ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

199 「縄文十柱」からの未来

 『人間不平等起源論』『民約論(社会契約論)』などの著書でフランス革命に大きな影響を与えた哲学者ルソーは「自然に帰れ」を唱え(たとされ)、マルクス・エンゲルスは狩猟採集社会の「原始共産制」をモデルとし生産手段の独占のない原始共産社会を理想と考えました。一方、芸術家・岡本太郎氏は縄文土器に「人間性への根源的な感動、信頼感」を覚え、「超現代日本的美観」を見出しました。

 今、地球環境や食料・健康危機、格差拡大、巨大都市化、独裁国家化、戦争・地域紛争など、この250年の工業・情報化社会、人工知能ロボット社会、格差社会の行く末について多くの人達が不安を抱いてきています。

 そこで、過去の歴史から教訓をえようと、日本では昭和レトロブームや大日本帝国主義回顧、徳川幕府300年、武家政権誕生史、平安王朝文化、天皇家建国などへの関心が高まってきていますが、縄文1万数千年、人類誕生・大移動の歴史から見なおそうという動きも見られます。

 さらに「政治権力交代」という視点からの歴史観だけではなく、人々の生活や仕事、社会、生活・生産文化、科学・技術、芸術・宗教・思想など物質的・精神的な人々の豊かさを基準にした新しい歴史観も見られます。縄文についても、考古学からだけではなく、般市民の目でみるようになってきています。

 

1 縄文文化・文明との関り

 私が縄文に関心を持つようになった時期を振り返ると、第1期は雑誌で岡本太郎氏が紹介する縄文土器の写真を見て強烈なインパクトを受けるとともに、氏の「縄文土器芸術」の主張に触れ、さらに「人類の進歩と調和」を掲げた大阪万博において、背中に黒い太陽(原発核融合炉を象徴)を背負い、体内の「生命の樹」を天に運ぶ白鳥の「太陽の塔」でした。また、氏は沖縄返還に対して「本土が沖縄に復帰するのだ」という強烈な主張を行っています。―縄文ノート「1 縄文との出会い」「31 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」「48 縄文からの『日本列島文明論』」「197 『縄文アート論』メモ」参照

 第2期は、照葉樹林帯文化論や「竹筏ヤム号」のフィリピンから鹿児島まで航海実験、大野晋教授の『日本語とタミル語』の日本語起源説、丸木舟による隠岐からの黒曜石運搬再現実験などに触発された「日本列島人起源論・縄文人起源論」であったように思います。

 この頃、私は縄文野焼き作家の猪風来氏さんに来ていただき、沖縄の彫刻家・金城実氏にも参加いただき狭山市で縄文野焼きイベントを行いました。

 第3期は、「三内丸山遺跡」ショックで、「縄文文明」の主張が梅原猛安田喜憲氏(森林文明論)や梅棹忠夫氏(神殿都市論)などから出され、世界遺産に登録されて世界的に認知されるとともに、各地で縄文遺跡の発掘が進み、博物館・資料館が整備されて縄文体験イベントや縄文観光が盛んとなりました。

 第4期は、最近の若い世代による現代の生活(環境・自然食志向、共同体志向、平和志向、縄文デザインなど)と結びつけた活動と思います。―「縄文ノート168 『縄文の今日的意義』『何と対峙しうるのか』『縄文の世界性』」(230514)参照

 

2 上田篤元阪大教授の縄文論

 当「縄文社会研究会」の主宰者であった上田篤さんは「縄文十柱」を提唱し、その著書『縄文人に学ぶ』で15項目をあげていますが、私なりに整理しなおすと次の「6柱」になります。

 ① 自然:山海に生きる

 ② 母系制:女は里を守る、男は山野を歩く

 ③ 食生活:旬を食べる、土鍋を火に掛ける

 ④ 文化:晴れを着る、恋を歌う、和して楽しむ、漆を塗る

 ⑤ 芸術:土器に魂を込める

 ⑥ 宗教:祖先と太陽を拝む、日の出を遥拝する、玉をつける、大和魂に生きる、注連縄を張る

 

3 縄文道研究所・加藤春一さんの縄文論

 縄文社会研究会で名刺交換した縄文道研究所・加藤春一代表理事は「縄文道」として次の7条をあげています。

【普遍の道】  ① 自然との一体感  ― 自然の道・Nature

                ② 平和希求の思想  ― 平和の道・Peace

                ③ 母性的社会    ― 母性の道・Diversity

                ④ 共同体的経済社会 ― 公平の道・Equality(富の分配が公平に行われた経済社会)

【大和の道】 ⑤ 衣食住全般の高度な美意識 ― 芸術の道・Art

                ⑥ 科学技術の進化マインド(水、土、火)の利用 ― 技術の道・Technology

【武士の道】 ⑦ 個の自立と和 ― 修行、修養の道・Bushido(自立、連帯)

 

4 「忌部文化研究会」の林博章さん(環境人類学)さんの縄文論

 先日、意見交換した徳島の「一般社団法人 忌部文化研究会」の林博章さん(環境人類学)は、「徳島剣山系の持続可能な山の暮らし―生きている縄文―」において、次の5つのキーワードをあげています。

 ①集中 ⇒ 分散へ

 ②画一化 ⇒ 多様化へ

 ③人間重視 ⇒ 生命畏敬へ

 ④大量破棄 ⇒ 自然循環へ

 ⑤競争と共助が共立する社会へ

 

