ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート32(Ⅲ-2) 縄文の「女神信仰」考

 2020八ヶ岳合宿に向けたレジュメ(報告の要約)のこの「縄文の『女神信仰』考」では、縄文人の宗教が霊継(ひつぎ)を願う霊(ひ)信仰=祖先霊信仰であるとともに、農作物の再生を願う縄文農耕の誕生を示していることを検討しました。

 そして、今後の縄文研究の課題として「① 霊(ひ)信仰」「② 内発的発展史観」「③ 縄文農耕史観」「④ 海洋交易民史観」「⑤ 母系制社会史観」「⑥ 記紀神話重視史観」「⑦ 倭音倭語史観」「⑧ 共同体文明史観」という8つのテーマを整理しました。

 縄文遺跡の発掘が進み、土器編年や年代測定、骨やおこげのDNA分析、土壌の花粉分析による気候変動など縄文研究が大幅に進んだことは私など素人にも実感できましたが、縄文人の宗教・社会思想や縄文人と縄文語のルーツ、スサノオ大国主建国との関係など、まだまだ未解明のテーマについて整理・提案を行いました。 

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

  

         Ⅲ-2 縄文の「女神信仰」考

                                                                          200730→0825→1224 雛元昌弘

 1.「縄文のビーナス」「仮面の女神」「始祖女神像」「縄文の女神像」が示す信仰

 長野県茅野市の2つの遺跡からの「縄文のビーナス」と「仮面の女王」、さらに隣接する富士見町の「始祖女神像」や山形県舟形町の「縄文の女神」などは、単なる描写ではなく、縄文人の宗教、信仰を表わしたシンボルであり、信仰心の造形化として見るべきと考えます。

 縄文土器や耳飾りの繊細なデザインから見ても、これらの作家が女体をギリシア彫刻の人物彫刻やアルタミル壁画の動物像のように正確に描写する造形力がなかったとは考えにくく、大きなお尻を誇張したシンボリックな表現をとっており、そこには明確な造形思想が見られます。 

  

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2.「女神信仰」は霊(ひ)を産む始祖神からの「霊継(ひつぎ)信仰」を示す

 検索すると渡辺仁著『縄文土偶と女神信仰』がありましたがさいたま市の図書館にはなく読めていませんので、これまでスサノオ大国主建国論で取り組んできた「霊(ひ)宗教論」から考えてみたいと思います。

 古事記はこの国の始祖神を、出雲大社正面に祀られた天之御中主(あめのみなかぬし)・高御産巣日(たかみむすひ)・神産巣日(かみむすひ)ら5神とし、日本書紀は高皇産霊(たかみむすひ)・神皇産霊(かみむすひ)と表記していることからみて、この霊を産む「二霊」=夫婦神を「霊人(ひと)・霊子(ひこ)・霊女(ひめ)」らの実際の始祖神としていることが明らかです。古事記序文では「二霊群品の祖となりき」とはっきりと宣言しているのです。

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 天皇家皇位継承の「日嗣」は本来は「霊継」であり、柩・棺は「霊継(ひつぎ)の容器」であることを示しており、甕棺や柩、墓室内が朱で満たされているのは、血で満たされた子宮に模して再生を期待していたことを示しています。

 大きな宗教的・文化的な断絶がなかったとすると、縄文人もまた「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰」であり、霊(ひ)を産む女性を大事にし、無事な安全と子だくさんを祈って女神像を造るとともに、地母神の霊(ひ)が宿る妊娠土偶を安産のお守りとして造り、子どもが無事に生まれるとその土偶を壊して大地に帰したと考えられます。

 

3.「女神信仰」は「縄文農耕」を示す

① 「縄文のビーナス」「仮面の女神」「始祖女神像」「縄文の女神」や、多くの妊娠土偶からみて、この女神像や妊娠土偶が「死者の霊(ひ)が大地に帰り、再び黄泉帰る」という「地神(地母神)信仰」「霊(ひ)信仰」「霊継(ひつぎ)信仰」に由来していることについては、納得されると思います。

