ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート140 イモ食進化説―ヤムイモ・タロイモからの人類誕生

 ヘブライ大学教授のユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』の「第2部 農業革命」批判を書いていますが、「ユダヤ人によるアラブのイスラエル占領・建国を正当化するための嘘話人類史観」のお粗末なトンデモ説の批判は楽しくもなく、先に私の「アフリカ熱帯雨林人類起源説」「糖質・DHA食進化説」の補強を行いたいと考えます。

 私の縄文への取り組みは、次女が青年海外協力隊員として赴任していたニジェールに見事なヒョウタン細工やイネがあることを知り、ヒョウタンの原産地がニジェール川流域であることを確かめ、若狭の鳥浜貝塚(12000~5000年前)の南方系のヤシの実やヒョウタン・リョクトウ・シソ・エゴマ・コウゾ属・ウリのルーツ探しからの縄文研究でした。

 そして、ジャポニカ・インディカの原産地、Y染色体D型族(縄文人)・E型族が住んでいたアフリカの場所、「主語-目的語-動詞」言語族のアフリカのルーツ、イネ科3大穀物(米・小麦・トウモロコシ)のアフリカ単一起源仮説、糖質・DHA食による頭脳発達、ゴリラ・チンパンジーボノボの生息地、サバンナ雑穀農耕文化(中尾佐助説)、倭音倭語の農耕・宗教語のドラヴィダ語起源説(大野晋説)、風土記に見られるイモ食や各地に残る芋祭・芋行事食などから、私はサルからヒトへの「肉食進化説」に対し「糖質・DHA食進化説」を、「人類誕生サバンナ説」に対し「人類誕生アフリカ熱帯雨林説」、「穀類農耕説」に対し「イモ農耕説」を展開してきました―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「26  縄文農耕についての補足」「2 ドラヴィダ系山人・海人族による日本列島稲作起源論」「55 マザーイネのルーツはパンゲア大陸」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「81 おっぱいからの森林農耕論」「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」「88 子ザルからのヒト進化」「89 1 段階進化論から3段階進化論へ」「107 ドーパミン からの人類進化論」「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」等参照

 今回は「イモを食べてサルからヒトになった」という「イモ食進化説」の補強を行いたいと思います。

 

1 焼イモ食からの人類進化

 糖質・DHA食による頭脳発達では、熱帯果実からの糖質摂取や昆虫やカニ・貝などからのオメガ3脂肪酸食(わかりやすくDHA食と表現)摂取により、まずサルからゴリラ、チンパンジーボノボへの頭脳の進化が第1段階でおこり、さらに第2段階として人類の誕生に繋がったと考えます。

 

 チンパンジーよりも人類が頭脳を発達させた糖質食としては、火事や噴火などで地中の焼イモ・蒸しイモの匂いに気付き、手や棒で掘ってイモムシなどを食べていた延長でイモを掘り、焚火で焼いてあるいは土中に埋めてその上で焚火をして蒸しイモを食べるようになるとともに、焼麦や焼米を食べた体験から穀物食と穀類栽培(焼畑農業)が生まれたと考えます。

 穀物食は煮るか粉にして焼く必要があるのに対し、焼イモ・蒸しイモは焚火ができれば容易に食べられ、焚火とともにまず焼イモ・蒸しイモ食が進み、次の段階で穀物食が生まれたと考えられます。そして、森を焼けば焼イモ・蒸しイモ・焼麦・焼米が手に入り、さらに焼野原からイモや穀類が育つことを知り、種イモや麦・米を植える焼畑農業への転換は雷火事や火山から火を入手できれば容易であったと考えられます。

 イモ類はそのままでは長期の保存ができず、保存食としては対馬のサツマイモを発酵させてデンプ質だけを取り出して保存する「せんだんご」や、クズやカタクリの根、ジャガイモからデンプンだけを取り出した葛粉・片栗粉・馬鈴薯デンプン(通称:片栗粉)がありますが、かなりの工夫と手間が必要です。一方、穀類は乾燥させればそのままで長期保存が可能であるため、冬季の安定した食生活を可能とするとともにイモよりは軽量で運搬・交換が容易であるという利点があり、主食として世界に広まりました。

 イモ食は焼イモ・蒸しイモ・イモ煮など簡単に食べられるのに対し、米は「収穫→乾燥→脱穀→籾摺り→炊飯など」、麦は「収穫→乾燥→脱穀→製粉→窯焼きなど」の作業が必要であり、加工具や調理器具(土器鍋、石窯・壺窯など)を必要としますから、人類誕生からの糖質食は長い期間、焼イモ・蒸しイモ食、続いて石焼イモ煮食、土器鍋蒸しイモ・イモ煮食へと発展したと考えられます。

 

 穀類のようなプラントオパールも残らず、木の芋掘り棒やイモ餅をつくる臼・杵などは痕跡が残らず、直接的な考古学的証拠の発見は難しいのですが、人類誕生のアフリカ熱帯雨林地域がヤムイモ・タロイモの原産地でヤムもち食が行われていること(ヤム餅・フフを大ナマズと食べるのが最高のごちそう)、縄文土器おこげの炭素窒素同位体比分析、現在の採集狩猟民のイモ食生活、さらには日本各地に残る田芋祭や里芋祭、いも正月や芋名月十五夜)などの祭り、イモ雑煮を引き継いだ正月の丸餅雑煮の行事食、米の餅食文化などを総合的に検討すると、人類が焼イモ食から穀物食へと進化を遂げたことは「最少矛盾仮説」として成立すると考えます。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「26  縄文農耕についての補足」「2 ドラヴィダ系山人・海人族による日本列島稲作起源論」「29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論」「縄文70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」「89 1 段階進化論から3段階進化論へ」「111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」等参照

