ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート56(Ⅲ-11) ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ

 「瓢箪から駒」は無理ですが、娘が行っていた西アフリカのニジェール川流域原産のヒョウタン土産からの始まりで、「ヒョウタンから主語・目的語・動詞(SOV)言語族移動論」「ヒョウタンから縄文人起源論」「ヒョウタンからマザーイネ論(三大穀物起源論)」へと進み、「芋づる式」ならぬ「ヒョウタンづる式」に謎が解けてきました。

 今回は「ヒョウタンからピラミッド」「ヒョウタンから神名火山(神那霊山)」へと進みたいと思います。前から気になっていたピラミッドと神名火山(神那霊山)の両方のルーツを突き止めることができました。

                              210213 雛元昌弘

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

1.神名火山(神那霊山)信仰で考えてきたこと

 「縄文ノート44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」において、1440mもの高地に後期旧石器時代初頭(19000~18000年前頃)の高原山黒曜石原産地があることから、私は神名火山(神那霊山)から死者の霊(ひ)が天に昇り、降りてくるという魂魄分離(死者の魂=霊と肉体の分離)の山神信仰・山上天神信仰旧石器時代から行われ、スサノオ大国主建国から現在まで引き継がれてきたことを明らかにしました。

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 縄文時代においても、長野県原村の阿久遺跡の石列の方向が蓼科山を指しているということから、神名火山(神那霊山)信仰は旧石器人から縄文人へと受け継がれて、記紀万葉集出雲国風土記などからみてスサノオ大国主建国、さらには大和天皇家に受け継がれていることを明らかにしました。

 そして、この神名火山(神那霊山)信仰ルーツがチベットの聖山・カイラス山(6656m:男根として信仰)やブータンの聖山・チョモラリから、ドラヴィダ海人・山人族の「海の道」の移動に伴い、インドネシアスマトラ島シナブン山(2460m)やフィリピン・ルソン島マヨン山など美しいコニーデ型火山に出合ったことにより「神名火山」信仰に変わったのではないか、と考えました。

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 縄文のヒョウタンの原産地が西アフリカのニジェール川流域であり、「主語-目的語-動詞」言語族のルーツもまた西アフリカからエチオピアケニアあたりを経由してではないか、というところからスタートし、前回には三大穀物などのマザーイネのルーツが西アフリカにあるとの確信を持ち、今回、さらに神名火山(神那霊山)信仰のルーツもまたアフリカではないか、という仮説を確かめることにしました。

 なお、これまで神名火山(神那霊山)信仰については、次の小論で触れてきています。

 縄文ノート33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考(Ⅲ-3縄文宗教論)

縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使)について(Ⅲ-4縄文宗教論)

縄文ノート35 蓼科山を神那霊山(神奈火山)とする天神信仰について(Ⅲ-5縄文宗教論)

縄文ノート38 「霊(ひ)」とタミル語peeとタイのピー信仰」(Ⅲ-8縄文宗教論)

縄文ノート40 信州の神那霊山(神名火山)と「霊(ひ)」信仰(Ⅲ-10縄文宗教論)

縄文ノート44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」(Ⅴ-2日本列島人起源論)

 

2.四角錘型ピラミッドのルーツは白い雪山

 最近、円錐形のピラミッドの中に墓室はなく、「埋め墓」は別にあるということが明らかとなったことをテレビ番組で何度か見てずっと気になっていました。ピラミッドは「太陽信仰の神塔」であり「拝み墓(詣り墓)」であったと私は考えます。

 わが国にも「両墓制」があることは狭山事件の亀井トム説で知りましたが、ウィキペディアによれば、柳田國男氏らは「祖霊信仰に基づく日本固有の古い習俗」とし、一方「庶民の墓に石塔を墓標として建てる習慣が中世末より近世期に一般的になったことや、両墓制が近畿地方にのみ濃密で、他の地域では極端に例が少なくなる」ことから両墓制はそれほど古い習俗ではないという考え方もあるとされています。

 私は柳田説支持で、魂魄分離(死者の霊と肉体の分離)の宗教思想が旧石器・縄文時代からあったことから、両墓制の起源は古いと考えています。

 ピラミッドは「太陽信仰の神塔」して太陽に近づく最高の高さの山をモデルにするとともに、魂魄分離の山上天神信仰の「拝み墓」として死んだ王の霊(ひ)が宿る人工の聖山をつくったと考えられます。これらの点からみて、エジプト人のルーツはアフリカの高山のある地域で、平野部に移住して人工の高い山を作ったと考えられます。