5 筆者の縄文文化・文明論:縄文十柱

 以上のような縄文論の共通項に、私が探究してきた「食文化・文明論」「妻問夫招婚の母系制社会論」「霊(ひ)宗教論」「分散・ネットワーク(交流・交易)居住論」「糖質・DHA食と探究・探検による人類進化・拡散論」を加え、上田篤さんの「縄文十柱」に習い、次のような「縄文十柱」を受け継ぐべき未来社会の文化・文明として提案したいと思います。

 

<縄文十柱―縄文文化・文明から未来へ>

 ① 共生社会(自然・生類共生の採集栽培・漁労・狩猟文明社会)

 ② 共同社会(協働・分業・分配・共助の共同社会) 

 ③ 健康社会(安定・安全な土器鍋の知的活動を支える糖質・DHA食(芋豆穀実・魚介食)社会)

 ④ 和平社会(戦争・殺人・略奪・奴隷化のない和平社会) 注「和平=禾(粟・米等の穀類)+口+平」

 ⑤ 母系社会(妻問夫招婚の母子採集・漁労・教育社会、「会同坐起、父子男女無別」の倭国

 ⑥ 分住社会(分散定住・広域交流交易・共同祭祀社会)

 ⑦ 美楽社会(土器・土偶、貝輪・耳輪・ヒスイ・漆・刺青、土笛・石笛・土鈴・土器太鼓・縄文琴)

 ⑧ 個性社会(同じデザインのない縄文土器・耳飾り、アイヌの女性が男性に贈る他にない刺繍の衣服)

 ⑨ 霊継社会(八百万神の祖先霊信仰、女神信仰、神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)崇拝)

 ⑩ 幸福社会(トーパミン(幸せホルモン)による探究・探検による人類進化・拡散)

 

 過度な農耕・牧畜による自然破壊、農耕・交易による富の蓄積、侵略戦争による他部族・他民族の富の収奪・略奪婚・奴隷社会化・父系社会化・城塞都市化、侵略神一神教による軍国主義帝国主義の侵略という歴史以前に世界的に普遍的に存在した文化・文明として縄文社会は普遍性があり、このわずか2千年あまりの西欧中心の農耕・工業・情報・格差・戦争の文化文明の行き詰まりの先を展望するヒントになると考えます。

 西欧中心史観により歪曲され、葬られた母なるアフリアの文化・文明から全世界に広がった数万年の各地の文化・文明解明の道しるべとして、新たな縄文世界遺産登録と世界へ向けての「縄文十柱」の文化・文明のアピールが必要と考えます。  雛元昌弘

 

<参考資料:現時点で必要な修正前のものです>

 

198 「太陽を南から登らせる」邪馬台国畿内説

 縄文社会論にとって、邪馬台国論争は無関係と思われるかもしれませんが、魏書東夷伝倭人条が紹介するようにこの国には3世紀に邪馬壹国の女王国があり、しかも記紀古事記日本書紀風土記)によれば各地に女王国(図1・2参照)があり、魏皇帝は「鄭重賜汝好物」(鄭重に汝の好物を賜ふ)として卑弥呼に大量の絹織物・絹布(紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹)や銅鏡百枚、真珠鉛丹五十斤(25㎏)を贈っているのであり、卑弥呼だけでなく邪馬壹国連合を構成する30国の王もまた女性であったとみて間違いありません。中国の粉のように「朱丹塗其身體」というのですから、鉛丹は女性用の贈物でしょう。男性用の贈物であることが明らかなのは「五尺刀二口」だけなのです。

 私は百余国に180人の御子をもうけた大国主の建国は、母系制社会の妻問夫招婚によって行われたのであり、縄文社会の伝統を受け継いだと分析してきましたが、筑紫の鳥耳(天照を襲名)・大国主王朝10代(古事記)後の邪馬壹国もまた縄文母系制社会の文化を受け継いでいると考えています。

 この邪馬壹国(やまのふぃのくに)は、卑弥呼(霊御子)が「鬼道(祖先霊信仰)」によって男たちの「相攻伐歴年」の争いを止めさせ、「其會同坐起 父子男女無別」(その会合での座り立ちに、父子や男女の区別はない)という宗教や共同体のあり方もまた、縄文社会からの伝統とみて間違いありません。

 「不盗窃少諍訟 其犯法 輕者没其妻子 重者没其門戸及宗族」(盗窃せず諍訟少ない。その法を犯すと軽者はその妻子を没し、重者はその門戸と宗族を没す)からみると、共同体の秩序が保たれ、奴隷制(妻子・門戸・宗族を没す)が生まれているものの、死刑はなかったと思われます。

 スサノオ大国主一族の百余国の「葦原中国・豊葦原水穂国」=「委奴国(ふぃなのくに)」から乱により30国が分離し、「相攻伐歴年」の後に卑弥呼を共立した「邪馬壹国連合」ができたのですが、その場所はどこなのか、決着を付けるべき時期と考えます。

 

 Seesaaブログ:邪馬台国ノート58 太陽を南から登らせる」邪馬台国畿内

 昔むかしに流行ったエディット・ピアフ越路吹雪の歌で有名な『愛の賛歌』のブレンダ・リーの英語歌詞の冒頭の「If the sun should tumble from the skies. If the sea should suddenly run dry. If you love me, really love me, let it happen  I won't care.」(もし太陽が空から落ちても、もし海が突然干上がっても、もしあなたが私を愛して本当に愛してくれるなら、そうなってもかまわない)を思い出します。

 邪馬台国畿内説や近年の邪馬台国吉備説、丹後説、四国説などをみていると、この歌と重なってくるのです。

 「If the sun should rize from the south. If the moon should set in the north. If you love kinaisetu, really love kinaisetu, let it happen  I won't care.」(もし太陽が南から昇っても、もし太陽が北に沈んでも、もしあなたが畿内説を愛して本当に愛してくれるなら、そうなってもかまわない)

