ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート30(Ⅱ-6) 「ポンガ」からの「縄文土器縁飾り」再考

 「吹きこぼれ」と「お焦げ」から縄文土器鍋の縁飾りのデザインが吹きこぼれの「泡だち」ではないかと考え、ドラヴィダ族の「ポンガロー、ポンガロー」と青森・秋田・茨城・新潟・長野の「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」の宗教的な繋がりを考えるとともに、女性と思われる顔面付き土器のデザインの宗教的意味が気になり、「

縄文ノート29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論  201130」を作成しました。

 ここではこの「ボンガ論」と「縄文土器縁飾り論」を統合し、「宗教思想(霊の天神信仰)→宗教的慣習(行事食の共食)→土器鍋デザイン(ポンガ=吹きこぼれや龍神の縁飾り)→土器鍋のおこげは赤米粥・赤米餅・粟粥→縄文神田農耕(水辺水田農耕)」と、縄文人の宗教と土器鍋の縁飾りから、土器鍋食と縄文農耕の推理に進みました。

 なお「Ⅱ 縄文農耕・縄文食論」の構成は次のとおりになります。次回からは「Ⅲ 縄文宗教論」の9編を紹介していきます。

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

    Ⅱ-6 「ポンガ」からの「縄文土器縁飾り」再考

                                                                                                                   201220雛元昌弘

1.はじめに

 「縄文ノート29 『吹きこぼれ』と『おこげ』からの縄文農耕論」では、次のように書きました。

 

 「縄文ノート41  日本語起源論からみた日本列島人起源  200918」で紹介しましたが、大野晋氏は『日本語とタミル語』の冒頭で南インドに始めて調査に出かけた時の1月15日の「ポンガル」の祭りを体験した時の劇的な出会いを紹介しています。2つの土鍋に牛乳を入れ泡が土鍋からあふれ出ると村人たちが一斉に「ポンガロー、ポンガロー」と叫び、一方の土鍋には粟と米(昔は赤米)と砂糖とナッツ、もう一方の土鍋には米と塩を入れて炊き、カラスを呼んで与えるというのです。日本でも青森・秋田・茨城・新潟・長野に小正月(1月15日)にカラスに餅や米、大豆の皮や蕎麦の殻、酒かすなどを与える行事が残り、「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」と唱えながら撒くというのです。「ホ」は古くは「ポ」と発音されることは、沖縄の「は行」が「ぱ行」となる方言に残っていますから「ポンガ=ホンガ」であり、なんと、インド原住民のドラヴィダ族の小正月の「ポンガ」の祭りが日本にまで伝わっているのです。縄文土器の縁飾りはこの「泡立ち=ポンガル」を表現しているのではないかと考えますが、別の機会に詳述したいと考えます。」

 

 ここで、これまでの火焔型土器などの縁飾りについての考察を振り返りながら、縄文宗教と縄文食から、縄文土鍋の役割を考察し、縄文土器の縁飾りについて再検討したいと思います。

 

2.縄文土器の縁飾りについてのこれまでの考察(抜粋) 

 縄文土器の縁飾りや縄文宗教について書いてきたことを簡単にまとめておきます。

 

⑴ 縄文ノート31 「大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」 201004→200726→0802

 「縄文に帰れ」「本土が沖縄に復帰するのだ」と主張し、「火炎型縄文土器」を深海のシンボルとしてみていた岡本太郎さんは、海人(あま)族の「龍宮」が「琉球(沖縄)」であり、縄文人のルーツが龍宮であり、海人族の始祖が琉球の始祖のアマミキヨであることを見抜いていたのではないでしょうか?

 

⑵ 縄文ノート33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200731→0825

 水蒸気が天に昇り、山に雨(あめ=あま)となり山に降り、源流となって川から海に注ぎ、大地にしみ込んだ水は「黄泉=夜海」となり海と繋がるという水の循環に人(霊止)の死と再生を重ね、「天神-山神-木神―地(地母)神-水神-海神」信仰が生まれたと考えられます。

 合わせて、天と地、巨木を繋ぐ雷から雷神信仰が生まれ、地下と川、海を行き来する海蛇・蛇を神使とする蛇(龍蛇)神信仰が生まれたと考えられます。土偶や土器の蛇文様や出雲大社の神使が海蛇であり、大神神社(大美和神社)の神使が蛇であることから見ても、海人族の縄文人スサノオ大国主の建国は繋がっています。 

