ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?

 縄文文化・文明についてその独自性を強調する「日本列島起源説」に対し、「シベリア起源説」「中国大陸起源説」「南方起源説」「チベット雲南照葉樹林帯起源説」などが見られますが、私は「人類アフリカ単一起源説」の延長上に「宗教・文化・文明アフリカ単一起源説」を考えてきました。

今回は、4月3日のBS101のダークサイドミステリー「世界の怪鳥聖鳥伝説を追え!ヤタガラスから翼竜生存説まで」の録画をやっと見ましたので、これまで書いてきたものを紹介しながらカラス信仰のルーツを考えてみたいと思います。

 

1.「カラス信仰」のルーツを求めて

 カラス信仰については、これまでドラヴィダ族の「ポンガル」のカラス行事(古くは赤米粥を与えた)、群馬県片品村の赤飯投げと赤飯行事、女性器を前に付けた男子正装の烏帽子(えぼし)、長野県安曇野の「ホンガラホーイ」の鳥追い行事、雲南の烏蛮(うばん)族、カラスを国鳥とするブータンインダス文明ギリシア文明のカラス神話など、これまで霊(ひ:祖先霊)信仰の1つとして、死者の魂を天に運ぶカラス信仰について書いてきました。

 チベットミャンマー山岳地域などに多いY染色体D型人、「主語-目的語-動詞(SOⅤ)」言語、宗教語・農耕語のドラヴィダ語ルーツ説、雲南の烏蛮族、東南アジア山岳地帯のもち・なっとう・ソバ食や高床式建物、日本の男子正装の烏帽子など、DNAと言語・宗教・文化の共通性の1つとしてカラス信仰のルーツが南インドにある可能性を追究してきました。

 茶色字は引用文ですが、太字アンダーラインは今回、強調しました。

⑴ 縄文ノート29 『吹きこぼれ』と『おこげ』からの縄文農耕論

 大野晋氏は『日本語とタミル語』の冒頭で南インドに始めて調査に出かけた時の1月15日の「ポンガル」の祭りを体験した時の劇的な出会いを紹介しています。2つの土鍋に牛乳を入れ泡が土鍋からあふれ出ると村人たちが一斉に「ポンガロー、ポンガロー」と叫び、一方の土鍋には粟と米(昔は赤米)と砂糖とナッツ、もう一方の土鍋には米と塩を入れて炊き、カラスを呼んで与えるというのです。日本でも青森・秋田・茨城・新潟・長野に小正月(1月15日)にカラスに餅や米、大豆の皮や蕎麦の殻、酒かすなどを与える行事が残り、「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」と唱えながら撒くというのです。「ホ」は古くは「ポ」と発音されることは、沖縄の「は行」が「ぱ行」となる方言に残っていますから「ポンガ=ホンガ」であり、なんと、インド原住民のドラヴィダ族の小正月の「ポンガ」の祭りが日本にまで伝わっているのです。縄文土器の縁飾りはこの「泡立ち=ポンガル」を表現しているのではないかと考えますが、別の機会に詳述したいと考えます。

⑵ 縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)

(1) 猿追い・赤飯投げ祭り(花咲地区)

 ・拝殿の前で東西に2列に並び、赤飯を「エッチョウ」「モッチョウ」と言いながら交互に投げ合う。

⑷ にぎりっくら(武尊祭り:越本地区)

 ・12個の櫃の赤飯を人々が取り合う。

 ・地面にこぼれた赤飯が多いほど豊作とされた。

⑶ 縄文ノート73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)  

 「えぼし」というと、『もののけ姫』の製鉄のタタラ場を率いる「エボシ御前」をイメージする若い人も多いと思いますが、とんがった古代の烏帽子(えぼし=えぼうし)のことです。なぜ日本の貴族・高官が「カラス帽子」をかぶるようになったのか、さらに、その前面に「雛尖(ひなさき:クリトリス)」が付いているのか、気になりませんか? ・・・ 

