ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと

 「縄文ノート62(Ⅴ-6) 日本列島人のルーツは『アフリカ高地湖水地方』」では主に「母なる川・ナイル」源流域のルウェンゾリ山の麓の「アフリカ高地湖水地方」からの人類の拡散を述べましたが、その前のニジェール川流域でのY染色体Dグループの縄文人の誕生とコンゴ川を遡っての「アフリカ高地湖水地方」への移動について補足したいと考えます。

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 私は人類の起源がアフリカであることを知りながら、ヒョウタンの原産地が西アフリカのニジェール川流域であることを知るまでは、アフリカのどこで日本列島人の祖先が生まれ、どのような経路で日本列島へやって来たのかについては、つい最近まで考えてもいませんでした。アフリカに行ったこともなく、その地理・環境や歴史については無知ですが、アフリカで人間になったご先祖さまについてさらに検討したいと思います。

 ネットと本での上っ面の調査と仮説構築ですが、アフリカと縁の深い若い「イエローモンキー」の皆さんによる検証とルーツ探しに期待したいと思います。

 地球温暖化にもっとも影響を与えていない南半球のアフリカの人々が気候変動の影響をもっとも直接に受ける可能性が高い時代になっており、北半球の先進国の白人・黄色人は「ルック・アフリカ(アフリカに目を向けよ)」の責任があると考えます。

 

1 西欧中心史観の思い込み

 すでに何度か述べてきましたが、西欧中心史観によって人類史は大きく捻じ曲げられていると私は考えます。主な論点は次の8点です。 

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 これまで人類の進化について、寒冷化・乾燥化が進み、アフリカでサルが木からステップ(木のない平原)に降りて二足歩行し石器により草食動物を狩るようになり、草食動物を追って世界に人類が拡散したという一元的進化論で説明されてきたため、サルが草原地帯だけでなく海辺や川・湖の水辺にも降り、男性の狩猟(山人)・漁労(海人)と女性の採取(農人)の分担・共同・分業・協業によるコミュニケーション増大により進化したという多元的複合的進化論のイメージはありませんでしたが、魚介・肉・イモ・穀類食からの人類の誕生・進化と人類大移動について考えてみたいと思います。

 

2 グルメザル進化論:カニを食べるチンパンジーカニや貝を食べるニホンザル

 2019年5月30日のテレ朝ニュースによれば、西アフリカのギニアの野生のチンパンジーが水たまりの沢ガニを日常的に食べている映像を松沢哲郎京大教授らが公表し、「400万年以上前の森で暮らしていた初期の人類が、すでに水生動物を食料源として食べ始めていた可能性がある」としています。これはニホンザルが貝やカニを食べることを知っている日本人ならではの画期的な発見です。「腹ペコザル進化説」だけでなく、「グルメザル進化説」を考えてみる必要がありそうです。 

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 すでに下北半島青森県むつ市脇野沢のニホンザルが「岩に張り付いているヨメガカサ等のカサガイ類を剥がして食べるほか、ホンダワラやアマノリなど海藻類を食べる」(ウィキペディア)ことや、宮崎県幸島の「イモ洗い猿」、東南アジアのインドシナ半島南部、ボルネオ、フィリピンなどのカニクイザルが河川や海岸で泳ぎ、石でカニや貝の殻を割り、中身を取り出して食べることはよく知られていましたが、アフリカのニジェール川源流域のギニアでも確認されたのです。

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 サルが木から降りたのは、寒冷化による果物の減少や草食動物の腐肉あさり(スカベンジャー)だけではないことを確認し、「肉食進歩史観」を見直すべきです。好奇心旺盛で勇敢なサルが美味しいものを求め、ワニやカバの危険を避けて川辺や湖畔、海辺に降りたのです。

 

3 サルは泳ぎ、人も泳いだ

 「サルは泳げない。賢い人間は学習して泳ぎを覚えた」と教師から習ったのですが、その常識を疑うようになったのは、1~2歳の従兄弟を連れて小川に遊びに行った時、足を滑らせて落ちた幼児がなんと浮かんで犬かきで泳いだという「大ビックリ」があったからです。次は、長野県山ノ内町の地獄谷温泉の温泉に浸かって気持ちよさそうにしているニホンザルのコマーシャルでした。

