ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート88 子ザルからのヒト進化説

 妻問夫招婚のスサノオ大国主建国論から縄文社会論へ進み、さらには人類の起源にまで遡り、「母系制社会の歴史」に迫ることができてきたように思います。

 この間、頭を離れないのは「縄文87 人類進化図の5つの間違い」でもふれましたが2004年に書いた「人類進化をたどる子どもの遊び」から発想した、サルの「子供の遊びこそがヒトへの進化を促したのではないか」という仮説です。

 

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 脳の重量が0~4歳(特に0~2歳)に急増すること、前頭前野(思考や創造性を担う脳の最高中枢)のシナプスの密度のピークが4歳であること、ヒトのおっぱいの糖質の割合が牛の2倍と多いことなどから考えると、母親と行動していた子ザルこそ人類進化で大きな役割を果たした可能性、ひょっとしたら主役であった可能性です。

 とっぴな仮説ですが、母系制社会論の重要な鍵として「子ザルからの進化論」を考えてみたいと思います。

 ここでは主に私自身の子どもの頃の体験からスタートし、類人猿からヒトへの起源へと遡って考えていきます。

 

1 子どもはなぜ貝や魚や昆虫に夢中か?

 1946年2月生まれの私は、小学生時代は岡山市に住みながら、夏休みなどにはほとんど母方のたつの市の田舎で過していました。隣の又従兄弟に誘われて朝には網をもって小川に魚とりにでかけ、朝ご飯を食べてからはセミ取り、夜にはカブトムシ獲りにでかけました。昼飯を食べてからの午後は隣の集落の又従兄弟4兄弟と揖保川によく泳ぎにでかけ、ヤスで丸石の下の小さなウナギやアユ(これは獲れたためしがない)を突いていました。

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 この4兄弟の家(祖母の実家)には泊まってトランプ・将棋・花札をすることも多く、潮干狩りや漁師に伝馬船を借りての海釣り、冬には禁止されていたかすみ網やとりもちでのスズメ・野鳥獲りにも連れていってもらいました。遊ぶのが子どもの仕事と思っていましたから、夏休み明けは大変で、「宿題を持って来るのを忘れました」と一週間、言い訳を続けたら神田先生は諦めてそれ以上、問いただしませんでした。ただ、数年前に父母の家を整理したら通知表がでてきて、3年生では「忘れ物、忘れ事特に甚だし」「学用品忘れること連日」などと書かれていました。

 なぜ子どもは毎日、魚や昆虫、鳥などを追いかけるのが好きで飽きなかったのか、今考えると、長い漁撈採集狩猟生活から本能として身についていたとしか考えれられません。

 確実に獲物がとれるのは貝掘りで、次は海釣りでキスやベラなどは入れ食いでいくらでもとれ、山分けした獲物を持って帰ると祖母に喜ばれました。冬にはかすみ網を借りて家々のトイにかぶせて叩くと一網打尽でいくらでもとれ、「焼き鳥屋に持って行けば売れる」と同い年の又従兄弟は言っていましたが、どこに売りに行けばいいのかの知恵はありませんでした。

 このような遊びで重要なことは、貝掘りや海釣り、カブトムシやセミ採集、スズメとりなどもいくらでも獲れるとすぐに飽きてしまい、獲るのが難しい超レアものでないと面白くないのです。大学では釣りなど大嫌いだ、という寮の同室者がいましたが、理由を聞くと彼はずっと漁師の親の漁の手伝いをしていたので魚獲りなどは嫌いだったのです。遊びと仕事では動機が異なるのです。

 冬には広い笹原の斜面でウサギの通り道を捜して木で上下に挟む手作りのワナをしかけましたが、成功したことはありませんでした。1度、ウサギを見つけて追いかけたことがありましたが、もし金属製のワナを持っていたら子どもでも捕獲できたに違いありません。

 このような野生児の昔ばなしで何が言いたいかというと、子どもたちは立派なハンターだったということです。家の農業や商売を手伝っていた子どもたちはまた立派な農業者であり、商売人であったと思います。