 カラス神話インダス文明にもあります。「ノアの方舟」神話では、洪水がおさまりかけたときノアはワタリガラスを偵察に放つのですが、自由な気質のワタリガラスはかえってこず、次にハトを放つとオリーブの小枝を加えてきたというのです。ギリシア神話ではカラスは太陽神アポロン使徒で純白の羽毛をもっていたのが、真実を告げて黒い鳥に変えられたというのです。

⑷ 縄文ノート101 女神調査報告5 穂高神社の神山信仰と神使

 長野県南安曇郡では「ホンガラホーイ ホンガラホーイ」と囃しながら鳥追いを行うことを確かめています。・・・

 パンフ「ふるさと安曇野」によれば、カラスに赤飯などを与える行事ではなく、鳥追い行事に変わっています。

 それは群馬県片品村の花咲地区の武尊(ほたか)神社の「猿追い・赤飯投げ」行事と同じような経緯をたどったと考えれられます。―「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」参照

 元々、カラスを神使として神山から天に昇り、降りてくる祖先霊を里から山の間は御幣に移してサルを神使として持たせて運ぶ祭りを行っていたものが、仏教伝来により死者の霊は極楽に行き神山への昇天降地というストーリーが立たなくなり、お山へサルを追い返すという行事だけが「鳥獣害対策」として残り、赤飯をカラスに与える意味もなくなり、大地に赤飯を撒く行事になってしまった、と私は考えています。

⑸ 縄文ノート132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰

 ウィキペディアによれば、イ族(旧族名: 夷族、倭族、自称:ロロ族)は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住し、南詔王国を建国した烏蛮(うばん)族が先祖だと言われています。北方から徐々に南下したこれらイ語系種族集団(烏蛮)は、それまでその地に先住し勢力を有していた白蛮(広義のタイ系諸族)と対立抗争を繰り返し、白蛮系の高い文化の影響を受けた烏蛮系が台頭して先住の白蛮系をおさえ、唐代にはリス族、ナシ族とともに烏蛮を形成したとされています。

 ピー・モが主催する祖先霊信仰を行う焼畑民でトウモロコシ、米、ジャガイモ、麦、ソバ、豆類などを栽培し、ヤギや豚などの家畜を飼育し、伝統的な主食はツアンパという炒ったムギ粉を水で練ったもので、チベット族の食習慣に近いとされ、火祭りや独自の相撲があります。

 注目したいのは、イ族(夷族、倭族)の先祖の烏蛮(うばん)族が南東チベットをルーツとし、ピー=霊(ひ)信仰の「烏(う=カラス)」を神使とする部族であることです。

⑹ 縄文ノート147 『ちむどんどん』からの古日本語(縄文語)解明へ

 この「イ(夷・倭)族」については、縄文ノート「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「38  霊(ひ)とタミル語 pee、タイのピー信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」ではロロ族と書き、「136 『銕(てつ)』字からみた『夷=倭』の製鉄起源」では「民族名の自称は『ロロ』『ノス』『ラス』『ニス』『ノポス』など地域によって異なり、中国古典では『夷』『烏蛮』『羅羅』『倮倮』などと書かれています」と書きましたが、「すべての音節の末尾が母音で終わる開音節言語」であり、「a、 i、 u、 e、ie、 o、uo」母音であることは、今回、初めて気づきました。

 「イ(夷・倭)族」のDNA・宗教・畑作・食文化・『銕(てつ)』字などに興味があったのですが、言語についてはウィキペディアから、今回、初めて気づきました。

⑺ 縄文ノート181 縄文石棒と世界の性器信仰

 イネもまたニジェール川流域が原産地の1つであり、その栽培・米食文化を持ち、さらにアジアイネに出会って日本列島にやってきた可能性が高いと考えます。ヒエなどの雑穀やイモ食・もち食は西アフリカがルーツの可能性が高く、さらに東南アジア・雲南山岳地帯が原産のソバや納豆文化などもこの移動ルート上にあり、南インド・ドラヴィダ族やブータン※、雲南の烏蛮(イ族=夷族、倭族)の烏信仰平安時代からの男性正装であった前に雛形・雛先(女性器)を付けた烏帽子(えぼし=カラス帽子)のルーツの可能性があります。 ※ブータンではカラスを国鳥としていることを書き落としました。

