ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート41(Ⅳ-1) 日本語起源論と日本列島人起源

 「Ⅰ合宿概要」「Ⅱ縄文農耕・縄文食論」「Ⅲ縄文宗教論」に続いて、予定を変更して「Ⅳ日本語起源論」に入り、「Ⅴ日本列島人起源論」「Ⅵ日本列島文化・文明論」へと続けます。

 なお、すでに「縄文農耕・縄文食論」「縄文宗教論」においても、「主語・動詞・目的語言語構造論」、6穀語・縄文食語・龍・神の「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語3層言語論」、6穀語・縄文食語・ぴー・神・女性器名の「倭語・ドラヴィダ語対応論」について書いていますので、それらはピックアップしてまとめて次回に紹介したいと思います。

 これまで「日本民族北方起源説」や「弥生人朝鮮人・中国人)縄文人征服説」が幅をきかす中で、南方起源説の大野晋氏の「日本語ドラヴィダ語(タミル語)起源説)」は「国語学者大野晋は、日本語の原型がドラヴィダ語族の言語の影響を大きく受けて形成されたとする説を唱えている。ただし、この説には系統論の立場に立つ言語学者からの批判も多く、この説を支持するドラヴィダ語研究者は少ない」「比較言語学者の観点では大野説が比較言語学の正統的方法に従っていないことを批判している」(ウィキペディア)」として無視されてきましたが、支配言語同士の欧米言語論の機械的当てはめの誤った批判であり、DNA研究などが進んだいまこそ、日本人南方起源説、稲作南方起源論、照葉樹林文化論、霊(ひ)宗教論などと合わせて、その復権が図られるべき時と考えます。なお、私は拝外主義にも排外主義にも組しない、あらゆる民族の自主・自立と尊厳、交流と交易を大事にする汎民族主義・汎地域主義の立場から古代史に取り組んでいます。

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

 

      Ⅳ-1 日本語起源論と日本列島人起源

                                                                                       200918→1023→210112 雛元昌弘

 1.大野晋氏の「日本語ドラヴィダ語ルーツ説」

 大野晋氏(学習院大名誉教授:古代日本語研究者)とは縁あって1975~80年頃に何度かお会いし、1度目は「出雲弁と東北弁はズーズー弁で同じ系統」と、次には「日本語のルーツはドラヴィダ語(タミル語はその一部)」と教わりました。

               f:id:hinafkin:20210112103710j:plain

 多くの国の言語と対照されたご経験から、日本語はタミル語に似ている言葉が一番多く、風習も似ているとの説明には「なるほど」と思いながらも、『日本語とタミル語』(1981年)を読んだ時には他の言語との比較対照表を作成して証明されておらず、「似ている言葉だけピックアップしている可能性があり、必要十分条件を満たしていない」(他のより似た言語がある可能性を否定できない)と納得できなかった記憶があります。東アジアの人たちとはそっくりさんがいっぱいいるのに、インド人とは肌色や風貌がおよそ異なる、という直感的に感じる違和感もありました。

 その頃、古田武彦氏にお会いして邪馬台国論争に関心を持つようになり、古田氏の論敵であった安本美典氏の『日本語の起源を探る』などを読み、基礎語(身体語や数詞など)についての統計的分析ができていないとの大野説批判を読み、そのままになっていました。

 なお脱線しますが、私は古田氏の邪馬壹国説を支持していますが、氏のように「やまいちこく」と倭音(やま)・呉音(いち・こく)・漢音(こく)のチャンポン読みはせず「やまのいのくに」と倭音倭語で読み、元々は「山一国=山委国」の漢字であり、「天一柱=一大国=壱岐」をルーツとする「委奴国王」の後継国であったと考えています。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 