 紀元前2650年頃のジェセル王の階段ピラミッドから「階段型→屈折型→四角錘型」への形状の変更を見ても、山を模したことは明らかであり、「神山・聖山信仰」があったことを示しています。

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 ではどの山を模したのでしょうか? 1つの重要な手掛かりはピラミッドの色にあります。2017年3月11日のTBS「世界ふしぎ発見! ~世界初!ついに解明か!?ピラミッド王朝の秘密~」の河江肖剰氏の解説では、最大のクフ王のピラミッドは「白いピラミッド」で、カフラー・メンカフラーのピラミッドは上は石灰岩の白、下は花崗岩御影石)の赤であったことが報道されていました。

https://www.bing.com/videos/search?q=%e3%83%94%e3%83%a9%e3%83%9f%e3%83%83%e3%83%89%e3%80%80%e8%89%b2&&view=detail&mid=EF04E2617CF02BCE1891EF04E2617CF02BCE1891&rvsmid=452B6E350669453058CB452B6E350669453058CB&FORM=VDMCNR

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 なかでもメンカウラーのピラミッドには、3分の1位の高さ辺りまで、赤色だったとされています。

  この上が白、下が赤の配色は山頂に雪を頂く山を模したものであり、クフ王のピラミッドが4500年前頃に築かれたことからみて、7500~5000年前頃の寒冷期に近い頃に全山が雪に覆われた白い山を模したものであることが明らかです。そして、カフラー王、メンカウラ―王と下部が赤色になるのは温暖化により山裾に地肌の赤色が増えてきたことを示しています。 

3.四角錘型ピラミッドのモデルとなった神山・聖山はルウェンゾリ山

 私は縄文遺跡から発見されたヒョウタンの原産地がアフリカ西部のニジェール川流域であるということから、そこからエチオピアケニアあたりを経由し、「海の道」を通ってインド・東南アジアを経てやってきた「主語・目的語・動詞(SOⅤ)言語族が日本列島人のそもそものルーツではないか」「三大穀物のルーツは西アフリカではないか」「火山から生成される黒曜石の文化のルーツはエチオピアケニアの火山地帯ではないか」「縄文時代からづく神名火山(神那霊山)信仰のルーツはインドネシアシナブン山(2460m)やフィリピンのマヨン山ではないか」と考えてきましたが、さらにその原点はマサイ人が「神の家」と呼ぶ万年雪を抱くアフリカ最高峰のキリマンジャロ(5,895m)からという仮説も考えていました。

 この山上天神宗教の横軸の伝播に対し、ピラミッドが神山・聖山信仰の山を模した建造物であるとすると、エジプト文明を育んだ「母なるナイル」からみて、ナイルに水をもたらす源流の聖山がモデルになったに違いないと縦軸での伝播を考えるに至りました。

 そこで調べてみると、ナイル源流域のウガンダコンゴの国境の、アルバート湖エドワード湖、ビクトリア湖の間にルウェンゾリ(ルヴェンゾリ)山(5109m)がありました。アフリカで3番目に高く、万年雪に覆われ、「月の山」として古代から知られていたのです。―木村愛二著『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-51-602.html

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 木村氏によれば、このルウェンゾリ山は8000年前に大爆発を起こし、溶岩流と火山灰で埋もれた一番南のはずれからは、イシャンゴ文明と名付けられた新石器時代の石臼、粉砕用石器、装飾用具などの磨製石器や住宅が発見されています。

 エジプトで人々が定住し、農耕を開始したのは7000年前ごろと考えられていますから、それよりも1000年ほど前のルウェンゾリ山の噴火により、この地域からナイル川に沿って南に逃れた多くの部族がおり、神山・聖山信仰を伝えてエジプト文明の担い手となった可能性が高いと考えます。

 エジプトのピラミッドがこのルウェンゾリ山を模したものであると考える点をまとめると、次の3つになります。

 第1は、ルウェンゾリ山の峰々が鋭い三角形型をしているという類似性です。

 第2は、ルウェンゾリ山が万年雪をいだき、ピラミッドが白色であったことと符合することです。

 第3は、エジプト文明を支えた大麦・小麦栽培を生み出した「母なるナイル」のうちの「白ナイル」の源流がルウェンゾリ山地域一帯であることです。

 第4は、アフリカに火山信仰が見られることです。最高峰のキリマンジャロ(5,895m)は「神の家」と呼ばれ、2番目に高いケニア山(5,199 m)もまた原住民族のキクユ人は「神の山」と呼んでおり、3番目のルウェンゾリ山も「月の山」とよばれ月神信仰を伝えています。

