ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート48(Ⅵ-6) 縄文からの「日本列島文明論」

 2015年に群馬県片品村で赤飯投げを含む猿追い祭りや金精信仰に出合い、群馬・新潟・長野等の縄文文化世界遺産登録を提案して以来、「縄文文化」に関心を持ち、さらに「縄文文明論」が成立するかどうか、ずっと気になっていました。

 そして、昨年、縄文社会研究会・東京の長野県茅野市の合宿でこの「縄文からの『日本列島文明論』」を提案し、さらに迷いながら加筆・修正を行いました。

 「縄文文明論」となると、大多数の人はこれまでの常識に基づき「眉唾もの」と思われるでしょうが、議論の材料としていただければ幸いです。  210128 雛元昌弘

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

  

        Ⅵ-6 縄文からの「日本列島文明論」

                 200729→0826→0909→1112→210128 雛元昌弘

1.これまでのレジュメ

  スサノオ大国主建国論、続いて邪馬台国論に取り組んでいましたが、2014年に縄文社会研究会に参加し、縄文社会・文化・宗教を考えるようになり、縄文人起源論へと進み、さらに「日本列島文明論」を考えるに至りました。次のようなレジュメをパラパラと書いてきました。

⑴ 日本民族南方起源論(旧石器・縄文時代論)

 140617→190131→200128 「人類の旅」と「縄文稲作」と「三大穀物単一起源説」

 2017冬 ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”(『季刊 日本主義』40号)

 180509  狩猟・農耕民族史観から海洋交易民族史観へ

 2018夏 言語構造から見た日本民族の起源(『季刊 日本主義』42号

 181201→30  妻問い・夜這いの「縄文1万年」

 181203→15 「原日本人」のルーツについて

 181204→08 松本修著『全国マン・チン分布孝』の方言周圏論批判

 181210→190110 「3母音」か「5母音」か?―古日本語考

⑵ 縄文宗教論

 140827→0816 霊(ひ)信仰の下での動物変身・擬人化と神使(みさき)、狩猟と肉食

 150526→0816 金精信仰と神使文化を世界遺産

 2015秋  北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰(『季刊 日本主義』31号)

 170721→0726 沖縄は「日(太陽)信仰」か「霊(ひ:祖先霊)信仰」か

 181215 大阪万博のシンボル「太陽」「お祭り広場」「原発」から次へ

 190129  「自然崇拝、アニミズム(精霊信仰)、マナイズム(精力信仰)、霊(ひ:祖先霊)信仰」

⑶ 日本列島文明論

 150723→0816 「石器―土器―金属器」の時代区分を世界へ

 190320・0424→200824 「縄文文明論」考

 190329→200509・0824 「縄文文明論」の検討課題

 190508 日本民族起源論から見た縄文時代

 180509 狩猟・農耕民族史観から海洋交易民族史観へ(メモ)

 2018冬 海洋交易の民として東アジアに向き合う (『季刊日本主義』44号)

 181113→1115  日本文明の原点:石器・土器・鉄器時代の解明すべき論点(メモ)

 190413・24→0508 「日本列島文明論」メモ―ハンチントン文明の衝突』より

 190619→21 32 日本列島文明の誕生(『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』抜粋)

⑷ 縄文文化世界遺産登録

 150526→0816 金精信仰と神使文化を世界遺産

 150923 群馬・新潟・富山・長野縄文文化世界遺産登録運動

 

2.「支配的文化」から「民衆の生活文化」へ

① 縄文時代を遺跡・遺物で整理する考古学の一方で、縄文人はどのように考え、生産・生活活動を行い、現代人とどう関わりがあるのであろうかという関心から、縄文生活論・縄文社会論・縄文文化論などが生まれ、さらには縄文文明論も見られます。世界の人々に通用する文化・文明として「世界遺産登録」を視野に入れて整理しておきたいと考えます。

② これまで日本文化というと浮世絵などの絵画や伝統芸能、園芸・造園・建築などが広く世界に知られ影響を与えましたが、民衆の生活の一部であり、失われつつある「和食」などは一般的には文化として認められていませんでした。しかしながら、自然志向や健康食、行事食(お祭り食)への関心が世界的に高まってきたこともあり、2013年にはユネスコ国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に「和食」が登録され、それからは、広く国民の間で貴重な「文化」として認知されるようになっています。

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③ 支配的文化ではなく、民衆の生活文化への視点が重視されるようになると、古代史の分析においても、巨大なシンボリックな施設だけでなく、民衆の生産活動や日常生活の痕跡の中に文化を見い出すような視点が求められるようになります。

 

3.「縄文文化論」から「縄文文明論」へ

① 和食が重要な文化として認知されるようになると、「和食」のルーツとして、神との共食文化と考えられる世界最古の「土器鍋食」は重要な文化として浮かび上がり、この「土器鍋食文化」は「土器」という重要な調理器具、ハードがあって成立したのですから、「石器-土器-鉄器」という文明段階として論じることができる、と考えます。さらに、土器鍋食文化となると、食材のイモや穀類などの食材について、農耕によるものとなれば「農耕文明」の検討が必要となります。

 

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 もはや縄文土器などの考古学ではカバーできない領域に縄文研究は入ってこざるをえない、と私は考えます。「和食」の世界遺産登録に料理人が大きな役割を果たしたように、広く関係者の取り組みが求められます。

② 「縄文文化」については、高度なデザインの縄文土器があり、岡本太郎氏の「太陽の塔」などのデザインにも影響を与え、広く世界で認知されてきています。しかし「縄文文明」となると、そこに踏み込んで論じているのは後で紹介するように哲学者や民族学者・環境学者などまだ一部の人たちです。

 そこで、広く検討・議論するためにも、「文化」と「文明」の整理をしておきたいと考えます。

 

