ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

「縄文ノート88 子ザルからのヒト進化説」の補足修正

 ゴリラ研究の山極寿一氏の本を数冊読みましたが、ゴリラからいきなりヒトの家族(父系制)や暴力・戦争、和平などに結び付けた話に入るのでいささかビックリし、スサノオ大国主建国論から縄文社会研究、縄文人の起源、人類の誕生へと考察を進めてきた私としては、彼とは逆にヒトから類人猿に考察を進めて見てみようと思い、子どもの頃の記憶や子ども・孫、子どもたち(障がい児をふくむ)の成長をたどって考え「縄文ノート88 子ザルからのヒト進化説」を書きましたが、大事な点を書き落としていました。

 チンパンジーの成長について調べてメモを作成し、それを前提にして書いたのですが、「子ザル」(正確には類人猿とすべきですが)のことを書いておかないと理解されにくいことに気づきましたので、以下の追加・修正を行いました。

 ずっと「犬は人間の2~3歳児の知能」と言われていますが、チンパンジーもヒトもやはり3歳児までに基本的な知能は形成され、そこから教育(体験教育と指導)によって大きな差がでてくるのではないでしょうか。

 以下が、補足修正点です。

 

6 チンパンジーの成長

 釧路動物園のHPによれば、チンパンジーの発育段階は次のとおりです。―https://www.city.kushiro.lg.jp/zoo/shoukai/0039.html

  ➀乳幼児=5歳まで、

  ➁コドモ=5~7歳、

  ➂青年=7~10歳(♀)、10~12歳(♂)、

  ④オトナ間近の青年=10~13歳(♀)、12~15歳  

  ⑤オトナ=14歳以上(♀)、16歳以上(♂)

 ヒトの場合、小学校高学年、10~13才頃に初潮をむかえる女子が多いとされ、小4の同級生が初潮を迎えて女教師がバタバタしていたのを思い出しますが(当時は出血が何のことか理解できませんでした)、チンパンジーの「青年」とあまり変わらないようです。孫娘が私と風呂に一緒に入らなくなったのも4年生でした。

 なお、京大霊長類研究所HPの「チンパンジー・アイ」の「人間とチンパンジーの子育ての違い」(松沢哲郎2007.6:https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/k/066.html)も「チンパンジーの離乳は遅い。乳離れは4~5歳ごろ」としており、釧路動物園と同じです。

 しかしながら、京大理学研究科 (現 総合地球環境学研究所研究員)の松本卓也氏の2017年3月20日付の「American Journal of Physical Anthropology」誌(電子版)によれば、チンパンジーは3歳前後に「自力で物理的に処理の難しい食べ物を採食する割合が高くなる」とされており、離乳食を与えられる人間よりも離乳は遅いものの、ヒトよりも身体的成長が早い分、食の自立は早いといえます。

 いずれにしても、3~5歳までに犬も類人猿も人間も頭脳の発達は急速に進み、身体的自立の早い野生の類人猿は3歳ころから「コドモ」となり、母親から離れて子ども同士てエサを探して活発にチャレンジし始めた可能性が高く、急速に知能の発達が進んだ可能性があります。

 大人のオスたちが槍を持って狩りを行い、メスに肉を贈ることによって二足歩行と手が物を持てるようになってサルからヒトへの進化が起きた、という「肉食キン肉マン進化仮説」でNHKスペシャルの『人類誕生 第1集 こうしてヒトが生まれた』などは製作されていますが、「講釈師、見てきたように嘘を言い」は、いまや「人類学者・ディレクター、見てきたように嘘を言い」に置き換えるべきではないでしょうか?

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縄文ノート88 子ザルからのヒト進化説

 妻問夫招婚のスサノオ大国主建国論から縄文社会論へ進み、さらには人類の起源にまで遡り、「母系制社会の歴史」に迫ることができてきたように思います。

 この間、頭を離れないのは「縄文87 人類進化図の5つの間違い」でもふれましたが2004年に書いた「人類進化をたどる子どもの遊び」から発想した、サルの「子供の遊びこそがヒトへの進化を促したのではないか」という仮説です。

 

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 脳の重量が0~4歳(特に0~2歳)に急増すること、前頭前野(思考や創造性を担う脳の最高中枢)のシナプスの密度のピークが4歳であること、ヒトのおっぱいの糖質の割合が牛の2倍と多いことなどから考えると、母親と行動していた子ザルこそ人類進化で大きな役割を果たした可能性、ひょっとしたら主役であった可能性です。

 とっぴな仮説ですが、母系制社会論の重要な鍵として「子ザルからの進化論」を考えてみたいと思います。

 ここでは主に私自身の子どもの頃の体験からスタートし、類人猿からヒトへの起源へと遡って考えていきます。

 

1 子どもはなぜ貝や魚や昆虫に夢中か?

 1946年2月生まれの私は、小学生時代は岡山市に住みながら、夏休みなどにはほとんど母方のたつの市の田舎で過していました。隣の又従兄弟に誘われて朝には網をもって小川に魚とりにでかけ、朝ご飯を食べてからはセミ取り、夜にはカブトムシ獲りにでかけました。昼飯を食べてからの午後は隣の集落の又従兄弟4兄弟と揖保川によく泳ぎにでかけ、ヤスで丸石の下の小さなウナギやアユ(これは獲れたためしがない)を突いていました。

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 この4兄弟の家(祖母の実家)には泊まってトランプ・将棋・花札をすることも多く、潮干狩りや漁師に伝馬船を借りての海釣り、冬には禁止されていたかすみ網やとりもちでのスズメ・野鳥獲りにも連れていってもらいました。遊ぶのが子どもの仕事と思っていましたから、夏休み明けは大変で、「宿題を持って来るのを忘れました」と一週間、言い訳を続けたら神田先生は諦めてそれ以上、問いただしませんでした。ただ、数年前に父母の家を整理したら通知表がでてきて、3年生では「忘れ物、忘れ事特に甚だし」「学用品忘れること連日」などと書かれていました。

 なぜ子どもは毎日、魚や昆虫、鳥などを追いかけるのが好きで飽きなかったのか、今考えると、長い漁撈採集狩猟生活から本能として身についていたとしか考えれられません。

 確実に獲物がとれるのは貝掘りで、次は海釣りでキスやベラなどは入れ食いでいくらでもとれ、山分けした獲物を持って帰ると祖母に喜ばれました。冬にはかすみ網を借りて家々のトイにかぶせて叩くと一網打尽でいくらでもとれ、「焼き鳥屋に持って行けば売れる」と同い年の又従兄弟は言っていましたが、どこに売りに行けばいいのかの知恵はありませんでした。

 このような遊びで重要なことは、貝掘りや海釣り、カブトムシやセミ採集、スズメとりなどもいくらでも獲れるとすぐに飽きてしまい、獲るのが難しい超レアものでないと面白くないのです。大学では釣りなど大嫌いだ、という寮の同室者がいましたが、理由を聞くと彼はずっと漁師の親の漁の手伝いをしていたので魚獲りなどは嫌いだったのです。遊びと仕事では動機が異なるのです。

 冬には広い笹原の斜面でウサギの通り道を捜して木で上下に挟む手作りのワナをしかけましたが、成功したことはありませんでした。1度、ウサギを見つけて追いかけたことがありましたが、もし金属製のワナを持っていたら子どもでも捕獲できたに違いありません。

 このような野生児の昔ばなしで何が言いたいかというと、子どもたちは立派なハンターだったということです。家の農業や商売を手伝っていた子どもたちはまた立派な農業者であり、商売人であったと思います。

 まちづくり計画の仕事をするようになり、全国各地でヒアリングしましたが、どこでも「子どものアウトドアの遊びは食料調達であった」と言っていました。楽しいいろんな獲物や野生の果実などを大量にとった自慢話をよく聞いたものです。瀬戸内海のいろんな島でも仕事をしましたが、夕方には主婦や子どもがバケツと釣り棹を持って堤防に行き、夜のおかずを釣っていたのを見ることができました。熊本県五木村の仕事では、民宿での朝、外を見ると小さな子ども2人が遠くの川で魚をとっており、朝食の時の女主人の話ではウナギの仕掛けを息子たちが取りに行ったけど今日は入ってなかったのでメニューに出せなかった、という話でした。このように、子どもは魚とりや野生の果実やキノコ狩りなどは大人と同等の役割を果たしていたのです。

 サルからヒトへの進化において、漁撈採集狩猟の技術は遊びと区別つかない形で子ザルからヒトの子へと受け継がれた可能性が高いのです。

 

2 子どもの好奇心と冒険心、問題解決能力と創造力

 未熟・未経験な子どもの行動は、探検と冒険、危険と問題解決、創造の機会に満ちています。

 恐ろしさを知らな子どもだからこそ、いろんなことに関心を持って挑戦し、冒険と失敗を恐れないことにより様々な新たな発見と工夫を行い、その積み重ねが考える能力を持ったヒト誕生に繋がった可能性が高いと考えます。

 いくらでも獲れるアサリやハマグリ、小川や海の小魚、ニイニイゼミアブラゼミコガネムシやカブトムシ、スズメなどは子どもは面白くなくて飽きてしまうのです。毎日、確実に食料調達する必要のある大人は楽に大量にとれる工夫はしますが、新しい食料を捜したりすることでは子ども方が多かったのではないかと思います。名前は忘れましたが、野山にでると毒があろうが不味かろうがおかまいなしになんでも食べてみないと気が済まない同級生がいましたが、みんなその勇気には一目も二目もおいていました。より困難な、危険なことにチャレンジする子どもたちの遊びこそ、考える機会を積み重ねて人類を発達させてきた可能性が高いと考えます。

 「いくらでも獲れると飽きてしまい、獲るのが難しくないと面白くない」という遊び心と探究心、困難への挑戦による達成感と技術向上への意欲こそ、ヒトへの頭脳の発達を促したのではないでしょうか?

