ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート19 太田・覚張氏らの縄文人「ルーツは南・ルートは北」説は成立するか?

 本日、10月18日の『東京新聞』は「縄文人のルーツは『南』に」という太田博樹東大教授と覚張隆史金沢大助教らの説を掲載しています。 愛知県田原市の2500年前の伊川貝塚から発見された女性のDNAがアイヌ民族のDNAに極めて近く、バイカル湖近くで見つかった24000年前の人骨の影響は見られず、ラオスで出土した8000年前の人骨に近いというのです。

                      『東京新聞』10月18日(日)朝刊

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 私は2014年に「『人類の旅』と『縄文稲作』と『三大穀物単一起源説』」を書いて以来、日本列島(ジャポネシア)人南方起源説を追い、2014年の「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(季刊日本主義26)ではアイヌと沖縄人が漁民であり、アイヌの「イタオマチプ」と沖縄の「サバニ」(奄美大島では板付け船)が丸木舟に舷側板を付けた同じ構造であることから、同じ海洋民の縄文人をルーツとしているとして検討を続けてきました。

 先日の10月15日には、旧石器人・縄文人のルーツについて「ドラえもん(海人・山人ドラヴィダ族)宣言」をブログ・FBに書き、不当な批判を浴びた大野晋さんの「日本語タミル語起源説(タミル語はドラヴィダ語の一部)」の復権を果たしたいと考えていた私にとってはこの報道は大変うれしい説です。

 しかしながら、DNA分析の結果自体は高く評価したいのですが、その考察部分には同意できないところが4点あります。

 第1の問題点は、「ルーツは南でも、日本列島に渡ってくるときは、北海道を経由した可能性がある」としている点です。

 太田・覚張両氏は海と舟、釣りが嫌いで苦手なのか、旧来ながらの「ウォークマン史観」の北方起源説に先祖帰りしているのです。

 東京新聞の添付図(図1)が正しいなら、4万年前よりも遅く、3万年前以降にアンダマン諸島ミャンマーの南)のオンゲ族と日本旧石器人は分かれて日本列島にたどり着き、ラオス古人はずっと遅れて山間部に入ったことになり、伊川縄文人はその日本旧石器人の直接の子孫になるか、もっと遅くにスンダランドを離れて日本列島にやってきたことになります。

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 図2に示すように、Y染色体Ⅾ系人はこのアンダマン諸島チベット周辺、日本、オホーツク海のシベリア沿岸、カムチャッカ半島サハリン島、北海道に集中しており、私はこの図からY染色体Ⅾ系人は、海の道経由とシベリア経由の南と北の2方向から日本列島にやってきたという「南北合流説」を考えています。

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 縄文人が熱帯ジャポニカ陸稲の赤米やもち米)・ヒョウタン・ウリ・エゴマなど南方系の穀類・野菜を栽培し、東南アジア諸国の単語を多く吸収していることからみて、ドラヴィダ海人族はアンダマン諸島から「海の道」を通って日本列島にやってきたことが明らかです。一方、同じY染色体Ⅾ系のドラヴィダ山人族はチベットから「マンモスの道」を通ってオホーツク海を目指したと考えます。

 「主語-動詞-目的語」言語族である中国人の間を通り抜け、少数の「主語-目的語-動詞」言語族がその支配下に入ることも言語・文化の影響を受けることもなく、シベリヤ経由で北海道へ渡ったなどと考えるのは無理があります。

 一方、「主語-動詞-目的語」言語族が住む東南アジア諸島の間を竹筏と丸木舟で抜けて日本列島にくることが可能であることは、フィリピンや台湾に多くの少数民族が共存していることからみても明らかです。争いが生じたなら、竹筏や丸木舟で一斉に別の島や入り江・半島などに移住すればいいのです。

 近年の集中豪雨の原因として、インド洋の高水温による水蒸気と太平洋の北東風による水蒸気が中国・朝鮮半島・日本列島で重なったことが原因と指摘されていますが、図3のように、夏の南西風を利用すれば、「アフリカの角」のエチオピアあたりの「主語-目的語-動詞」言語族が海岸沿いにインドに移動することは容易であり、ドラヴィダ海人族がスリランカからミャンマー海岸部・アンダマン諸島に移動し、さらにマレーシア半島に沿って南下してスンダランドに移住し、スンダランドあたりから北東に進み、黒潮に乗って日本列島にやってくるのは海人族にとっては容易なのです。

