ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート93 母系制社会からの人類進化と未来

 人類の誕生から始まる「母系制社会からの人類進化と未来」のまとめに入りましたが、9月10・11日に諏訪・安曇野・佐久で「女神」をテーマに調査を行い、その報告に1カ月もかかってしまいました。

 私はこれまで「夜這い・妻問婚の母系制・母父系制社会」「母系制の土着性と父系制の交流性」「家など生活手段母系、船・漁具など生産手段父系」「母子サルの熱帯雨林の沼地での採集・漁撈による糖質・DHA食と二足歩行・ヤス使用による人類誕生」「祖母・姉妹の子育て支援からの母系制」「女性による霊(ひ:祖先霊)祭祀」「女神(山の神)にささげる男根石棒」「父系制後の夜這い・若衆宿など母系制の残存」などを検討してきましたが、ここで母系制社会論をまとめておきたいと思います。

 2025年には大阪で再び万博が開かれますが、前回の1970年の大阪万博において、「縄文に帰れ」「本土が沖縄に復帰するのだ」「自分の中に毒を持て」と述べていた岡本太郎氏は、「生命の樹」(太陽の塔に名称変更)の背中には「黒い太陽(原発)」、頭には「鳥の顔」、腹には「歪んだ(怒った)人の顔」、地底には「海の顔」(黄泉の顔)を置き、塔の内部には海から産まれた無数の生命進化を示すオブジェを生命の樹に配置し、天に飛び立つ両翼を持った塔は「お祭り広場」の中心に置かれましたが、福島第1原発事故を体験した55年後の私たちは彼の主張に応えているでしょうか?

 縄文芸術の価値を世界に初めてアピールし、「縄文に帰れ」と主張した岡本太郎氏の問いかけを今こそ日本中央縄文文明の世界遺産登録運動として再発信すべきと考えます。―「縄文ノート14 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」参照

f:id:hinafkin:20211017164724j:plain

1.「母系制・父系制」と「母権制父権制」の定義

 ウィキペディア母系制について、「母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度である」とし、「母方の血筋をたどる(母系出自)」「母方の財産を相続する(母系相続)」「結婚後も夫婦は別居、もしくは妻方(母方)の共同体に居住する(母方居住制)」と具体的に述べ、「母系制により姓が変わることがあり得ることで、そのような場合に氏族名は母系を名乗るが、出自には父系も含めることができる」ことを「重要なこと」として特筆しています。

 

f:id:hinafkin:20211017165025j:plain

 また母権制については、「母系制を尊重し、妻方を主体とする共同体内で婚姻生活を営み(妻方居住婚)、さらには一族の家長(家母長制)、首長的地位を女性が優先して有する社会制度を指す」としていますが、「これを原始共産制とよび、この説はエンゲルスにも支持されマルクス主義の教義にもなったが、20世紀に入ると説中の例示に脆弱さがあったこと、科学的立場からの反論、母系制との混同と誤謬を徹底的に指摘され、人類発展史の一段階としての母権制を想定する説は否定され、現在の文化人類学者で支持する者はほとんどいない」としています。

 一方、父系制については、「父方の血筋による血縁集団を基礎とする社会形態や制度」とし、「父方の姓を受け継ぐ(父系出自)」「父方の地位を受け継ぐ(父系継承)」「父方の財産を相続する(父系相続)」とし、父権制(家父長制)は「家長権(家族と家族員に対する統率権)が男性たる家父長に集中している家族の形態」としています。

 ただし、日本では「明治民法でも家長権は戸主権として法的に保証されていたが、古代ローマと異なり、女性も例外的に家長たりえる(女戸主)、家長権の絶対性・包括性は無く、個々の権利義務の集まりでしかないなどの違いがあった。1947年の家制度廃止により消滅」とされています。

 私の母方の祖母は夫が若くして亡くなり、祖母の両親が娘を助け、叔父が母親を支えて祖母は家父長として威厳を保ってふるまっていましたし、父方の叔母は子どものない他家に財産権を譲るという条件で養子に入り婿をとっていましたから、庶民の家では父権制は絶対的なものではなかったのではというのが私の体験的感覚です。渡辺京二氏の『逝きし世の面影』では、幕末から明治にかけての外国人の「庶民の女たちの地位は支配者の妻たちの地位よりはるかに高い」という認識を紹介していますが、これは魏書東夷伝倭人条に書かれた3世紀の女王国・邪馬壹国の「会同に坐起するに父子・男女別なし」という老若男女の伝統を示しています。

 表1に示した定義からみて、「母権制父権制」は「母系制・父系制」の特殊派生型とみてよく、以下、「母系制・父系制」について論じたいと思います。なお、マルクス・エンゲルスは「原始共同制」を理想として描きましたが、母系制の家族形成・氏族社会形成の歴史を無視した空想と言わざるをえません。戦争・略奪こそが父権制への移行と富の集中を進めたのです。

 

2.母系制・父系制のこれまでの検討

 これまで、この「母系制・父系制」については様々な角度から考えてきました。長い引用で重複もあって恐縮ですが、末尾に「資料:母系制・父系制の検討」として要点のみ引用します。

 これまで、ブログを読んでいただいた方は、スルーしていただければと思いますが、そうでない方は走読みしていただければと考えます。

 

