ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡

 茅野市での八ヶ岳研究会に誘われたついでに、9月10・11日、周辺のいくつかの遺跡・神社を調べてきました。博物館・資料館はコロナの緊急事態宣言で見学できず、中途半端な調査になりましたが、報告しておきたいと思います。
 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録には「⑥ 顕著な普遍的価値を有する行事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的・文学的作品」として、縄文時代からの石棒・円形石組と金精信仰、神山信仰(お山信仰、山神信仰、神名火山(神那霊山)信仰、神籬(霊洩木)信仰)を明らかにする必要があると考えており、今回はこのテーマを中心に調査しました。

f:id:hinafkin:20210919172430j:plain

 なお、群馬県片品村の「金精信仰」は「山神(女性神)に金精を捧げる祭り」(女神が嫉妬するので女性は参加できない男の宗教行事)であり、山梨・長野でも同じような証明ができないかと考えています。

 このような縄文から続く宗教行事は母系制社会の証明として、世界の文明史解明において重要な役割を持っていると考えます。

 

1 釈迦堂遺跡 9月11日10:40

 釈迦堂遺跡博物館は前に見たので今回はパス。ただ、新宿からの高速バスを利用できる中央自動車道釈迦堂PAから直接、見に行けることが判ったのが今回の発見。

 縄文時代中期を中心に早期から後期にかけての4地区の遺跡群で、1,116点の土偶三内丸山遺跡に次いで多く(全国の約1割)、255軒の竪穴式住居跡があり、次回には遺跡群の立地条件や配置などを調べに訪ねてみたいと思います。

f:id:hinafkin:20210919172514j:plain

 

2 金生きんせい遺跡 北杜市大泉町谷戸105(長坂ICから10分) 9月11日11:40

<概要>

① 縄文時代後期(約4,500 - 3,300年前)~晩期(約3,300 - 2,800年前)の遺跡。

      

f:id:hinafkin:20211117172410j:plain

② 38棟の住居址(竪穴式住居や敷石住居、石組住居)5基の配石遺構、石組(方形・円形、石棒・丸石など)、200点を越える土偶、石剣、独鈷石、祭祀用土器、日用品や土製耳飾。配石には5kmほど離れた釜無川の石も。

③ 直径1.3m、深さ60㎝程の円形土坑内部から焼けたイノシシの下顎骨が138個体(うち115体は幼獣)発見されており、アイヌのクマ送りのイヨマンテに通じる狩猟儀礼・害獣退治の農耕儀礼で、イノシシ飼養の可能性。

④ 「中空土偶」と言われる全国に例のない奇妙な形の土偶も。

⑤ 5~6本の石棒のうち、1本は明確に金精形で、2本には円形石組が確認できます。

 f:id:hinafkin:20210919172714j:plain

<考察>

① 残念なのは、A・B・C(図1の赤字追加部分)の3つの住居・墓地跡の全体が公園化されず、B部分とその南の配石遺構しか再現されておらず、村全体の施設配置が理解できないことです。

② Aの円形竪穴式建物は住居、B・Cの四角形の壁付建物は埋葬・供養祭祀のための建物(大湯環状列石の高床式建物の例)、という用途・時代を異にする可能性があります。

③ 樹木が茂り八ヶ岳の方向との関係が判りませんでしたが、古い写真と図面で確認すると、写真の復元住居の入口は神名火山(神那霊山)型の編笠山を向いているように見え、中世の八ヶ岳信仰の権現岳の山頂の檜峰神社が「霊(ひ)の峰」として縄文から続く祖先霊信仰の神山であった可能性があります。

     f:id:hinafkin:20210919172800j:plain

 「女ノ神山」の別称を持つ蓼科山が「居夷神(いひな神=委霊那神)」「びじん=霊神」を祀っていることと符合します。―「縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「縄文ノート 38 霊(ひ)とタミル語 pee、タイのピー信仰」「縄文ノート61 世界の神山信仰」参照