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 ⑶ 資料12 蓼科山を神那霊山(神奈火山)とする天神信仰について 200807→16→25

 海岸から内陸部に進出したドラヴィダ山人族にとって、天から降ってくる雨を集め、海にそそぐ川の源流の山岳地域は天と海を繋ぐ接点として、海人族の魂が天に昇る場所として考えられていた可能性があります。

 ・・・海底を泳ぐ海蛇を神使とする海神信仰、地にもぐり巣を作る蛇を神使とする地神信仰に加え、天から雨をもたらす龍を神使とする天神信仰として繋がっており、河川の源流域は死者の霊(ひ)が天に登り、降りて来る霊場(ひば=霊那)として信仰対象となっていたと考えられます。このイヤナギ・イヤナミ神話は紀元1世紀のことですが、その起源はさらに古い可能性があります。

 井戸尻考古館では、藤内遺跡出土の「巳を戴く神子」の頭の髪を束ねた形を蛇とみていますが、縄文時代に蛇信仰があったとすると、川の源流域の神那霊山信仰は縄文に遡る可能性がでてきました。

 

⑷ 資料15 火焔型土器から「龍紋土器」へ 200903→09→1016

3.日本の龍神信仰:ミシャクジ神と龍宮(琉球)と鮫(和邇

② 「蛇」と「龍(竜)」は、米などの「5穀名」や「神」などの名詞と同じく、和音、呉音、漢音の3重構造になっており、中国から呉音、漢音が伝わる以前に蛇(へび、み)、龍・竜(たつ)の倭音・倭語があり、続いて呉音「ジャ、タ」「リュウ」、さらに漢音「シャ、タ」「リョウ」が後から伝わった可能性が高いと考えます。

③ ちなみに、鰐(わに)、鮫(さめ)、蜴(とかげ:蜥蜴)には和音の呼び名しか通用しておらず、中国語との交流が始まる以前から、日本列島に南方から持ち込まれた呼び名の可能性が高いと考えます。

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④ 諏訪大社の神長官守矢家の奥の『みさく神境内内社叢』の「みさく神=ミシャクジ神(御左口神)」は、漢音だと「シャ=蛇」であり「御蛇口神」の可能性があり、信仰の対象であった神籬(ひもろぎ:霊洩木)の下に蛇の巣があり、霊(ひ)を運ぶ神使として蛇が信仰されていた可能性があります。縄文土器土偶の「蛇紋様」にみられる蛇信仰が出雲大社の海蛇・龍蛇信仰、大神大社の蛇信仰へ続いているのと同じです。

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⑤ また諏訪大社前宮では背後の山の「水眼(すいが)」(倭音だとみずのめ:め=芽)と呼ばれる源流を信仰の対象としており、海人族にとっては海にそそぐ川の源流が天と繋がる聖地として考えていたことを示しており、神那霊山信仰と源流信仰(川神信仰)の天神宗教と、海神信仰と天神信仰(水源信仰)、蛇神信仰の統一です。

 

4.火焔型土器の4つの縁突起模様の解明

① 文献からは「龍神信仰」の開始時期を確定することはできませんが、私は縄文時代中期(5400~4400年前頃)に信濃川中流域を中心にした「火焔型土器」の縁の上の4つの紋様から、「龍」のイメージが東南アジアから伝来し、中国の夏王朝(紀元前4080~3610年前頃)に先立って存在した可能性があると考えます。

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② 火焔型土器の4つの突起については、「火焔」説、「鶏頭冠」説、「水面を跳ねる魚」説、「四本脚の動物」説が見られますが、私は「龍神」説を提案します。

③ まずこの「火焔型土器」のデザイン全体ですが、岡本太郎氏が喝破したように、本体はどうみても水流と渦の水紋にしか見えず、縁にそった三角形は波でしょう。めらめらと燃え上がる火焔なら炎の先は胴の部分から連続して上に尖りますから「火焔」説は成立しません。また、三角形の鋸歯紋様を「山波」とみる説がありますが、これも胴部分の模様と一致しません。

・・・「4本足で水の上を歩く」「頭と背中にギザギザがある」「尻尾をあげている」というデザインからみて、縄文人は、カブトトカゲと蛇から空想上の龍をデザインした可能性が高いと考えます。

