ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート40(Ⅲ-10) 信州の神名火山(神那霊山)と霊(ひ)信仰

 「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)について」「縄文ノート35 蓼科山を神那霊山(神奈火山)とする天神信仰について」の続きで、信州に縄文時代から続く霊(ひ)信仰、天神信仰、神名火山(神那霊山)・山神・女神山信仰の伝統が色濃く残っていることを明らかにしました。

 2009年に『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』を出したころ、全国の「飯の山=むすび山=ひな山」を調査されたイワクラ(磐座)学会の岩田朱美さんにお会いする機会があり、半村良氏の『産霊山(むすびのやま)秘録』を勧められました。

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 この半村氏の小説は、どうやら柳田國男実弟言語学者の松岡静雄の「ヒ族」説にヒントをえたようで、明智光秀や猿飛佐助、坂本龍馬らが「ひ一族」であるという『伝奇ロマン』はたいへん面白いのですが、当時、超忙しかった私は読めていませんでした。

 今回、気になって取り出してみたところ、「ひ一族」がテレポートする産霊山(むすひやま)として、比叡山(日枝山)、二荒山(日光)、四阿山(あずまやさん)などが登場し、地底の国に迷いこみ、蛇(龍)となり諏訪の神になったという「甲賀三郎伝説」なども出てきます。あとがきには「・・・『石の血脈』。これに『伝奇ロマン』という名称を冠した当時の『SFマガジン』編集長・森優(=南山宏)も炯眼だったと言うべき」と書かれていましたが、なんと森氏の御子息とは梁山泊という会でご一緒させていただいており、不思議な縁にびっくりです。

 なおイワクラ(磐座)学会会長の渡辺豊和氏(元京都造形芸術大学教授)はポストモダン龍神村民体育館の設計で日本建築学会賞作品賞を受賞していて「龍」と縁があり、私が大学院生の頃、大阪の都市問題経営研究所でアルバイトをしていた時、ねじり鉢巻きで製図板に向かって設計されていたのが印象的でした。

 縄文社会研究会を主催された上田篤元阪大教授や尾島俊雄元早大教授をはじめ、古代史に関心を持つ建築・建設関係者が多いのは実に面白い現象です。考古学・歴史学の専門家の皆さんにはご迷惑な「雑音」かもしれませんが・・・ 2110110 雛元昌弘

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

    Ⅲ-10 信州の神名火山(神那霊山)と霊(ひ)信仰

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1.「蓼科山神那霊山」説の補強へ

 「縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰について」「縄文ノート33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「縄文ノート32 縄文の『女神信仰』」考」において、私は阿久遺跡の石列と中ツ原遺跡の8本柱建物が蓼科山を向いていることや「仮面の女神」から、縄文人蓼科山を神名火山(神那霊山)として信仰する天神信仰であった、という説を立てました。

 

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 その後、日本語起源説(縄文ノート41   日本語起源論と日本列島人起源)とDNA分析による日本列島人起源論(縄文ノート43 DNA分析からの日本列島人起源論)の検討から、日本列島人ドラヴィダ系海人・山人族起源説にたどりつき、さらに「縄文ノート44 縄文人の山岳地域移住の理由」などから山神信仰や黒曜石利用がドラヴィダ系海人・山人族に由来すると考えるようになりました。

 さらに「縄文ノート38 『霊(ひ)』とタミル語pee(ぴー)とタイのピー信仰」「縄文ノート39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体」において、スサノオ大国主一族の「蛇神信仰」「神那霊山信仰」が諏訪の「ミシャクジ信仰(蛇神信仰)・山神信仰・天神信仰・神籬(霊洩木)信仰」に繋がり、そのルーツがドラヴィダ系海人・山人族の「ピー=ヒー」信仰に遡ることを明らかにしました。

 信州に、縄文時代スサノオ大国主時代の「神那霊山信仰(山神・天神信仰)」を伝える証拠がないか、さらに調査を進めたいと思います。

 

2.蓼科山は「女ノ神山」

 縄文ノート34では、「神代の頃、諏訪に建御名方神が入ってくると、武居夷(たけいひな)建御名方神に諏訪の国を譲り、自らは蓼科山の上に登ったという」とされ、「蓼科山にはビジンサマという名のものが住んでいるという伝承がある」ことを紹介し、この地は「居夷神(いひな神=委の日名王)」の支配地であり、死後「ビジン=霊人」という山神の住む山として信仰されていたことを明らかにしました。

 