 私はつるべを持ったまま井戸に落ち、川と海で2度溺れそうになりましたが、いつの間にか泳げるようになりました。川を飛び越える時に向こう岸に届かなくて石垣に激突して歯を欠き、百貨店の大理石の手すりを滑り降りて壁に激突した時には歯を割ってしまいました。足と頭の3か所を2~3針以上縫う怪我をし、田舎の小学校の石碑を囲んだ鎖を引っ張って遊んでいて石の柱が落ちで足を折り、ギプスを長い間していて痒くて困ったこともあります。級友と崖を登る途中で上にも下にも行けなくなり、通りがかった大人に助けてもらったこともありました。母に連れられて繁華街や百貨店、祭りにいくと、興味にかられてすぐに飛び出し、よく迷子になっては母親に怒られていました。

 どこまでも行けるところまで行こうと級友と自転車や小舟でクリーク(水路)を進み、喉が渇いて腹が減って目が回って断念したり(水筒を持つ知恵がありませんでした)、どこまで沖に泳いでいけるか又従兄弟たちと勇気を試したり、階段を何段飛び降りれるか級友と競争したり、祟りがあるかどうか肝試しのために墓石に小便をかけ、女の子に告げ口されて片山先生からは「そういう悪い子はオチンチンが腫れます」と名指しではなくクラスで注意されましたが、実際、チンポが腫れたので祟りがあると反省しました。こういうアホな子はクラスに1~2人はいたものです。

 経験の少ない子ザルほど肉食動物の餌食になったり食中毒で命を落としたに違いありませんが、中には生き延びて新たな食べ物をみつけたり、雨季の小川や沼で頭だけ出して足で土中の獲物を捜して二足歩行を覚えた可能性が高いと考えます。背の高い母親や年長サルがナックルウォークで小川や沼で獲物をとっている時、背の低い子ザルは二足歩行で試したに違いありません。

 このような無茶をする子どもは、だいたいクラスに1~2人で5%以下と思いますが、マーケティングでは「イノベーター(革新者)2.5%、アーリーアダプター(初期採用者)13.5%、アーリーマジョリティ(前期追随者)34%、レイトマジョリティ(後期追随者)34%、ラガード(遅滞者)14%」などの分析があり、サルからヒトへの転換においても、イノベーター・アーリーアダプター(フォロアー)は子ザルではなかったか、と私は考えます。

 まちづくり計画では、高校生、20~30代、40~50代、60歳以上、職員グループに分けてワークショップをやりましたが、どこでも一番いいアイデアを出すのは「できるかできないか」など考えない高校生グループで、60歳以上と職員グループはありふれたアイデアしか出ませんでした。

 なお、このようなアホな子どもの冒険遊びは男子だけの少数の遊びでしたが、子育て・家族ごっこは女の子が主導し、たまたま参加させてもらっても実に居心地が悪かった記憶です。ただ、陣地(秘密基地、隠れ家)づくりでは、女の子を誘いたいと思ったこともありました。また、セックスに関わることでは、小学校入学前後の2回ですが、好きな女の子に何と言ったか忘れましたがちょっかいを出したところ2人ともパンツを脱いでしまったので何をすればよいかわからず、びっくりして逃げたことがありましたが、中学校時代でみても女の子の方が性的には積極的果敢であったのではないか、などと妄想しています。

 

3 子どものコミュニケーション力と共同力

 私は敗戦後の1946年2月生まれですが、当時は母の田舎にいくと親戚の家では「食べていき、泊まっていき」と食事をよばれたり泊まるのはあたりまえで、祖父母だけでなく大叔父叔母・叔父叔母・又従兄弟などからいろんなことを教わりました。

 また同世代の子ども同士の遊びは私には生活の全てであり、岡山市郊外の農村部の30人のクラスの小学校では、医者の息子の夏目君だけが家庭教師に習っていて、「あいつのは実力じゃあない。家で勉強するなんて卑怯だ」と中野君らと話していたものです。「受験生ブルース」の団塊世代とは敗戦後の岡山の田舎の小人数世代の私たちは大違いでした。

 「よく学び、よく遊び」を私は「勉強は学校でするもの、家では遊ぶもの」と解釈していたのです。4年の時の大好きであった片山先生はよく見てくれていて「友達と仲が良い」「級友に好かれている」「発表力がある」と通信簿に書いてくれており、遊びの提案力をきちんと評価してくれていました。

 1990~2000年代、市町村の「児童育成計画」「次世代育成支援計画」「教育振興計画」などでは、必ずグループインタビュー調査を行いましたが、都市では「近くに叔父・叔母・いとこなどはいない」「お泊りをしたことなどない」というお母さんたちばかりで、一方、過疎化が進む田舎でも近所に子どもがいないので遊ぶ機会がない、というありさまでした。小学生へのアンケート調査でも「放課後に友達と遊んだ日数」を聞くと1週間で0~1日がほとんどで、「親・教師以外で知っている大人」では地域のスポーツクラブの指導者くらいしかあがってこないのです。

 「人生出たとこ勝負。ガハハ」「明日は明日の風が吹く。ガハハ」「金は天下の回りもの。使わなソンソン。ガハハ」と大笑いする叔父やギター・写真・バイク(無免許)を教わった叔父などに大きな影響を受けた私などとは大違いです。

 今の子どもたちの生きる力にとっては、決定的に重大な環境変化が起きているのであり、体験機会の充実をどこでも力説するとともに、会社としても各地の木登りやカヌー・小型ヨット(障がい者用の転覆しないアクセスディンギー)で子どもの体験ボランティア活動を支援してきました。

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 昔の子どもは遊びを通して、①いろんなことを年長者から学習し、②困難があると工夫して解決能力を身につけ、③助け合い、④コミュニケーション力(ボディランゲージや言語力)を身に着け、⑤役割分担して協力し、⑥団結心や共同心、組織力、得意分野での指導力を身に着けてきたのです。

 このような1960年代より前の社会に戻ることはできませんから、昔の地縁・地域共同体の代わりになる子どもの遊びと体験の地域づくりが必要と考え、「ゆとり教育(この日教組の影響を受けたネーミングは大失敗)」「生きる力教育」を支持してまちづくりで提案してきたのですが、その後、事態はさらに深刻になってきているように思います。川や空気の汚れや気候変動に敏感な大人たちも、子どもの環境変化には実に鈍感なのです。当時、息子家族が遊んでいたプレステの『ぼくのなつやすみ』を私も買ってやったことがありましたが、いくら知識を身に着けても実際に体験しないと「生きる力」など絶対に身に付かないことを痛感させられました。

 子ども同士の集団遊びがないと、新しいことに挑戦したり、コミュニケーション力や共同力などは身につかないのです。毎日、みんなで集まって「今日は何をして遊ぼう」と相談していましたが、いつもいくつかの案がでてきて議論して決めていましたが、分裂したり誰かがスネてしまうことがないようにまとめる駆け引きなどは体験しないとわかりません。

 母と子の子育て、それを助ける他のメスの同士の食物交換や協力などから刺激を受けてのコミュニケーション力の向上とともに、「子ども同士の遊び」こそが相互教育と共同性の獲得、知恵の向上に大きな役割を果たしたと考えます。

 子どもは大人の人類進化の付録ではなく、子どもこそ重要な人類進化の主役であった、という仮説を私は考えています。

 

4 子どもの防衛本能と闘争本能

 小型と中型の犬を飼っていて思うのは、子犬は犬同士、飼い主などとじゃれてエンドレスでよく遊ぶことです。首筋をなでると甘噛みしてきたり、ロープの引っ張り遊びはどうみても争ったり獲物を獲る訓練をしているようです。小型犬ほどよく吠え、中型犬に吠えるようけしかけるのです。危機を察知して、飼い主やリーダー犬にアナウンスしているようです。腹が減ったり、散歩に行きたくなると甘え声を出してアピールし、こちらが病気になると心配して顔を覗き込んで寄り添います。ゴリラやチンパンジーではなく、犬でも十分な共感力とコミュニケーション力を持っているのです。

 子どもの頃、チャンバラと弓でよく遊び、山では陣地(砦、秘密基地、樹上基地)づくりをよく行いましたが、その影響が映画や漫画によるものなのか、それとも本能に根差したものなのか、あるいは両方なのか、ずっと考えてきました。この「陣地づくり」には持続した共同作業が必要であり、秘密を守る同志としての連帯心が必要です。

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 また、私たちの時代は女の子も活発で、悪ふざけをしてよく「ツネリ魔の山〇△子」からきつくツネられましたし、からかうと女の子たちから石を投げられたものです。昔、附属池田小の児童殺傷事件では8人の児童が殺され、15人が負傷しましたが、私たちの野生時代の子どもたちなら集団でいろんな物を投げつけ、抵抗してむざむざと多くが殺されることはなかったのではないか、と思ったものでした。

 今年の正月のことですが、1歳半のまだ歩けない孫に柔らかい百均で買ったソフトチャンバラの剣を持たせると、振り回して遊ぶのでびっくりしました。女の子をふくめ、孫たちはみなチャンバラ遊びが大好きで、テレビアニメの影響と思っていたのですが、1歳半の孫が剣を振り回すのを止めないので考えてしまいました。この孫は家の中にぶら下げた吊り輪につかまったり、手でぶら下げてトランポリンをやるのも大好きであり、さらに棒を振り回して遊ぶところを見ると、サルからヒトへの進化の記憶が残っているのではないかと思わざるをえません。

 「獲得形質は遺伝しない、というのが生命科学上の常識」とされていますが、よく遊ぶサルやヒトが生き残り、突然変異のDNAが継承されたのか、あるいはエピジェネティクス(DNAの変化を伴わない遺伝)の影響があるのではないか、などと妄想せざるをえません。

 

5 子ザルからヒト進化への5つの肉体的条件

 以上、子どもの頃の記憶をたどりながら、サルからヒトへの進化の子どもたちが主導した可能性についてはみてきました。

 それを裏付けるものとして、次のような条件があります。1つ1つのデータが正しいかどうかの判断は私にはできませんが、総合的にみて大まかな傾向としては間違いないと考えます。

 第1は、脳の重さは新生児が約400g、生後12か月で約800g、生後3年で約1000g、成人で1200~1500gとされていることです。―「脳科学メディアhttps://japan-brain-science.com/archives/1553」参照 

