ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

「帆人の古代史メモ114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」の紹介

 ライブドアブログ「帆人の古代史メモ」に「114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」をアップしました。http://blog.livedoor.jp/hohito

 縄文論とは直接には関わりありませんが、「9.『委・倭人』のルーツはどこか?」では、雲南の「イ(夷・倭)族(烏蕃、ロロ族:1200万人)」とわが国の「委・倭(い)人」との関係を整理していますので、参考にしていただければ幸いです。

聖徳太子についての各説を極論的にまとめると、右派は「日出処天子致書日沒処天子」と「新羅侵攻」に着目して独立・武闘派であると主張し、左派リベラルは反天皇制から「聖徳太子架空説」を唱えるか、「和を以て貴しとなす」から現憲法9条などに繋がる協調・和平派ととらえ、あるいは人道的な立場から仏教思想を広めた「聖王」とみるなどの大きな相違が見られます。

 このような分岐は、ロシアのウクライナ侵略がおこり、米中両覇権国に挟まれた現在のわが国の政治的・軍事的な立ち位置にも密接に関わるテーマでもあり、私は歴史的な分析として、聖徳大王(おおきみ)は若き独立・武闘派から、スサノオ大国主建国からの「倭国(わのくに)」「美和国(みわのくに)」「大和国(おおわのくに)」の伝統を引き継ぎ、隋と対等に渡りあう駆け引きのできる和戦両様の協調・和平派の成熟した政治家へと変貌を遂げた、と考えます。

私は磯田道史氏のように、歴史解釈では「もし~」を含めて検討することこそが重要と考えますが、「もしも聖徳太子が長寿な聖徳天皇であったら」と考えざるをえません。そうすると蘇我入鹿殺害、中大兄皇子百済出兵と白村江での新羅・隋連合軍への大敗北、大海人皇子天武天皇)への政権移動があったかどうか、気になりませんか? 是非、皆さんもシミュレーションしてみて頂きたいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/