 まちづくり計画の仕事をするようになり、全国各地でヒアリングしましたが、どこでも「子どものアウトドアの遊びは食料調達であった」と言っていました。楽しいいろんな獲物や野生の果実などを大量にとった自慢話をよく聞いたものです。瀬戸内海のいろんな島でも仕事をしましたが、夕方には主婦や子どもがバケツと釣り棹を持って堤防に行き、夜のおかずを釣っていたのを見ることができました。熊本県五木村の仕事では、民宿での朝、外を見ると小さな子ども2人が遠くの川で魚をとっており、朝食の時の女主人の話ではウナギの仕掛けを息子たちが取りに行ったけど今日は入ってなかったのでメニューに出せなかった、という話でした。このように、子どもは魚とりや野生の果実やキノコ狩りなどは大人と同等の役割を果たしていたのです。

 サルからヒトへの進化において、漁撈採集狩猟の技術は遊びと区別つかない形で子ザルからヒトの子へと受け継がれた可能性が高いのです。

 

2 子どもの好奇心と冒険心、問題解決能力と創造力

 未熟・未経験な子どもの行動は、探検と冒険、危険と問題解決、創造の機会に満ちています。

 恐ろしさを知らな子どもだからこそ、いろんなことに関心を持って挑戦し、冒険と失敗を恐れないことにより様々な新たな発見と工夫を行い、その積み重ねが考える能力を持ったヒト誕生に繋がった可能性が高いと考えます。

 いくらでも獲れるアサリやハマグリ、小川や海の小魚、ニイニイゼミアブラゼミコガネムシやカブトムシ、スズメなどは子どもは面白くなくて飽きてしまうのです。毎日、確実に食料調達する必要のある大人は楽に大量にとれる工夫はしますが、新しい食料を捜したりすることでは子ども方が多かったのではないかと思います。名前は忘れましたが、野山にでると毒があろうが不味かろうがおかまいなしになんでも食べてみないと気が済まない同級生がいましたが、みんなその勇気には一目も二目もおいていました。より困難な、危険なことにチャレンジする子どもたちの遊びこそ、考える機会を積み重ねて人類を発達させてきた可能性が高いと考えます。

 「いくらでも獲れると飽きてしまい、獲るのが難しくないと面白くない」という遊び心と探究心、困難への挑戦による達成感と技術向上への意欲こそ、ヒトへの頭脳の発達を促したのではないでしょうか?

 私はつるべを持ったまま井戸に落ち、川と海で2度溺れそうになりましたが、いつの間にか泳げるようになりました。川を飛び越える時に向こう岸に届かなくて石垣に激突して歯を欠き、百貨店の大理石の手すりを滑り降りて壁に激突した時には歯を割ってしまいました。足と頭の3か所を2~3針以上縫う怪我をし、田舎の小学校の石碑を囲んだ鎖を引っ張って遊んでいて石の柱が落ちで足を折り、ギプスを長い間していて痒くて困ったこともあります。級友と崖を登る途中で上にも下にも行けなくなり、通りがかった大人に助けてもらったこともありました。母に連れられて繁華街や百貨店、祭りにいくと、興味にかられてすぐに飛び出し、よく迷子になっては母親に怒られていました。

 どこまでも行けるところまで行こうと級友と自転車や小舟でクリーク(水路)を進み、喉が渇いて腹が減って目が回って断念したり(水筒を持つ知恵がありませんでした)、どこまで沖に泳いでいけるか又従兄弟たちと勇気を試したり、階段を何段飛び降りれるか級友と競争したり、祟りがあるかどうか肝試しのために墓石に小便をかけ、女の子に告げ口されて片山先生からは「そういう悪い子はオチンチンが腫れます」と名指しではなくクラスで注意されましたが、実際、チンポが腫れたので祟りがあると反省しました。こういうアホな子はクラスに1~2人はいたものです。

 経験の少ない子ザルほど肉食動物の餌食になったり食中毒で命を落としたに違いありませんが、中には生き延びて新たな食べ物をみつけたり、雨季の小川や沼で頭だけ出して足で土中の獲物を捜して二足歩行を覚えた可能性が高いと考えます。背の高い母親や年長サルがナックルウォークで小川や沼で獲物をとっている時、背の低い子ザルは二足歩行で試したに違いありません。

 このような無茶をする子どもは、だいたいクラスに1~2人で5%以下と思いますが、マーケティングでは「イノベーター(革新者)2.5%、アーリーアダプター(初期採用者)13.5%、アーリーマジョリティ(前期追随者)34%、レイトマジョリティ(後期追随者)34%、ラガード(遅滞者)14%」などの分析があり、サルからヒトへの転換においても、イノベーター・アーリーアダプター(フォロアー)は子ザルではなかったか、と私は考えます。

