ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート112 「縄文2021―東京に生きた縄文人―」から

 12月1日、「奥の奥読み奥の細道」(島根日日新聞連載)のデジタル本出版に向けて、草加・南千住・深川の松尾芭蕉像4体の銅像撮影とともに、江戸東京博物館で「縄文2021―東京に生きた縄文人―」「ひきつがれる都市の記憶―江戸東京3万年史」を見てきました。

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 この「東京縄文人2021」(私の略称)は平日にも関わらず閲覧者は多く、マニアックな感じの高齢者が中心でしたが若い人も5~10人に1人はいて、縄文ブームを感じさせました。

 「基本的に撮影自由」の表示が出ていたので撮影を始めると注意する人(身形からみて元公務員か元教師と推理)が現れたので入口の撮影OKの表示を教えましたが、この国の「お上情報独占意識」が広く浸透していることを思い知らされました。おまけに、私がバシバシ撮っていると、多くが撮影を始めたので「移るんです」「皆で渡れば怖くない」の「右に倣え」の国民性には笑えてしまうとともに恐怖を感じました。

 博物館・資料館には未だに「撮影禁止」の「お上」の情報独占が根強く、私は「情報は国民のもの」という基本的な考えで「ゲリラ撮り情報公開」を行っていますが、江戸東京博物館などの「基本的に撮影自由」を手本とすべきでしょう。

 どんどん撮って、発見したこと、感じたこと、考えたことを広く伝えていきませんか?

1 「発掘大国・考古小国」日本 

① 炎天下・寒風の中で発掘作業を行い、土器等の復元作業をおこなってきたみなさんの成果をみられたことは感謝したいと思います。東京の縄文遺跡の全体像と縄文人の生活・社会像を見えるようにした展示は参考になりました。

 これまで東京都下には縄文をテーマにした観光目的で行くような常設展示館がなく、私もある研究会のついでに「くにたち郷土資料館」で石棒展を見たくらいであり、東京の縄文は知りませんでした。

 「縄文=野蛮・未開、弥生=文明」「弥生人による縄文人征服」史観により、首都東京では縄文時代などあまり関心ももたれず、縄文テーマ博物館はなかったと思われますが、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録を機に縄文が見直されてきているのは喜ばしいと思いました。

② また、信州・群馬の縄文遺跡などから「日本は世界一の共同体時代の発掘大国」という印象を受けていたのですが、東京も同じであることを再確認できました。

③ 残念なのは「発掘・分析世界一」とは言っても、「共同体文明」の「考古」で世界をリードする気概が展示には感じられず、「世界遺産登録」を視野に入れたような展示が見られなかったことです。「すごいものがでてきた」「縄文人の生活が判ってきた」ということは素晴らしいのですが、「中空」だと思いました。物から縄文人の精神や社会、文化を読み取った仮説的展示は見られませんでした。答えは1つに絞らなくてもよく、現場で考えたいくつもの仮説を提案すべきです。

 「世界都市東京」などと言いながら、主に外国人に見てもらいたい、という意気込みを感じられませんでした。「科学研究3流国」化は先端科学だけではないようです。少なくとも、英語・中国語・韓国語の説明くらいつけるべきでしょう。「女神」をどう訳すかなど、議論を広げるべきです。

④ 「縄文文化・文明」に関心を持つ人が増えてきたのは、ユダヤキリスト教の西欧人が作り上げてきた「軍国・侵略主義の資本主義文明」に危機感を抱く人が増え、彼らが滅ぼしてきた共同体文明に関心が持たれるようになったと私は考えていますが、「発掘大国・日本」こそ世界中の人々のこのような関心に応えるべきと考えます。「縄文閉じこもり学」「発掘閉じこもり学」「日本閉じこもり学」「西欧中心史学輸入学」では国民の期待にも応えられません。

⑤ マルクスの「原始共産制奴隷制封建制→資本主義→共産主義」という文明発達史観が、「ユダヤギリシア・ローマ征服民族」の戦争・侵略文明史を正当化する空想であることが明らかとなってきている現在、1945年からのアメリカによる占領まで異民族の征服を受けず内発的自立的発展をとげてきたわが国は、「家族・氏族・部族共同体」段階の歴史を解明することができる豊富な手掛かりを残している唯一の国であり、おまけに「発掘大国」です。

 「江戸東京3万年史」と大見えを切るなら、縄文社会・生活・文化・宗教の全体像を関東へ進出したスサノオ大国主一族の神社伝承や現代に続く祭りや生活習慣などから解明すべきと考えます。

 

2 「ビーナス」か地母神の「女神(めのかみ)」か?

