ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考

 またまた縄文社会研究から外れて、製鉄についての補足的小テーマについて忘備メモを書いておきたいと思います。

 ずいぶん前に買っていたユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』上下2冊を読んで書くつもりでしたが、ウクライナ戦争で「世界は新たな帝国主義に入った」と暗い気持ちでFBなどを書いており、一気に2冊を読んで評価・批判を行う余裕がありません。

 そこで気になっていた「蛇神→龍蛇神→トカゲ龍神龍神」信仰と蛇行剣、「阿曽・曽」地名から、曽於・大隅おおすみ=おおくま)・球磨・阿蘇熊襲)・播磨・諏訪の関係について「縄文ノート125 播磨・吉備・阿蘇からの製鉄・稲作・古墳の起源論」の補足を行っておきたいと思います。 

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 稲作起源論や日本語起源論について書いた縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」「37 『神』についての考察」「41 日本語起源論と日本列島人起源」「97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」などで私の方法論を述べましたが、「希少性・恒常性のある特徴的な遺伝子の比較・分析」「希少性・恒常性の高い宗教用語」などに着目して分析す方法はルーツ探究には有効であり、極めて珍しい蛇行剣・鉾と阿曽・曽地名分析をセットに分析して製鉄ルーツ探究ができないか、と考えます。

 

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 なお、私は倭国の製鉄のルーツはスサノオが御子の五十猛(いたけると訪れた新羅系(辰韓系)製鉄(ヒッタイト・中国系製鉄)と考えていましたが、日本列島人・言語・稲作の海の道伝搬説に到達し、「縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』などで書いたように、南方系製鉄(アフリカ・インド系製鉄)のルートがあると考えるようになり、スサノオの「十拳剣(韓鋤之剣)」は新羅系の鋳鉄剣、ヤマタノオロチ王の「天叢雲大刀」と「蛇行剣」は南方系の鋼鉄刀剣と考えています。

 

1 「阿曽・麻生・曽根」地名は古代製鉄拠点を示す

 縄文ノート「122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』」「125 播磨・吉備・阿蘇からの製鉄・稲作・古墳の起源論」などにおいて、私は次の10の理由などからスサノオ大国主一族の「葦原中国」建国に伴い「阿蘇→吉備→播磨→伊勢→諏訪」への紀元1~2世紀頃の製鉄の伝播の可能性を考えてきました。

 

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 この時、書き洩らしたのですが、たつの市に帰京した時に母とよく食事に通っていた東隣の太子町には「阿曽」地名の交差点があり、すぐ近くにはスサノオと共に新羅に渡った御子の五十猛(いたけるを祀る中臣印達神社(なかとみいたてじんじゃ:いたて=いたけるがあります。この地は聖徳太子を祀る斑鳩寺があり、606年に法隆寺の荘園として太子から寄進されていることからみて、新羅侵攻を2度にわたって進めていた聖徳太子にとって武器調達の重要な製鉄拠点であった可能性があります。―「帆人の古代史メモ94 半沢英一氏『天皇制以前の聖徳太子―『随書』と『記』『紀』の主権者矛盾を解く』を読んで―画期的な「仏教倭王論」と未消化な「前方後円墳時代論」と古代宗教論―」参照

 

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 また、私の妻の実家は謡曲高砂』の舞台であり、阿蘇の神主・友成が登場する高砂神社の近くの「曽根」にあり、この地には大国主・少彦名の建国伝承があり、「天川」「高御位山(播磨富士:天皇家皇位継承は高御座で行われる)」地名、大国主・少彦名が建てた「石の宝殿」があり、隣の加古川市には播磨国風土記に出てくる「大国の里」「天下原(あまがはら)」「含芸(かむき)」が「大国」「天下原」「神吉・神木(筆者説:神城)」地名として現在も残っています。

 そして、太子町の「阿曽」と高砂市の「曽根」の間の姫路市には「麻生(あさお)(播磨小富士)」があります。富士山型の神名火山(神那霊山)は伝承や麓の神社からみて出雲族の拠点とみて間違いありません。