② 同時に、「霊(ひ)が大地に帰り、再び黄泉帰る」という再生信仰、黄泉帰り信仰は、植物が冬に枯れ、地下茎や地面に落ちた種子から植物が春に再生する現象や、山火事で焼けた土地から植物を生えてくるのを見た古代人は植物の「霊(ひ)」が受け継がれたと考え、大地を霊(ひ)を産む母として考えた可能性があります。

 漁撈狩猟採取時代には食物は自然に生まれてくるものであり、人もまたその自然の営みであり、意識されることはなかったに違いありません。ところが、気候変動や病虫害などにより採取食料が不足するようになり、焼畑農耕を始める必要がでてくるようになると、母親から子供が生まれるように、大地の中の種イモや種子から食物が生まれることから大地を母として意識して信仰するようになり、女神像や妊娠土偶を造るようになったと考えられます。

 これらの女神像や妊娠土偶などは、人の安産と子だくさんを願うととともに、食物の豊穣を祈る共同体の宗教の誕生を示しており、縄文農耕が始まったことを示していると考えます。

③ 「縄文ノート27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」で明らかにしたように、大量の黒曜石鏃の地域分業体制による製作もまた、縄文農耕の開始により鳥獣害対策の狩猟が各地で必要となったことを示していると考えます。

④ 縄文学の大勢は女神像や妊娠土偶を作り出した縄文人の宗教思想や、大規模な黒曜石の採掘・加工・流通を生み出した縄文社会の産業などと一体的に考えることなく、これまでバラバラに論じてきていますが、縄文農耕と合わせてワンセットで考えるべき段階と思います。

 

4.「地神(地母神)信仰」の根拠

 縄文人の地神(地母神)信仰は、次の点からも裏付けられます。

① ストーンサークルは「地神の女性器」、円形石組と石棒は「地神の女性器に立てた男根」

 群馬県片品村では、女体山(白根山)に男性が男根を捧げる祭りや性器型のぜんざいを山に捧げる祭り、大地に赤飯を撒く祭りが残っており、山=女神であり、女神が嫉妬するので女人禁制の祭りとなったと考えられます。石棒(金精様)は母系制社会のシンボルと考えられます。

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② 出産文土器(北斗市の津金御所前遺跡)は女性をシンボル化

 土器(母なる大地の土から生まれた神聖な器)を女性に模し、性器から子供が生まれる造形と しています。

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③ 埋甕(うめがめ:塩尻市の平出遺跡)は霊(ひ)の再生を願う

 亡くなった乳幼児を壺に入れて竪穴住居の入口に埋め、上をまたぐ母親の胎内に死んだ子子の霊(ひ)が戻ることを期待しています。

 

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5.「女神信仰」から「女王国」へ

① 各地の女王国

 この縄文時代の霊(ひ)信仰の女神信仰は、邪馬壹国の女王・卑弥呼(霊御子=霊巫女)をはじめとした女王国に受け継がれます。

 天皇家はこれらの女王国を滅ぼしたことが記紀古事記日本書紀)にはっきりと書いています。

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② 各地の女神を祀る神社

 それは各地の祖先霊信仰の神殿である神社に多くの女性神が祀られていることからも裏付けられます。

 私は「石器―土器―鉄器」の時代区分とすべきとし、「弥生人征服説」を批判して「縄文農耕から鉄器水田稲作への海人(あま)族による内発的発展説」に立っており、縄文の女神信仰がそのまま「女王国」に引き継がれたと考えてきました。 

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6.古代中国、倭国は母系制社会であった

① 「姓」「卑」字が示す母系制社会

 姓名の「姓」が「女+生」であることは、古代中国では女性が祖先霊を祀る役割を担っていた時代があったことを示しています。孔子の「男尊女卑」の「卑=甶(頭蓋骨)+寸」「尊=酋(酒樽)+寸」であり、「女が掲げる頭蓋骨(鬼:祖先霊)に男が酒を捧げる」という宗教上の男女の役割分担を表しており、孔子の弟子の儒学者たちが「女性差別用語」としたのです。孔子が理想とした姫氏の周王朝は母系制であった可能性が高く、その後、春秋・戦国時代に入り、略奪婚から女性奴隷の時代になり、男系社会に転換したと考えます。

