縄文ノート108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説
妻が午後の犬散歩中で近くの小学校の裏手でマテバシイ(ブナ科の常緑高木)の実が大量に落ちているのを見つけたので、翌朝の犬散歩の時に拾いに行き、炒って食べ、冷蔵庫に保管しておきました。
ウィキペディアは、マテバシイについて「炒って食べるとおいしく食べられる。・・粉状に粉砕してクッキーの生地に混ぜて『縄文時代のクッキー』として味わうこともできる」と紹介しています。
縄文論・日本列島人起源論・人類誕生論の探求の大きなヤマを越しましたので、「マテバシイ粉を煮て食べられるか?」「マテバシイ粉を炊くと、吹きこぼれができるか?」の実験を行いました。
というのは、私は縄文土器の縁から盛り上がったデザインの縁飾りについて、これまでの「火焔説」「鶏冠説」などに対し、「吹きこぼれの泡」と泡がはじけて湯気が天に上ることから「龍(トカゲ龍)」信仰のデザインが生まれたと考え、縄文土器で煮炊きして吹きこぼれを生じさせる食材がインド・東南アジア原産地のタロイモ(サトイモ)や陸稲・ソバなどの穀類であると主張してきており、「ドングリ粉では吹きこぼれはできない」ことを確かめたかったからです。
「縄文農耕論」の整理とともに、マテバシイの吹きこぼれ再現実験結果を紹介します。
1 縄文農耕論の整理
系統的に文献など読んでおらず、乏しい知識で見落としが多々あると思いますが、これまで書いてきた「縄文農耕論」を整理すると、表1のようになります。
主食(炭水化物=糖質+食物繊維)の摂取について「採集=野蛮・未開社会、小麦・米栽培=文明社会」「縄文式土器時代=採集=未開社会、弥生式土器時代=水田農耕=文明社会」という西欧中心史観・弥生人征服史観という2重のフィクションにとらわれた日本の歴史研究においては未だに非科学的な「クリ・ドングリ縄文食論」が幅を利かせていますが、吉田邦夫・西田泰民氏の「縄文土器おこげ分析」と人や米のDNA分析により、完全に破たんしています。
私はそれらに加えて、「糖質食進化論」「人類食物同時拡散論」「ポンガ食祭論」「鳥獣害対策論」「おこげ・吹きこぼれ論」「縄文製塩論」「縄文分業社会論」「巨木列柱拝殿祭祀論」を追加し、縄文農耕論を補強していますが、石器すり鉢による「ドングリ(マテバシイ)粉」によって吹きこぼれができるか、再現実験で確かめました。
2 マテバシイ採取と試食
2021年9月1日、近くのさいたま市上小小学校の裏手でマテバシイを採集し、中華鍋で炒るのと電子レンジで温めて食べてみました。栗よりはかなり落ちるものの、栗っぽい味がして食べられ、炒った方が香ばしく食べられました。11月11日に冷蔵庫に保管していた炒ったマテバシイを粉砕機(クラッシャーミル)で粉にして煮てペースト状になったものに塩や砂糖で味付けすると食べられました。
堅果類やイモ類も、クリ・ドングリ粉やイモ粉などに加工して保存すれば、穀類や塩の干物や貝、野菜、燻製獣肉などとともに鍋で煮れば冬を越すだけの十分な食料確保は可能と考えます。
対馬では古くからサツマイモを「孝行芋(こうこいも)」と呼び、砕いて水に付けてふるいでこして干して「せん団子」にし、粉にして麺にした「ろくべえ(せんそば)」や「せんぜんざい」に料理しますが、厳原町の飲み屋で珍しい郷土料理であり締めに食べたことがあります。とくに美味しいとは言えませんでしたが、まずくはなくたべられました。
粉食文化は「クリ・ドングリ→イモ→穀類」へと縄文時代には連続して発展していた可能性が高く、すり石鉢や石臼の利用について「縄文土器鍋料理(雑炊やお焼きなど)」としておこげ再現実験を行う必要があると考えます。
西洋文化に合わせて「縄文クッキー」などと推理する前に、「縄文おやき」や「縄文だんご」をまず考えるべきでしょう。
