ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート52(Ⅵ-27) 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について

 私がかじった建築学というのは面白い分野で、建築計画となると施設や住宅などの利用方法・人々の生活分析や、伝統的建築や歴史的町並みとなると建築史が必要です。建築デザインとなるとアートのセンスが必要であり、構造計画になると地震学や構造力学などが、設備計画や外構計画(庭園計画や自然・都市景観との調和、環境影響、動線計画など)では空気力学や植物学・環境工学などが関わります。地域計画や都市計画となると産業活動や都市生活・観光行動などの調査・分析・予測が不可欠ですから社会科学に守備範囲は広がってきます。

 工学系か文科系かという二分法には収まらず、アート系・自然系・環境系・社会科学系などという分類もないと落ち着きません。

 このような背景から、古代史に関心を持つ建築関係者は多いのですが、私を含めて欠点は「浅く広く、生半可」であることと、アート系でもあることから「独創性」にこだわる珍説・異端説が大好きな「おもしろがり」というところでしょうか。

 私のそもそもの縄文への関心は岡本太郎氏の縄文土器論からで、猪風来氏(現在、岡山県新見市に猪風来美術館)の生命力あふれる縄文野焼きに感動を覚え、彼を招いて狭山市で子どもたちを集めて縄文野焼きイベントをやったこともありました。

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 そこで前から縄文土器などの独特のデザインで縄文人が何を考え、何を表現しようとしたのか解明したいと考え続けており、火焔型土器が「龍紋土器」であり、天と地・海・川を繋ぐ霊(ひ)信仰を表していることは突き止めることができたと考えますが、縄文デザインの多様な模様全体の意味の解明はできていません。

 このメモはその途中経過をまとめたものですが、縄文文明論の重要なテーマであり、さらに多くの皆さんのお知恵を借りたいところです。   210205 雛元昌弘

 

   Ⅵ-27 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について

                             201027→1104→210205

 「縄文ノート36(資料15)  火焔型土器から『龍紋土器』 へ」において、私は火焔型土器の把手が「龍=トカゲ蛇」デザインであるとし、「縄文ノート39(資料23) 『トカゲ蛇神楽』が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体」では出雲の「トカゲ蛇神楽」に継承されていると主張しました。

 「縄文ノート23(資料24) 縄文社会研究会八ヶ岳合宿報告」の「9.『縄文Emoji(絵文字)説』」では、日本発の文化として「Emoji(絵文字)」が世界標準となっていることや線画による絵物語や浮世絵・劇画・アニメ文化が、縄文時代から続く「象形文字の前段階の絵文字」の伝統を受け継いでいるのではないか、との仮説を提起しました。

 縄文土器や女神像に見られる蛇様デザインを、記紀や現在の出雲大社の海蛇・龍蛇神信仰や大神大社の蛇神信仰との繋がりで「龍の絵文字」と考えたのです。そして、「〇は『女性器』、〇〇は『目や乳房』、△は『神那霊山』、▽は『女性器』、勾玉形は『霊・魂』、縄文は『結び=産す霊』などの絵文字としての解釈であり、今後の研究課題です」としました。

 その後、大野晋著『日本語の源流を求めて』(岩波新書)において、大野氏が「記号」「記号文」「グラフィティ(壁などの図像。落書き)」として、縄文とインダス文明の比較対照を行われていることに気づき、改めて検討してみました。

 

1 経過

 私は2009年に『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』を出版しましたが、ブログをご覧になった北名古屋市大谷幸一さんより『ヒョウタンの歴史学』の原稿を送っていただき、意見を求められました。大谷氏は「模様と幾何学図形」から縄文デザインと世界の新石器デザインの意味を解明し、「自然との共生」思想を見出した、という大部の原稿でした。

 私が建築の「理系」ということで、大谷氏は「幾何学図形」論への評価を期待されたものと思いますが、「意欲的でたいへん面白い研究と思いますが、私も縄文デザインには興味を持っており、私なりに検討してから意見を述べさせて下さい」というような返事を書いた記憶があります。