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⑸ 資料24 「トカゲ蛇神楽」が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体 201020

3.「トカゲ蛇」神楽が伝える「龍蛇神」信仰

④ 須我神社例大祭の動画から『トカゲ蛇』の姿を見ると、角を4本生やし、牙がなく、手足があり、胴体の長い形になっており、出雲大社の神使の「海蛇」が「龍蛇」信仰に変わるとともに、「龍」を「トカゲ」と考えた出雲の人たちは、ヤマタノオロチを「大蛇」とし、さらに「トカゲ蛇」=「龍蛇神」として神楽にした可能性が考えられます。 

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⑤ 海人系ドラビダ族のタミル族の「トカゲ+蛇」信仰から「龍蛇信仰」が生まれ、縄文時代に日本にもたらされて火焔型土器と名付けられた龍紋把手のデザインとなり、トカゲ蛇=龍神は天と海・大地を繋ぎ、死者の霊(ひ)を天に運び、招く神使、水・雨・風・雷の神としてスサノオ大国主一族の「龍蛇神信仰」へと続いた可能性が高いと考えます。

 

6.諏訪大社の「ミシャグチ」信仰と薙鎌(なぎかま)

 中世まで行われた諏訪上社の冬祭りでは、御室(みむろ)の中に藁、茅、またはハンノキの枝で作られた数体の蛇形、「そそう(祖宗)神」が安置され、翌春まで大祝がそこに参籠し、神長官とともに祭事を行い、諏訪神社の神体は蛇で、神使も同じく蛇であるとされています。

 ここで思い出されるのは、古事記スサノオ6代目(代々襲名)のもとに大国主が訪ね、スセリヒメ(須勢理毘売)に妻問した時、スサノオ大国主を「蛇の室」に寝かせたという神話です。これまで、試練を与えて大国主を試したと解釈されてきましたが、大国主に蛇神の祖先霊信仰を継承させるスサノオ7代目を襲名させる儀式であったことが、諏訪上社の御室の中に蛇形を置いて大祝(おおはふり)が参籠する儀式から裏付けられます。

 なお、オロチの国の支配と石上布都魂神社の祭祀を物部一族に任せたことからみて、物部氏スサノオ一族であり、諏訪上社の大祝の守屋氏(物部氏)もまたスサノオ一族として、蛇を神体として祀ったと考えれられます。

 水の神・風の神とされる諏訪明神は巨大な蛇・龍として長野県や群馬県に伝わり、「神無月に神々が出雲に集ったとき、諏訪明神が龍(蛇)の姿で現れたが、体があまりにも大きすぎて集いの邪魔になったので明神は出雲に行かなくなった」「出雲には龍神の頭だけが現れ、体はいくつもの国にまたがり、尾は諏訪湖の高木(尾掛松)に掛かっていたといい、そこから大和(おわ、諏訪市)と高木(下諏訪町)の地名が生まれた」という伝承なども伝わっています。

 また、『日本書紀』の持統天皇記には「使者を遣わして、龍田風神、信濃須波(みのち)等の神を祭らしむ」とあり、諏訪と水内郡(長野県北部)の神は朝廷に風の神・水の神として崇敬されていました。諏訪地方には古くから、暴風を鎮めるために諏訪明神御神体・御神幣とされる薙鎌(なぎかま)を竿の先に結びつけて風の方向に立て、あるいは神木、神輿、建物に打ち付ける習慣があるとされています。その形は「蛇(龍)または鳥にも見える」とウィキペディアは解説していますが、尻尾が上がり、背中にギザギザがある形は蛇ではなく、すでにみたように「トカゲ蛇」型の龍神であり、火焔型縄文土器の把手の形に起源がある可能性があります。

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 「トカゲ」姿の龍神を伝える薙鎌(なぎかま)について、そのデザインが縄文時代龍神信仰に遡るのかどうか、これまで「蛇」「サンショウウオ」「蛙」などとされていた縄文土器のデザインについて再検討が求められます

 

⑸ まとめ

 以上の考察のように、私はこれまで「火焔型土器」とされていた縄文土器の縁飾りについて、天神信仰の天と地・海を繋ぐ水蒸気や雨の神である龍神をシンボル化したものと考えてきました。

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  3 タミル語の「ポンガ」と秋田・青森・長野の「ホンガ」