 

 邪馬壹国がどこにあるのかは、魏書東夷伝倭人条の行程記録と、後漢・魏皇帝から与えられた金印、金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅ りゅうもん てっきょう)、ガラス壁などの遺物、さらには記紀の記載や対応する地名、神社伝承などから決まります。ありふれた三角縁神獣鏡纏向遺跡での各地の土器の集積、木製仮面、大量の桃の種、大型建物からは決ましません。これらは1~3世紀の奈良盆地の開拓者、スサノオ大国主一族の祭祀の痕跡の可能性が高いからです。邪馬台国ノート「44 纏向の大型建物は『卑弥呼の宮殿』か『大国主一族の建物』か」「47 『神武東征』について―若御毛沼命の河内湖通過時期「48  纏向遺跡大国主一族の祭祀拠点」参照 

 問題は、魏志倭人伝(魏書東夷伝倭人条)の行程記をどう読むかですが、不彌国から「南至投馬国水行二十日・・・」「南至邪馬壹国 女王之所都 水行十日陸行一月」の記載の、水行の起点を邪馬台国畿内説は不彌国からとし、放射状読み九州説は伊都国からとしています。

 私はその水行の起点は、九州本土に魏使が到達した末盧国の天然の良港(津)の呼子港からとし、正使は陸行し、副使は水行したと考えています。

 倭人条を読んでみましょう。「王遣使詣京都帯方郡諸韓国及郡使倭国 皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯」(王が使を遣はし、京都、帯方郡、諸韓国、及び郡使が倭国詣るに、皆、津に臨みて捜露す。文書や賜遣の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず)と書かれているのであり、津(天然の良港)から文書・賜遣物を伝送して女王に詣でているのです。

 「里程」でなく「日程」で示した「南至投馬国水行二十日」「南至邪馬壹国 女王之所都 水行十日陸行一月」の起点は、倭国本土の東松浦半島北端の「津」、末盧国の呼子港しかありえません。

 

 倭国の津から「伝送」したというのは魏の船荷を倭人の船に乗せ換えたのであり、瀬戸内海や日本海を「水行」したのであれば魏の大型船で安全・快適に航行でき、小さな和船で「伝送」する必要はありません。平底の和船に移し替えたのは、水深が浅く、干満差が大きい有明海から筑後川を遡る必要があったからです。

 そして「詣でる」とある以上、その伝送は倭人任せではなく副使が乗り、「太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭國 拝假倭王」(太守・弓遵は建中校尉の梯儁等を派遣し、詔書印綬を捧げて倭国へ行き、倭王に仮拝した)との記載からみても、「拝假(仮)倭王」(倭王の代理に拝した)のです。

 「其地無牛馬」の記載からも、津からの「伝送」は水行しか考えられません。また、「自為王以來少有見者」(王となりて以来、見る者少し)、「唯有男子一人 給飲食傳辭出入居處」(ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝へ、居所に出入りする)ということからみて、副使は卑弥呼に拝したのではなく辞を伝える「男子一人」に拝したので「拝假(仮)倭王」と書いたのです。

 重要な点は、九州北岸で魏の竜骨船(V字底船)が風と波を避けて長期間停船でき水深が深く、直接接岸できる天然の良港は末盧国の呼子港しかなく、「南至投馬国水行二十日」「南至邪馬壹国 水行十日陸行一月(水行十日=陸行一月)」の起点は呼子港以外にありえません。

 「邪馬壹国博多湾岸説」の古田武彦さんやそれを受け継いだ推理小説家・高木彬光氏の「邪馬台国宇佐説」は、「南至投馬国水行二十日」「南至邪馬壹国 水行十日陸行一月」の起点を帯方郡としましたが、「王遣使詣京都帯方郡諸韓国及郡使倭国 皆臨津捜露」の記載からみて、「水行」は倭国の「津」(呼子港からしかありえません。また「自郡至女王國 萬二千餘里」と書き、帯方郡から末盧国までの「水行」を「里程」で書いている以上、わざわざ「水行二十日」「水行十日陸行一月」の「日程」表記で示す必要はありえません。末盧国の「津」から正使の「陸行里程」表記に対し、副使の伝送を「水行日程」で書き分けたのです。

 さらに図5のように、「周旋可五千餘里」は正使陸行・副使水行(陸行里程・水行日程)で実際に「參問倭地」して「周旋」したことを示しているのです。

 個人的には古田さんにいろいろと教えられ、高砂市の「石の宝殿」(万葉集記載)やその北の加古川市の「天下原古墳」(播磨国風土記に記載)を案内したこともありましたが、この水行起点帯方郡説は文献分析にこだわった古田さんらしからぬ間違いと考えます。

 ここで畿内説に戻りたいと思いますが、なんとなんと「南至投馬国」「南至邪馬壹国」の「南」を「東」の書き間違いとしているのです。

 畿内説を魏使になってタイムワープしてリアルに体験してみましょう。

 魏使の一行は不彌国で朝起き、東に向けて出航した時、太陽は正面から昇ったはずです。それを「南」としたというなら、太陽は「南」から昇ったことになります。投馬国までの「水行二十日」、邪馬壹国までの「水行十日陸行一月」の間、60日間、毎日、太陽が南から昇ったと魏使が体験していたというのが畿内トンデモ説なのです。

 これは瀬戸内航路説ですが、対馬暖流航路説(山陰航路説)はもっと奇妙です。丹後までは太陽は南から昇り、最後の丹後から大和までの「陸行一月」は太陽は東から昇ったことになります。