3.縄文時代は母系制社会であった

 ウィキペディアでは母系制について、「出自・姓・財産・居住・家長権」の5つの指標から、「母方血筋・母系姓・母系相続・夫婦別居又は母方居住制・母系家長継承」の社会としていますが、私は人類の起源から「進化・求婚・家族形成・セックス・食料確保・定住・交換・霊(ひ)信仰」の8つの指標をプラスし、人類誕生から農耕・都市形成に至るまで母系制社会であり、その文化・宗教は日本では1万数千年の縄文社会から底流として現代に続いており、「西欧中心・男中心の戦争・奴隷文明」の見直しに向けて、「霊(ひ)継ぎ=DNAの継承=命」を中心においた未来社会への転換を図るべき時と考えています。

 

f:id:hinafkin:20211017165126j:plain

 この文明観の転換において、八百万神の霊(ひ=DNA=命)信仰のわが国の縄文1万数千年から続く歴史は西欧中心・男中心・戦争進歩史観の文明観を変える重要な役割を果たすことができ、日本の中央部に残された縄文文明の世界遺産登録を通して全世界にアピールすべきと考えます。

 なお、日本中央の「山人(やまと)縄文文明」の世界遺産登録に続いて、私は琉球から南九州、瀬戸内、出雲、若狭、能登にかけての「海人(あまと=あま)縄文文明」についても別途、世界遺産登録を進めるべきと考えています。

 

<資料:母系制・父系制の検討>

① 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本:140811→191217)

  • ひな 21:33

 古事記風土記の人名でもう1つ注意しなければならないのは、妻方に合わせた名前を夫がつける「妻問夫招婚名」があることです。大国主に別名が多いのは、彼が各地で妻問いを行い、180人の御子をもうけ、その先々で「○○の夫」という名前で呼ばれていたからと思います。

 例えば、丹波出雲大神宮には、大国主は「三穂津彦大神・三穂津姫」の夫婦名で祀られており、妻の「三穂津姫」の名前に合わせて「三穂津彦」と名乗っていたと思います。・・・

  • ひな 21:39

 大国主が高志国の沼河比売を婚(よば)う時、2人が交わした長い歌が古事記に載っています。実際には後世に作られた歌かも知れませんが、歌垣の伝統が長く続いていたことを示しています。

 これを見ると、略奪婚というより母系制社会の妻問い婚だったと思います。 ・・・

  • カントク

 今も漁師町では家計は妻が握っているんだ。危険な漁や交易に従事する男は妻に家を任せる以外にないし、魚を売るのは女の役割なんだ。一方、船は夫の物だし、交易で遠くに出かけるとそこで入り婿になることも多いから、父母両系制だったと思うよ。

 

⑵  『季刊日本主義』44号「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(原題「未来を照らす海人(あま)族の『海洋交易民文明』―『農耕民史観』『遊牧民史観』から、『海洋交易民史観』へ」)  180816→1127→190219

 「遊牧民文明の一神教ユダヤ・キリスト・イスラム教)の優生思想・選民思想のもとでの『自然支配思想(農耕・牧畜・養殖・エネルギー・都市化を含む)』『武力征服思想』『世界経済支配思想』の行き詰まりに対し、海洋交易民の死者は海と大地に帰り、蘇り(黄泉帰り)再生する」という母なる自然崇拝、死者の霊(ひ)を祀り受け継いでいく祖先霊信仰、死者の霊(ひ)を神として祀る八百万神信仰、信仰心を持たない動物も神となり神使となるという類愛思想、妻問婚の母系制・母父系制社会、『妻問婚と言向和平』による交流・交易・外交による平和な国づくりなど、世界に向けて新たな文明観を提案すべきと考えます」

 「アフリカ北西部を源流とする『主語―目的語―動詞』構造の日本語が、どのように日本列島で広まったのかについてさらに検討を行うことにより、母系制の土着性と父系制の交流性を合わせもった縄文経済・社会・文化を明らかにするとともに、始祖が遠い海の彼方からやってきたという琉球海人族の『アマミキヨ』始祖伝説と、記紀の『アマテラス』始祖伝説(筆者説:アマテル)のどちらが先であったかの検討をさらに進め、アマテラスが派遣した天孫ワカミケヌからの万世一系の男王支配の皇国史観の歴史改ざんの誤りを明らかにしたいと考えます。」

 

縄文ノート10 大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰 200307

 三内丸山遺跡からは、北海道・長野県霧ヶ峰の黒曜石や、新潟県糸魚川翡翠岩手県三陸琥珀秋田県アスファルトなど、各地からの産物が発見されています。

 一般的な考えは、漁民であった縄文人が丸木舟に乗って広く交易を行っていたという仮説ですが、縄文人母系制社会であると考えると、これらの貴重品は単なる交易によるものではなく、男は貴重な黒曜石のナイフや槍の穂先、鏃、装飾品の翡翠琥珀などの贈り物を持って、各地から妻問いにこの地を訪れた可能性が高くなります(上田篤著『縄文人に学ぶ』新潮新書)・・・

 女性を形取った土偶は、女性を神とあがめる母系制社会の信仰を示しており、女性が死んだ後、その霊(ひ)が宿る土偶を壊し、母なる大地に帰すという地母神信仰を示しています。もし、男系社会であれば土偶は男ばかりでしょう。・・・

古事記には、大国主の妻が「打ち廻る 島の崎崎 かき廻る 磯の崎落ちず(もれず) 若草の 妻持たしめ」と嫉妬して詠んだとされる歌が載せられていますが、彼は糸魚川から筑紫まで船で行き来し、各地の「島の崎崎」「磯の崎」で妻問いし、180人の御子を設けたのです。大国主の時代もこの国の海人族が母系制社会であったことを示しています。

 

