ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

197 「縄文アート論」メモ

 ご飯が大好きで「稲の国」「米の国」と思っていた私が縄文に関心を持つことになったのは、1960年代後半と思いますが岡本太郎さんの写真の「火焔型土器」に衝撃を受けてからです。その後、各地の仕事で縄文土器をみるたびにその個性的な素晴らしさに裏切られることはなく、このデザインは何を表しているのか、ますます関心は高まりました。弥生式土器に感情がかきたてられることがないのとは大きな違いです。

 次のインパクトはこれまた岡本さんの大阪万博の「太陽の塔」(元の名前は「生命の樹」)と「縄文に帰れ」「沖縄に本土が復帰するのだ」のメッセージです。

 翼を広げた白い鳥の背中の「黒い太陽」は原発を象徴し、内部の「生命の樹」は海から生まれた生命の進化を示し、全ての生命が白鳥によって天に運ばれる姿を現しています。鳥の顔は太陽を表しているのではありません。

 「人類の進歩と調和」というテーマに対し、胸の人間の顔は苦悩と怒りを表しており、高度成長期の1960年代の公害、大規模地域開発、原発建設で住民の生活と自然が壊され、東京一極集中が進むことに反撥し、反対していた私にはピッタリでした。―縄文ノート「31 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文」「52 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について」「168 『縄文の今日的意義』『何と対峙しうるのか』『縄文の世界性』」参照

 1985年に縄文彫刻家・猪風来氏を狭山市に招いて行った縄文野焼きの2回目のイベントで沖縄の彫刻家・金城実氏に来ていただいたのは、縄文土器から直感的に縄文と沖縄の繋がりを感じたからでした。

 縄文アートの次の出合いは「まちづくり計画」の仕事で群馬県榛東村の「榛東村耳飾り館」で美しい繊細な土器製の耳飾りを見ることができ、栃木県の旧藤岡町でも大量の耳飾りが出土していたことです。女性のための縄文アクセサリー工房があったのであり、問題はその作家たちが女性なのか、それとも妻問を行う男性によるのかであり、私は群馬の「かかあ天下」は縄文社会から続いていたのではなどと夢想していました。

 群馬県片品村では男性が金精様(男根の形にした木棒)を女体山(白根山)に奉納し、男根型などのツメッコ汁粉を裏山の十二様(山の神=女神)に供える祭りがあることを知り、縄文母系制社会のイメージが膨らみました。その後、長野や山梨の妊娠土偶や女神像との出合いから、縄文母系制社会を確信しました。―縄文ノート「9 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に」(150630)、「32 縄文の『女神信仰』考」、「34 (ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」(151227)、「75 世界のビーナス像と女神像」等参照 

    

 さらに、南インドのドラヴィダ族の1月15日にカラスに赤粥などを与える祭りで粥が沸騰する時に「ポンガロー」とはやし立てる祭り(日本では秋田・青森などに「ホンガ」と唱える行事)を大野晋さんの『日本語とタミル語』から知り、火焔型土器の縁飾りは吹きこぼれを表し、これまで「火焔」「鶏頭」と分析されてきた4つの突起は、天に昇る湯気の中に東南アジア起源の「トカゲ龍神」を表現しているのではないか、と考えるようになりました。―縄文ノート「29 『吹きこぼれ』と『おこげ』からの縄文農耕論」「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」「191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」参照

 土器鍋による「煮炊き料理革命」を先祖とともに祝う神事に縁飾り縄文土器は使われたのであり、その祭りを担ったのは女性であったと考えています。

 岡本太郎さんは岩手の「鹿踊(ししおどり)」やアイヌの「熊祭り」などから「縄文アート」を命を狩り、命をいただき、天に送る荒々しい「縄文狩猟民」の男の芸術ととらえましたが、私は土器鍋料理に使う縄文土器の文様(特に縁飾り)から、縄文アートは縄文採集・農耕と「土器鍋」料理革命を祝い、命(霊(ひ):DNA)の継承を誰よりも願った女性が製作したものであり、豊かな自然に感謝し、霊継(ひつぎ)を願い、祖先霊との共食祭祀を示していると考えています。

 なお、私は円空仏・木喰仏、棟方志功の版画、民芸(民衆的工芸)や浮世絵の一部などは縄文アートの伝統を受け継いでいるのではないか、全国各地の祭り太鼓や火祭り、梅原猛さんらが主張している「ねぶた」などの踊り祭りもまた縄文文化ではないかと考えていますが、母系祭り・アートと父系祭り・アートの関係や、縄文宗教と縄文アートの関係の整理はまだできていません。―縄文ノート「103 母系制社会からの人類進化と未来」「183 八ヶ岳高原の女神・石棒・巨木拝殿・黒曜石・土器鍋食・散村文明」「166 日本中央部縄文文明世界遺産へ向けた研究課題」参照

 アフリカから南・東南アジアを経て日本列島にやってきた宗教・文化の1つとして、人類史の視点からの「縄文アート論」が必要と感じています。―縄文ノート「38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「80 『ワッショイ』と山車と女神信仰と『雨・雨乞いの神』」「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」「114 障害者アートと縄文土器デザイン」参照

 私は糖質(芋豆穀実)・魚介食文化、ヒョウタン、円形建築と高床式建築、霊(ひ)信仰・神名火山(神那霊山)信仰・神籬(霊洩木)信仰、DNAなどからアフリカ・アジアへと大移動してきた縄文人の文化・文明について引き続き追究するのに精一杯であり、「縄文アート論」についてどなたか取り組んでいただけないでしょうか?

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート     http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論         http://hinakoku.blog100.fc2.com/