ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)

 私の子どもの頃には、日本の縄文時代は竪穴式住居、弥生時代は高床支持住居、前者は円形平面、後者は四角形平面で、前者は防寒・暴風の寒冷地仕様、後者は雨期などに増水する湿気の高い熱帯・亜熱帯仕様と習い、納得していました。

 ところが、寒冷地の青森市の5900~4200年前頃の三内丸山遺跡秋田県鹿角市の4000年前頃の大湯環状列石に四角形の掘立柱建物と円形の竪穴式住居と環状列石があり、大湯には環状列柱(円形建物)もあります。さらに暖かい鹿児島県霧島市の上野原遺跡でも6300年前の喜界カルデラ噴火の降灰の下から9500年前頃の竪穴式住居(注:床を掘り下げていない平地住宅?)が見つかっています。

        f:id:hinafkin:20210415191637j:plain

 竪穴式住居=円形平面=寒冷地仕様、高床式住居=四角形平面=熱帯・亜熱帯仕様という整理は根拠がなくなり、円形か四角形かについては気候・環境条件以外の要因を考える必要がでてきました。

 円形平面住居のルーツは縄文人オリジナルなのか、それともアフリカ→インド→東南アジアの移動ルートのどこかにルーツがあるのでしょうか。

 さらに、かつて仕事先の北海道森町では道内最大級の鷲ノ木遺跡ストーンサークルを案内してもらったことがありましたが、英国の5300~3100年前頃のストーンサークルと5000~4000年前頃の日本各地の環状列石について、たまたまユーラシア大陸の西と東の両端でそれぞれ独自に生まれたのか、それとも円形の竪穴式住居と同じルーツなのか気になっており、合わせて検討したいと思います。

       f:id:hinafkin:20210415191644j:plain

1 竪穴式住居とストーンサークルの前後関係

 日本で最古級の縄文時代草創期前半(13800年前頃)の竪穴式住居は山形県高畠町竹森の「日向洞窟」近くで見つかり、日本最古級の土偶が発見された三重県松阪市飯南町縄文時代草創期の粥見井尻遺跡の竪穴式住居(注:平地住宅?)が復元されています。

       f:id:hinafkin:20210415191701j:plain

 日本の環状列石は5000年前頃ですから、先行する円形平面の竪穴式住居を真似て、墓地を環状にした可能性があります。

 

2 円形平面へのこだわり

 改訂新版・世界大百科事典(japanknowledge.com:工楽善通)によれば、「旧石器時代の住居は,洞窟や岩陰など,自然の覆屋を利用したが,多くの人々は,丘陵や段丘上の平たん地に小屋を建てて生活していた。平地に小枝を環状に配して浅く地面に突き立て,上方でまとめて円錐形の骨格を造り,草や土で覆ったのがこの時代のすまいで,これらも平地住居とよばれる。このような住居は,約8000~9000年前ころ,土器を使う縄文時代早期に入ってもなおすまいの主流であった」とされています。

    f:id:hinafkin:20210415191711j:plain

 さらに「これを発展させ,床面を掘り下げて屋内空間を広げ,より安定した構造をもつ竪穴住居も建ち始め」「縄文時代前期には,長方形平面から円形,楕円形に近い多角形平面に」「中期末から後期にかけて竪穴住居の平面形は円形に」「後期末から晩期にかけて平面形は円形から方形」に変化するとされています。

 また、ウィキペディアによれば、「弥生時代から古墳・奈良時代になると西日本でも普遍化し、平安時代にはプランが方形に、炉がかまどに統一されるなどして中世まで続く」とされ、旧石器時代末期から平安時代まで、円形平面型は1万数千年以上も続いているのです。その理由は日本の自然環境・建材条件に対応したオリジナルなものなのか、それとも日本列島への移住者が故地から持ってきた文化なのか、どちらなのでしょうか?

