「縄文ノート77 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界文化遺産登録の次へ」の修正2
「縄文ノート77」の「図3 「文明」の基準をどこに置くか?―『産業文明』史観から『多元・多重文明史観』へ」を修正しました。
西欧中心主義者のギリシャ・ローマ・キリスト教文明を基準にした「西欧文明区分」や、中国清朝末期の知識人・梁啓超(ウィキペディア:福澤諭吉・浮田和民・茅原華山ら日本人の文明観の影響を受けていた)の詩『二十世紀太平洋歌』に見られる中国・インド・エジプト・小アジアのアジア・アフリカ中心の「四大文明論」、さらにはマルクス・エンゲルスの父権世襲制・奴隷制を基準とした「古代奴隷制文明区分」に対し、私は下図を掲げて「多元・多重文明史観」を提案しましたが、呼称を「多元・多層文明史観」に変更するとともに、下図の赤字部分を修正・追加しました。
なお、「文明(英語:civilization)」は、ラテン語のキウィタス(civitas:都市・国家)を語源とし、奴隷制のギリシア・ローマ型の都市・生活・文化を基準としており、マルクス主義の考古学者ゴードン・チャイルドは、文明と非文明の区別をする指標として①効果的な食料生産、②大きな人口、③職業と階級の分化、④都市、⑤冶金術、⑥文字、⑦記念碑的公共建造物(ピラミッドなど)、⑧合理科学の発達、⑨支配的な芸術様式をあげており、私は「宗教論」「共同体文化論」「海洋交易論」の3つを加えて次表を作成し、日本列島では縄文時代から文明社会となったと主張しました。―「縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ」参照
その後、世界の神山天神信仰、高層建造物、黒曜石、女神像などの分析から、「ギリシア・ローマ型」「古代専制国家型」の文明観ではなく、世界各地の地域・産業・文化条件に合わせて各地に多様な「多元・多層文明型」があると考え、前掲の図3を作成しました。
そして、「文明」の始まりを従来の「支配階級」「都市」の形成に置くのではなく、「分業・協業」「集落」「部族共同体社会」に置くことを提案したいと考えます。
全世界各地域の産業・労働・生活・共同体社会・文化・宗教は、一斉に転換期を迎えるのではなく、不均等に「多元的・多層的」に発展するものであり、文明の起点を「古代四大文明」や「ギリシア・ローマ文明」を標準として判断すべきではない、と考えます。
いろいろと迷いながら試行錯誤を重ねており、今後の議論材料としていただければ幸いです。。
<これまでの縄文文化・文明論>
縄文ノート48 縄文からの「日本列島文明論」
縄文ノート49 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして
縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ
縄文ノート51 縄文社会・文化・文明論の経過と課題
縄文ノート52 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について
縄文ノート57 4大文明と神山信仰
縄文ノート58 多重構造の日本文化・文明論
縄文ノート59 日本中央縄文文明の世界遺産登録への条件づくり
縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)
縄文ノート71 古代奴隷制社会論
縄文ノート72 共同体文明論 210506
縄文ノート75 世界のビーナス像と女神像