ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート128 チベットの「ピャー」信仰

 何度か紹介しましたが、私は墓に「日向」と書いて「ひな」と読んでいた先祖から「ひな」の研究に入り、「ひ」が「日」ではなく「霊」であり、「ひな=日向=霊那」であるという思いがけない結論にたどり着き、「霊(ひ)=祖先霊」信仰こそが日本人の根本宗教であるとの結論に達しました。そしてスサノオ大国主建国論に進み、『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』をまとめました。

 さらに「筑紫日向橘小門阿波岐原」にあったと記紀に書かれたアマテル(天照)大御神の「高天原」が旧甘木市の蜷城(ひなしろ=日向城)の背後の高台であり、邪馬壹国の卑弥呼の宮殿があった場所であると結論に達し、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)をまとめています。

 神々を産んだ始祖神の「むすひ=産日(古事記)=産霊(日本書紀)」夫婦、「人・彦・姫・聖・卑弥呼・日嗣‣棺・神籬(ひもろぎ)・神名火山(かんなびやま)」は「霊人・霊子・霊女・霊知・霊巫女・霊継・霊洩木・神那霊山」、出雲では妊娠を「霊がとどまらしゃった」ということ、「ぴー=ひ(沖縄)=ひな(天草)」が女性器名であること、霊(ひ)信仰のルーツが南インドのドラヴィダ語(タミル語)の「pee(自然力・神々しさ)」や雲南省ロロ族の「ピー・モ」(巫師)、タイ農耕民の「ピー(先祖、守護神)」信仰にあることなど明らかにしてきました。

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 今回、さらに日本人に多いY染色体D型が見られるチベット族が「ピャー族=神族」をルーツとしているということを『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』(護雅夫・岡田英弘編)の山口瑞鳳東大名誉教授(当時)の論文で見つけましたので、紹介しておきたいと思います。

 またまたユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』論は先送りになりました。

 

1.これまでの分析

 内容はいちいち要約しませんが、これまでこのブログでは次のような分析を行ってきており、主なものをリストしました。( )内が「縄文ノート」のブログ番号です。

 

Ⅱ 縄文生活・社会論

 Ⅱ-4(28) ドラヴィダ系海人・山人族による日本列島稲作起源説 201119→1217

 Ⅱ-9(13,91) 台湾・卑南族と夜這い・妻問夫招婚の「縄文1万年」181201→190308→210824

 Ⅱ-11(108) 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説 211116

 Ⅱ-12(109) 日本列島そば好きラインー蕎麦と焼畑 211121

Ⅲ 縄文宗教論

 1 霊(ひ)信仰

  Ⅲ1-2(10) 大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰 200307

  Ⅲ1-3(34) 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)150630→201227

  Ⅲ1-4(15) 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰190129→200411

  Ⅲ1-7(37) 「神」についての考察 200913→210105

  Ⅲ1-8(38) 「霊(ひ)」とタミル語peeとタイのピー信仰 201026→210108

  Ⅲ1-9(74) 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰  210518

 2 女神・地母神信仰

  Ⅲ2-2(73) 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき) 210510

  Ⅲ2-6(99) 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡 210930

  Ⅲ2-9(102) 女神調査報告6 石棒・男根道祖神 211213

 3 天神信仰

  Ⅲ3-1(33) 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200801→1226

  Ⅲ3-5(40) 信州の神名火山(神那霊山)と「霊(ひ)」信仰 201029→210110

Ⅵ 縄文文明論

 Ⅵ-2(9) 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産

 Ⅵ-8(49) 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして150923→210230 

Ⅷ 世界文明論 

 Ⅷ-6(56) ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ 210213

 Ⅷ-7(57) 4大文明論と神山信仰 210219

 Ⅷ-8(61) 世界の神山信仰 210312

 Ⅷ-9(75) 世界のビーナス像と女神像  210524 

 

2 チベット人のDNA

 日本人に多いY染色体D2型はチベットに多く、特にアイヌに多いことからバイカル湖などシベリア経由で日本列島にたどり着いたという説がこれまでの通説です。

 

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 しかしながら、ミャンマー沖のインド領・アンダマン諸島にもD2型が見られること、日本語が「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語」の3重構造であり、特に宗教語と農耕語の倭音倭語がドラヴィダ語(タミル語)に似ていること、イモ食・ソバ食・モチイネ食などが東南アジア山岳地帯をルーツとすること、南方系のヒョウタンが若狭の鳥浜跡や青森の三内丸山の縄文遺跡で見つかっていることなどから、Y染色体D系統の日本列島人は「海の道」とシベリアの「マンモスの道」の2ルートからやってきたと私は考えています。

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 さらに7~4万年前にY染色体D型と分かれたE型がアフリカ西海岸のニジェール川コンゴ川流域に多く、ヒョウタンの原産地がニジェール川流域であり、河口部のナイジェリアにY染色体D型が少し見られることからみて、Y染色体D型人はこの地をルーツとしてコンゴ川を遡って高地湖水地方に移住して万年雪の神山天神信仰を確立し、漁撈食や黒曜石利用を習得し、湖水地方を北に進んで現在のエチオピアあたりから竹筏で南インドに進み、さらにエチオピア東インドミャンマー・タイ・雲南の高地に移住したと考えます。