 機能的に考えると、移動生活の時に細い柱を円形に地面に差して上で縛って円錐形・ドーム形の骨格にし、茅などで覆って屋根にする住宅なら、モンゴルのパオやアメリカ原住民のティピーなどの移動用テントと同じように平面が円形になります。写真3の粥見井尻遺跡の円錐形復元住宅や写真1・4の上野原遺跡のドーム型復元住宅のような構造です。

 しかしながら、4本・6本の柱と梁で構造体をつくり、そこに斜めに柱(垂木)を掛け、上を棟木に縛って屋根をかけるなら、長方形平面にするのが合理的です。合掌造りの屋根の垂木を地面にまで伸ばしたような構造であり、より大きな住居の建設が可能であり、積雪・強風地帯などでは強度を確保できます。

     f:id:hinafkin:20210415192110j:plain

 ところが、柱・梁・垂木構造としながら、中期末から後期の最盛期の竪穴式住居は円形平面を維持しており、環状列石とともに縄文人の円形への強いこだわりが見られます。

 一方、現在の日本の伝統的な民家や江戸時代の絵などには円形平面の住居は見当たらず、歴史的に四角平面型への大転換が起きたことが明らかです。

 

3 アジア・アフリカの円形平面住居

 このような円形平面住居文化が、アフリカから日本列島までの移住ルートのどこに残っているのか、調べてみました。

 ネットで「アジア・アフリカ・各国×住居・民家・茅葺」などで画像を検索しましたが、東南アジアの民家ではインドネシア(写真6)、ベトナム(写真7)、タイ(写真8)のそれぞれ1例しかでてきません。

f:id:hinafkin:20210415192203j:plain

 ブータンチベットも同様ですが、北西部では写真9のブンガと呼ばれる建物とインダス文明の4800年前頃のドーラビーラ遺跡の写真10の円形平面の住居跡が発見されています。

f:id:hinafkin:20210415192227j:plain

 一方、アフリカでは円形平面住宅はいくらでも出てきます。

f:id:hinafkin:20210415192253j:plain

 ネット検索だけでも、「アフリカ高地湖水地方」のエチオピアケニアウガンダタンザニア、「アフリカ西部」のカメルーンニジェールセネガルなどに見られます。これらの写真は旅行者・青年海外協力隊員・写真家などが撮影したもので説明がなく、各国の部族・地域固有のものなのか一般的なものなのかなどは判りませんが、各地域の環境や利用できる建材による共通の伝統的な住宅と考えれらます。

 なお、アラビア半島のイエメン(図11参照)やトルコのハランには円形住宅(写真11)が見られ、トルコの12000~8000年前頃のギョベクリ・テペ遺跡には巨大な丁字型の石柱が円形の20の塀の中に配置されていることからみて、円形平面へのこだわりがアフリカから伝わり、続いている可能性があります。 

f:id:hinafkin:20210415192428j:plain

 今、日本の民家に円形平面は見られませんが、平安時代初期までは竪穴式住居が残っていたことから考えると、モヘンジョダロ遺跡のようにアジア各地にも円形平面住宅はアフリカからの人類移動とともに伝わっていた可能性があります。

 移動生活や太い木がない地域では写真3の粥見井尻遺跡や写真4の上野原遺跡のように細い木を円錐あるいはドーム状に組んで茅や藁や葦(あし)などでふき、定住生活になると土壁にして暑さ・寒さを防ぎ、さらに部屋割りや都市化により高床式住宅の影響もあり四角型に変わったと考えられます。

 

4 アフリカ・アジア・ヨーロッパのストーンサークル(環状列石)

