ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

「178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」を加筆・修正

 「縄文ノート178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」を加筆・修正しました。この「はてなブログ」では容量オーバーで掲載できませんでしたので、GOOブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」に4つに分割して掲載しています。https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 

1 「3 食物・食文化からみた日本人のルーツ」に「⑺ イモ米魚食革命」を追加

 元は「4 宗教からみた日本人のルーツ」に「⑼ 仮面と釣りと太鼓」として入れていましたアメリカ大陸の西アフリカからの奴隷文化として紹介していた「釣り」を移動し、西アフリカの「イモ米魚食」文化として拡張しました。

 

2 「5 海人(あま)族と山人(やまと)族~日本列島への移動ルート」を「5 西アフリカで「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典(マザーランド・フェスティバル、バースランド・フェスティバル)」に

タイトルを変るとともに、次の3つの中見出しを付けて加筆・修正しました。

 ⑴ 海人(あま)族と山人(やまと)族~日本列島への移動ルート

 ⑵ 「Y染色体亜型アフリカ単一起源説」か「メソポタミア中継分岐説」か?

 ⑶ 西アフリカで「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典」を! 

 

3 「⑶ 西アフリカで「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典」を!」を書き換え

 下記のように加筆しました。そのままコピーします。

 

 今、アメリカを中心とした欧米中心の経済・政治・軍事のグローバリゼーションに対抗し、ロシアや中国、トルコ、イランなど、各国ではそれぞれの歴史的アイデンティティを過去の最大の帝国版図に求める帝国復古主義者や「神の国」建国を求める旧約聖書原理主義者などの動きとともに、旧植民地国では「グローバルサウス」の連帯が生まれてきています。

 このような時こそ、どの民族も元をたどればアフリカ黒人のDNA・言語・食・文化・宗教をルーツとしているという人類史の原点に立ち返り、「アフリカン・ファースト:もとはみんな黒人であった」という「DNA・言語・食・文化・宗教のグローバリゼーション」から未来を考えるべきではないでしょうか? 自然・いのちをなによりも大事にする共通価値感の形成に向けて人類誕生からの歴史から学ぶべきと考えます。

 大西洋奴隷貿易により西アフリカの奴隷海岸などからアメリカ大陸に売り飛ばされて強制労働させられた黒人は1200~300万人とされており、その多くは殺されたもののアメリカ合衆国にはアフリカ系黒人が約3900万人(12%)、ブラジルには黒人系1600万人・混血10900万人、ハイチにはアフリカ系1050万人・混血50万人、ドミニカにはアフリカ系80万人・混血560万人、キューバには220万人、アルゼンチンには黒人5万人・アフリカ系200万人など多くのY染色体E型人がおり、中には日本人に多いY染色体D型人もいる可能性があります。

 

 父親がベナン人の八村塁バスケ選手や父親がベナン人のサニブラウン短距離走選手、父親がハイチ系アメリカ人の大阪なおみテニス選手、父親がジャマイカアメリカ人のハリス米副大統領、タレントのボビー・オロゴンさん(ナイジェリア出身)、オスマン・サンコンさん(ギニア出身)、父親がアフリカ系アメリカ人副島淳さんなど、西アフリカのY染色体E型人をルーツとしている人達に親近感を感じずにはおれません。

特に西アフリカから東に進んだY染色体D型縄文人と、西アフリカからアメリカ大陸に連行されたY染色体E型奴隷の子孫(奴隷海岸から運ばれた人の中にはD型人が混じっている可能性あり)のうち日本にやってきた人たちが数万年の歴史をへて日本列島で出会った、という地球一周の壮大なドラマを追究したくなってきています。

アメリカでは進化論を信じない人が4割と言われていますが、DNA的に兄弟といっていい東に進んだⅮ型人と西に進んだE型人(中にはD型人も)の日本列島での出会いは、旧約聖書の迷信を打破するいいきっかけになると考えます。アレックス・ヘイリーの『ルーツ』のように、このようなテーマに取り組んでもいいというアメリカ大陸から日本にやってきた黒人あるいはハーフの方をご存じでしたら是非、話してみて下さい。

 「縄文ノート76 オリンピックより「命(DNA)の祭典」をアフリカで!」(210527)で私は提案しましたが、人種差別・民族紛争・宗教対立を乗り越えるために、国連が主導して西アフリカにおいて世界平和に向けて「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典(マザーランド・フェスティバル、バースランド・フェスティバル)」を開催すべきではないでしょうか? オリンピックや万博など競争の祭典ではなく、世界の人種・民族のルーツの共通性を確認する祭典です。

 Y染色体D型・O型の日本列島人のアフリカからの歴史解明はその先駆けとなるべきであり、若い世代の総合的な国際的な研究を期待したいと思います。

 わが国は縄文人のDNA・文化から、西・中央部・北アフリカ諸国・インド・東南アジア諸国アメリカ大陸の黒人との交流・連携を深めるとともに、特に、スサノオ大国主建国、大和朝廷からの朝鮮・中国との交易・交流・連携の歴史を大事にし、格差・分断・対立・戦争を乗り越える世界平和の実現に寄与すべきと考えます。

「縄文ノート178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」のお知らせ

 A4で47ページ、42824字、図50、表11。写真多数があり、この「はてなブログ」では容量オーバーで掲載できませんでしたので、GOOブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」に4つに分割してアップしましたのでご覧ください。https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 世界の女神信仰をまとめようと関係本を読み漁っていたのですが、1カ月かかって先に縄文人の誕生地についてまとめることにしました。

 「縄文ノート177 約5000年前のスペイン女王が示すアフリカ・西欧西岸人類拡散説」を書き、その延長で縄文ヒョウタンの原産地のニジェール川流域に4000~3000年前の世界文化遺産の「ブルキナファソ古代製鉄遺跡群」と「米魚食」の「西アフリカ文明」があり、この地こそがY染色体D型の縄文人のルーツであるこれまでバラバラと書いてきましたが、ここで総まとめを行うことにしました。

