181 縄文石棒と世界の性器信仰
縄文文化・文明を論じる際、世界の中で「日本独自の縄文文化文明」という特殊性を強調する視点でみるか、それとも「アフリカ・アジア文化・文明を継承した縄文文化文明」という普遍的な視点でみるか、どちらの仮説で検証していくのかで分析結果は大きく異なってくると考えます。
私は若狭の鳥浜貝塚(12000~5000年前)でみつかったヒョウタンの原産地が次女が青年海外協力隊員として赴任していたニジェール川流域であったという偶然から「縄文人・縄文文化アフリカ起源説」を考えるようになりました。
そして建築学科の先輩の映画『ブワナトシの歌』の主人公片寄俊彦さんから聞いたことや、山岳部・探検部のメンバーたちからアフリカのゴリラ・チンパンジー・ボノボ調査、中尾佐助氏のブータン調査の話をきいていたという偶然が重なり、鳥浜遺跡で発見されたウリは北アフリカ・インド、リョクトウはインド、シソはヒマラヤ・ミャンマー・中国南部、エゴマは東南アジアが原産地であることからみて、縄文人は西アフリカから北アフリカ(エチオピア)→インド→ビルマ・東南アジアへと移動する時にこれらの栽培植物の種をヒョウタンに入れて日本列島にやってきた、という仮説にたどり着きました。
イネもまたニジェール川流域が原産地の1つであり、その栽培・米食文化を持ち、さらにアジアイネに出会って日本列島にやってきた可能性が高いと考えます。ヒエなどの雑穀やイモ食・もち食は西アフリカがルーツの可能性が高く、さらに東南アジア・雲南山岳地帯が原産のソバや納豆文化などもこの移動ルート上にあり、南インド・ドラヴィダ族やブータン、雲南の烏蛮(イ族=夷族、倭族)の烏信仰は平安時代からの男性正装であった前に雛形・雛先(女性器)を付けた烏帽子(えぼし=カラス帽子)のルーツの可能性があります。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「55 マザーイネのルーツはパンゲア大陸」「109 日本列島そば好きラインー蕎麦と焼畑」「142 もち食のルーツは西アフリカ」「178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「41 日本語起源論と日本列島人起源説」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」等参照
DNA考古学はこの仮説を裏付けています。ゴリラ・チンパンジー・ボノボが棲む西アフリカにはY染色体E型人が住み、その兄弟DNA族といってもいいY染色体D型人が日本人の4割を占め、ナイジェリアでも3人見つかっており、チベット・ミャンマー高地・アンダマン諸島に多いのです。縄文人の移動ルートは栽培植物のルーツだけでなく、人のDNAからみても重なります。―縄文ノート「178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」等参照
「主語-目的語-動詞」言語族もまたこの移動ルートに分布し、インダス文明を興しながらアーリア人に征服された南インド・ドラヴィダ族のタミル語には、征服者の言語に同化されにくい宗教語と農耕語が日本語の和語と似ているということを国語学者の大野晋さんから教えられました。―「縄文ノート41 日本語起源論と日本列島人起源」等参照
さらに『日本語とタミル語』を読むと「ポンガ」と囃して赤米を炊いてカラスに与えるドラヴィダ族の祭りが長野・新潟・秋田・青森に伝わっていたのです。私が仕事先の群馬県片品村の赤飯を大地に撒く神事もまたドラヴィダ族の神事をルーツとしている可能性があります。―縄文ノート「34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」等参照
私がスサノオ・大国主建国論で明らかにしてきた日本の霊(ひ=祖先霊)信仰もまた、ドラヴィダ族やミャンマー・タイ・雲南などのピー(祖先霊)信仰を引き継いでいる可能性が高いことが明らかとなりました。―『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院)、縄文ノート「15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」「34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)」「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」等参照
以上のような偶然と必然から、私は「縄文文化文明独自発展説」ではなく、「縄文文化文明アフリカ・アジア起源説」に到達しています。
これまで縄文から現代にまで続く性器信仰について、インドやブータンの性器信仰との繋がりなど、次のような検討を行ってきましたが、さらに考察を深めたいと考えます。
<縄文ノート>
9 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に 150630
10 大湯環状列石と三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰 200307
