霊(ひ)」信仰 201029→210110
縄文ノート44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石 201014→210120
縄文ノート56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」(210213
縄文ノート57 4大文明と神山信仰 210219
縄文ノート61 世界の神山信仰 210312
縄文ノート96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡
縄文ノート99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡 210930
縄文ノート101 女神調査報告5 穂高神社の神山信仰と神使 211008
縄文ノート118 「白山・白神・天白・おしら様」信仰考 220111
<神木・神塔信仰>
縄文ノート31 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文 191004→201223
縄文ノート33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200801→1226
縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ 200207→210203
縄文ノート104 日本最古の祭祀施設―阿久立棒・石列と中ツ原楼観拝殿 211025
縄文ノート105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列群 211030
<龍神・雷神・水神・神使信仰>
縄文ノート30 「ポンガ」からの「縄文土器縁飾り」再考 201220→1221
縄文ノート36 火焔型土器から「龍紋土器」 へ 200903→1231
縄文ノート39 「トカゲ蛇神楽」が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体 201020→210109
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
ヒナフキンの邪馬台国ノー http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/