 図1のアメリカの人類学者 R.スキャモンの発育曲線によれば、脳や脊髄などは2歳まで急激に伸び、2~5歳で大人の90%まで達し、5歳を超えると緩やかになっています。https://papayaru.com/ashiga-hayakunaru-dance/

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 これらを見ると、乳幼児期のいろんな刺激と主体的な体験こそが脳の発達にとって決定的に重要であることが判ります。「三つ子の魂百まで」という経験則は正しいのです。

 第2に、すべての情報を統合して、考えたり、 判断する『脳の司令塔』とされる「前頭前野」という領域(図2の「脳の健康教室」の資料)が、図3のように「知能が平均的な人」では7歳から下がり、「知能が高い人」は10歳ころがピークであることです。

     

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 このデータもまた、7歳までの子どもの時のいろんな体験が重要であり、サルからヒトへの進化もまた、この時期の活動が決定的に重要であったことを示しています。

 第3に、ヒトの脳の神経細胞は1000億個以上で成人でも乳児でも同じであり、神経細胞を繋ぐシナプスの数は生後1~3年前後まで増加し不要なものは削除されて減少するとされています。―「脳科学メディアhttps://japan-brain-science.com/archives/1553」参照 

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 特に重要な前頭前野シナプスの密度は4歳がピークであり、乳幼児期にいろんな体験をし、多くの刺激を受け、考える機会を持つことがいかに重要かを示しています。

 サルからヒトへの進化もまた、この乳幼児期の大人から受ける刺激や子ども同士の遊びなど、いろんな体験が大きな役割を果たしたと考えられます。

 成長したサルがサバンナで草食動物を追いかけて走って槍を投げて狩りを行ったとしても、筋肉はついても頭脳の発達には大きな効果はなかったのです。

 第4に、脳の神経細胞を形作り、樹状突起同士を結び付け、高度な神経情報回路を生み出す活動を促すDHAは図5のように2歳までに急激に増えることです。―「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」参照

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 それはまず母親のおっぱいからえたのであり、「ギニアチンパンジーは水たまりの沢ガニを日常的に食べ、コンゴボノボは乾いた土地や沼を掘ってキノコや根粒菌などを食べ、ヤゴや川虫を食べる」ことによる魚介食から補給され、次には子ザルたち自身による漁撈採集によって補給されたのです。―「縄文70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」参照

 第5に、脳はそのエネルギー源のほとんどを糖に頼り、その必要量は人が消費するエネルギーの約25%にものぼるとされ「脳のエネルギー源」です。

 サルの知能が発達したのは、樹上で果物を食べることによると考えられますが、「2019年11月からNHKスペシャルで始まった食の起源の『第1集『ご飯』~健康長寿の敵か?味方か?~』によれば、アフリカの旧石器人の摂取カロリーの5割以上が糖質で主食が肉というのは間違いであり、でんぷんを加熱して食べると固い結晶構造がほどけてブドウ糖になって吸収され、その多くが脳に集まり、脳の神経細胞が増殖を始めるとされています。火を使うでんぷん食に変わったことにより脳は2倍以上に巨大化したというのです」(縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』)と紹介したように、熱を加えたデンプンの摂取こそが人類誕生のもっとも重要な条件であったのです。脳の神経細胞や伝達組織のシナプスがあっても、糖質がないと脳を動かすことはできないのです。

 体重当たりの基礎代謝基準値をみると、1~2歳、3~4歳がもっとも高く、特に1~2歳はほとんど体を動かしませんから、その多くは脳で消費されていたと考えれられます。

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 サルからヒトへの決定的に大きな進化は脳の発達であり、それを支えたのは糖質とDHAの糖質魚介食であり、乳幼児への様々な母サルと子育てを助けるメスザル、時々オスからの刺激と子ザル同士の遊びによって獲得されたと考えます。

 以上、脳の形成と脳を働かせる機会とエネルギーからみて、サルとヒトの子ども時代こそが最も重要であることは明らかです。

 武器の棍棒を持った成人のオス猿がサバンナで狩りをして人類の進化を促した、というフィクショ ンには何の根拠もありません。山極寿一氏には『ーサルに探る文明の起源』という面白い本がありますが、オスザルは進化には寄与せず、メスと子ザルが進化の主役であった、という結論にはなっていません。私が読んだ限りの彼のデータからの結論は「父という進化に余分なもの」とのタイトルの本にすべきであったと思います。

 熱帯雨林からサバンナへの移動、大型草食動物の狩りと肉食、ニ足歩行、手の機能向上道具使用、火の使用、家族の形成などの「同時進化仮説」はなんらの証明はなく、見直すべき時です。

 

6 チンパンジーの成長

 釧路動物園のHPによれば、チンパンジーの発育段階は次のとおりです。https://www.city.kushiro.lg.jp/zoo/shoukai/0039.html

  ➀乳幼児=5歳まで、

  ➁コドモ=5~7歳、

  ➂青年=7~10歳(♀)、10~12歳(♂)、

  ④オトナ間近の青年=10~13歳(♀)、12~15歳  

  ⑤オトナ=14歳以上(♀)、16歳以上(♂)

 ヒトの場合、小学校高学年、10~13才頃に初潮をむかえる女子が多いとされ、小4の同級生が初潮を迎えて女教師がバタバタしていたのを思い出しますが(当時は出血が何のことか理解できませんでした)、チンパンジーの「青年」とあまり変わらないようです。孫娘が私と風呂に一緒に入らなくなったのも4年生でした。

 なお、京大霊長類研究所HPの「チンパンジー・アイ」の「人間とチンパンジーの子育ての違い」(松沢哲郎2007.6:https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/k/066.html)も「チンパンジーの離乳は遅い。乳離れは4~5歳ごろ」としており、釧路動物園と同じです。

 しかしながら、京大理学研究科 (現 総合地球環境学研究所研究員)の松本卓也氏の2017年3月20日付の「American Journal of Physical Anthropology」誌(電子版)によれば、チンパンジーは3歳前後に「自力で物理的に処理の難しい食べ物を採食する割合が高くなる」とされており、離乳食を与えられる人間よりも離乳は遅いものの、ヒトよりも身体的成長が早い分、食の自立は早いといえます。

 いずれにしても、3~5歳までに犬も類人猿も人間も頭脳の発達は急速に進み、身体的自立の早い野生の類人猿は3歳ころから「コドモ」となり、母親から離れて子ども同士てエサを探して活発にチャレンジし始めた可能性が高く、急速に知能の発達が進んだ可能性があります。

 大人のオスたちが槍を持って狩りを行い、メスに肉を贈ることによって二足歩行と手が物を持てるようになってサルからヒトへの進化が起きた、という「肉食キン肉マン進化仮説」でNHKスペシャルの『人類誕生 第1集 こうしてヒトが生まれた』などは製作されていますが、「講釈師、見てきたように嘘を言い」は、いまや「人類学者・ディレクター、見てきたように嘘を言い」に置き換えるべきではないでしょうか?

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7 家族は子ザルが生み出した

 学生時代から私たちは同棲していて「性欲結婚」と揶揄されていたのですが、忙しくて家庭のことは妻にまかせきりで、長男が生まれて1歳を過ぎて遊ぶことができるようになってやっと父親としての自覚がでてきたような情けない次第です。

 是枝裕和監督・福山雅治主演の映画『そして父になる』を見たときは、血の繋がりではなく父と子の遊びや教育を通しての反抗期までの繋がりの濃さこそが、父と子の繋がりであると納得しました。母と子の濃密な身体的な乳幼児期からの繋がりとはオスは異なるのです。

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 家族の成立を考えると、「子はかすがい」と言わてきたように、子どもこそが家族成立の鍵であったのではないでしょうか? ボノボをみても乳児期の食料確保や子育ての支援はメス同士が行っており、幼児期からの子どもの長い自立期(反抗期)までがオスの父としての家族への参加であり、そこにはメスの発情期隠しによるセックスでオスを繋ぎとめる戦略があったように思います。

 そもそも女性にオーガズム(アクメ)が何回も何回もあることは、ボノボのような乱婚がヒトの誕生期からあったことを示しているのではないでしょうか。田舎では1960年代まで「夜這い」が行われていた地域があり、古事記には大国主沼河比売(ぬなかわひめ)に「用婆比(よばい)(夜這い)」し、「島の埼々、磯ごとの若草の妻」を持ち、180人の子どもをもうけたと書かれていることをみても、2世紀には母系制社会の妻問夫招婚であったことは確実であり、メスと子の母系家族があって、「オスは父なる」時があった、と見るべきではないでしょうか?

 山極氏は家族の成立をチンパンジーボノボ、ゴリラに見られる「オスのメスへの肉の分配」に置いている「肉食進化説」のようですが、ボノボの子育てがメスとメス集団主導であることからみても、子どもこそがオスの参加した家族を生み出した、と言えるのではないでしょうか? 

 現在はこのような育児を鍵とした家族関係は崩壊し、父親の役割を放棄する男も多く、両親家族から孤立した女性の母性本能に頼れる時代ではなくなってきており、社会全体で子育てを支援する仕組みが必要不可欠です。

 

8 まとめ

 今西錦司氏らから始まる京大などのサル・類人猿研究はたいへん素晴らしく、「人は神が作った」というユダヤ・キリスト・イスラム原理主義者の進化論否定論への反論には有効であり、サルからヒトへの進化解明に大きな役割を果たしたと思いますが、人類学や歴史学との接点が怪しく、特に、日本の縄文社会やスサノオ大国主建国などとの繋がりを無視し、いきなり現代の暴力・戦争や宗教、家族、共食などの問題の解決を「ゴリラ」を参考にして主張するなど、私には大いに疑問です。

 ヒトの「サバンナ起源説」「肉食起源説」「オス主導起源説」が大前提とされ、「熱帯雨林起源説」「糖質魚介食起源説」や「メス主導の可読起源説」「メス・子ザルの進化主導説」などが点が当てられていないことが残念です。

私は母系制社会から父系制社会への移行は、ゴリラと分岐する頃の類人猿段階ではなく、戦争・侵略・女奴隷化を進めたギリシャ文明や春秋戦国時代中国文明からと考えてきており、さらに極め付きは「神がくれた土地」としてカナン人を殺して国を奪ったユダヤ人の宗教がキリスト教としてローマ帝国に引き継がれたことにより、戦争・侵略・奴隷化の暗黒時代として現代に続いていると考えます。

 この闘争と戦争が大好きで金儲けと政治・軍事支配を続けようとする男たちを変えるためには、女こども主導のさらなる進化こそが鍵になるのではないでしょうか?