 環境・食料危機・格差拡大の分断・対立・戦争の時代にあって、世界中の人々がどのような共通価値感を持ちうるのか、わが国は存在感を高めるグローバルサウスの国々とどのように付き合っていくのかが問われている現在、アフリカから日本列島へのY染色体D型人の移動の解明は大きなインパクトを与えると考えたからです。

 縄文人Y染色体D型人なのか、それとも東インドミャンマーあたりで「D型+O型」人となって日本列島にやってきたのかこれまで迷いに迷っていましたが、DNA・言語・食文化・宗教について書いてきたものを総合し、やっと後者に落ち着きました。また、人類は「西アフリカ→東アフリカ湖水地方」でDNA・言語・文化の多様化を遂げて世界に拡散したのか、それともメソポタミア、インダス、南・東南アジアの中継点で多様化を遂げて拡散したのかについても、元は後者で考えていましたが、現在は「人類多様化アフリカ起源説」になりました。

 今、アメリカを中心とした欧米中心の経済・政治・軍事のグローバリゼーションに対抗し、ロシアや中国、トルコ、イランなど、各国ではそれぞれの歴史的アイデンティティを過去の最大の帝国版図に求める帝国復古主義者や「神の国」建国を求める旧約聖書原理主義者などの動きとともに、旧植民地国では「グローバルサウス」の連帯が生まれてきています。

 このような時こそ、どの民族も元をたどればアフリカ黒人のDNA・言語・食・文化・宗教をルーツとしているという人類共通の原点に立ち返り、「アフリカン・ファースト:もとはみんな黒人であった」という「DNA・言語・食・文化・宗教のグローバリゼーション」から未来を考えるべきではないでしょうか? 自然・いのちをなによりも大事にする共通価値感の形成に向けて人類誕生からの歴史から学ぶべきと考えます。

 「縄文ノート76 オリンピックより「命(DNA)の祭典」をアフリカで!」(210527)で私は提案しましたが、人種差別・民族紛争・宗教対立を乗り越えるために、国連が主導して西アフリカにおいて「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典」「マザーランド・フェスティバル」「バースランド・フェスティバル」を開催すべきではないでしょうか? 競争の祭典ではなく、世界の人種・民族のルーツの共通性を確認する祭典です。

 Y染色体D型・O型の日本列島人のアフリカからの歴史解明はその先駆けとなるべきであり、若い世代の総合的な国際的な研究を期待したいと思います。

 

縄文ノート178 「西アフリカ文明」の地からやってきたY染色体D型日本列島人

<目次>

1 Y染色体亜型(ハプロタイプ)からみた日本人

 ⑴ Y染色体亜型の分布

 ⑵ 7つの日本列島人形成説

 ⑶ 縄文人Y染色体D型か?

 ⑷ O型人は東南アジア人か、長江流域中国人か?

 ⑸ C型人は北方系か、南方系か?

2 言語からみた日本人のルーツ

 ⑴ 「主語-目的語-動詞」(SOV)言語である

 ⑵ 縄文語は倭音倭語

 ⑶ 農耕・食物語のルーツ

 ⑷ 宗教語のルーツ

 ⑸ 性器語のルーツ

 ⑹ 倭音倭語のルーツはドラヴィダ(タミル)語

3 食物・食文化からみた日本人のルーツ

 ⑴ イモ食のルーツ

 ⑵ 稲作のルーツ

 ⑶ 雑穀・根菜・イネのルーツ

 ⑷ 「モチモチ・ネバネバ食」のルーツ

 ⑸ 「ソバ・豆」のルーツ

 ⑹ 粉食のルーツ

 ⑺ 土器鍋食革命

 ⑻ アフリカからの食の歴史研究へ

4 宗教からみた日本人のルーツ

 ⑴ 縄文人の霊(ひ:死霊・祖先霊)信仰

 ⑵ ドラヴィダ族、雲南省イ族、タイ農村部、チベットビルマ、卑南・匈奴鮮卑「ピー」信仰

 ⑶ 「ポンガ」の赤米・カラス行事

 ⑷ 「神山天神信仰

 ⑸ 「神籬(ひもろぎ:霊洩木)」信仰

 ⑹ 「龍神」信仰

 ⑺ 妊娠土偶・女神信仰

 ⑻ 男性器信仰

  ⑼ 仮面と太鼓

 ⑽ 霊(ひ)信仰から自然信仰・神使信仰・精霊信仰へ

5 海人(あま)族と山人(やまと)族~日本列島への移動ルート

177 約5000年前のスペイン女王が示すアフリカ・西欧西岸人類拡散説

 7月10日、ナショナルジオグラフィックから「約5000年前の権力者は女性だった、定説覆す発見、スペイン―考古学の革命的手法『プロテオミクス』で判明、他の研究でも活躍」という大変興味深いメールがナショジオから送られてきました。また、研究会メンバーの下平さんからも、YAHOO!ニュースでも同様の記事が掲載されているとの連絡をいただきました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6bbd09cf671e6da17c3b00405fea46ba28facb62?page=3

 「縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)」(210415)の表1において、私は「イギリス・アイルランド各地」の「5300~3100年前頃」の環状列石について、「ストーンヘンジ周辺の30数名を弔う集団墓地の人骨はトルコ系、スペインに現在定住する民族と大変似通った遺伝子であることが判明」と書きましたが、そのスペインからの集団が母系制であった可能性がでてきました。

 なおこの時には「スペインのストーンサークル」と呼ばれる紀元前5000年頃の「ガダルペラルのドルメン」について記載しておらず、今回、下図のように追加修正しました。

 セネガンビアセネガル)の1045箇所の環状列石は8~12世紀のものなので、私の西アフリカ海岸北上→スペイン→イギリス・アイルランドの大西洋東岸人類拡散説は現在のストーンサークルからは成立しませんが、セネガンビアセネガル)には8~12世紀以前の環状列石があった可能性が高いと私は考えています。