 ネットで「サル・泳ぐ」などで検索してみると、上高地で2匹のサルが梓川に飛び込み、泳いで川を渡る動画がありました。(飛び込んで泳ぐサル 上高地 梓川 - Bing video

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 他にも兵庫県佐用町のモンキーパークなどのサルや、タイのバンコク近くのマングローブの森で遊覧船に乗り移ってバッグを奪いにくるサルや(https://serai.jp/tour/41420)、ボルネオの手に水かきのあるテングザル(https://ikimono-matome.com/long-nosed-monkey/)の写真などもでてきます。

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 「サルは泳げないが人間は泳げる。人間はサルより上等」などとは言えないことが明らかです。

 一方、サルや人間が川・湖、海を怖がるのは、ワニやカバ、大蛇、サメなどがいて、その恐怖の伝承が本能として残っているので「海・川・湖は怖い」になったのではないか、という可能性もあります。

 しかしながら、地上に降りてライオンやヒョウなどに襲われるリスクと較べて、川・湖・海のワニ・カバ・大蛇・サメがさらに恐ろしいなど考えられません。最大の強者は腹を空かせた猛獣を避ける知恵があり、武器を手にして集団で戦った人間集団だったことは歴史が証明しています。

 「チンパンジーがステップ(サバンナ)に降りて人間となった」という人類進化ステップ論だけでなく、「サルは水にジャンプした」という人類進化ジャンプ論を考えるべきです。

 海から生まれ、羊水につかって生まれ、塩を必要とする哺乳類は、本来、水が好きなのです。私も歩き始めたばかりの子どもや孫を水辺につれて行き、彼らが水の中に入ろうとするのでヒヤヒヤした経験が何度もあり、泥んこ遊びも大好きなのです。

 

4 縄文人アフリカ起源説の経過

 繰り返しになりますが、これまで書いてきた「縄文人アフリカ起源説」のあらましを整理しておきます。

 私は縄文人の起源を、①縄文遺跡から見つかるヒョウタンがニジェール川流域原産であることと、②パンゲア大陸のアフリカ西部と南アメリカ東部分裂する前のあたりが全イネ科植物のマザーイネ起源地と想定して「ニジェール川流域縄文人起源仮説」を立て、③「主語-目的語-動詞」言語族のルーツや④中尾佐助氏の「ニジェール川流域雑穀起源説」、⑤ギニア湾沿岸からコンゴにかけてのチンパンジーの分布などと合わせて、ニジェール川流域が人類誕生地ではないか、と考えていました。―「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』」「縄文ノート26 縄文農耕についての補足」「縄文ノート55 マザーイネのルーツはパンゲア大陸」参照

 次に、⑥上が白・下が赤で埋め墓と拝み墓を分離したエジプトのピラミッドが「母なる川・ナイル」の源流域の万年雪を抱くルウェンゾリ山信仰のシンボルであり縄文人の神名火山(神那霊山)信仰に引き継がれ、⑦ケニアエチオピアの黒曜石利用が縄文人に引き継がれた可能性などから、「高地湖水地方」が縄文人の故郷であると考えるに至りました。―「縄文ノート56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「縄文ノート57 4大文明論と神山信仰」「縄文ノート61 世界の神山信仰」「縄文ノート27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」「縄文ノート65 旧石器人のルーツ」参照 

 この仮説は、⑧猿人や初期のホモサピエンス(現生人類の新人)の化石がエチオピアケニアタンザニアから発見されていることや、⑨Y染色体(男性)やミトコンドリア(女性)のDNA分析によっても裏付けられます。―「縄文ノート64  人類拡散図の検討」参照

 さらに、日本・チベットアンダマン諸島に多いY染色体Dグループがアフリカ西部のEグループのコンゴイド人種(ニジェール・コンゴ語族バントゥー系民族、イボ人)やナイル・サハラ語族)と38300年前に分岐していることから、縄文人は西アフリカのニジェール川流域を起源とし、コンゴ川流域を経て「アフリカ高地湖水地方」で2万年ほどを過ごし、竹筏を利用してインドに移住し、さらにミャンマー東インドの海岸・島しょ部とアンダマン諸島、北部山岳地域に移住し、ドラヴィダ系海人と山人族(山人族には焼畑農業を行う農人(のうと)を含む)が協力して日本列島にやってきた、と考えるようになりました。―「縄文ノート62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」「縄文ノート66 竹筏舟と『ノアの方舟』」「縄文ノート43 DNA分析からの日本列島人起源論」参照