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート87 人類進化図の5つの間違い

 「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」において、私は人類の「肉食起源説」に対して「糖質魚介食起源説」に達し、さらにイモや魚介食の採取が熱帯雨林でサルのメス・子どもによってもっぱら行われたと考え、「オス主導進化説」から「メス・子ザル主導進化説」へと進みました。

 さらに「縄文ノート85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」では、熱帯雨林の小川や沼でのメス・子ザルが雨季になると首だけ水面に出して背伸びして魚介類などを足で採取することにより二足歩行が始まり、棒でのイモ掘りや土中のイモムシの採取が棒の使用と腕の発達を促し、さらに落雷による火事で焦げたイモ・穀類食を覚え、群れを追われたオスがセックスと子育て支援に加わって家族ができたことを明らかにしました。

 オスのサバンナでの肉食獣と競合した腐肉あさりや草食動物の追跡猟ができるようなったのは、前提として二足歩行と棒(槍)の使用ができて肉食獣からの安全確保ができるようになってからであり、それが可能となったのはいざとなれば樹上に逃げることのできる安全な熱帯雨林でのサルのメスと子の長期間をかけての採取活動による進歩があったからです。

 以上のような経過から、出回っている人類進化図には5つの問題点があり、修正が必要であることを明らかにしたいと思います。

 

1 サルからの直線的進化か、分岐型進化か?

 サルから類人猿、現生人類への進歩を直線的に描いた進化図の誤りは、すでにいくつものブログやツイッターで指摘されています。― https://twitter.com/illcommonz/status/1329636550523588608https://note.com/sekaishi/n/na5f2b2879306

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 人類はサルからいくつも分岐した図1・2の下段

 私も現役時代、会社(株式会社 都市構造研究所)の社会貢献のボランティア活動として子どもを対象にした「木登り」のイベントを各地で行いましたが、「人はなぜ木に登りたいか」という説明では、土の穴の中にいたネズミのような哺乳類から木に登るサルとなり、さらに地上に降りてヒトになったという記憶がみんなに残っているんだ、とわかりやすく直線的進化で説明していましたが、図3のような分岐型の進化として正確に説明すべきでした。  

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 サルからだと、ゴリラやチンパンジーにはならない別の進化をとげたのです。

 2004年には「動物進化を追体験する子どもの遊び」(日本子ども学会チャイルド・サイエンス 懸賞エッセイの奨励賞)を書きましたが、幼児の頃からの孫のいろんな遊びを観察し、なぜ子供は幼児の頃から水遊びや木登りが大好きなのか考えていると、表1のように子どもの遊びが「サカナ型」「カエル型」「トカゲ型」「ネズミ型」「サル型」「ヒト型」に分類でき、そこから「子どもの遊びは動物進化を追体験している」と考えるようになりました。

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 このような子ども時代の遊びこそが人類だけでなくすべての動物の進化を促したのであり、それは魚類、両生類、爬虫類、哺乳類へと受け継がれ、ヒトのDNAに全て本能として残したと考えられます。

  うっかり目を離すと歩き始めたばかりの孫が川の中に入ってあわてたことが何度かあり、「いないいないばあ」が大好きな乳幼児、穴掘りや囲いの外に穴から石を入れて出すことをいつまでも止めない遊び、滑り台を腹から滑り降りる遊び、ジャングルジムやブランコでいつまでも遊んでいる子どもなど、両生類や爬虫類、穴倉居住のネズミ、樹上のサルなどのDNAが子どもの中に残っているとしか考えられませんでした。

 

2 オス主導進化か、メス・子ザル主導進化か?

 「人類進化図」で検索すると、世界各国ではいろんな進化図が書かれていますが、ほぼすべてがオスの進化図であり、「メスと子ザルが進化を主導した」という仮説はまったく検討されていません。

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 最初はネットで調べ、次にチンパンジーボノボ(ピグミーチンパンジー、現地名ビーリャ)研究の黒田末寿氏らや、ゴリラ研究の山極寿一氏の本にざっと目を通しましたが、類人猿や狩猟民族の食生活、採取・漁撈・狩猟について詳しく観察・記録されているものの、熱帯雨林でのサルの母子主導の「糖質魚介食進化説」「二足歩行説」「家族形成説」などからの「母系制社会説」については、思考の外に置いています。オスが石器武器で二本足で狩りをしてメスに肉を手で運んで贈って家族ができ、タンパク質をとって頭脳が大きくなった、という狩猟・肉食進化説しか頭にないようです。

 黒田末寿氏は『人類の起源と進化』において、ボノボに見られる「メスと息子、メス同士の強い絆」や「メスの集合性、オスの分散性」「メス同士、母から子への食物分配」「母親と息子が母系家族的集団をつくる」「集団内の母・息子集団と集団間の近隣関係に見られる重層構造化の萌芽」「乱婚傾向が強く、メスに無排卵発情が多く発情メスの比率が高い(ニセ発情:古市剛史)」「性皮の膨張」などと述べながら、「ヒト社会の場合、全体的には父系が優勢といえよう。これらのことから、家族の出現の時期はともかく、人類祖先の社会集団は父系的傾向が強かったと仮定してよい」とボノボ観察・分析とは正反対の結論を導いており、その根拠である「父系が優勢」「父系的傾向が強かった」というのは単なる推測、仮定にすぎないのです。

 「ボノボの生態からヒト誕生が母系制か父系制かを推定する」という方法論ではなく、「人間社会を父系制と仮定してボノボをみる」という逆立ちした男性優位思想の偏向が見られます。 

 また、黒田氏は「採食技術としての道具使用は雌の方が上手でかつ長時間行う。これらは採集滑動に相応し、採集仮説で強調される女による採集活動での道具使用の発達の根拠はここにある」と述べ、道具使用を通した手の発達がメス主導であったことを認めながら、人類の誕生がメス・子ザル主導であった可能性を検討しておらず、フィールドワークで貴重な成果を残しているものの、残念な非科学的結論に陥っていると言わざるをえません。

 それは後輩の山極寿一氏のゴリラ研究も同じであり、京大のサル・類人猿研究のオス中心主義の伝統のようであり、女性研究者主導にならないと京大のサル・類人猿研究はまともな科学にはならないのではないでしょうか。

 

3 武器進化か、生命・生活進化か?

 男が人類進化をもたらしたという進化図の第3の誤りは、図1・2・4のように、男が石器の穂先の槍を持った絵とし、狩りと戦争が人類を進化させたという仮説を振りまいていることにあります。女・子どもが穴掘り棒や石器採集具・石包丁、穀類食のための石臼などの手の使用と道具製作を行うことにより手の機能を高め、コミュニケーション・学習により知能を発達させてきたことなど、想定外なのです。

 私は「ドキドキバカ史観」などと悪口をたれながら「縄文―弥生―古墳」時代区分を批判し、生産生活用具(農耕・採集・狩猟用具と調理用具の土器鍋)を指標とする「石器―土器―鉄器」時代区分とを提案してきましたが、通説は狩猟・殺人の武器による「石器―青銅器―鉄器」時代区分のままです。

 「縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「縄文ノート85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」において、私は2015年9月18日のナショナルジオグラフィックのニュースの『ヒトはなぜ人間に進化した? 12の仮説とその変遷』を紹介しましたが、それは「1.道具を作る」「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「3.食料を分かち合う」「4.裸で泳ぐ」「5.物を投げる」「6.狩る」「7.食べ物とセックスを取引する」「8.肉を(調理して)食べる」「9.炭水化物を(調理して)食べる」「10.二足歩行をする」「11.適応する」「12.団結し、征服する」であり、白人中心主義の「肉食・闘争・戦争文明史観」の進化説でした。

 ―「https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/091700262/?P=1」参照

 この「肉食・闘争・戦争文明史観」には次のような問題点があります。

 

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 日本の類人猿研究・考古学・歴史学・人類学などでもこの思想は根強く、人類進化図を通して子どもたちへの刷り込みが今も行われているのです。黒田末寿氏らのボノボ研究や山極寿一氏らのゴリラ研究はその転換を果たすことが期待されましたが、オス主導進化論の枠組みを超えていないのが残念です。

 なお「武器進化論」をとなえるなら、棍棒→槍→弓矢→鉄砲・大砲・毒ガス→爆撃機・ミサイル→原爆→AI兵器の順に男に持たせるべきであり、最後のゴールのビジネスマンはパソコンでミサイル・AI兵器で殺戮を行い、AIで人民を監視・管理するイラストにすべきでしょう。

 

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 図5は少しましで、鉄器の農耕具や削岩機、パソコンを登場させ、農耕開始、工業化、情報化という人類の進歩を表現していますが、工業化は鉄砲・大砲・毒ガス・爆撃機・ミサイル・原爆を生み出し、情報化は精密誘導兵器やAI兵器を生み出したことを描くべきでしょう。

 この「肉食・闘争・戦争文明史観」に対して、「生命・生活中心文明史観」こそが人類進化を説明できると考えます。

 

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4 西欧文明史観か、非西欧文明史観か?