4.文明の定義

① 小学6年生の時と思いますが、私は「文化は精神的なもの、文明は物質的なもの」と習ったように記憶していて印象的だったのですが、ほとんどの皆さんもそう習ったと思います。

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 私の分野である建築・都市・まちづくり・地域振興などに当てはめると、「基本理念(思想・精神)・方針(利用・実現・実施方針)」→「設計(デザイン・構造・設備・環境・運営)」→「実施(建築・建設・事業・活動)」→「利用・活動(生産・消費生活など)」において、「基本理念・方針・設計・利用」などが文化、それを具体的な形にした「ハード」を含む全体が文明と整理できます。

② 文化・文明は和製漢語(日本オリジナルの定義)なので、そこからまず考える必要があります。す。

 「文(もよう、文章、手紙等)が化けるのが文化」、「文を明らかにするのが文明」という和製漢語から考えると、造語者は「文化=ソフト、文明=ハード」と整理していたと見られます。どちらにも「文」字を使っていることからみて、「文字で表す基本理念・設計・利用・活動などが文化」、それを具体的な形とした「文化を包む施設や都市などのハードが文明」として定義したと考えられます。

 縄文時代には文字がありませんが、このような規定で「文」を「基本理念(精神)・思想(宗教思想を含む)」と広くとらえ、それを具体的な形で明らかにした縄文土器の模様・絵文字、立棒円形石組・女神像などの造形を「文明」として見れば、縄文時代は1つの文明段階になります。例えば、日本発の「Emoji(絵文字)」は今や世界標準となっていますが、その伝統は縄文時代の「〇」(女性器、泡)や「〇〇」(目、乳房)、「△」(神那霊山)、「▽」(女性器)、「勾玉形」(霊・魂)、「縄文」(結び=産す霊)、「渦・対流」などに遡る絵文字になります。縄文人には「文化を土器や土偶、石組などの形にする」という文明があったことになります。

 脱線しますが、このような絵文字を象形文字としたのが漢字であるからこそ、倭人はスムーズに漢字を受け入れ、さらに独自の「倭製漢字・漢語」や「倭流漢字用法」を生みだすことができたのです。倭人は「火+田」の焼畑が「畑」、「白+田」の秋から春にかけての乾田が「畠」など、独自に漢字を生み出すことができたのです。

③ 一方、エーゲ・ギリシアの歴史を起点として文明を考える西欧では、「文明」の原語は「civilization(都市化)」であり、古代都市国家を生み出した思想、産業・人々の生活、科学技術・文化、神塔・神殿や水利施設や城壁都市などを包括して総合的にとらえた概念が文明になります。

 特に、メソポタミア楔形文字(表語・表音文字)やエジプトのヒエログリフ文字(象形文字)などの文字や天文学、巨大なエジプトのピラミッドや神殿・神像、メソポタミアジグラット(聖塔)、ギリシアの神殿、人々が集まる都市の城壁と門、水利施設などの遺跡が文明の基準、指標とされました。

 

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 この規定だと、紀元2世紀の大国主の杵築大社(きつきのおおやしろ:出雲大社)、シンボリックな楼観・宮室を設け、環濠と城柵で囲った邪馬壹国、壱岐原の辻遺跡(紀元前3世紀~紀元4世紀頃)、佐賀の吉野ヶ里遺跡(紀元前4世紀~紀元3世紀頃)などから、紀元前後からわが国は初期都市国家の文明段階とみていいと考えます。

 委奴国王スサノオ卑弥呼後漢皇帝から金印をもらい、卑弥呼後漢に上表しており、北九州や出雲などでは紀元前後の遺跡から硯石が発見され、漢字使用の文明段階になります。一方、縄文社会には城柵はなく、土地や財宝・奴隷の略奪戦争の痕跡もなく、女神信仰の母系制社会であり、前文明段階の未開社会になります。

④ さらに原始共産社会を理想としたエンゲルスは、マルクスの草稿をもとにした『家族・私有財産・国家の起源』において、生産・生活様式によって「野蛮」(採集・漁業・狩猟)→「未開」(土器・定住・牧畜・農耕)→「文明」(肥沃な大河周辺地帯での金属器による灌漑農業・騎乗遊牧生活)という文明発展説を展開し、「氏族共同体」(古代ギリシア・ローマ・ゲルマン)→「古代」(父権世襲制奴隷制、略奪戦争)→「封建制」→「資本主義」という発展論を示しています。

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  この規定によれば、日本の旧石器時代は「野蛮」、縄文時代(土器時代)は「未開」(土器・定住・縄文農耕)、沖積平野での鉄器水利水田稲作の開始による1~2世紀のスサノオ大国主建国からが「文明」(鉄器水利水田稲作)段階になると私は考えます。

⑤ しかしながら、縄文農耕や鉄器時代記紀に書かれたスサノオ大国主建国などを認めない通説歴史家たちの区分によれば、「土器・定住あり、農耕なし」の縄文時代は「半野蛮・半未開」、紀元前10~3世紀の「鉄器なし、天水・水辺稲作」の弥生中期前半までは「半未開・半文明」、紀元前2~紀元3世紀の弥生中期中葉~後期からが「文明」段階になります。

 私のような記憶力の弱い人間にはどうしても覚えきれないこのような複雑な時代・文明区分にしてしまったのは、土器様式で「縄文時代弥生時代」の時代区分を行ったガラパゴス史観と、土器基準から稲作開始基準に変更して「弥生時代」を500年あまり遡らせて紀元前10世紀にした御都合主義、「農耕=水田稲作弥生時代」と狭く規定して縄文農耕を認めない米本位主義、九州・出雲・吉備・播磨中心の鉄器時代を認めたくない大和中心史観という歴史家たちの4つの旧説墨守の原因と言えます。

 

