ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡

 9月11日は、朝、蓼科山(別名:女神(めのかみ)山)のふもとの池之平ホテルから白樺湖を一周して女神湖までざっと見学。まちづくりプランナー時代のクセが抜けず景観・環境条件などをチェックしてから朝食をとり、縄文時代からの信仰対象であった女神(めのかみ:ヒジン=霊神)の住むとされる蓼科山の写真をとりながら、ビーナスラインを下りました。

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 女神(地母神・山神:乳房・腹・性器を強調した妊娠像、出産像)と神を祀る巫女(みこ:卑弥呼=霊巫女など)とビーナス(ギリシアの女奴隷の影響)の3者をごっちゃにした「ビーナスライン」や「縄文のビーナス」のネーミングはいただけませんが、その違いについては縄文「75 世界のビーナス像と女神像」「86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」を参照ください。

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 今回、蓼科山北約20kmの北佐久郡立科町蓼科神社を調査候補に入れていたのですが時間的に調査できず、事前準備が不十分で見逃してしまった白樺湖畔の池ノ平御座岩遺跡と合わせて、こここで紹介しておきたいと思います。

 これまで書いてきたことの繰り返しが多くて恐縮ですが、新たに追加した表の部分だけでもざっと見ていただければと思います。

 

1.これまでの検討経過

① 2020年8月の「縄文ノート23 縄文社会研究会 八ヶ岳合宿報告」では次のように書き、スサノオ大国主一族の神名火山(神那霊山)信仰が縄文時代に遡る可能性があると主張しました。

 

 「紀元1世紀前後からの洩矢氏の神名火山(かんなびやま:神那霊山)・神籬(ひもろぎ:霊洩木)信仰は、縄文中期の阿久遺跡の立柱と列石に見られる蓼科山信仰から考えると、縄文時代に遡る可能性が高いと私は考えます」「今回の合宿の大きな成果は、阿久遺跡(縄文前期)の環状集積群の中心の石柱・列石が蓼科山方向を向いていることを確認でき、中ツ原遺跡(中期~後期前半:約5,000~4,000年前)の8本柱についても蓼科山を神那霊山とする宗教施設との確信を深めたことです。」

 

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② 「縄文ノート35 蓼科山を神那霊山(神名火山)とする天神信仰について」(2020年8月の合宿資料)では次のように書き、「武居夷(たけいひな)神=ひな神=霊神(ひじん)=女神(めのかみ)」が「ひな=女性器」信仰で、「女神に金精様=男性器を捧げる」信仰であるとの解釈を提案しました。

 

蓼科山は海人族が信仰する円錐形の美しい「神那霊山(神名火山)型」であり、諏訪富士と呼ばれています。吉田金彦元大阪外大教授の「信濃=ひな野説」によれば、「たてしな=たてひな」であり、「霊那(ひな)=霊の国」のシンボルとなる山になります。沖縄の南西諸島では女性器を「ひー」、天草地方では「ひな」といい、倭名類聚抄ではクリトリスのことを「ひなさき(雛尖)」としていることからみて、「たてひな山」は地母神の女性器信仰を示している可能性があります。

 ウィキペディアによれば「神代の頃、諏訪に建御名方神が入ってくると、武居夷(たけいひな)神は建御名方神に諏訪の国を譲り、自らは蓼科山の上に登ったという」とされ、「蓼科山にはビジンサマという名のものが住んでいるという伝承がある。姿は球状で、黒い雲に包まれ、下には赤や青の紙細工のようなびらびらしたものが下がっており、空中を飛ぶ」という伝承もあることからみて、この地はもともと「武居夷神(たけいひな神=強い委の日名神)」の支配地であり、「夷(ひな)=ひ=び」の神「ビジン=霊神」という山神の山、頂上部が丸い黒い溶岩の山として信仰されていたことを示しています。」

群馬県片品村の金精信仰に見られるように、女性神である『お山』に男性が金精を捧げ、『霊継ぎ(ひつぎ)』を願う母系制社会の信仰・民俗は現代に続いているのです。女性が関われないのは、女性神である『お山』が嫉妬するからであり、男の祭りとなっているは男性優位・女性差別ではありません。」

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③ 「縄文ノート40 信州の神奈備山(神那霊山)と『霊(ひ)』信仰」では次のように書き、女神(目の神)信仰が倉稲魂(うかのみたま=稲荷神)神・木花佐久夜毘売(このはなをさくやひめ)信仰に信仰に引き継がれていることを明らかにしました。