また、私は栗は大好きですが縄文人も同じであったにちがいなく、縄文人は栗の芽生えを見つけ、栗の木を増やすことを考えたに違いありません。わが家では次男がブドウを食べたあと、種をマンションのベランダでプランターに植え、それが今は戸建てのわが家でグリーンカーテンとなりかなりの収穫がありますが、栗などの栽培は縄文時代の子どもの好奇心と知恵でも容易にできたに違いありません。栗栽培を思いつくことがなかった考古学者たちには、縄文人を「未開人」などと軽蔑する資格などありません。
なお、私の父方の祖父方には栗林があり、家は全て栗材であったと叔父から聞いていましたから、三内丸山遺跡だけでなく巨木クリ材列柱のあった桜町・真脇・チカモリ・の周辺には人工の「栗林」があった可能性が高いと考えます。
3 ドングリ粉(マテバシイ粉)で吹きこぼれは生じない
原稿が一段落したので、やっと11月11日にマテバシイ粉で吹きこぼれができるかどうか、再現実験を行いました。
焚火を想定して火力を強くしても泡は表面にしかできず吹きこぼれは生じるとはありませんでした。
サトイモや豆やご飯を炊いたり、うどんやソバを茹でた時とは大違いです。
縄文土器の吹きこぼれ痕や縁飾りは、縄文人がデンプン質の多いサトイモやヤマイモ、豆や米、小麦、ソバなどを調理したことを示しており、「縄文土器によるクリ・ドングリ調理説」が成立しないことは吉田邦夫・西田泰民氏のおこげ再現実験と炭素窒素同位体比分析の結果と符合します。
4 「吹きこぼれ・泡立ちデザイン」の縄文土器の縁飾り
本や博物館・資料館などで縄文土器を見るたびに、あの抽象的なデザインが何から生まれたのか、ずっと考え続けてきました。
縄文土器の芸術性を世界に広めた岡本太郎氏は火炎型土器を「深海のシンボル」としてみており(「縄文ノート14 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」参照)、一般的には「火焔デザイン」とみるとともに、4つの把手飾りについては「鶏頭冠形」とされてきました。
私は大学の建築デザインの講義で「建物の設計では建物のテーマとなった形からデザインする」(注:リンゴの博物館ならリンゴの形から考える)と教わりましたから、縄文の抽象デザインにも自然界・生活圏に具体的な形があるに違いないと考えました。
結論として、火焔型土器などでは「丸型」は「球=泡」を示し、「鶏頭冠形」とされたものは湯気と同じく天に昇る「龍(トカゲ龍)神」、「縁の盛り上がり」は「吹きこぼれ」(ポンガ=ホンガ)、胴の「渦巻き」は「土器鍋の中の対流」と考え、縄文人の天神信仰と煮炊き食信仰を表していると考えました。―縄文ノート「29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論」「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「36 火焔型土器から『龍紋土器』 へ」「52 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について」参照
また、人面付き土器・出産紋土器は、女性・妊娠土偶と同じく母系制社会の神(祖先霊)との共食による霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰を示していると考えました。―縄文ノート「15 『自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰』」「34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)について」「75 世界のビーナス像と女神像」参照
5 「縄文農耕論」証明の課題
「日本中央縄文文明」の世界遺産登録に向けて、古くさい「縄文未開社会説」「縄文採集・狩猟・漁撈社会説」「弥生稲作説」は大きな障害であり、藤森栄一氏が井戸尻遺跡で先鞭をつけた「縄文農耕論」の総合的な証明に向けて次から次へと新証拠を繰り出し、マスコミで公表して世論を変える必要があると考えます。