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4.東アフリカ→ヒマラヤ高地→インドネシア・フィリピンから伝わった神名火山(神那霊山)信仰

 私は当初、古事記出雲国風土記万葉集などと現在に伝わる「お山信仰」の宗教儀式から、神名火山(神那霊山)崇拝はスサノオ大国主一族による八百万神の霊(ひ)信仰からと考えていましたが、昨年夏に長野県原村の阿久遺跡の石列が蓼科山を指していることや諏訪大社の信仰から神名火山(神那霊山)信仰が縄文時代に遡り、高原山の黒曜石産出地から旧石器時代にまで遡ることを確かめました。

 そして、神使の蛇・龍神・雷神などの分析、湯気の「ポンガ」から、海・川・大地と天を繋ぐ水の循環を霊(ひ)の再生と重ねた天神信仰が神名火山(神那霊山)崇拝となったことを縄文土器鍋の縁飾りの龍などから明らかにしました。

  

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 さらにDNA分析からの日本列島人起源論、ドラヴィダ語起源説からの霊(ひ=pee)信仰論、稲作起源論から、神名火山(神那霊山)信仰が、東アフリカ→ヒマラヤ高地→インドネシア・フィリピンの「海の道」から伝わったとの横軸伝播仮説を考えました。

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 今回、ナイル川の上流から下流への神名火山→ピラミッド(人工の神山・聖山)の縦軸伝搬ルートを 明らかにすることができたことにより、日本の神名火山(神那霊山)信仰とエジプトのピラミッドのルーツが東アフリカのルウェンゾリ山・ケニア山・キリマンジャロにあることを証明できたと考えます。

 ルウェンゾリ山の「月の山」、ケニア山の「神の山」、キリマンジャロの「神の家」の伝承を調べることはまだできていませんが、神が「日本の死者の霊(ひ)」や「東南アジアのpee」をさすのかどうか、「月」信仰がどのようなものか、確かめたいところです。 

5.日本列島史をアフリカ・アジア全史の中に位置付ける

 私は「汎」、倭音倭語で「ひろ-い、あまね-く、みな、だたよ-う」、呉音漢語で「ホン」、漢音漢語で「ハン」の字が好きです。「氵(水)+凡(風)」ですから、海や川の上を風が吹き渡るイメージであり、アクセスディンギー障がい者・高齢者・子どものための絶対に転倒しないヨット)の普及活動のセイラビリティジャパン創設者の故・西井伸嘉さんの「水の上は自由(バリア―フリー)だ!」の言葉のように、海人族であった日本列島人にぴったりとくるからです。

 もっとも、海は通行が自由=侵略が容易であり、大航海時代帝国主義時代には植民地支配を広げて富を奪い、産業の不均等発展による格差拡大を広げた通路でもあり、「蒙古・黒船来襲」「太平洋戦争」などの負のイメージは免れません。しかしながら、地球環境・食料・パンデミック格差社会化などの危機を迎えている今、旧石器人・縄文人がアフリカからでて日本列島人にまでたどり着いた数万年の希望と苦難の自立・探求・冒険の歴史から、「先進国主導の世界単一市場化(グローバリゼーション)」ではない「汎地域主義」の未来、文明論を考えてみるべきではないでしょうか? 

 人類誕生から始まり、ヒョウタン容器の利用や相手・目標を考えて行動する「主語-目的語-動詞」言語構造、全ての死者の霊(ひ)は神名火山(神那霊山)から天に昇って神となるという八百万神の天神宗教はアフリカ起源であり、温帯ジャポニカの栽培はインド東部・東南アジアの山岳地帯、漢字文化は中国、そして縄文土器鍋食は日本列島など、アフリカ・アジアの多DNA・文化の中でわが国の歴史全体を位置づけ、未来に向かうべきと考えます。

 なお、旧新石器時代の考古学、「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語」の記紀風土記万葉集分析の国語学歴史学、農耕の起源分析、人類学など、わが国の研究がアフリカ・アジアの歴史研究で果たす役割は大きく、「拝外主義の閉じこもり学」ではなく、世界の文明論において若い世代が活躍することを期待したいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/