 いずれにしても、不彌国までは太陽は東から昇っていたのに、不彌国から先は南から昇り、さらに丹後からは東から昇るなど、「魏使方向音痴説」は冗談にもならない大嘘です。「科学」「専門家」など持ち出すまでもない、万人の「常識」問題です。

 邪馬台国畿内説、さらには吉備説、四国説(阿波説、讃岐説、高知説)、出雲説、丹後説の皆さんは、魏使は太陽が昇り、沈む方角もわからない方向音痴であるという明確な証明をしないかぎり、「倭人伝方位誤記説」を撤回すべきです。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ(~115まで)      http://blog.livedoor.jp/hohito/

 帆人の古代史メモ2(116~)      https://hohito2024.blog.jp/

 ヒナフキン邪馬台国ノート       http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論                 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

197 「縄文アート論」メモ

 ご飯が大好きで「稲の国」「米の国」と思っていた私が縄文に関心を持つことになったのは、1960年代後半と思いますが岡本太郎さんの写真の「火焔型土器」に衝撃を受けてからです。その後、各地の仕事で縄文土器をみるたびにその個性的な素晴らしさに裏切られることはなく、このデザインは何を表しているのか、ますます関心は高まりました。弥生式土器に感情がかきたてられることがないのとは大きな違いです。

 次のインパクトはこれまた岡本さんの大阪万博の「太陽の塔」(元の名前は「生命の樹」)と「縄文に帰れ」「沖縄に本土が復帰するのだ」のメッセージです。

 翼を広げた白い鳥の背中の「黒い太陽」は原発を象徴し、内部の「生命の樹」は海から生まれた生命の進化を示し、全ての生命が白鳥によって天に運ばれる姿を現しています。鳥の顔は太陽を表しているのではありません。

 「人類の進歩と調和」というテーマに対し、胸の人間の顔は苦悩と怒りを表しており、高度成長期の1960年代の公害、大規模地域開発、原発建設で住民の生活と自然が壊され、東京一極集中が進むことに反撥し、反対していた私にはピッタリでした。―縄文ノート「31 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文」「52 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について」「168 『縄文の今日的意義』『何と対峙しうるのか』『縄文の世界性』」参照

 1985年に縄文彫刻家・猪風来氏を狭山市に招いて行った縄文野焼きの2回目のイベントで沖縄の彫刻家・金城実氏に来ていただいたのは、縄文土器から直感的に縄文と沖縄の繋がりを感じたからでした。

 縄文アートの次の出合いは「まちづくり計画」の仕事で群馬県榛東村の「榛東村耳飾り館」で美しい繊細な土器製の耳飾りを見ることができ、栃木県の旧藤岡町でも大量の耳飾りが出土していたことです。女性のための縄文アクセサリー工房があったのであり、問題はその作家たちが女性なのか、それとも妻問を行う男性によるのかであり、私は群馬の「かかあ天下」は縄文社会から続いていたのではなどと夢想していました。

 群馬県片品村では男性が金精様(男根の形にした木棒)を女体山(白根山)に奉納し、男根型などのツメッコ汁粉を裏山の十二様(山の神=女神)に供える祭りがあることを知り、縄文母系制社会のイメージが膨らみました。その後、長野や山梨の妊娠土偶や女神像との出合いから、縄文母系制社会を確信しました。―縄文ノート「9 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に」(150630)、「32 縄文の『女神信仰』考」、「34 (ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」(151227)、「75 世界のビーナス像と女神像」等参照 

    

 さらに、南インドのドラヴィダ族の1月15日にカラスに赤粥などを与える祭りで粥が沸騰する時に「ポンガロー」とはやし立てる祭り(日本では秋田・青森などに「ホンガ」と唱える行事)を大野晋さんの『日本語とタミル語』から知り、火焔型土器の縁飾りは吹きこぼれを表し、これまで「火焔」「鶏頭」と分析されてきた4つの突起は、天に昇る湯気の中に東南アジア起源の「トカゲ龍神」を表現しているのではないか、と考えるようになりました。―縄文ノート「29 『吹きこぼれ』と『おこげ』からの縄文農耕論」「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」「191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」参照

 土器鍋による「煮炊き料理革命」を先祖とともに祝う神事に縁飾り縄文土器は使われたのであり、その祭りを担ったのは女性であったと考えています。

 岡本太郎さんは岩手の「鹿踊(ししおどり)」やアイヌの「熊祭り」などから「縄文アート」を命を狩り、命をいただき、天に送る荒々しい「縄文狩猟民」の男の芸術ととらえましたが、私は土器鍋料理に使う縄文土器の文様(特に縁飾り)から、縄文アートは縄文採集・農耕と「土器鍋」料理革命を祝い、命(霊(ひ):DNA)の継承を誰よりも願った女性が製作したものであり、豊かな自然に感謝し、霊継(ひつぎ)を願い、祖先霊との共食祭祀を示していると考えています。

 なお、私は円空仏・木喰仏、棟方志功の版画、民芸(民衆的工芸)や浮世絵の一部などは縄文アートの伝統を受け継いでいるのではないか、全国各地の祭り太鼓や火祭り、梅原猛さんらが主張している「ねぶた」などの踊り祭りもまた縄文文化ではないかと考えていますが、母系祭り・アートと父系祭り・アートの関係や、縄文宗教と縄文アートの関係の整理はまだできていません。―縄文ノート「103 母系制社会からの人類進化と未来」「183 八ヶ岳高原の女神・石棒・巨木拝殿・黒曜石・土器鍋食・散村文明」「166 日本中央部縄文文明世界遺産へ向けた研究課題」参照

 アフリカから南・東南アジアを経て日本列島にやってきた宗教・文化の1つとして、人類史の視点からの「縄文アート論」が必要と感じています。―縄文ノート「38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「80 『ワッショイ』と山車と女神信仰と『雨・雨乞いの神』」「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」「114 障害者アートと縄文土器デザイン」参照

 私は糖質(芋豆穀実)・魚介食文化、ヒョウタン、円形建築と高床式建築、霊(ひ)信仰・神名火山(神那霊山)信仰・神籬(霊洩木)信仰、DNAなどからアフリカ・アジアへと大移動してきた縄文人の文化・文明について引き続き追究するのに精一杯であり、「縄文アート論」についてどなたか取り組んでいただけないでしょうか?