縄文ノート11 「日本中央部土器(縄文)文化」の世界遺産登録をめざして 200307

 母系制社会を示す地母神信仰の遺跡・遺物と宗教行事が残っている(性器信仰、片品村の赤飯祭り、女体山・男体山・金精山信仰、神使の猿追い祭り、女性土偶、黒曜石・ヒスイ妻問交易圏など)。

 

縄文ノート12 琉球から土器(縄文)時代を考える 200314

 今でも漁村では、家計は女性が握っていて女性の地位が高く、漁民社会であった縄文人もまた母系制であった可能性が高いと言えます。海にでる男性はいつも死と隣り合わせであり、魚との物々交換・売買など家の経済や子育ては女性に任せる、という漁民・海洋交易民の伝統は石器・土器時代に遡るとみるべきと考えます。一方、海の上は男性社会であり、舟の継承などは男系であったと考えられます。

 

縄文ノート13 「妻問夫招・夜這いの『縄文1万年』」  181201→190308→200401

 日本民族」はDNAからみれば、3~4万年に渡って絶えずアジア各地から多様なDNAを受け入れ融合してきていますが、「日本文明」という視点からみれば、沖縄から北海道まで活発に交流・交易し、1万年にわたる豊かで平和な時代を築き、土器文明、自然と調和した健康で安定した煮炊き食文明、始祖神を女性とし霊(ひ)継ぎを行う母系制社会会同・座起に「父子・男女無別」の平等な母父系制社会、芸術的な土偶・土器文化、死者の霊(ひ)は海と大地に帰り、黄泉帰って霊(ひ)人・霊(ひ)子・霊(ひ)女・霊(ひ)御子・霊(ひ)留子・霊(ひ)留女などになるという海神信仰・地神(地母神)信仰など、独自の文明を形成してきました。私は地中海文明とともに、多島海日本列島の海洋交易民の「日本文明」こそ、豊かで交流・交易・外交による平和な世界の構築へ向けたモデルとなると考えます。

 

縄文ノート14・31 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文 191004→200726→210404

「魂」字は「雲+鬼」で「天上の鬼=祖先霊」なり、「魏」字は「委(禾+女)+鬼」で「鬼(祖先霊)に女が稲を捧げる」という字になります。「姓名」の「姓」は「女+生」(女が生まれ、生きる)ですから、もともと中国の姫氏の周時代は母系性社会であった可能性が高く、魏はその諸侯でした。孔子の「男尊女卑」も「尊(酋(酒樽)+寸)」「卑(甶(頭蓋骨)+寸)」からみて、「女は頭蓋骨を掲げ、それに男は酒を捧げる」という宗教上の女性上位の役割分担を表しており、孔子は周時代の母系制社会を理想としていたことを示しています。

卑弥呼の「卑」字は「甶(頭蓋骨)+寸」からなり、「祖先霊を手で支える」という意味であり、八百万神信仰の倭語では「霊(ひ)巫女」になります。「巫女」は「御子」であり、死者の霊(ひ)を祀る子孫の女性を表します。

 

縄文ノート15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰 190129・0307→200411

3.霊(ひ)信仰の現代的意義

 今後、「『日本中央部土器(縄文)文化』の世界遺産登録」、「出雲大社を中心とする『八百万神信仰』の世界遺産登録」などを展開するにあたっては、重要なテーマと考えます。

① 霊(ひ)=DNAの継承を重視する生命尊重の「命のリレー」「霊継」の宗教であり、現代科学と合致し、あらゆる宗教の共通価値を示している。

② 「死ねば誰もが神となる」という「八百万神」の多神教は、選民思想・優生思想とは無縁であり、人命尊重・非戦・被差別の宗教である。

③ (ひ)を産む神として女性を崇拝する宗教である。性交を「受け霊(ひ)」という女性側の発想である。

④ 禁欲を求めるユダヤ教キリスト教とは異なり、性器を信仰し、「産霊(むすひ=むすび)」を神聖なものとみなし謳歌する宗教である。

⑤ 霊(ひ)を運ぶ動物たちを神使とする生類愛の宗教である。

 

縄文ノート23 縄文社会研究会 八ヶ岳合宿報告  200808→0903

② 立石から石列の道を蓼科山に向けた阿久(あきゅう)遺跡(縄文前期)、環状に配置した集落の中心に立石を置いた平出遺跡(縄文中期)、立石の回りに円形石組や環状列石を置いた大湯環状列石(縄文後期)など、いずれも大地を母とし、その円形性器に石棒を立てた祭祀施設であり、縄文時代母系制社会であったことを示しています。

③ 妊娠姿の女神像もまた、縄文時代母系制社会を示しています。壊された妊娠土偶とは異なり、これらは地母神を「女神像」として表現したか、あるいは神那霊山(かんなびやま)信仰・神籬(ひもろぎ)信仰の儀式を行う巫女(司祭者)像を表し、信仰対象としていた可能性が高いと考えます。

 特に、「巳を載く神子」と「仮面の女神」は、女性が仮面をかぶったように見え、巫女像の可能性が高いと考えます。

④ 一方、壊されて破棄された多くの人物土偶(ほとんどは妊娠女性)については、「世界的には、こうした土製品は、新石器時代の農耕社会において、乳房や臀部を誇張した女性像が多いことから、通常は農作物の豊饒を祈る地母神崇拝のための人形」(ウィキペディア)という地母神のほか、安産・多産のお守り、病気やけがなどの身代り人形、子供の玩具・お守り説などが見られます。

