ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート160 「日本中央部縄文遺跡群」の世界遺産登録へ向けて

 「日本中央部縄文遺跡群」は、採集栽培・漁労・狩猟の土器鍋食による、豊かで平和な1万数千年の妻問夫招婚による霊(ひ)信仰の母系制定住社会を示しており、その文化は現代まで色濃く引き継がれている。

 この「日本中央部縄文遺跡群」は世界の新石器時代(土器時代)の普遍的な文明・文化の解明に寄与するとともに、持続的発展可能な平和世界に向けて「顕著な普遍的価値」を示す世界遺産として登録運動を提案したい。

 

1.世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」への追加登録か新規登録か?

 世界遺産として「顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value)」の評価基準のうち、(ⅰ)(ⅵ)や(ⅲ)(ⅴ)の内容は、2021年の「北海道・北東北の縄文遺跡群」と較べて日本中央部縄文遺跡群は新規性があり、異なる場所・空間に共通する文化・文明として存在しており、新規登録に該当する。

 

 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産登録の先進的な取り組みとして高く評価されるものの、「火焔型土器」「耳飾り」「縄文のビーナス仮面の女神などの女神像」「母系制社会を示す妊娠土偶・出産文土器」「神名火山(神那霊山)信仰の巨木神殿と神木・神使文化」「イモ豆栗6穀の焼畑農耕」「粉食・土器鍋食」「黒曜石・ヒスイ」「海人族の海洋交易」などに見られる縄文文明全体を網羅しておらず、日本中央部縄文遺跡群として新たな申請が必要と考える。

 なお、「日本中央部縄文文明」は、Y染色体D型・SOV(主語-目的語-動詞)言語の縄文人がアフリカを出て、南インドチベットミャンマー雲南などをへて日本列島にたどり着いた歴史から、新石器(土器)時代人類の生活・社会・文化・宗教・文明の全体像を解明する鍵となるものである。

 

2.「日本中央部縄文遺跡群」の範囲

 中部・関東・南東北にはどこにも縄文遺跡が数多く見られるが、国宝・重要文化財などの有無に関わらず、「縄文遺跡+博物館(展示館)+復元建物」がセットであり、遺跡を活動拠点とした市民研究活動や縄文体験活動があり、その地域で縄文由来の可能性のある祭りなどが見られる場所として、図3・4をもとに長野・石川・富山・新潟・福島・群馬・埼玉・千葉・山梨の範囲を想定した。

 なお、洩れ落ちている遺跡や、施設整備などに伴い、対象遺跡はさらに多くなると考えられる。

 

 

 

3.「日本中央部縄文文明」は世界遺産登録基準を満たしている

「北海道・北東北の縄文遺跡群」と比べて、「日本中央部部縄文遺跡群」には次のような特徴が見られる。

(ⅰ) 人間の創造的才能を表す傑作であること。

 立体装飾土器や女神像、妊娠土偶、出産文土器、土偶付き土器、香炉型土器、耳飾りなどは、「縄文時代に何人ものピカソがいた」と称賛された優れた芸術家の作品群であり、どれ1つ同じデザインのない優れた独創性を示し、岡本太郎氏をはじめ多くの芸術家に影響を与えている。

 

(ⅲ) 現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)であること

 「大規模灌漑農耕の4大文明」に対し、「イモ豆栗6穀栽培の焼畑農耕」による「採集・栽培・漁労・狩猟の土器鍋食文明」が成立していたことを各地の石器農具・磨石と土器鍋料理は示しており、「土器鍋による死者の霊(ひ)=神との共食文化」の成立が見られる。

 この縄文焼畑農耕の成立には鳥獣害対策が不可欠であり、黒曜石の鏃などの広域生産分業体制が成立し、海洋交易民であった縄文人琉球から北海道、シベリアまで活発な日本海交易を行い、「黒曜石・交易圏」と「妻問夫招婚交易文化圏」を作り上げた。

 「母族共同体社会文明」の神名火山(神那霊山)女神信仰・神山天神信仰の共同祭祀として、巨木楼観神殿、環状列石(ストーンサークル)、円形石組・石棒、女神像などが製作され、お山信仰、御柱祭りや猿追い祭り、鳥追い祭り、金精祭りとして現代に引き継がれている。

 

                                       

  

   

 

     

    

   

         

   

    

    

      

(ⅴ) ある文化(または複数の文化)を特徴づける伝統的居住形態、陸上・海上の土地利用を代表する顕著な見本、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本 (特にその存続が危ぶまれているもの)。

 森林・木造文明の円形竪穴式住居と方形高床式住居、円形・方形巨木高層神殿は、気候・機能・材料・工法に合わせた機能的な様式の違いとともに、アフリカから日本列島に到達するまでに縄文人が蓄積した建築文化として考える必要がある。その延長にあって、大国主一族の48mの高層楼観や御柱祭に引き継がれる縄文高層神殿は日本列島において独自に形成された宗教建築文化である。

 石器農具と鳥獣害対策の大規模黒曜石鏃生産・流通や落とし穴猟、縄文土器鍋のおこげは、森林の富栄養分を活かした持続的発展可能な焼畑農耕の土地利用形態の成立を示している。焼畑は長野県栄村秋山郷山梨県早川町奈良田(1955年まで)に引き継がれており、沖積平野での世界四大文明の大規模利水・治水農耕とは異なる世界各地の農業文化・文明の顕著な見本である。