 さらに重要な点は、製鉄を吉備・因幡・出雲に伝えた金屋子神伝承があり、播磨国風土記に「鉄生う」の記載のある宍粟市周辺には「阿曽」名字が多く、吉備の阿曽地区と同じく阿蘇一族の製鉄拠点であったことを示しています。播磨国風土記には大国主一族の水路開削と稲作関係の地名命名の伝承が数多くみられますが、「スサノオ大国主建国に伴う地名の全国拡散」は播磨の地でも濃厚であり、「阿曽・曽系地名」からみても阿蘇系(アフリカ・インド系)の縦型炉製鉄の伝播の可能性を示しています。

 

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 なお、阿曽地名は三重県度会郡大紀町福井県敦賀市に、阿曽布村は岐阜県飛騨市にあり、「縄文ノート118 諏訪への鉄の道」で書いたように、播磨の大国主の御子の伊勢津彦(代々襲名の可能性)は伊勢国をつくり、さらに伊勢から諏訪に移住したことが両風土記に記され、諏訪大社上社前宮・下社春宮・秋宮に祀られた建御名方の妻の八坂刀売は「お明神さまのお后さまは、伊勢の国の麻績(おみ)の御糸村の八坂彦命の娘だそうナ」と伝わっており、その「麻績(おみ)の御糸村」の南に水銀朱のとれる多気町丹生があり、さらにその南の度会町に阿曽地区があり、この地域は伊勢の製鉄・朱生産の拠点であったと考えられます。

 阿曽名字からみても、兵庫・岐阜・三重・岡山に多く、阿曽地名の分布と一致しており、阿曽族による古代製鉄の広がりを伺わせます。

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 補足しておきますが、鹿児島県の大隅半島北部の「曽於(そお)」は「soo」の母音連続省略で「so(曽)」となり、「あっちこっち」「あ須賀=あすか=明日香=飛鳥」の例からみて阿蘇・阿曽は「曽から離れた地」を指し、「大隅おおすみ」は元々の「おおくま」の読み方を変えたもので鹿児島県東部全域を指し、宮崎県南部の球磨(人吉市球磨郡)とあわせて、くまそ(熊曽(古事記)、熊襲日本書紀)、球磨贈於(肥前国風土記豊後国風土記))が支配していたと考えられます。

 古事記の紀元1~2世紀のスサノオ大国主建国神話では、イヤナミが産んだ筑紫島(九州)は、白日別(しらひわけ:筑紫国、豊日別(とよひわけ:豊国)、建日向日豊久士比泥別(たけひな-ひとよ-くじひねわけ:肥国)、建日別(たけひわけ:熊曾国の4国からなり、別に吉備児島を建日方別(たけひかたわけ)としています。

 この「日別」は、元々のスサノオ大国主一族の「日(霊)国(ひのくに=ひなのくに)」から別れた国であり、その範囲は九州から吉備にまで及んでいたと考えられます。

 なお「肥国(ひのくに:後の肥前肥後国」の「建日向日豊久士比泥別(たけひなひとよくじひねわけ)」名称は、日向(筑紫日向(ひな)筑後川中流の甘木:高天原=邪馬壹国王都)から豊の久士比泥(くじひ峯=クジフル岳=久住山あたりを拠点とし、築後平野から熊本平野にかけての国であり、高天原の所在地やニニギの天下りのクジフル岳の場所を太安万侶はこの地名で秘かに伝え残したと考えます。

 魏書東夷伝倭人条に登場する邪馬壹国女王・卑弥呼と対立した狗奴国(王:卑弥弓呼、官:狗古智卑狗)は邪馬壹国の南にあり、卑弥呼(ひみこ)と卑弥弓呼(ひみここ)の王名からみて両王は同族であったと考えられ、狗古智卑狗は漢音・呉音チャンポンだと「コウクチヒコウ=河口彦=河内(こうち)彦(河内町は熊本市北部一帯)」であり、隼人が天皇即位儀式(践祚大嘗祭:せんそおおにえのまつり)において犬の鳴き声をあげる犬祖儀式からみても、狗奴国は熊本県北部を指していることが明らかです。