 段階的に認識が深まってきたのですが、人類発生のアフリカについて、以下、さらに検討を深めたいと考えます。

 

4 「アフリカの母なる川」:ナイル川コンゴ川ニジェール川

 アフリカには世界最長のナイル川と8位のコンゴ川(流域面積は世界1位)、12位のニジェール川があります。「母なるナイル川」「母なる川ナイル」に育まれたエジプト文明とともに、ネットで検索するとコンゴ川には「アフリカの大動脈」「コンゴの背骨」の表現が、ニジェール川には「母なる大河・ニジェール川」の呼称も見られます。

 アフリカというと砂漠とステップ(サバンナ)と熱帯雨林のイメージが強いのですが、豊かな大河・湖水地域もあり、さらに高原(高地草原)や万年雪のキリマンジャロ山5895mやケニヤ山51990m、ルェンゾリ山5199mなどの火山もあるのです。

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 熱帯から寒帯までの森と海・湖・川、草原の多様な自然環境こそ、人類を生みだしたと私は考えます。

 人類は寒冷化の食糧危機から群れをなしてサルから人間に集団で変わったのではなく、ボスを中心とした群れを離れた数%の独立心と好奇心・冒険心にあふれた「変ザル」(変人のサル版)が色んな技術・知識を積み重ね、家族を持ち、交流し合流してニュータイプのサル=人に生まれ変わったと考えます。

 ボスのもとで群れをなし、考えることも工夫することもなく従来の生活を行っていたサルグループには進化がなく、群れから離れて自分で考え、食べ物を捜すようになったドロップアウト・スピンアウトした「変ザル」たちが集まり、「分担・共同・分業・協業・交換」により言語コミュニケーション能力を高め、安定した健康的な食生活により長寿になり、父母から子・孫世代への知識・技能・技術・文化の伝承を行い、知能の発達を促したと考えます。

 身近に多様な環境があり、群れを離れた変なサルたちがいたという条件こそが人類誕生の鍵であったと考えます。

 

5 日本人のふるさと・ニジェール川流域

 前述のように、ニジェール川の源流域であるギニア高地にはカニを食べるチンパンジーが生息しており、中流は砂漠・ステップ(サバンナ)地帯、下流には熱帯雨林があります。下流のナイジェリアの人口は約2億人でアフリカ最大、世界第7位で、石油を産しアフリカ最大の経済大国です。「母なる大河ニジェール川」と言えるように思います。

 この地に住むY染色体Eグループコンゴイド人種(ニジェール・コンゴ語族やナイル・サハラ語族)から日本人に一番多いY染色体Dグループは分かれたのであり、ナイジェリアには残されたDグループのDNAを持つ人が3例見つかっています。 

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 私たち日本人の故郷がこのニジェール川流域であることは動かしがたいと考えます。ウィキペディアによれば、ニジェール・コンゴ語族バントゥー系民族(140~ 600以上の言語を話す400以上の民族)とイボ人からなり、イボ人は黒人系の単一民族としては最大規模のグループの1つで、大半はナイジェリア東南部に住みナイジェリアで約20%を占め、カメルーン赤道ギニアにも相当数が居住しているとされます。

 イボ人は「比較的教育レベルが高く、下級の官吏や軍人を多く輩出し、また商才もあり『黒いユダヤ人』と呼ばれることもあった」(ウィキペディア)とされ、1967~70年にかけてビアフラ共和国として分離・独立を宣言してビアフラ戦争になり150万人を超える人たちが死亡しています。ニジェール川を利用した水運・流通商業・金融を支配していたと考えられます。写真はイボ人が多いエヌグ州の州都・エヌグ(ビアフラの首都)の丘陵地の風景です。

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 なお、前述のカニを食べるニジェール川源流域のギニアのマスクチンパンジーに対し、河口にはナイジェリアチンパンジーが生息しており、Y染色体E・Ⅾグループはこの地域で誕生した可能性が高いと考えられます。 