 図6は「らもん一人旅」のブログから引用した人類進化のパロディ図ですが、この差別的な図を笑っている場合ではありません。

 

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 「棒→槍→ノートパソコン」を持ったヨーロッパ人を文明人とし、機関銃を持ったロシア人、超デブになるアメリカ人、ロボットになる日本人、進化を止めて銃で内戦を繰り広げているアフリカ人、全体主義の中国人、ヨガのインド人をて嘲笑しているのですが、すでに述べてきたようにここには大きな嘘があります。

 ギリシア・ローマからのヨーロッパ・アメリカ文明こそ、「人殺し・略奪」を神の命令として実行する「一神教」を発明し、侵略と奴隷制度を全世界に広げ、戦争を工業化して大量殺りくを行い、さらにデジタル監視社会化・AIロボット兵器による自動殺人時代へと進めてきたのです。

 人類退化・滅亡のパロディ図として、ヨーロッパ・ロシア・アメリカ・中国人の手には、ロケット・原爆、監視カメラ・AIロボット兵器を持たせるべきでしょう。武器とともに「一神教一党独裁原理主義者」の頭には聖書・コーラン・毛語録などを載せるべきでしょう。

 そうでなければ、ギリシアから始まる西欧文明の「武器進化文明史観」を改め、「命(霊=DNA継承)」と「生活」を基準とした「生命・生活文明史観」によるイラストへの置き換えが求められます。それは、「生類共同体文明史観」への転換です。

 

4 ゴリラ型かチンパンジー型かボノボ型か

 以上、「猿からの直線的進化図」「オスの人類進化図」「武器による人類進化図」「西欧中心主義の人類進化図」について批判してきましたが、最後に気になる点として、サルからヒトへの人類進化図が4種類あることです

 図7は黒田末寿氏の『人類の起源と進化』からですが、私は1970年代に元京大探検隊の伊藤君からボノボ(ピグミーチンパンジー)の話を聞き、この図のようにボノボがもっともヒトに近い類人猿と思っていました。

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 ところが、ネットで検索すると、札幌市丸山動物園の図8と京大霊長類研究所の図9、さらに京大理学部生物科学の中川尚史教授の図10があり、さらに「縄文ノート85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」で紹介した京大理学部生物科学の森本直記助教・中務真人教授の図11があり、微妙に食い違っており専門家の間で整理して欲しいところです。

       

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 まず図7と図8の違いですが、オランウータンからゴリラとヒト・チンパンジーボノボの先祖が分かれ、さらにヒトとチンパンジーボノボが分かれたという点では同じですが、図7がヒトに近い位置にボノボを置いているのに対し、図8はチンパンジーをヒトの近くに置いています。

 さらに京大霊長類研究所の図9は山極寿一氏と同じように、ゴリラとボノボの間にヒトを置き、中川尚史氏の図10や森本・中務氏の図11はゴリラ―チンパンジー―ヒトの順(ボノボは分析していない)にしているのです。

 図7・10・11のヒト派に対し、ゴリラ派の京大霊長類研究所と山極寿一氏、チンパンジー派の札幌市丸山動物園が独自の道を歩んでいるようです。

 絶対神信仰を持つヒトを頂点に置き、信仰心を持たない動物や他宗教のヒトの支配・殺害・強盗を正当化する一神教ユダヤ・キリスト・イスラム教に反対し、ゴリラやチンパンジー、サルの保護を訴え、「ゴリラ・チンパンジー・ヒト兄弟」「生類みな兄弟」とインパクトを与えて主張したい気持ちは解りますが、生態学的研究とDNA分析からみれば黒田・中川・森本・中務氏の図が正しいと私は考えます。

 ただ「動物進化を追体験する子どもの遊び」で書いたように、私たちは動物進化の全過程を本能の中に持っており、全ての動物の行動からヒトが受け継いだものと、ヒトが独自に獲得するとともに失ったものを整理し、「生類」として生きながら、大量虐殺・絶滅や家畜化・奴隷制度など「生類」から外れた道を明らかにし、考え直す必要があると考えます。

 「サルに学ぶ」「ゴリラに学ぶ」「チンパンジーに学ぶ」と「ヒトの歴史に学ぶ」だけでなく、全生類の知恵を未来に向けて活かすべき時と考えます。自らの狭い思想・価値観を類人猿に投影して主張するようなレベルから先に進むべきと考えます。

 

5 まとめ

  次回はナシジオ(ナショナルジオグラフィック)編集部の『ヒト進化12仮説』批判として、これまで「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」「縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ」などで述べてきたゴードン・チャイルドや日本の哲学者・人類学者・経済学者・環境学者などの文明論と対比させて検討したいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

 

「縄文ノート85」の修正 210722

 素人が限られたネットデータをもとに自分の頭で考えて「仮説的」に論を書き、あとで関係する基礎資料を読むにつれていろいろと修正点がでてきています。「縄文ノート85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」(210713)について、いくつか修正を行いました。

 特に重要な点は、ボノボ研究者の黒田末寿氏が『人類の進化と起源』において、「採食技術としての道具使用は雌の方が上手でかつ長時間行う。これらは採集滑動に相応し、採集仮説で強調される女による採集活動での道具使用の発達の根拠はここにある」と書いていたことを追加したことです。

 道具使用と手の発達がメス主導であったことを黒田氏が明らかにしていたことを見逃していました。私の「メス・子ザル主導進化論」の強力な裏付けがでてきました。

 

<修正点>

修正1 お恥ずかしい話ですが、ずっと「狩猟採集」を「狩猟採取」と誤って覚えており、修正しました。

 

修正2 写真を2枚、追加しました。

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修正3 二足歩行への移行を、「熱帯雨林の小川や沼の泥の中で食べ物を毎日のように何時間か探していたサルのメスや子たちもまた、雨季になって水量が増えると顔だけ水上に出して立って足で獲物を捜したに違いありません」と、雨季における行動としてアンダーライン部分を追加しました。

 

修正4 新たに次の1項目を追加しました。

 

4 「道具使用と手の発達」について

 黒田末寿氏は『人類の進化と起源』において、「採食技術としての道具使用は雌の方が上手でかつ長時間行う。これらは採集滑動に相応し、採集仮説で強調される女による採集活動での道具使用の発達の根拠はここにある」と書いています。

 これまで、道具使用は「サバンナに降りた男が野獣からの防御や草食動物の狩りのために棍棒や槍を使用するようになって手の機能が発達し、石器作成が行われるようになった」と解説されてきましたが、ボノボの観察を通して黒田氏は道具使用と手の発達がメス主導であったことを明らかにしています。

 木の上に逃げられる安全な熱帯雨林の小川や沼で、毎日、数時間の採集活動を行い、雨季には水中に立って獲物を捜すなかで、棒を使って小動物などを仕留めたり、穴を掘ってイモや幼虫などを獲るために棒を使うようになり、二足歩行と道具使用、手機能向上が同時にできるようになった可能性が高いと考えます。

 なお、ボノボに見られるようなメス同士と子の群れでの採集活動や食物分配、子ども同士遊びなどはコミュニケーションと言語能力を高め、糖質とDHA摂取により急速に頭脳の発達を促したと考えられます。

縄文ノート86 古代オリンピックとギリシア神話が示す地母神信仰

 「縄文ノート76 オリンピックより『命(DNA)の祭典』をアフリカで!」を書いたところ、先日、友人が「1994年の夏 ギリシャ旅行をした時に撮った写真です。ひょっこり出てきました」とオリンピアの写真を送ってくれました。

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 縄文ノート76では古代ギリシア人は、北方から侵入して支配者となり、各地に植民地をもうけて奴隷制度を確立した侵略民族の「軍国主義国」であり、オリンピックは「軍事教練の延長」の「一時休戦の戦技を競う男の祭典」であり、「ポリス(都市国家)同士の戦争・覇権争い」を止めさせる効果など乏しく、「平和の祭典」などとは言えないことを明らかにしました。そして、平和のためには全人類の故郷のアフリカで「命(DNA)の祭典」やるべき、と提案しました。

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 ナショナリズムとイベント経済を煽るスポーツ祭典ではなく、人類の誕生地で、奴隷制度や人種差別、植民地支配、軍国主義、不均等発展を考える機会が必要と考えます。

 私はギリシャや古代四大文明などはもともとは母系制社会ではないかと分析を進め、さらに遡ってアフリカでのヒトの誕生はメスと子ザルが主導したという小論を書いたところであり、オリンピックやギリシャ神話から母系制社会の歴史を考えてみたいと思います。

 

1 オリンピックは「伝染病まん延防止」の一時休戦

 ウィキペディアによれば、「古代オリンピックの始まりは紀元前8世紀にまでさかのぼる。伝染病の蔓延に困ったエリス王イフィトスが争いをやめ競技会を復活せよと言うアポロンの啓示を受けた事に由来すると伝えられている」「伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というもので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた」というのです。

 「伝染病まん延防止のためのオリンピック」という原点から考えると、世界で400万人の死者を出した新型コロナ感染症の拡大を招きかねない「平和の祭典」「復興オリンピック・パラリンピック」などに私は賛同できません。スポーツは好きですが、やりたいなら全世界の感染死者を通常のインフルエンザレベルに抑え込んでからと考えます。そのために医療・製薬・保健などの分野で世界貢献した方が、日本は全世界の人々から評価され、尊敬されるに違いありません。新興感染症への医療・製薬後進国の日本がスポーツ祭典で浮かれてメダル数を競っている場合でしょうか? 

 第1次世界大戦中の軍隊から感染症が爆発的に広がった「スペイン風邪」では感染者は5億人、死者は5000~1億人以上にのぼり、第1次世界大戦の約1600万人(うち1/3はスペイン風邪)の死者よりも1.4~2.7倍も多いとされています。この点からみても、集団行動の軍隊は感染症の温床になるのです。古代ギリシアにおいて疫病が流行った時にも戦争などやっている場合ではなかったと思われ、少数の選抜者による競技に切り替えたのです。平和を求めてではなく、「戦争の代わり」であり「停戦」の時間稼ぎだったのです。

 なお、聖火リレーは近代オリンピックでヒトラーナチスがベルリン大会から始めたもので、ドイツ国民は最も純粋な「アーリア人」であり、その先祖がスパルタ人であるという空想(実際にはアーリア人はイランやアフガニスタン・インド北西部に分布)をアピールするためにギリシアからベルリンへと聖火をリレーしたものであり、古代オリンピックとは何の関係もありません。古代オリンピックにはないナチス聖火リレーを真似したがる人たちというのはなんとも不気味です。日本列島人の祖先は「スパルタン」なのでしょうか?