2.大野説を裏付ける「主語―目的語―動詞」言語族と温帯ジャポニカサトイモ・ヤマイモの起源の重なり

 スサノオ大国主建国論について研究をはじめ、研究室の大先輩であった上田篤氏の縄文社会研究会に入り、スサノオ大国主と縄文宗教との連続性、さらには日本人起源に関心を持つようになりましたが、次女が赴任していたニジェールみやげのヒョウタンから、若狭の鳥浜遺跡や青森の三内丸山遺跡ヒョウタンの原産地がニジェール川流域であることを知り、さらに陸稲(アフリカイネ)がニジェールで栽培されていることを知り、ヤムイモ(ヤマイモ)やタロイモ(田芋・サトイモ)の最大生産地もニジェール川流域であることを確かめ、「アフリカの角」(エチオピアあたり)の「主語-目的語-動詞」言語族が「海の道」を通って5.3万年前頃に南インドスリランカに移住(第1次移動)し、東進してインド東部海岸やアンダマン諸島ミャンマー海岸部に移住(第2次移動)したと考えるようになりました。

     

   f:id:hinafkin:20210112103724j:plain

   f:id:hinafkin:20210112103758j:plain

 その後、Y染色体Ⅾ型がチベットなどに分布していることから、ドラヴィダ系海人(あま)族の一部はマラリア などの害を避け、プラフマトラ川やイラワジ川をさかのぼって高原地域に移住し(第3次移動)、高地で肌の露出が少なくなって紫外線を浴びなくなり、魚食から肉食への転換によりビタミンD欠乏症による淘汰が起き、黒褐色の肌から黄色になり、重い水や荷物を運ぶ山岳地域での生活で手足が短く頑強な「ズングリ・ガッシリ・短足型体形」になったと考えました。

       f:id:hinafkin:20210112103814j:plain

 さらに、寒冷期に入ると高地のドラヴィダ山人(やまと)族は山を下り(第4次移動)、海岸部やアンダマン諸島などに住むドラヴィダ海人(あま)族と協力し、マラッカ海峡を南下して半陸地化していたスンダランド(今の南シナ海)に竹筏で移住し(第5次移動)、温暖化によってスンダランドの水没が進むと「海の道」を竹筏と丸木舟で日本列島にやってきた(第6次移動)と考えるようになりました。

       f:id:hinafkin:20210112104353j:plain

 弓矢が得意で勇敢な狩猟採取栽培ドラヴィダ山人(やまと)族と航海が得意で冒険心に富んだ漁撈栽培交易ドラヴィダ海人(あま)族が協力し、一定の人数で移動したことにより、途中、他民族からの干渉・攻撃・支配を受けることなく平和裏に移動・移住できたと考えられます。

 日本人に多いY染色体Ⅾ系統がチベットや東南アジア高地の少数民族アンダマン諸島にしか見られず、さらにチベットの南に住むブータン人が日本人と体格・容貌がそっくりあることや照葉樹林帯の稲作・文化伝播説を1970年頃に探検部のメンバーから聞いていたこともあります。

 チベットY染色体Ⅾ系統が多いのは険しいヒマラヤ山脈崑崙山脈に囲まれで独立性が維持されるとともに、ヒマラヤピンク岩塩の産地・交易地として栄え、独立性を維持できたからと考えられます。

 これまでアッサム・ミャンマー雲南高地の照葉樹林帯から長江を下ってその下流で温帯ジャポニカ長江文明が栄え、日本に伝わったとする説が主流でしたが、私は5つの理由から「長江ルート」ではなく「海の道ルート」を考えました。

 第1は、ヒョウタンやウリ、エゴマ、熱帯ジャポニカなどの熱帯性農産物が縄文遺跡から見つかっていることです。ヒョウタンで水を確保しながら竹筏と丸木舟で移動したと考えられます。砂漠・草原・寒冷地の移住ではありません。

 第2は、「主語-動詞-目的語」言語の中国を経由したのならその支配下に入り、言語の影響を受けた可能性が高いにもかかわらず、倭人たちは独立性を保ち「主語-目的語-動詞」言語構造を維持し続けたことです。東南アジア・中国の「主語-動詞-目的語」族の影響を受けず、独立性を保ちながら「海の道」を日本列島に直接やってきた可能性が高いことです。

