ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

187 「まさひろドーイ」からの焼畑・縄文語・天皇家考 

 今回は気分転換の息抜きに、イオンモールで瓶踊りの「まさひろドーイ」の載った面白い泡盛を見つけたので紹介し、焼畑農耕と琉球弁・本土弁、天皇家のルーツについて付言します。

 私の名前は「昌弘」なので、沖縄に行った時には比嘉酒造(現まさひろ酒造:3代目の名前から)の写真の大きな壺入りの古酒「まさひろ」(2000年仕込み)を買い、子どもたちも土産には「まさひろ」を買ってきてくれていましたが、他にも名前に引かれて「海人(うみんちゅ)」や「島唄(しまうた)」もよく買っています。

 まさか埼玉で「まさひろ」に出会えるとは思わなかったのですが、沖縄紹介の旅番組などで気になっていた瓶踊りのイラストが気に入り直ちに購入しました。

 「うまさひろがる」に「まさひろ」があるのがいいし、瓶踊りイラストが面白いのでネットで検索してみると「まさひろドーイ」の歌と踊りを見つけました。

無芸なので、瓶踊りに挑戦してみたいところですが、踊は苦手なのでちょっと自信がありませんが・・・

https://www.youtube.com/watch?v=kYhgVSX4wYk

https://www.youtube.com/watch?v=fdbyWpLlFMU

 

 なお、歌詞の「海人(うみんちゅ)ん 畑人(はるんちゅ)ん 踊(うどう)てぃ飲(ぬ)でぃ遊(あし)ば」は、縄文海人族(あまぞく)・縄文山人(やまと)族による日本列島人起源論や海人族のスサノオ大国主建国論をやっている私には見逃せません。

 

 「畑人」と書いて「はるんちゅ」と読むのでびっくりしましたが、壱岐原の辻遺跡(はるのつじいせき)や福岡県糸島市の平原遺跡(ひらばるいせき)など、九州では「原」を「はる、ばる」と読む地名が多いことからみて、「はる(原)」=「畑(火+田)」=焼畑であり、沖縄と九州が焼畑の同一文化圏であった可能性がでてきました。

 なお、ウィクショナリーで調べてみると、「畑」「畠」は和製漢字であり、「畑(火+田)=焼畑」と「畠(白+田)=乾田(二毛作)」を古代人は使い分けていたことが明らかであり、「畑(火+田)」のルーツがより古いことを示しています。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「42 日本語起源論抜粋」「93 『かたつむり名』琉球起源説―柳田國男の『方言周圏論』批判」参照

 また、元の倭音の「あいういぇうぉ」が琉球弁で「あいういう」に、本土弁で「あいうえお」になったことが、「踊(どう)」「飲()」「遊(あ)」と「踊(どう)」「飲()」「遊(あ)」からも読み取れます。はてなブログ・ヒナフキンの縄文ノート「97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」「153 倭語(縄文語)論の整理と課題」、gooブログスサノオ大国主ノート「倭語論17 『いあ、いぇ、いぉ』『うあ、うぇ、うぉ』『おあ』倭語母音論」参照

 

 

 本土弁の方言が琉球弁なのではなく、むしろ琉球弁の方言が本土弁の可能性が高いと考えます。

 「縄文に帰れ!」と言っていた岡本太郎氏は、沖縄の本土復帰にあたって「本土が沖縄に復帰するのだ」と述べましたが、「まさひろ」「海人」を飲み、「島唄」を歌いながら夢想してみませんか?

なお、薩摩半島南西端の南さつま市の栫ノ原遺跡(「かこいのはら」は元は「かこいのはる」であった可能性)は、古代には笠沙天皇家(阿多天皇家)3代の本拠地であった「阿多」に属します。

 

 

 記紀によれば、2代目の火照命(ホデリ=漁師=海幸彦=隼人)の弟の火遠理(ほをり=猟師=山幸彦=山人(やまと))は龍宮(琉球)に行って豊玉毘売(とよたまひめ)を妻とし、さらにその子の鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)は豊玉毘売の妹の玉依毘売(たまよりひめ)に育てられて妻としています。

 その子の若御毛沼(わかみけぬ:後の神武天皇)の母と祖母は海人族・畑人族の琉球人、父は山人族(やまとぞく)であり、栫ノ原遺跡をみても縄文・弥生文化は連続しているのです。

 スサノオ大国主一族とこの天皇家の歴史をみても「弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観」は成立せず、「縄文人自立・内発的発展史観」の探究を若い世代のみなさんに期待したいと思います。 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/