録画していた5月22日NHK・BSの新日本風土記「十津川村(とつかわむら)」(2019年1月初回放送)を見ましたが、杣師(そまし:きこり)が「けずり花」(男性のシンボル)をつくり、各家や山の神木に宿る「山の神」に供える信仰や、山人(やまびと=やまと)の村の農業・食事・祭りなどたいへん興味深い番組でした。
私が注目したのは、「山の神」=女神が宿る神木に男が「男根」に似せた「けずり花」(なんとも奥ゆかしいネーミングです)を供えるという点です。
「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」(150630→201227)で紹介しましたが、仕事でよく通った尾瀬のある群馬県片品村には次のような3つの興味深い祭りがあります。山村や離島などには古い歴史の伝統が今に残っている宝庫なのです。
(1) 猿追い・赤飯投げ祭り(花咲地区)
・赤飯と甘酒を本殿周辺の70数基の石祠に備える。
・拝殿の前で東西に2列に並び、赤飯を「エッチョウ」「モッチョウ」と言いながら交互に投げ合う。
・御幣をかかげた猿役を村人が追い、山に追い返す。
(2) 十二様祭り(針山地区)
・十二様は「山の神」の別称で、女神。
・男が性器型などのツメッコを作り甘い汁粉に入れて煮て、裏山の十二様に供え、帰って食べる。
・十二様が嫉妬するので集落の十三歳以上の女性は甘酒小屋に集まり参加できない。
⑸ 金精神社(上小川地区)
・女体山(日光白根山)に金精(男性性器型)を奉納。
・男性のみが金精を捧げる登拝行事が行われる。
これらの「お山信仰=女神信仰」は一般的には「自然信仰」で、番組では「山の恵みに感謝する」「山の怒りを鎮める」というような説明をされていましたが、「猿追い祭りは、武尊山に降り立った祖先霊(霊:ひ)を御幣(ごへい)に移して里の武尊神社(祭神は穂高見命※、後に日本武尊を合祀)に運んできた神使(しんし、つかわしめ)の猿を、再び、祖先霊と共に山に送り返すという、古代からの信仰を伝える神事で、出雲族の霊(ひ)信仰を示しています」と私は考え、「御幣は現在は木の先に白い紙垂をつけたもので、白布(幣帛:へいはく)を付け、神に対する捧げものを意味するとされていますが、元もとは死者の霊(ひ)が乗り移る依代(よりしろ)である神籬(ひもろぎ:霊漏ろ木)でした」と見ました。
その後、この「御幣」はアイヌの「イナウ」や「縄文石棒」と同じで、女神に捧げる「男根」をシンボル化したものであり、「女神の依り代」と考えるようになりましたので、初出時期の順に紹介します。
参考1 縄文ノート15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰 190129・0307→200411
(7) 御柱、神籬(ひもろぎ)、幣帛(へいはく:みてぐら、ぬさ=麻)、御幣、イナウ(アイヌ)
死者の霊(ひ)が天に昇り、降りてくるという昇天降地の宗教では、御旅所である「お山」が重要な役割を果たしますが、山に昇り、降りてくるという葬儀などのイベント的な行事から、同族の結束を固めるために、より日常的な信仰の場として、「山から里へ」と信仰の場を移すようになりました。
そして、共同の祭祀の場として神社を設けるとともに、霊(ひ)が宿る依り代として、御柱や神籬(霊(ひ)漏ろ木)、さらには小型化した幣帛(へいはく、みてぐら、ぬさ=麻)、御幣、イナウ(アイヌ)などを、祭祀の道具として使うようになりました。なお、私は幣帛・御幣とイナウは、御柱や神籬(ひもろぎ)のミニチュア説とともに、その形状(陰毛らしきものが垂れている)からみて、大地に突き立てる石棒(男根)を受け継いだものではないか、という仮説も考えていますが、今後の検討課題です。
参考2 縄文ノート33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200731・1226