 第3は、日本語は「倭音・呉音・漢音3重構造」で倭音がもっとも古く、稲作に関わるイネやコメなどの単語に全て倭音倭語があることです。

            f:id:hinafkin:20210112103843j:plain

 呉音漢語は徐福一行などが紀元前3世紀に、漢音漢語は紀元1世紀の委奴国王・スサノオの遣漢使や7~9世紀の遣隋使・遣唐使がもたらしたと考えられ、倭音倭語の水田稲作起源がそれ以前に長江からではなく伝わった可能性が高いことを示しており、日本列島に定着したのは「海の道」をやってきた「主語-目的語-動詞」言語の倭音倭語族であることは明らかです。―「縄文ノート26  縄文農耕についての補足)」参照

 第4は、倭語には「主語-動詞-目的語」言語の東南アジアの単語が混じっており、独立性を保ちながらも一定期間、東南アジア地域に定住して他部族の言語・文化を吸収しながらやってきた可能性が高いことです。

 第5は、大野説は宗教・民俗(生産・生活文化)に関わるドラヴィダ語と日本語の類似性を明らかにしていますが、どのように南インドから日本列島に伝播したのか、なぜ肌色や体形が異なるのか、インディカ米ではなく熱帯・温帯ジャポニカを持ってやってきたのか、粘りけ気(糯性)のあるコメが好きなのかなどを明らかにしていない弱点があります。

 

3.大野説に必要であった民族移動ルートの検討

 大野説の「日本語ドラビダ語(タミル語)ルーツ説」は言語分析や関連する民俗(生活文化)分析、海上移動説は正しいものの、南インドからの少なくとも5段階の歴史的段階的な移動の分析の判断が不十分であることが悔やまれます。陸上移動しか考えない日本語北方起源説の批判者たちもまた同じ誤りを犯したのではないでしょうか。

 なお、ドラビダ語族の縄文人が1万数千年前頃に日本列島にやってくる前の3~4万年前の旧石器時代には、日本列島には北と南から旧石器人がやってきていました。日本人固有のY染色体Ⅾ2型が沖縄と北海道に多く、Ⅾ1a2aがオホーツク海沿岸と日本に多いことから見て、ドラビダ語族の一部はチベット高原から北に進み、ブリアート人が住むバイカル湖畔からさらにシベリアの「マンモスの道」を通って北海道にやってきた旧石器ドラヴィダ人がいたと考えられます。

 一方、Y染色体0b2型は沖縄と朝鮮に多く、インドネシアベトナムに見られることから、ドラヴィダ族がスンダランドでインドネシアベトナム系旧石器人と混血して「海の道」を竹筏で沖縄や朝鮮にやってきた可能性が高いと考えられます。

 その後も中国大陸や朝鮮半島、シベリアなどから絶えず少数の漂流民や移住民・亡命者などがやってきて多DNAの妻問夫招婚の母系制の縄文社会を形成したと考えます。毎年10人の移住があれば、1.5万年では15万人になるのです。弥生人朝鮮人・中国人)による縄文人征服説などの空想は必要ありません。―「資料19 DNA分析からの日本列島人起源論」参照

 気候変動や民族移動の圧迫を受けながら、勇敢で冒険心と好奇心、団結心に富んだドラヴィダ山人・海人族は、独立と自立を求め、活発に交流・交易を行い各地の技術・文化を吸収しながらスンダランド、フィリピン、台湾を経由して日本列島に渡来し、対馬暖流と季節風を利用して活発に交流・交易・妻問夫招婚により単一言語・文化の縄文社会を作り上げたのです。

 多言語・多文化・多民族の台湾やフィリピン、インドネシアベトナムなどの東南アジア諸国と多DNA単一言語・文化の縄文人との大きな違いこそ着目すべきです。

 

4.「基礎語の統計比較」方法論に代わる「民族固有・希少語対照法」へ

 安本美典氏が大野説を批判した「基礎語100語・200語の一致数の統計的比較」の統計的処理方法は科学的としても、「サンプルが科学的なものかどうか」の条件を抜きにして「科学」と認めることはできません。