 一方、「縄文ノート41 日本語起源論と日本列島人起源」の「5. タミル語の『ポンガロー』と秋田・青森の『ホンガ』、長野の『ホンガラホーイ』」では、縄文人の宗教について次のような考察を行いました。

 

「大野氏の『日本語とタミル語』(1981年)の冒頭の、大野氏を驚愕させた印象深いエピソードを紹介したいと思います。

 大野氏は1980年に現地に行き、実際の新年である1月15日に行われる赤米粥を炊いて「ポンガロー、ポンガロ!」と叫び、お粥を食べ、カラスにも与えるポンガロの祭りを実際に体験し、青森・岩手・秋田・新潟・茨城にも1月11日、あるいは小正月(1月15日)にカラスに米や餅を与え、小正月に小豆粥を食べる風習があることを確かめています。私も幼児の1950年頃かと思いますが、兵庫県たつの市の母親の実家で、小正月に「どんど焼き」を行い、赤飯を食べたことが何度かあります。

 ・・・

 カラスに米や餅を与えるのもまた、カラスを猿や狼・鹿・鶏などと同じように先祖の霊(ひ)を天から運び、送り帰す神使としてして見ていたと考えます。

 さらに、秋田・青森では小正月に豆糟(大豆や蕎麦の皮に酒糟などを混ぜたもの)を「ホンガホンガ」と唱えながら撒く「豆糟撒き」の風習があり、長野県南安曇郡では「ホンガラホーイ ホンガラホーイ」と囃しながら鳥追いを行い、餅を入れた粥を食べるというのです。沖縄では「パ行→ハ行」への転換があることからみて、「ホンガ」「ホンガラ」は古くは「ポンガ」「ポンガラ」であったのです。

 ここでは「小正月祝い」「赤米粥と小豆粥、赤飯」「カラス行事」「ポンガロとホンガ・ホンガラ」の共通点があり、ヒンズー教や仏教以前から同じような宗教行事が続いていることが明らかです。」

 

 この宗教行事の掛け声として「希少性・固有性・継承性」のある「ポンガ」=「ホンガ」は、土器鍋の赤米粥が沸騰して泡立ち、土器鍋からあふれる様子を喜び、はやし立て、そこで料理した赤米粥をカラスに与えるものと考えられます。カラスは地上と天を繋ぐ神使と考えられていたことから、「ポンガ」とはやし立てるのは、「煮炊き食」ができあがることを喜ぶとともに、湯気が天上の霊(ひ=ピー)に届き、カラスが赤米粥を天の霊(ひ=ピー)に運び、祖先霊と共食する喜びを表していると考えます。

 

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 これまで私は縁飾りに付けられた穴の開いた「〇型」はずっと動物の目玉を表すのではないかと考えてきましたが、縁から盛り上がり、あふれ出すような形状は泡立ちを表している可能性があると考えるようになりました。

 新潟県に多くみられる火焔型土器の縁飾りは「トカゲ+蛇」から想像した「龍神」を表すと考えてきましたが、泡立ちの「ポンガ」とは矛盾しません。火焔型土器などの胴部分の水流・渦巻き模様は土器鍋の中の対流として考えることができます。

 

4 人面縁飾りの土器鍋は霊(ひ)を産む女体を表す

 「縄文ノート32 縄文の『女神信仰』考」では、茅野市の「縄文のビーナス」「仮面の女神」、富士見町の「始祖女神像」や妊娠土偶などは、母系制社会の地神(地母神)・山神信仰を示しており、それは古事記に書かれた「二霊群品の祖」の高御産巣日(たかみむすひ)・神産巣日(かみむすひ)日本書紀は高皇産霊(たかみむすひ)・神皇産霊(かみむすひ)と表記し、霊(ひ)を産む神としていることに引き継がれています。スサノオ大国主の「葦原中国」は建国は、「霊人(ひと)・霊子(ひこ)・霊女(ひめ)・霊御子(ひみこ)」ら八百万神(やおよろずのかみ)の「霊(ひ)の国」づくりであったのです。

 天から祖先霊が降り立つ「神籬(ひもろぎ=霊洩木)」の漢字表記は「神=霊(ひ)」であることを示しており、天皇家皇位継承の「日嗣」は元々は「霊継」であり、柩・棺は「霊(ひ」の容器」で、甕棺や柩、墓室内が朱で満たされているのは、血で満たされた子宮に模して再生を期待していたことを示しています。

