ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート97 3母音か5母音か?―縄文語考

 女神調査報告2で「千鹿頭(ちかとう)」や下浜御社宮司(みしゃぐじ)神社の「三狐神(みけつかみ)」の語源を書きましたが、その前提として2018年に書いた「3母音か5母音か?―古日本語考」を修正して先に紹介しておきたいと思います。

 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)で書き、前に縄文ノート「93 『カタツムリ名』琉球起源説からの母系制論―柳田國男の『方言周圏論』批判」「94 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論」でも少しふれましたが、倭語分析の基本として私は「縄文語からの3母音と5母音の分岐説」を提案します。

 これまで「本土の5母音が琉球で3母音方言に変わった」というのが通説でしたが、「共通の縄文語から琉球の3母音と本土の5母音に分岐した」と私は考えています。

 

1 「3母音」と「5母音」のどちらが先か

 琉球弁が「3母音」、本土弁が「5母音」であるのに対し、通説では「琉球弁は5母音であったが、3母音に変わった」としているようです。

 私は言語学の専門家ではなく基礎知識もありませんが、伊波普猷著「琉球語の母音組織と口蓋化の法則」(外間守善『沖縄文化論叢5』言語編)、石崎博志著『しまくとぅばの課外授業』、亀井孝論文集2『日本語系討論のみち』にざっと目を通した限りでは、「琉球弁3母音化説」には、納得できる説明は見られませんでした。「琉球弁は古日本語の5母音より3母音化した」のか、「3母音の古日本語より、本土弁が5母音化した」のか、本格的な議論が必要と思います。

 古日本語(旧石器人語・縄文人語)は5母音「あいういぇうぉ」であり、1700年前頃(安本美典説)の邪馬台国卑弥呼の時代後に、古事記に書かれたように、龍宮(琉球)をルーツとする薩摩半島の隼人(ハヤト=ハイト=ハエト=南風人:海幸彦)が、龍宮から妻を迎えた山幸彦(ヤマト=山人の笠沙天皇家2代目)と対立し、その支配下に置かれたことにより、琉球と本土の交流は途絶え、琉球では「あいういう」の3母音5音化し、本土では5母音の「あいうえお」に変わったと考えています。

 なお、笠沙天皇家2・3代目の妻が龍宮(琉球)の姉妹であり、笠沙天皇家4代目で大和天皇家の初代大王のワカミケヌ(後に神武天皇命名)の祖母・母が龍宮人であるというは、「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ-記紀の記述から『龍宮』=『琉球説』を掘り下げる」(季刊日本主義43号)に詳しく論証しています。

 

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 さらに、表1のように現代の日本の母音表記には「あ=い、う、え、お」「い=う、お」の母音併用がみられ、倭語の単語や人名・神社名などの意味や語源を考える場合には、注意が必要です。

 大学に入って大阪に行った時、「つねうどん」を「つねうどん」と言うのでびっくりしたことがありましたが、次回に書く稲荷神(おいなりさん)の別名を「ミケツカミ(ミケツネカミ)」を「三狐神」と漢字で書くことにも関係してきます。

 

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  「神」について「かみ、かむ、かん、かも、こう、ひ」の6通りの呼び名があるように、他の単語についても同じように複数の読み方があった可能性があるのです。―「縄文ノート37 『神』についての考察」参照

 なお「神」は呉音漢語では「ジン」、漢音漢語では「シン」であり、日本語が「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語」の3層構造であることを大前提にして倭音倭語について分析する必要があることは言うまでもありません。

 

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 参考のために、外来語(借用語)の影響を受けにくい希少性・恒常性の高い宗教用語について、大野晋氏の『日本人の神』よりドラヴィダ語と対照した表3を再掲します。

 

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2 チェンバレンの「琉球語=古代日本語説」

 日本研究家のバジル・ホール・チェンバレン(東京帝大名誉教授。1850~1935年)は、「現今の日本語が古代の日本語を代表せるよりも、却って琉球語が日本の古語を代表せること往々 是れあり」(チェンバーレン『琉球語典及字書』:『伊波普猷全集』第11卷より)としています。

 単語の分析などからこのような結論が得られるとすると、「母音」についても、琉球語の「3母音」が日本の古語を代表しているという説が考えられます。

 

3 「方言周圏説」(柳田國男)と「方言北上・東進説」(筆者)からの検討

 柳田國男氏の「方言周圏説」(図3参照)は、京都を中心にして言語は地方に拡散し、地方に古い方言が残るというのですから、古日本語の「3母音」は、遠く離れた辺境の琉球に「3母音」が残り、都では「5母音」になったということになります。

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 『しまくとぅばの課外授業』で石崎博志氏はこの「方言周圏論」を援用しながら、沖縄ではもともと5母音が3母音に変化したとしているのですから、逆になっています。「方言周圏論」を採用するなら、古日本語の3母音が沖縄に残ったとすべきでしょう。