④ 神山天神信仰、石棒(地母神信仰の金精信仰)、女性土偶(中空土偶)がワンセットあることからみて、この地の縄文人地母神信仰・神山天神信仰があった可能性は高いと考えます。

     f:id:hinafkin:20210919172912j:plain

⑤ 地母神信仰は冬に植物が枯れて大地に帰り、春に芽吹いてくることから生まれたと考えられ、子どもを産むとともに、採集から芋豆6穀(特にソバ)の焼畑農耕(畑=火+田)を開始した女性による信仰と考えれられます。この焼畑農耕には収穫期を迎えての猪や鹿の害獣駆除(待伏せ猟)が不可欠であり、黒曜石の鏃生産は縄文農耕開始を告げており、「イノシシ幼獣祭祀」は諏訪の「千鹿頭祭祀」と同じく、狩猟祭祀と言うより、農耕祭祀を示していると考えます。

⑤ 金生遺跡の約2万点 77kgの黒曜石の出土について、40km離れた諏訪の星ヶ塔でこの地の人たちが採掘したという説(宮坂編 2014:堤隆「信州黒曜石原産地の資源開発と供給をめぐって」)が見られますが、むしろ活発な交易が成立していた可能性が高い(氏族社会→部族社会)ことを示しています。

⑥ 世界遺産登録を視野に入れると次のような課題が浮かび上がります。

 a.黒曜石成分分析による産地の確定

 b.約15㎞西の井戸尻遺跡(富士見町)で発見されたような石器農具の存在(周辺の20遺跡を含む)

 c.土器鍋底のおこげの分析(縄文農耕の確定)

 d.ヒスイ製品の産地の確定

 e.金生遺跡公園・資料館の拡張(長坂ICバス停からだと約2㎞、JR中央本線長坂駅からバスで15分 城南バス停下車徒歩10分で、釈迦堂遺跡より条件は悪いのですが、遺跡としての価値や八ヶ岳を望む景観からは金生遺跡の拡張整備は価値があるようと思います)

 

3 阿久(あきゅう)遺跡 長野県諏訪郡原村柏木 12:30

<概要>

① 阿求遺跡は6500~5000年前頃の三内丸山遺跡をしのぐ縄文最大の環状集石墓地・集落遺跡です。

f:id:hinafkin:20210919173035j:plain

② 縄文時代前期初めの7000年前頃に住み始め、6000年前頃の前期後半になると中央の広場の中心に立石と蓼科山に向かう石列と環状集石墓地が作られ、方形柱穴列の祭祀建物も作られます。

f:id:hinafkin:20210919173116j:plain

② 立石(石棒)から蓼科山に向かう2列の通路状石列は、祖先霊を祀る「神山天神信仰(神名火山(神那霊山)信仰)」の最古の遺跡として、世界の母系姓の氏族・部族共同体社会の解明の鍵となる決定的に重要な史跡と考えます。

     f:id:hinafkin:20210919173146j:plain

③ 蓼科山の「ビジン様」は神名火山(神那霊山)の「霊神(ひのかみ→ひじん)」であり、古事記に書かれている「始祖二霊」の「産霊(むすひ:霊を産む夫婦神)」やスサノオ・アマテラスの「ウケ ヒ(受け霊)」、出雲で妊娠すると「霊(ひ)が止まらしゃった」と言うことなどからみて、霊(ひ:祖先霊)が神山から天に昇る母系制社会の天神信仰を示していると考えます。

 また、琉球(龍宮)の宮古では女性器名を「ピー・ヒー」、天草では「ヒナ」、倭名類聚抄ではクリトリスを「ひなさき(雛尖)」といい、黒い「烏帽子(えぼし:カラス帽子)」の先に「雛尖」を付けることなどからみて、霊(ひ)が宿る女性器信仰であったと考えます。

④ 問題点

 ・発掘した北半分の遺跡の半分が中央自動車道の下に埋められている(遺跡破壊という世界遺産登録への致命的な欠点)。

 ・10~30万個とされる環状集石の採取地から、共同祭祀の氏族・部族の分布が明らかにされていない(写真でみると角の取れた川原石が一部に見られる)。

 ・阿久遺跡での縄文人の生活・葬祭文化全体を示す総合的な研究が見られない。

 ・遺跡が埋め戻され、展示施設が整備されていない。

<考察>

① 埋め戻された遺跡としてこれまで関心が薄かったのでしたが、現地に行って改めて縄文人の信仰対象になりうる蓼科山の存在感を実感しました。

 神名火山(神那霊山)信仰では、一番高く尖った赤岳や、前述の中世の八ヶ岳信仰の権現岳(山頂に檜峰神社=霊(ひ)峰神社)、コニーデ型(神名火山型)のきれいな編笠山がある中で、なぜ蓼科山かと思っていたのですが、「諏訪富士」と呼ばれた独峰の景観からだけでも蓼科山が信仰中心になることが実感できました。