青森市の「三内丸山遺跡」の6本列柱の巨大建築物を作った人々の宗教的エネルギーと現代を繋ぐものとして梅原猛氏は「ねぶた祭」をあげていますが、諏訪の「中ツ原遺跡」の8本列柱は現代の「御柱祭」や「御柱(天御柱・心御柱・心柱)信仰」「神籬」「ぬさ:御幣、アイヌのイナウ」などに広く受け継がれています。
参考3 縄文ノート23 縄文社会研究会「2020八ヶ岳合宿」報告 200808・1209
⑨ 縄文人をマンモスハンターの子孫の狩猟民とする「日本民族北方起源説」がみられますが、アイヌが漁民であり、刺青をしていて民族衣装が前開きの南方系であることや、琉球(龍宮)のアクセサリー貝が北海道まで運ばれ、琉球の始祖の「アマミキヨ」に由来する奄美大島、天草、甘木(天城)、天が原、海士などの地名が北上・東進していること、神の依り代(よりしろ)である御幣(幣帛(へいはく)、幣(ぬさ))とアイヌのイナウとが同じであること、琉球のサバニや奄美の板付け舟がアイヌのイタオマチプ(板綴り舟)と同じ丸木舟に舷側板を張った構造であることなどからみて、縄文人は海人(あま)族であるという大前提でその宗教思想や文化を見るべきと考えます。
参考4 縄文ノート102 女神調査報告6 北沢川・月夜平大石棒と男根道祖神 211013
石棒(男根・金精)というと男社会の祭りとばかり私は思い込んでいましたが、尾瀬湿原のある群馬県片品村の仕事で、女体山(日光白根山)に男が金精を捧げ、山の神「十二様」(女神)に男が性器型などのツメッコ(すいとん)を入れた汁粉を供える祭りで、女性は女神が嫉妬するので参加できないことを知り、びっくりしました。女性差別ではなく、女神信仰の母系制社会の祭りが続いていたのです。
さらに武尊山のほとりの武尊(ほたか)神社の猿追い祭りでは、2組に分かれて「エッチョー」「モッチョー」と言い合いながら赤飯を投げるのですが、男性たちは赤や紫などのスカーフで頬かむりをしており、元々は女性の祭りであった可能性があります。
参考5 縄文ノート181 縄文石棒と世界の性器信仰 231115
なお、信州を中心に中部・関東・近畿に広がる「ミシャグジ」信仰は、古木の根元に石棒を祀るのが最も典型的なミシャグジのあり方であることを藤森栄一・今井野菊・宮坂光昭・古部族研究会(野本三吉、北村皆雄、田中基)らが明らかにしていますが、私は「ミシャグチ=御蛇口」であり、縄文時代から続く女神の神山天神信仰が水神信仰となったと考えます。―縄文ノート「98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社」参照
⑹ 石棒の役割
「縄文ノート102 女神調査報告6 北沢川・月夜平大石棒と男根道祖神」(211013)において、私は石棒の宗教上の役割について、「地母神祭祀石棒、天神祭祀石棒、家族祭祀石棒、水神祭祀石棒」と整理しましたが、山上の石棒や環状集落の広場の石棒について触れていなかったので、追加・修正します。
以上、引用が多くて恐縮ですが、十津川村の「けずり花」を女神「山の神」の宿る神木に捧げる祭りは、単なる山や巨木の自然信仰ではなく、アフリカ起源で世界に広まった死者の霊(ひ)が山から天にのぼる神山天神信仰(神名火山(神那霊山)信仰)を示しており、その信仰を司る祭神は母系制社会の女神であり、縄文石棒やイナウ(アイヌ)、けずり花(十津川村)、金精様(全国各地)は霊(ひ)の再生を願って男性が女神に捧げる神器であり、女神の依り代でもあったのです。
なお、「縄文ノート15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」において、「私は幣帛(へいはく)・御幣(ごへい)とイナウは、御柱や神籬(ひもろぎ)のミニチュア説とともに、その形状(陰毛らしきものが垂れている)からみて、大地に突き立てる石棒(男根)を受け継いだものではないか、という仮説も考えていますが、今後の検討課題です」と書きましたが、幣帛(へいはく:大麻(おおぬさ))と御幣(ごへい)は神が宿る神籬(ひもろぎ:霊洩木)=神木であり、石棒・イナウ・けずり花・金精とは神器としての役割が異なるのであり、修正いたします。
