縄文ノート104 日本最古の祭祀施設―阿久立棒・石列と中ツ原楼観拝殿
私が阿久(あきゅう)遺跡について最初に知ったのは昨年の2020年8月3~5日の縄文社会研究会の八ヶ岳合宿の参加者向けに見学資料を作成した時ですから、縄文研究については駆け出しの素人もいいところです。―「縄文ノート「22 縄文社会研究会八ヶ岳合宿 見学資料」「23 縄文社会研究会 八ヶ岳合宿報告」参照
私は2000年頃から取り組んできた「スサノオ・大国主建国論」の延長で、2012年から京大工学部建築学科の大先輩(当時は助教授)の上田篤さんの主宰する縄文社会研究会に参加し、「古代国家形成からみた縄文社会―船・武器・稲作・宗教論」について講演し、霊(ひ)信仰史観と海洋交易民族史観からの分析をブログなどに書いていました。
やっと2019年(同窓会)と2020年(縄文社会研究会合宿)に八ヶ岳山麓の縄文遺跡を訪ねる機会があり、環状列石の中心に置かれた立棒(金精)から石列が向かう先の蓼科山が典型的な「神名火山(神那霊山)」であることを確認でき、その夜の会議では「国宝級の縄文遺跡が中央自動車道により破壊されている」ことを世界遺産登録の障害になるなどと問題にしました。―「縄文ノート23 縄文社会研究会『2020八ヶ岳合宿』報告」参照
阿久遺跡の立棒・石列が現在の段階では「日本最古の祭祀施設」「世界最古級の神山天神信仰の宗教施設」であることを、「日本最古の中ツ原遺跡の楼観拝殿」とともに改めて整理・紹介したいと思います。
1.日本最古、世界で3番目に古い祭祀遺跡―阿久遺跡の立棒・石列
日本と世界の祭祀遺跡について、これまで書いてきたもの年代順にまとめると、図1のようになります。
6000~5500年前頃の阿久遺跡の環状列石の中央の蓼科山に向かう立棒・石列は、現在のところ日本最古の縄文時代の祭祀遺跡であり、世界的にみても3番目に古い祭祀施設です。
なお「姓=女+生」や「鬼=甶(頭蓋骨)+人+ム(牛の鳴き声の擬声語)」「魏=禾+女+鬼(祖先霊に女が稲を捧げる)」などの漢字の成り立ちからみて、中国の黄河・長江文明に祖先霊信仰があったことは確実ですがネットでは祭祀施設が確認できず、今後の研究・公表を待ちたいと思います。
阿久遺跡の重要な特徴は、死者の肉体も霊(ひ=魂=玉し霊=死霊・祖先霊)も母なる大地に帰るという地母神信仰の埋葬施設である環状列石と、肉体は大地に、霊(ひ)は神山から天に昇るという魂魄(こんぱく)分離の宗教思想を明確に示す世界で始めての祭祀施設であることです。
縄文人のみならず世界の新石器人(日本では縄文人=土器鍋人)の地母神信仰と氏族・部族社会の霊(ひ=祖先霊)信仰の神山崇拝の解明に向け、決定的に重要な役割を果たす宗教施設であり、5000~4000年前頃の中ツ原遺跡の楼観拝殿・女神像や各地の神山信仰と合わせて世界遺産登録を目指すべきと考えます。
2.日本最古の祭祀施設の世界的な価値
世界遺産に登録された円形の人類最古の12000~8000年前頃の神殿・トルコの「ギョベクリ・テペ」遺跡や7000~5000年前頃メソポタミアの「クル(山)信仰」が起源の「高い所」を意味する聖塔「ジッグラト」に対し、6000~5500年前頃の阿久遺跡の環状列石と立棒・石列はやや時代が遅れるものの、エジプト王のピラミッド、インダス文明の沐浴施設、イギリス・アイルランドのストーンサークル・ストーンヘンジよりは先行しています。
しかも、この神山=神名火山(神那霊山)=お山=女神信仰を継続し、現在も各地の神社信仰では神名火山(神那霊山)を御神体とし、女神の神代(依り代)となる神籬(霊洩木)信仰や御柱祭・金精祭り、神使の水神・龍神信仰、カラス祭りや猿追い祭りなどの神事や民俗を維持しているのです。
そして、世界最古の神殿であるギョベクリ・テぺ遺跡がインダス文明の母なる川ユーフラテス川の源流のコニーデ式火山のアララト山に近い場所にあり、その北にはネアンデルタール人の時代から2000年前頃まで黒曜石の採掘・製造が行われ「石器時代の大規模な武器工場」といわれたアルテニ山(2046m)があり、その交易範囲はメソポタミアから地中海沿岸に及んでいたのですが、それはわが国の神名火山(神那霊山)信仰の蓼科山と黒曜石採掘の二子山・双子池の関係と似ています。―縄文ノート「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「57 4大文明と神山信仰」「61 世界の神山信仰」参照