 アフリカからアジア大陸南岸・東岸の「海・海岸の道」を通ってのY染色体D型の縄文人の移動説の私は、ナイル川を北上した「地中海沿岸人類拡散説」とともに、「アフリカ・西欧西岸人類拡散」の可能性があると考えています。

 日本やエチオピア東インドミャンマー雲南に多いY染色体D(図3)と、アフリカで分かれて残ったY染色体Eの分布をみると、図2のようにアフリカ西岸に濃厚に分布してスペインへと続いていることからみて、地中海ルート(トルコ起源説)よりアフリカ・西欧西岸拡散ルートの可能性がより高いと考えます。

 ローマ人やゲルマン人・バイキングに征服される前のイギリス・アイルランドで「ストーンサークル文明」を築いた人たちの「人骨はスペインに現在定住する民族と大変似通った遺伝子」なのです。

 セネガンビアなど、アフリカ西海岸地域には「失われたストーンサークル文明」があると私は考えています。

 西欧中心史観(旧約聖書史観、ギリシャ・ローマ中心史観)は「縄文ノート64 人類拡散図の検討」(210330)で取り上げた次図のように、「大西洋東海人類拡散説(アフリカ・西欧西岸人類拡散説)」を取り上げていませんが、アフリカ・アジア中心史観による考古学の新たな発見(アフリカ西部での5000年前頃のストーンサークルや人骨)が期待されます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート176 世界の母系社会

 講演資料「縄文は母系制社会だった~『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録を考える」では、方法論として垂直軸(歴史軸)と水平軸(世界の民俗軸:女神信仰と母系制)の両方から縄文母系制社会を明らかしようとしましたが、後者の「世界の母系制社会」「世界の女神信仰」の資料づくりは間に合いませんでした。

 

 

 母系制が今も世界に残っていると初めて私が知ったのは、学生時代に探検部の友人たちから「ブータンには夜這い・妻問婚が残っている」と性的興味をひく話や顔がよく似ており、服装が左前の和服と同じで、数字が日本語とそっくりなどと聞き、何かのきっかけで中尾佐助氏(植物学者、照葉樹林文化論の提唱者)の本を読んでからでした。

 それを思い出しながら母系制社会をさいたま市図書館で検索すると、遠藤織枝著の『中国雲南 摩梭(モソ)族の母系制』とナディア・フェルキ著・野村真依子訳の『世界の母系社会』などがあり、その後、妻が興味を持ってこの2冊を購入していたのですが、この機会に紹介したいと思います。

 

 もともと歴史的に母系制であった社会が侵略戦争により女・子どもを奴隷化し、それを神の命令として奨励した旧約聖書教により父系制社会への転換が起りますが、これらの地域では、女神信仰や始祖女王の歴史の継承や、日本の漁村のように危険な漁や交易に出かける男に対し女性が家を守るという伝統が受け継がれたと考えられます。

 なお、世界の女神信仰については、次の機会にまとめたいと思いますが、日本では女神・稲荷神(大山祇の娘の神太市比売とスサノオの娘の宇迦之御魂(うかのみたま))を主祭神として祀る稲荷神社は2970社もあり、分祀社は32000社にものぼり、さらに屋敷神として祠などに祀っている家は無数にあり、私の住むさいたま市中央区の散歩道の古い農家や住宅には各家の北西隅に祀っているように、女神信仰は世界的にみても濃厚なのですが、その伝統は今や忘れら去られようとしています。―「縄文ノート38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」参照

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

  ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート175 女偏が示す中国母系制社会

 7月19日の縄文社会研究会・東京の公開講座の講演資料「縄文は母系制社会だった~『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録を考える」では、「漢字が示す母系制社会」として、「姓、地、女・男、卑・卑弥呼、魏・鬼・倭」字を紹介しました。

 

 

 「縄文ノート90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」(210822)では次のように書きましたので、具体的な説明は省きます。「縄文ノート148 『』字からの中国母系社会論」(220827)でも詳しく分析していますので、参考いただければと思います。

 

 鬼神(祖先霊)信仰の中国人が大事にする「姓」は「女+生」であり、周王朝が姫氏であり、周の諸侯であった「魏」は「禾(稲)+女+鬼」で鬼(祖先霊)に女が禾(稲)を捧げる国であり、女王・卑弥呼(霊巫女)に金印を与えて厚遇したことをみても、もともとの中国は母系制社会であったと考えられます。―縄文ノート「31 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」「32 縄文の『女神信仰』考」参照

 孔子の「男尊女卑」も、「尊=酋(酒樽)+寸(手)」、「卑=甶(頭蓋骨・仮面)+寸(手)」で、女は祖先霊が宿る頭蓋骨を手で支え、男はそれに酒を捧げるという役割分担を姫氏の周時代の母系制社会を理想として孔子は述べたのであり、「男は尊い、女は卑しい」というのは後世の儒家の歪曲です。

 「鬼」(祖先霊)は「甶(頭蓋骨又は仮面)+人+ム(座った私)」であり、「祖先の頭蓋骨を捧げた人」「仮面をかぶった人」を私が拝むという鬼神信仰、卑巫女(霊巫女)の役割を示しており、「魂」字は「雲+鬼」で「天上の鬼(祖先霊)」であり、「卑」字は「甶(頭蓋骨)+寸(手)」で祖先霊を掲げて祀る女性の巫女(みこ=御子)を表しており、いずれも祖先霊信仰を示しています。

 「卑」を卑しいという意味に変えたのは、春秋・戦国時代に戦勝国が女性を性奴隷にするようになり、男性優位社会となったのに儒家が合わせたことによるものです。

 

 この資料作りの際には、次の基本字「始」字、結婚や出産に関わる「婚・婿・嫁・妊・娠」字、漢委奴国王の金印の「委・奴」字について分析が間に合わなかったので、ここに追加して合わせて表1として紹介したいと思います。

 

 

