ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

168 「縄文の今日的意義」「何と対峙しうるのか」「縄文の世界性」

 国際縄文学協会の成立前から関わってきたライターのA氏から会いたいとの電話があり「縄文の今日的意義」「何と対峙しうるのか」「縄文の世界性」について質問を受けたので、10日、レジュメをバタバタと作成して喫茶店で話しました。

 関連する「縄文ノート」を加筆し、内容を少し修正して紹介します。

 

1.「縄文の今日的意義」

① 考古学者による縄文研究史の区分は知りませんが、一般人に大きな影響を与えた「縄文ブーム」が何次になるのか、ざっと私見を述べたいと思います。

 第1次の「縄文ブーム」はまぎれもなく1952年の岡本太郎氏の「縄文芸術」の評価であり、大阪万博での「太陽の塔」(原題は「生命の樹」)などもあって広く国民にも知られるようになりました。今や、大英博物館での展示や北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録など、世界的に認知されてきています。―「縄文ノート31 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」参照

 私などはその影響を受け、縄文野焼きの猪風来さんを招いて1985年に狭山市で子どもたち向けに縄文野焼きのイベントを行い、2回目は彫刻家の金城実さんも「縄文人系」と思っていたので2人を招きましたが、アーチストが「縄文ブーム」の起点となったと考えます。

② 第2次としては、私の独断が混じりますが、1970年頃からの照葉樹林文化論、1977年の毎日新聞記者・倉島康氏ら7人によるフィリピンから鹿児島までの1か月の「竹筏ヤム号」による航海実験、1981年の大野晋教授の『日本語とタミル語』などの日本語起源説、1982年の航海松江市の教師たちによる丸木舟「からむしⅡ世」の隠岐から松江までの黒曜石運搬の再現実験などから、2001年のNHKの『日本人はるかな旅』へと続く日本列島人起源論をあげたいと考えます。―縄文ノート「63 3万年前の航海実験からグレートジャーニー航海実験へ」参照

 縄文人はどこからきたのか、という関心が広まったように思います。

③ 第3次は1992年からの三内丸山遺跡発掘、特に6本柱巨木建築の衝撃であり、考古学分野だけでなく「縄文文明」の主張が梅原猛安田喜憲氏(森林文明論)や梅棹忠夫氏(神殿都市論)などから出されるとともに、復元が進んで「縄文観光」の流れができ、2021年には世界遺産に登録されています。―縄文ノート「 48 縄文からの『日本列島文明論』」「82 縄文文明論の整理から世界遺産登録へ」参照

④ 第4次は第2次・第3次と重なる部分もありはっきりとした転換点はわかりませんが、縄文イベント(縄文土器、縄文食、丸木舟航海、縄文建築の体験など)が各地の遺跡発掘地域などで行われるようになり、さらにはフリーペーパー『縄文ZINE』や「縄文女子」など、現代の生活(平和志向、環境・自然食志向、共同体志向、縄文デザインなど)と結びつけた活動が全国で始まった段階と考えます。―縄文ノート「155 素晴ら怪しい縄文論:『COOL JAPAN~』の『縄文 〜Jomon』」「84 戦争文明か和平文明か」「159 縄文1万5千年から戦争のない世界へ」参照

 2003年からの国際縄文学協会や、そこから分かれた上田篤氏の2013年頃からの縄文社会研究会もまたこの流れに位置付けられるのではないかと思います。

⑤ 「日本中央部縄文遺跡世界遺産登録」運動が進めば、世界文明史へインパクトを与えることができ、縄文国際交流・観光の新たな第4次段階を迎えると考えます。―縄文ノート「11 『日本中央部土器文化』の世界遺産登録をめざして」「77 北海道・北東北の縄文世界遺産登録の次へ」「82 縄文文明論の整理から世界遺産登録へ」「160 『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録にむけて」参照

 

2.「何と対峙しうるのか」

① 岡本太郎氏はこれまで野蛮・未開時代と考えられていた縄文時代に対し、現代文明への批判として「縄文に帰れ」「本土が沖縄に復帰するのだ」を対置しました。

 「太陽の塔」の原題は「生命の樹」で、内部に全生物のDNAの成長を示す生命史のオブジェを置き、両翼を広げ天に霊(ひ)を運ぶ鳥の全身像の地下には生命を産んだ「海の顔」、腹には苦悩に歪んだ「人の顔」、頭には天を目指す「鳥の顔」、背中には原発を象徴する地上の「黒い太陽の顔」を描いています。

 今、「太陽の塔」の名前は元の「生命の樹」に戻して評価されるべきと考えます。

 

② 縄文を未開時代とする西洋中心史観に対し、梅原猛安田喜憲氏は「森林文明論」として森林を滅ぼしてきた農耕・工業文明に対置し、梅棹忠夫氏は「文明=都市化」とする西洋文明史観に対して「神殿都市」として縄文文明を位置付けようとました。

 長野県茅野市の阿久尻(あきゅうじり)遺跡の20の巨木建築と隣接する原村の阿久(あきゅう)遺跡の巨大なストーンサークルとその中央広場に置かれた石柱(女神の依り代の金精)から蓼科山(女神山)に向かう石列は、ピラミッド(上が白、下が赤の万年雪を抱くナイル源流のルウェンゾリ山・ケニヤ山を模したもの)とほぼ同時代の世界最古の神山天神信仰の宗教施設(共同埋葬・祭祀施設)であり、国営歴史公園として復元されるべきと考えます。―縄文ノート「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「57  4大文明と神山信仰」「61 世界の神山信仰」「104 日本最古の祭祀施設」「105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列」参照