 

2.メソポタミアの「カラス信仰」

 前述のように、有名な旧約聖書の「『ノアの方舟』神話では、洪水がおさまりかけたときノアはワタリガラスを偵察に放つのですが、自由な気質のワタリガラスはかえってこず、次にハトを放つとオリーブの小枝を加えてきた」からメソポタミア文明のカラス神話を私は理解していたのですが、BS101のダークサイドミステリー「世界の怪鳥聖鳥伝説を追え!ヤタガラスから翼竜生存説まで」を見て、それが誤りであることを初めて知りました。

 なんと、紀元前1300〜1200年頃にまとめられた古代メソポタミアギルガメッシュ叙事詩では、カラスを放つとハトは帰ってきたのにカラスは帰ってこず、陸地を見つけたカラスが戻らないのはエサを食べているからと考えてカラスの後を追ったというのです。

 カラスは人を導く聖鳥であったのを、後のユダヤ教旧約聖書はハトを聖鳥に置き換え、ギリシア神話もまた「カラスは太陽神アポロン使徒で純白の羽毛をもっていたのが、真実を告げて黒い鳥に変えられた」と改変したのです。

 古代インドの海洋交易が発達した紀元前2世紀頃の記録でも、商人たちは陸地が見えなくなるとハトやカラスを放って進むべき方角を探したとされています。カラスは名ナビゲーターだったのです。

 また時代は9世紀に下がりますが、バイキングのフローキ・ビリガルズソンはカラスを3羽放してアイスランドを発見したとされています。また、アラスカの先住民は「ワタリガラスについていけば獲物にありつける」ということわざがあり、カラスに獲物を与え、獲物を探して人間に教えるようにしていました。

 古代エジプトの王家の谷を建設した労働者の町からは、紀元前1290年頃の墓職人・センネジェムの墓が発掘され、太陽の神・ラーが乗った船の先には黒鳥・カラスが描かれています(左図参照)。そして、時代はずっと下りますがうきは市吉井町にある6世紀後半の珍敷塚(めずらしづか)古墳の装飾壁画(右図:復元図)の船の舳先にもカラスらしい鳥が描かれています。番組では「死者の魂を死後に導くカラス」とし、松原始東大総合研究博物館准教授は死体に群がるカラスやヒマラヤ地方の鳥葬文化から、カラスが人の魂を救う聖鳥とされたとしています。

 私の解釈は少し異なり、中部アフリカのカメルーン山や東アフリカ湖水地方の万年雪をいただくルウェンゾリ山・ケニア山・キリマンジャロあたりで死者の魂が神山から天に昇るという「神山天神信仰」が生まれ、ナイル川を下ってエジプトの人工の神山・ピラミッドに伝わり、さらにメソポタミアのチグリスユーフラテス川源流のアララト山信仰と人工の神殿・ジッグラトを経て世界に拡散したと考えており、その過程で天に使者の霊(ひ:魂)を運ぶ船やカラスが信仰されるようになり、特に海洋を航行する海人族や鳥葬とともに世界に広まったと考えています。―縄文ノート「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「57  4大文明と神山信仰」「61 世界の神山信仰」「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「158  ピラミッド人工神山説:吉野作治氏のピラミッド太陽塔説批判」「178 「西アフリカ文明」の地からやってきたY染色体D型日本列島人」参照

 日本の「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」と囃すカラスに赤飯などを与える行事はその特異な「囃子言葉」から南インドのドラヴィダ族の「ポンガ」がルーツであることは明らかであり、さらに遡ればエジプト・メソポタミア文明の共通のルーツである東アフリカに遡る可能性がありますが、日本語で検索した範囲ではアフリカにカラス信仰は見つけることができませんでした。

