ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート92 祖母・母・姉妹の母系制

 『日経サイエンス』はいつも図書館で古いナンバーを借りてざっと見ているのですが、人類進化に祖父母が果たした役割について読んだことがあり、その記憶をたよりにして何度か原稿を書いたのですが、ネットで検索したところ2011年12月号のR. カスパーリ(セントラル・ミシガン大学)氏の「祖父母がもたらした社会の進化」であることがわかりました。

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 今回、再録された別冊日経サイエンス194『化石とゲノムで探る 人類の起源と拡散』を購入して読みました。

 その説明文は次のとおりですが、私のうろ覚えの記憶は間違いではありませんでした。

 ただ、私は祖父母より、祖母・姉妹・従姉妹が「共同体・家族形成」と「農耕開始」には重要な役割を果たしたと考えており、母系制社会論の一環としてまとめました。

 

<『日経サイエンス』2011年12月号の「祖父母がもたらした社会の進化」の紹介文>

 人類文明の進歩では火の利用や文字の発明,農耕の開始などが大きなエポックとなった。実はもう1つ,現在でもあまり知られていない大きなエポックがあった。祖父母の出現だ。普通の動物は次世代を生み育てれば親世代は死ぬ。かつての人類もそうだったが,進化につれて死亡率が低下,寿命が延び,人類社会の中で祖父母集団が存在感を持つようになった。祖父母は自身の子どもが多くの子をもうけられるようにするとともに,孫の生存率を高め,複雑な社会的つながりを強める。文化的知識の伝承の担い手にもなる。欧州では約3万年前,文化様式が劇的に変化し,高度な武器や芸術が登場するが,その背景には祖父母パワーがあったようだ。

 

1.これまでの経過

 『日経サイエンス』の記事をもとに、土器鍋食による長寿化が「祖父母から孫への教育充実」をもたらし、さらに女たちのおしゃべりが乳幼児の脳の発達を急速に促したことを明らかにするとともに、共同体・家族形成を女性が主導したと考えるようになりました。繰り返しが多くて恐縮ですが再掲します。

⑴ 縄文ノート8 『石器―土器―鉄器』時代区分を世界へ

 「私は、栗やドングリ、豆、イモなどの種実類やイネ科やマメ科の穀類(米・麦・アワ・ヒエ・キビ・トウモロコシ・大豆・小豆)などの栽培こそが、頭を使い、年間を通した安定した食料の確保により『思考・情報・文化伝達時間』の増大と長寿化による『祖父母から孫への教育充実』をもたらし、人の頭脳の巨大化を実現したと考える。」

⑵ 縄文ノート12 琉球から土器(縄文)時代を考える

 「芋・雑穀・野菜・魚介類・肉の『土器鍋煮炊き食文化』は、栄養豊富なバランス食であり、安定した通年の食料確保を可能とし、食中毒や生活習慣病のない健康な食生活が実現できました。その結果、長寿化によって祖父母から孫世代への教育・技術・文化・芸術の継承を可能にしました。

 この『祖父母→孫教育体制』は、忙しい「父母→子教育体制」よりも優位性があり、世界史でもまれな1万年の豊かで平和な『土器時代』が可能となったと考えます。あの火炎式などの芸術性の高い縄文土器は、この教育システムと豊かな生産力による分業体制がないと難しいのではないでしょうか?」

⑶ 縄文ノート13 妻問夫招婚の母系制社会1万年

 「土器鍋の発明により、早期に芋・豆・雑穀・堅果や野菜、茸、魚介や肉などの豊富で健康的な食生活を確保でき、活発な知的活動を促すとともに、多産による交流・交易・通婚圏の拡大、長寿化による祖父母から孫への教育の充実などが活発な文化交流、吸収・発展を実現し、共通の土器(縄文)社会を作ったと考えられます。」

⑷ 縄文ノート21 八ヶ岳縄文遺跡見学メモ191030・31

 「縄文人の産業・生活・文化(宗教)がどう現代とつながっているのか、という問題意識での展示が必要と感じます。例えば、『肉食が脳の巨大化をもたらした』『私有財産の集中による国家形成が文明を発展させた』『戦争が人類を発展させた』という文明観に対し、『糖質が脳の活動を促した』『文化の伝承が人類を発展させた』『長寿化による祖父母から孫への教育が人類を発展させた』『交易・交流と分業が文明を発展させた』という文明観との間で論争が行われていますが、その論争に問題提起するような役割が期待されます。」