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート     http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論         http://hinakoku.blog100.fc2.com/

196 縄文・古代郷土史のすすめ

 gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」で連載を始めた「スサノオ大国主建国論2 私の古代史遍歴」(221013)で私は全国各地の郷土史の問題点について次のように書きました。(連載は7で中断)

 

 全国各地の仕事では市町村史を必ず見てきたが、不思議だったのはどこにでも必ずある縄文・弥生遺跡の次は朝廷支配が及んできた記述となり、各地にあるスサノオ大国主一族の神社が示す歴史についてほとんど触れていないことであった。祖先霊を祀る宗教施設であるスサノオ大国主系の神社があり、しかもスサノオ大国主に関わる伝説がある以上、スサノオ大国主王朝の影響が及んだに違いないのであるが、大和中心・天皇中心史観の郷土史家たちは無視しているのである。

元:スサノオ・大国主建国論2 私の古代史遍歴 - ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート (goo.ne.jp)

 

 第1の問題点は、「未開の縄文、進んだ弥生」という、縄文時代から弥生時代(土器名による時代区分はすでに破綻)へ大きな転換がおきたとする縄文・弥生断絶史観です。

 1万数千年の母子主導の「採集栽培・漁労縄文社会」を男主導の「狩猟採集社会」としてとらえるとともに、「縄文農耕(芋豆穀実栽培)」から「水利水田稲作」への自立的・内発的な発展を無視していることです。

 瀬戸内海の淡路島やしまなみ海道、山陰の市町村などにまちづくり計画の仕事で通っている時、夕方になると釣竿とバケツ持って女性や高齢男性などが岸壁で釣りをして夕食の魚を釣っている光景をよく見かけ、各地の市町村での座談会では中高年の人たちが「子どもの頃の遊びは、ほとんど食料調達だった」と懐かしそうに話すのをよく聞き、私も海に泳ぎに行くと貝を足で採り、釣りもよくしたものです。縄文時代から日本列島は豊かな海と山の幸に恵まれていたのです。

 

 西洋中心史観は男性中心の「狩猟・肉食・戦争進歩史観」ですが、日本の多くの歴史家・考古学者も自然条件を無視してその受け売りに終始しています。熱帯雨林での「糖質・DHA食」に支えられた人類の頭脳の発達を無視し、母子中心の「採集栽培・漁労進歩史」を認めていません。「石先槍」には興味はあっても、骨製の「銛」や「釣り針」には関心が薄いのです。―縄文ノート「89 1段階進化説から3段階進化説へ」「111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」「178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」参照

 

 「狩猟・肉食・戦争進歩史観」から離れ、縄文社会をベースにした郷土史を再構築して欲しいものです。

第2の問題点は、各郷土史が「縄文時代弥生時代→古代天皇制」の記述になっており、記紀古事記日本書紀)や出雲国播磨国風土記などに書かれたスサノオ大国主7代の「葦原中国(あしはらのなかつくに)」「豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)」の建国史を無視し、各地にある神社伝承や祭り、民間伝承、地名などをスサノオ大国主建国と結びつけて検討していないことです。

 私は「石器時代縄文時代弥生時代古墳時代」という分類基準に統一性のないガラパゴス的な「イシ・ドキ・ドキ・バカ時代区分」として揶揄し、食生活と採集農耕漁労文化の道具を分類基準として「木骨石器→土器(土器鍋)→鉄器(鉄先鋤)」の時代区分を提案し、「縄文栽培・農耕」(芋豆穀実の焼畑農耕)から沖積平野での「鉄器水利水田稲作」への大転換こそ古代国家形成にも関わる時代区分とすべきと考えてきました。

 そして、この後者こそ魏書東夷伝倭人条などに登場する紀元1・2世紀の男王の7~80年の「百余国」の「委奴国(ふぃなのくに)」であり、スサノオ大国主7代の「葦原中国」「豊葦原水穂国」であることを明らかにしてきました。―『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』等参照

 記紀風土記などの記述と全国各地の豊富な遺跡・遺物、神社・民間伝承、地名などを総合的に照合した郷土史が求められます。

第3の問題点は、「弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観」や「弥生人大量渡来史観」とともに、「天皇家弥生人説」や「スサノオ大国主一族弥生人朝鮮人)説」が見られることです。

 古事記薩摩半島南西端の笠沙・阿多のニニギからの阿多天皇家の2代目を「海幸彦(漁師:隼人=はやと)」「山幸彦(猟師:山人=やまと)」兄弟とし、山幸彦・ホオリの妻は龍宮(琉球)の豊玉毘売(とよたまひめ)とし、その子の鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)は豊玉毘売の妹の玉依毘売(たまよりひめ)を妻としたと伝えています。そして、その子の若御毛沼(ワカミケヌ)が大和(おおわ)に入り初代「神武天皇」(8世紀の諱=忌み名)になったとしているのであり、縄文人の一族とみなしており稲作民の王とはしていません。 

