ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート102 女神調査報告6 北沢川・月夜平大石棒と男根道祖神

 9月11日、安曇野穂高神社をあとにして、佐久の日本一大きい私の身長を超えた男根型の北沢川大石棒と月夜平大石棒(大宮諏訪神社)、原諏訪神社の男根道祖神を調べました。

 遺跡・神社と博物館などをざっとした見学だけでも諏訪で2泊3日、安曇野・佐久で1泊2日はかかり、これに新潟・群馬・山梨を加えた世界遺産登録運動に取り組むとなると、マニア向けの見学会としても5泊6日は必要になりそうかななどと考えながらレンタカーを走らせました。

 石棒(男根・金精)というと男社会の祭りとばかり私は思い込んでいましたが、尾瀬湿原のある群馬県片品村の仕事で、女体山(日光白根山)に男が金精を捧げ、山の神「十二様」(女神)に男が性器型などのツメッコ(すいとん)を入れた汁粉を供える祭りで、女性は女神が嫉妬するので参加できないことを知り、びっくりしました。女性差別ではなく、女神信仰の母系制社会の祭りが続いていたのです。

 さらに武尊山のほとりの武尊(ほたか)神社の猿追い祭りでは、2組に分かれて「エッチョー」「モッチョー」と言い合いながら赤飯を投げるのですが、男性たちは赤や紫などのスカーフで頬かむりをしており、元々は女性の祭りであった可能性があります。この信州の「穂高岳」と上州の「武尊山」(江戸時代に「武尊」字に変更)、安曇野の「鳥追い行事」と武尊神社の「猿追い祭りの赤飯投げ行事」の関係については最後の「縄文ロマンチック街道」で取り上げています。

 女神調査の締めくくりとして、この男根型大石棒の信仰が「縄文石棒(墓石型・共同祭祀型・神棚型)→男根型道祖神→男女性器道祖神→夫婦道祖神」として現代にまで残っていることを明らかにしたいと思います。

 

1 北沢川大石棒  14:40

 現役のころ、北陸新幹線佐久平駅でレンタカーを借りて南牧村北相木村に仕事で数年間通い、途中に北沢川大石棒や浅間縄文ミュージアムがあることは知っており、気になっていたのですが時間がなくて立ち寄る余裕はありませんでした。

 今回、コロナで浅間縄文ミュージアムはまたしても見ることができず、北沢川大石棒だけの見学になりました。

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<概要>

① 場所:長野県南佐久郡佐久穂町高野上北沢1433

② グーグルマップとMapFan、トヨタのカーナビの地図では、中部横断自動車道の佐久穂インターチェンジの北にある北沢川を少し下った右岸に表示されましたが、Yahoo地図や国土地理院地図では出てきませんでした。個人所有の田のためか道路際に案内表示もないので、スマホかカーナビで確認する必要があります。  

③ 驚かされるのはその大きさで、168㎝の私の背丈を越え、地面に埋まっている部分を加えると、全長は223㎝になります。

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④ 案内板によれば、4千数百年前(縄文中期)のもので、南の大地の集落(未発掘?)に住む縄文人が建立したとしています。

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⑤ 大正時代の北沢川改修工事により出土し、高見沢伊重氏が自分の田の畦に立てて保護したと伝えられ、北北東約10kmの佐久市志賀の佐久石(志賀溶結凝灰岩)で作られたものとされています。

 「志賀」地名は前回述べたように、現在は松本市の旧四賀(しが)村と同じく、志賀島(しかのしま)を本拠地とした安曇族と関係している可能性があります。

<考察>

① 土地利用計画や施設立地計画などの仕事もしてきた私にとってまず気になったのは、男根型の大石棒が立てられた場所の地形条件と、隣の三角柱石棒との関係です。

 町史など読めば明らかになるのでしょうが、もともとあった三角柱石棒の横に北沢川の発見地から男根型石棒を運んで立てたのか、それとも2本の石棒を見つけて北沢川から持ってきて一緒に立てたのでしょうか?