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② 「魏」が鬼道の女王・卑弥呼に金印紫綬を与えた理由

 周王朝の姫氏の諸侯であった「魏」(禾(稲)+女+鬼)は「鬼(祖先霊)に女性が禾(稲)を捧げる国」であり、魏の曹操は「われは文王、姫昌(きしょう)たらん」と述べ、孔子が理想とした周王朝を再建したいという「志」を持っていました。

 魏国が鬼道の女王・卑弥呼(霊御子)に対して格段の「王侯」に匹敵する金印紫綬を与えたのは、姫氏を想起させる母系制社会であったからと考えます。また、宦官のトップの中常侍(ちゅうじょうじ)で一流の儒学者であった祖父の曹騰(そうとう)から教えを受けた曹操は、孔子の「道が行なわれなければ、筏(いかだ)に乗って海に浮かぼう」を知らないはずはないと考えます。陳寿(ちんじゅ)三国志魏書東夷伝の序に「中國礼を失し、これを四夷(しい)に求む、猶(な)を信あり」と書き、朝鮮半島の鬼神信仰に対し卑弥呼にだけ「鬼道」という尊称にしたのは、倭国を「道・礼・信」の国としてみていたことが常識であったことを示しています。

 なお「筏」字を漢字文化すると「竹+人+戈(ほこ)」であり、「竹を人が戈で切って」作った「竹筏」で倭国への航海が行われていたことを孔子が知っていたことを示しています。

 

③ 倭人は「卑」「奴」を卑字ではなく貴字として使用した

 「卑弥呼」や「漢委奴国王」、「倭国」について、中華思想の漢や魏が「東夷・西戎・南蛮・北狄」や「匈奴」などと同じように、字が読めない倭人に対して「卑字」を使ったという「被虐史観」が見られますが、ほんとうにそうでしょうか?

 三国志魏書東夷伝卑弥呼が「使によって上表」と書かれていることからみて、漢や魏の皇帝に対し、委奴国王や卑弥呼が使者に正式な「国書」を持たせないなど考えれられません。漢字を理解する文明国として認めたからこそ、後漢光武帝や魏皇帝・曹芳が金印を与えたのです。

 「倭国」「委奴国」「卑弥呼」は、中国側の名称ではなく、倭国(いのくに)側が「倭」「委奴」「卑」字を倭流に解釈して「貴字」として使用したと考えます。「倭」は「人(稲)+禾+女」で人(ひと=霊人)に女性が稲を人に捧げる「霊(ひ)の国」であり、「委奴国(いなのくに)」は「禾(稲)+女+女+又」で、女性器(女+又)に女が稲を捧げる国名なのです。縄文人の女神信仰、性器信仰を受けついだ倭国は受け継いでいたと考えます。

 

④ 倭人は漢字を知っていた

 「日」が倭音「ひ、か」、呉音「ニチ」、漢音「ジツ」であるように、日本語は「倭音倭語、呉音漢語、漢音漢語」の3層構造であることからみて、江南の呉音が先に伝わり、後に華北の漢音が入ったことが明らかです。

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 その伝播は呉から台湾を経た「琉球(龍宮)ルート」の海人族による伝搬と、秦の始皇帝が紀元前3世紀に東方の三神山、蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)に3,000人の童男童女と百工(技術者)を付けて浙江省(2度目)から徐福を派遣したという「徐福ルート」の2つが考えられます。佐賀市京都府伊根町、熊野市など各地に徐福伝説や徐福を祀る神社があることからみて、彼らもまた呉音漢字を伝えたと考えられます。

 それを裏付けるのが吉野ヶ里遺跡など北部九州を中心に松江市などから約40点発見された石硯と研石(墨をすりつぶすための道具)です。これらは紀元前2世紀末から紀元3世紀後半のものであり、わが国での倭音・呉音・漢音による漢字使用は紀元前からと見なければなりません。

 紀元1世紀の委奴国王が国書を後漢皇帝に上表しないなどありえません。

 

⑤ 本来の漢字用法が倭流漢字用法として残った

 「奴」字は、中国が母系制社会であった周の時代には「女+又(股)」で、子供が生まれる女性器を指していた「貴字」であり、「女+又(右手)」として「奴」が手を縛られた女奴隷を表すようになったのは、春秋戦国の戦乱によって奴隷が生まれてからという可能性があります。