 その約束を果たせないままずっと氏の原稿を書棚に置いて気になっており、改めて読み直し、大野説などと合わせて現時点でのメモを作成しました。

 

2 定義

 このメモでは次のような定義で進めたいと思います。 

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3 縄文デザインについての10の疑問点

 前から疑問に思っている縄文土器土偶の不可解なデザインについて、私の疑問点を列記しておきたいと考えます。

① 縄文土器土偶などに造形された多様な造形は「芸術」か「模様」か「シンボル」か「絵文字(記号)」か?

 ―作者の思い付きのデザインか、明確なメッセージ性があるのか?

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② 日用な実用品と作家性のあるものとの区別はあるのか、あるとすれば比率はどうか、分業体制があったのか?

 ―製陶集団、縄文芸術家はいたのか?

③ デザイン力・造形力のある縄文作家・職人が、なぜ写実をせず抽象的なデザインとしたのか?

 ―旧石器時代のスペイン・フランスのアルタミラ洞窟壁画のような写実的表現力があったにも関わらずなぜ写実しなかったのか?

 ―写実忌避の理由があったとすれば何か?(写実は霊(ひ)を抜き取るなど)

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④ 縄文土器土偶、耳飾りなど、なぜ異なるデザインを好んだのか?

 ―実用的な日曜品として同じものを作れたはずである。

 ―縄文人は芸術家か?あるいはコピーを忌避する宗教的な理由などがあったのか?

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⑤ なぜ縄文土器側面に隙間なく絵模様を付けたのか?

 ―空白を嫌う人間の本性なのか?

 ―障がい者アートのように繰り返しが楽しいのか?

 ―刺青と同じような宗教的意味があるのか?

 ―「耳なし芳一」の体へのお経の書き付けのような宗教的理由なのか?

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⑥ 縄文土器の縁になぜ4個(中には3個、1個)の把手様の飾りを付けたのか?

 ―機能的には意味はなく、何らかのシンボルであろう。

 ―これまで「蛇体把手」とされているものは、背中の突起から見て「オオトカゲ」ではないか?

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⑦ 人面付土器は何を表現しようとしたのか?

 ―なぜ壺や灯明台(蚊取器)全体を女性とみたのか?        

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⑧ 壊れやすくて重い個性的土器がなぜ広域化したのか?

 ―製作者の移動、献上品(威信財)、交易品、妻問婚の贈物、神との共食の宗教的土器鍋など

⑨ なぜシンプルな「土師器」に変わったのか?

 ―信仰思想・対象が変わった、舟で運ぶ米の交易容器が必要となった、労働集約型の水田稲作に伴い土器製作がシンプル化したなど

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⑩ 縄文デザインはわが国オリジナルか、宗教やデザインなど他地域にルーツがあるか?

 ―東南アジア・中国の蛇・龍信仰

 ―ドラヴィダ族の「ポンガ」の土器鍋?

 

4 大谷幸一氏の幾何学図形説 

 ネットで検索すると大谷幸一氏には『渦巻きは神であった:謎の古代文様』 2007/4/11、『縄文人の偉大な発見―思想を形で表すもうひとつの言語』2009/12/1、『人類最古の縄文文明 図解 縄文大爆発』 2015/1/9、『図説 縄文人の知られざる数学: 一万年続いた縄文文明の正体』2017/6/21の著作がありました。私がいただいた『ヒョウタンの歴史学―新石器人と現代人をつなぐ1万年の難問はなぜ解けたか』の原稿は『縄文人の偉大な発見―思想を形で表すもうひとつの言語』にタイトルを変えたようです。

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 いただいた原稿から大谷氏の主張を要約すると、世界の新石器人は「しめ縄文様、渦巻き文、まんじ、十字、ひょうたん形」などの図形を愛用しており、縄文土器土偶にもそれらが見られ、これらは生命誕生と宇宙創成の原理を表しているというものです。