① 入口でいきなり「多摩ニュータウンのビーナス」が出てきたのにはイナバウアー(仰け反り)になってしまいました。なんとも恥ずかしい「ギリシア奴隷制文明賛美」の「劣等感史観」の命名です。

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 日本の母系制社会の「女神(めのかみ)」とギリシア奴隷制社会の「ビーナス」は同じなのでしょうか?―縄文ノート「75 世界のビーナス像と女神像」「86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」「76 オリンピックより「命(DNA)の祭典」をアフリカで!」等参照

② 茅野市棚畑遺跡の「縄文のビーナス」や「ビーナスライン」、あるいはお台場の閉館した「ビーナスフォート(ビーナスの砦)」のネーミングの真似をしたのでしょうが、茅野市中ツ原遺跡の「仮面の女王」、長野県富士見町の「始祖女神像」、山形県舟形町の「縄文の女神像」のネーミングを継承すべきでしょう。―縄文ノート「32 縄文の『女神信仰』考」「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」等参照

③ これまで母系制社会論・女神論などで書きましたが、私は旧石器・縄文時代の妊娠を誇張した女性像は「母神像」、抽象化した女性像は「女神像=巫女(御子)像」であり、ギリシアの「ミロのビーナス」を始めとした若い性的魅力にあふれたリアルな女性像は「性奴隷・ヘタイラからの装飾像」と私は考えます。ビーナスの語源が「『愛』、『性欲』、『愛らしさ』、『美』、『魅力』を意味するラテン語による。欲望を意味するサンスクリット『vanas』に由来か」(ウィキペディア)と言われることをみても、「女神とビーナス」の用語には大きな差があるのです。

④ それは縄文時代が母系制社会か父系制社会化か、女性中心史観か男性中心史観かという重要なテーマや、「縄文農耕」の地母神信仰にも関わってきます。

⑤ 「和魂漢才」「和魂洋才」と言いながら、実際には「和魂」など忘れた劣等感の塊の「拝外主義」が容易に「排外主義」に転換することを私は心配していますが、「英語」「呉音漢語・漢音漢語」を使わない「倭音倭語」で歴史を分析してもらいたいものです。

 

3 「背面人体土偶」のイナバウアー(のけぞり)³

① 入口には「多摩ニュータウンのビーナス」、出口には「東京の縄文土偶100」の配置を皆さんは素晴らしいと思いませんか?

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 この会場配置をみると、「縄文は母系制社会だ!」となりそうなものですが、ななんと、土偶の分類展示は「中空大型土偶、土鈴型土偶、中期土偶、背面人体土偶、板状土偶、ハート形土偶、筒型土偶、山形土偶、後・晩期土偶、みみづく土偶、遮光器『系』土偶、晩期土偶」という大きさ・工法・形状・時期・デザイン系統などの分類基準をごちゃまぜにした展示でした。

② これまでさんざん言われてきた「女性土偶」「妊娠土偶」などの特徴を抹殺ようとする「男性中心史観」の分類展示にすり替わっているのです。この分類は「縄文社会像ねつ造事件」と言ってもいいイナバウアー1です。

③ しかも展示数で一番多い土偶は「背面人体土偶」というこれまで私が本やネット、博物館などで見たこともない意味不明のネーミングです。

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 目で見て確認しても土偶は全て前向きであり「背面」ではなく、「人体」はどうみても「乳房」のある女性です。

 このバレバレの「女性土偶」隠しがイナバウアー2です。

 女性知事のもとでこのような展示を行い、それを江戸東京博物館が公認するのですから、よほど女性知事が嫌いで、アンチSDGsの「5 ジェンダー平等を実現しよう」「10 人や国の不平等をなくそう」など大嫌いな人たちの宣伝の場のようです。

③ さらに解説と展示の大きなズレがイナバウアー3です。

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 解説は「新たな生命の誕生や、祀りの神像、豊かな社会への祈りなど、さまざまな願いが込められていたと考えられてきた」としているのですから、展示は「妊娠土偶、女神土偶、食物神土偶」などの3分類にすべきでしょう。

 「建前」で「本音」を隠した展示とし、最後には「縄文人たちは、土偶にどのような願いや祈りを込めて作り、祈っていたのであろうか」と疑問形にして土偶の3つのテーマを完全にぼやかしてしまっています。