 また記紀によれば、高天原は「筑紫日向(ひな)橘小門阿波岐原」(地名からみて福岡県旧甘木市蜷城(ひなしろ))にあるとしており、高天原朝鮮半島とする「天皇家弥生人朝鮮人)説」が成立する余地などありません。天皇家薩摩半島南西端の縄文山人(やまと)族なのです。―「ヒナフキンの縄文ノート193 『やまと』は『山人』である」(240515)、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 さらに「スサノオ大国主一族弥生人朝鮮人)説」も見られますが、記紀によればスサノオ大国主一族のルーツは壱岐対馬を拠点とした縄文海人族であり、魏書東夷伝倭人条や『三国史記新羅本紀、記紀のどの史書からみても壱岐対馬の海人族朝鮮人説など成立しません。最近、出雲人のDNA分析の結果は、出雲の人たちが縄文系であることが明らかとなっています。

 「万世一系」の天皇中心史観の歴史家たちは、天皇家を稲作文化・文明を担った弥生人の建国王とし、新羅と米鉄交易を行い鉄器水利水田稲作を全国に広めた縄文海人(あま)族のスサノオ大国主一族の「葦原(沖積平野)」の「水穂国」づくを無視していますが、縄文1万数千年の文化・文明こそこの国の基底文化・文明であることを隠し、「弥生社会」像を全面に押し立てて「弥生天皇」像を創作しているのです。

 全国的に縄文遺跡の発掘が進み、民俗学の蓄積のあるわが国には、「記紀風土記、地名、神社・民間伝承、遺跡・遺物」の5点セットの縄文・古代史の宝庫が全国各地にあるにもかかわらず、バラバラにされて眠ったままなのです。

 「天皇中心史観(新皇国史観)」病にかかっていない若い世代の皆さんにより、1万数千年の縄文時代と紀元1~4世紀のスサノオ大国主一族の建国史を「食・農耕・倭音倭語・祭り・宗教」などの文化・文明史として繋ぐ新たな縄文・古代郷土史が各地で生まれることを期待したいと思います。

 そして視野を世界に広げて、この縄文文化・文明こそ侵略神一神教以前にかつて全世界にあった母系制社会の文化・文明であり、縄文・古代郷土史から世界遺産登録に向けた取り組みを各地で開始して欲しいものです。―縄文ノート「11 『日本中央部土器文化』の世界遺産登録をめざして」「49 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」「59 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり」「77 北海道・北東北の縄文世界遺産登録の次へ」「82 縄文文明論の整理から世界遺産登録へ」「160 『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録にむけて」「161 『海人族旧石器・縄文遺跡群』の世界遺産登録メモ」「166 日本中央部縄文文明世界遺産登録への研究課題」「186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」等参照

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート     http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

「スサノオ・大国主ノート157 温羅(うら)は『吉備王・占(うら)』」の紹介

 Gooブログに「スサノオ大国主ノート157 温羅(うら)は『吉備王・占(うら)』」をアップしましたので紹介します。https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 母の出身集落が兵庫県たつの市揖保川町の「浦部(町史では占部説)」であり、吉備津神社の「温羅(うら)」を祀る「御釜殿」の横で乳幼児期を過ごしていたという偶然の符合があり、さらに両親が一時入所していた海側のケアハウスの前の雛山(父の名字は雛元です)から「阿曽ピンク石」の石棺の蓋が発見され、温羅の妻が「阿曽姫」で各地の阿曽が製鉄地であったという符合から、「温羅=占」王であり製鉄王であった、ということなどをまとめました。

 また、すでに私は古出雲大社が2つの神名火山(神那霊山)を結ぶ聖線(レイライン=霊線)上に配置され、、大和・纏向の発生期の纏向型古墳群や大型建物、大国主を祭神とする穴師神社などが穴師山へ向かう聖線(参拝路)に添っており、箸墓古墳(私は大物主・百襲姫(ももそひめ:百曽姫)の夫婦墓説)もまた穴師山を向いていることを明らかにしてきましたが、吉備津神社にも宇賀神社(吉備国最古の稲荷神社)から、温羅を埋めた上に建てられた御釜殿、出雲の事代主を祀るえびす堂、スサノオの異母弟の建日方別(たけひかたわけ)を祀る岩山宮、環状石籬(かんじょうせきり:環状列石)などのある磐座(いわくら))を経て、神名火山(神那霊山)である吉備中山へ向かう聖線(参拝路)があることを明らかにしました。

 死者の霊(ひ=魂=玉し霊)が神名火山(神那霊山)から天に昇るというスサノオ大国主・吉備一族の建国の痕跡と吉備国を奪った天皇家の歴史が吉備津神社の2つの聖線から浮かび上がるのです。

 本ブログの「縄文論」としても、日本の文化・文明が「縄文文化・文明」に根差しているのか、それとも通説のような弥生人(中国人・朝鮮人)による米食の「弥生文化・文明」により深く根差しているのかという重要なテーマの一環として、「古代郷土史」の1つとして吉備の「温羅王」と吉備津神社について考察した本論を見ていただければと思います。

 私は前者の立場にたって、特に、共同・快楽進化説、母子主導進化説、縄文人Y染色体D型説、農耕語・宗教語のドラヴィダ語系倭音倭語説、糖質(芋豆穀実)・DHA(魚介)食文化説、採集栽培・漁労文明説、妻問夫招婚の母系制社会、縄文土器などの技術・芸術、霊(ひ)信仰(天神・海神・地神・神山・神籬・神使崇拝)など、縄文社会の内発的発展として八百万神信仰のスサノオ大国主建国があるというところから、日本の文化・文明論を展開してきました。