 ピタゴラスの「世界は数字でできている(万物は数なり)」を信奉するピタゴラス教団が無理数を発見した教団員を死刑にしてしまったという話を思い出しますが、自然の形からは無数の図形が抽出できるのであり、〇□◇△などからなぜ特定の意味のある図形、例えば「渦巻き文」を抽出したのか、という「思想から図形へ」の説明はできていないように思います。それらが単なる自然物の形の描写や抽象化、誇張(デフォルメ、レトリック)ではなく、抽象図形として共通の意味、宗教的価値などを持って使われた、ということの合理的な説明が求められます。

 また、それらの図形が人間の本性から各地で同時多発的に出現したのか、あるいは人類拡散とともに各地に伝わったのか、についても検討する必要があります。

 アフリカから旧石器人・新石器人(含む縄文人)とも移動・交流して拡散しており、大谷氏の作業は世界に共通するデザインの収集・分類という点は活かされるべきと考えます。

 

4 岡本太郎氏(芸術家)・梅原猛氏(哲学者)らの渦巻文説

 「縄文に帰れ」を唱え、沖縄復帰に対しては「本土が沖縄に復帰するのだ」と語っていた岡本太郎氏は「火炎式土器」に対して深海をイメージしていたと述べ、大阪万博の「太陽の塔」(最初の仮称は「生命の樹」)の地下の「地底の顔」は写真のように「深海(龍宮=琉球)」をイメージさせるものです。

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 また哲学者・梅原猛氏は山形県遊佐町の吹浦(ふくら)遺跡(縄文前期末葉~中期初頭)の土器の渦巻文について「水であり、水の霊力の象徴」としてとらえ、大和岩雄氏(古代史研究家)は「水や蛇の象徴とみるべきだろう」としています。なおこの吹浦遺跡の近くにはスサノオの子の女神・大物忌大神=倉稲魂・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ))を祀る大物忌神社があり、スサノオ大国主一族が海蛇を神使とした海人族であることと符合しています。

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 <参考>

  資料2 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文  201004→ 0726→0802

 

5 大島直行氏(考古学者)の月・蛇の縄文デザイン論

 大島直行 (伊達市噴火湾文化研究所長)氏には『月と蛇と縄文人』2014/1/28、『縄文人の世界観』2016/3/29の著書があり、縄文人は「神話的世界観」でものや施設づくりを行い、シンボリック(象徴的)に、レトリカル(誇張的)に表現したとしています。

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 私は母系制社会の地母神信仰から、環状列石や石棒を立てた円形石組を縄文人は女性器と考え、朱で満たした甕棺や棺・柩(霊継)を子宮としてみており、土偶は霊(ひ)が宿るお守りで無事に出産して霊(ひ)が子どもに移った後には破壊して大地に帰したと考え、さらに海と川、大地と山、天を結び付ける龍・龍蛇神信仰(トカゲ蛇信仰)や、大物主大神が蛇として夜這いする神話から男性器の亀頭を蛇頭に見立てる信仰についても主張してきましたので、大島氏の環状列石女性器説や蛇信仰説は支持します。

 しかしながら、月のデザインについては私が見た範囲の縄文土器には確認できず、記紀神話などでも月信仰は見当たらず、合意できません。

  <参考>

  資料7 縄文の「女神信仰」考 200730→0825

  資料9 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)について 150630→200302→0826

  資料15  火焔型土器から「龍紋土器」 へ 200903→07・09→1017

  資料23 「トカゲ蛇神楽」が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体18201015→1020

 

6 武居幸重氏の文様論

 尖石考古館で目にした武居幸重著『文様解読から見える縄文人の心』は、本格的に縄文文様の解明を目指した人がいたことを知り、喜んで購入しました。

 以下、武居説を検討します。

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⑴ 縄文文様は「双分性」「融合和合(交合)性」を示すか?