 私は記紀神話分析から縄文時代は海神・地神信仰であり、中国の「魂魄分離」(死体と魂の分離)の影響を受けて大国主の時に天神信仰=山神信仰に変わったと考えていましたが、「縄文ノート38 『霊(ひ)』とタミル語pee(ピー)とタイのピー信仰」では、国語学民族学・宗教学により祖先霊の「霊(ひ)信仰」は縄文時代に遡り、そのルーツがドラヴィダ族にあるというという結論に達しました。

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 「縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰について 」では、原村の阿久遺跡では、環状列石に中央の広場に置かれた石棒(男根)からの石列の方向が蓼科山を指していることから神名火山(神那霊山)信仰が縄文時代に遡り、次のように「ヒジン」「居夷(いひな)神信仰」が現代に続いていることを確認しました。

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 蓼科山は海人族が信仰する円錐形の美しい「神那霊山(神奈火山)型」であり、諏訪富士と呼ばれています。吉田金彦元大阪外大教授の「信濃=ひな野説」によれば、「たてしな=たてひな」であり、「霊那(ひな)=霊の国)」のシンボルとなる山になります。沖縄の南西諸島では女性器を「ひー」、天草地方では「ひな」といい、倭名類聚抄ではクリトリスのことを「ひなさき(雛尖)」としていることからみて、「たてひな山」は地母神の女性器信仰を示している可能性があります。

 ウィキペディアによれば「神代の頃、諏訪に建御名方神が入ってくると、武居夷(たけいひな)建御名方神に諏訪の国を譲り、自らは蓼科山の上に登ったという」とされ、「蓼科山にはビジンサマという名のものが住んでいるという伝承がある。姿は球状で、黒い雲に包まれ、下には赤や青の紙細工のようなびらびらしたものが下がっており、空中を飛ぶ」という伝承もあることからみて、この地はもともと「居夷神(いひな神=委の日名王)」の支配地であり、死後「ビジン=霊人」という山神の住む山、頂上部が丸い溶岩の山として信仰されていたことを示しています。

 

 さらに「縄文ノート40 信州の神奈備山(神那霊山)と『霊(ひ)』信仰」では、次のように神名火山信仰が「山の神=女性神」であることを明らかにしました。

 

 『ヤマケイオンライン』によると、「蓼科山は、コニーデ型の山容をした信州きっての名山のひとつで、諏訪富士とも呼ばれている。また、高井山、飯盛山(いいもりやま)、黒斑山、女ノ神山などの別称もある。山頂は岩石累々とした偏平な噴火口跡で、中央に蓼科神社奥宮の石祠がある」とされており、まず「女ノ神山」とされていることに注目したいと思います。

 また山頂の蓼科神社奥宮の石祠には、「高皇産霊(たかみむすひ)神・倉稲魂(うかのみたま)神・木花佐久夜毘売(このはなをさくやひめ)」が祀られていますが、倉稲魂はスサノオの子で女性であり、瀬戸内海の大三島の大山祇(おおやまづみ)の子の木花佐久夜毘売播磨国風土記によれば大国主の妻であり、いずれも女性神です。始祖神は男性神・高皇産霊ではなく、本来は女性神の神皇産霊(かみむすひ)を祀っていたものを皇国史観に合わせて男性神に置き換えたものと考えられます。

 

 以上のような縄文時代からの「霊(ひ)=神」とする「神那霊山信仰=お山信仰=天神信仰」から考えると、人面縁飾りの土器鍋もまた霊(ひ)信仰に基づくものであり、「霊(ひ)を産む女性」を模した形にして、赤米粥を炊いて祖先霊に捧げていた可能性が高いことを示していると考えます。

 子どもの頃、母から「赤い食べ物は血をつくる」と言われて、嫌いなニンジンや好きでもないトマトを食べるように言われたことがありますが、キリスト教でもワインはキリストの血とされています。

 播磨国風土記には、「(大神=大国主の)妹玉津日女(たまつひめ)命、生ける鹿を捕って臥せ、その腹を割いて、稲をその血に種いた。よりて、一夜の間に苗が生えた」、「大水(おおみず)神・・・『吾は宍(しし)の血を以て佃(つくだ)を作る。故、河の水を欲しない』と辞して言った」と記載されており、大国主・丹津日子の親子が水利水田稲作を進めようとしているのに対し、玉津日女や大水神が反対し、鹿や猪の血を撒いて稲を育てるという地神(地母神)信仰の農耕が行われていたことを示しています。