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2 播磨国風土記の蛇行剣 

 播磨国風土記の「鉄生ふ」の記載のある讃容郡(さようぐん:現佐用市)の仲川里には、前から気になっていた次のような奇妙な記述があります。

 

 近江天皇天智天皇)の世に、丸部具(わにべのそなふ)河内国兔寸(うき)村の人が持っていた剣を買った後、家の者すべて滅亡した。その後、苫編(とまみ)部の犬猪(いぬい)がその跡地を耕し、この剣をえた。柄は朽ち失われていたが、刃は錆びず、光、明らけき鏡のようであった。犬猪は怪しんで、家に帰って鍛人(かねち)を招いて、その刃を焼かしめた。その時、この剣が屈申(くっしん)すること蛇のようであった。鍛人大いに驚き、営(つく)らずして止めた。犬猪はあやしい剣と思い、朝廷に献上した。後に浄御原朝廷(注:天武天皇)の時に、曽禰連麿(そねのむらじまろ)を遣わして、本処に返し送った。今はこの里の御宅に安置している。

 

 「近江天皇天智天皇)の世」(667~672年)というのは犬猪が剣を朝廷に献上した時であり、この蛇行剣の製作年代はさらに古いと考えられますが、土中で「其刃不渋」(錆びなかった)と「屈申蛇如」(くっしん蛇のごとし)の記載は重要な手掛かりを残しています。

 錆びない鉄といえばインドの「デリーの鉄柱」や「ダマスカス鋼(インドのウーツ鋼の別称)」が有名であり、ウィキペディアは「インドで産出される鉄鉱石にはリン(P)が比較的多く含まれ、鉄を精製する際にミミセンナ(リンを含む植物)を加えており、表面がリン酸化合物でコーティングされた」という錆に強い鋼生産説を掲載しています。

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 「たたら炉の周囲の柱に死骸を下げると大量に鉄が取れるようになった」という金屋子神伝承からみると、製鉄の過程でリンを加えた可能性があり、「屈申蛇如」からみると炭素の少ない鋼であり、インドの筒形炉で褐鉄鉱(リモナイト)からつくるウーツ鋼(ダマスカス鋼)のような剣であった可能性があります。―「縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』」参照

 このウーツ鋼の木目状模様はバナジウムによるとされており、バナジウム産地が南アフリカにあることからみて「南アフリカ鉄」がシリアやイラン、インドに輸出されたと考えられ、日本ではバナジウムはエビやカニなどに含まれ、前述のリンもエビ・カニ類に多く含まれることからみて、ヤマタノオロチ王の八雲肌の「天叢雲大刀」の製鉄にはエビ・カニ類が加えられた可能性もあります。

 「讃容郡仲川里の丸部具(わにべのそなふ)→犬猪(いぬい)→天智朝→天武朝→曽禰連麿(そねのむらじまろ)→仲川里御宅」という蛇行剣の移動は、著名な千種鉄産地の讃容郡からの蛇行剣献上と返還、出雲大社の龍蛇信仰、大神神社の蛇信仰(記紀の大物主を蛇とする伝承)、古事記和邇を騙した因幡の白兎を助けた大国主の神話、曽根地名ゆかりの曽禰連麿などからみて、スサノオ大国主一族の龍蛇神信仰を示しています。

 ウィキペディアは「蛇の如く形状をした鉄剣を神聖視していた」とボンヤリとしか述べていませんが、蛇行剣はスサノオ大国主一族の神器なのです。

 

3 蛇行剣分布からみた龍蛇信仰の広がり

 スサノオが奪ったヤマタノオロチ王の「天叢雲大刀」が紀元1世紀ごろであるのに対し、蛇行剣は4~6世紀の遺跡から出土しており、両者の繋がりについては後程、検討することにしてまずは蛇行剣の分布をみてみましょう。http://www.maibun.com/DownDate/chirashi/Hananoki0729-R.pdf

 ウィキペディアによれば、蛇行剣は「2008年時点で、70本近くあり、本州から37本が出土し(この内、中部地方出土のものは12本)、残りの半数は九州、特に南部地域に集中」しているとしています。