 まず、武居氏が水野正好氏(当時奈良大学学長)の「縄文時代は男と女が何から何まで区別され、その区別を厳重に守っている双分制が徹底している時代である」「土偶祭祀は女性側祭祀、石棒は男性側祭祀」を批判しているのは大賛成です。群馬県片品村の金精様の2つの祭りは女神である山に金精を捧げる祭りであり、各地の「お山信仰」に見られる女人禁制は、お山の女性神が女性を嫉妬するからであり、男性の女性差別ではないのです。「土偶祭祀は女性側祭祀、石棒は男性側祭祀」説はそもそも成立しないと考えます。

 「産す霊(ひ)」=「むすび」の2本撚りのしめ縄は性交による「霊(ひ)継」を表し、縄文土器時代文様からスサノオ大国主の霊(ひ)信仰に引き継がれた可能性があると私はこれまで書いてきましたが、「土偶に施文されている縄文文様は、霊の表現であり、男霊(雄霊)的文様と女霊(雌霊)的文様は常に融合和合している」という武居氏の説については、「霊の表現」は同意できますが、「和合」デザインは縄文には確認できますが、それ以外の模様から私は読み取ることはできませんでした。

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 武居氏の「正巫女」と「ムラオサ」が交わり「介添えの巫女」が両側に配置されているという図の解釈ですが、「正巫女」という解釈も、足とされる部分がさらに下に伸びて別の模様に繋がっており、人体図と見るのは無理があります。

 赤子が土器の腹の部分から顔をのぞかせた出産文土器(北斗市津金御所前遺跡)や埋甕(うめがめ:塩尻市平出遺跡)、顔面土器(富士見町井戸尻考古館等)と合わせてみると、これらは母系制社会の「霊(ひ)継」「霊(祖先霊)=神との共食」、「霊(ひ)の再生」を願うデザインとみるべきと私は考えています。

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 <参考>

  資料7 縄文の「女神信仰」考 200730→0825 

 

⑵ 「蛇」文様について

 海蛇・蛇・龍蛇・トカゲ龍信仰はスサノオ大国主一族に見られ、諏訪においてはスサノオ一族の物部氏系の守矢氏、大国主一族の諏訪氏に継承されていることからみて、諏訪の縄文土器土偶に蛇文様が見られることからみて、武居説のとおりと私も考えます。

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 海や川を泳ぎ、海中や地下に棲む海蛇や蛇は海神・水神・地神(いずれも祖先霊)の神使と考えれられ、さらに山上から天に昇って雨を降らせる龍神、神鳴りとなって地上に降りる雷神であり、天神(天に昇った祖先霊)の使いとして信仰されたと考えられます。また円形石組に立てた石棒祭祀から見て、蛇の形を男性性器に重ねたと私も考えます。

 

⑶ 「山椒魚文様」説について

 「頭+体+尻尾+手」らしい文様は縄文土器にいくつも見られ、武居説はこれをサンショウウオとしています。

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 「体がぶよぶよとした凸凹形」「背中の中央が凹」「歯列が2条」「遊泳の様子」「両生類で、卵生である」というのがその根拠ですが、私にはこの5つの特徴を図から確認できませんでした。尻尾を上に立てているのはサンショウウオからは考えれられません。

 私は火焔型土器の突起(把手)について、「龍神=龍蛇神=トカゲ蛇神」説を提案してきましたが、武居説の「山椒魚文様」についても土器縁上の「蛇体突起」と同じく、その形態上の特徴点の多さから見て、「龍神」(龍=龍蛇=トカゲ蛇)をよりシンプルにしたものと考えます。

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 この「龍神」(龍=龍蛇=トカゲ蛇)信仰は、頭や背中に突起があるインドネシアのモトイカブトトカゲなどをモデルにしたものであり、日本列島人のルーツが南方系であることを示しています。

 <参考>

  資料15 火焔型土器から「龍紋土器」 へ 200903→07・09→1017

  資料23 「トカゲ蛇神楽」が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体18201015→1020