 「桃太郎」の物語に登場する黍団子ゆかりの「黍(吉備)の国」は、「粟(阿波)の国」とともに、鉄器水利水田稲作によるスサノオ大国主一族の「葦原中国」「豊葦原水穂国」「委奴国(ふぃなのくに)」の建国以前の食・農耕文化を国名としており、今回は吉備国王・温羅の神名火山(神那霊山)信仰と鉄器文明社会への移行についてみていただければと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

帆人の古代史メモ(~115まで)      http://blog.livedoor.jp/hohito/

 帆人の古代史メモ2(116~)      https://hohito2024.blog.jp/

 ヒナフキン邪馬台国ノート     http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

195 縄文社会研究の方法論

 「縄文社会研究会」では1万数千年の縄文文化・文明(採集栽培・漁労狩猟・生活・家族・集団・技術・文化・宗教・言語)の全体像を明らかにし、たかだか2千年あまりの農耕・工業・戦争の文化文明の前に全世界に共通した文化・文明を明らかにし、持続的発展可能な平和な未来社会への参考にしようと取り組んできました。

 考古学は遺跡・遺物の「物」からの帰納法により「縄文社会」を推理する着実な方法ですが、当研究会では現代人さらには古代人の様々な活動から縄文人の活動へと仮説演繹的に「縄文社会」を推理してきました。

 「物」からというと科学的と思われがちですが、「発見物」からの推理という大きな限界があり、「未発見物」への推理を欠くことから、「新発見物」により容易にそれまでの定説がパアになる危険性があるのです。

 一例をあげると、出雲にめぼしい遺跡がないことから記紀に書かれた出雲神話は8世紀の創作とされてきましたが、荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡でのかつてない大量の銅器(銅槍・銅矛・銅鐸)の発見により、記紀に書かれたスサノオ大国主一族の建国が物証により裏付けられました。八百万神信仰により「銅槍圏(通説は銅剣圏)・銅矛圏・銅鐸圏の統一」がなされたことが明らかになったのです。

 この「荒神谷・加茂岩倉ショック」により考古学者は自らの方法論の限界を反省し、天皇中心史観の記紀分析をやりなおすべきだったのですが、未だに大勢としては従来の物からの帰納的推理の「ただもの(唯物)史観」のままであり、シュリーマンのように神話(記紀)から仮説を立てて大国主卑弥呼の墓の発見を目指すような考古学者は現れていません。

 「八百万神」神道のこの国では、死者の霊(ひ)は全て神として子孫や人々に祀られるのであり、「神話=霊話=人話」なのです。確かに記紀神話には天上の「高天原」神話のように一見すると荒唐無稽な内容が見られますが、一方ではその場所を「筑紫日向橘小門阿波岐原」と具体的な地上の地名として書いています。記紀は表面的には天皇家建国の歴史を書きながら、その裏では巧妙にスサノオ大国主国史を書き残しているのです。

 考古学者の帰納法に対し、縄文社会研究会では主催者の上田篤さん(建築家:元阪大教授)は主に「現代人の生活・文化」の伝統から歴史を遡って「縄文人の生活・文化」を演繹的に推理してきました。一例をあげると、「家の中に神棚や仏壇を祭る」文化・宗教のルーツを縄文社会に求めていくというような方法です。―『縄文人に学ぶ』(新潮新書)参照

 さらに私はスサノオ大国主7代の建国史から縄文社会を演繹的に推理するとともに、西アフリカで誕生して日本列島にやってきたY染色体D型人の大移動の痕跡を残すアフリカ・アジアの共通の文化・文明の分析から演繹的推理により縄文社会の解明に取り組んできました。

 一例をあげると、「八百万神」信仰の神名火山(神那霊山)崇拝、山の神(女神)崇拝、神籬(ひもろぎ:霊洩木)崇拝、金精(男性器)崇拝などのルーツが縄文時代さらにはアフリカに遡るのではと仮説検証を行ってきました。はてなブログ「ヒナフキンの縄文ノート」参照

 縄文社会の全体的・総合的な解明に向けては、この帰納法推理、演繹的推理の両方が欠かせず、「文献史学、古地理学、古気象学、考古学、民俗学、神話学、女性史学、東アジア学、人類学、言語学アイヌ学・沖縄学を始めとする各地域学、各種産業技術史学等」(上田篤)に、「霊長類学、遺伝子学、生態学民族学、食物・栄養学、建築学社会学、芸術・芸能学、宗教学」(筆者)などを加えた総合的な取り組みが必要と考えます。

 ただ、そのためには専門家による取り組みの前に、現代人の生活・文化・文明の諸問題の中から人類のルーツに遡って「なぜだろう」と考える直感がまずは必要であり、市民的な研究活動が出発点になると考えます。

 一例をあげると、私の岡山・兵庫の田舎の両祖父母の家には「大黒柱」があり、柱に添って「神棚」が設けられていましたが、そのルーツは出雲大社の「心御柱(しんのみはしら)」の「大国柱」ではないか、祖先霊を「仏壇」に「仏」として祀る以前は「神棚」に「神」として祀り、天から招き送り返していたのではないか、さらに「心御柱」のルーツは祖先霊の依り代である「神籬(ひもろぎ:霊洩木)」ではないか、そのルーツは東アフリカの万年雪を抱くルウェンゾリ山やケニヤ山から死者の魂が天に上るとした「神山天神信仰」でナイル川を下って平野部では人工の神山として上が白く下が赤いピラミッドに伝わったのではないか、諏訪地方の阿久・阿久尻縄文遺跡の石棒から円錐型(神那霊山型)の蓼科山へ向かう2列の石列や、蓼科山へ向いた19の巨木建築は蓼科山の「神山天神信仰」を示していないか、諏訪地方に伝わる御柱祭は「天神信仰」の「神籬(ひもろぎ:霊洩木)」ではないか、などと演繹的・帰納的に縄文宗教を推理していく方法です。