私が考えつく点を列挙しておきますので、地の利のある地元で可能なところからそれぞれ検討いただくとともに、いずれ縄文総合調査プロジェクトを立ち上げることが必要と考えます。
⑴ ポンガ食祭調査
南インド・ドラヴィダ族の「ポンガ」の小正月のカラスに赤米粥を与える食祭は新潟・茨城・秋田・青森の「ホンガ」の行事に伝わっていますが、安曇野市では「ホンガラ」の「鳥追い行事」に変わっています。群馬県片品村の武尊神社の「猿追い祭り」が元は山から祖先霊を神使の猿が運ぶ行事であったものが「害獣対策」に切り替わった例もあることから、信州でも本来の「カラス神事」が残っていないか、気になります。
⑵ 土器圧痕調査
日本中央高地など縄文土器について、籾・大豆・小豆・ソバの実などの穀物痕や豆痕の顕微鏡観察・シリコンレプリカ法などによる調査が行われていないようであれば、悉皆的な調査が求められます。
⑶ 焼畑調査
縄文集落や阿久・阿久尻祭祀施設周辺などの焼畑の可能性のある地形場所を選び、ハンドオーガー(手動土壌採取器)で土壌を採掘して炭片層の有無を調べる調査が求められます。ハンドオーガーを役所や測量会社などで借りるか買っても数万円であり、市民グループでも調査可能です。
⑷ プラントオパール調査
イネ科植物の葉に含まれるプラントオパール(ガラス質に変化したケイ酸体)は加熱で変化することはないとされており、焼畑調査と合わせた土壌分析やおこげ分析が求められます。
⑸ 花粉調査
焼畑調査の土壌ボーリング調査をもとに、焼畑調査・プラントオパール調査と合わせて、イネ属やソバ、イモ類などの花粉調査が求められます。諏訪湖湖底堆積物の花粉化石調査は行われていますが、ピンポイントの調査が求められます。
⑹ 栗栽培調査
桜町・真脇・チカモリ・三内丸山遺跡にはクリ材による巨木建築があり栗栽培が行われていた可能性が高いのですが、栗の生産量全国5位で小布施栗というブランドがある信州では縄文時代の栗の巨木柱根は今のところ見つかっていないようです。
地下水位が高く腐敗しにくい可能性の高い遺跡での発掘とDNA分析が行われば「縄文栗栽培」が証明できます。
⑺ 縄文狩猟調査
「追跡猟(忍び猟)・追い込み猟・獣道待ち受け猟・農地待ち受け猟」のうち、縄文人の「黒曜石弓矢猟・落とし穴猟」がどれにあたるのか、地形条件や鏃散布から分析し、農耕開始による鳥獣害対策があったかどうか確かめます。
⑻ すり石鉢・石臼調査
渋谷綾子氏の「縄文土器付着植物遺体と石器の残存デンプン粒分析からみた東京都下宅部遺跡の植物利用」によれば、磨石から写真のようなイネのプラントオパールが見つかっており、すり石鉢・石臼の再分析が求められます。
⑼ おこげ・吹きこぼれ再現調査
穀類(米・麦・粟・ソバなど)や穀類とイモ類を混ぜた縄文土器付着おこげの再現実験はまだ行われておらず、専門家でなくても実験可能であり、「吹きこぼれ再現実験」とともに取り組んでいただきたいものです。吉田邦夫・西田泰民氏の研究では、なぜか穀類(米・麦・ヒエ・粟・ソバなど)については除外されており、追加分析が求められます。
縄文土器鍋による食祭の粉食・もち食文化が縄文時代に遡る可能性については、市民グループでも再現実験が可能であり、藤森栄一氏等の先駆的な研究の延長として取り組んでいただきたいものです。
⑽ 大規模環状共同墓地と巨木列柱拝殿祭祀調査
阿久・阿久尻遺跡のような大人数の一定期間の共同作業を必要とする大規模な環状共同墓地と巨木列柱拝殿は農耕による食料備蓄が可能となった部族社会の成立を示しており、他にも列柱建築があった可能性があり、これまでの発掘調査の点検と調査範囲の見直しが必要と考えます。
□参考資料□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
邪馬台国探偵団 http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/