④ 入口の土偶を「女性像」あるいは「妊娠女性像」「女神(めのかみ)像」とせず、エロ好き男性好みの「多摩ニュータウンのビーナス」とし、出口では「背面人体土偶」として乳房などない人物像にするなどの陰謀を見抜き、縄文社会が母系制社会であったことを女性土偶から読み取っていただければと思います。

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4 「縄文海人族文明」 の紹介

① 私は海人族「スサノオ大国主建国論」から縄文研究に入り、若狭の鳥浜遺跡や青森の三内丸山遺跡ヒョウタンの原産地がアフリカ西海岸のニジェール川流域であり、青年海外協力隊員としてニジェールに赴任していた次女からニジェールヒョウタンやイネを知り、「縄文人海人族説」「縄文人・イネ科穀物ニジェール川流域起源説」などを提案してきました。

② そして遺伝子と言語、霊(ひ=祖先霊)信仰、地母神信仰と神山天神信仰、イモ・穀類やもち食文化、竹筏・丸木舟、黒曜石などからアフリカからアジア、日本列島への縄文人の「海の道・草原の道移動ルート」をたどり、「縄文人ドラヴィダ海人(あま)・山人(やまと)族説」を提案してきました。

 ただ、これまで仕事先の群馬・新潟や最近になって長野の縄文山人(やまと)族の縄文博物館・資料館しか見ておらず、今回、東京の海人族の資料が見られたことは新鮮でした。

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③ 東京・関東の貝塚や製塩土器、丸木舟、骨角牙製釣り針、神津島産黒曜石、島嶼の遺跡などの「縄文海人族文明」については、常設展示館の整備を期待したいところです。

 そして、その際には世界の人たちに「縄文海人族文明」を情報発信し、「ウォークマン史観」「マンモスハンター史観」を見直すよう、英語・中国語・朝鮮語でも説明を付け、デジタル博物館として情報発信し、「日本中央縄文文明」の世界遺産登録に備えていただきたいと思います。

 

5 「大規模配石遺構」があった

① 神奈川県秦野市稲荷木遺跡では、10m直下の川から800tを超える石を運び上げた大規模配石遺構が見つかったと紹介されていました。これは知りませんでした。

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② ネットで調べると「1カ所に石を並べた『配石』が31基見つかっている。平らな石の周辺を丸い石で囲んだものや、墓標のような長い石を中心に据えたものなど三つの形状が確認された。付近からは骨の破片も発掘され、『多くの配石がまとまっていて県内屈指の規模』と担当者。墓である可能性もあるという」とのことでした。長野県の阿久遺跡(環状列石墓地:原村)・阿久尻遺跡(祭祀施設:茅野市)と同じようなワンセットの遺跡の可能性はないか、と気になります。

③ ギリシア・ローマなどの軍事・侵略民族の「城内集住型都市文明」に対し、他民族支配のなかった縄文人は「城壁のない分住型文明」であり、分業・交易を進めて氏族社会から部族社会へ7~6000年前頃から移行し、阿久・阿久尻遺跡などのような「巨大共同墓地・祭祀施設」を作ったと私は考えています。そこでは後のたつの市野見宿禰伝承や箸墓建設の日本書紀記載に見られるように、河原から人々が一列に並び、リレー式の手渡しで石を運んだ可能性があり、御柱祭のような部族共同体の共同作業が行われた可能性が高いと私は考えます。そしてそれを可能にする穀類の栽培・蓄積があったと考えます。

④ 稲荷木遺跡は阿久・阿久遺跡の並んで、世界の部族共同体文明を解明する鍵となる遺跡の1つとなる可能性があり、さらなる発掘・分析を期待したいと思います。―縄文ノート「96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡」「104 日本最古の祭祀施設―阿久立棒・石列と中ツ原楼観拝殿」「105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列」「106 阿久尻遺跡の方形柱列建築の復元へ」等参照

⑤ さいたま市の私の犬散歩コースには鴨川沿いの丘陵にそって稲荷塚古墳や上之稲荷古墳、台耕地稲荷古墳や他に名前表示のない小さな古墳がありますが、いずれも上に稲荷社を置き、近くの古い農家の屋敷の西北隅には稲荷を祀る祠が置かれています。「縄文ノート110 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」の最後などでもふれましたが、祀られている稲荷神はスサノオ神大市比売との間に生まれ、美和=三輪に祀られた大年神(大物主)の妹の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)であり、女神(めのかみ)で食物神(みけつのかみ)なのです。「あいういう→あいうえお」5母音から「けつね→けつの」で狐を神使(かみのつかい)とするようになったのであり、関西では今も「けつねうどん」なのです。