  いずれにしても、北沢川のほとりに元の立地点があった可能性が高いといえます。

 

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② 地形をみると北沢川から南は階段状に河岸段丘になっており、集団墓地をつくるなら高台を選び、氾濫の可能性のあるこのような低地を選ぶとは考えられず、川岸に立てたのは信仰のためと考えます。

③ 二等辺三角柱の石棒は南を向いていますが、茅野市の尖石遺跡の「尖石(とがりいし)」が蓼科山を向いているという平津豊氏の説のように、元は八ヶ岳連峰の神名火山(神那霊山)を向いていた可能性があります。―「縄文ノート35 蓼科山を神那霊山(神名火山)とする天神信仰について」参照

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 あるは、二等辺三角形の底辺は北沢川に沿っていたのかも分かりません。

 いずれにしても、この二等辺三角柱が元々この地にあったのか、それとも男根型石棒とともにこの地に運ばれて方位など考えずに建てられたのか、確かめる必要があります。

④ 図2のように石棒の下1/3ほどが茶色に変色しており、火の祭祀に使用されたという説がありますが、長い間、鉄分の多い土に接していた可能性が高いと考えます。佐久石(志賀溶結凝灰岩)を使って再現実験を行い、変色の原因を確かめるとともに、ハンドオーガー(手動土壌採取器)で採掘して赤色土壌の場所を突き止めていただきたいものです。

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⑤ 北沢川の源流の八ヶ岳連峰に神名火山(かんなびやま)型の神山があるかどうか確かめたかったのですが、遠くにかすんでいたのと逆光で見極めることはできませんでした。

 地図で見ると、「鍋槍山」という神名火山の「神鍋山」(かんなべやま:兵庫県豊岡市日高町)に似た名前があり、さらに西の双子山や横岳があり、さらにその先の蓼科山がコニーデ型の神名火山(神那霊山)として見えるかどうかは確認できませんでした。ただ、後に述べるように、月夜平大石棒(大宮諏訪神社)の地点からは蓼科山が見えるとしており、蓼科山を信仰していた可能性はあります。

⑥ 北沢川の1つ南の谷筋の麦草峠を下った水無川下流は大石川)の平坦地には池之平遺跡群があり、13000~11500年前頃の旧石器時代末期の黒曜石原産地と尖頭器製作場所があり、佐久地方の黒曜石製品の重要な生産拠点であったとみられます。この頃には、分業と広域交易体制ができていたのです。―図3・4参照

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⑦ 図5・6のように、北沢川上流の双子池周辺にも黒曜石があり、その近くでも同じような採掘遺跡があった可能性があり、下流扇状地に住んでいた縄文人にとって、神山から流れ出す北沢川は水をもたらす母なる川であるとともに、黒曜石採掘・加工の重要な聖地であったと考えられます。

 

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⑧ 石棒といえば金生遺跡や大湯環状列石のような墓地の墓石、阿久遺跡のような環状列石の中心に置かれた神名火山信仰の共同祭祀の神代(かみしろ:依り代)、竪穴式住居の祭壇に置かれた家族用の神代がありますが、この北沢川大石棒はそれらとは異なり、山の神(女神・水神)の共同祭祀の神器と考えられ、焼畑農耕から水辺水田農耕への転換期に位置し、後世の「ミシャグチ(御蛇口)」に祀られた石棒と同じ宗教思想の神器ではないかと私は考えます。

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⑨ 毎日新聞記事によると、2020年11月22日に行われた現地説明会では「動植物の豊穣(ほうじょう)と人間のよみがえりを願って、豊かに湧き上がる水辺の近くに建立したもの」と説明されていたようですが、私なりにさらに掘り下げてみたいと思います。

 この説明では、「動植物の豊穣(ほうじょう)」を縄文時代の採集・漁撈・狩猟生活と結びつけ、性交のシンボルとして男根型石棒を立てたと考え、「今も神社で祈願される縁結び・子宝・安産・子孫繁栄を象徴するものとして男根を崇拝した」などとソフトに説明されたのではないかと思います。

 私も大湯環状列石で円形石組に石棒を立てているのを見て、大地を万物の母とし円形石組を女性器として男性器を立てることにより、動植物が再生してくることを願ったものと考え、次の段階で大国主の八百万神信仰の死者の霊(ひ)が神名火山(神那霊山)から天に昇り、降りてくるという天神信仰に変わった、と考えていました。

 しかしながら、阿久遺跡の石棒から蓼科山に向かう石列や高原山の1440m地点での黒曜石採掘・加工遺跡を知り、神山天神信仰旧石器時代に遡り、アフリカ起源でインド・東南アジア山岳部に伝わり、ドラヴィダ海人・山人族によって日本列島に伝わったと考えるようになりました。―縄文ノート「10 大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰」「32 縄文の『女神信仰』考」「44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「61 世界の神山信仰」等参照

⑩ 「人間のよみがえりを願って」という説明についても、死者の霊(ひ)の大地からの再生を願って墓石としてたてられた金生遺跡や大湯環状列石の円形石組・立棒の地母神信仰の解釈に止まり、魂魄(こんぱく)分離の宗教思想に変わり、神山(女神山)から天に死者の霊(ひ)が昇り、降りて来るという宗教思想への転換が説明されていません。