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 さらに『ヤマケイオンライン』によると、「蓼科山は、コニーデ型の山容をした信州きっての名山のひとつで、諏訪富士とも呼ばれている。また、高井山、飯盛山(いいもりやま)、黒斑山、女ノ神山などの別称もある。山頂は岩石累々とした偏平な噴火口跡で、中央に蓼科神社奥宮の石祠がある」とされており、まず「女ノ神山」とされていることに注目したいと思います。

 また山頂の蓼科神社奥宮の石祠には、「高皇産霊(たかみむすひ)神・倉稲魂(うかのみたま)神・木花佐久夜毘売(このはなをさくやひめ)」が祀られていますが、倉稲魂はスサノオの娘であり、瀬戸内海の大三島の大山祇(おおやまづみ:代々襲名)の子の木花佐久夜毘売播磨国風土記によれば大国主の妻であり、いずれも女性神です。

 

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 蓼科神社奥宮は男性神・高皇産霊を主祭神としていますが、本来は女性神である妻の神皇産霊(かみむすひ)を祀っていたものを皇国史観に合わせて男性神に置き換えたものと考えます。

 群馬県片品村の女体山(日光白根山)への金精(男性性器型)の奉納、男が性器型などのツメッコを十二様(山一切の神)に奉納する祭りを男性だけで行うのは女神である「山の神」が女性を嫉妬するからとされていることからみると、蓼科山の別名「女ノ神山」は女神である居夷神(いひな神)・ビジン」を祀っていたこと、一般的に妻を「山の神」と言っていたことからみても、蓼科神社の祭神が女性神であることは明らかです。

 吉田金彦元大阪外大教授の「信濃=ひな野」説、松岡静雄(柳田圀男の実弟、海軍大佐)の「ヒナ=シナ」説によれば、「たてしな=たてひな」であり、ひな(いひな、びなじん)神を祀る山名であることが明らかです。万葉集で「鄙(夷:ひな)離(ざか)る」は「しなざかる越」とも書かれ、私が住んでいた岡山・姫路・京都(京ことば)・大阪では「7」は「ひち」、「質」は「しち」であり、信濃は古くは「ひなの」であり、片品は「かたひな」であり、同じ母系制社会の女神信仰の宗教圏であったことが明らかです。

 その起源が縄文時代に遡ることは、中ツ原遺跡の8本柱建物のそばに埋められた「仮面の女神」像や棚畑遺跡の「縄文のビーナス」像、土偶が妊娠女性像であることなどから明らかです。

 

3.蓼科山は「飯盛山」=「い霊洩山」

 次に重要なのは「飯盛山」という別称です。

 『イワクラー古代巨石文明の謎に迫る』(2008年)の「Ⅳ「飯の山」の秘密 岩田朱美」によれば、昭和20年代までの本では「いひもりやま」とフリガナが付けられていたとされており、昭和4年の松岡静雄著の『日本古語大辞典』は「イヒ」の「イ」は接頭語であり「キ族、アマ族より前に渡来したヒ族」説をとなえています。

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 また「コトバンク」では「いいもりやま、いひもりやま」の読みが紹介され、goo国語辞典は「飯田」を「いいだ(いひだ)」としています。私は子どもの頃「アカヒ アカヒ アサヒハアカヒ」で、なぜ「アカヒ」を「あかい」と読むのかどうしても理解できなくて父に質問したところ、「昔はそう書いたんだ」という説明に納得できなかった記憶があります。

 イワクラ(磐座)学会のレイ・ライン研究家の岩田さんは「日守・灯守」に「い」が付いたという説ですが、「神籬(ひもろぎ=霊洩木)」からみて、「いひもり山」=「い霊洩山」であり、居夷神(いひな神)・びじん(霊人)の霊(ひ)が降り立つ神那霊山であり、古くは「たてひな山」と称し、後に大和朝廷の支配に入り、スサノオ大国主一族の痕跡を消して「蓼科山」の漢字に変えたと考えます。

 なお、松岡静雄著の『日本古語大辞典』は「イヒ」の「イ」は接頭語という説ですが、「漢委奴国王」の金印からみて、スサノオ大国主の国名は「いな国=ひな国」であり、「委=倭(い、ひ)」は国名を表し「委の霊洩山(ひもりやま)」であったと考えます。「委」を漢字分解すると「禾(稲)+女」であり、稲を女性が神(霊)に奉げる国名を表しており、各地に女王がいた母系制社会であったわが国にふさわしい国名と考えます。また、邪馬壹国において、各国の副官「卑奴守離(ひなもり)」は「ひな国」直属の官僚と考えられます。