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 このゲルマン民族の起源をギリシアに結び付けようとしたナチスの「アーリア人説」やイギリスの中東からインドにかけての支配を正当化しようとした「インド・ヨーロッパ語族説」などとともに、オリンピックの聖火リレー帝国主義時代の古くさい遺物として見直すべきでしょう。

 

2 オリンピックは女神・ヘーラーに捧げられた祭りであった

 「オリュンピアで行われるオリュンピア祭は、ギリシアにおける四大競技大祭のうちの一つであった」とされ、その開催地や祭神は次のとおりです(ウィキペディアによる)。 f:id:hinafkin:20210718180500j:plain

 

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 それぞれの競技大会の祭神はゼウス・ポセイドン・アポロンの男性神ですが、エーリス王・イーピトスとスパルタ王・リュクールゴスが競技場での停戦の協定をギリシア神話最高位の女神・ヘーラー(ヘラ)の神殿に「金属製の円盤」に記して捧げた、という伝承は見逃せません。女神・ヘーラーはゼウス・ポセイドン・アポロンなどより上位の最高神だったのです。

 エーリス王・イーピトスとスパルタ王・リュクールゴスが停戦の誓約を男神・ゼウスにではなく女神・ヘーラーに対して行い、スパルタの選手(戦士)が敵地エーリスのオリンピュアで競技を行ったということは、女神・ヘーラーこそが最高の神として両国で認められていたことを示しています。だからこそ両国の停戦とその競技者(戦士)の安全を保証できたのです。

 アテナイ世界遺産アクロポリスの「パルテノン神殿」と「アテーナー・ニーケー神殿」には女神アテーナー(ゼウスの子で飲み込まれ、頭の中で成長した)が最高神として祀られ、「エレクテイオン」神殿はアテネ・ポセイドン・エリクトニオス(アテネの子とも)に捧げられたとされていることをみても、ギリシアが母系制社会であったことを示しています。

 なお、競技・観客はもともとは男のみで行われ、その理由として「裸での競技」「男色」などがあげられていますが、群馬県片品村の金精の2つの祭りが山の神(女神)に金精を捧げる祭りであるため男だけで行い、女神が嫉妬するので女性は参加できないとされていることからみても、オリンピアの祭りはもともとは女神・ヘーラーに捧げる宗教行事であった可能性があると考えます。

 「ヒーロー=英雄」の語源説がある女神・ヘーラー(ヘラ・ヘレ)は「貴婦人、女主人」を意味し、結婚・母性を司る「生命の女王」とされていたのであり、男の戦争とは対立する女神でした。男性中心思想の西欧中心主義の歴史観からではなく、母系制社会の視点でオリンピックを分析すべきなのです。

 蛇足ですが、甲斐よしひろの「HERO ヒーローになる時 それは今」の「HERO ヒーロー」は「HEROINE ヒロイン」とすべきでは、などと考えます。  

 

3 親子婚・兄妹婚のギリシア神話は母系制社会から父系制社会への転換を示す

 女神・ヘーラー(ヘラ・ヘレ)はゼウスの正妻とされています。一方、ガイア(地母神:天を内包した世界神)とウーラノス(天空神)の息子・クロノスと娘・レア(クレタ島地母神の可能性)から、ハーデース(冥府の神)、ポセイドーン、ゼウス、ヘーラーの4兄弟姉妹が生まれたとされていますから、ゼウスとヘーラーは兄妹になります。「クロノスとレア」「ゼウスとヘーラー」は2代続けて兄妹婚になるのです。

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 また始祖神のガイアはウーラノス(天空神)を産み、ウーラノスと親子婚したとされています。

 このようなギリシア神話の親子婚と兄妹婚は何を示しているのでしょうか?

 ガイア・レアー・ヘーラーという母系神話と、ウーラノス・クロノス・ゼウスという父系神話が合体されたため、親子婚や兄妹婚の神話が生まれたと私は考えます。

 

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 どちらかのスッキリとした物語にできたにも関わらず、ホメーロスらががそうしなかったのは、母系制社会の歴史を抹殺することなく、父系制社会への移行という真実を伝えるためであったと私は考えます。

 

4 妻問夫招婚の母系制を示すスサノオ・アマテル神話

 このようなギリシア神話の解釈に私が至ったのは、記紀神話スサノオとアマテルの分析が背景にあります。

 記紀神話は8世紀の太安万侶らの創作物語とする説がはびこっていますが、私は太安万侶は中国の司馬遷に学んだ、日本の「史聖」であると考えています。記紀神話にみられる様々な矛盾や荒唐無稽と思われる物語は、天皇家の優秀な学者・官僚として天武王朝を支えながら、真実の歴史を巧妙に後世に伝え残すための工夫であり、暗号として書き残したのです。―『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 1例をあげると、イヤナギ(伊邪那岐=伊耶那岐)とイヤナミ(伊邪那美=伊耶那美)は出雲の意宇川(いうがわ)沖積平野(堅州国)の揖屋(いや)で結ばれ、イヤナミ(伊邪那美=伊耶那美)はこの地の黄泉比坂(伊賦夜坂(いふやさか))に葬られますが、夫のイヤナギ(伊邪那岐=伊耶那岐)は妻の死後に筑紫日向(ちくしのひな)に行き、妻問夫招婚により綿津見3兄弟・筒之男3兄弟・月読やアマテル・スサノオを生んだとしています。

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 ところがスサノオは大人になって長い髭が生えても「母の国根の堅州国に行きたい」と泣いていたとスサノオを貶めながら、太安万侶はちゃかりとスサノオ揖屋でイヤナミから生まれた長兄であることを伝えているのです。

 スサノオはイヤナギから「海原を知らせ(支配せよ)」と命じられたとも書いていますから、海人族の長兄の後継者として、異母弟の綿津見3兄弟・筒之男3兄弟・月読らを統率した「海人族の王者」であったことを太安万侶は秘かに伝えているのです。日本書紀スサノオ新羅に渡ったと書かれ、52代嵯峨天皇が「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は即ち皇国の本主なり」として正一位(しょういちい)の神階と日本総社の称号を尾張津島神社に贈り、66代一条天皇が「天王社」の号を贈っていることや、皇居にアマテルを祀っておらず、明治になるまで歴代天皇伊勢神宮のアマテルを参拝していないことをみても、スサノオこそがイヤナギ・イヤナミの後継王であり、百余国の委奴(いな=稲)国王=スサノオ天王であり、アマテルは天皇家の祖先ではないことを示しています。

 一方、記紀にはスサノオを末弟とし、異母姉のアマテルと「ウケヒ(受け霊)」によって後継者争いを行うという記述も見られ、姉弟婚を疑う主張もみられますが、このような混乱した記述を行った太安万侶は無能な、頭の悪い人物なのでしょうか?

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 太安万侶壬申の乱で美濃兵3千を集めて不破道(関ケ原)を塞ぎ、大海人皇子の勝利に大きな役割を果たした多品治(おおのほんじ:和音ではおおのひなおさ)の子とされており、天武天皇(天武=大海人の勇者)を支えるためにアマテルを最高神とした神話とする一方で、海人(あま)族のスサノオの正史を秘かに伝えたのです。無能なのは太安万侶ではなく、「史聖・太安万侶」の深慮遠謀を見抜けない歴史学者という他ありません。

 私はギリシアホメーロスたちもまた、同じように現実のポリス(都市国家)の政治を支持するとともに、侵略する前の母系制社会の真実を書き残すために、矛盾の多い記述や荒唐無稽な物語をちりばめたと考えます。

 拝外主義の日本の翻訳研究者たちの中には、記紀神話ギリシア神話や東南アジア・中国・朝鮮神話をもとに8世紀に創作されたという説をとなえていますが、記紀神話の研究が逆にギリシア神話の解明に手掛かりを与えてくれる、白人優位主義の世界史を正すことができる、という可能性を考えてみるべきでしょう。

 

5 母系制から軍国主義ギリシア

 中高時代の世界史は古代ギリシアのいくつかの文明や都市名、戦争、文化、人名、年号の単なる暗記学問であり、磯田道史教授のNHKの歴史ドキュメンタリー「英雄たちの選択」などのように、なぜ、どのように歴史が動いたか、別の選択肢はなかったか、などを考えさせる授業ではありませんでした。

 改めてギリシア古代史のおさらいを、ウィキペディアなどネット情報レベルですが行いたいと思います。

 ギリシアでは20~40万年前の前期旧石器時代から旧人ネアンデルタール人)の痕跡がみられ、5万年ほど前の最終氷期に新人の時代に移り、3万年前頃からの後期旧石器時代には石器の加工技術も進み、洞窟絵画や女性彫像も見られ、1万年前頃の中石器時代の温暖期になると黒曜石や魚の骨、釣り針などが発見され、9000年前頃からの新石器時代に入ると土器や大麦・小麦・レンズ豆などの栽培と山羊・羊・豚・牛などの家畜が西方から伝わり、豊富な水と肥沃な土壌のギリシア北方で初期農耕が行われたとされます。

 5000~4000年前頃にはエーゲ海のデロス島などでは大理石製の女性像で有名なキクラデス文明がおこり、4000~3000年前頃のペロポネソス半島のミケーネ文明でも多くの女性土偶が見つかっています。―「縄文ノート75 世界のビーナス像と女神像」参照

 

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 アイオリス人は5000年前頃にドナウ川流域から移住し、ギリシャ本土中部テッサリア(肥沃な平野部)とボイオティア地方からレスボス島、さらにアナトリア半島北西部に移住します。

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 3000年前頃になると、バルカン半島からアカイア人(その一部がイオニア人)がテッサリア方面から南下してペロポネソス半島一帯からアナトリア半島小アジア)西部のイオニアに定住したとされ、ミケーネ文明を構成し、クレタ島のミノア文明を滅ぼしたとされます。

 さらに2000年前頃にはドーリアギリシア北方からペロポネソス半島に侵入し、先住民アカイア人を征服しヘイロタイ(奴隷)にし、紀元前1104年にスパルタ国を建国したとされています。1~5万人のスパルタ人市民と家族に対し、15~25万人のヘイロタイが存在したため、スパルタ人は常にヘイロタイによる反乱に脅かされ、市民皆兵の軍国主義国となり、侵略を進め、紀元前5世紀初頭のペルシア戦争でスパルタはアテナイと共にギリシア諸国を主導してペルシア帝国と戦い、有名なテルモピュライ(テルモピレー)の戦いではスパルタを主力としたギリシア同盟軍は、数十倍はあるかというペルシア軍に対して奮戦しています。