 支配民族が移動したインド・ヨーロッパ語族の地域ではこの方法が成立しますが、支配者と被支配者の言語・文化が異なる地域ではこの方法は成立しません。

 インドのようにドラビダ族がアーリア民族の支配を受けた地域では、ドラヴィダ原語の一部はアーリア族の言語に置き換わった可能性が高く、日本のように倭音倭語を使いながら、交易・交流を通して呉音漢語・漢音漢語を段階的・主体的に受け入れ、併用している「3重構造言語」の国では異なってきます。

 例えば数詞や商品名、政治・行政言語などは支配言語に転換する可能性が高いと考えられ、「基礎語100語・200語」は支配語の影響を大きく受けます。安本氏の大野説批判は、政治的・経済的支配によるドラヴィダ語変化の歴史を無視したサンプル選択の「機械的適用」の誤りを犯しています。安本氏の古代天皇(大王)の即位年の統計的推計や邪馬台国高天原論は高く評価し、私の『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』では参考にさせていただいていますが。

 安本美典氏は日本語は「古日本語系(ビルマ系言語を主力)+古朝鮮語系+古アイヌ語系」からなる「古極東アジア語」と「インドネシア系言語など」のチャンポン言語という仮説を提出していますが、それぞれの言語の成立条件を検討して最適のサンプルを選び出して比較分析を行ってはいません。

           f:id:hinafkin:20210112104834j:plain

 第1に、琉球語が検討の対象外となっています。

 第2に、太平洋側が「インドネシア系言語など」、北九州・山陰が「古日本語系(ビルマ系言語を主力)」、東北・北海道が「古アイヌ語系」と3分割していますが、日本語方言の研究でそのような系統的な分類を見たことがありません。

 第3に、「古日本語系(ビルマ系言語を主力)」が長江流域から来たとしていますが、呉音漢語が北九州・山陰地域に濃厚に分布しているといえるのでしょうか? 「主語―動詞-目的語」言語の影響が「古日本語」に見られるというのでしょうか? 「弥生人(中国人)縄文人征服説」の影響を受けただけの主張という以外にありません。

 第4に、「古朝鮮語系」を含めて「古極東アジア語」が成立していたかのような図としていますが、騎馬民族の扶余族が満州に侵入したのは紀元前後頃であり、3~4万前の旧石器人、縄文1万数千年の歴史とは時代が異なります。「古極東アジア語説」は日本民族北方起源説(朝鮮人起源説)の影響を受けた幻という以外にありません。

 安本氏は日本語が諸言語から形成されていることを示しているだけで、どの言語が誰によって、いつ、どこから、どのような順で合流していったのか、を明らかにできてはおらず、大野説批判などおこがましいと言わなければなりません。日本人の学者に多い欧米の科学的方法の機械的な直輸入の誤りです。

 一方、大野氏は支配言語の影響を受けにくい宗教語・民俗語などの希少性・固有性・継承性のある言葉の対照を行っており、単語比較の「サンプルの科学性」は満たしています。ドラヴィダ派生語についてチベットブータンなど東インドミャンマー高地に残る少数民族の宗教・生活・産業用語の調査を行っていれば、とっくに定説として確立されていたはずであり残念です。

 また、日本古語(倭音倭語)には、東南アジアの「主-動-目」言語族の間を縫って日本にやってくる過程で東南アジア諸民族の単語を多く吸収しており、あわせて検討が必要であったと考えます。

 小学生の時に父が押し入れに隠していた安田徳太郎氏の『人間の歴史』を密かに盗み見したこと思い出しますが、性器語について次表のような対応が見られ、ドラヴィダ海人・山人族はスンダランドで「主語-動詞-目的語」言語族の単語や文化を吸収し、混血を行いながら日本列島にやってきたと考えられます。

f:id:hinafkin:20210112104931j:plain

 大野説が発表された1980年頃からすでに40年も経過したのですから、大野説に触発されて「〇〇語こそが日本語のルーツだ」という研究が大野説批判の学者たちから次々と出てきていると思いきや、素人の私のアンテナにも引っかかるような説は一向に出てきません。