 まず「始」字を漢字分解すると「女+台」であることは象徴的です。アニメ「はじめ人間ギャートルズ」の表現を借りると、「はじめ人間ウーマンズ」にならざるをえません。

 結婚や出産に関わる「婚・婿・嫁・妊・娠」字もすべて女偏です。「姓=女+生」に対応して、結婚の「婚=女+氏/日」であり、「嫁=女+家」に対して「婿=女+疋(足)/月」であり「1カ月の足入れ婚で合格すると婿として認められる」という風習があった可能性があります。

 「妊娠」が女偏なのは当然ですが、「娠=女+辰」で「辰」には皇帝を象徴する龍の意味があり、「北辰=北極星=皇居、天子を指す」ことなどからみて、最高の貴字であることは見逃せません。

 また「匈奴(ヒュンナ)」や「委奴国(筆者説:ふぃな(いな、ひな)の国)」の「奴」字は、奴隷・奴婢になどから「奴」字を「女を右手でとらえる」との悪字(卑字)解釈が見られますが、元々の「奴」字は「」であり「女を右手で支える」という良字(貴字)なのです。―縄文ノート「149 『委奴国』をどう読むか?」(220905)」、「152 朝鮮ルート、黒潮ルートか、シベリアルート、長江ルートか?」(220918)参照

 以上から明らかなように、中国では春秋戦国時代の男が中心の軍国社会に入る前の孔子が理想とした周の農耕社会(男=田/力)は母系制社会であり、女偏の漢字は母系制社会の人々の考え方を示しています。

 若い中国語学者のさらなる研究を期待したいところです。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

  ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート174 縄文社会研究会・東京:公開講座『縄文は母系制社会であった』報告

 はてなブログの「縄文ノート174 縄文社会研究会・東京:公開講座『縄文は母系制社会であった』報告」を転載します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 7月19日、縄文社会研究会・東京の公開講座(神田:サロンド冨山房Folio)では、尾島俊雄早大名誉教授(都市環境工学)の「八ヶ岳山麓の縄文社会」の講演に続き、私は「縄文は母系制社会だった~『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録を考える」の講演を行いました。

 ウクライナ戦争を契機として、「縄文ノート172 女と男の『共同体・食・家族・民主主義・自由・平和・宗教』」(7月8日)において、私は「民主主義・平和・宗教」には男の戦士社会」と母子の「生活者社会」の2種類の原理があるという整理を行いましたが、その根拠となる歴史分析について書いてきたものをまとめました。

 アフリカでの人類誕生から海神信仰・地母神信仰・天神信仰を持って日本列島にやってきた縄文人、さらにはスサノオ大国主一族の米鉄交易と母系制社会の妻問夫招婚、八百万神(鬼神)信仰による紀元1・2世紀の百余国の平和的な統一、さらには3世紀の鬼道(霊(ひ)信仰)で30国を統一した女王・卑弥呼(霊巫女)の邪馬壹国などの女王国の歴史をたどり、4大文明のみならず日本文明においても元々は母系制社会であり、その影響が現代にも残っていることを明らかにしました。

 「オスザルがサバンナで石槍で狩猟を行って人類が誕生し、大型動物を追って世界に拡散し、肉食と闘争・戦争によって進化した」という男中心・戦士中心・西洋中心・旧約聖書史観に対し、「人類は母と子のおしゃべりと糖質・DHA食により2・3歳までに知能を発達させ、半身浴による魚貝・小型動物採集により直立歩行と手の機能を向上させ、さらに女・子どもは火の使用と採集・栽培・調理用の木器・骨器・石器道具の開発を行い、好奇心と冒険心に富んだ子ども・若者が人類拡散を進めた」という生活者中心の「母系制社会進化説」に私は到達してきました。

 ウクライナ戦争などの戦争・地域紛争、気候変動と食料危機、格差拡大と対立の激化など、現代文明の行き詰まりは父系制社会の戦士の論理で解決することは困難であることが明らかになってきており、「共同性・食・家族・民主主義・自由・宗教・平和」の基本原理の全てにおいて、母系制社会の長い歴史に学び、次の文明を展望すべき時と考えます。

  なお、個人的学習・研究資料として資料をご希望であれば、雛元昌弘のフェイスブックメッセンジャーで送付先をお知らせください。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

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縄文ノート173 「原始、女は太陽」か、「原始、女は霊(ひ)を産む神」か

 平塚らいてうは女性文芸誌『青鞜』の創刊号で「原始、女は太陽だった」と女性の権利獲得・解放を象徴するインパクトのある提案を行い、共に女性史研究・女性運動を進めた高群逸枝もまた太陽神・天照大御神本居宣長:あまてらすおおみかみ、筆者:あまてるおおみかみ)を始祖神として認めています。

 皇国史観の絶対主義天皇制の支配のもとで、女性の権利を主張するためにアマテル信仰を逆手にとった苦し紛れの選択ともいえますが、結果として「世界を照らすアマテル太陽神」信仰の皇国史観に同調し、女性たちを「聖戦」の侵略戦争に駆り立てる役割を果たしたのです。しかしながら、高群逸枝の「母系制」「婚姻史」研究の成果は「神話時代」以降については損なわれることはない、と私は考えます。

 記紀神話分析から「原始、女は霊(ひ)を産む神だった」ことを明らかにしておきたいと考えます。

 

1 「ひ」は「日」か「霊」か?

 私は青森県東北町で「日本中央」の石碑に出合い、先祖の江戸中期の墓に彫られた「日向(ひな)」、提灯の「日南(ひな)」名字(屋号)のルーツを求めて古代史研究に入り、最初は「日向=日の当たる場所=日那(ひな)」説からスタートしましたが、全国の「ひな」地名(日向、日南、日名、日夏、日撫、日那、日奈、比奈、火那、陽、雛、夷、蜷)や、大国主に国譲りさせた今の出雲家のルーツである武日照(たけひなてる)命=武夷鳥(たけひなとり)命=天夷鳥(あまのひなとり)命=建比良鳥命の名前、高天原の所在地である「筑紫日向橘小門阿波岐原」に対応した筑後川流域の旧甘木市の「蜷城(ひなしろ)」地名、古事記が始祖神を「高御産巣日(たかみむすひ)神・神産巣日(かみむすひ)神(日本書紀:高皇産霊(たかみむすひ)尊・神皇産霊(かみむすひ)尊」としていることから、「ひな=霊那」説に到達しました。―『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』参照