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 秦野市稲荷木遺跡の名称もまたスサノオ大国主一族の「女神信仰」を受け継いでいる可能性があり、母系制社会の名残を残しているのではと気になります。―縄文ノート「38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰縄文ノート」「98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社」参照

 

6 「環状集落」のルーツ

① 方形平面住宅や方形住宅配置集落ではなく、縄文人が円形平面竪穴式住居や円形配置の環状集落とし、さらには環状列石集団墓地としていることについて、私はそのルーツが人類移動やヒョウタン・イモ・穀類・黒曜石利用・神山天神信仰などとともにアフリカから伝わった、と考えてきました。―「縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)」参照

② その根拠は、アフリカ・東南アジアの伝統的な円形住宅の分布と、竪穴式住居が構造的には方形軸組構造であるにも関わらず、無理して円形平面を維持し続けていること、立棒・円形石組墓石や環状列石集団墓地により死後の世界も円形にこだわっているからです。

③ 立棒を立てた広場を囲んだ環状集落については、塩尻市の平出遺跡や北杜市の金生遺跡で確認していましたが、今回、下表のように東京都下に広く存在することわかりました。これは収穫でした。

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④ 平出遺跡では環状集落の中央部広場には立棒があったのに対し、墓壙(土壙)があるというのは新しい発見でした。阿久遺跡では環状列石の中央広場に立石と蓼科山に向かう石列があり、蓼科山天神信仰を示す立石(石棒=金精)があるのに対し、これらの遺跡では広場に墓地を置き、祖先霊を祀るという地母神信仰なのです。

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⑤ 東京都の縄文遺跡には神山天神信仰の痕跡があるのかないのか、いずれ検討してみたいと考えます。

 

7 「マメマメ縄文農耕」説

① 「縄文時代=クリ・ドングリ採集社会」「弥生時代弥生人(中国人・朝鮮人)による水田稲作社会」という「縄文クリクリ史観」がわが国の考古学者には未だに根強いようですが、入口で「最新の調査成果から考える縄文時代像」として「土器に残る圧痕から豆類(ダイズ・アズキ)の栽培も判明した」とはっきりと示しているのは大きな前進です。

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② しかしながら、展示されていた石器農器具(鋤など)や石器穀類収穫器、穀物食・イモ食のための石すり鉢・石臼などの展示全体を通して「縄文農耕」の主張はなされていませんでした。「マメ食・マメ栽培はあったが、イモ食・穀物食やもイモ・穀類栽培はなかった」という「縄文人バカ説」の展示に終わっています。

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③ すでに各地の縄文土器の圧痕や花粉から穀類(ソバやアワ・キビ・イネなど)の痕跡や、小正月に赤米を炊いてカラスに与える南インドのドラヴィダ族の「ポンガ」のカラス祭りが長野・新潟・茨城・秋田・青森に伝わっているにも関わらず、穀類栽培の可能性に踏み込んでいないのは中途半端です。

 縄文土器の圧痕、石すり鉢・石臼の花粉分析、土器鍋のおこげ分析の全ての結果から「焼畑による穀類縄文農耕があった」ことはすでに解明されており、豆類栽培を認める以上、「クリクリ採集派」対「縄文農耕派」の決着をつけるべきでした。

 石すり鉢・石臼でクリ・ドングリを粉にしながら、ソバ・アワ・キビ・コメなどの栽培や粉食文化はなかったという証明がない以上、縄文人について「縄文採集野蛮・未開人説」と「縄文農耕文明人」説を両論併記するのが科学者でしょう。

 「縄文農耕」を掲げ、農耕用石器をきちんと展示して説明した長野県富士見町の井戸尻考古館などと較べると、なんとも中途半端な展示といわざるをえません。

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④ 記紀がはっきりと記しているスサノオ大国主の「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」の建国と縄文時代との関係についても説明があってしかるべきと考えます。江戸東京博物館が「江戸東京3万年史」というコンセプトを掲げる以上、縄文文化・文明がどのように次の時代へと引き継がれ、現代さらには未来と関りがあるのか、明確に示すべきと考えます。でないと「無考古学(考えない古くさい学)」になってしまうのではないでしょうか? 「それは歴史学者の仕事。我々は発掘が仕事」などと言っている場合でしょうか?