 

4.信州の神那霊山

 出雲には4つの神名火山(神那霊山)があり、美和(三輪)にはスサノオ大国主・少彦名を祀る三諸山(みもろやま:蛇洩山)があり、播磨富士と呼ばれる高砂市の高御位山(天皇家即位式の高御座と同じ名称)には大国主・少彦名の建国伝承が残り、その南には「石の宝殿」(伊保山にあり、続く竜山は天皇家の棺に使われる竜山石の産地)が、北東の加古川市神来町の飯盛山の麓の天下原(あまがはら)には古墳群がみられるなど、スサノオ大国主の拠点には各地に甘南備山や飯盛山が見られます。

 神奈備山・神名火山・甘南備山は私が万葉集でカウントできただけでも奈良県三輪山をはじめ7か所、神南備神社・寺は9か所にあります。岩田朱美氏によると飯盛山は百か所以上、飯森山・飯豊山飯野山飯綱山・飯塚・飯山を加えると3百か所を下らないとしています。

 ウィキペディア等によれば、長野県には蓼科山の他に次のような神名火山(神那霊山)が見られます。

⑴ 諏訪市伊那市の境の守屋山

 伝承によると旧名を「森山(もりやま)」とされ、「洩り山」であった可能性が高いと考えます。かつては守屋山の西側に住む人たちは旧6月朔日に祠を拝した後に山上の磐座(いわくら)を7回まわって諏訪上社へ参拝する行事を「御七堂」と呼び、守屋山の神が怒ると雨をもたらすと信じられ、過去には干天が続くと雨乞いとして山頂の祠を谷底に突き落とす習慣があったとされています。

 諏訪上社(建御名方神)の神体山とされていますが、元々は洩矢氏の神那霊山であったと考えられます。

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⑵ 上田市嬬恋村の境の四阿山(あずまやさん) 

 四阿山(あずまやさん)は標高2,354mで浅間山に続く高さで、日本百名山の一つに数えられ、吾妻山・吾嬬山(あがつまやま)などとも呼ばれ、「妻」「嬬」と女性神らしい漢字が使われています。「嬬」は「女+雨+而」で雨乞いする巫女を表しており、この山が雨を降らせる女神の山として信仰されていたことを示しています。

 

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 山頂には延喜式神名帳に収載された山家神社の奥社があり、大国主を祀って旧山家郷の産土神としたもので、景行天皇の時に日本武尊を合祀したとされています。

 上田盆地の神川(かんかわ)の源流域の「水分神(みくまりのかみ)」とされて信仰を集め、「山家神社、今在四阿山上、即古山家郷之地、郷名今存干真田村、其地又有一祠、日山家社、蓋後世所分祠也」とされていることからみると、「日山=霊山」として信仰されていた神那霊山であったと思われます。

 

⑶ 信濃町黒姫山 

 黒姫山信濃富士とも呼ばれ、古くから信仰の対象とされ、岩倉池の龍蛇(黒龍)が高梨家の黒姫に求婚したが、断られて怒った大蛇が水害をもたらしたという『黒姫伝説』があります。

 

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 ここには雨をもたらす龍蛇神信仰と、水害に対して黒姫が対抗し、あるいは竜蛇と黒姫山に住むなど様々なバリエーションがあり、山を雨を降らせる女性神とする信仰が見られますが、『黒姫伝説』より古い時代の伝承は不明です。

 

⑷ 南牧村の飯盛(めしもり)山 

 長野県南牧村の矢出川旧石器遺跡(781点の細石刃石核、2000点以上の細石刃)の南には飯盛(めしもり)山がありますが、神那霊山信仰を伺わせる神社など麓には見られません。

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⑸ 山ノ内町にある飯盛山

 高井富士(たかいふじ)とも呼ばれる高社山(こうしゃさん、たかやしろやま)に付随した溶岩ドームとして、三ッ子山と飯盛山があります。「地域的に昔は十三仏信仰が篤かったらしく、飯縄山をはじめ戸隠連峰や高社山も登山道に十三仏が祀られています」(ヤマメディア「十三仏を祀る信仰の登山道『高社山』」とされていますが、仏教以前の古い伝承は不明です。

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⑹ 大桑村南木曽町の境の飯盛山、栄村にある飯盛山

  詳細は不明です。

 