 そうである以上、言語学者は大野説を正当に評価し、ドラヴィダ語起源説の深化を図るべきでしょう。

 

5.大野晋氏の「タミール語(ドラヴィダ語の一部)」の概要

 大野氏の『日本語とタミル語』(1981年)、『日本語の起源』『日本語の源流を求めて』『日本語はどこからきたのか』などから、大野説をまとめたものを表2に示します。

f:id:hinafkin:20210112104959j:plain

 重要な点は、機械的な「基礎語100語・200語」比較ではなく、アーリア民族支配の影響を受けにくい稲作や食事、墓、金属、機織生活習慣、宗教(天・神等)、精神(アハレ・スキ・サビ等)など民族文化の希少性・固有性・継承性がある単語についてドラヴィダ語と日本語の約500語について対応関係を証明していることです。また、墓制や落書き・記号文などの考古学的類似性も指摘しています。

6. タミル語の「ポンガロー」と秋田・青森の「ホンガ」、長野の「ホンガラホーイ」

 大野氏の『日本語とタミル語』(1981年)の冒頭の、大野氏を驚愕させた印象深いエピソードを紹介したいと思います。

 大野氏は1980年に現地に行き、実際の新年である1月15日に行われる赤米粥を炊いて「ポンガロー、ポンガロ!」と叫び、お粥を食べ、カラスにも与えるポンガロの祭りを実際に体験し、青森・岩手・秋田・新潟・茨城にも1月11日、あるいは小正月(1月15日)にカラスに米や餅を与え、小正月に小豆粥を食べる風習があることを確かめています。

 私も幼児の1950年頃かと思いますが、兵庫県たつの市の母親の実家で、小正月に「どんど焼き」を行い、赤飯を供えて食べたことが何度かあります。

 この「どんど焼き」は地域行事として最近でも正月明けの行事として見かけますが、神が宿る松飾やお札・お守り・破魔矢などを燃やす「お祓い」行事とされています。しかしながら、私は正月明けに松飾などに宿る祖先霊を天に送り返すという「天神宗教」であると考えます。

 姫路のスサノオを祀る牛頭天王総本宮広峯神社(疫病が流行った時に京都八坂神社へ分祀)の「御柱祭」の「御柱焚き上げ」神事で御柱を燃やすのは、スサノオの神霊(神の霊(ひ))が降臨した御柱を燃やすことによって、神霊を再び天に送り返す意味を持っていると考えられ、「どんど焼き」も同じ神事と見てよいと考えます。

 

           f:id:hinafkin:20210112105102j:plain

 カラスに米や餅を与えるのもまた、カラスを猿や狼・鹿・鶏などと同じように先祖の霊(ひ)を天から運び、送り帰す神使としてして見ていたと考えます。

 さらに、秋田・青森では小正月に豆糟(大豆や蕎麦の皮に酒糟などを混ぜたもの)を「ホンガホンガ」と唱えながら撒く「豆糟撒き」の風習があり、長野県南安曇郡では「ホンガラホーイ ホンガラホーイ」と囃しながら鳥追いを行い、餅を入れた粥を食べるというのです。沖縄では「パ行→ハ行」への転換があることからみて、「ホンガ」「ホンガラ」は古くは「ポンガ」「ポンガラ」であったのです。

 ここでは「小正月祝い」「赤米粥と小豆粥、赤飯」「カラス行事」「ポンガロとホンガ・ホンガラ」の共通点があり、ヒンズー教や仏教以前から同じような宗教行事が続いていることが明らかです。

 他の宗教行事に特有な「希少性・固有性・継承性」のある単語、「どんど焼き左義長」などの意味不明語や群馬県片品村の猿追い祭りで地面に赤飯を投げ合う「えっちょう・もっちょう」の掛け声、多くの祭りの「わっしょい」「えっさ」「どっこいしょ」「そーりゃ」「ナニャドラヤ」などの掛け声のルーツについても検討してみるべきと考えます。「希少性・固有性・継承性のある単語」に絞った調査です。