 旧約聖書の影響を受けたキリスト教イスラム教の信仰の影響や農作物を荒らすことから、アフリカではそれ以前にあったカラス信仰は消えてしまった可能性があり、今後の探究課題です。

 

3.「アニメ 烏(からす)は主(あるじ)を選ばない」

 阿部智里作の「八咫烏シリーズ(やたがらすシリーズ)」の小説・マンガは知りませんでしたが、4月6日(土)よりNHKでアニメ・シリーズが放映されており、4月3日のダークサイドミステリー「世界の怪鳥聖鳥伝説を追え!ヤタガラスから翼竜生存説まで」はその番組宣伝であったようです。

 この小説・マンガやアニメについては知らないので何もコメントすることはありませんが、3本足の八咫烏(やたがらす)が日本サッカー協会陸上自衛隊中央情報隊のシンボルマークにされ、歴史的には大日本帝国時代の金鵄(きんし:金色のトンビ)や鷲とともに用いられてきた経緯を考えると、スサノオ大国主建国論に取り組んできた私としては言及しないわけにはいきません。

 「縄文ノート73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」では次のように書きました。

  

3 烏(カラス)信仰について

 烏信仰について、「中国神話では三足烏は太陽に棲むといわれる。陰陽五行説に基づき、二は陰で、三が陽であり、二本足より三本足の方が太陽を象徴するのに適しているとも、また、朝日、昼の光、夕日を表す足であるともいわれる。 中国では前漢時代(紀元前3世紀)から三足烏が書物に登場し、王の墓からの出土品にも描かれている」(ウィキペディア)とされています。

 厳島神社安芸国一宮)、住吉大社熊野大社(本宮・速玉・那智)などスサノオ系の神使の「三足烏(さんそくう)の烏」はこの中国文化の影響を受けた可能性があります。一方、後にワカミケヌ(若御毛沼:諡号神武天皇)の「東征」(私は傭兵部隊の移動と考えます)で熊野から大和(おおわ)国へ道案内をしたとされる八咫烏(やたがらす)は3本足とは書いてなく、8咫=8尺(1尺=約18㎝)は約144㎝ですから、小柄で色黒く、カラスとあだ名された男であったと書いているのです。黒い法衣の裁判官を「カラス」と言ったからといって、まさか裁判官を空飛ぶトリとする人などいないのと同じです。

 「三足烏」はJFA(日本サッカー協会)のシンボルマークにされていますが、「三足烏」はスサノオの神使であり、サッカーファンは記紀などを読んで「スサノオ大国主建国派」に変わるべきではないでしょうか? 「三足烏」は天皇家を支えるシンボルではありません。

 

 熊野のスサノオ一族の配下であったヤタガラスは、スサノオ一族を裏切り、スサノオの御子の大年(大物主)一族が支配する大和(おおわ:元は大倭)侵略を目指す薩摩半島の阿多を拠点とした山人(やまと)族傭兵隊のワカミケヌ(若御毛沼)の手先となり道案内を行ったのであり、まさに「烏(からす)は主(あるじ)を選ばない」裏切者であったのです。

 「勝てば官軍」で、侵略軍の手先となった裏切者の八咫烏(やたがらす)を信奉したい軍国主義者がまだまだ多いようですが、記紀に書かれたスサノオ大国主一族による米鉄交易と鉄先鋤と妻問夫招婚による平和な百余国の「豊葦原水穂国」の建国を認めるならば、厳島神社安芸国一宮)、住吉大社熊野大社(本宮・速玉・那智)などスサノオ系の神使の「三足烏(さんそくう)」こそシンボルとすべきでしょう。

 熊野本宮大社の熊野牛王神符「オカラスさん」は八十八の烏をデザインしていとされており、スサノオが詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」の日本初とされる和歌や、八百万神(やおよろずのかみ)信仰との繋がりを感じさせます。

 あなたは「三足烏(さんそくう)」と「八咫烏(やたがらす)」のどちらの歴史が好きでしょうか?