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 鹿児島県の大隅の曽於から霧島連峰韓国岳高千穂峰新燃岳・夷守岳など)を迂回して宮崎県の小林市・えびの市から熊本県の人吉に抜ける途中のえびの市の島内地下式横穴墓群には、5~6世紀の1000基を超える地下式横穴墓があり、多くの鉄器の中に蛇行剣10本が含まれていました。

 なお、小林市一帯は古代には「夷守(ひなもり)」と呼ばれ、魏書東夷伝倭人条に書かれた対馬国・一大国(いのおおくに)・奴国・不弥国の副官「卑奴母離(ひなもり)」と同じく、「日那(ひな:霊の国)を守る武官」が置かれていた場所で、スサノオ大国主一族の拠点であったと考えられます。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照 日向国一宮の都農神社が大国主を祭神としていることからみても、日向の地はスサノオ大国主一族の拠点であったと見られます。

 さらに、播磨の高砂市の北の加西市の5世紀後半の亀山古墳から蛇行剣が見つかっていますが、この播磨国風土記では賀毛郡には大国主の稲作伝承が多く、御子の丹津日子の水路づくりに大水神が「吾は宍の血で佃(たつく)る」と述べて協力しなかったと書かれており、縄文時代からの水辺水田稲作を行っていた大水神が大国主・丹津日子の鉄先鋤を使った水利水田稲作の普及に協力しなかったことがリアルに描かれています。

 三河湾から諏訪へ抜ける入口で、最上稲荷で有名な豊川市の花の木古墳群の4世紀の7号墳(方墳)からも蛇行剣が見つかっていますが、方墳はスサノオ大国主一族の様式です。なお、女神で稲の神である稲荷神はスサノオと神太市比売(大山祇の娘)の御子の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っており、日本三大稲荷として、この豊川稲荷とともに温羅王伝説の阿曽に近い最上稲荷(他にも説あり)が挙げられていることは気になります。

 諏訪の八坂刀売を祀る諏訪神社上社本宮のそばの諏訪地方最古の5世紀前半のフネ古墳(方墳)でも多くの鉄製品とともに2本の蛇行剣が見つかっており、この地はスサノオ大国主一族の拠点であり縄文時代の女神像や土器飾りからみて古くから龍蛇信仰があった地域です。

 記紀に書かれた大国主の御子の建御名方の諏訪への移住、諏訪に伝わる八坂刀売伝承、播磨国風土記伊勢国風土記伊勢津彦の播磨→伊勢→諏訪への移住、曽於・曽・阿曽地名の分布などからみて、蛇行剣は大隅おおすみ=おおくま)、播磨、伊勢、三河、諏訪のスサノオ大国主一族によって伝えられた可能性が高いと考えます。

 

4 龍蛇神伝説の分布

 縄文時代から続く出雲・美和(大和:おおわ)・諏訪の龍蛇神(トカゲ龍神龍神)信仰についてはすでに「縄文ノート30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」などで繰り返して述べてきましたが、蛇行剣が発見された地域ではどうでしょうか?

 スサノオ大国主一族の龍蛇神信仰が明白な出雲大社大神神社を除いてざっとたどってみると、次のように各地域に龍神信仰が見られますが新しいものが多く、スサノオ大国主時代に遡る龍神信仰は兵庫県に濃厚で、岡山県にも見られると考えれられます。

 そうすると、蛇行剣のルーツは大隅おおすみ=おおくま)ではなく、播磨から西と東に伝わった可能性が高いと考えます。

 

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5 阿曽・曽地名と蛇行剣、龍神信仰分布の不一致

 以上、「阿曽・曽根」地名と「阿曽」名字の分布、スサノオヤマタノオロチ王から奪った「天叢雲大刀」と錆びず粘りのある「蛇行剣」のルーツ、蛇行剣の国内での分布、龍神信仰の分布を重ねてみてきましたが、次のような問題点が残っています。