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 ナイジェリアで水田稲作の指導を行っている若月利之島根大名誉教授に問い合わせたところ、次のような返事がありました。

 

<若月利之島根大名誉教授からの返事>

① ナイジェリアの3大部族は北のハウサ(イスラム、軍人向き?)、南西のヨルバ(キリスト教と祖霊信仰、文化人向き)、南東のイボ(キリスト教と祖霊信仰、科学者向き?)と言われています。

② イボにはJujuの森があり、日本のお地蔵さまと神社が合体した「聖なる」場所は各村にあります。③ イボの根作は多様性農業の極致です。

④ イボ(とヨルバ)の主食はヤムもち(日本の自然薯と同種)で、大鯰と一緒に食べるのが最高の御馳走。古ヤムのモチは日本のつき立てものモチよりさらにおいしい。貝は大きなタニシをエスカルゴ風に食べます。男性の精力増強に極めて有効。

⑤ 竹は1本の竹から数十本が集合して成長する種ですが、どこでもあります。ただ,筏は作らないと思います。見たことがない。地形は準平原であり、川は勾配が緩く、急流は、ほとんどない。

⑥ 西アフリカの湖水地方は、東アフリカの南北に延びる湖水地方ほど、目立ちませんが、西のセネガル川―マリの内陸デルターナイジェリア北方からチャド湖―南スーダンのスッド湿地―スーダンハルツームーそしてナイルデルタに繋がる、乾燥地帯(サヘル帯び)ですが、川水が流れ込み、広大な湿地帯を形成しています。私たちのアフリカ水田農法Sawah Technologyの、現時点での最大のターゲットはこの「湖水地帯」です。これは図を添付します。このサヘル帯に沿って分布する湿地帯(内陸デルタ)はエジプトのナイルデルタ10ケ分くらいの価値があると思います。 

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 この若月氏の返事からは、次のような重要なポイントが浮かび上がります。

⑴ 霊(ひ)信仰

 イボ人に祖霊信仰(霊(ひ)信仰)があり、日本のお地蔵さまと神社が合体した「聖なるJujuの森」があることは、インドのドラヴィダ族やタイ・雲南などの「ピー信仰」、日本の「鎮守の森」に繋がります。

⑵ もち食文化イボ人に「もち食文化」があることは、ヒマラヤから東南アジア高地・雲南・日本の照葉樹林文化に繋がります。

⑶ 根菜農業

 イボ人に「根菜農業」があることは、東南アジアや日本の山芋・里芋文化と繋がります。

 ただ中尾佐助氏は「根菜農耕文化」の起源を東南アジア、「サバンナ農耕文化(雑穀)」の起源を西アフリカとしていますが、イボ人の根菜農業が雑穀とともに西アフリカ起源なのか、それともバナナとともにアジアからもたらされたのか、調査が求められます。

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 ⑷ 魚介食文化

 イボ人にとって「ヤムもちを大鯰と一緒に食べるのが最高の御馳走」で「貝は大きなタニシをエスカルゴ風に食べる」ということは、ニジェール川源流域のギニアのマスクチンパンジーが沢ガニを常食していることと合わせて考えると、アジアの魚介食文化との繋がりを感じます。

⑸ アフリカ湿地帯(サヘル地域)

 サハラ砂漠は10000~5000年前頃は緑に覆われ、砂は水の浸食によってできたと考えられ、リビア西部のアルジェリア国境に近いタドラルト・アカクス遺跡には11000~7000年頃ほど前に描かれたキリンなどの岩絵があり、リビアスーダンの国境近いエジプトのギルフ・ケビール遺跡には10000~5000年前頃の動物や泳ぐ人の絵が残され、ニジェールに近いリビア南東部のタッシリ・ナジェール遺跡には新石器時代に遡るワニなどの野生動物、牛の群れ、狩猟や舞踏などの岩絵が残されています。いずれも世界遺産に登録されています。

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 若月氏指摘のアフリカ湿地帯(サヘル地域)はこのサハラ砂漠の南縁にそって東西に延びており、狩猟の痕跡だけでなく、漁撈・採取・農耕文化の痕跡が今後発見される可能性を示しています。

 