 一方、「カタツムリ」名と「女性器」名から、私は柳田の「方言周圏論」を批判し、「方言北上・東進説」を証明しています。詳しくは「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(季刊日本主義44号参照)に書いたところです。

 この私の説の「方言北上・東進説」により、私はもともと「3母音」であった古日本語が琉球に残り、本土では「5母音」に変化した、と最初は考えていました。

 しかしながら、現代の琉球弁は正確には「あいういう」の3母音5音であることから考えると、古日本語の「あいういぇうぉ」5母音が、琉球では「あいういう」の3母音5音になり、本土では「あいうえお」5母音になった、と考えられます。

 

4 安本美典氏の「古日本語北方説」の検討

 安本美典氏は、日本基語・朝鮮基語・アイヌ基語からなる「古極東アジア語」から、ビルマ系言語の影響を受けて「古日本語」が成立したという「古日本語北方起源説」ですが、別に「インドネシア系言語」が南九州から本土太平洋岸にかけて分布したとしています。

 一方、アマミキヨ始祖伝説は1700年前ころに邪馬台国のアマテラス(卑弥呼)から沖縄に伝わったという説を唱えています。

 安本氏の説では琉球は「インドネシア系言語」でも「古日本語系言語」でもないことになりますが、1700年前ころに琉球弁と本土弁が分離したとしていますから、その言語は「主語―目的語―動詞」構造の古日本語で、「主語―動詞―目的語」構造のインドネシア系言語ではないことになります。

 この安本図に私は太い点線で追加しましたが、古日本語はビルマ系の海人(あま)族が琉球(龍宮)を起点として北上したと私は考えています。

 

   

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 安本氏は1700年前ころに琉球邪馬台国・アマテラスが支配し、アマテル始祖伝説が伝えられ、アマミキヨ伝説となったとしていますが、同時代に琉球弁と本土弁が分離したとする説と矛盾しています。

 それよりなにより、アマミキヨ伝説は海の彼方のニライカナイよりアマミキヨがやってきたというのであり、安本氏の筑紫の甘木朝倉にアマテラスいたという卑弥呼=アマテラスとは異なり、皇国史観のアマテラスは天上にいたとするアマテラス神話とも異なります。

 海人(あま)族のアマミキヨ伝説からのアマテラス名、奄美 → 天草 →甘木→海士・海部(隠岐)→天川・天下原(あまがはら)(播磨)→天城(伊豆)などの地名の移動、丸木船を作る南方系の丸ノミ石器の分布、曽畑式土器の分布、性器名の変遷・分布などを総合的に検討するならば、「古日本語南方起源説」「古日本語北上・東進説」にならざるをえません。

 なお「天草」「日下・草下(くさか)」の「草」は倭音倭語で「くさ」、呉音漢語・漢音漢語で「ソウ」ですがり、中世の和語では忍者を指し、漢語には「いなかの(草庵・草莽)」「はじめの(草案・起草)」の意味があり、海人族が古くから住み着いた場所を指し、安本氏と私も邪馬壹国の地と考える「甘木」は「天城」で、初期の都市国家を示していると考えます。

 

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5 宮良信詳氏の「姉妹語説」

 私は通説の「琉球弁は5母音から3母音に方言化した」という説に対し、「古日本語の3母音が琉球では残り、本土では5母音化した」と最初は考え、次には「古日本語は過渡的3母音(あいういぇうぉ=あいうゐを)であり、琉球は3母音(あいう)に純化し、本土は5母音に純化した)」と変更し、最終的には、古日本語は5母音「あいういぇうぉ=あいうゐを」であり、沖縄は3母音5音「あいういう」になり、本土は5母音「あいうえお」に変化した、と考えるようになりました。

 言語学の分野ですでにそのような説があるのかどうかについては、まだ確かめられていませんが、パトリック・ハインリッヒ+松尾慎編著『東アジアにおける言語復興 中国・台湾・沖縄を焦点に』の宮良信詳琉球大教授の「沖縄語講師の養成について」に、言語系統図として次の図があることに気付きました。母音論ではありませんが、同じ結論と思います。

         

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6 日本列島人ルーツからの総合的な検討へ

 私の未解明のテーマとして、「さしい」と「さしい」、「さい」と「さい」、青森の「ねた」と「ねた」、寅さんで有名な「柴又(しまた)」と平安時代の「嶋俣(しまた)」、旧甘木市の蜷城(なしろ)の美奈宜(なぎ)神社、大国主出雲大社の「御巣(す)」と「日栖 (すみ)」、女性器語の「へへ」と「メメ」のような、「は行とま行」の音韻転換があります。

 前述の母音転換と合わせて、アフリカからの日本列島人の移動との関係について、DNAや「主語-目的語-動詞」言語構造、ヒョウタン・イネ・里芋・山芋・ソバのルーツなどと合わせて、母音・子音、宗教・農業単語などの総合的な分析を若い言語学者に期待したいと思います。―縄文ノート「41 日本語起源論と日本列島人起源」「「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「縄文26 縄文農耕についての補足」「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」 「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」等参照

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□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/