 なお、世界の神山の条件としては大河の源流にあることが重要であり、「上川源流の蓼科山か、柳川源流の赤岳か」と2択で考えていたのですが、独峰の神名火山型と「イヒナ」「ヒジン」信仰、さらには近くの双子池の黒曜石からみて、蓼科山こそが縄文人の信仰中心であったと判断しました。―「縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「縄文ノート40 信州の神那霊山(神名火山)と霊(ひ)信仰」参照

② 「蓼科」の名称については、「品(しな、ひん)」「品野(しなの)」の地名や「ヒジン様」から「たてひな」の可能性があると考えていますが、後に「蓼」字を当てていることは、古くからのソバの産地であったことから「たて」に「蓼」字が当てられた可能性があります。

 「畑=火+田」の和製漢字からみても、「ソバ」の語源からみても、中国伝来ではなく、もっと古い縄文焼畑によるソバ栽培の可能性が高いと私は考えます。

                      f:id:hinafkin:20211120174048j:plain

 なお、ソバの原産地をウィキペディアは「雲南省北部の三江併流地域」としていますが、日本人の41~47%(アイヌ88%)にみられるY染色体D型のドラヴィダ系山人族の居住地、東インドミャンマー高地(チベット人43~52%)と接しており、赤米や「ピー信仰」などとともに、ミャンマー沿岸やアンダマン諸島(73%)のドラヴィダ系海人族とともに日本列島にやってきたと考えています。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系山人・海人族による日本列島稲作起源論「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」「43 DNA分析からの日本列島人起源論」参照

   f:id:hinafkin:20210919173440j:plain

    f:id:hinafkin:20210919173458j:plain

 食料が豊富な沿岸部から川を遡り、塩のない山間部の信州・甲斐・上州などに縄文人がやってきたのは、ドラヴィダ系山人族の文化と考えます。

③ 日本中央縄文文明の世界遺産登録のためには、そのメイン遺跡として、遺跡破壊というハンディをカバーする「阿久遺跡総合調査・研究」と「国営公園化」が必要と考えており、その条件を調べたいと今回、見学しました。

④ 10~30万個とされる環状集石群の数と較べて住居・建物跡が少なく、母集落の可能性について、3つの仮説を立てて現地に向かいました。

 

f:id:hinafkin:20211027181249j:plain

 現地の説明板によれば、7000年前頃の始祖集落から、6000年前頃には分散した氏族・部族の共同祭祀場に変わった可能性が高く、北の大早川と南の阿久川にはさまれた台地全体に遺跡が分布している可能性が高いと考えます。未発掘の環状集積群の南半分とともに、国史跡指定範囲よりさらに広く発掘調査が必要と考えます。

⑤ 世界遺産登録の長野県の中心となる遺跡としては、中ツ原遺跡かこの阿久遺跡と考えられますが、蓼科山信仰を明確に示す立柱・列石がある点からみて、この阿久遺跡をセンター施設とすべきと考えます。

 またすでに中ツ原遺跡周辺には住宅などが多く建ってきており、大規模遺跡公園とするならこの林野と畑の阿久遺跡が容易であり、釈迦堂遺跡のように「原PA」から徒歩(500m)で入館できる「ぷらっとパーク」化、ETC限定で車が出入りできる「スマートIC」にすれば自家用車や高速バスを利用して首都圏からのアプローチは容易である点も中ツ原遺跡より有利です。

⑥ 世界遺産登録を目指すなら、中央自動車道のトンネル化もしくは高架化、迂回コース化は不可欠であり、南半分の発掘調査で遺跡の世界的な価値を確定させ、国営公園化を追求すべきと考えます。

    f:id:hinafkin:20210919173636j:plain

 蓼科山信仰を示す立柱・列石の価値を考えると、トンネル化か迂回化が必要であり、地形・周辺土地利用などの条件についての調査が必要となります。

 ⑦ 中ツ原遺跡の蓼科山を望む8本巨木跡、三内丸山遺跡八甲田山を望む6本巨木跡からみて、この地にも同じ規模の巨木楼観拝殿と女神像があった可能性が高いと考えます。―縄文ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「縄文50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ」参照

 環状集石群の東側の高地か北西の地点など可能性のある場所の発掘が求められます。

 

f:id:hinafkin:20210919173730j:plain

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/