5.「共同体文明」の新たな設定

① 以上は西欧基準の文明史観に基づく検討ですが、そもそも「西欧文明史観」をそのまま当てはめて縄文社会・文化を考えるか、それとも日本の縄文文化やイギリスのストーンサークル文化、南北アメリカの古マヤ・古アンデス文化などを含めて、脱西欧文明史観の「共同体文明」を新たに設けるか、の検討から始めるべきです。

 私は大学に入って家族(母系制→父系制)・私有財産(奴隷を含む)・国家を分析軸とした「原始共同体→古代国家→封建制→資本主義」というエンゲルスの文明発展段階を知り、その延長上で縄文時代は「未開」、紀元1~2世紀の鉄器水利水田稲作と妻問夫招婚によるスサノオ大国主建国からが「文明」段階とこれまで考えてきましたが、この西欧型農業モデルの「エンゲルス文明基準」だと「父系制」「略奪婚・奴隷制」「城壁都市」などはスサノオ大国主一族の「葦原中国」には当てはまりません。

 なお、「石造巨大建造物」については、未完ですが兵庫県高砂市の「石の宝殿」と奈良県橿原市の「益田岩船」は大国主・大物主連合ができた際の記念構造物と私は考えており、「葦原中国」にも当てはまると考えます。ただ、木材の豊富なわが国では石造建造物を必要とせず、山上の巨石の磐座(いわくら)に霊(ひ)が宿るという巨石信仰があり、石を石材として利用することを控えたため「石造巨大建造物」文化は成立しなかったと考えています。

② さらに、「稲作をもたらした弥生人(中国人・朝鮮人)による縄文人征服説」による縄文時代かの非連続な弥生時代の時代区分説に立てば、紀元前10世紀の弥生時代からが「日本文明」ということになります。

 しかしながら、日本語の「主語-目的語-動詞(SOV)」の言語構造からみて、「主語-動詞-目的語(SVO)」言語族の長江流域中国人による縄文人征服説は成立せず、「かみ、ジン、シン」「こめ、マイ、ベイ」などの「倭音倭語、呉音漢語、漢音漢語」の3重構造や、わが国がインドネシアベトナム・フィリピン・台湾のような多言語・多文化の多民族構成となっていないことからみても、中国人・朝鮮人征服説は成立しません。

 毎年、4人の男性がアジア各地から漂着・移住すると縄文時代1.5万年の間には6万人の流入があり、海の上を自由に行き来する海人族の性質からみて一方通行ではなく故地との双方向の交流・交易が生まれた可能性が高く、縄文人現代日本人のDNAの多様性は、弥生人征服説でなくても成立します。

③ このような外発的発展説に対し、私は海洋交易民である縄文人は「石器―土器―鉄器」時代の内発的発展をとげたと考えており、「イモ豆栗6穀」の縄文農耕と土鍋食文化の延長上にスサノオ大国主一族の鉄器水利水田稲作の普及による建国があり、記紀に書かれたスサノオ大国主建国神話を真実として考えています。

 この内発的発展史観においては、森と多雨の自然と調和した「イモ豆栗6穀農業」と健康長寿の土器鍋食文化、妻問夫招婚・歌垣の母系制社会、霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教に基づく海神・水神・地神・山神・木神・天神・神籬(霊洩木:ひもろぎ)・神名火山(神那霊山:かんなびやま)信仰、天と海・川・地・山を結ぶ神使の蛇(龍蛇)神・雷神・鳥・狼・鹿崇拝、巨木楼観建築や環状墓地などは、精神的・物質的な豊かな独自の「部族共同体文明」であり、自然と世界を支配しようとした西欧型文明の行き詰まりに対し、東アジア文明としてその役割を果たすべきと考えます。

 「弱肉強食・優勝劣敗の戦争こそが人類を進歩させた」という「戦争史観」に対し、「共同体文化」「交流・交易文化」を基本とした文明があることを縄文研究から明らかにしたいと考えます。

④ この「部族共同体文明」はマルクスの家族単位の「原始共産社会」やエンゲルスの氏族単位の「氏族社会」とは異なり、母系制の妻問夫招婚と共通の祖先霊祭祀、活発な交易により、海人族系と山人族系からなる部族など、「氏族」単位を越えて大きくなった社会を想定しています。

 この「部族共同体社会」は「百余国」を統一したスサノオ大国主一族の「部族共同体連合」の「葦原中国」にそのまま引き継がれます。大国主は妻問夫招婚により各地に180人の子どもをもうけ、共通の祖先霊祭祀(八百万神信仰)と交易(米鉄交易)による共同利害によって「部族共同体連合国家」を作り上げますが、それは、強力な軍事征服支配の「古代専制国家」とは異なるものであり、後継者争いから分裂して「30国」の邪馬壹国ができるなど、脆さをもった古代国家といえます。

 

6.主な縄文文明論

 全ての著者・著書に目を通しているわけではありませんが、歴史学者ではない梅原猛梅棹忠夫安田喜憲川勝平太の4氏の縄文文明論について整理・検討してみました。

⑴ 梅原猛(哲学:古代史)

① 梅原猛氏は『縄文文明の発見―驚異の三内丸山遺跡(共著)』『森の思想が人類を救うー21世紀における日本の役割』『近代文明はなぜ限界なのか(対談)』『文明への問い』『長江文明の探求(共著)』『日本の深層-縄文・蝦夷文化を探る-』などで縄文文化・文明論を哲学者として先駆的に展開されています。

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② 梅原猛氏の法隆寺論・出雲論の「怨霊史観」に対しては「霊(ひ)・霊継ぎ(ひつぎ)史観」の裏返しであると考え、『水底の歌』の「柿本人麻呂水死刑説」に対しては「海神信仰説」であるとし、縄文論については氏の「北方起源説」に対して「南方起源説」であるとするなど、梅原史観に対して私は批判的でしたが、私の『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)を編集者を通して進呈したところ、「必ず読みます」とのハガキをいただいたことがあり、縄文文明論と出雲王朝論との関係について議論できなかったことが悔やまれます。