 

7.「日本語ドラビダ語起源説」の復権を図る

 「日本民族北方起源説」や「弥生人朝鮮人・中国人)縄文人征服説」が主流の中で、南方起源説の大野説は無視されましたが、DNA研究が進んだいまこそ、その復権が図られるべき時です。

 「日本語ドラビダ語ルーツ説」については、さらに3つの方法により補強すべきと考えます。

 第1は、ドラビダ語がアーリア人支配やイスラム文化によって変容した借用語とドラビダ原語を分離したうえで、統計的な比較対照を行うことです。

 第2は、東インドバングラデシュブータンなどでも話されているという「およそ26の言語」と言われるドラヴィダ語の、チベットブータンミャンマー高地への伝播と変容の解明です。DNAからみて日本人とチベット人に世界で他に見られない共通性があり、ブータン人と日本人の体格・容貌・赤米食(熱帯ジャポニカ米)・性器信仰などがそっくりであることからみて、この地域のドラヴィダ語系の少数民族の言語とDNA分析が求められます。

 第3は、他民族支配によって影響の受けにくい、固有の宗教や民俗と結びついた「希少言語」に注目し、同じく「意味不明の希少言語」の倭音倭語との対照が有効と考えます。

 第1・第2の方法は言語学者民族学者・遺伝学者の研究を待つ以外にありませんが、大野氏のデータからだけでも第3の方法での分析は可能と考えます。さらにブータンミャンマー高地の研究者や留学生、大使館にヒアリングを行えば確実になると考えます。

 

8.性器信仰について

 ポンガルは「沸き立ち、泡立つお粥」の意味で、結婚している女性の祭りとされていますので、母系制社会の祭りと思われます。

 縄文の石棒とインドのリンガ(男性器)・ヨニ(女性器)信仰の類似性については「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)について」で書きましたが、片品村の金精(男根)を女体山(日光白根山)などに男性が奉げるのは山の神を女性と考えているからであり、母系制社会の祭りであることが明らかです。

 チベットの南のブータンにも日本と同じような性器信仰や夜這い・母系制文化が残っているとされていますが、わが国の縄文時代には石棒=男根信仰があり、古事記には大国主沼河比売(奴奈川姫)の家に「用婆比」に来たという歌があり妻問夫招婚であったことを伝えています。さらに金精信仰は明治政府が禁止するまで各地に色濃く残っており、今もその名残が各地に見られます。

  f:id:hinafkin:20210112105209j:plain

 f:id:hinafkin:20210112105231j:plain 

 なお、ブータン語の男性器「ボー」は、日本語古語では「ポー」であり、女性器名の琉球方言の「ホー,ボー、ホーミ」や九州方言等の「ボボ」、古事記等の「ホト」、さらには「チン」が「堅い物がぶつかる音」ですから、堅くなった男性器名が「チンポ・チンボコ」となった可能性があります。

f:id:hinafkin:20210112105315j:plain

 1958年、中尾佐助氏(京大卒・植物生態学者、後に大阪府立大教授)がブータンへ入国を果たし、1969年には桑原武夫氏(京大学士山岳会)や松尾稔氏(京大工学部教授のちの名大総長)が率いた京大ブータン学術調査隊が訪れており、私も当時、探検部の学生からのまた聞きで「顔や形が日本人そっくり」で「夜這い」が行われていると話を聞いていました。