 なお、いささか大胆な私の仮説を述べておくと、恐竜の子孫である鳥類が頭脳が小さいにも関わらず知能が高く、歌い話すことができるのは、果実と昆虫などの糖質・DHA食による進化の可能性があるのではと夢想しています。―「縄文ノート115 鳥語からの倭語論」参照

 

2.イモ食のルーツ

 2014年6月に書いた「『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」(縄文ノート25 として公開)では主に穀類食の起源について論じましたが、最後に「8 イモ食のルーツ」として次のように書きました。

 

 旧石器人・縄文人の主食を論じる時、すっぽり抜け落ちているのは、籾やプラントオパール、土器圧痕などの痕跡が残らない「イモ類」です。

 アフリカ原産のタロイモ(タイモ、エビイモ、タケノコイモ、サトイモ)やヤムイモ(ヤマノイモ、山芋)を主食とした熱帯・亜熱帯・温帯のイモ食文明の解明は「穀物文明史観」のもとで遅れているといわざるをえません。

 現在、ヤムイモの生産地はナイジェリアが7割近くを占め西アフリカが中心で、タロイモナイジェリアが34%を占め、中国17%、カメルーン16.%、ガーナ14%、マダガスカ2%と続いています。

 ヒョウタンや稲と同様に、「マザーイモ」もまた西アフリカを原産とし、「海の道」を通ってタロイモ・ヤムイモは東進し、日本にたどり付いた可能性があります。「田芋・里芋(タロイモ)」「山芋(ヤムイモ)」の「田・里・山」の名称区別や「タロ=田」「ヤム=山」の名称の符合からみて、芋栽培の起源は旧石器時代に遡る可能性があります。

 

 イネのルーツについて、アフリカイネとアジアイネの原産地が別であるかのような主張に対し、私は「3大穀物(米・小麦・トウモロコシ)アフリカ単一起源説」を提案しましたが、イモ類についても同じではないか、と考えてきました。

 サトイモについて「原産地は・・・インド東部からインドシナ半島にかけてとの説が有力視されている」(ウィキペディア)とする一方、同じサトイモ科のタロイモについては「熱帯アジアやオセアニア島嶼域、アフリカの熱帯雨林地帯ではさらに多くの種や、その品種群が多く栽培されており、これを主食としている民族や地域も多い。畑作だけでなく水田耕作でも栽培されている」(前同)とし、ヤマイモ科のヤムイモについては「アフリカ・熱帯アジア・ラテンアメリカ西インド諸島にかけての広い地域で主食や根菜として栽培されている」(前同)としながら、アフリカ熱帯雨林地帯原産地説については検討していません。

 縄文ヒョウタンの原産地がアフリカ熱帯雨林ニジェール川流域あり、里芋・田芋と「タロイモ」、山芋と「ヤムイモ」の名称の類似点や餅食文化、縄文人Y染色体D型から分かれたE型の人たちの分布と重なることからみても、アフリカ熱帯雨林地域原産のイモ類が人類拡散とともにインド、東南アジア・中国・日本に広がったことが明らかです。

 志和地弘信東京農大教授によれば「ヤムイモの研究者は、志和地教授自身を含めて世界でたったの22人。うち8人は日本人だ」(「アフリカの食料難を『イモ』が救う、ヤムイモを食べる唯一の先進国・日本の専門家が指摘:米澤佳代子ganas記者」という状況では、DNA分析によってイモ類のルーツ「マザーイモ」の原産地を特定するに至っていないようですが、Y染色体D型の縄文人のルーツ(ナイジェリアなどの諸国にE型。D型も1人見つかっている)を解明するためにも、「先進国でヤムイモ(山芋、自然薯、長芋など)を食べる文化があるのは日本だけ。栽培や増産などの方法について研究してきた蓄積も日本にはある。日本人はヤムイモ研究で世界に貢献できる」(志和地教授)というわが国でのDNA分析が求められます。

 あわせて、ヒョウタン、イネ、雑穀(シコクビエ、ササゲ、ゴマ)のDNA分析により、それらのルーツと人類誕生地の解明を進めて欲しいものです。なお、ゴマは「アフリカのサバンナに約30種の野生種が生育しており、ゴマの起源地はサバンナ地帯、スーダン東部であろうというのが有力である。ナイル川流域では5,000年以上前から栽培された記録がある」(ウィキペディア)とされています。

 

3.アフリカ熱帯雨林地域のヤムイモ・タロイモ

 「ヤムイモ生産の現状と将来性」(志和地弘信・豊原秀和)をもとに、ヤムイモ・タロイモの生産国と生産量を示すと次のとおりです。―_pdf (jst.go.jp)

 

    

4.イモ食進化説を裏付ける参考図

 図4~24に明らかなように、このヤムイモ・タロイモのイモ餅(フフ)食地域は、ゴリラ・チンパンジーの生息地(図4・5)、Y染色体D型族(縄文人)とE型族との分岐地域(図6~10)、主語-目的語―動詞(SOV)族のアフリカのルーツ(図11)、ヒョウタンや雑穀・マザーイネ(イネ科穀類の原産地)のルーツ地(図12~14)と重なり、さらに人類の拡散により、イモ食の拡散とアフリカからの神山天神信仰の伝播(図15~17)、黒曜石利用の伝播(図18・19)が重なります。さらに祖先霊「ピー・ピュー・ぴ・ひ」信仰(図20)やソバ食(図21)から日本列島への伝播(図22)に繋がります。

 そして、縄文食がイモ糖質食であったことが縄文土器鍋のおこげから裏付けられ(図23)、縄文焼畑農耕によるイモや米・雑穀の栽培は総合的に証明されます(図24)。

 




















          

 

  

      

 

   

 

 

 

    

 

   

    

 

 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/