 ストーンサークルが集団墓地・葬送施設であることは解明されてきましたが、現在のところ、アフリカ・アジア・ヨーロッパには図2・表1のように6000~3000年前頃のものはイギリス・アイルランド(英愛)、ロシアのアファナシェヴォ環状列石、日本列島の3か所にしか見られません。アフリカ西部のセネガンビア遺跡にも見られますが、こちらは8~12世紀の新しいものです。

f:id:hinafkin:20210415192537j:plain

f:id:hinafkin:20210415192547j:plain

 注目すべきは、英・愛とロシアのシベリア南部のアファナシェヴォのストーンサークルが、同じY染色体R1bグループの可能性が高いのに対し、日本には見られないことです。

     f:id:hinafkin:20210415192659j:plain

 日本の環状列石を北方系とみなす説が見られますが、現状では最古の環状列石が長野県原村の阿久遺跡)であることと合わせて考えると、アフリカからインドを経由して「海の道」を通って伝わった可能性が高いと考えます。

 なお旧約聖書の「ノアの方舟」伝説のアララト山を人類の起源と信じる「白人中心史観」では、Y染色体R1bグループは18500年前頃に西アジアで生まれたと推定しています。

f:id:hinafkin:20210415192812j:plain

 しかしながら、R1bグループが西アフリカのカメールーンにも多いことや、Q系統が南北アメリカ大陸のネイティブアメリカンに非常に多く、しかも、アメリカ大陸への人類の移住が15000〜13000年前頃と考えられていたのが3万年前頃の可能性があることがウルグアイ南部の大量の動物化石から明らかとなったのです(2013.12.02『ナショナルジオグラフィック』人類の北米への移住は3万年前?)。

 この新説によれば、アフリカでP系統からQ系統が3万年前以上に分かれ、2万年前頃にR系統が出アフリカを果たし、東西に分かれて各地に分散した可能性があるのです。

 トンデモ仮説と思われるでしょうが、人間も生物の一員である以上、種の多様性は熱帯地域で生じ、それから世界へ別々に拡散した可能性が高いと私は考えます。多くの種の分岐が出アフリカ後に起きたという証明はないのです。

 それを裏付けるのが「縄文ノート62(Ⅴ-6) 日本列島人のルーツ」で書いた図5です。Y染色体D1a2aは「日本固有。アイヌ人と沖縄人に多い」く、D1a1は「チベット等に多い」のですが、「アフリカで多い・コンゴロイド人種」のEグループとはアフリカで分岐したとしか考えられないのです。

     f:id:hinafkin:20210415193213j:plain

    f:id:hinafkin:20210415192928j:plain

 同じように、Fから分岐したJIHG、K(ONML)、P(QR)もまたアフリカで分岐して各地に別々に拡散した可能性も十分に考えられます。

  f:id:hinafkin:20210415194206j:plain

 生物の「ゆっくり進化説」に対して「爆発的進化説」が見られるように、新人(ホモサピエンス)についても「アフリカでの爆発的多様化説」は考えられないでしょうか? 

 

5 竪穴式住居とストーンサークル(環状列石)

 円形のストーンサークルが集団墓地・葬送施設であることは、もはや定説として証明されています。問題はなぜ円形であるかについて、未だに日時計説が横行していることです。

 私は「縄文ノート32(Ⅲ-2) 縄文の『女神信仰』考」「縄文ノート34(Ⅲ-4) 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」などにおいて、大湯環状列石において環状列石と石棒・円形石組がセットであることや、朱で満たした甕棺・石棺・石槨、現代に続く石棒―金精信仰などから、母系制社会の地神(地母神)信仰として「環状列石地母神性器説」を提案してきました。

 しかしながら、円形平面住居の歴史がアフリカに濃厚に残っており、日本では竪穴式住居として先行している以上、「環状列石死者の住居聖域説」もまた成立する可能性があります。死者の魂は神山(神名火山:神那霊山)から天神となって天に昇る一方、地中には死者の円形の住まいがあると考え、その範囲を環状の石列、あるいは土塁として、聖域化したのではないか、と考えるようになりました。

 竪穴式住居・ストーンサークルの「北方起源・南方起源」と合わせて、決着をつけるべき時でしょう。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/