 

8 「土器鍋」隠しの「深鉢型土器」表示と「土器底のおこげ隠し」

① 展示では「土器の機能と美の変化」のタイトルで「土器の機能は主に『煮る』『貯める』『盛る』である」としながら、最初に挙げた『煮る』土器を「深鉢型土器」などとして、「土器鍋=土鍋」としていません。「鉢」は「植木鉢」や「皿鉢料理」の「皿鉢(皿と鉢の中間の深い皿)」のように『盛る』土器であり、「煮る」土器ではありません。

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 考古学者にとっては「下々」の庶民が使う土鍋の日本語の本来の意味などはどうでもよく、独自の「考古学用語」として「深鉢」を使い、「縄文煮炊き料理」の正体がイモ・マメ・穀類であることを隠し、縄文時代が「クリ・ドングリ主食の採集の前文明段階」に押しとどめたいようです。

② 縄文土器について「土器鍋」(調理器具)とせずに「深鉢」(容器)と表示するだけならまだしも罪は軽いのですが、おこげの痕跡を全てきれいに消し去って土器を展示しているのは「クリクリ史観」派の証拠隠滅と言わざるをえません。長野県の各博物館・考古館などと較べると異常な行為と言わざるをえません。死体(土器)は証拠になるが、付着物(おこげ)は証拠にはならない、という冤罪の鑑識・科学捜査・法医学のレベルのようです。

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 世界最古の14000年前の煮炊き痕のある縄文土器帯広市の大正3遺跡で発見されていることを東京の発掘関係者は知らないのでしょうか?

 縄文土器のおこげや吹きこぼれの分析からイモ・豆・穀類を煮炊きしていたことが証明されているのです。ドングリのアク抜きは水にさらせばよく、仮に煮沸したとしても吹きこぼれやおこげはできません。―縄文ノート「29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論」「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」等参照

 世界に先駆けて豊かで安定した健康食・バランス食の煮炊き土器鍋食文明を成立させ、和食の世界遺産登録を果たしたわが国において、未だに「土器鍋」を「深鉢」と言い換えている考古学を科学として認めることができるでしょうか? 英語・中国語・韓国語ではどう展示するのか、今後の見ものです。『貯める』『盛る』土器にはこのような上下2段階の異なる形状は不要です。

③ 改めて言うまでもありませんが、土器の上部がラッバ状に開いているのは、吹きこぼれ防止用であることは、電気炊飯器などの吹きこぼれ防止鍋の形状から誰もが納得されるに違いありません。縄文人は吹きこぼれる鍋料理を行っており、それに対応した土器鍋の形状にしたのです。

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④ 縄文人の生活を目で見えるようにしたジオラマは大好きですが、ここでも「縄文農耕・縄文食隠し」のインチキが目に付きます。またもやイナバウアー(のけぞり)²です。

 入口では「土器に残る圧痕から豆類(ダイズ・アズキ)の栽培も判明した」とはっきりと書きながら、「収穫」は再現されているものの肝心の「栽培」場面はなく、「木の実の加工」では石すり鉢・石臼での豆やソバなどの穀類の粉食文化の説明はありません。

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④ もっともインチキなのは「土器鍋」で煮炊きしている「縄文料理」の場面がないことです。「土鍋料理」が大嫌いな考古学者ばかりのようで、今のところ世界最古の「煮炊き食文化」は「俺の目の黒いうちは絶体に認めない」などという大先生がいるのでしょうか?

 

9 縄文土器縁飾りは「吹きこぼれ泡」「トカゲ龍」デザイン

① 前にも書きましたが、建築学科の最初の頃の建築デザインの授業では、「リンゴがテーマの建物なら、リンゴの形から入れ」と言われており、このデザイン原則から私は縄文土器の特徴である縁飾り模様は「吹きこぼれ」であり、円形模様は土器鍋の「吹きこぼれの泡」のデザインと考えました。

 そして、イモやマメ、穀類を炊いて沸騰し、泡がはじけて天に上ることを喜ぶ南インドのドラヴィダ族の「ポンガ」の信仰を継承しており、胴部分の水流模様や渦模様は鍋の中の対流や沸騰をデザインしたものと考えてきました。

② 次に、火焔型土器などの「鶏冠型」とされてきた突起デザインについては、背中に突起があって口を開け、尻尾を高く上げていることからトカゲをデザインしたものと考え、東南アジア(スンダランド)を経由した時に、天に昇り雨を降らせる「トカゲ龍信仰」を縄文人が継承して「トカゲ龍」、後に「龍蛇神・龍神」デザインへと発展させたと考えてきました。―縄文ノート「30 『ポンガ」からの『縄文土器縁飾り』再考」「36 火焔型土器から『龍紋土器』 へ」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「縄文108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」参照