 第1は、紀元1~3世紀頃のスサノオ大国主建国と4~6世紀の古墳からの蛇行剣に時代的なズレがあることです。

 第2は、鹿児島県の大隅に蛇行剣が濃厚に分布しながら、熊本県から蛇行剣が発見されていないことです。5~6世紀の吉備・播磨・摂津などの阿蘇ピンク石の石棺の分布にも関わらず、蛇行剣が熊本県から見つかっていないのは気になります。―「縄文ノート125 播磨・吉備・阿蘇からの製鉄・稲作・古墳の起源論」参照

 第3は、紀元1~3世紀の製鉄遺跡が阿蘇や阿曽地名の場所から未だに発見されていないことです。

 これらの疑問点については私は次のように考えます。

 ① 紀元1~2世紀の百余国のスサノオ大国主の「委奴国(いなのくに)」の建国により、阿蘇から諏訪にかけて中国・新羅系製鉄と阿曽一族によるアフリカ・インド系製鉄の2つの系統の製鉄が行われ、鉄先鋤による水利水田稲作が全国に普及したことは、古事記に書かれたヤマタノオロチ王の鉄刀や播磨国風土記大国主の鉄伝承、大国主一族による水利水田稲作の全国的な普及を示す記紀播磨国風土記の記載から明らかです。現在の通説である新羅からの鉄材輸入だけで大量の鉄需要に対応できたとは考えられません。

 ② 紀元2世紀の「倭国大乱(大国主の筑紫対出雲・諏訪の後継者争い」で対馬壱岐肥前・筑紫と南の投馬国からなる邪馬壹国(やまのいのくに)が「委奴国(いなのくに)」から分離・独立した後も、大国主・大物主連合の「倭国(いのくに)大和国(おおわのくに)」により、大隅・球磨・阿蘇から豊(とよ)、安芸・吉備・播磨・大和(おおわ)・伊勢・三河・諏訪などにかけては、神在月での出雲大社での大国主祭祀と大神神社でのスサノオ大物主大神)祭祀による「縁結び」により3~4世紀にかけて交流・婚姻が続き、龍蛇神信仰と製鉄を結びつけた蛇行剣が生まれたと考えられます。

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 ③ 4世紀末になって薩摩半島南西端の笠沙・阿多の山人(やまと)族の御間城入彦(後に崇神天皇と忌み名)が大物主の大和国(おおわのくに)の権力を奪った後にも、5~6世紀のスサノオ大国主系の豪族たちは吉備・播磨・摂津などの阿蘇ピンク石の石棺を利用したと考えれられます。謡曲高砂」は阿蘇の神主により伝えられた高砂大国主と住吉の姫の伝承を反映したものと考えます。

 ④ 大隅から蛇行剣が大量に発見されながら熊本県から蛇行剣が発見されていないのは、阿蘇山の何度もの噴火により遺跡が埋まってしまったことによる可能性が高いと私は考えています。

 なお、12代景行天皇播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)の間に現在の加古川市で生まれた小碓尊(おうすのみこと)、後の倭建(やまとたける熊襲(くまそたけると弟建(おとたけるを暗殺したことになっていますが、弟建から倭建の名前を与えられていることからみて、実際には大和天皇家への帰属を巡る兄弟間の対立に介入し、兄の熊襲建を暗殺し、弟建から倭建の名前を与えられたと見られます。

 

6 アフリカ・インド系製鉄説のさらなる探究へ

 スサノオ大国主建国が新羅系の鉄だけでなく、アフリカ・インド系の縦型炉製鉄の鉄先鋤によるという私の仮説は、状況証拠からはある程度は解明できたと思いますが、さらに次のような課題が残っています。各地での若い世代の探究に期待したいと思います。

 ⑴ 直接証拠

  ① 錆びず柔らかい蛇行剣の成分分析―バナジウム鋼などの可能性

  ② 大隅(曽於)・阿蘇・阿曽(吉備・播磨・伊勢・美濃・三河・諏訪など)での縦型炉製鉄遺跡の発見と金糞の成分・年代分析

 ⑵ 間接証拠

  ① 縦型炉による阿蘇リモナイト・赤目砂鉄などによる製鉄再現実験による金糞成分分析と

  ② ヤマタノオロチ王の「天叢雲大刀」(八雲肌鋼仮説)の再現実験

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/