⑸ 縄文ノート25 「人類の旅」と「縄文農耕」、「3大穀物単一起源説」

 「肉食の弊害(アンモニア処理の肝臓・腎臓への負担、尿酸の蓄積、血液酸性化による骨からのカルシウム溶解、カルシウムのリンの置き換え、焼き焦げによるがんの発症)を考えると、魚食と穀物・豆・ナッツ・野菜を組み合わせたバランス食による健康長寿化により、祖父母から孫への教育・文化継承が可能となり、縄文土器のような高度な芸術・文化を生み出した可能性が高いと考えます。」

⑹ 縄文ノート88 子ザルからのヒト進化説

 「私の両祖父母の家、私の家、小学校時代をみても、家族同士・友達同士で話すことについては女性が中心であったとしか思い出せません。『おしゃべり男』と言えるような同級生・友人・知人は少数ですが、父から『口から先に生まれた』と言われ続けた叔母など、思い当たる女性はたくさんいます。

 男女の会話量と内容についての統計は見たことがありませんが、経験的にいえば『言語能力は女性と子どもが発達させた』という進化法則は間違いないように思います。」

 「レッドテイルモンキーとブルーモンキーの助けあいは後の人類の氏族・部族社会の共同体成立や、コロブスのメスザル同士の助け合いは人類の母系制社会の共同体成立の手掛かりになるものと考えます。なおコロブスのメスたちが血縁でないのか、それとも祖母や姉妹などの血縁関係があるのかどうかはわかりませんでした。」

⑺ 縄文ノート89 1段階進化説から3段階進化説へ

メス集団で子育てを支援することにより、多くの刺激を受けた乳幼児・子ザルは急速に知能を発展させた。」

 「このような環境のもとで、共同体・家族社会の成立はボノボのようにメスたちの子育ての助け合いと子ザルたちの遊びから生まれ、発情期だけでなくセックスをすることにより、メスザルはオスザルに子育て中の食料確保に協力させるとともに、用心棒としたと考えられます。」

 

2.私の経験から

 サル・類人猿と世界の採集・漁撈・狩猟民の生活から人類誕生の頃を推定する方法が一般的ですが、外敵の侵略を受けることのなかった島国のわが国では、世界でも珍しく古くからの言語・民俗・文化・宗教がそのまま残されるとともに、紀元8世紀の古事記日本書紀風土記万葉集などには紀元1世紀頃からの歴史が神話として伝承されています。

 「チンパンジーボノボ・ゴリラに学ぶ」というアプローチと同時に、日本に普通に残っている言語・民俗・文化・宗教からのアプローチを突き合わせて検討すべきなのです。

 例えば、現代でも出産時には里帰りしたり母親が応援にくることは多く、私の2人の娘や3人の孫娘は赤ちゃんをすぐに抱きたがります。幼い孫娘が赤ちゃんを抱き抱えるので、ヒヤヒヤしたことがよくありましたが、私や息子、孫息子は小さいときに赤ちゃんを積極的に抱いたことはないと思います。

 この例をみても、出産や子育てにおいて、祖母や姉妹、従姉妹が助け合い、さらに他の女性も助け合うということが、共同体や家族形成の原点であったのではないか、ということはサルやボノボから連続しているのです。

 さらに、私の生き方で言えば、「殺生するな」「世のため人のため」など一番大きな影響を与えたのは母方の祖母(祖父は早世)でした。小学生になる前から、一人で岡山市(JR吉備線大安寺駅)からたつの市(JR竜野駅)まで祖母の家によく遊びに行っていましたから(運賃は無料で、小学生になって残念と思っていました)、忙しい父母よりもいろんな話をよく聞いていたように思います。

 熱心な浄土真宗の信者であり、お盆に墓参りに連れて行かれ、帰りに村の加茂神社に詣り、さらに山道を歩いて祖母の先祖が立てた別の集落の賀茂神社に連れて行かれ、疲れて手を引かれた帰り道に「いったいご先祖はどこにいるんや」と怒って聞いて祖母がうろたえたことや、生類の生まれ変わり(悪いことをしたら虫に生まれ変わるなど)、極楽や地獄などの話や明治の鉄道開通の話など記憶に残っており、とくに古代からの日本人の宗教について関心があるのは祖母の影響です。

