ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート145 「もちづき(望月)」考

「縄文ノート142 もち食のルーツは西アフリカ」に追加して、長野県佐久市望月町などの地名や知人の名字にも見られる「望月」について考えてみたいと思います。

 望月(ぼうげつ、もちづき)は「満月」の異称とされていますが、「望」は呉音・宋音「モウ」・漢音「ボウ」、訓読み「のぞ-む」であり、「もち」と読むことはできませんから、本来は「餅のように丸い餅月」であったと考えます。

 親鸞の文書を研究されていた古田武彦氏さんや国語学者大野晋さんから「漢字は明治まではいろんな字を当て字(宛て字)としていた」と教えられましたが、意味から見て「餅月」がふさわしい当て字であるにもかかわらず、誰かが風流に「望月」の当て字に変えて現代に伝わったようです。

 この丸餅の由来については、「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」で「アフリカ原産のタロイモ(タイモ、エビイモ、タケノコイモ、サトイモ)やヤムイモ(ヤマノイモ、山芋)を主食とした熱帯・亜熱帯・温帯のイモ食文明の解明は『穀物文明史観』のもとで遅れているといわざるをえません。・・・中秋の名月サトイモを供えて月見する芋名月や、輪切りにしたサトイモを模した『丸餅』を雑煮として食べる習慣などからみて、その起源は稲や粟を備える祭りより古い可能性があります。縄文土器の底のおこげの再現実験や縄文人の歯石の分析など、イモ食文化について本格的な研究が求められます」と書きましたが、そもそも丸餅はサトイモの輪切りからきている可能性が高いといえます。

 さらに「縄文ノート142 もち食のルーツは西アフリカ」で「里芋が『宇毛:ウモ』(万葉集)と書かれ、『モチヒ』が『毛知比』(倭名類聚抄)と書かれ、『モ』に『毛』字が当てられているていることをみると、『毛が生えているサトイモ』からの漢字使用と思われ、『チ』は『乳』の可能性があり、『ウモ(里芋)チ(沖縄弁で乳房)』は『里芋を練った乳房のようなむっちりとしたウモチ」の可能性もあります。私が過ごした岡山・姫路・京都など関西では雑煮に必ずサトイモを入れることや、餅を使わない雑煮を作る地方もあり、西日本の丸餅が角餅より先行し、南方系の『里芋の輪切り』からきているという説からみて、日本のもち食文化は、サトイモ食からの『もっちり』『もちもち』大好きから来ている可能性が高いと考えます」と書きましたが、「餅」名の由来は「もっちり・もちもち」という乳房からきて丸い形が好まれた可能性があります。

 問題は、この「もち」語のルーツはどこからかですが、私は「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語」の日本語の3層構造において、農業語・宗教語などの倭音倭語がドラヴィダ語系であることを大野晋さんの『日本語とタミル語』から次表1・2のようにまとめましたが、「もち」の語源についてはノーマークでした。―「縄文ノート28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「参照

 

 

   

  改めて大野晋さんの『日本語とタミル語』をみてみると、タミル語の「mat-i(マチ)」は満月を表し、日本語の「möt-imoti(もち)」(満月、望の月)に対応し、8世紀には「a→ö」の母音交替があったというのです。中国語は「満月(mǎnyuè)」ですから、「もちづき=望月=満月」はタミル語の「mat-i(マチ)」が「moti(もち)」と発音されるようになった可能性が高く、元々は「丸餅=丸いも餅」がルーツであった可能性があります。

 大野晋氏は・・・南インドに始めて調査に出かけた時の115日の「ポンガル」の祭りを体験した時の劇的な出会いを紹介しています。2つの土鍋に牛乳を入れ泡が土鍋からあふれ出ると村人たちが一斉に「ポンガロー、ポンガロー」と叫び、一方の土鍋には粟と米(昔は赤米)と砂糖とナッツ、もう一方の土鍋には米と塩を入れて炊き、カラスを呼んで与えるというのです。日本でも青森・秋田・茨城・新潟・長野に小正月115日)にカラスに餅や米、大豆の皮や蕎麦の殻、酒かすなどを与える行事が残り、「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」と唱えながら撒くというのです。「ホ」は古くは「ポ」と発音されることは、沖縄の「は行」が「ぱ行」となる方言に残っていますから「ポンガ=ホンガ」であり、なんと、インド原住民のドラヴィダ族の小正月の「ポンガ」の祭りが日本にまで伝わっているのです。縄文土器の縁飾りはこの「泡立ち=ポンガル」を表現しているのではないかと考えます」と前に書きましたが、115日の「mat-i(マチ:満月)」とどのような宗教的な関係があるのか、「もち食」や「もちもち」の感触などと関係があるのかどうか、461の民族、200以上の言語があるとされるインドの祭りや食文化については今後の調査課題です。―縄文ノート「29 『吹きこぼれ』と『おこげ』からの縄文農耕論」「30 「ポンガ」からの「縄文土器縁飾り」再考」「縄文ノート41 日本語起源論と日本列島人起源」「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」参照 

   

 □参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)()の国の古代史』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア海洋民族像」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/