③ 梅原文明論は、縄文時代を狩猟採取時代とし、「森の文化・森の神・森の文明」という考えであり、近代文明の危機に対置した縄文文明論として画期的な問題提起と考えます。ただ、地神・地母神、山神、神籬・御柱、海神、天神信仰との関係などがバラバラの提起されて体系化されておらず、また、縄文農耕を考えていない限界があると考えます。

 三内丸山遺跡の6本の巨木を神木(神籬=霊洩木)としているのに対して私は神那霊山信仰の楼観神殿と考えており、安田喜憲氏との共著の『縄文文明の発見』で三内丸山を「縄文都市」とみる点については、「文明=都市」規定から疑問を持っています。

 

⑵ 梅棹忠夫民族学:日本文化論・日本文明論)

① 梅棹忠夫氏は『文明の生態史観』『女と文明』『日本文明77の鍵』『世界史と私―文明を旅する』『宗教の比較文明学(編)』などで、「地域性」にこだわって独自の文明論を展開しています。

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② 私は著名な梅棹忠夫氏を「民族学者」と思い、文明論を展開していることを知らなかったのですが、エンゲルスの時間軸と農業からの文明論に対し、「文明の生態史観」という水平軸・地域軸、自然・気候風土・農業環境軸での文明論は新たな問題提起と考えます。世界の各文明との対比で日本文明を分析しており、古ギリシャ文明の女神が縄文と同じ母系制社会を示しているとしていることなどは重要な指摘です。

③ 三内丸山の6本柱を「単なる列柱」「見張り台」ではなく「神殿」(私は楼観神殿説)とみるのは卓見と考えますが、「全国から信者が集まる神殿都市説」になると疑問であり、茅野市の中ツ原遺跡の8本巨木柱の楼観神殿など、各地にそれぞれ同様の未発見の宗教施設があったのではないかと考えています。  

④ 『日本文明』を縄文を起点として現代にまで広げて分析しながら、エンゲルスの時間軸との関係を統合できておらず、旧石器・縄文・弥生・古墳時代の時代区分論との整理もされず、縄文文明論と現代との繋がりが明らかにされていないのは残念です。

 

⑶ 安田喜憲(地理学:文明論)

① 『縄文文明の発見―驚異の三内丸山遺跡』『水の恵みと生命文明』『』『一万年前 気候大変動による食糧革命、そして文明誕生へ』『環境文明論-新たな世界史像-』『稲作漁撈文明-長江文明から弥生文化へ-』『海・潟・日本人-日本海文明交流圏-』『一神教の闇-アニミズム復権-』など、始めて総合的な縄文文明論を展開されています。

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② これまで読む機会がなかったのですが、「環境文明論」の視点から、縄文文明を「森の文明」「稲作漁撈文明」「日本海文明」「生命文明」など多角的に分析するとともに、自然破壊や気候変動から近代文明の危機について鋭い批判と提案を行っています。

③ 「文明には原理がある」とし、文明の「精神」(ソフト)と「制度・組織・装置系」(ハード) から分析し、文明の「原理」「精神」「品格」から縄文文明を近代ヨーロッパ文明や4大古代文明に対置し、自然と生命を基本原理・精神とした文明論は、「霊(ひ)信仰・霊継(ひつぎ)信仰=命(DNA)のリレー」を基本に置いて考える点で私と同じです。

 しかしながら、縄文の「森の文明」に対し、長江文明を携えた弥生人による「稲作漁撈文明」という旧来の2重構造論であり、「イモ豆栗6穀」の縄文農耕やバランスの取れた豊かな土器鍋食文化とその延長上にある鉄器水利水田稲作へと連続するスサノオ大国主建国を認めない外発的発展史観・征服史観の枠組みから抜け出せていないのはちょっと残念です。

 

⑷ 川勝平太(経済学:比較経済史)

① 川勝平太氏(現静岡県知事)には『文明の海洋史観』『文明の海へ―グローバル日本外史』『「美の文明」をつくる―「力の文明」を超えて』『「美の国」日本をつくる―水と緑の文明論』『近代文明の誕生―通説に挑む知の冒険』などの著書があります。

② 梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』の「ユーラシア大陸の乾燥地帯の遊牧民文明」を東洋・西洋の「農耕文明」の間にもうけた「陸地文明生態地図」に対し、川勝氏は四方に海洋を置いた新たな「海洋文明地図」を提案しています。梅棹氏の「遊牧民文明」に対し、「海洋民文明」の提案を行っています。

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 「4大古代文明」から見れば辺境の大陸西端の西欧と東端の日本が近代化を成し遂げることができたことについては、「海洋文明史観」で説明されています。

② 私の母方の祖母の家が代々、御座船で住吉大社宮司に仕えたことや、義理の叔父は笠岡市の神島(こうのしま)の「一杯船主」で金刀比羅神社に船で参っていたことなどを聞き、海や舟には関心があり和船やカヌー・小型ヨットで遊んでいた私は、海人族の歴史を中心に古代史や戦国史明治維新などを考えてきており、川勝平太氏の「海洋史観の文明地図」や、網野義彦氏の中世の「海民論」(著書名を忘れました)は興味深く、私には共感できるものでした。

③ 川勝氏が批判する「陸地文明史観」を私は「ウォークマン史観」「騎馬民族史観」と呼び、そもそも人類の拡散は「海の道」によっていると考えてきましたが、川勝氏の本は古い1998年の『文明の海洋史観』しか持っておらず、他の新しい著書は読めていないので、日本列島人形成論、交易・外交論と農耕論、言語・文化・宗教論を総合して日本列島の通史としてどのように「海洋文明史観」を川勝氏が展開されているのかは、追って加筆・修正したいと思います。