 父方でも祖父は無口で威厳を保っていて苦手で、祖母が話し相手でしたが、特に頭脳が急速に発達する1~3歳には相手をしてくれる母親や祖母、叔母の影響は大きいと考えます。

 私は今さら大家族制がいいとか3世代同居がいいなどとは考えませんが、「三つ子の魂」の形成期には多くの人たちとの豊かな会話と体験が必要であり、それこそが人類誕生の大きな要因であったと考えています。

 

3.「祖父母がもたらした社会の進化」(日経サイエンス2011年12月号)

 セントラル・ミシガン大学の人類学者レイチェル・カスパーリさんの「祖父母がもたらした社会の進化」でも、彼女は6歳の時に母方の祖母と祖父母から先祖の体験を聞いた話から始め、「世界中、どこでも、年配者は人間社会において重要な役目を果たしている。彼らは自身の子どもの家族や親類に知恵を伝え、社会的・経済的に支える」として、それが人類の誕生の時期と一致するとしています。

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 ネアンデルタール人などは15歳ころに成人となり、祖父母となる年齢の30歳より前にほとんどが死んでいるのに対し、後期旧石器時代の3~2万年前頃にヨーロッパにいた現生人類は若年成人10人に対し、20人の祖父母層がいたのです。

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 そして、温暖な西アジアネアンデルタール人の寿命は寒冷なヨーロッパのネアンデルタール人と現生人類の中間に位置するとしています。温暖で食料が豊富な地域の方が長生きだったのは当然といえます。

 「シンボル使用爆発的増加や道具製作での珍しい材料の利用など、後期旧石器時代の顕著な特徴は、集団の人口が膨れ上がった結果のように思える。人口増はこのほか、進化を加速させるという別の側面からも私たちの祖先に影響を与えただろう」というように、教育的・文化的な影響とともに人口増が遺伝子変異を増やし、有用な変異を残したのです。

 大学生時代から、物知りの年長の同級生や仲間に対して「長老」と呼んでいましたが、文字情報やデジタル情報の乏しい時代には、年長者の知識が貴重だったのあり、それは人類誕生の頃にはさらに大きかったことは間違いありません。叔父・叔母たちは祖父・祖母の知識を頼りにしていました。

 なお、レイチェル・カスパーリ氏は「祖父母」とひとくくりにしていますが、彼女自身が「祖母・曾祖母」から話を聞いたように、私は人類誕生の知能の発達や共同体・家族形成には祖母や姉妹・従姉妹の役割が大きかったと考えています。

 狩猟や漁撈・航海、戦いで死んだり傷ついたりするリスクのある男性と較べて、安全で安定した芋豆栗穀類や貝・カニ,爬虫類・昆虫などの採集生活の女性の方が長寿であった可能性が高く、図の若年層と祖父母層の比率については、男女別の分析が必要と考えます。

 そして日本の場合、青森県の大平山元I遺跡から出土した煮炊き痕のある16,500年前の土器からみて、長寿化には健康で豊かな土器鍋食文化の誕生が大きな役割を果たしたと考えられ、ヨーロッパ中心史観の見直しが必要と考えます。

 

4.男は家を出て一人前になった

 記紀によれば、海人族のイヤナギ(伊邪那岐・伊耶那岐:通説はイザナギ)やスサノオ大国主が各地で夜這い=妻問してもうけた御子たちは母方で育てられ、成人すると父のもとで交易に従事したとされ、そのような妻問婚の形態は天皇家にも引き継がれています。

 「縄文ノート91 台湾・卑南族と夜這い・妻問夫招婚の『縄文1万年』」では卑南族は「祖霊部屋(巫師部屋)、少年会所、青年(男子)会所」がもうけられ「頭目制度と男子会所による年齢階級組織が混在した母系社会」とされていますが、わが国も明治までは集落で「青年宿、若衆宿、若者宿など」が設けられ、年長者がリーダーとなり、後輩たちに指導を行い、村内の警備や作業、祭礼を担い、飲酒・喫煙や恋愛、結婚などの生活指導を行い、リーダーが夜這い指示することもあったとされています(以上:ウィキペディア)。

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 このような風習は、女が家を出るという家族形態の前に、男が家を出るという家族形態があり、それが残っているとしか思えません。