 

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 このY染色体D型人のルーツがアフリカ西海岸熱帯雨林であることは、ゴリラ・チンパンジーボノボの分布や、イネ科穀類やヒョウタン容器利用のルーツからも裏付けられます。

 

3 チベット人のルーツと「ピャー」信仰

 ウィキペディアは、「チベットに広く伝わる伝説によれば、紀元前127年に最初のチベット王となるニャーティツェンポ(頸座王)がインドから流離する形で現れる。当時のチベットは40を超える首長が割拠していたが、推戴されたニャーティツェンポはスプギェルのプゥと呼ばれる国家を建国し、最初の王宮となるユンブラカン宮を築き、中央チベット首長連合体として支配した。ニャーティツェンポより7代までの王は、天から降りてきた縄を登ってこの世から去ったため陵墓はなく、8代目の王ディグムツェンポが臣下に殺された際に最初の陵墓が築かれた」としており、チベット族のルーツはインドとしています。

 ここで注目すべきは、「当時のチベットは40を超える首長が割拠していた」「最初のチベット王はインドから流離する形で現れた」「天から降りてきた縄を登ってこの世から去った」の3点です、

 さらに大林太良著『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』によれば、7世紀にチベット高原を支配していた「吐蕃王家」は、33代のソンツェン・ガムポ王(581~649)からとされ、28代ほど遡ったディグム・ツェンボ王 さらに6代さかのぼったニャティ・ツェンポ王にいたり、ニャティ・ツェンポ王の父もしくは祖父は「ピャー」と呼ばれ、敦煌資料では一族の神は「ピャーのうちのピャー」と呼ばれていたとされており、「ピャー=神」であり、祖先霊を指していることが明らかです。

 そして、この「ピャー族」は西チベットからきたとされていることからみて、チベットを東西に流れるヤルンツァンポ川(ブラマプトラ川上流)を遡った聖山・カイラス山を祖先霊が宿る聖山とした「ピャー族=神族」であったことが明らかです。

 「縄文ノート57 4大文明と神山信仰」において、私は「インダス川やガンジス河ベットのカイラス山が古代インドの世界軸の中心にそびえる聖なる山であり、仏教(特にチベット仏教)、ボン教(仏教以前のチベットの原宗教)、バラモン教ヒンドゥー教ジャイナ教の聖地とされ、特にチベット仏教で須弥山(インド神話のメール山・スメール山:世界の中心にそびえる聖なる山)と同一視されていることです」と書きましたが、縄文人スサノオ大国主一族の神名火山(神那霊山)信仰、八百万神信仰のルーツはこの地にあったことがさらに裏付けられました。

 

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 ドラヴィダ族のインダス文明が滅んだ後、彼らのうちのY染色体D型を持つ部族は南インドに移住してさらにミャンマーからインドシナ海岸部や高地の照葉樹林帯に移住するとともに、チベット高原に逃れた部族はカイラス山から死者のピャー(霊)が天に昇るという神山天神信仰を継承したと考えれられます。

 

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4 世界の「霊(ひ・ぴー・ぴゃー)」信仰文明の解明へ

 人類は旧石器時代から死者を手厚く葬っていたことが世界各地の発掘で明らかとなっており、死後どうなるのか強い関心があったと考えます。死者の記憶がいつまでも残ることから、肉体は無くなっても死者の「霊(ひ:魂)」は神山から天に昇って生き続けて「神(ひ・ぴー)」となると考え、親と子が似ていることから「霊(ひ:魂)」は天から降りてきて再生すると考え、DNAの働きを「霊(ひ:魂)」が引き継がれると理解し、日本列島においては人類を「霊人(ひと)」とし、王位継承を「霊継(ひつぎ:日継)」とし、死体を入れる入れ物を「棺・柩(ひつぎ)」としてきました。

 この霊(ひ)信仰は、死者が神となり祀られる八百万神信仰、死者の霊(ひ)がコニーデ式火山や神木から天に昇り降りてくるとする神名火山(神那霊山)信仰、水神・龍神信仰などとして大国主の「葦原中国」の根本宗教となって現代に続いており、「霊継(ひつぎ)=DNA継承=生命」を中心に置いた宗教であり、「霊(ひ)を断つ」人は「怨霊」に祟られるとして恐れらた生命尊重の宗教です。

 また霊(ひ)を産む女性や霊(ひ)が止まる女性器「ひ・ひな」が信仰されるとともに、女性が穀類の栽培を始めたことから、スサノオの叔母の大気都比売(おおげつひめ)の死体から五穀が生まれたとする神話が生まれ、スサノオの娘の宇迦之御魂(うかのみたま:宇迦=うけ=食物)穀物・農業・商工業の女神の「お稲荷さん」として広く全国で信仰されています。

 この霊(ひ)信仰のルーツは神山信仰からみてアフリカの可能性が高く、世界の原宗教と考えられますが、確実なのは南インドのドラヴィダ族から、チベットインドシナ高地・雲南地方から日本列島に伝わり、縄文時代から現代にかけて辿れることです。

 さらに世界の原始「霊(ひ)宗教」の解明に向けて、アフリカやインダス文明インドシナ雲南地方などの研究を若い皆さんに期待したいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/