  私は縄文人の宗教は死者の霊(ひ)・魂(たましい=玉し霊)信仰と考えており、死者の霊(ひ)は大地に還り、再び「蘇る(黄泉帰る)」と考え、大地に帰った死者の霊(ひ)を形作った依り代として土偶を造り、霊(ひ)が胎内に取り込まれて無事に安産した時には抜け殻となった土偶は壊され、大地に還されたと考えています。安産を願う依り代の「霊人形(ひとがた)説」です。

⑤ この「霊(ひ)信仰」は、乳幼児の死体を子宮を模した壺に入れ、さかさまにして住居の入口に埋め、その上を母親がまたいで通ることにより、再び霊(ひ)が胎内に帰ってくることを期待した「埋甕(うめがめ)」からも裏付けられます。

  後に水利稲作時代に入ると吉野ヶ里遺跡などの大型の「甕棺」に引き継がれ、内部が朱で満たされた大地の子宮に模した柩(ひつぎ=霊(ひ)継ぎ)に死者を葬り、霊(ひ)の再生を期待しています。

  縄文時代の宗教はそのまま紀元前後からの鉄器稲作時代に引き継がれ、さらに「ひつぎ(柩・棺)」名として現代に続いているのです。

⑥ 女性顔面付土器や赤子が女性器から顔をのぞかせた出産紋土器は、地神(地母神)信仰のもとで、土から作った女性型の聖なる容器で料理して食事をするという「地神との共食」文化を示しています

 

縄文ノート24 スサノオ大国主建国からの縄文研究 201212

 「縄文人弥生人の二重構造」説が見られますが、日本がベトナムインドネシア・フィリピン・台湾のような多言語多文化の多民族国にならなかったことからみて、部族単位の何次にもわたる移住はなく、母系制縄文社会へ少数男性や小規模家族の継続的な漂着と亡命により、共通言語・文化社会となったことが明らかです。縄文1万年に毎年10人の漂着者・移住者があれば10万人の人数になります。

 

縄文ノート32 縄文の「女神信仰」考 200730→1224

 「縄文のビーナス」「仮面の女神」「始祖女神像」「縄文の女神」や、多くの妊娠土偶からみて、この女神像や妊娠土偶が「死者の霊(ひ)が大地に帰り、再び黄泉帰る」という「地神(地母神)信仰」「霊(ひ)信仰」「霊(ひ)継ぎ信仰」に由来していることについては、納得されると思います。

 群馬県片品村では、女体山白根山)に男性が男根を捧げる祭りや性器型のぜんざいを山に捧げる祭り、大地に赤飯を撒く祭りが残っており、山=女神であり、女神が嫉妬するので女人禁制の祭りとなったと考えられます。石棒(金精様)は母系制社会のシンボルと考えられます。

 周王朝姫氏の諸侯であった「魏」(禾(稲)+女+鬼)は「鬼(祖先霊)に女性が禾(稲)を捧げる国」であり、魏の曹操は「われは文王、姫昌(きしょう)たらん」と述べ、孔子が理想とした周王朝を再建したいという「志」を持っていました。

 魏国が鬼道の女王・卑弥呼(霊御子)に対して格段の「王侯」に匹敵する金印紫綬を与えたのは、姫氏を想起させる母系制社会であったからと考えます。

 

縄文ノート34 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に 150630→200826

 明治維新までに日本いたるところで行われていた性器信仰は、土器(縄文)時代の石棒と円形石組みによる地母神信仰(地神信仰)を引き継いだものであり、母系制の海人族の祖先霊信仰の伝統文化として未来に残すべきと考えます。

 

縄文ノート38  霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰 201026

 私は父方の先祖の墓に刻まれた「日向(ひな)」名から古代史研究に入り、「日」が太陽ではなく「霊(ひ)」を表しているという結論に達し、大国主を国譲りさせた「武日照(たけひなてる:武夷鳥)」からスサノオ大国主建国説にたどりつき、さらに高天原の所在地である「筑紫日向橘小門阿波岐原」の「日向(ひな)」から、邪馬壹国の位置が旧甘木市の「蜷城(ひなしろ)」であることを突き止めました。

 また、栃木方言では「ひな」がクリトリス(陰核)を指しているという指摘を受け、「ひな」が母系制社会の女性器信仰を示し、そのルーツが琉球にあることを突き止めました。

 

縄文ノート41 日本語起源論と日本列島人起源  200918→1023

 (注:インドのドラヴィダ族の)ポンガルは「沸き立ち、泡立つお粥」の意味で、結婚している女性の祭りとされていますので、母系制社会の祭りと思われます。

 縄文の石棒とインドのリンガ(男性器)・ヨニ(女性器)信仰の類似性については「資料9 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)について」で書きましたが、片品村金精(男根)を女体山日光白根山)などに男性が奉げるのは山の神を女性と考えているからであり、母系制社会の祭りであることが明らかです。・・・

 チベットの南のブータンにも日本と同じような性器信仰や夜這い・母系制文化が残っているとされていますが、縄文時代には石棒=男根信仰があり、古事記には大国主沼河比売(奴奈川姫)の家に「用婆比」に来たという歌があり妻問夫招婚であったことを伝えています。さらに金精信仰は明治政府が禁止するまで各地に色濃く残っており、今もその名残が各地に見られます。

 

縄文ノート48 縄文からの「日本列島文明論」200729→0826→0909→1112

 この「部族共同体文明」はマルクスの家族単位の「原始共産社会」やエンゲルスの氏族単位の「氏族社会」とは異なり、母系制の妻問夫招婚と共通の祖先霊祭祀、活発な交易により、海人族系と山人族系からなる部族など、「氏族」単位を越えて大きくなった社会を想定しています。

 

縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社 210202

 出雲の揖屋のイヤナギ・イヤナミ(伊耶那岐・伊邪那美)神話によれば、オノゴロ島(筆者説:自ずと凝った意宇川の沖積平野)に天下った時(筆者説:対馬暖流を海下った時)、そこには「天御柱」と「八尋(やひろ)殿」があり、その「天御柱」を二人は左右から廻り、セックスして国々や神々を生んだとされています。記紀では夫婦神が天下ったとしていますが、母系制社会の海人族の妻問夫招婚揖屋神社の祭神がイヤナミ(伊邪那美:通説はイザナギ)であること、イヤナミが先に「あなにやし、えをとこ(あれまあ、いい男ね)」と声をかけたとしていること、出雲大社の始祖5神を「別天神(ことあまつかみ)」としていることからみて、壱岐対馬の海人族の「ナギ」が揖屋を訪れ、王女・イヤナミと結ばれ、入り婿名で「イヤナギ」と呼ばれたのではないかと私は考えています。

 

縄文ノート52 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について

 私は母系制社会地母神信仰から、環状列石や石棒を立てた円形石組縄文人は女性器と考え、朱で満たした甕棺や棺・柩(霊継)を子宮としてみており、土偶は霊(ひ)が宿るお守りで無事に出産して霊(ひ)が子どもに移った後には破壊して大地に帰したと考え、さらに海と川、大地と山、天を結び付ける龍・龍蛇神信仰(トカゲ蛇信仰)や、大物主大神蛇として夜這いする神話から男性器の亀頭を蛇頭に見立てる信仰についても主張してきましたので、大島氏の環状列石女性器説や蛇信仰説は支持します。・・・

 赤子が土器の腹の部分から顔をのぞかせた出産文土器北斗市津金御所前遺跡)や埋甕(うめがめ:塩尻市平出遺跡)、顔面土器(富士見町井戸尻考古館等)と合わせてみると、これらは母系制社会の「霊(ひ)継」「霊(祖先霊)=神との共食」、「霊(ひ)の再生」を願うデザインとみるべきと私は考えています。

 

縄文72 共同体文明論 210507

 縄文社会研究からみても、縄文中期・後期には狩猟・漁撈・採取だけでなく干物・塩生産、栗栽培や焼畑農耕、黒曜石採掘・加工、土器・装飾品(耳飾り・貝輪・ヒスイ・コハク等)生産、交易などの地域的・広域的分業が行われている母系制の氏族・部族社会であり、祖先霊信仰の共同体祭祀を行う階層社会であり、共同体的生産の農耕社会化とスサノオ大国主建国へと連続していたことが明らかです。

 マルクス・エンゲルスが描いた「原始共産制説」や「奴隷制社会説」は19世紀の西欧の歴史学・考古学・人類学などのレベルの空想に過ぎず、西欧の好戦的軍事氏族による侵略・略奪・生産手段独占・宗教支配が階級社会を生み出したという「軍事進歩史観」であり、氏族・部族共同体社会の分業化が進み、交易・技術・公共事業・共通祭祀を主導した氏族・部族による建国の歴史を無視した偏った歴史観と言わざるをえません。

 

縄文75 世界のビーナス像と女神像  210524

 ギリシア・ローマ文明の「ヴィーナス像」が征服戦争による女性奴隷化により男性優位の父系制社会を示すのに対し、安産・多産を願う「女神像」は母系制社会の宗教を示しています。・・・

 西欧中心主義のマルクス主義を含む歴史学の輸入・翻訳学者によって、日本の縄文時代は「野蛮・未開文明」に押し込まれ、軍国・侵略主義のユダヤキリスト教ギリシア・ローマ文明を世界標準とする歴史観を世界に押し付けてきました。

 その結果、家族・氏族・部族共同体の母系制社会段階は、歴史から葬り去られ、マルクス・エンゲルスによって「共同体社会」は「奴隷制社会」の前の「未開社会」とされ、歴史を貫く「家族・氏族・部族・市民共同体」の主体的な共同体社会像の探求は葬りさられてしまい、理想社会は「原始共同体社会」への回帰とされてしまいました。

 

縄文ノート84 戦争文明か和平文明か

 母系制社会が家族を作り、地母神信仰を生み出し、「死肉あさりと狩りと縄張り争い」が男の役割であったのです。いつまでも「狩猟・戦争文明」の男性優位の偏った西欧文明を投影してサルからヒトへの進化を見るべきではないと考えます。

 この母系制の家族・氏族社会で食料確保と育児・教育などの分担・共同や分業・協業の機会が生じると飛躍的にコミュニケーションが増え、言語能力が高まるとともに経験の継承が行われ、安定した食料による自由時間の増加や長寿化は文化を育み、集団の教育・学習力を高め、脳の肥大化を促したと考えられます。

 

縄文85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか 210713

 3歳までに頭脳は発達しますから、このような毎日の直立歩行により、メスと子サルの熱帯雨林での川や沼での食物採取活動こそが二足歩行を定着させ、そこに群れからボスに追われたオスが加わり、安定した家族が形成された可能性が高いと考えます。このような熱帯雨林での「芋穀魚介食」こそメスを中心とした家族の自立を促し、妻問夫招婚の母系制社会の人類の誕生を生み出したのです。

 

縄文88 子ザルからのヒト進化説 210804・16

 コロブスのメスザル同士の助け合いは人類の母系制社会の共同体成立の手掛かりになるものと考えます。なおコロブスのメスたちが血縁でないのか、それとも祖母や姉妹などの血縁関係があるのかどうかはわかりませんでした。

 