 まちづくり計画では、高校生、20~30代、40~50代、60歳以上、職員グループに分けてワークショップをやりましたが、どこでも一番いいアイデアを出すのは「できるかできないか」など考えない高校生グループで、60歳以上と職員グループはありふれたアイデアしか出ませんでした。

 なお、このようなアホな子どもの冒険遊びは男子だけの少数の遊びでしたが、子育て・家族ごっこは女の子が主導し、たまたま参加させてもらっても実に居心地が悪かった記憶です。ただ、陣地(秘密基地、隠れ家)づくりでは、女の子を誘いたいと思ったこともありました。また、セックスに関わることでは、小学校入学前後の2回ですが、好きな女の子に何と言ったか忘れましたがちょっかいを出したところ2人ともパンツを脱いでしまったので何をすればよいかわからず、びっくりして逃げたことがありましたが、中学校時代でみても女の子の方が性的には積極的果敢であったのではないか、などと妄想しています。

 

3 子どものコミュニケーション力と共同力

 私は敗戦後の1946年2月生まれですが、当時は母の田舎にいくと親戚の家では「食べていき、泊まっていき」と食事をよばれたり泊まるのはあたりまえで、祖父母だけでなく大叔父叔母・叔父叔母・又従兄弟などからいろんなことを教わりました。

 また同世代の子ども同士の遊びは私には生活の全てであり、岡山市郊外の農村部の30人のクラスの小学校では、医者の息子の夏目君だけが家庭教師に習っていて、「あいつのは実力じゃあない。家で勉強するなんて卑怯だ」と中野君らと話していたものです。「受験生ブルース」の団塊世代とは敗戦後の岡山の田舎の小人数世代の私たちは大違いでした。

 「よく学び、よく遊び」を私は「勉強は学校でするもの、家では遊ぶもの」と解釈していたのです。4年の時の大好きであった片山先生はよく見てくれていて「友達と仲が良い」「級友に好かれている」「発表力がある」と通信簿に書いてくれており、遊びの提案力をきちんと評価してくれていました。

 1990~2000年代、市町村の「児童育成計画」「次世代育成支援計画」「教育振興計画」などでは、必ずグループインタビュー調査を行いましたが、都市では「近くに叔父・叔母・いとこなどはいない」「お泊りをしたことなどない」というお母さんたちばかりで、一方、過疎化が進む田舎でも近所に子どもがいないので遊ぶ機会がない、というありさまでした。小学生へのアンケート調査でも「放課後に友達と遊んだ日数」を聞くと1週間で0~1日がほとんどで、「親・教師以外で知っている大人」では地域のスポーツクラブの指導者くらいしかあがってこないのです。

 「人生出たとこ勝負。ガハハ」「明日は明日の風が吹く。ガハハ」「金は天下の回りもの。使わなソンソン。ガハハ」と大笑いする叔父やギター・写真・バイク(無免許)を教わった叔父などに大きな影響を受けた私などとは大違いです。

 今の子どもたちの生きる力にとっては、決定的に重大な環境変化が起きているのであり、体験機会の充実をどこでも力説するとともに、会社としても各地の木登りやカヌー・小型ヨット(障がい者用の転覆しないアクセスディンギー)で子どもの体験ボランティア活動を支援してきました。

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 昔の子どもは遊びを通して、①いろんなことを年長者から学習し、②困難があると工夫して解決能力を身につけ、③助け合い、④コミュニケーション力(ボディランゲージや言語力)を身に着け、⑤役割分担して協力し、⑥団結心や共同心、組織力、得意分野での指導力を身に着けてきたのです。

 このような1960年代より前の社会に戻ることはできませんから、昔の地縁・地域共同体の代わりになる子どもの遊びと体験の地域づくりが必要と考え、「ゆとり教育(この日教組の影響を受けたネーミングは大失敗)」「生きる力教育」を支持してまちづくりで提案してきたのですが、その後、事態はさらに深刻になってきているように思います。川や空気の汚れや気候変動に敏感な大人たちも、子どもの環境変化には実に鈍感なのです。当時、息子家族が遊んでいたプレステの『ぼくのなつやすみ』を私も買ってやったことがありましたが、いくら知識を身に着けても実際に体験しないと「生きる力」など絶対に身に付かないことを痛感させられました。