メソポタミアの宗教についてはバビロニア神話の手掛かりがあるものの、イギリス・アイルランドのストーンサークル・ストーンヘンジでどのような祭祀が行われていたのかは他民族の相次ぐ流入・支配とキリスト教によりその痕跡は消されてしまっています。しかしながら、阿久遺跡の環状列石墓地の地母神信仰と蓼科山の神山天神信仰(ピー信仰)は記紀のスサノオ・大国主建国神話と現代日本の神社信仰や祭り、民俗行事に継承され、世界の石器時代(日本の新石時代は土器鍋時代=縄文時代)の解明に手掛かりを与えており、世界の石器時代の宗教の解明に手掛かりを与える重要な鍵となるものです。
その具体的な内容については次の「縄文ノート」をご参照ください。
なお、この2年間で多くの新しい気づきがあり、古いものは地母神信仰から天神信仰への転換を当初はスサノオ・大国主建国に置くなどの誤りが多々あると思いますが、試行錯誤の痕跡を残して修正しないままになっていますので、ご注意・ご容赦いただきたいと思います。
3.世界遺産登録へ向けた整理
阿久遺跡の世界的な文化・文明の価値についてまとめると、次のようになります。
第1は、阿久遺跡は「地母神信仰」と魂魄(こんぱく)分離の「神山天神信仰」の両方を明確に示す世界初の宗教施設であり、世界の宗教史解明に手掛かりを与える宗教施設であることです。
植物が冬には枯れて大地に帰り、春には再び芽吹いてくるように、死者の肉体も霊(ひ=魂=玉し霊=死霊・祖先霊)も母なる大地に帰って黄泉帰るという地母神信仰の埋葬・祭祀施設の環状列石と、死者の霊(ひ)は肉体を離れて神山から天に昇り、降りてきて子へと受け継がれという霊(ひ)信仰=神山天神信仰の宗教思想を明確に示す世界で最古級の唯一の祭祀施設なのです。
古代人は死者のことが語り継がれ、人々の記憶に残っていることから、死者の霊(ひ)が神となって永遠に生き続け、親と子が似るというDNAの働きを死者の霊(ひ)が受け継がれると考えたのです。
第2は、この霊(ひ)信仰が「ひと(霊人)」「ひこ(霊子=彦)」「ひめ(霊女=姫)」「ひじり(霊知り=聖)「ひみこ(卑弥呼=霊巫女=霊御子)」の基本語となり、妊娠すると「霊(ひ)が止まらしゃった」(出雲弁)と言い、死ぬと「ひつぎ(霊継ぎ=棺・柩)」に入れて葬り、出雲大社では新年に「ひつぎ=火継=霊継ぎ」の神事を行い、天皇家は皇位継承の「ひつぎ=日継=霊継ぎ」の儀式を行い、霊(ひ:祖先霊)継ぎ=DNA継承を何よりも大事にする信仰を現代に伝えているのです。
「神」は人々の死者の記憶の象徴であり、「神=死者の霊(ひ)」は子孫に受け継がれ、守護神として働くと考えたのであり、それは後に大国主が集大成した「八百万神」信仰や天と地を繋ぐ「神名火山(神那霊山)信仰・磐座(いわくら)・神籬(ひもろぎ=霊洩ろ木)崇拝」「神使崇拝(鳥や犬、龍神など)」へと受け継がれ、現代に残っているのです。
世界史的にみて重要な点は、この地母神信仰と霊(ひ)信仰の神山天神信仰が古事記・日本書紀にイヤナミ・スサノオ・大国主一族の神話として記され、甕棺や柩などの内部は母なる大地の子宮に模して赤く染めて埋められ、世襲王の時代になると山上の古墳や墳丘墓に葬られ、死者の霊(ひ)が天に昇り降りて来る神籬(霊洩木)信仰、神名火山(神那霊山)を神体とする神社信仰、天と神山と地を繋ぐ水神や雷神、山上の磐座(いわくら)、神使の鳥神や犬神、龍蛇神信仰などは現代の神社信仰や祭り・民俗に続いているのです。
他民族殺戮・支配と母系制から父系制への転換を正当化するために考え出された唯一絶対神の一神教であるユダヤ・キリスト・イスラム教の支配が及ばなかったために、他の神々は抹殺され、女神たちは魔女として火あぶりにされることもなく、全ての死者・生類は神として祀られてきたのであり、世界の一神教支配前の古代信仰を明らかにする手がかりを与えることができるのです。
第3は、これまで地母神信仰は大河下流の肥沃な沖積平野での農耕により始まったとされてきましたが、阿久遺跡は山岳地域の信州・諏訪の丘の上にあり、「火+田」=「畑」の倭製漢字に示されるように信州では焼畑農耕が行われ、土器鍋による穀類食が見られることです。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』」「26 縄文農耕についての補足」「27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」「29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論」参照