 このような私たちの身近な体験からの市民的研究を輪を広げるとともに、各分野の研究者との交流を行いながら、縄文社会の総合的な解明に取り組みたいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

ナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

帆人の古代史メモ(~115まで)      http://blog.livedoor.jp/hohito/

 帆人の古代史メモ2(116~)      https://hohito2024.blog.jp/

 ヒナフキン邪馬台国ノート       http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論                 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

Gooブログ 「スサノオ・大国主ノート154  『アマテラス』から『アマテル』へ」の紹介

 Gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」に「154 『アマテラス』から『アマテル』へ」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 縄文社会論と関係がないように思われるかもしれませんが、縄文人の宗教が一神教の「太陽信仰」なのか、それとも氏族社会・部族社会の多神教の「霊(ひ:祖先霊)信仰」なのか、という判断に関係してきます。

 「縄文人太陽信仰説」はイギリスのストーンヘンジを参考にして、石棒円形石組を「日時計」とし、環状列石などが冬至夏至の太陽の昇る方向を向いているということと、天皇家の「アマテラス(天照)太陽神信仰」を根拠としているのに対し、私は次の主な6つの根拠から「縄文人(ひ)信仰説」を主張してきました。

 

 諏訪の原村の阿久遺跡の石棒からの2列の石列が、ヒジン(霊神)様が住む女神山として信仰されてきた神名火山(神那霊山)型の蓼科山へ向かっている。―縄文ノート「35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡」参照

 隣接する茅野市の阿久尻遺跡の19の巨木方形柱列(楼観と考える)は蓼科山を向いており、神名火山(神那霊山)信仰を示している。―縄文ノート「104 日本最古の祭祀施設―阿久立石・石列と中ツ原楼観拝殿」「105 世界最古級の阿久尻遺跡の方形巨木柱列群」「169 東西ストーンサークル文明:『ストーンヘンジ』と『阿久(あきゅう)・阿久尻(あきゅうじり)遺跡』」参照

 縄文石棒(石柱から男根型に整形)は後に「山の神(女神山)に男が金精様を捧げる祀りに引き継がれており、母系制社会の女神の依り代であり、太陽信仰の日時計の柱などではない。―「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」参照

 松岡静雄(柳田圀男の実弟、海軍大佐)の「ヒナ=シナ」説、吉田金彦元大阪外大教授の「信濃=ひな野」説があり、諏訪は元々「居夷神(いひな神)」の国であった大国主の御子の建御名方命(たてみなかたのみこと)に譲り自らは蓼科山の上に登り「ヒジン様」と呼ばれていたことからみて、蓼科山は古くは「たてひな山」で、死者の霊が天に昇る「ひな=霊の国」の山として信仰されていた。―「縄文ノート40 信州の神那霊山(神名火山)と霊(ひ)信仰」参照

死者の霊(ひ)が肉体から分離して天に昇るとする神山天神信仰は、ナイル川源流の万年雪をいだくルウェンゾリ山・ケニヤ山・キリマンジャロをルーツとし、ピラミッドなどの人工神山に引き継がれて世界に広まり、南印ドラビダ族・チベットミャンマーなど東南アジア山岳地帯・雲南などの「ピー、ピャー、ピュー」信仰が琉球から本土に伝わり「ひ」信仰となったと考えらえれる。―縄文ノート「37 『神』についての考察」「38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」「42 日本語起源論抜粋」「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」参照

 古事記は始祖神を「三神二霊」とし「二霊(ひ)群品の祖」として「産霊(むすひ)」夫婦神から人(霊人)が生まれ、日本書紀はその2神を「神皇産霊(かみむすひ)・高皇産霊(たかみむすひ)」としており、太陽神は始祖神話には登場しない。―縄文ノート「24 スサノオ大国主建国からの縄文研究」「31 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」参照

 

 以上の「縄文人(ひ)信仰説」を補強し、今回、「天照」は「アマテラス」か「アマテル」か、「天照」は「テンテル」か「海照(アマテル)」か、「天照国照彦」は「アマテラスクニテラスヒコ」か「アマテルクニテルヒコ」か、尊称「天照」の名前「大日孁貴(おおひるめのむち)」の「ヒルメ」は「日留女」か「霊留女」か、八咫鏡(やたのかがみ)は「アマテルの御魂」か「太陽のシンボル」か、「人・彦・姫・卑弥呼」は「日人・日子・日女・日御子」か「霊人・霊子・霊女・霊御子」か、「天照」は「日神(ひのかみ)=太陽神」か「霊神(ひのかみ=ヒジン)」か、縄文時代から今も続いているのは「霊(ひ:祖先霊)」か「太陽信仰」か、を検討しました。

 Gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」に「154 『アマテラス』から『アマテル』へ」をご覧いただければ幸いです。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

ナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

帆人の古代史メモ(~115まで)      http://blog.livedoor.jp/hohito/

 帆人の古代史メモ2(116~)      https://hohito2024.blog.jp/

 ヒナフキン邪馬台国ノート       http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論                 http://hinakoku.blog100.fc2.com/