 子ども同士の集団遊びがないと、新しいことに挑戦したり、コミュニケーション力や共同力などは身につかないのです。毎日、みんなで集まって「今日は何をして遊ぼう」と相談していましたが、いつもいくつかの案がでてきて議論して決めていましたが、分裂したり誰かがスネてしまうことがないようにまとめる駆け引きなどは体験しないとわかりません。

 母と子の子育て、それを助ける他のメスの同士の食物交換や協力などから刺激を受けてのコミュニケーション力の向上とともに、「子ども同士の遊び」こそが相互教育と共同性の獲得、知恵の向上に大きな役割を果たしたと考えます。

 子どもは大人の人類進化の付録ではなく、子どもこそ重要な人類進化の主役であった、という仮説を私は考えています。

 

4 メスと子ザルが発達させた言語能力

 「縄文ノート85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」において、私は「ボノボに見られるようなメス同士と子の群れでの採集活動や食物分配、子ども同士遊びなどはコミュニケーションと言語能力を高め、糖質とDHA摂取により急速に頭脳の発達を促したと考えられます」と書きましたが、サルからヒトへの言語能力の発達には、採集・分配・子育て・生活の共同・分担を通した「メス同士のコミュニケーションとおしゃべり遊び」と「メスと子ザルのコミュニケーションとおしゃべり」「子ザル同士のコミュニケーションとおしゃべり」の3つが重要な役割を果たしたと考えます。

 ヒトが話せるようになったのは、単に「コミュニケーションの必要性」だけでなく、「おしゃべりや歌」の遊びがあったと考えます。子どもの道具遊びや追いかけっこなどとともに、「遊び」は人類進化に大きな役割を果たしたのではないでしょうか。

 私の両祖父母の家、私の家、小学校時代をみても、家族同士・友達同士で話すことについては女性が中心であったとしか思い出せません。「おしゃべり男」と言えるような同級生・友人・知人は少数ですが、父から「口から先に生まれた」と言われ続けた叔母など、思い当たる女性はたくさんいます。

 男女の会話量と内容についての統計は見たことがありませんが、経験的にいえば「言語能力は女性と子どもが発達させた」という進化法則は間違いないように思います。

 祖父や大叔父、父、叔父、私は食事や食後の団らんの時もだいたい寡黙であり、会話はもっぱら祖母や大叔母、叔母、妻、娘が中心でした。小学生の時に男子と女子たちで言い合いになると、だいたい男子が言い負けていましたから(男子が悪いことが多かったので当然といえばそうですが)、男子たちはそのような事態になることを避けていました。

 「口がとんがっている」「言いたそうな口をしている」などといいますが、そんな小学校同級生の「山〇△子」さんとはよく言い合いになりましたが、「〇〇が△△だから、□□も◇◇よ」という類推ランダム攻撃の能力は抜群で、「よくそんな理屈を思いつくなあ」といつも反論ができずタジタジでした。私の長女と長男の言い合いを聞いていても全く同じで、長男が「何でも持ち出してくる」とよく怒っていました。

 女性が社交的・友好的なのは、「鶏が先か卵が先か」という問題がありますが、この「おしゃべり遊び能力」にたけている、ということと無関係ではないように思います。それは女性同士の助け合いと乳幼児期の濃密な親子のコミュニケーションとおしゃべりで養われてきたとしか考えられません。

 昔、「男は黙って〇〇ビール」というコマーシャルや、「女は無口なひとがいい」という舟唄のフレーズがありましたが、そんな光景が思い浮かぶのは私だけでしょうか?

 以上は全くの個人的な体験をもとにした考察ですが、チンパンジーボノボ、ゴリラの生態を分析する際には、人間の女性・子どもの生態と対照して考察すべきでしょう。オス型社会のチンパンジーやゴリラは人間にはなれない進化をたどったのです。

 

5 子どもの防衛本能と闘争本能

 小型と中型の犬を飼っていて思うのは、子犬は犬同士、飼い主などとじゃれてエンドレスでよく遊ぶことです。首筋をなでると甘噛みしてきたり、ロープの引っ張り遊びはどうみても争ったり獲物を獲る訓練をしているようです。小型犬ほどよく吠え、中型犬に吠えるようけしかけるのです。危機を察知して、飼い主やリーダー犬にアナウンスしているようです。腹が減ったり、散歩に行きたくなると甘え声を出してアピールし、こちらが病気になると心配して顔を覗き込んで寄り添います。ゴリラやチンパンジーではなく、犬でも十分な共感力とコミュニケーション力を持っているのです。