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 第2の問題点は、24000年前のバイカル湖付近の人骨と、日本では縄文時代にあたる8000年前のラオスで出土した人骨、さらには2500年前の伊川津人のDNAと、時代が大きく異なる人骨のDNAを比較していることです。特に、多民族が混じっている可能性のあるバイカル湖付近、ラオスや、旧石器時代から何次かにわたっての移住がある日本の縄文人の人骨がサンプルとして有効かどうかです。

 松本秀雄大医大名誉教授は、抗体を形成する免疫グロブリンを決定する遺伝子(Gm遺伝子)から「バイカル湖畔起源説」(ブリアート人説)を提案していますが、これはY染色体Ⅾ系統の分布とは矛盾しません。太田・覚張説もまた「偏ったサンプルリスク」を持っていることです。

 第3の問題点は、「ルーツ・ルートは南」という南方起源説が南インドスリランカパキスタンアフガニスタン、ネパール、バングラデシュブータンなどで話されているドラヴィダ語族(約2億人)のうちの辞書があるタミル語(約7000万人)を日本語の祖語とする大野晋氏の研究や、農学の雑穀・イモ・熱帯・温帯ジャポニカ起源説、民族学照葉樹林文化(焼畑文化、茶やモチ・納豆などの食文化、歌垣・妻問婚の母系制・宗教行事・殯などの民俗)、考古学(丸ノミ石斧・土器)などの研究と矛盾しませんが、太田・覚張両氏の「ルーツは南、ルートは北」という北方経由説には細石刃の槍くらいしか裏付けがないことです。「ルーツ南・ルート北説」を主張するなら、合理的な理由・根拠が必要です。

 第4の問題点は、「北海道から少なくとも中部地方まで(遺伝的には)アイヌ民族の先祖にあたる人たちが住んでいた」という主張ですが、神澤秀明国立科学博物館研究員の図4の核DNA解析の結果によれば、本土日本人は琉球人に近く、アイヌ人とは離れていることです。

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  以上を総合すると、太田・覚張両氏の「ルーツは南」は認めるとしても、「日本列島には北海道を経由した」という結論には同意できません。「ルーツ南方説」「ルート南方・北方合流説」で再検討いただきたいと思います。

 「ドラえもん宣言(日本列島人は海人・山人ドラヴィダ族だ!)」は太田・覚張両氏によって補強されたと考えます。

縄文ノート18 ドラえもん宣言(海人・山人ドラヴィダ族宣言)

 7月下旬から3カ月弱、縄文社会研究会・東京の八ヶ岳合宿を挟んでほぼ閉じこもりになり、日本語起源論と日本列島人起源論に集中し、DNA・言語・農耕・宗教・生活文化の分析を中心にこれまでの諸研究の成果を総合し、縄文人と倭語の起源がインド原住民のドラヴィダ族(5000年前頃からインダス文明を作り上げ、後にアーリア人に支配され南部に移住)であるとの結論に達しました。16000年前頃からの「縄文人のルーツはドラえもん(海人・山人ドラヴィダ族)である」というのが私の揺るがぬ現時点での結論です。

 その前の3万年前頃に琉球と北海道に到達した旧石器人のルーツについては、「北方系」「南方諸島系」「北方ドラヴィダ系と南方ドラヴィダ系」の3説で悩みましたが、最終的に他の諸部族の遺伝子を取り込んだ「「北方ドラヴィダ系と南方ドラヴィダ系」という結論に達しました。

 ただし、日本列島には東南アジア、中国・朝鮮、シベリアから多くの漂流民・移住民が一貫して渡来し(毎年5人とすれば3万年で15万人あまり)、言語は「倭音倭語」に「呉音漢語・漢音漢語」が加わった3重構造を持つ多DNA・多文化民族になり、この多様性と独自性のある日本列島人の歴史からこそ、国際社会の中での未来を考えるべきと思っています。ヨーロッパ西端の辺境のイギリスから産業革命が始まり、アジア東端の日本がアジアでなぜ最初に近代化をなしとげることができたのか、アフリカから大移動を行ってきた7万年の歴史からさらに未来を考えたいと思います。

 インドネシア・トバ火山大噴火による7万年前頃の寒冷期(トバ事変)による食料危機に直面し、「主語-動詞-目的語」言語族がアフリカからシナイ半島を経て北に「出アフリカ」をはたしたのに対し、アフリカの角、今のエチオピア火山地域にいた「主語-目的語-動詞」言語族は、海岸を東進してインド大陸に移住し、原住民のドラヴィダ族となります。

