ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート157 中ツ原遺跡の8本柱巨木拝殿は天狗岳を向いている

 これまで茅野市の中ツ原遺跡の巨木8本柱痕の建物を神山天神信仰の巨木拝殿(楼観)とし、信仰対象の神名火山(神那霊山)を蓼科山として書いてきましたが間違っており、八ヶ岳連峰の天狗岳に変更したいと思います。

 

<中ツ原遺跡の神名火山(神那霊山)について書いたブログ>

 縄文ノート23 2020八ヶ岳合宿報告 200808→1210 

 縄文ノート33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200801→1226

 縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰 200808→1228

 縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社 200207→210203

 縄文ノート96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡 210918

 縄文ノート104 日本最古の祭祀施設―阿久立石・石列と中ツ原楼観拝殿 211025

 縄文ノート105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列群 211030

 縄文ノート154 縄文建築から出雲大社へ:玉井哲雄著『日本建築の歴史』批判 221024

 縄文ノート155 素晴ら怪しい縄文論:COOL JAPAN~発掘!かっこいいニッポン〜『縄文〜Jomon~』221210

 

 この8つの柱痕からの建物の復元について、縄文人は現代人と同程度の判断力を持っていたと考える私は、①柱の太さから当時の森林の樹高を超える高さの建物であり、②その大きさ、③柱の数、④戦争社会ではないこと、④「御柱祭」のような多大な共同作業を必要とすること、⑤集落中央の高台の800基以上の土坑群の中心に立地していること、⑥傍から「仮面の女神」(国宝)が見つかっていることから、単なる倉庫や見張り台(2本柱・3本柱で足りる)ではなく、神山天神信仰の神名火山(神那霊山)崇拝の拝殿(楼観神殿)であると考えてきました。

 2019、2020年に中ツ原遺跡を見学した時には磁石を持たなかったためその方位について正確に把握できておらず、おおまかに蓼科山を神名火山(神那霊山)とした拝殿(楼観)ではないかと考えていたのですが、今回、2003年の茅野市教育委員会の「中ツ原遺跡」の緊急発掘調査概要報告書をネットで見つけ、短軸方向が蓼科山ではなく、八ヶ岳の特徴的な神名火山(神那霊山)である天狗岳に向いている可能性が高いことが判明しました。―図1参照

            

 縄文人が神名火山(神那霊山)信仰の方位にこだわっていることに気付いたのは、阿久遺跡の立石からの列石や尖石に加えて、阿久尻遺跡の19の方形巨木柱列群がほぼ正確に蓼科山を向いていることが明らかとなったからです。―「縄文ノート105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列群」の図9、図10(写真を加えて図2、図3に番号変更)参照

 中ツ原遺跡の8本柱巨木拝殿についても図4のように正確に神山天神信仰の対象である神名火山(神那霊山)を向いている可能性が高く、今回、地図で確かめると図4のように天狗岳を向いている可能性が高いことが明らかとなりました。

 縄文人は死者の霊(ひ)が富士山型の神名火山(神那霊山)から天に昇り、また降りてくると考えて信仰していたのであり、800基以上の土坑のある中ツ原遺跡(図5)の高台にこの8本柱巨木楼観(神名火山(神那霊山)拝殿)は立てられ、部族共通の霊(ひ:祖先霊)信仰が行われ、写真2の土偶のような「仮面の女神」がその祭祀を執り行っていたのです。

    

 また、北杜市の金生遺跡についても、復元された四角形の壁付建物(埋葬・供養祭祀建物の可能性あり)は神名火山(神那霊山)型の編笠山を向いており、権現岳の山頂の「檜峰神社=「霊(ひ)の峰神社」として縄文から続く霊(ひ)信仰の神山であった可能性があります。―「縄文ノート96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡」参照

       

 「女ノ神山」の別称を持つ蓼科山が「居夷神(いひな神=委霊那神)」「びじん=霊神」を祀っていることと符合しており、八ヶ岳山麓は同じ「神名火山(神那霊山)信仰(神山天神信仰)」「女神信仰」の縄文文化圏であったと考えられます。―「縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「縄文ノート 38 霊(ひ)とタミル語 pee、タイのピー信仰」「縄文ノート61 世界の神山信仰」参照

 

 以上、検討を進める中で感じたことは、神名火山(神那霊山)信仰の縄文巨木拝殿は八ヶ岳山麓からさらに見つかり、母系制社会の女神信仰の土偶とセットで見つかる可能性が高いと考えます。

 そして、この神山天神信仰と女神信仰のルーツは、上が白く下が赤いギザのピラミッドのルーツである「母なる川ナイル」源流の万年雪のルウェンゾリ山やキリマンジャロ、ケニヤ山から世界に広がり、そのもっとも古く現代まで続く宗教文化はこの日本の縄文遺跡から証明されるのです。―縄文ノート「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「57  4大文明と神山信仰」「61 世界の神山信仰」「75 世界のビーナス像と女神像」「86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」「135 則天武后周王朝にみる母系制」「81 おっぱいからの森林農耕論」「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」「88 子ザルからのヒト進化」「89 1 段階進化論から3段階進化論へ」「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」「155 素晴ら怪しい縄文論:COOL JAPAN~発掘!かっこいいニッポン〜『縄文〜Jomon~』」参照

 八ヶ岳山麓を中心とした日本中央縄文遺跡群は世界の新石器時代(土器時代)の神山天神宗教、女神信仰の母系制社会、土器鍋糖質食革命の解明の中心地となる価値があり、宗教学者・人類学者・農学者・食物学などと連携した世界史の中に位置付けた展示(世界の女神信仰・性器信仰、世界の神山天神信仰、世界の巨木文化、世界の焼畑農業、世界のイモ・雑穀食、世界の土器鍋食文化など)が求められます。

 特に、中ツ原遺跡の8本巨木建築や阿久尻遺跡の20の方形巨木拝殿の復元とともに、阿久尻遺跡からみて中ツ原遺跡には他にも巨木建築の柱痕が周辺から見つかる可能性が高く再調査と復元が求められます。そして、全世界から見学者を呼び寄せる世界遺産登録へ向けた取り組みを進めるべきと考えます。

 中ツ原遺跡については、ヒスイ玉やヒスイ垂飾り、石棒を配置した祭祀の煮炊きを行うかまど(筆者説:石棒は女神に捧げる祭具)、多様なデザインの多くの縄文土器(筆者説:絵文字土器―AIを使った解明が期待される)などもあり、現地での展示施設整備が必要ではないでしょうか。

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  ヒナフキン邪馬台国ノート  http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/