 

 「『ヤマケイオンライン』によると、「蓼科山は、コニーデ型の山容をした信州きっての名山のひとつで、諏訪富士とも呼ばれている。また、高井山、飯盛山(いいもりやま)、黒斑山、女ノ神山などの別称もある。山頂は岩石累々とした偏平な噴火口跡で、中央に蓼科神社奥宮の石祠がある」とされており、まず「女ノ神山」とされていることに注目したいと思います。

 また山頂の蓼科神社奥宮の石祠には、「高皇産霊(たかみむすひ)神・倉稲魂(うかのみたま)神・木花佐久夜毘売(このはなをさくやひめ)」が祀られていますが、倉稲魂はスサノオと瀬戸内海の大三島の大山祇(おおやまづみ)の娘の神太市比売(かむおおいちひめ)との間に生まれた女性であり、同じく大山祇(おおやまづみ:代々襲名)の子の木花佐久夜毘売播磨国風土記によれば大国主の妻であり、いずれも女性神です。

 蓼科神社奥宮は男性神・高皇産霊を主祭神としていますが、本来は女性神の神皇産霊(かみむすひ)を祀っていたものを皇国史観に合わせて男性神に置き換えたものと考えます。」

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④ 「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)について」では次のように書き、片品村の2つの祭り、女体山への「金精様」の奉納と山の神『十二様」(女神)への「砂糖ツメッコ」の奉納から、女神山への「女体山崇拝の男性器奉納」から「縁結び・夫婦和合・安産・子だくさん・子孫繁栄の男女性器奉納」さらには「豊作祈願」へと祭りが変わった可能性を示しました。

 

 「女体山(日光白根山)は女性器の形状を想起させるエロチックな活火山であり、その北にはそびえ立つ金精山があり、かつては、この女体山には村の男たちが木の金精(男根)を奉納していました。

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片品村の針山地区の山の神『十二様」(女神)の祭りでは、男が性器型などのツメッコを入れた汁粉を裏山の十二様に供え、十二様が嫉妬するので集落の十三歳以上の女性は甘酒小屋に集まり参加できません」「普通、『ぜんざい』には餅や団子などが入れられますが、『性器型ツメッコ(すいとん)』というのは片品独特です。地元にあった金精信仰、女性器の形を思わせる『女体山(日光白根山)』などの山の神に金精(男性器形の木棒や石棒)を捧げるという金精信仰が、『性器型ツメッコ(すいとん)』に形を変えた、と考えられます。

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 元々は女神とされた山神に奉げるのですから、「金精形」だけであったのが、いつの頃か縁結び・夫婦和合・安産・子だくさん・子孫繁栄を願って「女性器形」が追加されたと考えられます。さらに、大地に糞尿を撒いて農作物を栽培したことから、豊作を願う「うんこ形」が追加されて地母神に供えられたのではないでしょうか。」

 

④ 「縄文ノート23 2020八ヶ岳合宿報告」では次のように書き、さらに「縄文ノート33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」でも詳述しましたが、巨木の中ツ原遺跡の8本柱、三内丸山史跡の6本柱は、神名火山(神那霊山)である蓼科山八甲田山を崇拝するための楼観神殿である、というのが私の結論です。

 

 「今回の合宿の次の大きな成果は、阿久遺跡(縄文前期)の環状集積群の中心の石柱・列石が蓼科山方向を向いていることを確認でき、中ツ原遺跡(中期~後期前半:約5000~4000年前頃)の8本柱についても蓼科山を神名火山(神那霊山)とする宗教施設との確信を深めたことです。」

 

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 「出雲大社本殿の『田の字型」が農家住宅に戦前までほぼそのまま引き継がれていたことからみても建築思想・技術は継承される可能性が高く、縄文時代の6本柱・8本柱建築物は2世紀の大国主の48mの出雲大社本殿の『天御巣』『天御舎』、3世紀の邪馬壹国、一大国(壱岐)や吉野ヶ里の『楼観』と建築思想・技術において連続していると見るべきです。

 柱の太さから想定される強度からみて、これらの建物は単に神を祀る神殿・神塔ではなく、多くの人々が昇って神那霊山を崇拝する『楼観神殿』の可能性が高いと私は考えます。」

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2.蓼科山信仰と蓼科神社

<概要>

① 「縄文ノート40」では奥宮の祭神を「高皇産霊(たかみむすひ)神・倉稲魂(うかのみたま)神・木花佐久夜毘売(このはなをさくやひめ)」の3神としましたが、調べなおすと里宮と奥宮(蓼科山山頂の祠)の祭神は次の表1のとおりです。