 私はこれまで世界の大河源流の神山信仰の分析や、ミシャグジ(御蛇口あるいは巳狭口)信仰や蓼科山(女神山)信仰、龍神(トカゲ龍・龍蛇)信仰・ポンガ(沸騰を祝う囃子言葉)などの検討から、北沢川源流の神山(神名火山)信仰こそが重要と考えます。―縄文ノート「38 『霊(ひ)』とタミル語『pee(ぴー)』とタイ『ピー信仰』」「29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論」「縄文40 信州の神奈備山(神那霊山)と『霊(ひ)』信仰」「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」参照

 

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⑪ 「地母神信仰」「天神信仰(神名火山(神那霊山)信仰)」「神山信仰」「女神(めのかみ)信仰」「龍神信仰」「水神信仰(ミシャグジ信仰)」と石棒(男根=金精)や神使のカラスや龍蛇、「ポンガ(ホンガ)」、高山の黒曜石採掘をどう整理すればいいのか、ずっと悩んできていましたが、死者の霊(ひ)が天に昇るという魂魄分離の思想が旧石器時代からあったと考えると、統一的な理解が可能となります。  

 

2 月夜平大石棒(大宮諏訪神社大石棒)  15:10

<概要>

① 北沢川大石棒から北東2㎞ほどの谷川の南にある大宮諏訪神社佐久市入沢3015)に大石棒は安置されています。以下、発見地から月夜平大石棒と呼ぶことにします。

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② 大石棒は長さ152㎝、直径17㎝で、北沢川大石棒223㎝よりはやや短いものの、男根の形状が芸術的に形づくられ、きれいに研磨されており、「精緻な作りと形状の美しさにおいて日本一との評価も見られます。

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③ 溶結凝灰岩(佐久石)を素材にしていることと、昔、湖沼があったと伝えられ上磯部地籍の用水石垣の下から1934年に発掘され、「形状と研磨された作りから、入沢の石棒は縄文後期に位置づけられる」とされています。

④ 「この遺跡の集落のシンボルとして、南西に八ヶ岳、西に蓼科山を仰ぎ、北に浅間山、東に大久保山を望む台地に石棒を立てて、動植物の豊穣と集落の繁栄を祈って石棒信仰の祭祀まつりがとり行われた」とされています。

⑤ 大宮諏訪神社は巨樹が多く、谷川源流域の神名火山(神那霊山)を確認することはできませんでしたが、月夜平遺跡の報告書とあわせて次の機会としたいと考えます。

<考察>

① 重要な点は、この谷川左岸扇状地のほぼ中央には、縄文時代前期・中期・後期、弥生時代古墳時代、奈良・平安時代まで連続した月夜平遺跡北西端側に位置しており、北沢川大石棒と同じ宗教儀式に使われていた可能性が高いことです。この地の人々は縄文時代から住み続けており、いつの段階かに、大石棒信仰を止めてしまったということです。

② なぜこの月夜平大石棒と北沢川大石棒信仰が止められ、谷川・北沢川から発見されたのかですが、可能性としては次のような4つの仮説が考えられますが、私の検討結果は表2のとおりあり、「災害を契機とした祭祀転換」がおきたと考えます。

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③ 月夜平遺跡の内容はネットでは調べられませんでしたが、扇状地という立地条件からみて、私は「採集狩猟→芋豆5穀(特にソバ)焼畑農耕→水辺水田稲作→水利水田稲作」の農業段階のうち、縄文土器鍋料理(おこげ・吹きこぼれ痕と土器鍋縁の沸騰・龍紋デザイン)、黒曜石鏃による鳥獣害対策、水神信仰などから考えて、縄文時代に「芋豆5穀焼畑農耕と水辺水田稲作」があったと考えており、月夜平遺跡の遺物は調べてみたいものです。

 

3 原諏訪神社の男根型道祖神  15:40 

 佐久地方には諏訪神社が濃厚に分布し、しかも諏訪神社としか表示されておらず探すのに手間取りましたが、地区名から「原諏訪神社」と呼ぶことにしました。

<概要>

① 千曲川に沿って北に進み、しなの鉄道中込駅手前の野沢橋を渡った「長野県佐久市原20」にあり、巨樹の生える歴史を感じさせる神社です。

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② 縄文石棒を転用した可能性のある古そうな素朴な形の男根型道祖神をネットでしらべてこの原諏訪神社を見つけました。集落内に散在していたものを神社に集めた可能性があるからです。