 「東の阿久遺跡(阿久・阿久尻遺跡名を合体すべきと考えます)、西のストーンヘンジ」として、世界百万人観光拠点となりうる価値があります。

③ 私は「石槍・狩猟・肉食・サバンナ人類誕生史観」に対し「突き棒・採集漁労・糖質DHA食・熱帯雨林人類誕生史観」を、「男主導人類発展史観(父系制社会史観)」に対し「女・子ども主導人類発展史観(母系制社会史観)」を、「競争・戦争人類発展史観」に対し「共同・平和人類発展史観」を、「嫁取り婚」女奴隷婚」に対し「妻問夫招婚」を、一神教の「旧約聖書教(エホバ教)」に対し「霊(ひ:死霊・祖先霊信仰)宗教」を、それぞれ対置しています。―縄文ノート「74 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰」「130~139 『サピエンス全史』批判 その1~5」参照

 

     

④ わが国の歴史では、アマテル(天照大御神)を始祖神とする「世界を照らすアマテル一神教」の皇国史観や「元始女性は太陽であった」(平塚らいてう高群逸枝氏)に対し、私は古事記に「群品の祖」と書かれており、出雲大社正面に祀られ御親(みおや)として大国主を助ける「神産霊(かみむすひ:霊人(ひと)・霊子(ひこ)・霊女(ひめ)たちの霊を産む神)」を始祖神とする「八百万神」の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教を対置しています。

 そして、この「ピー(ひ)」信仰はインド・チベット・東南アジア山岳地帯がルーツであることを明らかにしています。―縄文ノート「15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」「34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」「74 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰」「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」参照

 

3.「縄文の世界性」

① 他民族の侵略を受けていないわが国では古代からの豊富な文献・伝承・民俗・宗教・言語によって縄文社会がどのようなものであったかをたどることができます。特に、古代の母系制・招婿婚(妻問夫招婚)については高群逸枝氏の詳細な研究があり、これまた世界最高レベルの考古学の成果と合わせると、縄文社会(私は石器―土器―鉄器時代区分の土器時代と称していますが、西洋中心史観は武器を基準として新石器時代に位置付けています)の解明が世界のどの地域よりも可能と考えます。

 「武器を持って狩りや戦争を行う男中心人類史観」は未だに世界を支配していますが、サルからヒトへの人類進化は女・子どもが主導し、全世界で母系制社会時代があったことを明らかにできるのがわが国の縄文・古代史研究です。―縄文ノート「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」「75 世界のビーナス像と女神像」「86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」「92 祖母・母・姉妹の母系制」「116 独仏語女性名詞からの母系制社会説」「151 『氏族社会』から『母族社会』へ」参照

 マルクスは「原始共産社会」を理想社会として提案しましたが(今、そのような空想を信じるマルキストはいないと思います)、階級社会以前の共同体社会(氏族共同体、部族共同体など)を所有関係でしかとらえておらず、そこから未来社会を展望することなどできないと考えます。

 

         

② 地球環境、食料不安、新興感染症、戦争・地域紛争、原爆・原発、格差拡大、拝金主義、共同性喪失などの現代文明の危機に対し、世界に普遍的に存在し、日本では縄文時代からスサノオ大国主建国、天皇制の平安期、封建時代の鎌倉期(高群逸枝説)まで存在した妻問夫招婚の母系制社会の歴史こそが、今こそ見直される必要があると思っています。「西欧中心史観」から「アフリカ・アジア中心史観」への転換です。

③ 「縄文ノート164 女と男の『民主主義・平和・宗教』」で書きましたが、西欧中心史観の父系制社会の「民主主義・平和・宗教」に対し、旧石器時代(わが国では木器・土器時代)の母系制社会の「民主主義・平和・宗教」は異なる概念であり、この後者の概念に立った社会・経済・政治・宗教論が確立される必要があると考えます。

④ インド・中国は父系制社会とされてきましたが、アーリア人が侵入する前のインダス文明は母系制であり、春秋戦国以前の中国もまた母系制であたことは、「姓=女+生」「地=土+也(女性器)」「男=田/力」「婿(むこ)=女+疋(足)/月(足入れ婚を示す)」「男尊女卑(「尊=酋(酒樽)+寸(手)」、「卑=甶(頭蓋骨・仮面)+寸(手)」であることから、女は死者の頭蓋骨を掲げ、男は酒を捧げるという役割分担)」や周王朝が姫氏であることなどから明らかです。―「縄文ノート148 『地・姓・委・奴・卑』字からの中国母系社会論」参照

⑤ 縄文社会が母系制であることは妊娠土偶、女神像(仮面像を含む)、環状列石(地母神信仰を示す)、石棒(金精=女神の依り代であり、男が奉納した)、女神山信仰(神名火山(神那霊山)信仰)から明らかであり、妻問夫招婚のスサノオ大国主建国や大和朝廷に繋がっており、わが国は世界でもっとも豊富な研究の歴史をもっており、世界史を変える役割を果たすべきと考えます。

 「石・鉄武器文明」「穀類・肉食文明」「父系制社会文明」「一神教文明」の前に全世界にあった「木・土器文明」「イモ・魚介食文明」「母系制社会文明」「ピー(霊)崇拝の多神教文明」を縄文研究は世界に示すことができます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

  ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/