縄文89 1段階進化論から3段階進化論へ 210808

 この縄文文明・文化は世界の母系制社会の地母神信仰などを示す「世界標準文明」の1つといってよく、世界各地の母系制社会段階の解明に大きな手掛かりを与えるものです。

 さらに「狩猟・牧畜・農耕」「略奪・戦争」「父系制」「絶対神一神教教」の「肉乳麦食文明」「森林破壊・石造文明」に対し、「採集漁撈→農耕漁撈」「交易和平」「母系制」「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教」の「芋穀豆栗魚介食文明」「森林・木造文明」という独自の発展をとげ、3・4世紀には各地に女王国があったわが国は、環境・食料・格差拡大・紛争戦争の危機に対し、西欧中心文明の見直しに向けたヒントを提案できると考えます。

 

縄文90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制  210822

1 母系制社会についての検討方法

 古代文明母系制か父系制かについての検討は、次のような4つの方法が考えられます。・・・

⑴ サル・類人猿の共同体・家族形成からの推定方法・・・

⑵ 遺跡・遺物からの推定方法・・・

⑶ 古代神話など文献からの推定方法・・・

⑷ 現代の民俗・文化からの推定方法・・・

 私は人類拡散にともない、「主語-目的語-動詞」言語、ヒョウタンやイネ科穀類、神山天神信仰(神名火山信仰)、女神信仰、蛇神・龍神信仰、黒曜石利用、円形住宅・墓地、筏が伝播したことを明らかにしてきましたが、母系制社会とそれに伴う神話もまたアフリカでの人類誕生を起源として世界に広まったのです。

2 メソポタミア文明の母系制

 女神イシュタル信仰は中東から地中海の諸国の女神信仰へと広がり、「イシュタル信仰は後代まで続き、ギリシアアフロディーテ、ローマのウェヌスに姿を変えて崇拝され続けたが、そのあまりに強大な信仰は一神教ユダヤ教キリスト教から敵視され、果てには『バビロンの大淫婦』と罵られることとなった」と女性蔑視の蔑称の烙印が押されていますが、それだけにかえって根強い女神信仰があったことを示しています。

 メソポタミア神話の最古のシュメール神話は、「海の女神」ナンム(Nammu)が天地を生み、全ての神々を生んだ母なる祖先と称され、蛇の頭を持つ蛇女神として表現され、天と地が結合している「天地の山」アン(アヌ)と「大地・死後の世界を司る女神」キを生んだとされます。アヌもしくは月神シンと「ヨシの女神」ニンガルの娘のイシュタルは「金星・愛欲・戦争」の女神で、キシュ、アッカド、バビロン、ニネヴェ、アルベラなど多くの崇拝地を持ち、双子の兄に「太陽神」ウトゥ(シャマシュ)、姉に冥界を支配する「死の女神」エレシュキガルがいます。

 

縄文ノート91 台湾・卑南族と夜這い・妻問夫招婚の「縄文1万年」 181201→190308→210823

 ケタガラン族が母系制社会だったことである。特に結婚の風習が独特だった。彼らは娘が年頃を迎えると小屋を与える習慣があったという。そして、祭事の時など、女は気に入った相手にめぐり逢うと、男の手を引いて自分の小屋へ迎え入れたのだという。これが求婚となる。

 

縄文ノート92 祖母・母・姉妹の母系制 210826

 私は祖父母より、祖母・姉妹・従姉妹が「共同体・家族形成」と「農耕開始」には重要な役割を果たしたと考えており、母系制社会の一環としてまとめました。・・・

 「縄文ノート90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明母系制」でみたように、女性が「地母神」「大地神」「豊穣神」「穀物神」とされているのは、農耕開始が女性であったことを示しています。

 

縄文ノート93 「かたつむり名」琉球起源説からの母系制論柳田國男の「方言周圏論」批判180816・21→210830

アマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)が東方の海の彼方(ニナイハラー)からきて、アマミヤが棒を立てて神に頼み、天から土・石・草・木を下してもらって島を作った」という男女漂着神話が、アマミキヨ女神信仰に変わったのはなぜでしょうか?

 久高島では、12年に1度、午年(うまどし)に行なわれる祭事・イザイホーがあり、島中央部のクボー(フボー)御嶽(うたき)は久高島で最も重要な男子禁制の聖域であり、女性が16歳から神女就任儀式(イザイホー)を経て神女となり、祖母霊が守護神として孫娘につくとされています。琉球王朝の神女組織「祝女ノロ)」制度のルーツと考えられます。―「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号:2017冬)参照

アマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)」が合体されて「アマミキヨ(女神)」になり、祖母霊がついた神女が祭祀を行なっているということは、家=氏族の中心が女性であったという母系制社会を示しています。

 

縄文ノート94 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論 181204→190116→200204→210902

 安田徳太郎氏の『人間の歴史』には松本氏が取り上げていない女性器名「ノノ」が欠落しています。

 京都市生まれの安田氏は「母親から空にかがやいている月にむかって、『ノノさん、あん、あん』とおがむように教えられた」「インドネシア語でノノというのは、女の性器のことである」「岡山地方では、女の子の性器をノノさんといって、男の子は遊び仲間の女の子の性器が見えると、みんな両手を合わせて、ノノさんといって、おがむそうである」「わたしたちは、子供時代には神さまのことをノンノさんと呼んでいた」としています。

 私が小学校時代を過ごした岡山市では級友達が女の子の性器を「ノノさん」と確かに言っていましたし、兵庫県たつの市出身の母からは「ノンノンさん、あん!」と言って神棚を拝むことを教えられました。・・・