 

7.縄文時代(土器時代)に遡る「日本列島文明論」

 ヨーロッパ先史時代の研究のマルクス主義考古学者のゴードン・チャイルドは文明の基準としてさらに細かく「効果的な食料生産」「大きな人口」「職業と階級の分化」「都市」「冶金術」「文字」「記念碑的公共建造物」「合理科学の発達」「支配的な芸術様式」の9つの指標を掲げています。私はそれに「宗教」「共同体文化」「交易・交流」を加え、「縄文時代」「紀元1~2世紀のスサノオ大国主一族の建国」「天皇家大和朝廷」のどの段階から文明段階と認めるべきか、検討してみました。

 これまで、スサノオ大国主一族の建国からを文明段階と考えてきましたが、この基準によっても縄文(土器)時代1万年を1つの文明段階として位置づけるべきと考えるに至りました。

 「朝鮮・長江流域からの弥生人による縄文人征服」の延長上に弥生人天皇の建国を位置付ける「新旧皇国史観」「反皇国史観」「大和中心史観」は、縄文文明論とスサノオ大国主建国文明論に対し、2重の見直しが必要と考えます。

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8.「文明の衝突」論と「文明の共通価値」論について

① 「四大文明論」は中国の清朝末から中華民国にかけて活躍した学者・革命家・政治家・ジャーナリストであった梁啓超(りょう けいちょう)が唱えたもので、「河流文明時代→内海文明時代(ギリシア・ローマ時代)→大洋文明時代」と時代区分する鋭い文明観を提案しています。私は彼の「四大文明論」だけ教わったのですが、彼の業績や肝心の「河流文明→内海文明→大洋文明」という文明区分は知らないままでした。

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 NHKスペシャルは2000年より「四大文明」を放映し、さらに「四大文明エピローグ 地球文明からのメッセージ謎のマヤ・アンデス」を付け 加えているのはいいのですが、梁啓超の「内海文明時代」を取り上げ、「エーゲ海地中海文明」に「東シナ海日本海文明」を付け加えて紹介することも、「日本列島文明」を追究・紹介することもなく、「四大文明」賛美に終わってしまっているのは残念です。

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② このアフリカ・アジアの古代4大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・黄河)は、大河を治水して沖積平野で大規模灌漑農業を行う大規模農業・土木型の「河流文明」であり、エジプトと中国は「古代専制国家型文明」であり、領土拡張戦争を繰り広げ、何度も王朝交代を繰り返しています。

 一方、メソポタミア文明は神を天から迎えるジグラット(聖塔)と城壁、灌漑施設があり、階級分化は見られるものの侵略的・略奪的な古代専制国家ではなく、ドラヴィダ族によるインダス文明は水利施設がある計画的な都市ながら城壁はなく、母系制社会であった可能性が指摘されており、「古代4大文明論」はひとくくりにはできないことをみる必要があります。中国もまた、彼らが大事にする「姓」字が「女+生」であることなどから、姫氏の周王朝までは母系制であり、春秋・戦国の時代から父系制にかわったのではないか、と私は考えています。

 この「四大古代文明」は文字や数学・天文学(暦)など、人類の発展に大きな役割を果たしますが、欧米ロ日の植民地支配にさらされ、民主主義革命と産業革命による資本主義社会への移行は長らくできませんでした。

③ エンゲルスの「原始共同体→奴隷制封建制→資本主義」の文明発展論などに対し、英国の歴史学者アーノルド・J・トインビーは、その西欧中心史観を批判し、地域性・文化性・宗教性を分析に加え「西ヨーロッパ文明」「東ヨーロッパ文明(ビザンチン文化→帝政ロシア)」「アラブ文明」「ヒンズー文明」「中国文明儒教)」「日本文明(大乗仏教)」の6文明論を主張しました。

 文化・宗教を加えた文明の分類は画期的ですが、日本文明を「大乗仏教」としているのは表面的であり、縄文時代から続く霊(ひ)信仰の「古神道大国主の八百万神神道)」こそ日本文明の宗教とすべきであったと考えます。

 なお、明治政府は「アマテラス神道」を国家神道とし、天皇を神として支配の中心イデオロギーとしますが、教育勅語全体が儒教朱子学)精神で貫かれているように、むしろ徳川幕府の支配思想を継承した「儒教中国文明」の支流と言わざるをえません。

④ さらに、サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』(1996年)において、ラテンアメリカ文明 とアフリカ文明を追加し、現存する8大文明として中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、日本文明、東方正教会文明、西欧文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明をあげ、5つの『世界的な宗教』であるキリスト教イスラム教、ヒンドゥー教儒教、仏教のうち、一神教世界宗教キリスト教イスラム教の文明対立を社会主義国との東西階級対立後の新たなアメリカの世界戦略として位置づけています。

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⑤ 一方、中国の習近平主席は「四大文明の中で中華文明だけが中断なく続いている」「中華民族の偉大な復興の実現が、近代以降の中華民族の最も偉大な夢だと思う」とし、古代専制王朝(漢・元・唐・明など)と遊牧民王朝の元・清を受け継ぐ「中華社会主義国」として「一帯一路」戦略をとっています。

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 そしてギリシャとともにイラク・エジプト・インド・メキシコ・ペルーやボリビアなども参加する「古代文明フォーラム」を設立し、近代西欧文明批判の世界戦略を描いています。

 インドと国境紛争を意識しているのかどうか、中国の考古学では長江流域がインディカ米・ジャポニカ米の発祥の地であるとする説も出てきており、これに呼応するかのような「弥生人(長江流域江南人)の縄文人征服説と弥生人天皇家の建国説」もわが国には右派・左派を問わず根強く見られます。その批判は「縄文ノート26 縄文農耕についての補足」を参照ください。

⑥ 世界単一市場化(グローバライゼーション)による格差社会化が進む中で、ユダヤキリスト教右派イスラム教過激派、中華社会主義と西欧諸国の文化・文明の対立が煽られる現代、私たちは日本文明をどこに、どう位置付け、どこへ向かうべきなのか、日本文明論を本気で考えなければならない時代と考えます。

 多くの国民は葬式仏教の現状から「大乗仏教」の国と言われてもピンときませんし、江戸時代・戦前の「儒教朱子学)の上下秩序重視」の「中華文明圏」に属すると言われても違和感を覚えるのではないでしょうか?