 大規模な環状列石や巨木建築の楼観神殿は、妻問夫招婚の母系制社会の「分散定住・地域分業・共同祖先霊祭祀」の、都市化によらない文明社会を示している。

 

     

     

      

(ⅵ) 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある」の基準を満たす遺跡であること。 

  女神像や妊娠土偶・出産文土偶・女性土偶付土器、乳幼児の埋甕、環状列石、石棒(男根、立石)を女体山に奉げる金精信仰などは、母系制社会の地母神信仰を示している。

 また、茅野市蓼科山の「ヒジン(霊神=霊人)信仰、原村阿久遺跡の環状列石の中心に置かれた石柱から蓼科山を向いた石列、諏訪大社御柱祭片品村の神使の猿追い祭り、安曇野の「ホンガラ」の鳥追い祭りなどは、死者の霊(ひ)が神名火山(神那霊山)から天に昇り、山上の磐座(いわくら)や巨木に降りてくるという山神信仰、山上天神信仰を現在に伝えており、スサノオ大国主の八百万神信仰・神名火山(神那霊山)信仰に引く継がれている。

 これらは全世界に見られる母族共同体社会の祖先霊信仰を現在に伝える顕著な普遍的価値を有している。

 

 

4.縄文人のルーツ解明へ

 人類のルーツについては、西欧中心主義者たちの東アフリカのサバンナでの大型草食動物の狩猟による二足歩行と槍による「肉食進化説」「アフリカ東部・南部サバンナ起源説」「成人男性進化主導説」がわが国でも支持されていますが、ゴリラとチンパンジーボノボの分布からみて、アフリカ西部の熱帯雨林こそが人類が生まれた場所と考える。

 考古学者は発見された化石から「東アフリカ人類起源説」を立てているが、木器・骨器・遺体が分解されて残らない熱帯雨林での人類誕生仮説など想像もできないようである。

 

 

 

 イギリスの栄養学者マイケル・クロフォードは「日本の子供たちが頭がいいのは魚を常食しているからだ」と述べたが、そもそもサルや鳥が知能を発達させたのは、脳を動かす熱帯雨林に豊富な果物のブドウ糖と、脳の高度な神経情報回路を生み出す神経伝達物質DHA(体内では作れない)を含む魚類を摂取したからである。

 人類はさらに棒を使い火で調理してイモ・マメ・穀類から糖質を大量に年間を通して摂取し、熱帯雨林の小川・沼・海岸で魚介類を獲ってDHAをえて脳の神経機能を高め、母子のおしゃべりによって3歳までに脳を発達させ、さらに視界の悪いジャングルでの合図・連絡や子育ての助け合いによる会話と共同作業により知能を発達させたのである。

 脳科学からみて「肉食進化説」は成立の余地がなく、「成人男性の投げ槍狩猟による頭脳の発達説」もまた成立しない。視界のよい開けたジャングルで獲物に気付かれないように近づくなら、声を出さずに手で合図するであろから、3歳までの知能の発達には男の狩猟は寄与しない。母と子の採集・漁労と会話こそが幼児期の知能の発達を促したのである。

 

 手の機能向上は子どもの頃からの熱帯雨林で地上に降りての突き棒によるイモ類の採集と銛による漁労によるものであり、半身浴による足での魚介類の採集は二足歩行を促し、水上で獲物を抱えて手の機能を高め、「返し(もどり)」のある銛(穂先:木→骨)の製作はさらに手を器用にし、釣り針の製作へと進んだと考えられる。

 「石器学者」の考古学者たちは、残存できた石器・骨角器からだけで人類史を考えているが、消滅した木器時代を想像できない石頭考古学にいつまでも頼るべきではない。

 

  

 縄文人のアフリカからのルーツを明確に示すのは、縄文人Y染色体D型と若狭の鳥浜貝塚や青森の三内丸山史跡から見つかったヒョウタンの原産地である。

 Y染色体D型は西アフリカに多いY染色体E型と別れたのであり、ヒョウタンの原産地がニジェール川流域とされていることと、ゴリラ・チンパンジーボノボの分布とも重ねあわせると、ニジェール川からコンゴ川にかけてが縄文人の出身地であり、SOⅤ(主語-目的語-動詞)言語構造や神名火山(神那霊山)信仰・黒曜石利用・イモ魚食文化、「倭音倭語―呉音漢語・漢音漢語」の3層構造言語の基底をなしている倭音倭語の宗教語・農耕語が南インドのドラヴィダ族のタミル語との類似性、いも・もち食やソバ・コンニャク食、ピー(ピャー)=霊(ひ)信仰などからみて、縄文人は西アフリカから熱帯の海の道を通り、東インドミャンマーの海人族・山人族が、海の道とシベリアの道を通って日本列島へやってきたことが明らかである。

 また、イネ・麦・トウモロコシ・雑穀・サトウキビなどのイネ科植物のマザーイネの原産地もまたゴンドワナ大陸時代の赤道直下の現在の西アフリカの可能性が高く、DNA分析により人類拡散ルートの解明が期待される。

 日本中央部縄文文明の世界遺産登録においては、縄文文化・文明を「特殊な発展を遂げたアジア的文化・文明」としてではなく、アフリカから始まった全人類の基底となる文化・文明としての解明が求められる。

 

     

     

     

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

  ヒナフキン邪馬台国ノー      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/