 

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 奥宮の祭神は、高皇産霊と倉稲魂(女神)、木花佐久夜毘売(女神)は共通していますが、里宮には大己貴(おおなむち)命(大国主)、奥宮には「水分(みくまり=みくばり)神」「保食(うけもち)神(女神)」「稚産霊(わくむすひ)神(女神)」が祀られており、後世に様々な神が習合されています。

 これらの神々については、表2のような伝承、記紀記述があります。

 

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<考察>

① 表1の祭神からみても、蓼科山縄文時代から現代に続く女神信仰の神山であったことが明らかです。男神の高皇産霊(たかみむすひ)大国主は後世の男系社会を反映した合祀と考えられます。―縄文ノート「32 縄文の『女神信仰』考」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」「96 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡」「98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社」参照

 

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 さらに重要な点は、この女神信仰・地母神信仰が人類の誕生、家族・氏族誕生に遡り、世界の文明に共通しており、戦争・侵略の男性中心社会になりながらもその宗教・民俗を日本文明は明確に残していることです。日本中央縄文世界遺産登録の大きな価値はこの点にあります。―縄文ノート「75 世界のビーナス像と女神像」「86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」参照

② 「諏訪に建御名方神が入ってくると、武居夷神は洩矢神と共に建御名方神と対抗した」という伝承と、洩矢神(「らりるる=らりるろ」から「もりや=もれや」)は守屋山、武居夷神は蓼科山を神山としていることからみて、私は両者とも在地の縄文系ではなく、表3のように武居夷一族は縄文系、守矢一族は吉備・大和を拠点としたスサノオ大物主大神)2代目の物部氏系による妻問夫招婚の氏族・部族ではないかと考えています。―「縄文ノート53 赤目砂鉄と高師小僧とスサ」参照

 

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③ 阿久遺跡の環状集積墓地の中心の石柱・列石と中ツ原遺跡の高楼神殿が蓼科山を向いていることから、蓼科山信仰が5~4000年前頃の縄文中期・後期前半に遡ることが明らかであり、東南アジア山岳部のドラヴィダ系山人族の祖先霊信仰である「ピー」信仰を受け継いだ山神=女神=霊神信仰の神名火山(神那霊山)であったと考えます。―縄文ノート「23 2020八ヶ岳合宿報告」「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」「38 『霊(ひ)』」とタミル語peeとタイのピー信仰」「40 信州の神那霊山(神名火山)と『霊(ひ)』信仰」参照

 この神山天神信仰は、エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明などに共通しています。―縄文ノート「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「57 4大文明と神山信仰」「61 世界の神山信仰」参照

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④ 南の諏訪側では蓼科山諏訪大社上宮本宮・前宮の前を流れる上川の源流域であり、北の佐久側では蓼科神社の前を流れる芦田川の源流域であり、蓼科神社が高井明神(高い井の神)と呼ばれていることや水分(みくまり=みくばり)神の習合、諏訪大社上社前宮の「水眼(すいが)」信仰や、湧水地の「ミジャグジ(御蛇口)」信仰、縄文土偶・土器の龍蛇デザインなどを見ても、蓼科山は水神=龍蛇神信仰の対象でもあったと考えます。―縄文ノート「36 火焔型土器から『龍紋土器』 へ」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社」参照

 

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 それはルウェンゾリ山・アララト山カイラス山などの神山源流からのナイル川・チグリスユーフラテス川・インダス川流域などの「母なる河」「水神信仰」「龍神信仰」と共通する農耕文明を示しています。―縄文ノート「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「80 『ワッショイ』と山車と女神信仰と『雨・雨乞いの神』参照 

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⑤ これまでわが国の歴史は中国・西洋の文化・文明をどう取り入れたか、地方史は天皇家の武力・政治・経済支配がどう地方に及んだかという中国・西欧中心史観、大和天皇家中心史観、戦争中心史観という2重の「外発的発展史観」により歪曲されてきましたが、縄文1万数千年の歴史からの「内発的発展史観」による全面的な見直しが必要であり、世界史全体・文明史全体の見直しを世界に提案すべきときと考えます。表4に主な論点を示します。

 