 

⑷ 「蛙(蛙と嬰児の重想)・カマキリ」文について

 井戸尻考古館の「頭+胴体(背骨あり)+両手(腕の途中から別の腕が伸び、合計4本)+両足」と思えるような土器の図形は人間とも蛙とも見れる実に不思議な形ですが、武居氏は「蛙と嬰児の重想文」とし、「生誕祝祭文」と名付けています。足には指がなく手は3本指で、カエルの4本、トカゲや人間の5本とも異なっています。

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 ヒキガエル古事記に「多邇具久(たにぐく)」として登場し、大国主のところに海の向こうから小さな神(少彦名)がやって来た時、誰もこの神の名を知らなかったとき、多邇具久(たにぐく:ヒキガエル)が久延毘古(くえびこ:山田のそほど=かがし)なら知っているはずと答えたとされる場面で登場するだけで、蛙信仰を裏付ける伝承などもありません。

 また、その形状も「蛙説」で左手とされる部分や足の付け根部分に別の線が伸びており、他の図形の一部の可能性もあります。「蛙と嬰児の重想説」は蛙と嬰児を重ねて考えた信仰に根拠がなく、2本の手の途中から2本が異常に長い手が伸びていて像を重ねたとは見えず、この仮説は成立しにくと考えます。

 中国神話には月に蟾蜍(ヒキガエル)が住むという神話があるそうですが、下表のように蛙やヒキガエルは倭音倭語の名称で通用しており、呉音漢語・漢音漢語は見当たらず、中国神話導入説には裏付けがみあたりません。 

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 縄文土器に多い丸2つを目、丸・楕円形を口や顔と考えるといろんな動物が考えられますが、その後の神話や神使伝承(蛇・龍蛇・トカゲ蛇・猿・狼・鶏・白鳥・鹿等)から想定する以外にありませんがそのような例はなく、「カマキリ」や「フクロウ」などと一義的に決めつけることはできません。 

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⑸ 「畑」デザイン説について

 線で区画された線模部分を武居氏は「畑」とみており、私など全くノーマークだったところに着目されたのは、井戸尻遺跡群からの縄文農耕説と結びつけた意欲的な解釈です。

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 私はDNA分析(Y染色体Ⅾ型)、日本語の起源、温帯ジャポニカのもち米・赤米食文化、霊(ひ:ピー)信仰、山神信仰などから「縄文人ドラヴィダ海人・山人族説」に到達し、イモと雑穀の焼畑農業、天水陸稲栽培・水辺水田稲作による縄文農耕説を支持しますが、日本や東南アジアの焼畑をみても区画した畑は必要なく、氏の説には同意できません。

 

⑹ 武居説まとめ

 縄文デザイン解明の方法論としては、「描写→抽象化→誇張」として分析する方法と、後の時代からの遡りと他文明・文化の伝播からの「縄文人の思想・宗教・生活文化のシンボル化」という2つのアプローチが考えられます。

 私の「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教」論からの龍信仰、山神天神信仰から縄文デザインを見ていく方法と、武居氏の「縄文文様は霊の表現」からの「蛇」文様説は共通していますが、他の説については論証ができていないように思います。環状列石や円形石組、石棒、土偶、神那霊山などを含めた全ての単位デザインの総合的検討が求められます。

 

7 大野晋氏のインドと日本のグラフィティ比較

 大野晋氏は『日本語の源流を求めて』(岩波新書)において下図のようなインドのインダス文明(BC2500~1500年)・銅石器時代(BC800年頃)・南インドの巨石文化(BC1000~AⅮ300年頃)のグラフィティ(落書き)と日本の弥生時代のグラフィティと記号文(藤田三郎氏説)の比較対照表を載せています。

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 「他人の空似」ということもあるのでなんとも言えませんが、縄文土器などに見られる文様、特に「蛇」「龍蛇」「トカゲ龍」など、スサノオ大国主時代とドラヴィダ族のデザインに共通する宗教的・稲作文化的なものが存在するのかどうか、今後の検討資料として掲載しました。