 甕棺や石棺などの内部が朱で満たされているのもまた、子宮に見た立てて再生を願った地神(地母神)を示しており、女性の人面付きの土器鍋で赤米粥や赤飯を炊くのもまた、血の中での再生を願った行事食と考えれます。

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 天の霊(ひ:神=祖先霊)とともに食べる赤米粥を土器鍋に入れ、泡立つ様子を縁飾りとしてデザインし、天と地・海を繋ぐ龍神(とかげ蛇神)を載せたのと同じ宗教思想で、霊(ひ)を産む女性の人面土器飾りが土器鍋に付けられたのです。

 なお、原村歴史民俗資料館では阿久遺跡の蓼科山に向けて石列がある石棒(男根)の前での祭祀を男性が行っている図が展示されていましたが、霊(ひ)信仰の祭祀は女性が行っていた可能性が高いと考えます。石棒(男根)崇拝は男系社会を示しているのではなく、女ノ神山に男根を捧げたのであり、大湯環状列石をはじめ各地に見られる円形石組みの中心に石棒を立てたのは「地神(地母神)」の性器に石棒を挿した宗教思想を示していると考えます。

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5 土器鍋のルーツはインドの可能性

 「石窯のパン」「石蒸しのイモ」の主食に対して、私は「土器鍋の米・粟など」は縄文人の世界最古のオリジナルと考えてきましたが、日本人が「倭音倭語+呉音漢語+漢音漢語」を重層的に器用に併用し、現在はライス・スープやナイフ・スプーンなど「洋音洋語」を器用に併用する4層構造言語の文化であることを考えると、「ピー」などの「倭音倭語」や「米」「粟」などとともに、「土器鍋」もまたドラヴィダ海人・山人族によって「ポンガロー、ポンガロー」のお囃子ともに日本列島に伝わった可能性もあると考えるようになりました。

 考古学的には縄文土器が世界最古の土器の可能性があるとされていることからみて、まだまだ仮説の段階ですが、インド南部やインド東部・ミャンマー山岳地域で最古の土器鍋が見つかるかもしれないと思っています。そうなると残念ではありますが・・・

 

6 縄文農耕の研究からの日本列島文明論へ

 縄文遺跡のプラントオパールや花粉、縄文石器の農耕具、縄文土器鍋のおこげの分析や再現実験、イネのDNA分析、農耕・食に関わる倭語のルーツの解明などとともに、縄文人の宗教と縄文土器鍋の文様デザインから、私は「縄文土器鍋料理は赤米粥・赤飯などの宗教行事食」ではないか、と考えるに至りました。

 「吹きこぼれ」と「お焦げ」から縄文土器鍋の縁飾りのデザインが「泡だち」ではないかと考え、ドラヴィダ族の「ポンガロー、ポンガロー」と青森・秋田・長野の「ホンガ」「ホンガラ」の繋がりから泡吹き、湯気が天に昇ることを囃す縄文人天神信仰を考えました。「宗教思想(霊の天神信仰)→宗教的慣習(行事食の共食)→土器鍋デザイン(ポンガ=吹きこぼれや龍神の縁飾り)→土器鍋のおこげは赤米粥・赤米餅・粟粥→縄文神田農耕(水辺水田農耕)」と、縄文人の宗教と土器鍋の縁飾りデザインから赤米などの土器鍋食と縄文農耕を推理しました。

 日本列島文明を「中国文明の周辺文明・波及文明・2次文明である4世紀の天皇家建国から」と考えたい人たちは、「縄文時代は漁撈狩猟採取の未開段階」という強固な思い込みにより、縄文農耕や文化、その延長にある記紀スサノオ大国主国史を無視・否定してきましたが、以上の総合的な分析よりもはや終焉の時を迎えています。

 もはや過去の沖積平野での大規模灌漑農耕から生まれた「世界4大文明論」の思い込みから離れ、古イギリス文明や古エーゲ文明、古マヤ文明や古アンデス文明などと対照しながら、縄文文明(日本列島文明)の全体像を解明し、世界にアピールすべき時と考えます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート   https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ      http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団          http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論      http://hinakoku.blog100.fc2.com/