⑺ まとめ

 信州の「天神・山神(お山)信仰」の神那霊山としてネット検索で確認できたのは、蓼科山、守屋山、黒姫山の3山で、今のところ、伝承からスサノオ大国主時代に遡るのは守屋山、考古学から縄文時代に遡れるのは蓼科山、中・近世らしい龍蛇神信仰は黒姫山です。

 さらに縄文遺跡、特に石棒のある地域の神那霊山型の山と神社祭神、祭りや伝承、とくに金精信仰などのワンセットについての探究が求められます。

 

5.「霊(ひ)信仰」「pee(ピー)信仰」と松岡静雄氏の「ヒ・ヒイ・イヒ・ヒナ族説」

 言語学者民族学者の松岡静雄(1878~1936年)が「ヒ・ヒイ・イヒ・ヒナ」について次のように書いていることを、私は『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』を書いた時には知らず、ネットを通して知り合ったイワクラ(磐座)学会の岩田さんから『イワクラー古代巨石文明の謎に迫る』をいただいて始めて知りましたが、その内容は次のとおりです。

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①「上代ヒという種族が存したらしい。・・・韻を伸ばしてヒイとし、若しくは接頭語イを冠してイヒとして地名、神名等に残る」

②「ヒ族=イヒ族であり、ヒナは彼らの居住地である」「イヒ川、イヒ田、イヒ森など、イヒと言う地名が諸国に存在する」「イヒ=ヒナであり・・・兵庫県の揖保、またはイピ、イビと発音される地名(揖斐、伊尾、伊美)などの語源も同様にイヒ族が関連している」「この種族がヒナともヒダとも呼ばれ、或いはシナ、シダと称へられ、エミシ、エビス、エゾとして知られ、此の国の至所に蕃息して居たことは考古学上今では殆ど疑いない」「揖保(いひほ):播磨国の地名・・・イヒホ川(又はヒの川)の上流に讃岐のイヒ神の配偶と称する神が住んでいたイヒモリという地名がある」(雛元注:粒山(いひぼやま)、粒丘(いひぼおか)もある)

③「ヒ族は先住民コシ族侵略して北陸へ移動させたが、後からきたアマ族(出雲系)に制圧されて同化した」

④「彼らの居住地は肥の国と呼ばれた。ヒラ、ヒナ、ヒダ、シダ、シナと発音する地名(飛騨・志田・日南・日浦・日高・常陸信濃など)は、このヒ族の居住地である」

 

 私は怨霊史観は「霊(ひ)」信仰があって成立するという表裏一体の考えのもとに、「霊継(ひつぎ)法則」から大国主の国譲りは「国津神天津神アマテラスへの権力移譲」ではなく「大国主の御子たちの後継者争い」と考えるなど、スサノオ大国主建国説から「委奴国王」=「いな国=ひな国」説を考えていたのですが、松岡静雄氏は国名や地名をもとに鋭い直感で「ヒ・ヒイ・イヒ・ヒナ族説」を考えていたのでした。私は宗教として「霊(ひ)信仰」を考えたのに対し、松岡氏は日本民族形成論として「ヒ族」を想定したという大きな違いがありますが、「ヒ・ヒイ・イヒ・ヒナ」地名や魏書東夷伝倭人条の「卑奴母離(ひなもり)」に注目した点は同じ地平にあります。

 しかしながら松岡氏が「天離(あまざか)る鄙(ひな)」「鄙(ひな)ざかる越」について、「ヒ族は先住民コシ族侵略して北陸へ移動させたが、後からきたアマ族(出雲系)に制圧されて同化した」としましたが、私は古田武彦氏の「天」は壱岐対馬を中心とした玄界灘地域、「ひな」は出雲、「越」は越前・越後であり、対馬暖流にそった位置関係を示していると考えます。

 「ドラヴィダ系海人(あま)・山人(やまと)族起源論」に到達した現在、私は死者の「霊(ひ)」が肉体から離れ、山から天に昇り、帰ってくるという「山神・天神信仰」はドラヴィダ山人族の「ピー」信仰をルーツとし、その痕跡が「ヒ・ヒイ・イヒ・ヒナ」地名・神名として各地に残っていると考えており、松岡説とは異なり、旧石器人・縄文人からスサノオ大国主建国にいたる過程で「霊(ひ)」信仰は継承され、それらの地名・神名が付けられ、残ったと考えています。

 

◇参考◇

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート   https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ      http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論         http://hinakoku.blog100.fc2.com/