 「ひ」を「日」と書くか「霊」と書くかで、この国の始原宗教が「太陽信仰」か、それとも死者を神として崇拝する八百万神の「霊(ひ)(死霊・祖先霊)信仰」であるか、大きな違いがでてきます。なお、「霊=雨+巫(フ:みこ)」で、巫女(みこ)が雨乞いをしている祖先霊を指し、倭音「ひ、たま」、呉音「リョウ」、漢音「レイ」と読みます。

 ちなみに、沖縄の宮古地方では女性器を「ぴー、ひー」、天草地方では「ひな」と呼び、倭名類聚抄はクリトリス(陰核)のことを「ひなさき(雛尖・雛先・雛頭)」と書き、栃木や茨城の方言に「ひなさき」は残っています。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 さらに、平安時代からの男子正装の際の烏帽子の先には「雛形」と「雛尖(ひなさき)・雛頭(ひなさき)」が付けられており、この「カラス信仰+女性器信仰」のルーツはさらに古い可能性があります。

 

 中国の烏帽子の例から見ても、中国山岳部のイ族(夷族・倭族)の烏蛮(うばん)、さらには小正月に赤米粥を炊いて食べカラスに与える南インドのドラヴィダ族のポンガロの祭りがルーツの可能性が高いと私は考えます。―縄文ノート「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」「41 日本語起源論と日本列島人起源」等参照 

 また、出雲地方では女性が妊娠すると「ひがとどまらしゃった」といい、これらの例は「ひ」が「日(太陽)」ではなく「霊(ひ)」であることを示しています。

新井白石は「人」を「ヒ(霊)のとどまる所(ト)」「霊人(ひと)」とし、角林文雄氏は『アマテラスの原風景』において「人、彦、姫、聖、卑弥呼」は「霊人(ひと)、霊子(ひこ)、霊女(ひめ)、霊知(ひじり)、霊巫女(ひみこ)」としていることや、死者を入れて葬る甕棺・石棺・木棺などを棺・柩(ひつぎ=霊継)と言い、天皇家皇位継承を「ひつぎ=日嗣=霊継)ということからみても、古代人は親から子へDNAが受け継がれることを霊(ひ)が受け継がれると考えていたことは明らかです。

 歴史上の死者を演じる能楽師や歌舞伎役者、死者の葬送を行う神社の神人(じにん)などの「霊人(ひにん)」を徳川幕府は「非人」身分として差別したことや、非業の死を遂げて子孫への霊継(ひつぎ)を断たれて子孫に祀られることのない死者の怨霊を神として祀る例をみても、霊(ひ)信仰は裏付けられます。

 

2 「原始、女は霊(ひ)を産む神だった」

 幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた本居宣長は、「世界を照らす天照大御神」を始祖神とする太陽神信仰の皇国史観の元祖ですが、彼の古事記研究は武士支配を終わらせ天皇制に置きかえたいという政治思想からきた大きな歪曲があります。

 古事記はこの国の始祖神を高天原の天御中主(あめのみなかぬし)・高御産巣日(たかみむすひ)・神産巣日(かみむすひ)・宇摩志阿斬訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)・天之常立(あめのとこたち)の5神として、序文では「参神造化の首(はじめ)と作(な)り、陰陽斯(ここ)に開けて、二霊群品の祖(おや)と為(な)りき」と書き、神産巣日御祖(かみむすひみおや)命は大国主を何度も助ける「御祖(みおや)」として書かれているのですから、まともに古事記を読めばこの国の始祖神を女神の神産巣霊になります。しかしながら、本居宣長天皇制国家を復活させるために始祖神をアマテル太陽神に置き換えるというねつ造を行ったのです。

 なお出雲大社本殿の正面にはこれら5神が「別天ツ神(ことあまつかみ)」として祀られていますが、皇居には祀られていません。

 高群逸枝は当然ながらこれらのことに気付いており、スサノオ大国主一族の御祖(みおや)が女性神である神産霊神であることを認めていますが、アマテル始祖神説を批判せず、「原始、女は太陽だった」として「世界を照らす太陽神アマテル」の大東亜戦争に「わが『たをやめ』は家族心を生命としており、世界の家族化を願望してやまない。・・・今次の大聖戦に私どもは『女なれども』ではなく、『女なればこそ』立ち上がっているのである」(山下悦子高群逸枝論』より)などと積極的に協力したのです。

 天皇人間宣言から80年近くたった今こそ、彼女たちの限界を指摘するとともに、高群逸枝が解明した「母系制」「招婿婚」研究の成果を八百万神信仰のスサノオ大国主国史にまで遡らせ、「原始、女は霊(ひ)を産む神だった」として世界に向けてアピールすべきと考えます。

 

3 高群逸枝の婚姻史への疑問

 高群逸枝の『招婿婚の研究』『日本婚姻史』などは、新撰姓氏録をはじめとする古代からの全文献をもとに各氏族の婚姻の分析を行い、招婿婚(婿取婚)が鎌倉・南北朝まで行われていたことを明らかにした労作であり、次表のようにまとめています。

 私は武士社会が成立した鎌倉時代に母系制社会から父系制社会へ移行したと考えていたのですが、政治的な変革より社会的文化的な変化はワンテンポ遅れたようです。

 各氏族の婚姻の分析について原典に遡って高群説を検証し、評価する作業は専門家に任せるほかはありませんが、次表について私の意見を述べておきたいと考えます。

 

⑴ 妻問婚は「大和」からか?