 

4.鳥居や棟木の「カラス止まり」の烏(からす)

 吉野ヶ里遺跡に行き、入口の鳥居と大型建物(主祭殿?)の上に鳥が乗っている写真を撮り、死者の霊(ひ)を鳥が天に運ぶ霊(ひ)信仰として紹介してきましたが、なんと、吉野ヶ里遺跡では鳥の木製品は出土していないというのです。

 ブログ「吉野ヶ里遺跡の木製鳥形 - クロムの備忘録的ダイアリー (goo.ne.jp)」によると、「他の遺跡からは鳥形は出土しており鳥にはシンボル的意味合いがある」「中国や東南アジアでは入り口に鳥形が飾られる集落がある」「弥生時代には穀物の霊に対する穀霊信仰があり、穀霊を運ぶ鳥を崇拝する観念が生まれた」「鳥への信仰は穀霊信仰の強い東南アジアに残っている」「鳥には結界を示すような意味合いがある」「ここでいう鳥は水鳥である」という説明を受けたそうですが、かなり偏った推測というほかありません。

 確かに、大阪府和泉市の2300~1800年前の池上曽根遺跡からは鳥型木製品が出土しており、奈良県北葛城郡河合町の4~6世紀の馬見古墳群の佐味田宝塚古墳(30面の銅鏡出土)の家屋文鏡の建物上には鳥が描かれています。なお、この馬見古墳群は「『卑弥呼王都=アマテル高天原』は甘木(天城)高台」(200206→0416)で触れましたが、スサノオの娘(産女)の宇迦之御魂(うかのみたま:おいなりさん)と大国主の息子(産子)の阿遅志貴高日子根(あぢすきたかひこね:迦毛之大御神)の一族の拠点と私は考えています。 

 

 鳥越健三郎大阪教育大名誉教授の『雲南からの道』は、アカ族は村の門の上に木彫りの鳥を置いており、日本の鳥居のルーツとしています。

 

 ウィキペディアによれば、雲南省のハニ族はミャンマーラオスミャンマーベトナムではアカ族と呼ばれ、焼畑を中心とした農耕生活を営み、ラオスに住むアカ族の村の入り口には木で作った門を置き、鳥居の風習は四川省涼山に棲むイ族(夷族・倭族:チベット系の烏蛮族、ロロ族)とも共通しているとされています。

 この鳥の種類ですが、アカ族の鳥居の鳥と、池上曽根遺跡の鳥型木製品の鳥の1つは下向きにエサを啄んでいる姿であり、集落の周りにいる身近な鳥であり、イ族(夷族・倭族)が古くは「烏蛮族」と言われていたことをみても、カラスと見られます。年にある期間だけやってくる渡り鳥では、何の役割も期待できません。

 

 吉野ヶ里遺跡では「弥生時代には穀物の霊に対する穀霊信仰があり、穀霊を運ぶ鳥を崇拝する観念が生まれた」「鳥への信仰は穀霊信仰の強い東南アジアに残っている」「ここでいう鳥は水鳥である」と空想していますが、鳥越氏は「鳥は神の乗り物である」としています。記紀に書かれた始祖神の「産霊(むすひ)夫婦」の霊(ひ:祖先霊)信仰の歴史からみても、穀霊信仰説はいただけません。

 さらに、鳥越氏は日本の民家でも棟木の千木組の上に1本の竹を通し「カラス止まり」と呼ぶとして写真を載せ、烏は神使なので止まり木を置くことで神が屋根の上に降りていることを示したのであろうとし、ラフ族の「カラス止まり」がルーツとしています。

 