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3 池之平御座岩遺跡

 佐久穂町の北沢川大石棒信仰の神山が北沢川源流の八ヶ岳のどれにあたるか調べているうちに、大石川上流に旧石器時代の黒曜石加工の池之平遺跡群があることが判り、さらに白樺湖畔に池之平御座岩遺跡があることに気づきました。池之平ホテルに泊まりながら、このような蓼科山信仰に関わりある重要な遺跡があることを見逃していたのです。

 ここで紹介しておきたいと思います。

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<概要>

① 昭和21年に造られた人造湖である白樺湖のほぼ中央の西側の標高約1416mのところに安山岩の岩塊群があり、旧石器時代の石器(和田峠産と思われる黒曜の石槍先形尖頭器9、ナイフ形石器2、掻器・削器17、刃器状破片6、細石核4)、縄文早期から晩期にかけての石器・土器・土偶・耳飾り、弥生式土器・土師器・須恵器・滑石製の幣玉・宗銭・鉄鏃などが見つかっています。

 

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 茅野市尖石縄文考古館HPによると、宮坂英弌(ひでふさ)氏は1955年、白樺湖の対山館(たいざんかん)遺跡と南岸遺跡で土器のない黒曜石の石器を発見していますが、白樺湖周辺で住居などは未発掘です。

 

<考察>

① 池之平御座岩遺跡は表5のように「峠神信仰遺跡」「交流拠点遺跡」「岩陰祭祀遺跡」の3説がみられますが、私は「蓼科山・池之平湿原の山神・水神(女神(めのかみ))祭祀遺跡と考えます。

 

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② 地層などからこの池之平御座岩遺跡の年代は割り出されていませんが、旧石器時代遺跡となると、6000年前頃の阿久遺跡の石棒と石列、5~4000年前頃の中ッ原遺跡の8本の楼観神殿などよりずっと古くから蓼科山信仰があったことになります。

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 和田峠や男女倉・星糞峠などでの黒曜石採掘開始時期は縄文時代草創期(16000前頃)のようですが、その頃から蓼科山信仰があった可能性はあるのでしょうか?

 魚介類や猪・鹿、栗など食料が豊富で暖かい海岸部から、塩がなくて寒い中部・関東山岳地域になぜ縄文人が住むようになったのか、平野部での地母神信仰からなぜ天神神山信仰に変わったのかなどと合わせて、これはずっと悩ましい問題点でした。

③ その謎の1つは鬼怒川温泉に行った機会に、屋上の露天風呂から北に見える高原山(たかはらやま)で、剣ヶ峰(1540m)から続く大きな稜線の南斜面の森林限界を400mも超えた1440mの高地に日本最古の後期旧石器時代初頭(19000~18000年前頃)の黒曜石の露頭と採掘・加工跡(高原山黒曜石原産地遺跡群)があることが判り、解決できました。―「縄文ノート44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」参照

 

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 この黒曜石はたまたま猟などで見つけたのではなく、旧石器人・縄文人には神山信仰があり、さらに火山に黒曜石があって利用価値が高いことを知っており、高原山登る機会に黒曜石を見つけたとしか考えられないのです。

 ここから出てくる結論は、神山信仰も黒曜石利用も日本の旧石器人・縄文人が独自に獲得した文化・文明ではなく、アフリカか途中のアジアを移動する時に獲得した可能性が高く、神山信仰はアフリカと南・東南アジア山岳地域で、黒曜石利用はエチオピアかチグリスユーフラテス源流域のアララト山地域で獲得した可能性が高いのです。―縄文ノート「56  ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「57  4大文明と神山信仰」「61 世界の神山信仰」「44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」「38 「霊(ひ)」とタミル語peeとタイのピー信仰」等参照

 それはY染色体DNAのⅮ型、「主語-目的語-動詞」言語構造、縄文のヒョウタンやジャポニカイネ・ソバの原産地、女神信仰などとも重なるのです。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「41 日本語起源論と日本列島人起源」「25 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』」「28 ドラヴィダ系山人・海人族による日本列島稲作起源論」「81 おっぱいからの森林農耕論」「75 世界のビーナス像と女神像」等参照

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④ 八ヶ岳山麓の山神・水神信仰、女神信仰(性器信仰)、黒曜石文化の解明は、人類の文明史解明に決定的に大きな手掛かりを与えるものであり、池之平御座岩遺跡を中心とした白樺湖畔周辺遺跡の再調査による女神(めのかみ)祭祀起源の調査が求められます。

 信州人はいつ、なぜ、どのルートで内陸山岳地域を目指したのか、人類の大移動(グレートジャーニー)から明らかにすべきと考えます。  

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/