 その後、1万年ごとの急速な温暖化と寒冷化の影響を受け、Y染色体Ⅾ系統を持つ「海人ドラヴィダ族」は東インドミャンマービルマ)海岸部に移住し、温暖化になった4.2万年前頃にその一部は山岳地帯に移住して「山人(やまと)ドラヴィダ族」となります。

 そして4万年前頃からの寒冷期にチベットからバイカル湖畔(ブリヤート族:モンゴル族のルーツ)、さらにシベリアの草原を経て3万年前ころに北海道に移動した一群と、山を下りて海人系ドラヴィダ族と共同でインドネシア・フィリピンを経由し、3万年前頃に竹筏で日本列島まで移住した、火山性の黒曜石文化を持った旧石器人がいたと考えます。

 さらに温暖化によりスンダランドが水没の危機を迎え、1.6万年前頃に日本列島に竹筏と丸木舟でやってきた多くの一群があり、彼らこそが日本人の遺伝子で多数を占める縄文人となったと考えます。日本がインドネシア・フィリピン・台湾のような多言語・多文化の「主語-動詞-目的語」言語族の多民族国家にならなかったのは、北と南から同じドラヴィダ族族が合流したからと考えます。

 なお、朝鮮半島あるいは長江(揚子江)流域からの大人数の弥生人朝鮮人・中国人)が移住し、縄文人征服を征服したという説が見られますが、人や稲のDNA分析や稲作に関わる多くの単語が漢語・朝鮮語ではなく、ドラヴィダ語系の倭語であることからみて、これらの説が成立しないことは明らかです。

 ブログで、順次、明らかにしていきたいと思いますが、気候変動などの危機に対し、リスクを恐れない冒険心と勇気、探究心にあふれた日本列島人の先祖たちは、アフリカ大陸を出て南廻りの「海の道」からは7次に渡る移動を行い、「主語-動詞-目的語」言語の東南アジア諸民族の文化を吸収しながら日本列島にたどりつき、島国という地理的障壁に守られながら閉じ籠ることはなく、活発に交易・交流を行い、中国文化を吸収しながら内発的自立的な独自の発展をとげてきました。

 後にインドで生まれた仏教を中国・朝鮮経由で取り入れ、原神道と融合したのは、インド原住民のドラヴィダ族系というルーツと無関係ではないと考えます。

 今、気候変動の環境・食糧危機や、グローバリズム(世界単一市場化)による格差拡大に伴う民族・地域紛争や宗教戦争、自然と生命、共同性を軽んじる拝金・拝物主義が心配されていますが、今こそ、自然破壊の機械文明社会、大国中心の国際分業格差世界から、世界に開かれた各国・地域の内発的・自立的発展を進める開かれた汎地域主義(グローカリズム)、自然・生命主義への転換が求められ、その共通価値の確立に向けて人類史から考えてみたいと思います。

 浮世・憂世離れした老人の妄想と思われるかもしれませんが、これから先の「半減期1万年、無害化10万年」のプルトニウムの歴史を考えてみると、そんなに遠い昔のこととは思えません。

 なお、これまで書いてきたものに修正点がいろいろ出てきましたので、いくつかの論点をクリアしてから修正したいと思います。

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日本列島人の移動

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Y染色体Ⅾ系統の移動

 

縄文ノート17 縄文社会研究会・東京の八ヶ岳合宿報告

 コロナで休んで以来、さらに8月3~5日の縄文社会研究会(東京)の八ヶ岳合宿の準備とまとめに1か月以上、かかりきりになりました。

 蓼科山の神那霊山(神奈火山)信仰が縄文時代に遡ることを阿久遺跡の立石・石列と中ツ原8本柱巨木建築から確認するとともに、神籬(霊洩木)信仰、御柱信仰、水眼(すいが)信仰、土偶・土器の蛇紋、出産型土器、乳幼児の埋甕、女神像、石棒(金精)信仰、立石を中心とした円形集落配置などと、スサノオ大国主時代の八百万神信仰や御柱祭などから、縄文時代から1~4世紀のスサノオ大国主時代へと続く霊(ひ)信仰の「海神・水神・地神・山神・木神・天神・蛇神・女神・性器神」宗教について解明するとともに、「日本中央縄文文明」の世界遺産登録について議論しました。