 今、ネットでどの写真を見ても、全員が日本人によく似ています。また、民族衣装も前開型で和服(丹前)と同じです。

 

f:id:hinafkin:20210112105343j:plain


9.日本語と朝鮮語百済語)は南方系

 大野晋氏は、1957年の『日本語の起源』では「南方語を土台に、その上に北方アルタイ語母音調和を持つ言語(具体的には朝鮮語とした)がかぶさったとする重層説」をとなえ、1975年の国語・朝鮮語ツングース語・中国語・歴史・民俗学の10人の講演とシンポジウムをまとめた『日本古代語と朝鮮語』(大野晋編)では、「共通の母音交代が存在していた」「似ていると思われるものは、名詞にははっきりとした形のものが出てくる。ところが動詞には出てこない」「語彙の比較という問題は、地域的にも非常に近いわけだし、借用語か同源語かきちっと言えない場合が、どこまでいっても、ついて回ると思うんですね。・・・むしろ文法の問題として押さえていくことで、従来よりもずっと緊密な関係だということを論証できるじゃないか」などと、日本語と朝鮮語の「主語-目的語-動詞」言語の類似性を指摘しています。

     f:id:hinafkin:20210112105518j:plain  f:id:hinafkin:20210112105540j:plain

 その後、1980年頃より「民族固有語の比較対照」という方法論によりドラヴィダ語起源説に転換し、日本語と朝鮮語の関係についは、「日本語・朝鮮語タミル語同系説」に転換しています。

 しかしながら、前述のように、現時点でのDNAデータでは、Y染色体0b2型(インドネシア系旧石器人)は沖縄と朝鮮に多いものの、日本人固有のY染色体Ⅾ2型(縄文人)は朝鮮半島に見られないことから、大野説は旧石器人には当てはまるものの、縄文人については当てはまらない可能性があります。

 ―「縄文ノート43 DNA分析からの日本列島人起源論」参照

 なお、『日本古代語と朝鮮語』(大野晋編)では、鈴木武樹氏(当時明大教授、歴史学)はロシアの民族学者のジャリガシノバの「半島南部に住んでいた民族はインドネシア系」という説を紹介していますが、DNA分析結果と一致します。

 さらに、金両基氏(当時ソウル中央大教授)は「済州島には蛇神や竜神信仰が広く分布しています」「韓国の玩具のチャッチキというのがベトナムにあるんです。琉球にもある」「綱引きも、鹿児島から琉球、中国から南にもあって、豊凶を占う」と述べています。さらに、梅田博之氏(当時東京外大教授)の「済州島の有名な伝説に『海を渡って3人がきた』がある」と述べ、金氏はずっと後の時代の「脱解というのが現実にそのように出てきます。新羅の4大王ですね。あれは竜城からきたという話がある」と紹介しています。

 ウィキペディアによれば、『三国史記新羅本紀で脱解(在位57~80年)は「倭国の東北一千里のところにある多婆那国」からきたされていますが、『三国遺事』では龍城国からきたとされており、龍城=龍宮(琉球)の可能性も考えられます。

 これまで、「中国→朝鮮半島→九州」「シベリア→樺太→北海道」ルートを旧石器人や縄文人がやってきたという説が主流でしたが、「海の道」を通っての東南アジアや東インドミャンマーの海人族の直接流入こそ、言語・民俗・伝承・DNAが示しています。

 

10.今後の課題

① 「お山信仰」「地神(地母神)信仰」「神籬(ひもろぎ=霊洩木)信仰」「巨木信仰」「火祭り」「雷神信仰」「蛇・龍蛇・龍神信仰」「性器信仰」「妻問い婚」「母系制社会」「焼畑農業」など、縄文宗教・民俗の「民族固有・希少語」がドラヴィダ語族に見られるかどうかについて、京大のブータン研究会・雲南懇話会、ドラヴィダ語研究者、ブータンミャンマー大使館・留学生などへの調査が求められます。

② 意味不明の「どんど焼き左義長」「えっちょう・もっちょう」「わっしょい」「ナニャドラヤ」などの祭りの「希少性・固有性・継続性」のある掛け声のルーツについての比較対照が重要と考えます。特に、縄文文化の色濃い沖縄、九州、出雲、長野、東北・北海道などの山間部や離島などでの調査が有効と考えます。

 

◇参考◇

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート   https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ      http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論         http://hinakoku.blog100.fc2.com/