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③ 道祖神について、ウィキペディアは「道祖神は、村境で悪霊や悪い病が村へ入るのを防ぎ、旅人の安全を守り、五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄などの守り神で、江戸時代中期(1700年代)のものまで確認がされています」としていますが、なぜ道祖神が祀られるようになったのか、さらには縄文石棒との関係については解説していません。

<考察>

① 事前の調査不足で北沢川大石棒と月夜平大石棒が佐久石でできていることを知らず、原諏訪神社道祖神の石材を確かめることなく、形だけに注目していましたが、これから調査される方はルーペを持って確かめていただきたいと思います。

② 旧石器・土器時代の「黒曜石産業」「土器鍋産業」と言ってもいい広域分業・流通体制を考えると、各地でそれぞれ製作された素人細工の素朴な形のものとは別に、宗教祭具として製作地・製作集団が限られるものがある可能性も考えられます。

 

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③ ウィキペディアでは「悪霊・疫病退散、旅行安全、五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄」など、現在の神社の御利益の総花的な決まり文句を並べた説明していますが、現在の一般的な神社信仰から過去へ遡って推測する安易なやり方ではなく、スサノオ大国主一族の八百万神の霊(ひ)信仰と縄文時代の男根型石棒祭祀から検討すべきと考えます。特に、信州においては、阿久遺跡や中ツ原遺跡に見られる蓼科山信仰(ヒジンの女神信仰)や守矢・諏訪一族や穂高一族の神名火山(神那霊山)信仰、守矢一族の「ミシャグジ信仰」との関係の解明が重要です。

④ 道祖神が「江戸時代中期(1700年代)」からだとすると、仏教と徳川幕府朱子学の両方の禁欲主義や封建社会の男社会の影響を強く受けている可能性を考えるべきであり、さらに明治に入っての西欧崇拝・キリスト教禁欲主義の影響による男根崇拝排斥や混浴禁止により、縄文時代からの性器信仰は影を潜めてしまった可能性を考える必要があります。

 魏書東夷伝倭人条に書かれたように、死者が出ると「喪主は哭泣し、他人は就きて歌舞飲食す」る極楽往生を祝う習慣や、「会同に坐起するに父子・男女別なし。人性、酒を嗜む」と書かれた「気楽・快楽社会」の縄文社会からスサノオ大国主建国の伝統から分析を進めるべきと考えます。

⑤ 諏訪・穂高・佐久と飛び飛びの宗教分析の統合になりますが、私は霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教のもとで、「縄文男根石棒(墓石型・共同祭祀型)→男根道祖神→男女性器道祖神→夫婦道祖神」へと推移したと考えます。真面目な教育県の信州人としては、扱いにくいテーマと思いますが、1つの遺跡・集落でワンセットの痕跡を見つけていただきたいものです。

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4 「縄文シビライゼーション街道」―穂高・黒曜石・女神山ルート

 現役時代、あるコンサルが「上司の〇〇さんは、何にでもロマンチックと付けるんですよ」とこぼしていたことがありましたが、私が仕事をしたことのある草津・東吾妻・高山・昭和・片品の各町村は上田~日光を結んだ「日本ロマンチック街道」に含まれており、「ドイツロマンチック街道」と姉妹街道の協定を結んでいました。草津から日光まで歩いた若山牧水にちなんだのなら「ロマンチック」より「ナチュラリズム」と言うべきであり、ドイツのロマンチック街道のローテンブルグの素晴らしい歴史的町並み保存のような取り組みがあるのか、と疑問に思ったものです。

 しかしながら、「日本中央縄文文明」の世界遺産登録を考えると、私は「縄文シビライゼーション(文明)街道」と言い換えて新たなイメージづくりをしてもいいかな、などと夢想しています。―「縄文ノート59 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり」参照

 穂高ルート・黒曜石ルート・女神山ルートの3つが「日本ロマンチック街道」に重なるのです。―縄文ノート「40 信州の神那霊山(神名火山)と『霊(ひ)』信仰」「44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」参照

 

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 穂高ルート・黒曜石ルート・女神山ルートの共通文化は次のとおりです。

 

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③ 文明(英語:civilization)は、ドイツ語Zivilisation・Kultu、チェコ語civilizace、ノルウェー語kulturen、ロシア語civilizácija・kul'túraは女性名詞であり、男性名詞はギリシア語だけであることを考えると、「縄文女神(めのかみ)山ルート」を「縄文シビライゼーション(文明)街道」と言い換えてもいいかと思います。

④ 「日本中央縄文文明」全体を考えると、「縄文アートルート」や「縄文女神像ルート」「縄文男根ルート」なども考えられ、発掘が進めば「縄文楼観拝殿ルート」なども可能性があると考えます。

 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/