ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート147 『ちむどんどん』からの古日本語(縄文語)解明へ

 「NHK連続テレビ小説大河ドラマは視聴率が低い地域を舞台地とする」と誰かが言っていましたが、そもそも忙しくて時間もなくほとんど見ていませんでしたが、まちづくりの仕事で気になるところとか、縁のある土地などを偶然のきっかけでたまに見ることがあります。

最初に気になったのは和歌山の林業がでてくる「ほんまもん」をチラッとみて、次は湯布院のまちづくりで興味のあった「風のハルカ」、次は島根と京都がでてくる「だんだん」、川越が舞台となった「つばさ」、水木しげるさんに興味があった「ゲゲゲの女房」、好きな尾道・大阪が舞台の「てっぱん」、中島みゆきさんの歌と仕事で通った余市がでてくる「マッサン」、郷里の岡山と太秦映画村がでてくる「カムカムエヴリバディ」、そして沖縄がでてくる「ちむどんどん」と取りとめもなく見ているだけですが、それも時々見るのでストーリーもよくわからないままです。

 『ちむどんどん』は沖縄言葉や祖先霊信仰が知りたくて録画してみているのですが、「た行とか行の音韻転換」と「あいういう5母音」について、確証がえられました。

 はてなブログ「ヒナフキンの縄文ノート144 琉球の黒曜石・ヒスイ・ソバ・ちむどんどん」でも少し書きましたが、気づいた言葉を一覧表にしてみました。

 

  このような音韻法則は記紀分析の前提として欠かせず、見直しが必要と考えています。同時に、琉球弁と本土弁から古日本語(縄文語)の音韻法則が解明され、縄文人のルーツ解明の重要な手掛かりになる可能性があると考えます。

 

 例えば、「ち=き」の「てびち=てびき(手引切)」から、「切る」=「kir-i(キリ:ドラヴィダ語)」に繋がってきます。たまたまの一致かもしれませんが、言語学に興味のある方は系統的に追いかけてみていただきたいものです。

  特に、スサノオ大国主一族のルーツである海人族の壱岐対馬や出雲の方言と沖縄弁(琉球弁)との対応関係は重要と考ます。

 また、ウクライナ戦争から、ライブドアブログ「帆人の古代史メモ114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」では新羅侵攻を進めていた聖徳太子は好戦派か和平派かについてまとめましたが、「委奴国王」「倭国」の「委・倭」は「い」と読むべきであるとの私の持論を雲南省北西部などに住む「イ(夷・倭)族」の漢字表記から補強しましたが、同時にイ族が「すべての音節の末尾が母音で終わる開音節言語」であり、「a、 i、 u、 e、ie、 o、uo」母音であることに、今回、初めて気づきました。

 なお、母音転換と子音因転換、古日本語(縄文語)のルーツについて、これまで検討してきたことを紹介しておきたいと思います。

⑴ 母音の音韻転換

 本土弁の「あ、い、う、え、お」5母音と、琉球弁では「あいういう」5母音から、元の古日本語は「あ、い、う、いえ、うお」5母音であったと考えられます。沖縄弁(琉球弁)では表1の例の他、雨(あみ)、酒(さき)、風(かじ)、心(くくる)、声(こい)、夜(ゆる)など、その名残を多く残しています。

 出雲国風土記の「神戸(かむべ)・神原(かむはら)」と「神魂神社(かもすじんじゃ)・神魂命(かもすのみこと)」の「かむ=かも」の例など本土弁にも琉球弁からの伝播は残っており、「賀茂・加茂・鴨」は古くは「神(かも)」であったと考えられます。―縄文ノート「37 『神』についての考察」「97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 

 なお、表2・図3のように、母音併用はさらに広範に見られ、その体系的な分析は専門家に任せたいと思いますが、記紀等の用法と現代の地名との対照や語源分析にあたっては注意する必要があります。Gooブログ・ヒナフキンスサノオ大国主ノート「倭語論17 『いあ、いぇ、いぉ』『うあ、うぇ、うぉ』『おあ』倭語母音論」(200316)参照

 

 

⑵ 子音の音韻転換

 表1の沖縄弁の「た行とか行」の音韻転換のように、「は行とま行」「た行とな行・ら行」の音韻転換も見られます。記紀等の古日本語(縄文語)由来の倭音倭語の分析では、次のような音韻転換の可能性を考慮する必要があります。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 