一方、兵庫県高砂市生まれの妻は「まんまんちゃん あん!」と言って母方の実家の仏壇か神棚を拝んだことがあるといいます。

ネットで調べてみると、松山や宇和島岐阜県などでも「ののちゃん、あーん」「のんのんさん、あ~ん!」、九州で「のんのんさぁー」、関西で「まんまんちゃんあん」などがでてきます。・・・

一方、「マンマン」は縄文時代から続く女性器・マンコ信仰から神を拝む幼児語として使われ、仏教伝来後に仏(ほとけ)のお祈りに転用されたと考えます。・・・

松本氏の『全国マン・チン分布考』は言語論のうちの方言論の範疇にとどまりますが、私はその作業は「日本語起源論」「縄文人起源論」「霊(ひ)信仰論・地母神信仰論」「女性器信仰論」「母系制社会論」「スサノオ大国主建国論」など、日本文明・文化の解明に繋がる重要なテーマと考えます。

 「女陰全国分布図」「男根全国分布図」作成という松本氏の成果を生かし、女性器名称の歴史的分析と地理的分布の要因、音韻的変遷について再検討するとともに、日本文化の根底にある母系・父系制社会の性器信仰、女性器尊敬、性の開放性(歌垣、混浴・浮世絵など)の伝統を再評価し、明治政府から続く「俗語禁止」「言語統制」「民俗弾圧」「民間宗教否定」「禁欲強制」の悪弊を正すきっかけとする必要があります。

 

縄文ノート96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡  210918

2 金生(きんせい)遺跡

 古い写真と図面で確認すると、写真の復元住居の入口は神名火山(神那霊山)型の編笠山を向いているように見え、中世の八ヶ岳信仰の権現岳の山頂の檜峰神社が「霊(ひ)の峰」として縄文から続く祖先霊信仰の神山であった可能性があります。

 「女ノ神山」の別称を持つ蓼科山が「居夷神(いひな神=委霊那神)」「びじん=霊神」を祀っていることと符合します。神山天神信仰、石棒(地母神信仰の金精信仰)、女性土偶(中空土偶がワンセットあることからみて、この地の縄文人地母神信仰・神山天神信仰があった可能性は高いと考えます。

3 阿久(あきゅう)遺跡

 蓼科山の「ビジン様」は神名火山(神那霊山)の「霊神(ひのかみ→ひじん)」であり、古事記に書かれている「始祖二霊」の「産霊(むすひ:霊を産む夫婦神)」やスサノオ・アマテラスの「ウケヒ(受け霊)」、出雲で妊娠すると「霊(ひ)が止まらしゃった」と言うことなどからみて、霊(ひ:祖先霊)が神山から天に昇る母系制社会の天神信仰を示していると考えます。

 また、琉球(龍宮)の宮古では女性器名を「ピー・ヒー」、天草では「ヒナ」、倭名類聚抄ではクリトリスを「ひなさき(雛尖)」といい、黒い「烏帽子(えぼし:カラス帽子)」の先に「雛尖」を付けることなどからみて、(ひ)が宿る女性器信仰であったと考えます。

 

縄文ノート98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社 210924

5 下浜御社宮司(みしゃぐじ)神社 

① 「ミシャグジ社」のうち、この神社に着目したのは、「専女(たうめ→とうめ)=老女」神(雛元解釈:田産女神)、さらには「三狐神(みけつかみ)保食神うけもちのかみ:日本書紀)=大気都比売(おおげつひめ:古事記:イヤナギ・イヤナミの子)=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ=稲荷神:スサノオの子)」と習合され、女神の食物神とされていたからです。

③ ・・・日本各地の田植え神事・祭りを女性が行っているのは、この農作物栽培の起源からの地母神信仰・穀霊信仰に基づいているのではないか、と私は考えています。

 魏書東夷伝倭人条で卑弥呼が「婢千人自ら侍らせ」と書き、古事記スサノオがアマテルの「営田の畔」や「服屋」を壊す乱暴を働いたという記述は、卑弥呼(霊巫女)=オオヒルメ(大霊留女)=アマテルが大勢の女性を集めて稲作と絹織物生産を行っていたことを示していると考えます。

 

縄文ノート99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡  210930

2.蓼科山信仰と蓼科神社

 奥宮の祭神は、高皇産霊と倉稲魂(女神)、木花佐久夜毘売(女神)は共通していますが、里宮には大己貴(おおなむち)命(大国主)、奥宮には「水分(みくまり=みくばり)神」「保食(うけもち)神(女神)」「稚産霊(わくむすひ)神(女神)」が祀られており、後世に様々な神が習合されています。・・・

① 蓼科山縄文時代から現代に続く女神信仰の神山であったことが明らかです。男神の高皇産霊(たかみむすひ)と大国主は後世の男系社会を反映した合祀と考えられます。

 さらに重要な点は、この女神信仰・地母神信仰が人類の誕生、家族・氏族誕生に遡り、世界の文明に共通しており、戦争・侵略の男性中心社会になりながらもその宗教・民俗を日本文明は明確に残していることです。日本中央縄文世界遺産登録の大きな価値はこの点にあります。

③ ・・・蓼科神社高井明神(高い井の神)と呼ばれていることや水分(みくまり=みくばり)神の習合、諏訪大社上社前宮の「水眼(すいが)」信仰や、湧水地の「ミジャグジ(御蛇口)」信仰、縄文土偶・土器の龍蛇デザインなどを見ても、蓼科山水神=龍蛇神信仰の対象でもあったと考えます。

 それはルウェンゾリ山・アララト山カイラス山などの神山源流からのナイル川・チグリスユーフラテス川・インダス川流域などの「母なる河」「水神信仰」「龍神信仰」と共通する農耕文明を示しています。

