177 約5000年前のスペイン女王が示すアフリカ・西欧西岸人類拡散説
7月10日、ナショナルジオグラフィックから「約5000年前の権力者は女性だった、定説覆す発見、スペイン―考古学の革命的手法『プロテオミクス』で判明、他の研究でも活躍」という大変興味深いメールがナショジオから送られてきました。また、研究会メンバーの下平さんからも、YAHOO!ニュースでも同様の記事が掲載されているとの連絡をいただきました。
―https://news.yahoo.co.jp/articles/6bbd09cf671e6da17c3b00405fea46ba28facb62?page=3
「縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)」(210415)の表1において、私は「イギリス・アイルランド各地」の「5300~3100年前頃」の環状列石について、「ストーンヘンジ周辺の30数名を弔う集団墓地の人骨はトルコ系、スペインに現在定住する民族と大変似通った遺伝子であることが判明」と書きましたが、そのスペインからの集団が母系制であった可能性がでてきました。
なおこの時には「スペインのストーンサークル」と呼ばれる紀元前5000年頃の「ガダルペラルのドルメン」について記載しておらず、今回、下図のように追加修正しました。
セネガンビア(セネガル)の1045箇所の環状列石は8~12世紀のものなので、私の西アフリカ海岸北上→スペイン→イギリス・アイルランドの大西洋東岸人類拡散説は現在のストーンサークルからは成立しませんが、セネガンビア(セネガル)には8~12世紀以前の環状列石があった可能性が高いと私は考えています。
アフリカからアジア大陸南岸・東岸の「海・海岸の道」を通ってのY染色体D型の縄文人の移動説の私は、ナイル川を北上した「地中海沿岸人類拡散説」とともに、「アフリカ・西欧西岸人類拡散」の可能性があると考えています。
日本やエチオピア・東インド・ミャンマー・雲南に多いY染色体D(図3)と、アフリカで分かれて残ったY染色体Eの分布をみると、図2のようにアフリカ西岸に濃厚に分布してスペインへと続いていることからみて、地中海ルート(トルコ起源説)よりアフリカ・西欧西岸拡散ルートの可能性がより高いと考えます。
ローマ人やゲルマン人・バイキングに征服される前のイギリス・アイルランドで「ストーンサークル文明」を築いた人たちの「人骨はスペインに現在定住する民族と大変似通った遺伝子」なのです。
セネガンビアなど、アフリカ西海岸地域には「失われたストーンサークル文明」があると私は考えています。
西欧中心史観(旧約聖書史観、ギリシャ・ローマ中心史観)は「縄文ノート64 人類拡散図の検討」(210330)で取り上げた次図のように、「大西洋東海人類拡散説(アフリカ・西欧西岸人類拡散説)」を取り上げていませんが、アフリカ・アジア中心史観による考古学の新たな発見(アフリカ西部での5000年前頃のストーンサークルや人骨)が期待されます。
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
ヒナフキンの邪馬台国ノート http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/