6 イボ人と高地湖水地方を繋ぐコンゴ川

 「アフリカの大動脈」と称されるコンゴ川が、ナイジェリア東南部からカメルーン赤道ギニアに住んでいたイボ人がヒョウタンなどを持って高地湖水地方へ移住するルートであった可能性は高いと考えます。図7のようにコンゴ川の支流はタンガニーカ湖やムウェル湖に達しており、川沿いに高地湖水地方に移動することは可能です。

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 なお、ナイジェリア東部とカメルーン西部の境にはカメルーン火山列(カメルーン高地)があり、カメルーン山4095mは「偉大な山」と呼ばれ、噴火を繰り返しており、頂上が吹き飛ばされる前はきれいな円錐形のさらに高い万年雪を抱く神名火山(神那霊山)型の火山であった可能性があります。

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 人類が図1のサバンナ地帯を東に進んで高地湖水地方に移動したのか、それともコンゴ川を遡ったのかの直接証拠はありませんが、間接的な証拠としてはコンゴ川に沿ったチンパンジーと「人間に一番近い類人猿」と言われるボノボの分布があります。彼らは熱帯雨林の果物など豊富な食べものを確保できる赤道にそって移動しているのです。

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 京大霊長類研究所の古市剛史教授の「ヒトが『ボノボ』から学ぶこと〜コンゴ川を渡った平和主義者たち〜」によれば、ヒトとチンパンジーが分かれたのは700万年ほど前、チンパンジーボノボの分化は100万年ほど前とされ、コンゴ川ボノボは渡り、北のチンパンジーと南のボノボは棲み分けており、「チンパンジーは浅い川でも水に浸かることを嫌がりますが、ボノボは水が大好きで、バチャバチャと川に入ってヤゴや川虫を食べたりします」とされます。

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 チンパンジーボノボには、次のような共通点と相違点があり、人類誕生についての手掛かりとなります。

 

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 2015年9月18日のナショナルジオグラフィックのニュースは『ヒトはなぜ人間に進化した? 12の仮説とその変遷』において、「1.道具を作る」「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「3.食料を分かち合う」「4.裸で泳ぐ」「5.物を投げる」「6.狩る」「7.食べ物とセックスを取引する」「8.肉を(調理して)食べる」「9.炭水化物を(調理して)食べる」「10.二足歩行をする」「11.適応する」「12.団結し、征服する」をあげていますが、1・2・5・6・12をチンパンジーから、3・4・7・8・9・10・11をボノボからイメージしていると考えられます。

 なお、「交尾の時期を除けば実は温和で繊細な性質」「胸をたたいて自己主張し、衝突することなく互いに距離を取る」「群れの間では多様な音声を用いたコミュニケーション」「ストレスに非常に弱い」「群れ同士は敵対的だが、縄張りを持たず、お互い避け合う」「交尾は一年を通じて行われる」などのゴリラの特徴はボノボに似通っており、ヒトにも通じます。その分布はナイジェリアからアンゴラにかけての海岸地域と、高地湖水地方のルウェンゾリ山のあるウガンダであり、チンパンジーボノボと同様に、赤道に近く果実が豊富な地域で人類が誕生した可能性が高いことを示しています。

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 人類誕生の手掛かりとしては、類人猿と人類(旧人と新人)の化石・石器とDAN分析、ヒトと分岐したチンパンジーボノボ・ゴリラの性質や生活、現アフリカ人のDNA・言語分析などから分析する以外にありませんが、サバンナ地域での「チンパンジー的人類」と熱帯雨林の「ボノボ的人類」がいた可能性が高く、後者はコンゴ川に沿って遡り、アフリカ高地湖水地方に移住した可能性が高いと私は考えます。

 

7 第2の故郷:アフリカ高地湖水地方

 ルウェンゾリ山地はアフリカで3番目に高いスタンリー山5119mから4~7位の山が連なり、「ルウェンゾリ山地国立公園」(ウガンダ)、「ヴィルンガ国立公園」(コンゴ民主共和国)として世界遺産に登録されています。1位のキリマンジャロ、2位のケニヤ山を知っている人は多いと思いますが、私も万年雪を抱くルウェンゾリ山がナイル源流にあり、エジプトの上が白く下が赤いピラミッド信仰の原点であると考えるまでは、全く知らない山でした。―「縄文ノート56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「縄文ノート57 4大文明論と神山信仰」「縄文ノート61 世界の神山信仰」参照