 呉音漢語を習っていた「委(倭)人」は「奴」「卑」字を貴字として使った可能性が高いと考えますが、謙譲語として使った可能性もあります。

 なお、「霊」=「靈」=「雨+口口口(人々が口で受ける)+巫(みこ)」、「神」=「示(高坏)+申(稲妻)」であり、いずれも天上から降りて来る祖先霊を示しています。「魂」=「云(雲)+鬼」(雲の上の祖先霊)からみても、漢字ができた紀元前1300年ごろより前から天神信仰であったと考えられます。

 時代は異なりますが、「仏(ほとけ)」(人+ム)は、倭語倭音では「ほと+け」であり「女性器の化身」であり、倭人の女性器信仰に仏教が合わせた「和名」の可能性があります。

 

7.海人(あま)族は母系制社会

① 今も漁村は女性が家計を握っている

 男が危険な海に出る漁村では、家計はずっと女性が握っており、獲れた魚を物々交換し、あるいは金に換えるのも女性の役割でした。上田篤氏はこの伝統は武士やサラリーマンに引き継がれている、としています。

 魏書東夷伝倭人条で「会同坐起、父子男女無別」と書かれているのは海人族の女性の地位の高さを示し、古事記大国主沼河比売(ぬなかわひめ)に「用婆比(よばい)(夜這い)」し、「島の埼々、磯ごとの若草の妻」を持ち、180人の子どもをもうけたという記述は母系制社会の妻問夫招婚を示しています。

 

② 海人族の「海神信仰」

 この海人族はスサノオ大国主一族は海蛇を「神使」としていることからみて、死者の霊(ひ)は海に帰り、海から黄泉帰るという海神信仰でした。イヤナミ(伊邪那美:通説はイザナミ)の死後、イヤナギ(伊邪那岐:通説はイザナギ)は出雲の揖屋(いや)の地から「黄泉の国」のイヤナミを訪ねたとしており地神(地母神)信仰を伺わせますが、「よみ」は「黄泉=夜海」の可能性があり、薩摩半島南西端の笠沙(かささ天皇家2代目・3代目が「龍宮(琉球)」の姉妹を妻とする記紀の記述からみても、人が海から生まれ、海に帰る海神信仰であった可能性が高いと考えます。神輿を海に運び、あるいは投げ込み、御旅所を海岸に置き、さらに「雛流し」の宗教行事が仏教が入ると「精霊送り」に代わっていることなどからみても、海神信仰の伝統は今に続いています。 

 「縄文に帰れ」「本土が沖縄に復帰するのだ」と述べ、火炎式土器に「深海」をイメージしていた岡本太郎氏は、縄文人琉球(龍宮)をルーツとみて「海神信仰」を考えていたと思います。「太陽の塔(原題は「生命の樹」)」の地下の顔のデザインはどうみても「深海の顔」です。

 

7.縄文研究の7つのテーマ

① 霊(ひ)信仰

 明治政府の「世界を照らすアマテラス一神教」の影響を受け、縄文人の宗教については太陽信仰説も根強く、横文字大好きの民族学者・人類学者は世界の原住民の宗教から「精霊信仰(アニミズム)」「聖力信仰(マナイムズ)」など原始宗教としての解釈を行っています。

 縄文から続く「霊人(ひと)・霊子(ひこ)・霊女(ひめ)」のわが国の信仰は「霊(ひ)信仰(祖先霊信仰)」であり、大国主の「八百万神信仰」にそのまま繋がり、日本仏教においても仏壇などに祖先霊を祀る信仰として生き続けています。

 

② 内発的発展史観

 これまで「外発的発展史観」にとらわれてきた「拝外主義」の歴史研究は、「縄文時代」=遅れた漁撈狩猟採取時代、「弥生時代」=弥生人(朝鮮・中国人)征服者による進んだ水田農耕時代としてきましたが、私はこの「石・土器・土器・墓(イシ・ドキ・ドキ・バカ)」のガラパゴス的時代区分に反対し、「弥生時代はなかった」として南方起源の「主語―目的語―動詞」言語の海人族の「石器―土器―鉄器」の「内発的発展」の時代区分を提案してきました。

 