 子どもの頃、チャンバラと弓でよく遊び、山では陣地(砦、秘密基地、樹上基地)づくりをよく行いましたが、その影響が映画や漫画によるものなのか、それとも本能に根差したものなのか、あるいは両方なのか、ずっと考えてきました。この「陣地づくり」には持続した共同作業が必要であり、秘密を守る同志としての連帯心が必要です。

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 また、私たちの時代は女の子も活発で、悪ふざけをしてよく「ツネリ魔の山〇△子」からきつくツネられましたし、からかうと女の子たちから石を投げられたものです。昔、附属池田小の児童殺傷事件では8人の児童が殺され、15人が負傷しましたが、私たちの野生時代の子どもたちなら集団でいろんな物を投げつけ、抵抗してむざむざと多くが殺されることはなかったのではないか、と思ったものでした。

 今年の正月のことですが、1歳半のまだ歩けない孫に柔らかい百均で買ったソフトチャンバラの剣を持たせると、振り回して遊ぶのでびっくりしました。女の子をふくめ、孫たちはみなチャンバラ遊びが大好きで、テレビアニメの影響と思っていたのですが、1歳半の孫が剣を振り回すのを止めないので考えてしまいました。この孫は家の中にぶら下げた吊り輪につかまったり、手でぶら下げてトランポリンをやるのも大好きであり、さらに棒を振り回して遊ぶところを見ると、サルからヒトへの進化の記憶が残っているのではないかと思わざるをえません。

 「獲得形質は遺伝しない、というのが生命科学上の常識」とされていますが、よく遊ぶサルやヒトが生き残り、突然変異のDNAが継承されたのか、あるいはエピジェネティクス(DNAの変化を伴わない遺伝)の影響があるのではないか、などと妄想せざるをえません。

 

6 子ザルからヒト進化への5つの肉体的条件

 以上、子どもの頃の記憶をたどりながら、サルからヒトへの進化の子どもたちが主導した可能性についてはみてきました。

 それを裏付けるものとして、次のような条件があります。1つ1つのデータが正しいかどうかの判断は私にはできませんが、総合的にみて大まかな傾向としては間違いないと考えます。

 第1は、脳の重さは新生児が約400g、生後12か月で約800g、生後3年で約1000g、成人で1200~1500gとされていることです。―「脳科学メディアhttps://japan-brain-science.com/archives/1553」参照 

 図1のアメリカの人類学者 R.スキャモンの発育曲線によれば、脳や脊髄などは2歳まで急激に伸び、2~5歳で大人の90%まで達し、5歳を超えると緩やかになっています。https://papayaru.com/ashiga-hayakunaru-dance/

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 これらを見ると、乳幼児期のいろんな刺激と主体的な体験こそが脳の発達にとって決定的に重要であることが判ります。「三つ子の魂百まで」という経験則は正しいのです。

 第2に、すべての情報を統合して、考えたり、 判断する『脳の司令塔』とされる「前頭前野」という領域(図2の「脳の健康教室」の資料)が、図3のように「知能が平均的な人」では7歳から下がり、「知能が高い人」は10歳ころがピークであることです。

     

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 このデータもまた、7歳までの子どもの時のいろんな体験が重要であり、サルからヒトへの進化もまた、この時期の活動が決定的に重要であったことを示しています。

 第3に、ヒトの脳の神経細胞は1000億個以上で成人でも乳児でも同じであり、神経細胞を繋ぐシナプスの数は生後1~3年前後まで増加し不要なものは削除されて減少するとされています。―「脳科学メディアhttps://japan-brain-science.com/archives/1553」参照 

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 特に重要な前頭前野シナプスの密度は4歳がピークであり、乳幼児期にいろんな体験をし、多くの刺激を受け、考える機会を持つことがいかに重要かを示しています。

 サルからヒトへの進化もまた、この乳幼児期の大人から受ける刺激や子ども同士の遊びなど、いろんな体験が大きな役割を果たしたと考えられます。

 成長したサルがサバンナで草食動物を追いかけて走って槍を投げて狩りを行ったとしても、筋肉はついても頭脳の発達には大きな効果はなかったのです。

 第4に、脳の神経細胞を形作り、樹状突起同士を結び付け、高度な神経情報回路を生み出す活動を促すDHAは図5のように2歳までに急激に増えることです。―「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」参照