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 メソポタミアの「クル(山)信仰」のジッグラトや信濃縄文人の神名火山(神那霊山)の蓼科山信仰など、世界の神山信仰のルーツであり、ケニヤ山の黒曜石利用、魚介イモ雑穀食文化などと合わせて、私は「アフリカ高地湖水地方」こそが縄文人の第2の故郷であると考えるようになりました。サバンナで草食動物を狩るだけでなく、男女の役割分担としてイモ雑穀のデンプン採取・栽培と火を使い糖質を食べるようになったサルだけが脳の活動を活発にし、知能を発達させてヒトとなったのです。

 「縄文ノート62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』 」で書いたように、ルウェンゾリ山の麓の2万年頃から8000年前頃のイシャンゴ文明には石臼・粉砕用石器と多くの骨製の銛と魚骨を伴っており、穀類・魚介食文化を育み、東南アジア・東アジアや縄文文明、さらにはアンデス文明とも類似しているのです。

 「縄文ノート64 人類拡散図の検討」で述べたように、東アフリカ(エチオピアモザンビーク)を人類発祥の地とみなす説が多数派であり、400~290年前頃の猿人の化石がエチオピアケニアタンザニア南アフリカから発見され、240年前頃の原人・ホモハビリスの化石がタンザニアで、20(16±4)万年前頃からの現生人類の化石がエチオピアのオモ遺跡や南アフリカヨハネスブルグの「人類のゆりかご」として世界遺産登録された石灰岩の洞窟や陥落穴で発見されていることからみても、エチオピア南アフリカの中間の「アフリカ高地湖水地方」こそが現生人類・ホモサピエンスの誕生地の可能性が高いと考えます。

 この高地湖水地方は図1のようにサバンナから高地草原地帯へ移行し、さらに万年雪のルウェンゾリ山、さらには湖水と南北に流れるナイル川やインド洋に注ぐ河川など、多様な環境に恵まれています。赤道直下の灼熱を避けることのできる快適な地域です。

 1300m以上では    マラリア感染は少ないとされ、図12のように高地湖水地方マラリア感染のリスクは少ないと考えられます。また、ツェツェバエによるアフリカ睡眠病(アフリカ・トリパノソーマ症)についても、図13のようにコンゴで80%が占め、東の高地湖水地域は安全です。

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 若月氏によれば、「東部アフリカの湖水地方といえば、GenocideのRwandaを最近Google earthで覗いてみました。アフリカでは唯一大変美しい棚田ならぬ棚畑でした(Byumba, Rwanda: 1.584S 30.046E)。有名な雲南の棚田(Yunnan, China: 23.115N 102.75E)にも負けない、人力による景観形成と思いました」ということであり、グーグルアースに位置情報を入力して見て下さい。「縄文ノート64 人類拡散図の検討」で載せたタンザニアルワンダウガンダの高地地方の農村風景を再掲します。

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8 縄文研究を世界的な視野で

 戦後は政治の分野での「インターナショナル」が、1970年代から主に産業・経済の分野で「国際化」が、1990年代から「グローバリゼーション(グローバライゼーション、グローバル化)」や「ボーダレス化」が叫ばれる一方、1960・70年代から「宇宙船地球号」「ガイア」「成長の限界」「地球環境」「アースディ」「地球温暖化」「持続的発展可能性」「グローカリズム」などの言葉も生まれてきました。

 今、現代文明が大きな転換点を迎えつつある現在、人類のルーツに立ち返る必要があると探求を重ねてきましたが、縄文文明の「第1のふるさと・ニジェール川流域」、「第2のふるさと・アフリカ高地湖水地方」のおおまかな姿を明らかにすることができました。

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 これはあくまで机上のネット情報を利用した仮説構築作業であり、私が大事にしてきた地域に密着した産業・生活・文化の総合的な検討とは程遠いものです。アフリカにもインド、アジアの照葉樹林帯にも一度も行ったことのない私にはおこがましい作業でした。

 縄文文明やアフリカ・アジア文明に関心のあるすべての分野の若い世代に、ここから先はバトンタッチしたいと考えます。個別分野の「タコつぼ的」な作業ではなく、是非、世界にネットワークを広げて検討していただきたいと考えます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/