② このような縄文土器縁飾りの「吹きこぼれデザイン説」「トカゲ龍デザイン説」をもとに、縁飾りについては特に注目してみましたが、写真のように私の2つの説は揺らぐことはありませんでした。

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10 「木の暮らしの達人」の縄文人

① 展示された見事な丸木舟の展示や漆塗りの木の器などの展示を見ていると、縄文人の豊かな「木の暮らし(ウッディライフ)」が浮かび上がってきます。

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② 木製品や竹製品などは湿地帯でないと残りませんから、考古学が「石好き・土器好き」になるのはやむを得ませんが、工作大好きであった私の感覚だと、木工用石器の分析が不十分なように思います。

③ 石斧と石錐(せきすい:きり)、石匙(せっぴ:ナイフ又は削り器)は展示されていましたが、手斧 (ちょうな)、槍鉋 (やりがんな)、鑿(のみ)、小刀に相当する石器は特定されておらず、これでは丸木舟やお椀、櫛、竹細工などの加工はできません。

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 これまで狩猟用の槍の穂先や農耕用の鋤先などに分類されてきた石器具の中に「木工用石器」が紛れているのではないか、と考えます。

④ 小田静夫氏の「考古学からみた新・海上の道」によれば、丸木舟製作用の丸ノミ石斧(円筒石斧)は小笠原諸島北硫黄島・父島、伊豆諸島の八丈島で発見されており、今後、本土の海岸地域でも発見される可能性があります。―http://ac.jpn.org/kuroshio/shinkaijo/oda201707.htm参照

⑤ 図は埼玉県の「嵐山町web博物館」http://www.ranhaku.com/web04/c2/5_06.html)

からの転載ですが、木工具はざっとみて10~45%を占めており、「東京縄文人2021」の展示においても木工石器を掘り下げて取り上げるべきと感じました。

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11 「縄文宗教」の未解明

① スサノオ大国主の八百万神分析から、私は古代人の精神・思想の中心は霊(ひ=祖先霊)信仰であり、神名火山(神那霊山)信仰や神木(神籬(霊洩木)信仰、天神信仰、女神信仰と性器信仰、水神信仰、龍神信仰、海神・地(母)神信仰、カラス・猿・狼など神使崇拝、食物神信仰などはすべて死者の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰の形を変えたものであり、山・木・天・海・大地・水・カラスや太陽などの自然信仰ではないことを明らかにしてきました。―縄文ノート「10 大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰」「34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)」「15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「37 『神』についての考察」「38 「霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」「74 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰」参照

② 縄文人の宗教についての展示は、「弔い」「墓」「祭祀」「副葬品」「儀礼祭祀」「石棒」「まつりの道具」「祀りの神像」などとしてバラバラと展示されており、総合的・統一的な整理ができていません。

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 「多摩ニュータウンのビーナス(土偶)」という展示があるかと思えば別の場所では「祀りの神像」「弔い、祭祀、祀り、まつり」の言葉もみられ、整理して使われているようには思えません。

③ 古事記序文では出雲大社正面に祀られた始祖5神のうちの「参神二霊」の「高御産巣日(高皇産霊:たかみむすひ)」「神産巣日(神皇産霊:かみむすひ)」の夫婦神を「二霊(ひ)群品の祖となりき」として神々を産んだとしており、新井白石は「人=霊人(ひと)」であるとし、角林文雄氏は『アマテラスの原風景』で「人、彦、姫、聖」は「霊人(ひと)、霊子(ひこ)、霊女(ひめ)、霊知(ひじり)」としています。

 魂(たましひ=玉し霊)、神名火山(かんなびやま=神那霊山)、神籬(ひもろぎ=霊洩木)、日嗣=棺=柩(ひつぎ=霊継)、比婆山(ひばさん=霊場山)、蓼科山の女神(めのかみ)の別名は「ひじん=霊神」であり、沖縄の宮古島では女性器を「ぴー=ひー」、天草・大和・栃木・茨城ではクリトリスを「ひなさき」といい、男子正装の烏帽子(えぼし=カラス帽子)の前には「雛尖(ひなさき)」を付け、出雲では妊娠すると「霊(ひ)が留まらしゃった」ということなどからみても、親から子へと受け継がれる霊(ひ=DNAの働き)の信仰がわが国の宗教の基本であり、命=霊継(ひつぎ)を何よりも大事にし、死者の誰もが神となるとするのがわが国の八百万神信仰の基本なのです。