15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰 190129・0307→200411
32 縄文の「女神信仰」考 200730→1224
34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使) 150630→201227
73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき) 210507
94 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論 181204→200204→210907
96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡 210918
100 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松 211003
102 女神調査報告6 北沢川・月夜平大石棒と男根道祖神 211013
104 日本最古の祭祀施設―阿久立石・石列と中ツ原楼観拝殿 211025
1 トルコ「カラハン・テペ遺跡」の2.4メートルほどの朱色男根とペニスを握る巨人
先週、たまたま阿久遺跡についてブログに書く際にトルコのアナトリア地方南東部の12000~8000年前頃の世界最古の神殿「ギョベクリ・テペ遺跡」(世界遺産)を検索していましたら、クーリエ・ジャポン・ウェブ2022年8月21日 に「『男根部屋』の用途は?・・・彼らの宗教は?」という13000〜11000年前頃の「カラハン・テペ遺跡」の記事があり、「自然の岩盤から彫られた高さ2.4メートルほどの硬直した朱色の男根が十数個、青天井の小部屋に押し込められている」というのです。
さらに2023年10月23日のGigazineには、約1万1000年前の高さ2.3mの『ペニスを握る人間の巨大な像』がトルコのカラハン・テペ遺跡で発見されたという記事がありました。
カラハン・テぺ遺跡近くのTas Tepeler」遺跡にも「ペニスを握る人間像」があり、この地のアナトリア文明には男性器崇拝があったことが明らかです。
トルコ首都にあるアナトリア文明博物館には8500年前頃のチャタルホユック遺跡の地母神像が展示されており、メソポタミア文明の影響と思われるライオン像を前に付けた手すりの玉座に座り、豊かな乳房をもち、両足の間には赤ん坊を生み落しています。―https://muse-tsuchity.sakura.ne.jp/anatoria.html
アナトリア文明には地母神信仰があり、メソポタミア文明の影響を受けていたのです。
縄文の石棒と妊娠土偶・女神像がワンセットとなったのと同じような宗教文化がトルコにもあったのです。
3 トルコと日本の神名火山(神那霊山)と黒曜石文化
「縄文ノート61 世界の神山信仰」で書きましたが、トルコと日本は神山天神信仰(神名火山(神那霊山)信仰)や黒曜石文化でも類似点があります。
図4に示すように、西アフリカを出たY染色体D型の縄文人は西に、Y染色体E1a1bのアナトリア人は北に進んでおり、共通の文化を持っていた可能性が高いのです。
4 日本にあった4000年前頃(縄文中期)の「北沢川大石棒」
13000~11000年前頃のカラハン・テぺ遺跡の2.4メートルほどの「10数個の朱色男根」には及びませんが、長野県南佐久郡佐久穂町の4000年前頃(縄文中期)の「北沢川大石棒」は223㎝あり、近くの佐久市の「月夜平大石棒(大宮諏訪神社大石棒)」は152㎝で、どちらも研磨された精緻な磨製石器です。―「縄文ノート102 女神調査報告6 北沢川・月夜平大石棒と男根道祖神」参照
では、縄文中期から全国的に見られる男根型石棒はどの時代に遡るのでしょうか?
ウィキペディアは最古の男根型石製品は千葉県大網白里市の升形遺跡の約24000年前頃(旧石器時代後期)のものとしていますが、ネット検索ではその写真・図を確認できませんでした。また、大分県の岩戸遺跡の28000年前頃の石棒については、報告書は「こけし型」石偶としており、判断が分かれるところです。
2023年1月6日の信濃毎日新聞デジタルなどによれば、佐久市にある旧石器時代の香坂山遺跡で、国内最古の37500~37000年前の長さ3.33㎝の結晶片岩製の石棒(せきぼう)1点が出土したことを明治大黒耀石研究センターの堤隆客員研究員が報告していますが、男根型石棒と言えるかどうかは私には?です。
最古の男根信仰については、さらなる発掘を待ちたいと考えます。
5 縄文石棒の5タイプ
石棒にはその利用場所からみて次の5タイプがあります。
⑴ 共同墓地の円形石組・石棒
大規模共同墓地である大湯環状列石(秋田県鹿角市:縄文後期)や、共同墓地の金生遺跡(山梨県北杜市:縄文後期~晩期)、集落内の緑川東遺跡(東京都国立市:縄文中期末~後期)には円形石組の中に石棒・男根型石棒が立てられて共同祭祀が行われていたと考えられます。―縄文ノート「10 大湯環状列石と三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰」「96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡」等参照