12000~8000年前頃のギョベクリ・テペ遺跡もまた、ユーフラテス川源流域に近いところにあり、居住地から遠く離れた場所に祭祀施設があり、このような祭祀施設の建設には部族社会の成立と農耕による豊富な食料確保が不可欠であり、ギョベクリ・テペ遺跡は丘陵地農耕を背景にして成立したことを示しており、阿久遺跡もまた丘陵地農耕開始を明確に裏付ける重要な宗教施設です。大河の灌漑農耕からの文明起源説については見直す必要があると考えます。
なお、私は氏族社会から部族社会への転換を、分業・交易の成立による異なる氏族の集住段階(大規模集落・都市)として考えており、交易によって余剰生産物の農耕が生まれたと考えています。阿久遺跡など諏訪の縄文社会は、黒曜石採掘・加工と広域交易、土器・祭器・宝飾品製造、焼畑農耕、鳥獣害駆除などの分業が行われた部族社会段階と考えます。
第4は、神名火山(神那霊山)の蓼科山の別名が「女神山(めのかみやま)」であることに見られるように、母系制社会の「母なる大地」を信仰する地母神信仰が、神山天神信仰の女神信仰に変わったことを阿久遺跡は示しており、妻問夫招婚の母系制社会の痕跡としてスサノオ・大国主時代からの神社信仰や民俗にそのまま続いていることです。
メソポタミアのシュメール神話で「海の女神:蛇女神」ナンム(Nammu)が天地と全ての神々を生んだ母なる始祖神で、天と地が結合している「天地の山」アン(アヌ)と「大地・死後の世界を司る女神」キを生んだとし、クル(山)信仰のジッグラトの上に「月神ナンナル(シン)」の神殿を置いていることと合わせて、阿久遺跡は古代文明が母系制社会から始まったことを示しているのです。「男性文明史観」の見直しが求めれられます。
第5は、西欧中心の「肉食・闘争・戦争文明発達史観」「大規模灌漑農耕史観」「絶対神信仰者のみの救済を信じ他の宗教を野蛮・未開とする一神教史観」「男性中心史観」に対し、アフリカを起源としたアジア中心の「糖質DHA食・共同・和平文明史観」「焼畑農耕史観」「すべての生類の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰史観」「母系制社会史観」の復権を図るきっかけを与えることです。
今、格差社会化・闘争戦争社会化・環境限界・一神教の宗教対立など文明の転換点を迎えているのに対し、1万数千年の縄文社会からの人類史の見直しが求められます。
4.阿久遺跡を国立歴史公園に!
これまで、私はこのブログで、「日本中央縄文文明」の世界遺産登録運動について、次のような提案を行ってきました。
再度まとめておくと、「日本中央縄文文明」の世界遺産登録運動には、次のような課題があります。
(1) 「縄文文明」の世界への提案
西欧中心の「肉食・闘争・戦争文明発達史観」「大規模灌漑農耕史観」「絶対神信仰者のみの救済を信じる一神教史観」「男性中心史観」の文明史観に見直しを迫る「縄文文明論」の提案です。
そのためには、石器・土器・土偶論など、遺跡・遺物中心の縄文論から、縄文産業・社会・宗教・文化・文明論としての総合的な整理と提案が必要です。
(2) 人類大移動の歴史の解明と提案
アフリカを出て日本列島にやってきた旧石器人・縄文人として、アフリカ・アジアの人々のDNA・言語・産業・社会・宗教・建築技術・文化・文明との関係を明確にし、人類大移動の文化・文明の伝播を示すことです。
西欧中心の文明論の輸入・焼き直しにあけくれた拝外主義・劣等民族史観の歴史・民族・宗教論を全面的に見直し、アフリカ・アジア中心の文明史観を提案することが必要と考えます。なお、そのためには西洋語・呉音漢語・漢音漢語からの歴史解釈ではなく、倭音倭語からの分析が求められます。
(3)すべての生類の「霊継ぎ(ひつぎ)」を大事にする持続的発展が可能な文明の提案
海と山・森と水の恵みを活かした循環型の焼畑(畑=火+田)農業、森からの栄養分豊かな水に育まれた水田・畠作農業(水田は乾季には「畠(白+田)」になる)、火山と森林の栄養分豊かな川・海の水産業、すべての生類の「霊継ぎ(ひつぎ)」を大事にする畜産は、「持続可能な循環型食料生産」であり、縄文文明は「霊(ひ)信仰の循環型食料生産」として「命(DNA)の持続可能な社会」の見本となる文化・文明として登録を果たすべきと考えます。
(4) 世界最古級の神山天神信仰の祭祀施設のアピール
阿久遺跡が世界最古級の神山(神名火山=神那霊山)天神信仰の宗教施設であることを世界にアピールし、世界の神山天神宗教の世界遺産登録を促進すべきと考えます。
世界遺産登録の申請にあたっては、世界遺産の神山信仰の「紀伊山地の霊場と参詣道」「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」や世界最古の木造建築の仏塔のある「法隆寺地域の仏教建造物」の原点が縄文時代の阿久遺跡や中ツ原遺跡にあることを強調すべきです。