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 その後、デロス同盟の盟主となったアテナイと、第1次・第2次ペロポネソス戦争になりますがアテナイに疫病が蔓延したこともあり勝利してギリシアの覇権を獲得します。ところが戦利品により貧富の差が開いて市民の結束が失われ、アテナイアルゴス(元のミケーネ)・テバイ(アイオリス人)らによるコリントス戦争でスパルタは海上での覇権を失い、その後、テバイ軍に敗れ、スパルタはギリシアでの覇権を完全に失います。

 このスパルタの軍国主義奴隷制度は、ローマ帝国に引き継がれ、封建時代をへて16~18世紀の重商主義絶対王政、19世紀からの植民地帝国主義に引き継がれて1200万人の黒人奴隷貿易が行われ、ナチスがスパルタを手本として1936年のベルリンオリンピック大会でオリンピュアからの聖火リレーを行ったのは前述したとおりです。―「縄文ノート71 古代奴隷制社会論」「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」参照

 生類の命という価値観で1万年単位で歴史を見ると、ギリシア・ローマ時代は「第1次暗黒時代」であり、封建時代は「第2次暗黒時代」、16~21世紀は人類最大の「第3次暗黒時代」と言わざるをえず、この戦争工業化文明はAI・ロボット戦争によりその終末時代に入ったといえます。

 私は戦後生まれですが、父から「軍人になれ」と育てられ「スパルタ式教育」がいいと思っていましたが、小学校高学年で「予科連崩れ」と陰口されていた教師から、掃除をさぼった級友の連帯責任として往復ビンタを食って以来、全体主義には反対になり、ベトナム北爆から反戦・非戦派になりましたが、スパルタ式教育や軍国主義を理想とする風潮は世界にまだ根強く残っているように思います。1万のスパルタ人が20万人の奴隷を支配し、1人が10~20人を支配する高い戦闘力を持っていたと賛美して教わりましたが、同じような軍国主義国の矛盾は今も世界にあるように思います。

 ギリシア文化・文明には素晴らしい文化があると思いますが、そもそもはギリシアへの侵略者であり、軍国主義の先住民や戦争捕虜を奴隷とした国であり、エーゲ海・地中海の諸島やアナトリア小アジア)への侵略・植民地化などの血なまぐさい軍国主義の歴史もまた見るべきです。ペルシャ帝国の侵略に対して英雄的に戦った歴史が読み物や映画で伝わっていますが、そもそも小アジアへの侵略者・植民者であり、ペルシャ小アジア民族の解放のために戦ったとも言えるのです。

 古代オリンピックは「単なる戦争の一時休戦」にすぎず、近代オリンピックはナチスに政治利用された歴史を忘れるべきでないと考えます。

 フェンシング選手のバッハ会長がまさか幻の「アーリア民族」思想を受け継いでいるというようなことはないとは思いますが・・・

 

6 喜劇作者・アリストファネス反戦劇「女の平和」

 古代ギリシアアテナイで紀元前5~4世紀に活躍した喜劇作者・アリストファネスの『女の平和』のことは何度も聞いているにも関わらずはっきりとした記憶はないのですが、おそらく中学校の冗談が多かった伊藤先生の授業からではないかと思います。アテナイとスパルタの戦いを終わらせるために、女たちがセックス・ストライキをおこなうという話でした。 

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 第2次ペロポネソス戦争アテネ海軍はシチリア遠征に失敗して全滅してから2年目、戦争を継続しようとした指導者に対し、この喜劇は上演されたのです。舞台はアテネアクロポリスで女主人公リューシストラテー(“戦争をつぶす女”の意味)はギリシア各地から集まってきた女たちに性的ストライキを呼びかけ、アテネとスパルタの代表が握手するという大団円を迎えたという劇です。

 「戦争は男の仕事だ、女は戦争に何の関係もない」という役人に対して、リューシストラテーは「どういたしまして、この不浄者め、あたしたちは戦争の二倍以上の被害者ですよ。第一に子供を生んで、これを兵士として戦争に送り出した」ときり返します。

 さらに「過ぎたことをとやかく言うな」という役人に、リューシストラテーは「第二に歓喜にみちた青春を享楽すべきそのときに、軍旅のために空閨を守っています。ほら、あのことを気にもかけない、わたしどもは乙女らが閨(ねや)のなかで未婚のまま老いていくのがたまらない」と答えたとういうのです。(ウィキペディアアリストパネース『女の平和』高津春繁訳:1951岩波文庫より)

 男性中心の戦争と女奴隷ヘタイア・ポルナイの売春制度に対して、女性たちが果敢に抵抗したという喜劇が上演されたということは、古代アテナイの支配層(市民)の民主制と母系制社会の女性優位の伝統を示しているといえます。

 日露戦争で旅順攻撃に参加した弟を思う与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ(旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)」の第1・第5をアリストファネスに敬意を表して掲載しておきます。 

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 7 母系制社会の歴史から

 以上、ギリシャ神話や神殿の女神像、オリンピックの歴史、などからみて古代ギリシアがもとは母系制社会であったことが明らかです。

 わが国もまた母系制であたことは縄文時代土偶や女神像、古事記に書かれた大国主沼河比売(ぬなかわひめ)への「用婆比(よばい:夜這い)」や「島の埼々、磯ごとの若草の妻」に180人の子どもをもうけたという妻問夫招婚、神話や記紀に書かれた紀元3~4世紀の九州・出雲・紀州などの女王国、女神を祀る多くの神社、魏書東夷伝倭人条に書かれた3世紀の邪馬壹国の「会同坐起、父子男女無別」、33代推古天皇を始めとする10代の女性天皇、山の神(女神)に捧げる金精の祭りなどから明らかです。―縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」「縄文ノート32 縄文の『女神信仰』考」参照

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 この母系制社会の3世紀の女王国の邪馬壹国は「会同坐起、父子男女無別」の民主的な氏族社会であり、魏への高価な絹・絹織物の朝貢をみても卑弥呼の「奴婢千人」は機織りや米づくりに従事し、女性の社会的地位が高かった可能性が高いと考えれられます。

 全世界の文明史において、母系制社会の解明はこの日本とギリシャの歴史から可能であり、縄文文明の世界遺産登録は人類史の解明に重要な役割を果たすことができます。戦争文明の暗黒時代を作り上げた西欧中心史観からの脱却です。

 一過性の主に大都市の大企業が潤う東京オリンピック大阪万博などのイベントに頼るのではなく、縄文文明の世界遺産登録を通して、日本列島全体の地域観光・交流の促進が求められます。私の第2の故郷の姫路市では、1993年の姫路城の世界遺産登録により観光客は80万人台から2015年度には286万人に達し、うち外国人は年間4~5万人から30万人を超えています。東京オリンピック2020の目標入場者数は1010万人でしたが、姫路城観光客の3.5年分に過ぎず、投資金額は比べ物になりません。

 東京オリンピック2020による観光振興が不発に終わった今、ポストコロナに向け、縄文文明・文化の世界遺産登録運動を進めることを提案します。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

 

縄文ノート85の修正

 昨日アップしました「縄文ノート85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」について、いくつか赤字で修正します。

 

⑴ 「1 進化論検討の経過」をもうけ、表1を修正するとともに、4枚の図を追加しました。

 

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⑵ 「3 『進化論』の8つのテーマ」の番号を「4」に変え、本文に次の赤字分を追加するとともに、表2を修正しました。

 

 「進化論」の8つのテーマ

 「縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」において、私は2015年9月18日のナショナルジオグラフィックのニュースの『ヒトはなぜ人間に進化した? 12の仮説とその変遷』の「1.道具を作る」「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「3.食料を分かち合う」「4.裸で泳ぐ」「5.物を投げる」「6.狩る」「7.食べ物とセックスを取引する」「8.肉を(調理して)食べる」「9.炭水化物を(調理して)食べる」「10.二足歩行をする」「11.適応する」「12.団結し、征服する」を紹介しましたが、この典型的な白人中心主義の「肉食・闘争・戦争史観」からくる「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「5.物を投げる」「6.狩る」「8.肉を(調理して)食べる」「12.団結し、征服する」の5項目や文化指標の欠落などについては、類人猿研究や考古学・歴史学・人類学から私は科学的な基準とは認めませんので別の機会に批判をまとめたいと思います。

 サルからヒトへの進化論の論点と私の主張は次のとおりです。

 

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縄文ノート85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか

 「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」などで私は食の分析を通して、サルがヒトになったのは「メスと子ザル」による可能性が高いことを明らかにしてきました。

 今西錦司河合雅雄氏らのサルの研究から始まり、黒田末寿氏らのチンパンジーボノボ(ピグミーチンパンジー)、山極寿一氏のゴリラなどの類人猿の研究により、人類誕生の出発点はかなり解明されてきましたが、私は逆からアプローチしてきました。スサノオ大国主建国から邪馬壹国研究(筑紫日向の大国主の妻の鳥耳=アマテルからの筑紫大国主王朝)に進み、さらに縄文社会研究、日本列島人起源論へと歴史を逆にたどり、霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰や1~4世紀の女王国時代から人類の起源を考え、サル・類人猿研究との接点を探ってきました。

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 その結果、これまでの類人猿や人類誕生の研究は「西欧中心文明史観」に加えて「男性中心史観」であり、「メス・子ザルが主導した人類誕生」という仮説検証が欠けていることを痛感し、芋穀豆魚食やおっぱいの糖質・DHA、火の使用からの進化論に加え、ここでは「二足歩行」についてさらに追加したいと思います。

 

1 進化論検討の経過

 これまで、人類の起源については、次のようなことを考えてきており、ここにまとめてみました。

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2 食からの進化論

 「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」において、次のように書きましたので茶色字で再掲しておきます。ここではサバンナでの「肉食進化説」を批判し、熱帯雨林でサルからヒトへの「糖質魚介食進化」を明らかにしています。