大湯環状列石の「円形石組・石棒」については太陽信仰の日時計説が見られますが、ストーンサークル墓地の中にあり、死者が母なる大地に帰り、黄泉帰るという地母神信仰により女性器(円形石組)に男根を立てたもので、インドのインドや東南アジアで今も行われているリンガ(男根)・ヨニ(女性器)信仰(紀元前4世紀頃からのヒンズー教よりもさらに古い土着宗教)と同じと考えてきました。
しかしながら、大湯環状列石の北東に神名火山(神那霊山)型の黒又山があり、金生遺跡の復元住居の入口が神名火山(神那霊山)型の編笠山(すぐ隣の権現山は元々は檜峰=霊(ひ)の峰)を向いていることや、阿久遺跡の石棒からの石列が蓼科山を向いていることから、死者の霊(ひ)は神山(神名火山=神那霊山)から天に昇り、降りてくるという神山天神信仰があり、石棒は神名火山(神那霊山)への出発点の神代(かみしろ:依り代)であったと考えれらます。
縄文人は地母神・海神信仰であったのか、それとも神山天神信仰であったのについて、最初は縄文人=地母神・海神信仰、大国主の八百万神信仰からが神名火山(神那霊山)信仰と考えていましたが、集石墓や壊して大地に帰す土偶と石棒・神名火山(神那霊山)の関係やエジプト・メソポタミア文明などから、縄文人は魂(霊(ひ))と肉体が分離する「魂魄分離」の宗教思想であり、地母神・海神信仰と神山天神信仰を両立させていたというのが最終結論です。―縄文ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社」等参照
⑵ 山上奉納の男根型石棒
秋田県由利本荘市と山形県真室川町にまたがる山岳信仰の丁岳(ひのとだけ)山頂や、群馬県の金精峠には金精(男性器型石棒)を祀る金精神社があります。―「縄文ノート9 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に」参照
これらの男根型石棒が制作時代は不明ですが、信州の縄文石棒が後の男根道祖神に引き継がれていることからみて、縄文時代に遡る信仰を示す可能性があります。―縄文ノート「100 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松」「102 女神調査報告6 石棒・男根道祖神」参照
群馬県片品村の上小川地区では、金精山の南にある日光白根山(女体山とも呼ばれた)に年末に木の金精(男性性器型)を奉納する男性のみの登拝行事が行われており、針山地区の十二様祭り(十二様は「山の神」の別称で女神)では男が性器型などのツメッコ(小麦粉のすいとん)を作り甘い汁粉に入れて煮て裏山の十二様に供え、帰って食べる行事が続いていますが、十二様が嫉妬するので集落の13歳以上の女性は甘酒小屋に集まり参加できず、金精は男が女神に捧げる宗教行事であることが明らかです。
なお、現在、十二様祭りのツメッコは男女性器型とうんこ型ですが、男だけが女神に奉納する行事であることからみて、元々は男性器型だけであったと考えられます。
⑶ 水辺祭祀の男根型石棒
北沢川大石棒は八ヶ岳からの北沢川の河岸段丘にあり、2020年11月22日に行われた現地説明会では「動植物の豊穣(ほうじょう)と人間のよみがえりを願って、豊かに湧き上がる水辺の近くに建立したもの」(毎日新聞)とされていますが、私は水の恵みを山の神(女神)に感謝した神代(依り代)の石棒であり、焼畑農耕から水辺水田農耕への転換期に位置する神器と考えます。
なお、信州を中心に中部・関東・近畿に広がる「ミシャグジ」信仰は、古木の根元に石棒を祀るのが最も典型的なミシャグジのあり方であることを藤森栄一・今井野菊・宮坂光昭・古部族研究会(野本三吉、北村皆雄、田中基)らが明らかにしていますが、私は「ミシャグチ=御蛇口」であり、縄文時代から続く女神の神山天神信仰が水神信仰となったと考えます。―縄文ノート「98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社」参照
⑷ 広場配置の石棒
確実な縄文時代の石棒では、集団墓地の環状列石の中央部に立石と蓼科山(女神山)を向いた2列の通路状石列を配置した阿久遺跡(長野県原村:縄文前期)と環状集落の広場に立石を立てた平出遺跡(長野県塩尻市:縄文中期)があります。―縄文ノート「23 2020八ヶ岳合宿報告」「96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡」「104 日本最古の祭祀施設―阿久立石・石列と中ツ原楼観拝殿」等参照
阿久遺跡の立石は集団墓地の中心広場に配置され、立石からの通路状石列が蓼科山(ヒジン=霊神を祀る女神山)を向き、その南に隣接する阿久尻遺跡(前期前半)の巨木建築もまた蓼科山を向いていることからみて、その祭祀は女神を迎え死者の霊(ひ)を天に送り、迎える神山(神名火山=神那霊山)天神信仰が行われ、立石はその神代(かみしろ:依り代)であったと考えられます。