 そして、そのルーツはドラヴィダ語(タミル語)の「pee(ぴー);自然力・活力・威力・神々しさ」に対応し、琉球語の「ぴ」から「倭語」の「ひ」に変わったのです。この「pee(ぴー)」信仰はタイなどにも残っています。―縄文ノート「38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」「40 信州の神那霊山(神名火山)と『霊(ひ)』信仰」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」参照

④ 埋葬や妊娠土偶、女神像、石棒(男根)、集落中心の広場への埋葬、環状集団墓地などに見られる縄文文化や宗教の分析には、わが国が記紀に書かれた歴史時代に入る紀元1~2世紀のスサノオ大国主建国神話から現代に続く神社・屋敷神信仰や祭りとの繋がりを分析し、整理する必要があると考えます。

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⑤ 立棒(男根)と円形石組を太陽信仰の日時計とする説や、神名火山(神那霊山)信仰を無視して縄文遺跡などの方位を太陽の運行と結びつける俗説が見られますが、今回の「東京縄文人2021」の展示がそこに迷い込んでいないのは正解と考えます。

 

12 「縄文文明」の広域・全国展開

① 黒曜石・ヒスイ・コハク・貝製品・土器などの流通や技術・デザインの広域的・全国的な交易と交流については、すでにそれぞれの研究で明らかにされ、各地の博物館・資料館でも展示されていますが、東京の縄文遺跡も各地との交流・交易の痕跡が見られます。

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② まず確認しておきたいのは、西欧中心史観が規定した未開社会説の「狩猟漁撈採集の自足自給社会説」ではこのような広域的・全国的な交流・交易は説明できないのであり、狩猟・漁労・生活圏は定住地から狭い範囲でいいのです。「定住しながら広域的・全国的な交流・交易をおこなう」という縄文人の生活・社会は「狩猟漁撈採集民」という規定ではなく、「地域分業を行う広域・全国交流・交易民」としての規定が必要であることを示しています。

③ この「定住」と「交流・交易」は「定住=夫招婚の母系制社会」であり、「交流・交易=男性が入り婿となる妻問婚社会」であったのです。

 黒曜石・ヒスイ・コハク・貝製品や土器に入れた産物などは妻問のための母系家族への贈物であり、それは父系制釈迦に変わった今でも「結納」の習慣として残っています。

 そして、この広域交流・交易社会は地域分業が確立し、氏族社会から部族社会への共同体の転換が進んだと考えます。マルクスギリシア・ローマを手本とし、私有財産制から「原始共産制奴隷制社会」という社会発展段階説を唱えましたが、軍事・侵略国家のギリシア・ローマ奴隷制社会は人類史の例外なのであり、「原始共産制」という共同体社会は空想の産物という以外にありません。

④ 鉄器交易・加工・生産により筑紫・出雲・瀬戸内などで妻問を行った壱岐の海人族のイヤナギ(伊邪那岐)、新羅と米鉄交易を行い、鉄器水利水田稲作を広めて出雲・筑紫・安芸・吉備・播磨・讃岐・美和(三輪)・紀伊尾張など各地で妻問を行ったスサノオ天王、100余国で180人の御子をもうけた「豊葦原(とよあしはら)の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂(みずほ)国王」「五百(いほ)つ鉏々(すきすき)猶所取り取らして天下所(あめのした)造らしし大穴持」と呼ばれた大国主などは、この広域交流・交易を行ってきた縄文人の伝統を受け継いでいるのです。

⑤ 「弥生人(中国人・朝鮮人)征服により水田稲作が導入されて文明段階になった。そして弥生人天皇家による建国が行われた」という大和中心史観の新皇国史観派と中国文明崇拝の左翼・リベラル史観派は奇妙な「縄文未開社会説」の共同戦線を張り、「弥生文明社会説(前者)」「弥生奴隷制社会説(後者)」にそれぞれしがみついていますが、若い考古学者・歴史学者の皆さんはこの左右の守旧派から自由になって欲しいものです。

⑥ 私は戦争発達史観の「城壁都市段階」を「文明」とする規定や、「土器デザイン」をもとにした「縄文時代」規定には反対ですが、仮に「文明」「縄文時代縄文人」などの用語を使っており、若い皆さんには西欧中心史観の「文明」や土器で時代を区分するなどという「縄文時代弥生時代」などの規定を見直すところから、日本の拝外主義の考古学や記紀に書かれたスサノオ大国主史を無視した天皇歴史学を変革していただきたいと思います。