 ゴリラ研究で大きな成果をあげた山極寿一京大教授は「肉食進化説」から、次の段階として「海の動物や貝類、鳥類といった動物資源を食物とすることを覚えた」という「動物食→魚介食」の2段階発展段階説をとっていますが、なぜかボノボ研究を無視し、魚介食や芋・穀類食の役割を検討していません。私は「イモ豆穀類魚介食→大型草食動物食」という人類進化説を考えきました。

 

3 「肉食文明」か「イモ糖質魚食文明」か

 これまで、サルはオスが熱帯雨林からサバンナの草原に降りて草食動物などの死肉をあさり、さらに投げ槍による狩りを行うようになり進化が進んだという「肉食進化説」が主流でしたが、それはアフリカのチンパンジーボノボ・ゴリラや狩猟民の食生活と合致しないだけでなく、大脳生理学から、1日の総カロリーのおよそ20%を使う脳にとって糖質の摂取が欠かせないことが明らかとなり、地上のイモやマメ、穀類などの利用によりサルからヒトへの進化が進んだと考えます。

・・・

 「ギニアチンパンジーは水たまりの沢ガニを日常的に食べ、コンゴボノボは乾いた土地や沼を掘ってキノコや根粒菌などを食べ、ヤゴや川虫を食べる」(縄文ノート70)のですから、熱帯雨林でサルは地上に降りて「根粒菌・イモ掘り」「プハンセ(掻い出し漁)」などを行い、「糖質魚介食」により頭脳を発達させてヒトになった可能性が高いと考えます。「人類サバンナ起源説」の仮説から離れ、「人類熱帯雨林起源説」への転換を図るべきです。

・・・

『サルはなにを食べてヒトになったか』(山極寿一著)はカラハリ砂漠のサン人(ブッシュマン)が握り棒で根菜類を掘る写真を載せていますが、「チンパンジーが示す旺盛な肉食志向」などと肉食進化論を主軸とし、最後に「サピエンスたちは、陸上の動物だけでなく海の動物や貝類、鳥類といった動物資源を食物とすることを覚えた」と、「動物食→魚介穀類食」の2段階発展段階説をとっています。「イモ豆穀類魚介食→大型草食動物食」による人類進化という仮説についっては考えてもいないようです。

 

4 「オス主導進化論」か「メス主導進化論」か

 サルはオスが熱帯雨林からサバンナの草原に降りてナックルウォーク(前足を握って地面につける四足歩行)で動物の死肉をあさり、さらに投げ槍による大型草食動物の狩りのために二足歩行になり、獲物を手で運んでメス・家族に渡すために二足歩行がさらに進んだという「オス二足歩行進化説」「オス主導家族形成説」が見られますが、本当でしょうか? 「歴史学者、見てきたような嘘をいい」とよく言われますが、人類学者はどうなのでしょうか?

 重要なことは、「プハンセ(掻い出し漁)」や「握り棒によるイモ掘り」はコンゴイドの女や子どもが日常的に行っているのです。

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 男が草食獣を狩り、女に贈ったことから家族ができたというより、「メスと子どもの日常的なイモ豆穀類魚介・昆虫・小型動物の採取」がボスオスの群れからのメスの自立を可能にし、そこにボスに群れを追われたオスが寄生して家族が生まれた、と私は考えます。「日常食はメスと子ども主体のイモ豆穀類魚介昆虫小動物食、ごちそうは男の大型動物(ワニを含む)の肉食」ではないでしょうか?

・・・

 ヒトの脳の神経細胞は1000億個以上で成人でも乳児でも同じで、神経細胞を繋ぐシナプスの数は生後1~3年前後まで増加し不要なものは削除されて減少し、脳の重さは新生児の約400g、生後12か月で約800g、生後3年で約1000g、成人で1200~1500gとされています。―「脳科学メディアhttps://japan-brain-science.com/archives/1553」参照  1~3歳の乳幼児期に糖質たっぷりのおっぱいを飲み、安定した豊かな自由時間(狩猟採集民の労働時間は1日2~4時間:前掲の山極氏)の大人たちからさまざな刺激を受けて脳は1~3歳の乳幼児期に急速に発達したことが明らかであり。サルからヒトへの進化は、この乳幼児期の濃密なコミュニケーションにあったのです

 

2 「二足歩行」について

 「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」においては、「二足歩行」について次のように書きました。

 

 「慣れない二足歩行で草原で草食動物を追わなくても、タンパク質や糖質DHA食は熱帯ジャングルの魚介ではるかに容易に確保できるのです。ライオンヒョウ・チーター・サイ・ゾウなどのいるサバンナよりはるかに安全であり、いざとなれば樹上に逃げられるのです。ナックルウォークの類人猿が二足歩行で手で道具を使うヒトになったのは、メスやオス、子どもがかなりの長期間、安全に地上生活をして進化をとげることができたからであり、その理由は樹上の果実食より地上の多様なイモや魚介・昆虫(ミミズやアリ、カブトムシ等の甲虫の幼虫など)・小動物を食べる方がよりグルメで効率がよかったからに違いありません。

 

 ここではサルからヒトへの二足歩行の移行を「サバンナでのオスの追跡猟」とする説に対し、私は熱帯雨林でのメスと子ザルの「安全な日常的な地上での棒などを使ったイモ・魚介・昆虫・小動物食」が二足歩行をもたらしたと説明しましたが、「水中採集活動による水中二足歩行移行説」を追加したいと思います。

 私は子どもの頃、母の田舎に行ったとき、たつの市(旧御津町)の新舞子に潮干狩りや海水浴に必ずのように行きましたが、当時(昭和20・30年代)は立って足で砂を掘るとハマグリやアサリが実によく採れました。泳ぎに飽きると貝を足で掘り、足指で挟んで拾い上げ、海水パンツに入れたものです。

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 熱帯雨林の小川や沼の泥の中で食べ物を毎日のように探していたサルのメスや子たちもまた、雨季になって水量が増えると顔だけ出して立って足で獲物を捜したに違いありません。この場合には、浮力によって長時間直立することが可能であり、オスが草原で獲物を追うよりもはるかに容易に二足歩行を定着させた可能性が高いと考えます。

 また、流れを倒木などでせき止め、あるいは水流を弱めて「プハンセ(掻い出し漁)」を行う場合には、木を手で運んだり、棒で獲物を追い込んだり叩いたりする必要があり、二足で立つ機会は格段に増えます。棒を使っての根菜類の穴掘りもまた二足歩行を促しました。

 3歳までに頭脳は発達しますから、このような毎日の直立歩行により、メスと子サルの熱帯雨林での川や沼での食物採取活動こそが二足歩行を定着させ、そこに群れからボスに追われたオスが加わり、安定した家族が形成された可能性が高いと考えます。このような熱帯雨林での「芋穀魚介食」こそメスを中心とした家族の自立を促し、妻問夫招婚の母系制社会の人類の誕生を生み出したのです。

 これまで寒冷化による熱帯雨林の減少により、サルはサバンナに進出したとされてきましたが、熱帯雨林で果物などの樹上食料が減少して地上食への切り替えを行ったサルがヒトになり、二足歩行ができるようになって危険なサバンナでのオスの追跡猟ができ、移住できるようになったと考えます。

 草原の野生動物の追跡猟がオスの二足歩行と獲物をメスに運ぶことにより家族が形成されたという「オス中心思考」の仮説には、ボノボの生態やアフリカ原住民の食や生活の習性からみて、裏付けは乏しいと言わざるをえません。

 

4 「道具使用と手の発達」について

 黒田末寿氏は『人類の進化と起源』において、「採食技術としての道具使用は雌の方が上手でかつ長時間行う。これらは採集滑動に相応し、採集仮説で強調される女による採集活動での道具使用の発達の根拠はここにある」と書いています。

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 これまで、道具使用は「サバンナに降りた男が野獣からの防御や草食動物の狩りのために棍棒や槍を使用するようになって手の機能が発達し、石器作成が行われるようになった」と解説されてきましたが、ボノボの観察を通して黒田氏は道具使用と手の発達がメス主導であったことを明らかにしています。

 木の上に逃げられる安全な熱帯雨林の小川や沼で、毎日、数時間の採集活動を行い、雨季には水中に立って獲物を捜すなかで、棒を使って小動物などを仕留めたり、穴を掘ってイモや幼虫などを獲るために棒を使うようになり、二足歩行と道具使用、手機能向上が同時にできるようになった可能性が高いと考えます。

 なお、ボノボに見られるようなメス同士と子の群れでの採集活動や食物分配、子ども同士遊びなどはコミュニケーションと言語能力を高め、糖質とDHA摂取により急速に頭脳の発達を促したと考えられます。

 

5 「進化論」の8つのテーマ

 「縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」において、私は2015年9月18日のナショナルジオグラフィックのニュースの『ヒトはなぜ人間に進化した? 12の仮説とその変遷』の「1.道具を作る」「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「3.食料を分かち合う」「4.裸で泳ぐ」「5.物を投げる」「6.狩る」「7.食べ物とセックスを取引する」「8.肉を(調理して)食べる」「9.炭水化物を(調理して)食べる」「10.二足歩行をする」「11.適応する」「12.団結し、征服する」を紹介しましたが、この典型的な白人中心主義の「肉食・闘争・戦争史観」からくる「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「5.物を投げる」「6.狩る」「8.肉を(調理して)食べる」「12.団結し、征服する」の5項目や文化指標の欠落などについては、類人猿研究や考古学・歴史学・人類学から私は科学的な基準とは認めませんので別の機会に批判をまとめたいと思います。

 サルからヒトへの進化論の論点と私の主張は次のとおりです。

 

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 なお、森本直記助教・中務真人教授(京大)によれば、ヒトは「ナックルウォーク」から「二足歩行」に移ったのではなく、「四足歩行」から「二足歩行」に移行したことがDNA分析により解明されており、今後、DNA分析により「二足歩行と手機能の発達」や「糖質食と魚介食」、「体毛消失と汗腺機能」などの前後関係も解明できないか、よくわからないままに期待しています。

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□参考

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/