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 それはまず母親のおっぱいからえたのであり、「ギニアチンパンジーは水たまりの沢ガニを日常的に食べ、コンゴボノボは乾いた土地や沼を掘ってキノコや根粒菌などを食べ、ヤゴや川虫を食べる」ことによる魚介食から補給され、次には子ザルたち自身による漁撈採集によって補給されたのです。―「縄文70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」参照

 第5に、脳はそのエネルギー源のほとんどを糖に頼り、その必要量は人が消費するエネルギーの約25%にものぼるとされ「脳のエネルギー源」です。

 サルの知能が発達したのは、樹上で果物を食べることによると考えられますが、「2019年11月からNHKスペシャルで始まった食の起源の『第1集『ご飯』~健康長寿の敵か?味方か?~』によれば、アフリカの旧石器人の摂取カロリーの5割以上が糖質で主食が肉というのは間違いであり、でんぷんを加熱して食べると固い結晶構造がほどけてブドウ糖になって吸収され、その多くが脳に集まり、脳の神経細胞が増殖を始めるとされています。火を使うでんぷん食に変わったことにより脳は2倍以上に巨大化したというのです」(縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』)と紹介したように、熱を加えたデンプンの摂取こそが人類誕生のもっとも重要な条件であったのです。脳の神経細胞や伝達組織のシナプスがあっても、糖質がないと脳を動かすことはできないのです。

 体重当たりの基礎代謝基準値をみると、1~2歳、3~4歳がもっとも高く、特に1~2歳はほとんど体を動かしませんから、その多くは脳で消費されていたと考えれられます。

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 サルからヒトへの決定的に大きな進化は脳の発達であり、それを支えたのは糖質とDHAの糖質魚介食であり、乳幼児への様々な母サルと子育てを助けるメスザル、時々オスからの刺激と子ザル同士の遊びによって獲得されたと考えます。

 以上、脳の形成と脳を働かせる機会とエネルギーからみて、サルとヒトの子ども時代こそが最も重要であることは明らかです。

 武器の棍棒を持った成人のオス猿がサバンナで狩りをして人類の進化を促した、というフィクショ ンには何の根拠もありません。山極寿一氏には『ーサルに探る文明の起源』という面白い本がありますが、オスザルは進化には寄与せず、メスと子ザルが進化の主役であった、という結論にはなっていません。私が読んだ限りの彼のデータからの結論は「父という進化に余分なもの」とのタイトルの本にすべきであったと思います。

 熱帯雨林からサバンナへの移動、大型草食動物の狩りと肉食、ニ足歩行、手の機能向上道具使用、火の使用、家族の形成などの「同時進化仮説」はなんらの証明はなく、見直すべき時です。

 

7 チンパンジーの成長

 釧路動物園のHPによれば、チンパンジーの発育段階は次のとおりです。https://www.city.kushiro.lg.jp/zoo/shoukai/0039.html

  ➀乳幼児=5歳まで、

  ➁コドモ=5~7歳、

  ➂青年=7~10歳(♀)、10~12歳(♂)、

  ④オトナ間近の青年=10~13歳(♀)、12~15歳  

  ⑤オトナ=14歳以上(♀)、16歳以上(♂)

 ヒトの場合、小学校高学年、10~13才頃に初潮をむかえる女子が多いとされ、小4の同級生が初潮を迎えて女教師がバタバタしていたのを思い出しますが(当時は出血が何のことか理解できませんでした)、チンパンジーの「青年」とあまり変わらないようです。孫娘が私と風呂に一緒に入らなくなったのも4年生でした。

 なお、京大霊長類研究所HPの「チンパンジー・アイ」の「人間とチンパンジーの子育ての違い」(松沢哲郎2007.6:https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/k/066.html)も「チンパンジーの離乳は遅い。乳離れは4~5歳ごろ」としており、釧路動物園と同じです。

 しかしながら、京大理学研究科 (現 総合地球環境学研究所研究員)の松本卓也氏の2017年3月20日付の「American Journal of Physical Anthropology」誌(電子版)によれば、チンパンジーは3歳前後に「自力で物理的に処理の難しい食べ物を採食する割合が高くなる」とされており、離乳食を与えられる人間よりも離乳は遅いものの、ヒトよりも身体的成長が早い分、食の自立は早いといえます。

