ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

「スサノオ・大国主建国論1 はじめに」の紹介

 gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」に「スサノオ大国主建国論1 はじめに」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院)を書いた時には、まだ記紀神話の全体的な分析はできておらず、その後に『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)や雑誌、4つのブログで書いてきた「スサノオ大国主建国論」関係の小論を年内目標にまとめるにあたり、下書きを連載していきたいと思います。

 前川喜平氏が10月2日の東京新聞の「本音のコラム」欄に書いていましたが、先日の安倍元首相の国葬において、自衛隊の音楽隊が黙祷の際に演奏した曲が戦前の軍歌『國の鎮め』で、天皇の使いの拝礼の際には『悠遠なる皇御国(すめらみくに)』であったと批判しています。

 前者は「國の鎮めの御社(みやしろ)と 斎(いつ)き祀(まつ)らふ神霊(かみみたま) 今日の祭りの賑ひを 天翔りても御覧(みそなわ)せ 治まる御世を護(まも)りませ」という歌詞で、どちらも天皇を神とした戦前の皇国史観がそのまま現代に引き継がれていることに戦慄を覚えます。

 私は古事記日本書紀を曲解したアマテルに始まる天皇国史観を批判し、記紀風土記・魏書東夷伝倭人条・三国史記新羅本記の分析を中心に、この国の始祖神は出雲大社本殿正面に祀られた「産霊(むすひ)」夫婦であり、紀元1~2世紀の「豊葦原の葦原中国(あしはらのなかつくに)」の建国者はスサノオ大国主一族であるとの建国論を書き続けてきていますが、このような「戦死者の葬送曲」が国にあふれることになる前に現代的な課題としてそのまとめを急ぎたいと思います。

 本ブログの「縄文論」としても、「ポスト縄文論」として、「縄文時代」からスサノオ大国主建国は内発的発展として連続しているのか、それともスサノオ大国主王朝や天皇家大和朝廷弥生人(中国人・朝鮮人)の征服王朝なのか、解明を進める作業の参考にしていただければと思います。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/