 第1の疑問点は、「原始(無土器・縄文・弥生)」を群婚(属内婚、族外婚)とし、「大和(古墳)」から妻問婚としていることです。

 戦前の皇国史観のもとではやむをえなかったといえますが、記紀スサノオ大国主一族の「葦原中国(あしわらのなかつくに)」の建国を記し、桓武天皇第2皇子の第一流の文人で日本3筆の一人であった52代嵯峨天皇が「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は即ち皇国の本主なり」として正一位(しょういちい)の神階と日本総社の称号を、66代一条天皇は「天王社」の号をスサノオを祀る尾張津島神社に贈っていることからみても、天皇家スサノオを「皇国の本主」の「天王(てんのう)」と認めているのです。ところが、高群説ではスサノオ大国主一族の建国史がすっぽりと抜け落ちています。―「縄文ノ-ト24 スサノオ大国主建国論からの縄文研究」参照

 その結果、古事記に書かれたスサノオとアマテルの宇気比(受け霊)や大国主沼河比売への用婆比(夜這い)などイヤナギ・スサノオ大国主一族の妻問婚による百余国の委奴(ふぃな)国の建国(部族連合国)を認めることなく、妻問婚を「大和(古墳)」時代からとする誤りを犯しています。

 なお、古事記によれば、スサノオは筑紫日向(ちくしのひな)生まれのアマテルの弟とされていますが、出雲のイヤナミを母とする記述もあり、実際にはアマテルの異母兄であり、さらに大国主スサノオ7代目とする家系が記されており、大国主に国譲りさせたアマテルは襲名した別人(大国主の筑紫日向の妻の鳥耳)になります。

 

⑵ 「原始時代群婚説」は成立するか

 第2点は、原始時代を「無土器・縄文・弥生時代」とし、猿集団のような群婚としていますが証明がないことです。

 縄文時代は家族単位の竪穴式住居であり、そのまま鉄器稲作時代(通説は弥生時代)に引き継がれていることが明らかであり、「群婚」説が成立する裏付けはありません。私は縄文の女神信仰などからみて、縄文人の妻問夫招婚はスサノオ大国主建国にそのまま引き継がれたと考えています。なお、後述するように、竪穴式住居内に石棒(金精:女神の依り代)からみて、竪穴式住居は母系制社会を示していると考えます。

 

⑶ 「原始(無土器 縄文 弥生)」説について

 第3点は、高群説の問題というより日本史そのものへの私の批判となりますが、「石器・土器・土器・古墳」という「イシドキドキバカ史観」の問題であり、私はDNA・言語・水利水田稲作などから弥生人(中国・朝鮮系)による縄文人征服などなく、縄文人の内発的・自立的発展としてスサノオ大国主一族の建国があったと考えています。

 『魏書東夷伝倭人条』や『三国史記新羅本紀などにおいて倭人倭国が中国系あるいは朝鮮系の民族などとは書かれておらず、紀元前4世紀頃の弥生式土器と紀元前10世紀頃の水田稲作開始説はズレており、「弥生時代」という名称は意味をなさなくなっています。

 この4時代区分は「石器(狩猟道具等)―縄文時代(煮炊き保存土器と土偶)―弥生時代(保存土器、水田稲作)―古墳時代(巨大墓)」というバラバラの基準であり、考古学者の発掘成果を並べたものにすぎません。

 八百万神信仰のスサノオ大国主一族16代の建国説に立つ私は、「木石器―土器―鉄器」時代区分により、紀元1世紀からの海人族のスサノオ大国主一族の鉄器水利水田稲作の普及と妻問夫招婚による建国(部族連合国家)が大きな転換点と考えています。

 

⑷ 全世界で普遍的であった母系制社会の未解明

 第4点は、高群説というよりユダヤキリスト教の影響を受けた西洋中心史観、マルクス主義史観への批判になりますが、古代国家成立以前の氏族社会・部族社会段階の「共同所有」の「原始時代」とみなし、母系制社会の存在を無視し、父系制社会の古代国家建設や西欧諸国のアフリカ・アジア・アメリカ侵略・植民地化を正当化してきた戦争史観の差別性を問題にしていないことです。

 高群逸枝は「招婿婚(婿取婚)」から「母系制社会」説にたどり着きながら、「招婿婚(婿取婚)」を文献分析からアマテルをルーツとする天皇家の建国からとしたため、「母系制氏族」の存在を認めながら、「原始時代」(氏族・部族社会)が母系制社会であったとする歴史解明ができていないことです。

 高群説には母系制社会が世界の人類史に普遍的であったという視点がないです。

 

4 「妻問夫招婚」を示す夫婦名

 高群逸枝の「招婿婚」研究の限界は、スサノオ大国主16代の建国史の分析を避けている点にあります(『高群逸枝全集』など全ての著作に目を通していないため見落としがあるかもしれませんが)。

 古事記には「高御産巣日(たかみむすひ)神・神産巣日(かみむすひ)神」に続いて「神世7代」では角杙(つのぐひ)神・妹活杙(いもいきぐひ)神、宇比地邇(うひぢに)神・妹須比智邇(いもすひぢに)神、意富斗能地(おほとのぢ)神・妹大斗之辨(いもおほとのべ)神、於母陀流(おもだる)神・妹阿夜訶志古泥(いもあやかしこね)神、伊邪那岐(いやなぎ)神・妹伊邪那美(いもいやなみ)神の5組の夫婦神が登場します。

 重要な点は、夫婦名に「産巣日(むすひ)」「杙(くひ)」、「比地邇(ひぢに)・比智邇(ひぢに)」「意富斗能(おほとの)・大斗之(おほとの)」「伊邪(いや)」の共通名が見られることであり、これは婚姻後に妻側か夫側に名前を合わせたことを示しています。

 亀岡市にある丹波国一宮の出雲大神宮では、大国主は「三穂津彦大神・三穂津姫」の夫婦名で祀られており大国主は妻の「三穂津姫」の名前に合わせて「三穂津彦」と名乗っていることが明らかであり、播磨国一宮の伊和神社で大国主が「伊和大神」と呼ばれているのは「伊和媛=石比売(いわひめ)」に妻問いして名前を合わせたことを示しています。