⑦ 私は日本列島文明は、4大大河文明の周辺に位置しながら海洋交易民として独自の発展を遂げており(母系制文化・共同体文化・祖先霊信仰・自然共生の生類文化・森林文化・巨木建築文化・土器食文化など)、古エーゲ文明(キクラデス文明)とは海洋交易民として共通性を持っていると考えます。また環状列石・環状列柱はイギリスのストーンサークル(環状列石)文明と、霊(ひ=pee)信仰や倭音倭語はインドのドラヴィダ族と共通し、森林と農業の循環を大事にする照葉樹林文化は東インドミャンマー雲南高地民と共通しています。

 古エーゲ文明(キクラデス文明)、イギリス環状列石文明、古マヤ・古アンデス文明などとあわせて「5大古代共同体文明」と名付けてもいいと考えますが、「4大文明」にもそれぞれ共同体社会段階があり、さらに共同体文明論としての解明が求められます。 

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⑧ 「近代科学文明」国としてはイギリスを中心とした西欧文明、それにアメリカ、日本が続いたのは、「海洋交易民」として多様な文化の積極的な受け入れと海洋交易を抜きにしては考えられません。しかしながら、グローバリゼーション(世界単一市場化)によるこの「モノカネ(拝物・拝金)文明」は格差社会化と地球環境破壊による異常気象という行き詰まりをみせており、新たな「共同体文明」の創造に向かうことができるかどうか、分岐点を迎えています。

⑨ 縄文(土器)文化の世界遺産登録を進めるにあたっては、「縄文文明論」「日本列島文明論」を明確にした上で世界の各文明との関係性を明らかにし、「各文明の共通価値」を見出し、「文明の衝突」の回避に向けて世界へ情報発信する必要があると考えます。

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9.今後の課題

① 地球が温暖化傾向から寒冷化に向かう5000年前頃の危機の中で、世界で一斉に農耕が始まり新しい古代文明が誕生したと考えられます。 

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② その文明の解明には、「地域」「産業」「生活」「社会」「科学技術」「言語」「宗教・芸術」から総合的に考えていく必要があると考えます。

 「大河地域―砂漠・草原地域―多島海地域」などの地域軸、「共同体社会―氏族社会―古代専制社会―封建社会―近代社会」「河流文明→内海文明→大洋文明」などの時間軸、「農業革命―工業革命―情報革命」という産業軸、「霊継(ひつぎ)宗教―自然宗教絶対神宗教」という宗教軸などを総合した文明論です。

③ 最終目標としては、「文明の衝突」「宗教対立」「階級対立」を超える歴史的な共通価値としての「命」=「霊(ひ)=DNAの継承」を明確にし、新たな「生類共同体文明」を展望したいと考えます。

④ すでに縄文時代を起源とする「山・鉾・屋台行事」(宗教文化)と「和食」(生活文化)の2つがユネスコ無形文化遺産に登録されており、これに縄文宗教・文化・社会を示す遺跡を加えて統一的な説明を行うことにより世界遺産登録は可能と考えます。縄文遺跡のハードからだけではない、精神文化・生活文化からのアプローチが重要です。

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 ⑤ 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産登録や各地の縄文遺跡との連携を図り、「縄文文明」として、沖縄から北海道までの「土器時代」(石器・土器・鉄器時代区分)全体の世界遺産登録を最初から目指すか、それとも「日本中央縄文文明」としてまずは世界遺産登録を目指すかは、今後、議論すべきと考えます。

 

<資料1>  「縄文文明論」考

                      190320・0424→200824 雛元昌弘

1.古代文明論について

① 肥沃な大河のほとりで穀物栽培を開始し、金属器を使用して農耕・土木・建築・戦争を行い、古代国家を作り上げ、文字や数学・天文学を発達させるなど、産業・政治・行政・生活・文化(文字・哲学・科学・宗教・芸術)の新たな時代を作り上げたという点において、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河は「4大文明」とされてきました。

② 一方、近年、イギリスの巨石文明や縄文文明を主張する流れとともに、「エーゲ文明(ミケーネ・クレタ・トロイ)」「ギリシア・ローマ文明」「古マヤ文明」「古アンデス文明」「遊牧民文明」などの文明論も見られます。

③ さらに時代が下がると、「ヒンズー教・仏教などの多神教」に対し、「ユダヤ・キリスト・イスラム一神教」は世界宗教として現代にまで大きな影響を与えており、文明論を「文化」の中の「宗教」という1ジャンルに押し込めていいのか、という検討も必要と考えます。「近代産業」「貨幣経済」とともに民族・国家を超えた影響を持っているからです。

④ このような文明観の中で、わが国はどのように位置づけられるのでしょうか?