 世界は今、グローバリズム(世界単一市場化)の不均等発展の中で、アメリカ・トランプ大統領のもとで「ユダヤキリスト教右派文明」対「イスラム教文明」「中華社会主義文明」の対立の様相を見せています。その中で縄文1万年の歴史を通して、古代専制国家の大河治水による灌漑農耕の「世界4大文明」とはことなる「共同体社会文明」を明らかにし、世界の共通価値として解明したいと考えています。

 下記の資料のうち、4・5・7・8・11は新たに書いたもので、他は、以前、研究会で報告し、このブログでも紹介したものに加筆・修正したものです。

 順次、ブログで紹介するとともに、古いものを修正したいと思います。なお、ご興味がおありでしたらギガファイル便で送りますのでお知らせください(ブログ又はフェイスブックメッセンジャーで)。

 また、年4回ほど東京で会を開いており、いずれお知らせしますのでお問い合わせいただければと思います。 雛元昌弘

 

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諏訪大社前宮

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霊(ひ)信仰図


<合宿での主な議論>

① 神長官守矢家の神木「みさく神」の神籬(霊洩木)信仰が御柱祭に繋がっている。

② 阿久遺跡の立石・石列、中ツ原8本柱巨木建築は蓼科山を向いており、神那霊山(神奈火山)信仰は縄文時代に遡る。

③ 中ツ原8本柱巨木建築は蓼科山信仰の楼観神殿であり、後の出雲大社本殿、邪馬壹国の楼観に繋がっている。

④ 縄文時代地母神・女神・性器・山神信仰は、神長官守矢家の神那霊山(神奈火山)信仰と水眼(すいが)信仰、神木信仰、御柱信仰は、霊(ひ:祖先霊)信仰の海神・水神・地神・山神・天神信仰として現代に続いている。そして、お山信仰の「山・鉾・屋台行事」はすでにユネスコ無形文化遺産に登録されている。

⑤ 芋栗5穀(粟・黍・稗・麦・豆)の縄文農耕によりこの地には海人族の縄文文明が花開いている。縄文農耕に不可欠な鳥獣害対策の黒曜石の鏃は各地と交易され、「内陸部の黒曜石・縄文5穀」と銚子の「塩・コハク交易」が行われている。

⑥ 土器の底の「穀物の煮滓の炭化」「餅状炭化食品」「パン状炭化物」「炭化麦」「アワ状炭化種子」や「土器底のダイズの圧痕」からみて、縄文人は豊かな安定した、健康的な「土器鍋食」をとり、それを受け継いだ「和食」もまたユネスコ無形文化遺産に登録されている。

⑦ 石棒・環状列石・女神像・土偶・顔面土器・耳飾り・ペンダントなどは、海人族の妻問夫招婚の母系制社会を示しており、後の1~5世紀の邪馬壹国をはじめとする各地の女王国に引き継がれている。「霊継ぎ」(ひつぎ)は現代で言えば「命=DNAのリレー」であり、「人(霊止)・彦(霊子)・姫(霊女)・聖(霊知)・卑弥呼(霊御子)」や生類の命を大事にする母系制社会の文明・文化・宗教として現代的価値を有している。

⑧ 霊・霊継(ひ・ひつぎ)信仰と八百万神信仰、神那霊山(神奈火山)信仰、神籬(霊洩木)・御柱信仰、産霊(むすひ・むすび)の縄文デザイン、土偶・土器の蛇紋と出雲大社の海蛇・龍蛇神信仰、洩矢(守矢・守屋)・建御名方伝承、中ツ原8本柱建築・出雲大社・邪馬壹国楼観の同一建築思想・技術、塩尻の平出遺跡の出雲由来地名、石器・木器農具から鉄器農具への連続性などは、縄文時代内発的発展として1~2世紀のスサノオ大国主の建国が行われたことを示している。

⑨ 縄文土器・女神像の蛇紋が出雲大社の海蛇(龍蛇神)信仰や大神大社の蛇神信仰に繋がっているように、縄文土器の多様な模様は「縄文Emoji(絵文字)」の可能性があり、象形文字である漢字の活用(倭風漢字用法)に繋がっている。