 このような例からみても、似通った夫婦名は妻問いして婿入りした夫が妻の名前に合わせたのであり、「伊邪那岐(いやなぎ)伊邪那美(いやなみ)夫婦神」は、揖屋の地の伊邪那美のもとに婿入りした海人族の男が伊邪那岐を名乗ったことを示しています。なお、この「伊邪」を日本書記は「伊弉」と書いて「いざ」と読ませていますが、「邪馬台国」の「邪」を「や」と読むなら、「いや」と読むべきです。

 大国主の妻のスセリヒメが「打ち廻る 島の崎崎 かき廻る 磯の崎落ちず(注:もれず) 若草の 妻持たしめ」と嫉妬して歌ったように、大国主対馬暖流に乗った「米鉄交易」により筑紫~出雲~越にかけて180人の御子を各地の島や磯の「百余国」でもうけたのであり、同じように対馬壱岐の海人族の伊邪那岐もまた、出雲で伊邪那美に妻問してスサノオをもうけ、その死後には筑紫で綿津見3兄弟、筒之男3兄弟やアマテル、月読などをもうけたのです。

 大国主が多くの名前で呼ばれていることから、「何人かの人物を集合して後世に創作された人物」という主張が見られますが、小林旭の『昔の名前で出ています』の「♪♪♪ 京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの 神戸じゃ渚と 名乗ったの ♪♪♪」のように、妻問夫招婚の先々で大国主は妻の名前に合わせていろんな名前を使っていたのです。

 

5 「ひな(女性器)」は霊継(ひつぎ)のシンボル

 死者の記憶がいつまでも人々の間に残ることから、古代人は肉体は母なる大地に帰って黄泉帰り、死者の霊(たまし霊=魂)は天に昇り永遠に残るという「魂魄分離(魂=霊、魄=肉体)」の考えを持ち、さらに親子が似ているというDNAの働きを親から子へと霊が受け継がれると考えたのです。

 「生物はDNAの入れ物」(リチャード・ドーキンス博士の利己的遺伝子仮説)という考え方のはるか昔から、縄文人や古代人は「ひと」は「霊留(ひと)」(霊が留まるところ)であり、「人は『霊(ひ)』の入れ物」「霊(ひ)の器」と考え、「ひな(霊那)=霊が留まる場所=子宮」に模した壺棺や甕棺(かめかん)に死者を赤く染めて葬っていたのです。―「縄文ノート7 動物変身・擬人化と神使、肉食と狩猟」参照

 縄文人が死んだ子供の亡骸を壺に入れて竪穴式住居の入口に埋めたのは、そこをまたぐ母親の性器(ひな=霊那=霊が留まる場所)に死んだ子供の霊が帰ってくると信じていたと考えられています。

 古事記によれば、アマテルの死後、天宇受売(あめのうずめ)が石棺の蓋(岩屋戸)の上に「槽(うけ)伏せて踏み轟こし、神懸かりして、胸乳をかき出で、裳緒を陰(ほと)に押し垂らし」て踊ったとされており、死者の霊が陰(ほと)(ひな)に還ってくることを願った宗教儀式であったと考えます。そして「八百万神共に咲(わら)ひき」というのは、女性器を見せて男たちに子づくりを促し、死を生への起点とする儀式でもあった可能性があります。

 さらに日本書紀の一書によれば、ニニギの天下りに際し、道を閉ざした猿田彦大神に対し、天鈿女(あめのうずめ)はここでも「胸乳を露わにかきいでて、裳帯を臍の下に抑(おした)れて」説得したというのであり、天鈿女(あめのうずめ)は性器を見せて重要な交渉を行った、セックスを武器とした母系制社会の文化があったことを示しています。

 男子が「雛形、雛尖(ひなさき)・雛頭(ひなさき)」を前に付けた烏帽子を正装としてかぶっていたのは、女性器「ひ、ひな」を掲げて「言向和平(ことむけやわす)」という平和的な交渉が行われていた母系制社会の伝統を残っていたことを示しています。

 

6 ひ(霊)信仰のルーツはー南インドチベット・モンゴル、ミャンマー・東南アジア・雲南

 縄文ノート「37 『神』についての考察」「38 霊(ひ)タミル語pee、タイのピー信仰」などにおいて、私は次のことを明らかにしてきました。

① 日本語の『霊(ひ:fi)』は、南インドのドラヴィダ族(インダス文明の担い手)のタミル語の『pee(ピー):自然力・活力・威力・神々しさ』に対応しています。(沖縄では古くは「ひ(fi)」は「ぴ」)―「縄文ノート37 『神』についての考察」参照

 

② チベット系の雲南省イ族(夷、、ロロ、烏蛮(うばん):871万人)の「ピー・モ」(巫師)は「死霊は今からロロ族の故郷である大涼山まで長い旅立ちをしなければならない」と繰り返し唱えます。―「縄文ノート38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」参照

③ タイの農耕民社会にピー(先祖、守護神)信仰は広く見られ、「浮動するピー」「去来するピー」「常住するピー」があり、「常住するピー」は屋敷神として屋敷地の片隅に祀られており、わが国の屋敷神の祠と符合します。―前同

 

④ チベット族の始祖王の父もしくは祖父は「ピャー」と呼ばれ、一族の神は「ピャーのうちのピャー」と呼ばれています。―「縄文ノート128 チベットの『ピャー』信仰」参照

⑤ ミャンマーのイラワジ川沿いには「ピュー人」(3世紀:驃(呉音:ビョウ、漢音:ヒョウ)国)のピュー文化圏があり、「ピュー語はチベットビルマ語派に属し、1、2世紀ごろに南インドの人間が下ビルマに移住した」とされています。沖縄の「あいういう」5母音と「ピ」、本土の「あいうえお」5母音と「ヒ」の関係から見て「ゆ=よ」「ピ=ヒ」であり、ミャンマーでは「ピュー」を漢人は「ヒョウ」と書いたと可能性があります。―「縄文ノート132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」参照