 いずれにしても、3~5歳までに犬も類人猿も人間も頭脳の発達は急速に進み、身体的自立の早い野生の類人猿は3歳ころから「コドモ」となり、母親から離れて子ども同士てエサを探して活発にチャレンジし始めた可能性が高く、急速に知能の発達が進んだ可能性があります。

 大人のオスたちが槍を持って狩りを行い、メスに肉を贈ることによって二足歩行と手が物を持てるようになってサルからヒトへの進化が起きた、という「肉食キン肉マン進化仮説」でNHKスペシャルの『人類誕生 第1集 こうしてヒトが生まれた』などは製作されていますが、「講釈師、見てきたように嘘を言い」は、いまや「人類学者・ディレクター、見てきたように嘘を言い」に置き換えるべきではないでしょうか?

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8 子育てを助け合うサルたち:NHK「ワイルドライフ」より

8-1 メス同士で子育てを助け合うケニアのアビシニアコロブス

 5月31日のNHKワイルドライフの「野生の王国アフリカ『熱帯の森をサルが生き抜く!』」ではアフリカ高地湖水地方ウガンダのサルたちが高い密度で暮らす「サルの宝庫」と呼ばれるカリンズ森林保護区では体長40㎝ほどのレッドテイルモンキーと体長50㎝ほどのブルーモンキーが天敵・カンムリクマタカの襲撃を避け警戒の声を利用しあい、違う群れとの縄張り争いで勝つためにをるために協力しあい、行動を共にしていることや、ウガンダの西のケニア山の麓の熱帯雨林ではメス同士が子育てを助け合うアビシニアコロブスが紹介されていました。

 

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 体長60㎝ほどのアビシニアコロブスは1匹のオスと複数のメスからなる10匹ほどの単位で、メスザルが出産を手助けするとともに、出産後は母ザルが食事に時間をとって母乳がたくさんでるように周りのメスが赤ちゃんを抱いて手助けしたり、母親を亡くした子ザルが雨でぬれていると群れのメスが気付いて温めて守るなど、子育てを群れのメスが助け合っているのです。

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 レッドテイルモンキーとブルーモンキーの助けあいは後の人類の氏族・部族社会の共同体成立や、コロブスのメスザル同士の助け合いは人類の母系制社会の共同体成立の手掛かりになるものと考えます。なおコロブスのメスたちが血縁でないのか、それとも祖母や姉妹などの血縁関係があるのかどうかはわかりませんでした。

 

 8-2 「ブラジル大西洋岸の森 小さなサル 家族の絆で生き残れ!」

 8月9日のNHKワイルドライフの「ブラジル大西洋岸の森 小さなサル 家族の絆で生き残れ!」では、ブラジル東海岸の町イリェウスの「マタ アトランイティカ(大西洋の森)」のキムネオマキザルは石を使ってやしの実を割り「南米のチンパンジー」という異名を持ち、中南米最大のキタムリキは群れの中には順位がなく平等で、別の群れとも決して争わず「世界一平和なサル」と言われています。

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 ライオンタマリンは赤ちゃんが生まれるとオスは赤ちゃんを抱きたくてしかたないようですが母親は拒絶しますが、3mもの大蛇が現れ子ザルが落ち母親が助けに降りると、家族はヘビの注意をそらそうと必死で鳴き、別のサルが安全な方へと母親を誘導し、家族全員で命を懸けて守るなど、家族で子育てします。

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 ウィキペディアによれば、体長25-31㎝で1頭のメスと主に2~3頭のオスが含まれる2~11頭の群れを形成し、1回に2頭の幼獣を年に2回に分けて産み、寿命は15年以上とされています。

 

8-3 アビシニアコロブス・ライオンタマリンとボノボから推定される人類誕生

 メスの子育てを他のメスが助けるケニアのアビシニアコロブスと、オスが助けるブラジルのライオンタマリンは前者はオス主導、後者はメス主導の群れですが、いずれも子育てと群れの天敵からの防衛を通した共同体と家族形成の同時進行の萌芽が見られ、コンゴボノボからヒトへの進化の道筋を示しているように思います。いずれも熱帯雨林に住みながら、アビシニアコロブス・ライオンタマリンとボノボの大きな違いは、後者が地上・樹上生活をしている点にあり、ここに人類誕生の鍵があるように思います。