 

 このような子音の音韻転換がいつ、どこで、なぜ、どのようにして起こったのか、言語学国語学については全くの素人の私には手も足もでませんので、系統的な分析は誰か専門分野の方に取り組んでいただきたいと思います。

 私としては記紀風土記・魏書東夷伝倭人条などについて引き続き具体的に追究していきたいと思います。

 

⑶ 「あ、い、う、いえ、うお」5母音のルーツ

 ウクライナ戦争に関連して、ライブドアブログ「帆人の古代史メモ114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」で新羅侵攻を進めていた聖徳太子は好戦派か和平派かについてまとめ、「倭を以て貴しとなす」の「倭」は「わ」か「い」かについて書きましたが、雲南省北西部などに住む「イ(夷・倭)族」(1200万人)と、わが国の「委奴国」「倭人」との繋がりはあるのかどうか気になり、再度、検討しました。

 この「イ(夷・倭)族」については、縄文ノート「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「38  霊(ひ)とタミル語 pee、タイのピー信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」ではロロ族と書き、「136 『銕(てつ)』字からみた『夷=倭』の製鉄起源」では「民族名の自称は『ロロ』『ノス』『ラス』『ニス』『ノポス』など地域によって異なり、中国古典では『夷』『烏蛮』『羅羅』『倮倮』などと書かれています」と書きましたが、「すべての音節の末尾が母音で終わる開音節言語」であり、「a、 i、 u、 e、ie、 o、uo」母音であることは、今回、初めて気づきました。

 「イ(夷・倭)族」のDNA・宗教・畑作・食文化・『銕(てつ)』字などに興味があったのですが、言語についてはウィキペディアから、今回、初めて気づきました。

 「9.『委・倭人』のルーツはどこか?」を再掲すると、次のとおりです。

 

 私は次の10点から「イ(夷・倭)族」と「倭人」は共通のルーツと考えています。

① 「イ(夷・倭)族」名称と「委奴(いな)・倭(い)国名」が共通している。

② 「イ族」は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきたとされ、縄文人Y染色体D型を共通する可能性が高い。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「45 縄文人ドラえもん宣言」「46 太田・覚張氏らの縄文人『ルーツは南・ルートは北』説は!?」参照

 

    

③ すべての音節の末尾が母音で終わる開音節言語である。

④ イ族の「a、 i、 u、 e、ie、 o、uo」母音は、現在の本土弁の「あいうえお(a i u e o)」5母音と琉球弁の「あいういう(古くはa i u ie uoの可能性)」5母音と対応している。―縄文ノート「4 日本語起源論と日本列島人起源」「97 3母音か5母音か?―縄文語考」、「Gooブログ:「ヒナフキンスサノオ大国主ノート 倭語論1~17(200123~0314)」参照

 

  図7 琉球弁「3母音化説」(通説)と本土弁「5母音化説」(筆者説)

   ―図2と同じなので省略

 

⑤ イネのRM1遺伝子や6穀の倭音倭語からみて、温帯ジャポニカ東インドミャンマー雲南山岳地帯で生まれ日本列島に伝わった可能性が高い。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「26 縄文農耕についての補足」参照

 

 

⑥ もち食文化が共通している。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「142 もち食のルーツは西アフリカ」参照

⑦ ソバ食が共通している。―「縄文ノート 109 日本列島そば好きラインー蕎麦と焼畑」参照

 

 

⑧ 「ピー・モ」という巫師(みこ)による祖先霊信仰とわが国の霊(ひ)信仰、祖先霊が聖山から天に昇るという神山天神信仰が共通している。―縄文ノート「38 霊(ひ)とタミル語 pee、タイのピー信仰」「80 『ワッショイ』と山車と女神信仰と『雨・雨乞いの神』」「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」参照

 

   

⑨ イ族の別称「烏蛮」とわが国の男子正装の「烏帽子」や「ホンガラ」の烏祭りが符合する。―縄文ノート「29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論」「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」参照 

 

       

⑩ 火祭りや歌垣・相撲の文化が符合する。―縄文ノート「15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「103 母系制社会からの人類進化と未来」「136 『銕(てつ)』字からみた『夷=倭』の製鉄起源」参照

 

   

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図14 ドラヴィダ系海人・山人族の2段階の日本列島への移住