ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート156 山岸修さん(縄文社会研究会・東京 事務局長)逝く

 昨年の12月19日、縄文社会研究会・東京の事務局長の山岸修さんがALSの治験入院中に肺炎で亡くなりました。

 2011年のことですが、ネットで検索して国際縄文学協会共催の「原発問題を考える」の今井一氏の「国民投票」の講演を聞きに行ったのですが、なんと、京大工学部建築学科西山研究室の大先輩の上田篤氏(当時、助教授)の講演が同時に行われたのです。そこで石飛仁氏(出雲古代史研究家・劇作家・演出家)の講演チラシ「縄文出雲古代序説―オオクニヌシは縄文最後の大王だった」を受けとって聞きにいき、かつて『現代の眼』編集長であった山岸修さんに40年ぶりに出会い、2013年から私は上田さん主宰の縄文社会研究会に共に参加するようになりました。

 山岸さんは『京大新聞』→『現代の眼』→『季刊日本主義』と編集に携わっており、私は『現代の眼』からの出会いであり、『季刊日本主義』には主にスサノオ大国主建国論と縄文論(霊信仰、起源論)について書かせていただきました。

 写真1左は『季刊日本主義』関係の日比谷梁山泊メンバーと行った三内丸山遺跡での山岸さん(左端)と長沼節夫さん(右端:飯田市出身で山岸さんの寮友・京大新聞社友のジャーナリスト)で、写真2は同遺跡の巨木6本柱建築の柱の大きさを確かめている様子です。

         

 写真3は縄文社会研究会の八ヶ岳尾島山荘合宿で茅野市の中ツ原遺跡の巨木8本柱建築の柱と「2尋(ひろ)」(尋は両手を広げた長さ:1.8m)の長さを確認している様子、写真4は縄文社会研究会・東京の八ヶ岳合宿で尾島俊雄顧問の山荘で縄文服をお借りして撮影したものです。

 

         

 ちなみに、イヤナギ・イヤナミがオノゴロ島(筆者説は出雲の揖屋の古代の意宇川河口の中州)に降り立った時、そこには「八尋殿(やひろどの)」(尋は両手を広げた大きさ:1.8m)があったと古事記には書かれていますが、それは1.8×8=14.4mの巨大な建物であり、出雲大社本殿(正面幅13.4m)に匹敵する大きさです。

縄文とイヤナギ・スサノオ大国主時代の建築文化は繋がっているのです。

 信州出身の山岸さんとは日本中央縄文文化(長野・新潟・群馬・山梨など)の世界遺産登録運動を進めることを相談していたのですが、諏訪と関りの深い尾島俊雄顧問を中心に残されたメンバーで引き継いでいきたいと思います。

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  ヒナフキン邪馬台国ノート  http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/