 

2.「縄文文明論」について

① これまで、「縄文土器時代」は、「土器の編年」からの考古学の区分でしたが、大きく変えたのは岡本太郎氏の「縄文芸術論」であり、さらに「縄文文化論(西垣内堅祐弁護士等)」「縄文生活論・縄文社会論(上田篤氏等)」「縄文文明論(梅原猛梅棹忠夫安田喜憲川勝平太氏等)」などの主張がみられます。

② 日本のアカデミズム主流は、「進んだ弥生、遅れた縄文」「進んだ中国、遅れた日本」「進んだ西欧、遅れた日本」、「アジア的生産様式」などの拝外主義の思い込みが強いのか、あるいは物証主義によるのか、縄文論を「仮説検証型」で進化・発展させてきたのはアカデミズム傍流、あるいは他分野、在野の人たちかもしれません。

③ 例えば「石器-縄文-弥生-古墳」時代の日本の独特の時代区分は「石と土の日本文明」という強い思い込みにとらわれたものであり、この「セキ・ドキ・ドキ・バカ」時代区分が世界に通用するとは思いません。素直でない私は小学生の時、日本に「金属器時代」がないことにどうしても納得できませんでした。

 単純に「石器-土器-鉄器」の時代区分に変え、沖縄から北海道を結ぶ「貝とひょうたん・ヒスイ」「日本海を結ぶ黒曜石」の道、成熟した文化中心の信越・北関東・東北地方、鉄器文化中心の北九州・山陰・中国地方、沖縄から北・東への方言・地名の移動などに着目し、「大和中心史観・天皇中心史観」から脱すべきと考えます。

④ さらに重要なのは、大陸から海に隔てられた多島列島という地勢的条件と黒潮対馬暖流により、日本列島には多くのDNAを持った人々が移住しながら、部族抗争に明け暮れる多民族国になることなく、竹筏・丸木舟・鳥船(帆船)により活発に交流・交易を繰り広げ、1万年にわたる平和な縄文社会、漁撈・狩猟・縄文農耕の安定した食料確保と栄養豊かな土器煮炊き・蒸し料理文化を創り上げ、鉄器文明時代に入って「鉄先鋤革命」により水田稲作を一気に全国に普及し、妻問・夫招婚による「八百万神」信仰によるスサノオ大国主王朝建国という、独自の産業・政治・生活・文化を持った社会・国づくりを行ってきたのです。

⑤ 縄文時代の人骨2582体のうち何らかの攻撃・武器による死亡は23体(0.9%)、弥生時代は100体/3289体(3%)とされており(中尾央:『日経サイエンス』2018.12)、「戦争は人類の本能」「戦争が人類を発達させた」という戦争文明史観を否定しています。

⑥ 今、求められているのは、この縄文社会・縄文文化を、「縄文文明」として整理し、世界に発信することではないでしょうか? それは、考古学の石器・土器分類学には収まらない作業となります。

⑦ 「海洋交易民文明」として、西の「エーゲ文明」「ギリシ・ローマ地中海文明」に対し、東の「日本列島文明」「縄文文明」を対置すべきと考えます。

 縄文1万年の祖先霊信仰(霊(ひ)継ぎ=DNAリレー)から続く「八百万神」信仰は紀元前6世紀からのギリシア哲学や紀元前5世紀頃の旧約聖書に対置でき、自然との共生、栄養豊かな土器煮炊蒸料理・生魚食文化は現代にまで影響を与え、紀元前8世紀~紀元後1世紀のギリシア神話には紀元1世紀前後の記紀神話が対置できます。

 紀元前9世紀からのギリシア文字に対し、わが国には「縄文絵文字」の伝統の上に象形文字の漢字文化を受け入れ、万葉仮名の成立は5世紀頃とされていますが、魏書東夷伝倭人条によれば、文書による「上表」、「文書の伝送」が3世紀に行われていたことが確実であり、紀元1世紀の委奴国王の後漢新羅との外交、スサノオ大国主王朝の成立に伴う「神在月」の行事などからみて、紀元1世紀には独特の音訓併用漢字(表意表音文字としての漢字)を使用していた可能性が高いと考えます。

 

3.「日本列島文明」か「縄文文明」か

① この1万年を越えるわが国の海人族の「文明」をどのように名付けるのか、今後、更に検討・議論が必要と考えますが、私の現時点での考えを述べておきたいと思います。

② 「海洋交易民」としての文明の特徴を示すなら「日本列島文明」になりますし、「土器文明」ではなく「縄文」に特別の「産す霊=むすび」の意味を持たせるなら、「縄文文明」になります。

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③ この国の始祖神の「霊(ひ)を産む神」である、高御産巣日(タカミムスヒ:高皇産霊)・神産巣日(カミムスヒ:神皇産霊)の名称、人(霊人)・彦(霊子)・姫(霊女)・聖(霊知)・卑弥呼(ヒミコ:霊巫女)などの名称、アマテル・スサノオの「ウケヒ:受け霊」から考えると、「縄」は「ムスヒ=結び」のシンボルであり、男女が「ウケヒ」で「ムスヒ」=「霊(ひ)を産む」シンボルであった可能性があります。

 従って、霊(DNA)を繋ぐ「霊(ひ)信仰」のシンボルとして「縄文」をとらえ、その土器で料理し、家族・祖先霊とともに共食しべて命を繋ぐ神器として「縄文土器鍋」に特別の宗教的な役割を考えていたとすると、「縄文文明」としてアピールした方がいいといえます。

④ この霊(ひ)信仰は、他の動物や植物なども霊(ひ)を持っていると考える生命尊重・自然共生の宗教であり、古代人の宗教を「自然崇拝:自然(太陽、山、海、雷・・・)そのものの崇拝」、「アニミズム(精霊信仰:自然に宿る精を信仰)」「マナイズム(聖力信仰:自然や人にとりつくマナ(精なる力)信仰)」ととらえるのではなく、「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教」という世界的に普遍的な宗教としてアピールすべきです。

 

 