 茅葺き・藁葺きの民家については前から興味を持っていましたが、「カラス止まり」については意識したことがなく、ざっとネットで検索してみると、次の写真に一部を示しますが今も伝統として各地に残っていました。

 

 私の両親の祖父母の家では、大黒柱(大国柱=心御柱=心柱と考えます)にそって神棚が祀られており、人(ほと=霊人)は死ぬと「神」になるという八百万神信仰により、「神棚→大黒柱→棟木→カラス止まり」からカラスによって死者の霊(ひ=玉し霊=魂)は天に運ばれ、また天から帰ってくると考えられていたのです。天皇家による仏教の国教化により、死者は「仏」になり仏壇に祀られるようになっても、神棚は維持されており初孫であった私は田舎に行くと毎朝、ご飯を神棚と仏壇に供えさせられましたが、どちらにご先祖の霊がいるのか、祖母に問いただした経験があります。

 そもそも、季節性の「水鳥」に使者の霊(ひ)を託すわけにはいかず、人を警戒する「水鳥」が鴨居や屋根の上の「カラス止まり」に止まるなど絶対にありえません。吉野ヶ里遺跡の「水鳥説」は理解不能です。鴨鍋や鴨南蛮が大好きな学芸員ばかりなのでしょうか?

 縄文ノート「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰』「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「149 『委奴国』をどう読むか?」において、私は南インドから南・東南アジア山岳地帯、台湾の卑南族、匈奴(ヒュンナ)などは、祖先霊を「ピー、ピュー、ピャー、ぴー・ひー・ひ」とし、神山から天に昇り、降りてくると信じていたのです。

 そして、祖先霊を運ぶ神使として、カラス(熊野大社厳島神社住吉大社)・鶏(石上神宮穂高神社伊勢神宮)・白鷺(大山祇神社)や、神山(神名火山:神那霊山)からの神使として狐(稲荷大社)・猿(日枝大社・武尊神社)・鹿(厳島神社春日大社)・兎(住吉大社)・狼(三峰神社)などを祀ってきたのです。

 吉野ヶ里の「水鳥説」は、日本とアジアの霊(ひ:祖先霊)信仰の伝統を無視したトンデモ説というほかありません。

 

 ユダヤキリスト教の影響を受けカラスを聖鳥・霊鳥から悪役(ビラン)に陥れてハトを聖鳥と崇める拝外主義の風潮が見られますが、「霊(ひ)から生まれ、霊(ひ)を信仰するひと(人=霊人)」である日本人が「霊(ひ)の鳥=カラス」を忘れていたのでは洒落にもなりません。なお、古代人はDNAが親から子へと受け継がれるのを「霊(ひ)」が受け継がれると考え、霊継(ひつぎ)を重要視し、霊継(ひつぎ)が断たれた霊(ひ)は怨霊(おんりょう)となって迫害者に祟ると考えたのです。

 「悪役カラス」「害鳥カラス」から「神使カラス」「ナビゲーターカラス」への復権が求められます。

 

5.鳥耳、鳥鳴海、日名鳥、鳥船、烏越の名前は?

 古事記神話の大国主一族では、筑紫妻の「鳥耳」一族の「鳥鳴海」、「日名鳥(夷鳥・比良鳥・日照)」「鳥船(筆者説は日名鳥の別名)」、「布忍富鳥鳴海」が登場し、魏書東夷伝倭人条には倭の使者の「載斯烏越」(載斯は祭司か?)が見られます。

 吉野ヶ里遺跡原の辻遺跡などの鳥居のルーツやうきは市吉井町の6世紀後半の珍敷塚(めずらしづか)古墳の装飾壁画の船の舳先の鳥の種類と合わせて、検討する必要があると考えます。

 Y染色体D型の縄文人からの伝統と考えられる赤米を炊いてカラスに与える「ポンガ」の神事と、スサノオ大国主一族の神使の「三足烏」と合わせて、時間軸とアフリカからの伝播ルートの空間軸の2次元の解明が求められます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/