③ 縄文農耕史観

  「イモ・豆・栗・縄文6穀(米・粟・稗・黍・麦・ソバ)農耕」は「鉄器水利水田稲作」へのスムーズな展開を容易にし、「縄文土器鍋による煮炊蒸し料理」は健康で豊かな、安定した食生活を実現し、現代の「和食の世界遺産登録」に繋がっています。

 その豊かな食料は、余剰時間を生み出して優れた縄文土器デザインや巨木建築を生みだし、現代の岡本太郎棟方志功などに引き継がれています。

 

④ 海洋交易民史観

 海人族は「地域ごとに孤立・対抗した自足自給社会」ではなく、琉球から北海道までの海洋交易圏を形成し、貝や黒曜石、ヒスイなどの産地形成・産地間分業と広域交易を生み出し、スサノオ大国主一族の朝鮮半島との米・鉄交易、後漢・魏との絹・ヒスイ・真珠・朱と青銅器・絹織物交易へと発展します。

 「縄文人土着史観」の縄文閉じこもり学ではなく、「広域交流・交易」「石器時代→土器(縄文)時代→鉄器時代の連続性」に重きをおいた検討・議論を進めるべきと考えます。

 

⑤ 母系制社会史観 

 「若御毛沼(ワカミケヌ:8世紀に神武名)東征」から始まる征服史観の皇国史観は、万世一系の父系制社会像を作り上げ、弥生人朝鮮人・長江流域江南人)征服説もまた軍国史観・征服史観の父系制社会像を上塗りし、漢語・儒教大好きの考古学者たちもまた、孔子の「男尊女卑」の解釈を誤って父系制社会像から抜け出せません。

 「縄文の女神」や妊娠土偶、女が禾(稲)を捧げる「委」「倭」字の国名などから、古代社会像を組み立てるべきと考えます。

 

⑥ 記紀神話重視史観 

 天皇絶対神とした皇国史観に反発した戦後の反皇国史観は、物証=科学とし、記紀などを8世紀の創作とし、記紀を歴史書として個々の記述の真偽分析による科学的な歴史探求を放棄してきました。各地の地名や神社伝承との照合などを軽視し、市町村・都道府県の郷土誌などは大和朝廷の支配がどのように地方に及んだかという天皇・大和中心主義歴史観による記述が目につきます。

 「縄文の女神」を論じるなら、記紀に登場する始祖神の神産霊やアマテル(本居宣長説)や、女王卑弥呼記紀に登場する各地の女王や神社に祀られた女神との連続性を考えるべきなのです。

 

⑦ 倭音倭語史観

 漢文学儒教に慣れ親しんだ歴史家は、倭音倭語での分析が全くできていません。例えは「霊」を漢音「レイ」ではなく倭音「ひ」と読むと、「卑弥呼」「日子」「日継」「棺・柩」などは「霊御子」「霊子」「霊継」になり、縄文時代の宗教と繋がります。「翡翠」は中国語の意味は不明とされていますが、倭音で「ひすい」と読むと「霊吸い」でなり、霊が宿る玉となります。翡翠の原語は倭語の可能性があるのです。

 倭音・倭語による記紀風土記・伝承などの分析から、新しい解釈が生まれる可能性は高いと考えるとともに、縄文人のルーツの解明に繋がると考えます。

 

⑧ 共同体文明史観

 長野・新潟・群馬・山梨の「日本中央世界遺産登録」にあたっては、海洋交易民の海人族の広域交流・交易性、イモ・豆・縄文6穀農耕革命、縄文土器鍋食、縄文農耕を支えた鳥獣害駆除の黒曜石産業、母系制社会の女神・性器信仰、縄文宗教(地神・海神・天神信仰)からの大国主の八百万神信仰など、「土器(縄文)文明・文化」として統一的に分析し、世界にアピールすべきと考えます。

 日本列島文明を長江文明黄河文明の2次文明・波及文明・属国文明として見るのではなく、独自の文明としてその全体像を明らかにすべきと考えます。

 「ユダヤキリスト教文明、イスラム教文明」さらには「中華文明」などの一神教的宗教対立とイデオロギー対立が煽られる今こそ、多文明・多文化・多宗教共生の「共同体文明像」の解明が必要と考えます。 

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□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート   https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ      http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論         http://hinakoku.blog100.fc2.com/