196 縄文・古代郷土史のすすめ
gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」で連載を始めた「スサノオ・大国主建国論2 私の古代史遍歴」(221013)で私は全国各地の郷土史の問題点について次のように書きました。(連載は7で中断)
全国各地の仕事では市町村史を必ず見てきたが、不思議だったのはどこにでも必ずある縄文・弥生遺跡の次は朝廷支配が及んできた記述となり、各地にあるスサノオ・大国主一族の神社が示す歴史についてほとんど触れていないことであった。祖先霊を祀る宗教施設であるスサノオ・大国主系の神社があり、しかもスサノオ・大国主に関わる伝説がある以上、スサノオ・大国主王朝の影響が及んだに違いないのであるが、大和中心・天皇中心史観の郷土史家たちは無視しているのである。
元:スサノオ・大国主建国論2 私の古代史遍歴 - ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート (goo.ne.jp)
第1の問題点は、「未開の縄文、進んだ弥生」という、縄文時代から弥生時代(土器名による時代区分はすでに破綻)へ大きな転換がおきたとする縄文・弥生断絶史観です。
1万数千年の母子主導の「採集栽培・漁労縄文社会」を男主導の「狩猟採集社会」としてとらえるとともに、「縄文農耕(芋豆穀実栽培)」から「水利水田稲作」への自立的・内発的な発展を無視していることです。
瀬戸内海の淡路島やしまなみ海道、山陰の市町村などにまちづくり計画の仕事で通っている時、夕方になると釣竿とバケツ持って女性や高齢男性などが岸壁で釣りをして夕食の魚を釣っている光景をよく見かけ、各地の市町村での座談会では中高年の人たちが「子どもの頃の遊びは、ほとんど食料調達だった」と懐かしそうに話すのをよく聞き、私も海に泳ぎに行くと貝を足で採り、釣りもよくしたものです。縄文時代から日本列島は豊かな海と山の幸に恵まれていたのです。
西洋中心史観は男性中心の「狩猟・肉食・戦争進歩史観」ですが、日本の多くの歴史家・考古学者も自然条件を無視してその受け売りに終始しています。熱帯雨林での「糖質・DHA食」に支えられた人類の頭脳の発達を無視し、母子中心の「採集栽培・漁労進歩史」を認めていません。「石先槍」には興味はあっても、骨製の「銛」や「釣り針」には関心が薄いのです。―縄文ノート「89 1段階進化説から3段階進化説へ」「111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」「178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」参照
「狩猟・肉食・戦争進歩史観」から離れ、縄文社会をベースにした郷土史を再構築して欲しいものです。
第2の問題点は、各郷土史が「縄文時代→弥生時代→古代天皇制」の記述になっており、記紀(古事記・日本書紀)や出雲国・播磨国風土記などに書かれたスサノオ・大国主7代の「葦原中国(あしはらのなかつくに)」「豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)」の建国史を無視し、各地にある神社伝承や祭り、民間伝承、地名などをスサノオ・大国主建国と結びつけて検討していないことです。
私は「石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代」という分類基準に統一性のないガラパゴス的な「イシ・ドキ・ドキ・バカ時代区分」として揶揄し、食生活と採集農耕漁労文化の道具を分類基準として「木骨石器→土器(土器鍋)→鉄器(鉄先鋤)」の時代区分を提案し、「縄文栽培・農耕」(芋豆穀実の焼畑農耕)から沖積平野での「鉄器水利水田稲作」への大転換こそ古代国家形成にも関わる時代区分とすべきと考えてきました。
そして、この後者こそ魏書東夷伝倭人条などに登場する紀元1・2世紀の男王の7~80年の「百余国」の「委奴国(ふぃなのくに)」であり、スサノオ・大国主7代の「葦原中国」「豊葦原水穂国」であることを明らかにしてきました。―『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』等参照
記紀・風土記などの記述と全国各地の豊富な遺跡・遺物、神社・民間伝承、地名などを総合的に照合した郷土史が求められます。
第3の問題点は、「弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観」や「弥生人大量渡来史観」とともに、「天皇家弥生人説」や「スサノオ・大国主一族弥生人(朝鮮人)説」が見られることです。
古事記は薩摩半島南西端の笠沙・阿多のニニギからの阿多天皇家の2代目を「海幸彦(漁師:隼人=はやと)」「山幸彦(猟師:山人=やまと)」兄弟とし、山幸彦・ホオリの妻は龍宮(琉球)の豊玉毘売(とよたまひめ)とし、その子の鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)は豊玉毘売の妹の玉依毘売(たまよりひめ)を妻としたと伝えています。そして、その子の若御毛沼(ワカミケヌ)が大和(おおわ)に入り初代「神武天皇」(8世紀の諱=忌み名)になったとしているのであり、縄文人の一族とみなしており稲作民の王とはしていません。
また記紀によれば、高天原は「筑紫日向(ひな)橘小門阿波岐原」(地名からみて福岡県旧甘木市蜷城(ひなしろ))にあるとしており、高天原を朝鮮半島とする「天皇家弥生人(朝鮮人)説」が成立する余地などありません。天皇家は薩摩半島南西端の縄文山人(やまと)族なのです。―「ヒナフキンの縄文ノート193 『やまと』は『山人』である」(240515)、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照
さらに「スサノオ・大国主一族弥生人(朝鮮人)説」も見られますが、記紀によればスサノオ・大国主一族のルーツは壱岐・対馬を拠点とした縄文海人族であり、魏書東夷伝倭人条や『三国史記』新羅本紀、記紀のどの史書からみても壱岐・対馬の海人族朝鮮人説など成立しません。最近、出雲人のDNA分析の結果は、出雲の人たちが縄文系であることが明らかとなっています。
「万世一系」の天皇中心史観の歴史家たちは、天皇家を稲作文化・文明を担った弥生人の建国王とし、新羅と米鉄交易を行い鉄器水利水田稲作を全国に広めた縄文海人(あま)族のスサノオ・大国主一族の「葦原(沖積平野)」の「水穂国」づくを無視していますが、縄文1万数千年の文化・文明こそこの国の基底文化・文明であることを隠し、「弥生社会」像を全面に押し立てて「弥生天皇」像を創作しているのです。
全国的に縄文遺跡の発掘が進み、民俗学の蓄積のあるわが国には、「記紀、風土記、地名、神社・民間伝承、遺跡・遺物」の5点セットの縄文・古代史の宝庫が全国各地にあるにもかかわらず、バラバラにされて眠ったままなのです。
「天皇中心史観(新皇国史観)」病にかかっていない若い世代の皆さんにより、1万数千年の縄文時代と紀元1~4世紀のスサノオ・大国主一族の建国史を「食・農耕・倭音倭語・祭り・宗教」などの文化・文明史として繋ぐ新たな縄文・古代郷土史が各地で生まれることを期待したいと思います。
そして視野を世界に広げて、この縄文文化・文明こそ侵略神一神教以前にかつて全世界にあった母系制社会の文化・文明であり、縄文・古代郷土史から世界遺産登録に向けた取り組みを各地で開始して欲しいものです。―縄文ノート「11 『日本中央部土器文化』の世界遺産登録をめざして」「49 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」「59 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり」「77 北海道・北東北の縄文世界遺産登録の次へ」「82 縄文文明論の整理から世界遺産登録へ」「160 『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録にむけて」「161 『海人族旧石器・縄文遺跡群』の世界遺産登録メモ」「166 日本中央部縄文文明世界遺産登録への研究課題」「186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」等参照
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
ヒナフキンの邪馬台国ノート http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/