13 「大森貝塚」を取り上げながら「向ヶ岡貝塚」の無視・隠蔽

① へそ曲がりな私は、小学校で縄文式土器弥生式土器を習い、「米を保存するために弥生式土器が生まれた」と説明されて「嘘だろう。米は米俵か米櫃に保存するもんだ」と思い、「日本には金属器時代はないのか?」と疑問に思いました。その後も、日本だけの「土器の様式で時代区分する」ガラパゴス史観にはとうてい納得できませんでした。

② 「東京縄文人2021」ではモースが発見・発掘した大森貝塚が展示されていましたが、「弥生式土器→弥生式時代→弥生時代」の名称となった記念すべき本郷の弥生の向ヶ岡貝塚について何の展示もしていないのは実に不自然・不誠実という以外にないと思います。東京の弥生地名から「弥生式時代・弥生時代」の名称を付けて子どもたちにて教えてきた以上、説明責任があります。

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③ 3000年前頃の水田稲作開始から文明時代としたいのなら、「暫定日本最古」の水稲耕作遺跡の佐賀県唐津市の菜畑遺跡から名前をとって「弥生時代」を「菜畑時代」に名称を変更するか、「水田稲作時代」として時代区分すべきなのですが、未だに「弥生時代」を使い続けて「知らぬ顔の権兵衛」というのは門外漢の私には「旧石器ねつ造事件」よりはるかに悪質に見えます。

  弥生式土器の見つかった向ヶ岡貝塚についてもきちんと展示し、誤った歴史的名称として「弥生時代」を説明し、縄文時代との違いを説明すべきでしょう。

 ④ 私は「石器―土器―土器―古墳」時代という「石土ガラパゴス歴史区分」は歴史家に多い劣等民族史観であり、「石器―土器(土器鍋)―鉄器」時代区分にすべきと考えています。

 

14 まとめ

⑴ 私の縄文分析の経過

 私がこれまで縄文論についてオリジナルな分析を行ってきた主な論点は、次の11点です。

 ① 鉄器水利水田稲作と八百万神宗教による「スサノオ大国主建国」からの縄文時代分析

 ② 「産霊(むすひ)夫婦」始祖神神話や神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)信仰、柩・棺(ひつぎ)などの「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教」からの縄文宗教論

 ③ スサノオ大国主建国の妻問夫招婚からの縄文母系制社会論

 ④ 外発的発展史観の弥生人征服説に対し、縄文時代からの内発的自立発展史観

 ⑤ 「旧石器―縄文―弥生―古墳」時代区分から、「石器―土器―鉄器」時代区分による縄文論

 ⑥ 西アフリカ産ヒョウタンと好きなカヌー・ディンギー遊びからの「海人族縄文人史観」

 ⑦ アフリカ起源の縄文人と神山天神信仰、黒曜石文化、イモ・マメ・穀類栽培のワンセット伝播論

 ⑧ Y染色体D型・農耕食宗教言語・イモソバアワ焼畑農業・もち食文化などからのドラヴィダ海人・山人族移住説

 ⑨ 「野蛮・未開縄文社会論」に対抗する「縄文文明社会論」

 ⑩ マルクスの「原始共産制奴隷制封建制」の時代区分を見直す、「家族・氏族・部族共同体社会論」 

 ⑪ 「日本中央縄文文明」(長野・新潟・群馬・山梨)の世界遺産登録の提案

 

⑵ 「縄文2021―東京に生きた縄文人―」を見て

 以上の視点で今回、急ぎ足ながら「縄文2021―東京に生きた縄文人―」展を見たのですが、私の主張を裏付ける新しい気づきが多くあったものの、以上の私の主張を覆すような事実はありませんでした。

 東京都で発掘に従事する若い考古学者の皆さんは是非とも世界に目を向けるとともに、縄文からスサノオ大国主国史を視野に入れ、「発掘大国・考古小国」から脱していただきたいものです。

 私は10数年以上前に仕事で群馬・新潟の縄文資料館を見たり、スサノオ大国主関係の調査のついでに縄文博物館を見る機会があったほか、やっと2年前から長野の八ヶ岳周辺の遺跡や博物館を見たという全くの初心者のレベルですが、今後は東京・埼玉や新潟・富山・などの遺跡・博物館・資料館なども回ってみたいと思います。

 縄文社会研究会・東京はこれまで内輪の会でしたが、初めての方も参加できる講演会なども相談していきたいと考えており、その際には案内を公開したいと考えます。

 <追記>

 明日(12月5日)が最終日なのに報告が遅れてしまいました。洩れている点については、いずれ追記します。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/