 草原での狩猟と肉食によって共同体と家族が生まれた、というフィクションは棄却され、共同体・家族形成と言語コミュニケーションによる頭脳発達が先行し、その後に小川・沼での二足歩行と手機能発達が進み、糖質・DHA食によりさらに脳機能の向上があり、最後に草原に進出して体毛の消失になった、と考えられます。

 ゴリラ・チンパンジーボノボだけでなく、サルから類人猿の進化の全体像を把握する必要があると考えます。

9 家族は母と子ザルが生み出した

 学生時代から私たちは同棲していて「性欲結婚」と揶揄されていたのですが、忙しくて家庭のことは妻にまかせきりで、長男が生まれて1歳を過ぎて遊ぶことができるようになってやっと父親としての自覚がでてきたような情けない次第です。

 是枝裕和監督・福山雅治主演の映画『そして父になる』を見たときは、血の繋がりではなく父と子の遊びや教育を通しての反抗期までの繋がりの濃さこそが、父と子の繋がりであると納得しました。母と子の濃密な身体的な乳幼児期からの繋がりとはオスは異なるのです。

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 家族の成立を考えると、「子はかすがい」と言わてきたように、子どもこそが家族成立の鍵であったのではないでしょうか? ボノボをみても乳児期の食料確保や子育ての支援はメス同士が行っており、幼児期からの子どもの長い自立期(反抗期)までがオスの父としての家族への参加であり、そこにはメスの発情期隠しによるセックスでオスを繋ぎとめる戦略があったように思います。

 そもそも女性にオーガズム(アクメ)が何回も何回もあることは、ボノボのような乱婚がヒトの誕生期からあったことを示しているのではないでしょうか。田舎では1960年代まで「夜這い」が行われていた地域があり、古事記には大国主沼河比売(ぬなかわひめ)に「用婆比(よばい)(夜這い)」し、「島の埼々、磯ごとの若草の妻」を持ち、180人の子どもをもうけたと書かれていることをみても、2世紀には母系制社会の妻問夫招婚であったことは確実であり、メスと子の母系家族があって、「オスは父なる」時があった、と見るべきではないでしょうか?

 山極氏は家族の成立をチンパンジーボノボ、ゴリラに見られる「オスのメスへの肉の分配」に置いている「肉食進化説」のようですが、ボノボの子育てがメスとメス集団主導であることからみても、子どもこそがオスの参加した家族を生み出した、と言えるのではないでしょうか? 

 現在はこのような育児を鍵とした家族関係は崩壊し、父親の役割を放棄する男も多く、両親家族から孤立した女性の母性本能に頼れる時代ではなくなってきており、社会全体で子育てを支援する仕組みが必要不可欠です。

 

10 まとめ

 今西錦司氏らから始まる京大などのサル・類人猿研究はたいへん素晴らしく、「人は神が作った」というユダヤ・キリスト・イスラム原理主義者の進化論否定論への反論には有効であり、サルからヒトへの進化解明に大きな役割を果たしたと思いますが、人類学や歴史学との接点が怪しく、特に、日本の縄文社会やスサノオ大国主建国などとの繋がりを無視し、いきなり現代の暴力・戦争や宗教、家族、共食などの問題の解決を「ゴリラ」を参考にして主張するなど、私には大いに疑問です。

 ヒトの「サバンナ起源説」「肉食起源説」「オス主導起源説」が大前提とされ、「熱帯雨林起源説」「糖質魚介食起源説」や「メス主導の家族起源説」「メス・子ザルの進化主導説」などが点が当てられていないことが残念です。

私は母系制社会から父系制社会への移行は、ゴリラと分岐する頃の類人猿段階ではなく、戦争・侵略・女奴隷化を進めたギリシャ文明や春秋戦国時代中国文明からと考えてきており、さらに極め付きは「神がくれた土地」としてカナン人を殺して国を奪ったユダヤ人の宗教がキリスト教としてローマ帝国に引き継がれたことにより、戦争・侵略・奴隷化の暗黒時代として現代に続いていると考えます。

 この闘争と戦争が大好きで金儲けと政治・軍事支配を続けようとする男たちを変えるためには、女こども主導のさらなる進化こそが鍵になるのではないでしょうか?

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/