<参考>

資料18   日本語起源論からみた日本列島人起源  200918→1005・23

 

8 カイダ文字

 ウィキペディアによれば、カイダ文字)は、沖縄県与那国島等で使われていた象形文字で、与那国島海底地形からも、カイダ文字に似た跡のある岩が発見されているとされます。

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 17-19世紀に創作されたと考えられている一方、この海底地形は遅くとも11世紀前半には水没していたと考えられており、カイダ文字が通説より古くから用いられていた可能性もあるとしています。

 海人族であり、縄文時代の東北・北海道までの貝交易や 殷王朝から貨幣として使われていたタカラガイなどの交易からみて、日本本土、中国とは古くから交易があり、漢字文化や仮名文化(8世紀)に接する機会があり、カイダ文字「17-19世紀創作説」には疑問があります。

 その特徴は「絵文字」として通用するものがかなりあり、縄文図形の検討の際の参考資料として掲載しました。

 

9 まとめ

① 縄文図形について、「芸術(アート)、模様(パターン)、シンボル、絵文字(記号)」という分類のどこに位置するのか、この1週間、考え続けてきた途中メモです。

② 「描写→抽象化→誇張」分析法と「思想・宗教・生活文化のシンボル化」という2つのアプローチで考えてきましたが、前者については、縄文土器土偶にみられる縄文単位図形を整理するだけの写真データと時間がなく、後者については、「霊(霊継信仰(鬼神信仰)」や「海神・水神・地神・木神(神籬)・山神(神那霊山)・天神・龍・雷(神鳴り)信仰」「神使(蛇・龍蛇・トカゲ蛇・猿・狼・鶏・白鳥・鹿等)」と縄文図形を対照するまでの時間はありませんでした。

③ わが家では草間彌生氏(松本市生まれ)の水玉模様の黄色いカボチャのリトグラフを飾っていますが、水玉を書いていると落ち着くという統合失調症であった氏の作品や繰り返しの多い障がい者アートと、縄文デザインの関係についてもずっと考えています。

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 1つの仮説ですが、縄文時代に知的障がい者は神使として特別の地位・役割を与えれ、霊(ひ)信仰の縄文土器製作に携わっていた可能性があるのではないか、と考えています。

 草間彌生さんの男根で埋め尽くしたベッドやイス、壁面の作品を見ていると、草間さんは石棒(男根)崇拝を行っていた縄文人ではないかと思ってしまいます。

④ このような作家性のある芸術的デザイン、風景の中に見られる十字架や鳥居、企業マークなどのシンボルデザイン、さらには絵文字コミュニケーションの、どのあたりに縄文デザインが位置するのかは、いまだに答えが出せていません。「芸術(アート)、模様(パターン)、シンボル」までは言えそうですが、「絵文字(記号)」になるとまだ手掛かりはつかめていません。

④ 今後の課題を整理すると、次の通りです。

 ⅰ 縄文単位図形を全て抽出して縄文土器デザインデータベースを作成し、AI分析で相互の関係性を明らかにし、「描写→抽象化→誇張」分析法により意味を読み取る研究です。問題は数多くの単位図形が集まるかどうかです。

 ⅱ 「思想・宗教・生活文化のシンボル化」として縄文デザインを読み取るため、「日本列島人ドラヴィダ系海人・山人族」説にもとづき、東インドミャンマー高地人の「pee(霊(ひ))」宗教と生活文化などに関わるデザインの収集と対照を行う方法です。「女性器」「男根」崇拝のルーツはこの地域の可能性があると考えます。

 ⅲ 日本列島への移動経路途中の「スンダランド文化」(インドシナ半島インドネシア諸島)の「pee(霊(ひ))」宗教・文化などに関わるデザインの収集と対照です。「トカゲ龍」「トカゲ蛇龍」などのルーツはこの地域と考えているからです。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/