<資料2>    「縄文文明論」の検討課題

                       190329→0509→200824  雛元昌弘

1.民間研究者の役割

(1) 大胆な仮説検証型の方法論

(2) 細分化された多様な分野の多様な説の整理・統合

(3) 現代的な課題への提言(文明論、文化論、宗教論、芸術論、政治論・・・)

 ① 「中国・アメリカの周辺文明国」か、「自立発展文明国」か

  ―拝外主義・排外主義の両コンプレックスの克服

 ② 「西欧白人文明進歩史観」の再検討

  ・「肉食史観」「3大穀物史観」「焼食史観」対「魚食史観」「いも食史観」「生食・鍋食史観」

  ・「原始共同体→古代専制国家→封建社会→民主国家→社会主義国家」の進歩史観

  ・「主語―目的語―動詞言語」(自他尊重文化)対「主語―動詞―目的語言語」(自我優先文化)

   ―「主語―目的語―動詞」言語族と「主語―動詞―目的語」言語族の出アフリカと拡散分析

  ・「表意文字」対「表音文字」対「表意・表音文字

  ・「一神教史観」対「多神教史観」

  ・「人間中心宗教(信仰心を持つ人間だけが天国へ行ける)」対「死ねば誰もが神になるという動物を含めた霊(ひ)の再生宗教(八百万神信仰、生類愛信仰)」

③ 「文明の衝突」(サミュエル・ハンチントン)に対する、「文明の共存・共生」の提案

―「多DNA・多民族・3層構造の融合言語・複数宗教(神道儒教・仏教・キリスト教など)・複数国家(日本国と琉球国)」の海洋交易民文明

 

2.世界史の中での「縄文社会」の解明課題

① 「縄文文明」「日本列島文明」論は成立するか?

② 「4大文明(黄河・長江を1つとみる)」、「地中海文明」、「アスティカ・マヤ文明」、「オアシス・遊牧民文明」などとの違いと独自性の整理

③ 生産―生活―文化(言語、文字、宗教、芸術、政治)の総合的な文明論

 

3.古代文明論の整理

① 「狩猟採取民史観」、「海人族(漁労交易民)史観」、「農耕民史観」、「砂漠・オアシス・草原遊牧民史観」

② 「石器・土器・鉄器時代区分論」(武器史観から、生活用具史観へ)

③ 「肉食史観」「3大穀物食史観」対「イモ豆栗6穀・魚介食史観」

―「焼食窯食文化」対「煮炊き蒸し食文化」

④ 「宗教区分論」(自然崇拝論・「アニミズム論」・「マナイズム論」対「霊(ひ)信仰論」)

 ・「縄文」は「産す霊(ひ)=ムスヒ=結び=受け霊(ひ)=男女の性交」を示すシンボル

 ・縄文土器は霊(ひ)=DNAを繋ぐ神(祖先霊)と自然との共食の神器

 ・人(霊人)、彦(霊子)、姫(霊女)、聖(霊知)、棺(霊継ぎ)、卑弥呼(霊御子)、ヒ留女(霊留女)・蛭子(霊留子)

 ・「禁欲宗教」対「子宝・子孫繁栄宗教」(妻問夫招婚、性器崇拝)

 ・「海神(龍宮)信仰」「地神(地母神)信仰」「山神信仰」「天神信仰

⑤ 「縄文芸術論」(霊=命の芸術)

 

4.日本列島人起源論と縄文社会論の整理

① 「多DNA・原日本語民族論」:インドネシア・フィリピン・台湾のような多民族多言語国にならず、「主語―動詞―目的語構造」の「3層言語」の交流・交易社会はなぜ成立したか?

② 「北方起源説」(マンモスハンター説:大型動物狩猟民説)、「長江流域中国人渡来説」、「朝鮮人渡来説」(騎馬民族説)対「南方起源説」(竹筏・丸木船の海人族説)

③ 旧石器時代縄文時代内発的発展か、外発的発展の断続か?

 ―「自立発展史観・内発的発展史観」対「外発的発展史観(征服国家史観)」

④ 「隣接地域への波紋型(リレー型)文化伝播説」対「海洋交易民による飛び石的文化運搬説」:活発な交流は陸上リレーか、海洋交易民活動か?

⑤ 古日本語「5母音説」(「あいういぇうぉ」説と「あいうえお」説)と「3母音説」(5母音の方言化説、3母音古日本語説、「あいういぇうぉ」5母音からの分化説)

 

5.縄文社会論と古代国家形成論の整理

① 「石器時代縄文時代弥生時代古墳時代」の「イシドキドキバカ」時代区分説(石土文明史観の大和中心史観)か、「石器―土器―鉄器」(スサノオ大国主建国)の時代区分説か?

② 「遅れた縄文人、進んだ弥生人」の「弥生人征服史観」は成立するか?

③ 「戦争本能説(弱肉強食論)」対「戦争社会条件説」

④ 「天(あま)族論」対「海人(あま)族論」

⑤ 「スサノオ大国主建国論」対「アマテラス建国論」

 ―「スサノオ天王建国論」対「神武・崇神・応神・天武天皇建国論」

⑥ 「世界を照らすアマテラス太陽神」対「甘木高台(高天原)のアマテル(海照)神論」

 ―「アマテル太陽神」説対「アマテル(オオヒルメ=大霊留女)=卑弥呼=霊御子説」

⑦ 「神産霊・高産霊始祖神説」対「イヤナギ・イヤナミ始祖神説」

⑧ 日本列島文明のシンボル「出雲大社説」対「箸墓古墳説」

⑨ 「三輪大物主・纏向大国主拠点説」対「纏向卑弥呼=アマテラス拠点説」

⑩ 「箸墓(大市墓)=モモソヒメ墓説」対「箸墓=オオタタネコ大物主・モモソヒメ夫婦墓説」

 

 ◇参考◇

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/