なお、奈良時代の法隆寺五重塔を国宝としながら、日本最古の祭祀施設である阿久遺跡の立棒(金精)・石列を国宝としていないことは、歴史学・考古学の手抜かりという以外にありません。
また申請にあたっては、1970年大阪万博の岡本太郎氏の「生命の樹(公称:太陽の塔)」が縄文文明の芸術的・歴史的・文化的伝統に沿ったものであることを強調すべきと考えます。
(5) 無形文化遺産としての「御柱祭」「鳥追い・猿追い祭り」のアピール
ユネスコ無形文化遺産として登録された「山・鉾・屋台行事」はスサノオ・大国主一族の神山天神信仰の祭りであり、その原点ともいえる諏訪大社の「御柱祭」や神使の「鳥追い・猿追い祭り」を合わせて世界遺産登録の申請を行い、一神教文化・文明以前の全世界の豊かな宗教・祭りの典型としてアピールすべきと考えます。
(6) 母系制社会を示す「女神」「石棒円形石組」「石棒(金精)」信仰のアピール
縄文社会の解明において、一番重要なテーマは、人類の誕生から家族・氏族社会の形成、さらには侵略的でない部族社会の形成において、母系制社会であったという点だと私は考えています。
日本中央縄文文明の世界的な価値として、この地域に地母神信仰から神山天神信仰へと連続する母系制社会を示す遺跡・遺物・伝統文化があります。
(7) 縄文文化・文明の世界遺産登録の役割分担
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、「北東アジアにおいて1万年以上の長期間にわたり継続した採集・漁労・狩猟による定住の開始、発展、成熟の過程及び精神文化の発達をよく表しており、農耕以前における人類の生活の在り方を顕著に示している」として世界遺産に登録されました。西欧中心史観からみて、文明以前の未開社会の文化としての登録です。
これに対し、「日本中央縄文文明」は、焼畑農耕開始による部族社会段階の宗教・芸術文明を示す遺跡としてその世界的な価値をアピールすべきと考えます。
なお、日本最古の人骨が発見された沖縄の白保竿根田原洞穴遺跡(27000年前頃)や36000年前頃の隠岐産の黒曜石が発見された京丹後の上野遺跡などの旧石器遺跡群、鹿児島の丸木舟を作る世界最古の丸ノミ石斧が発見された栫ノ原遺跡(12000年前頃)や国内最古の集落跡で9500年前の土壌からイヌビエのプラント・オパールを検出された上野原遺跡(9500~2500年前頃)、13000年前頃の層から稲のプラントオパールが見つかった島根の板屋Ⅲ遺跡(10000年前頃)、ニジェール川流域原産のヒョウタンの若狭の鳥浜貝塚遺跡(12000〜5000年前頃)、岡山のイネのプラント・オパールが見つかった朝寝鼻貝塚(6000年前頃)・姫笹原遺跡(5000年前頃)、土器内からイネのプラント・オパール出た岡山の朝寝鼻貝塚・南溝手遺跡(4000年前頃)などについては、別途、旧石器・縄文の海人族文明として世界遺産登録が必要と考えます。
(7) 遺跡破壊の修復作業の見本となる世界遺産へ
今回、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産への登録勧告において、諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)が「不適切な構造物」(大湯環状列石を横断する道路など)の撤去や民間所有の土地の公有地化を求めたことや、危機遺産リストに記載されていたイギリスの文化遺産「リヴァプール−海商都市」は、近年の開発による影響が改善されず顕著な普遍的価値が失われたとして、世界遺産一覧表から抹消されたことに注意する必要があります。
「日本中央縄文文明」においては、その最重要な阿久遺跡が当時の開発優先思想と考古学・歴史学の水準により中央自動車道の建設によって分断されており、世界遺産登録にあたってはその修復作業が不可欠と考えます。
日本最古の宗教施設であり、地母神信仰から神山天神宗教への転換を示す世界で唯一の史跡として、国営吉野ヶ里歴史公園のような国の特別史跡の国営歴史公園の整備を求め、高速道の地下化あるいは迂回化を求めるべきと考えます。
<追記>
作業中に阿久遺跡に関連して重要な発見がありましたが、ここには含めず、次回にまとめて報告したいと思います。また、図の作成がいくつか残っており、追って修正します。
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
邪馬台国探偵団 http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/