平出遺跡の南には神名火山(神那霊山)型の大洞山があり、蓼科山の例からみて、女神を迎えて祭祀を行い、死者の霊(ひ)を山から天に送り、迎える神代(かみしろ:依り代)である立石の周りで祖先霊祭祀が行われたと考えられます。
⑸ 住居内の男根型石棒
屋外での祭祀に使われる石棒とは別に、中ツ原遺跡(長野県茅野市:縄文中期~後期前半)では竪穴式住居内の竃(かまど)の角に石棒が置かれています。―「縄文ノート157 中ツ原遺跡の8本柱巨木拝殿は天狗岳を向いている」参照
また、光明院南遺跡(東京都杉並区:縄文中期~晩期)では祭祀用建物とみられる柄鏡形住居の中から炉石転用石棒、住居壁際石棒、割れた石棒の3本の石棒が発見されています。
「石棒は火と関連する祭祀で用いられた祭祀具」(ウィキペディア)と考えられますが、火を使い竃で料理するのは女性の役割とみられ、火を使った祭祀もまた女性が担っていた可能性が高く、これらの男根型石棒は片品村の金精奉納の祭祀からみて、母系制社会の妻問夫招婚で男性が女性に贈ったものと考えられます。
⑹ 石棒の役割
「縄文ノート102 女神調査報告6 北沢川・月夜平大石棒と男根道祖神」(211013)において、私は石棒の宗教上の役割について、「地母神祭祀石棒、天神祭祀石棒、家族祭祀石棒、水神祭祀石棒」と整理しましたが、山上の石棒や環状集落の広場の石棒について触れていなかったので、追加・修正します。
6 「女神像+石棒」祭祀が示すアナトリア文明と縄文文明
文化財オンラインは石棒について「土偶が女性を象徴する縄文時代の祈りの道具である一方で、男性を象徴する祈りの道具が石棒です。石棒には男性器を写実的に表現したものがあることから、子孫繁栄や豊饒を祈るためのものと考えられています」と解説しています。―https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/441897
この説明だと、石棒は「男性を象徴する祈りの道具」として父系制社会の信仰のシンボルであるかのような印象を受けますが、すでにみたように女神に男性が捧げるものであり、女神を中心とした祖先霊を招く神代(かみしろ:依り代)なのです。
冒頭に戻りますが、トルコの8500年前頃のチャタルホユック遺跡の地母神像から見ても明らかなようにアナトリア文明は母系制社会であり、「カラハン・テペ遺跡」の朱色男根は女神に捧げる神具であり、女神を招く神代(かみしろ:依り代)の可能性が高いと考えます。
旧石器時代のヨーロッパの女性像やエジプト・メソポタミア・ギリシア神話の女神、中国の女偏漢字(始=女+台、姓=女+生、倭=人+禾/女、魏=禾/女+鬼)などからみても、人類は元々は母系制社会であることを明らかにしてきましたが、トルコのアナトリア文明の地母神像と男根崇拝のセットはわが国の縄文社会の「女性土偶+女神像+石棒」と同じ宗教文化を示しています。―縄文ノート「32 縄文の『女神信仰』考」「75 世界のビーナス像と女神像」「86 古代オリンピックとギリシア神話が示す地母神信仰」「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」「175 女偏が示す中国母系制社会」「177 約5000年前のスペイン女王が示すアフリカ・西欧西岸人類拡散説」等参照
7 人類移動と性器信仰(生殖器信仰)
縄文の石棒信仰(性器信仰、生殖器信仰)について、片品村の男性が女神に男根型を捧げる金精信仰と十二様(山の神=女神)祭りから、私は縄文石棒が母系制社会の魂魄分離の神山天神信仰の女神の神代(依り代)であると考えました。―縄文ノート「9 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に」「61 世界の神山信仰」参照
上が白で下が赤いエジプトのギザのピラミッドから、縄文から続く神山天神信仰についてはアフリカの万年雪を抱くルウェンゾリ山やケニヤ山・キリマンジャロ信仰がルーツと考えましたが、性器信仰についてはインダス文明を引き継いだインド・ネパール・東南アジアに見られるリンガ・ヨニ信仰と夜這い・妻問婚が残るブータンの男性器を家に描く風習などが気になっていましたが、縄文と同時代の性器信仰の遺跡は見つけられませんでした。
やっと13000〜11000年前頃のトルコ・アナトリア文明に男根信仰があり、しかも地母神信仰という共通点があることがわかりました。
日本では金精信仰を明治政府が禁止したため各地にあった縄文時代から続く金精信仰を示す男根型石棒・木棒のほとんどは失われ神社信仰としてわずかに残るだけになってしまいましたが、同じようにキリスト教・イスラム教などの影響でアフリカ・アジア各地の新石器時代からの性器信仰の痕跡は隠されてしまった可能性があります。
今後、Y染色体D型人の移動ルートから新たな発見があることを期待したいと思います。
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
ヒナフキンの邪馬台国ノート http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/