 私の子どもの頃でも岡山市の外れの農村地域や母の実家でも「青年団」組織がまだ活発に活動しており、母方の叔父が相方の肩に乗って立ち上がり獅子舞を踊るのをかっこいいと見ていたことを思い出します。

 稲作開始により農業が男中心となり、農地継承と年貢確保から男系社会に移行する一方で、「男は漁や交易、女は家を守る」という海人族の母系制の伝統もまた根強く残ったと私は考えています。婚礼などでの多くの客の御膳料理を作る時、一族や近所の女性たち十数人にテキパキと指示し、全ての料理の味見を頼まれていた祖母の頼もしい姿は母系制社会を彷彿とさせます。

 

5.採集・漁撈の女性・子どもによる共同体・家族形成と農耕開始

 「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」において、『アフリカを歩く』(実に面白い素晴らしい本です)で古市剛史氏が「男の仕事は『本当の食べもの』を取ってくることだなんていって、ときどきは槍やら網やらをもって森に狩りにでかけていくけど、獲物をもって帰ってくることなどほとんどない。夫が最後に小さなダイカーをおおいばりでもって帰ってきたのは、もう二カ月も前のことだ」という元気な女性の話を紹介しましたが、毎日の食料確保は女性が担っていたのです。

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 後輩に薦められた長谷川真理子氏(執筆時:専修大助教授)の『オスとメス=性の不思議』では、「狩猟という仕事はきわめて予測性が低いので、男性が食物を持って帰ってくるかどうかは、あてになりません。ティウィの人々の生活は、基本的に、女性たちが毎日確実に集めてくる植物食でまかなわれます。そんな生活ですから、当然、母親を中心とする家の女性ネットワーク、かなり重要な存在となります。・・・女性にとって一番重要なのは夫の助力ではなくて、自分の出自の家族の女性たちの助力になります」と採集社会における女性の共同性を強調していますが、危険な海に出る海人族や戦を仕事とする武士もまた同じような伝統を受け継いできたと考えます。

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 なお、長谷川真理子氏の論で欠けているのは、「漁撈」と「爬虫類・昆虫食」、「子どもの役割」がないことです。

 『アフリカを歩く』の中で武田淳氏(執筆時:佐賀大教授)は「森の生活をもっとも安定させてきたのは、コンゴ盆地のなかを毛細血管状に発達した大小の河川で捕れる魚類なのである。とくに女性と子どもたちが日常的に従事するプハンセ(注:搔い出し漁)を通して供給される動物性たんぱく源の安定した補給が大きく寄与している言える。もっともシンプルであるが、捕獲がゼロということはありえない、もっとも確実な漁法であるからである。・・・(3~4月)種類数も29種ともっとも多くなる。水生のヘビ類やワニの捕獲がこの時期に多いのも、その活動が活発になることを裏付けるものである。一方、女性や子どもたちが食用幼虫類の採集に集中する8~9月は、魚の摂取頻度が12種ともっとも少なく、3~4月の半分以下になる」と紹介していますが、女性たちは子どもとともに、植物食だけでなく、魚介類・爬虫類・昆虫を安定的に実現していたのです。

 「縄文88 子ザルからのヒト進化」で書きましたが、子どもたちが魚とりや貝掘り、昆虫採集が大好きなのは、類人猿の頃からの本能といえます。また「瀬戸内海のいろんな島でも仕事をしましたが、夕方には主婦や子どもがバケツと釣り棹を持って堤防に行き、夜のおかずを釣っていたのを見ることができました」などと紹介しましたが、プロの知恵が必要な狩猟や船を使っての漁と較べると、海岸での漁撈は安全で、安定した食料確保ができるのです。

 さらに、田舎では生ごみを捨てたところにカボチャやウリ、スイカなどが生えるのをよく見かけましたが、私のマンションでも次男がプランターに植えたブドウが育ち、戸建てに転居してからは1・2階のパーゴラはブドウ棚のグリーンカーテンになり、多くの収穫もありますが、このような例をみても、女性・子どもの採集活動が農耕に繋がったことは確実と考えます。「縄文ノート90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」でみたように、女性が「地母神」「大地神」「豊穣神」「穀物神」とされているのは、農耕開始が女性であったことを示しています。

 畜産・放牧・軍事民族の西欧中心史観の翻訳・輸入業者ではない、日本・アフリカ・アジアの歴史・民俗・文化・宗教からの人類誕生史の解明が求められます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/