古事記によればアマテル(天照大御神:大霊留米(おおひるめ))が天岩屋戸に隠れた後の再生神事(次女王への霊継ぎ儀式)において、天香山の眞賢木(まさかき:榊)の上枝には勾玉と五百の玉を、中枝には八尺鏡を、下枝には白丹寸手・青丹寸手(しろにきて・あおにきて:木綿と麻)をつけた依り代を用意して次女王を迎えるのですが、この頭部に首飾り、胸に鏡(アマテルの御魂)、腰に木綿・麻の布をつけた神籬(霊洩木)は女神を示しています。
鏡を太陽のシンボルとする「世界を照らすアマテラス太陽神」信仰の皇国史観の空想が未だにまかり通っていますが、古事記はニニギの天下りに際してアマテルは「わが御魂」として鏡をニニギに渡したと書いており、鏡は女性の「霊(ひ)が宿る神器」として胸に飾られたのです。エジプトの太陽神のように、頭上に掲げたのではありません。
古事記序文で太安万侶は「二霊群品の祖」としているように、記紀神話は産霊(むすひ)夫婦(神皇産霊・高御産霊)を始祖神としているのであり、この国は「人(霊人)・彦(霊子)・姫(霊女)」とその「御子人(みこと:命、尊)」「霊御子(霊巫女・霊皇子・霊皇女)」の「霊(ひ)の国」なのであり、神名火山(かんなびやま:神那霊山)や神籬(ひもろぎ:霊洩木)は天に霊(ひ)が昇り、降りてくる神山・神木として崇拝されてきたのです。
日本の文化・文明は「縄文文化・文明を起源とする」と言われますが、片品村の女神「山の神」信仰は長野県原村の阿久遺跡の石棒から2列の石列か蓼科山(女神山)に向かう通路を示していることから、縄文時代に遡ることが明らかです。この蓼科山には「ヒジン様」が住むとされていることは、死者の霊(ひ)は「ヒジン=霊神=霊(ひ)の神」となり、環状集団墓地の真ん中の石棒から石列通路を通り、神名火山(神那霊山)である蓼科山から天に昇り、さらに降りてきて蓼科山から石棒に依り付くという神山天神信仰は縄文時代に遡ることが証明されました。それは、男性器型道祖神や金精様に引き継がれ、現代に続いているのです。―縄文ノート「35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡」「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」「100 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松」「181 縄文石棒と世界の性器信仰」参照
また、茅野市の中ツ原遺跡のかまどの角におかれた石棒は、妻問婚において男性が石棒を求愛するカマドを守る女性に捧げたことを示しており、かつては妻のことを「山の神」と称していたことに繋がっています。
これまで、縄文時代が母系制社会であることは、「妊娠土偶・女神像・出産文土器・貝輪」などから説明されてきましたが、私は「石棒」もまた母系制社会を示す重要なシンボルと考えます。今回、十津川村の「けずり花」(男根のシンボル)を「山の神」が宿る神木(神籬(ひもろぎ):霊洩木)に捧げる行事から、縄文時代の神山天神信仰の石棒奉納が片品村だけでなく広く各地に伝わっていることを確認することができました。
「縄文に帰れ」「日本が沖縄に復帰するのだ」は岡本太郎氏、「縄文を知らずして日本人を名乗るなかれ」は縄文社会研究会を立ち上げた上田篤氏の言葉ですが、「縄文は世界を変える」にしたいものです。
西アフリカ熱帯雨林で生まれて日本列島にやってきた「霊(ひ:DNA)を継ぐ人(霊人)の国」として世界に縄文文化・文明をアピールし、「命(霊継(ひつぎ))を何よりも大事にする世界」の実現に向かいたいと思います。
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
ヒナフキンの邪馬台国ノート http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/