⑩ イギリスのストーンサークル文明、古エーゲ文明(キクラデス文明)、日本列島文明、マヤの祭壇文明の4つの「共同体社会文明」の1つとして、「日本中央縄文文明」は世界遺産登録の条件を満たしている。「山・鉾・屋台行事」「和食」のユネスコ無形文化遺産登録や現代の祭りと連携した、ソフト・ハード(遺跡遺物)の取り組みが課題である。

 

<合宿資料一覧>

八ヶ岳縄文遺跡見学メモ(2019年、私が同窓会で各施設を見学した感想文。今回の見学地の紹介)

大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文(縄文人は太陽信仰か霊(ひ)信仰か、を岡本太郎氏の4つの顔の解明と合わせて考察)

3「人類の旅」と「縄文農耕」と「三大穀物単一起源説」(「肉食人類」説から、「穀実魚食食の海人族」への転換を提案)

4縄文農耕について(補論;縄文5穀・芋焼畑農耕」について、言語論・記紀分析・民俗・民族移動・稲の道から補強)

5縄文農耕から「塩の道」「黒曜石産業」考(「糖質・塩分食」「鳥獣害対策の黒曜石産業」から日本中央部縄文文明を解明)

6縄文からの「日本列島文明論」(中華社会主義文明、ユダヤキリスト教文明、イスラム教文明の対立の中での「共同体社会文明論」)

7縄文の「女神信仰」考(女神信仰は「地神(地母神)信仰」を示し、紀元前後の各地の女王国や神社の女性祭神に継承)

8「神籬・神殿・神塔」考(直列型・環状型・長方型の縄文列柱は、紀元1世紀前後からの「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔」に継承)

9霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)について(石棒・円形石組などの地神(地母神)信仰は、金精信仰などとして現代に継承)

10「日本中央縄文文化」の世界遺産登録をめざし(古代専制国家の「4大世界文明」以前の「共同体社会文明」を明らかにする世界遺産登録の提案)

11「縄文社会研究会八ヶ岳合宿 見学資料」

 

<合宿後資料一覧>

12「蓼科山を神那霊山(神奈火山)とする天神信仰について(中ツ原遺跡の8本巨木柱建築を神那霊山信仰の宗教施設とし、縄文とスサノオ大国主建国の連続性を解明)

13「『縄文6本・8本巨木柱建築』から『上古出雲大社』へ」(200207の「48mの『古代出雲大社』は廻り階段・スロープでは?」をもとに、縄文巨木建築と上古出雲大社が同じ宗教施設であることを解明)

14「八ヶ岳合宿報告(メモ)(御柱神籬(霊洩木)論、神那霊山信仰論、中ツ原6本柱楼観神殿論、縄文農耕論、和食に繋がる縄文土器鍋食論と縄文甘味料、石棒・環状列石・女神像・土偶・顔面土器・耳飾りからの母系制社会論、縄文と出雲を繋ぐ蛇紋・地名考、縄文Emoji(絵文字)説、日本文明論と世界遺産登録、縄文文化韓国起源説など見学・議論のまとめ)

縄文ノート16 縄文社会研究会(東京)・八ヶ岳合宿

 

8月3~5日、縄文社会研究会(東京)では、遺跡めぐりの八ヶ岳合宿を行うことになりました。

 岡本太郎さんは「縄文に帰れ」「本土が沖縄に復帰するのだ」と発言し、火炎式土器に深海をイメージしていたとされますが、長野から富山・新潟・群馬・山梨などに分布する日本中央部縄文遺跡から、現代につながる縄文1万年の「文明」「文化」「宗教」などについて議論したいと思います。

 昼は次の見学、夜は研究会です。

8月3日(月)八ヶ岳農業大学校諏訪大社前宮・本宮、神長官守矢資料館

8月4日(火)尖石考古館、中っ原遺跡、棚畑・阿久遺跡、井戸尻遺跡

8月5日(水)平出遺跡、和田峠、星糞峠

 主なテーマは次のとおりです。

 ① 黒曜石・ヒスイの縄文ネットワークの担い手:海人(天)族か狩猟族か?

 ② 塩の道について:日本海ルートか、太平洋ルートか?

 ③ 縄文雑穀農耕について:井戸尻遺跡などの石器農耕具・石臼について

 ④ 縄文人の宗教について:石棒円形石組・土偶・列柱、縄文列柱(中ツ原遺跡・三内丸山遺跡)・心御柱出雲大社)・御柱諏訪大社等)・心柱(仏塔)・生命の樹太陽の塔)を貫く宗教

 ⑤ 縄文文明論は成立するか?