3.池之平御座岩遺跡

① 池之平御座岩遺跡は表5のように「峠神信仰遺跡」「交流拠点遺跡」「岩陰祭祀遺跡」の3説がみられますが、私は「蓼科山・池之平湿原の山神・水神(女神(めのかみ))祭祀遺跡」と考えます。

③ ・・・この黒曜石はたまたま猟などで見つけたのではなく、旧石器人・縄文人には神山信仰があり、さらに火山に黒曜石があって利用価値が高いことを知っており、高原山登る機会に黒曜石を見つけたとしか考えられないのです。

 ここから出てくる結論は、神山信仰も黒曜石利用も日本の旧石器人・縄文人が独自に獲得した文化・文明ではなく、アフリカか途中のアジアを移動する時に獲得した可能性が高く、神山信仰はアフリカと南・東南アジア山岳地域で、黒曜石利用はエチオピアかチグリスユーフラテス源流域のアララト山地域で獲得した可能性が高いのです。

 

縄文ノート100 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松 211003

1 諏訪大社下社秋宮

 第1点は、上社前宮と下社春宮・下社秋宮の主祭神が建御名方(たけみなかた)の妻の八坂刀売(やさかとめ)であり、女神信仰であることです。

2 性器型道祖神津島神社・真清神社・高尾穂見之宮) 

① 津島神社の男根道祖神については、縄文時代の石棒に後世に「道祖神」と彫ったのか、それとも、最初から道祖神として作成したのかはっきりしませんが、いずれにしても、「女神に捧げる男根」あるいは「女神の神代(かみしろ:依り代)」であることは確実です。

② ・・・「神体として石棒が納められているのが典型的なミシャグジのあり方であるという今井野菊の観察」(ウィキペディア:大和岩雄)や、「ミシャグジ(御蛇口)」という名称、縄文時代の集団墓地での石棒・円形石組、女神像や土器・土偶の蛇文様などによれば、縄文時代から続く女神信仰・神山信仰・水神信仰・龍蛇神などの信仰が現代まで途切れずに続いていることが明らかです。

③ また群馬県片品村の性器型などのツメッコを入れた汁粉を裏山の十二様(山の神:女神)に捧げる祭について、私は「元々は女神とされた山神に奉げるのですから、『金精形』だけであったのが、いつの頃か縁結び・夫婦和合・安産・子だくさん・子孫繁栄を願って『女性器形』が追加されたと考えられます。さらに、大地に糞尿を撒いて農作物を栽培したことから、豊作を願う『うんこ形』が追加されて地母神に供えられたのではないでしょうか」としましたが、金精・道祖神についても同じように『金精形(男根型)』から『男女性器型』、さらには『夫婦型』に変ったのではないか、と考えます。

 

縄文ノート101 女神調査報告5 穂高神社と神使 211008

 人のDNAとヒョウタン・芋・豆・雑穀・ソバ・ジャポニカ米のルーツ、「主語-目的語-動詞」言語構造、ピー(霊:ひ)信仰神山・神木信仰、黒曜石利用、性器信仰、ポンガのカラス・赤飯行事などを総合的に考えると、アフリカ西海岸からアフリカ高地湖水地方へ移住し、南インド、さらに東南アジア海岸部と山岳部を経て、海人(あまと→あま)族と山人(やまと)族が共同で竹筏に乗り日本列島にやってきたと考えると、河川源流の神山を目指してこの地に何次にもわたって人々が移住してきた理由ははっきりと浮かび上がります。

 

縄文ノート102 女神調査報告6 石棒・男根道祖神 211013

1 北沢川大石棒

⑧ 石棒といえば金生遺跡や大湯環状列石のような墓地の墓石、阿久遺跡のような環状列石の中心に置かれた神名火山信仰の共同祭祀の神代(かみしろ:依り代)、竪穴式住居の祭壇に置かれた家族用の神代がありますが、この北沢川大石棒はそれらとは異なり、山の神(女神・水神)の共同祭祀の神器と考えられ、焼畑農耕から水辺水田農耕への転換期に位置し、後世の「ミシャグチ(御蛇口)」に祀られた石棒と同じ宗教思想の神器ではないかと私は考えます。

⑪ 「地母神信仰」「天神信仰(神名火山(神那霊山)信仰)」「神山信仰」「女神(めのかみ)信仰」「龍神信仰」「水神信仰(ミシャグジ信仰)」と石棒(男根=金精)や神使のカラスや龍蛇、「ポンガ(ホンガ)」、高山の黒曜石採掘をどう整理すればいいのか、ずっと悩んできていましたが、死者の霊(ひ)が天に昇るという魂魄分離の思想が旧石器時代からあったと考えると、統一的な理解が可能となります。 

3 原諏訪神社の男根型道祖神

⑤ 諏訪・穂高・佐久と飛び飛びの宗教分析の統合になりますが、私は霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教のもとで、「縄文男根石棒(墓石型・共同祭祀型)→男根道祖神→男女性器道祖神→夫婦道祖神」へと推移したと考えます。

4 「縄文シビライゼーション街道」―穂高・黒曜石・女神山ルート

③ 文明(英語:civilization)は、ドイツ語Zivilisation・Kultu、チェコ語civilizace、ノルウェー語kulturen、ロシア語civilizácija・kul'túraは女性名詞であり、男性名詞はギリシア語だけであることを考えると、「縄文女神(めのかみ)山ルート」を「縄文シビライゼーション(文明)街道」と言い換えてもいいかと思います。

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/