⑥ 台湾の東南部山地には約1万人の卑南族(現地ではピューマ、呉音ではヒナ・ヒナン)族がおり、「巫女信仰のアニミズムの祖霊部屋」「豊年祭-粟の収穫を祈願する祭祀、収穫祭-粟の収穫を感謝する祭祀、大狩猟祭」「頭目制度と男子会所による年齢階級組織が混在した母系社会」はわが国の民俗と似ています。―「縄文ノート91 台湾・卑南族と夜這い・妻問夫招婚の『縄文1万年』」参照

⑦ 匈奴(ヒュンナ・ヒョンナ)や鮮卑(センピ)もその国名から「ピー・ヒ」信仰の宗教圏であった可能性があります。なお、「匈奴(ヒュンナ・ヒョンナ)」と「委奴国(ふぃなのくに)」の符合は偶然なのか、気になります。―「縄文ノート149 『委奴国』をどう読むか?」参照

 

 

⑧ 以上、言語学民族学民俗学から「霊(ひ)」信仰のルーツが南インドからチベット・モンゴル、ミャンマー・東南アジア・雲南・日本に広がった可能性を見てきましたが、「主語-目的語-動詞」(SOV)言語やY染色体D型、さらには照葉樹林帯の農耕・食文化とも重なり、単なる偶然とは思えません。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「26  縄文農耕についての補足」「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「109 日本列島そば好きラインー蕎麦と焼畑」「41 日本語起源論と日本列島人起源」「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「152 朝鮮ルート、黒潮ルートか、シベリアルート、長江ルートか?」参照

 

7 「妊娠女性像」「女神像」「女性アクセサリー」が示す母系制社会

 高群逸枝は古代文献分析から「招婿婚(婿取婚)」を解明して「母系制社会論」へと進めましたが、縄文時代の解明には縄文人の精神性=宗教を示す物証の分析が欠かせません。

 

 縄文ノート「32 縄文の『女神信仰』考」「75 世界のビーナス像と女神像」「86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」などで明らかにしましたが、世界に見られる「妊娠女性像」「女神像」や女神神話は母系制社会を示しており、縄文人の腕輪(貝輪)やペンダント・ネックレス(ヒスイ・コハク・貝)・耳飾り・赤漆塗櫛などは女性が自ら採取・製作し、琉球から北海道まで流通させたというより、妻問夫招婚の贈物として男が用意したとみられます。

 なお縄文女神像については、火焔型土器などと合わせて「縄文芸術家」がいた分業社会が成立していたことを示しています。

 

8 「石棒(金精)」が示す母系制社会

 わが国には縄文時代から石棒(金精=男根)信仰があり、現役時代に全国各地の仕事先で時に見かけることがあり、私は男性社会のシンボルあるいは女性が出産を願うシンボルと思っていました。

 しかしながら、群馬県片品村尾瀬のある村)の仕事で、女体山(日光白根山)に金精(男性性器型)を男性だけが奉納する上小川地区の登拝行事や、男が性器型などのツメッコを作り甘い汁粉に入れて煮て、裏山の十二様(山の神)に供え帰って食べ、十二様が嫉妬するので集落の十三歳以上の女性は甘酒小屋に集まり参加できないという十二様祭り(針山地区)や、女装した男性が拝殿の前で東西に2列に並び、「エッチョウ」「モッチョウ」と言いながら赤飯を交互に投げ合う花咲地区の猿追い祭りから、金精(石棒)は男性が女神に捧げる祭りであり、女性主体の赤飯投げ行事を合わせて、母系制社会の信仰の名残であることがわかり衝撃を受けました。

 そこで2015年6月に「金精信仰と神使(しんし:みさき)文化を世界遺産に」という提案を村に対して行ったのですが採用にはいたらず、その後、インドやブータンに男性器信仰がみられることや、ドラヴィダ族に赤米粥をカラスにやる「ポンガロー」の小正月の行事が青森・秋田・茨城・新潟・長野(長野の行事は鳥追い祭りに変質)の「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」のカラスへの赤飯やり行事を大野晋さんの『日本語とタミル語』で知り、さらに縄文時代の石棒信仰などから、女神信仰や神山天神信仰などと合わせて世界遺産登録は2015年の「祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に」へと拡張した提案となっています。

 

<参考資料:縄文ノート>

29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論

30 「ポンガ」からの「縄文土器縁飾り」再考

34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)について

49 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡

77 北海道・北東北の縄文世界遺産登録の次へ

98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社 210924

99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡 210930

100 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松 211003

102 女神調査報告6 石棒・男根道祖神 211213

160 「日本中央部縄文遺跡群」の世界遺産登録にむけて

 

9 「霊継(命のリレー)」を大事にする母系制社会へ

 以上、高群逸枝説の文献のみによった「母系制論」は、その後の全世界の考古学、類人猿学、DNA人類学、民族学文化人類学民俗学言語学、宗教学、農学などの発展をふまえ、「原始、女は霊(ひ)を産む神」であった母系制社会としての解明が求められます。

 人類は狩猟・肉食と戦争によって進歩・発展したという男性中心史観が根強く見られますが、母系制社会であった平和な1万数千年の縄文社会の歴史や妻問夫招婚によるスサノオ大国主一族の建国をみるならば、たかだか1千年の父系制社会の殺戮の歴史の延長上に未来を展望することなどできません。パリ大学文化人類学者のマルセル・モースに学んだ岡本太郎ではありませんが、今こそ「縄文に帰れ」「本土が沖縄に復帰するのだ」と言いたくなります。

 地球環境破壊が進んで食料危機が心配され、格差が拡大してウクライナ戦争など戦争と地域紛争の多発する現在、「共同体、食、家族、民主主義、自由、宗教、平和」の全てにわたって母系制社会と父系制社会の原理に立ち返り、未来を考えてみるべきではないでしょうか。

 

 

<参考資料:縄文ノート>

13 妻問夫招婚の母系制社会1万年

84 戦争文明か和平文明か

103 母系制社会からの人類進化と未来

139 『サピエンス全史』批判5 狩猟採集民の「平和と戦争」

159 縄文1万5千年から戦争のない世界へ

164 女と男の「民主主義・平和・宗教」 230413

172 女と男の『共同体・食・家族・民主主義・自由・平和・宗教』 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

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