 ⑥ 日本中央部縄文遺跡の世界遺産登録の世界的な意義と可能性について

 

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新型コロナウィルスのため、しばらく休止します。

 私は新型コロナウィルスによる戒厳令的な「外出・営業抑制」に対し、3月下旬の海外旅行者・帰国就業者留学生の感染の発症のピークは4月11日をピークに約6日周期で減少しており、緊急事態宣言など必要なく、「クール」で賢い日本型の対策でいい、と主張してフェイスブックを書き続けてきました。
 そんなわけで、古代史ブログはしばらく休止させていただきます。
 なお、もしその原稿をご希望であれば、フェイスブックメッセンジャーか、あるいは、このブログでご連絡下さい。 雛元昌弘

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「神話探偵団133 「大国主王墓」を捜す」の紹介

 Gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」で、「神話探偵団133 「大国主王墓」を捜す 」をアップしました。2016年11月の「『大国主王墓』想定地メモ」の表をレジュメに書き換えました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina
Gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」で、「神話探偵団133 「大国主王墓」を捜す 」をアップしました。2016年11月の「『大国主王墓』想定地メモ」の表をレジュメとしました。 
 「邪馬台国はどこか」「卑弥呼の墓はどこか」については多くの人の関心が深く、天皇陵についても発掘を求める声が考古学者から出ているにも関わらず、不思議なことに、古事記が記した豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国の「大国主の墓はどこか」や、桓武天皇第2皇子の第一流の文人の52代嵯峨天皇が「皇国の本主」とし、ヤマタノオロチ退治で有名な「スサノオの墓がどこか」については誰も追究しようとはしていません。
 「皇国の本主」の建国王の解明を恐れ、神話として空想の世界に閉じ込めてきたのです。日本の考古学は150年近く前の1873~7年のシュリーマントロイア以前の水準といえます。
 現地を訪ねて大国主の墓地については一定の結論に到達することができましたので、紹介いたします。
今後は地元、出雲の皆さんによって、「八百万神信仰」の世界遺産登録を目標に置きながら、スサノオ大国主建国の証拠を見つけ出していただきたいと期待しています。
 世界に出かける日本人が「無宗教自然宗教の未開人・野蛮人」として軽蔑されないためには、スサノオ大国主建国と大国主の「霊(ひ)信仰・霊継(ひつぎ)信仰」(すべての命を大事にする八百万神信仰)を世界にアピールする必要があると考えます。
 縄文論としては、縄文とスサノオ大国主建国を連続したものととらえる一環として参考にしていただければと思います。雛元昌弘

                                         大国主王墓の想定地

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「神話探偵団132 播磨国風土記からみたスサノオ・大国主の国づくり」の紹介

 Gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」で、「神話探偵団132 播磨国風土記からみたスサノオ大国主の国づくり―槍と鋤、丹と鉄の国づくり」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina
2015年9月に書いた「播磨国風土記からみたスサノオ大国主の国づくり―矛(槍)と鋤、丹と鉄の国づくり」をもとに、一部、加筆修正しました。
 私は古事記日本書紀播磨国風土記出雲国風土記を4点セットで分析し、それに魏書東夷伝倭人条・後漢書新唐書三国史記新羅本紀を合わせて分析すれば、紀元1~4世紀の古代史は完全に解明できる、と考えています。
 「播磨国風土記を読まずして、出雲を語るなかれ」「播磨国風土記を読まずして、古事記出雲国風土記を語るなかれ」です。
 縄文論としては、縄文農耕(陸稲・雑穀・豆・芋)とスサノオ大国主による鉄器稲作(水稲)が連続しているという点を見ていただければと考えます。雛元昌弘

<目次>
はじめに:神と人、合理と不合理、部分と全体
1.「つまみ食い史観」から科学的・総合的な真偽判断へ
2.「古事記」と青銅器が伝えるスサノオ大国主の国づくり
3.「古事記」対「出雲国風土記」―どちらが真実を伝えているか?
4.「葦原中国」は全国に及ぶ
5.「石器―土器―金属器」の時代区分を世界へ
6.「鋤(鉏)」により稲作を広めた大国主一族
7.大国主一族による建国を示す地名転移
8.丹生産を担った大国主一族
9.鉄生産を進めたスサノオ大国主一族
おわりに 

 

丹生都比売を祀る丹生(にぶ)神社(ブログ『自然と文化のお話し』(NORI)より)

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