縄文ノート136 「銕」字からみた「夷=倭」の製鉄起源
最初に漢字を習った頃、「林=木+木」「森=木+木+木」という漢字は面白く、偏と旁で漢字を覚えたものです。近くの埼大の中国人留学生に聞いてみても、やはり必ず漢字を分けて意味を考えると言っていました。
従って、「漢字分解」してその字源を考えるというのは、「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語分析」と沖縄に残る「あいういう5母音分析」と合わせて、私の古代史分析では欠かせません。
「縄文ノート132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」で「イ族(夷族)」の先祖の烏蛮(うばん)族について書き、司馬遼太郎氏が中国の雲南を歩いていたことを思い出して『街道をゆく7』を図書館で借りてパラパラとみていたところ、冒頭に「中国・江南の道」に「鉄の文字の古形は銕(てつ)である」という見逃せない指摘がありました。
製鉄について通説の「ヒッタイト起源説(トルコ起源説)」に対し私は「アフリカ起源説」支持であり、鉄の伝播ルートでは通説のヒッタイトからの「草原の道ルート説」「照葉樹林帯ルート説」に対し、私は「海の道ルート説(アフリカ鉄→インド鉄→倭鉄)」であり、「銕(鉄)」字から中国・日本の製鉄起源を考えてみたいと思います。―「縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』」参照
1 「銕(てつ)」の漢字分解からみた鉄のルーツ
ウィクショナリーによれば、「鉄」(呉音:テチ、漢音:テツ、和音:かね)字について「異体字 : 鐵(旧字体、繁体字)、铁(簡体字)、銕(古字)、鐡(俗字)、𨫓(俗字)、鉃(代用字)」としています。重要なのは、古字が「銕=金+夷」であり、ウィクショナリーは「中原の外の夷狄から伝えられた金属であることから」としています。「夷狄から」としていますが、「金+狄」字ではなく「金+夷」字である以上、中国製鉄は「夷」族が起源であるとすべきでしょう。
この「夷」字については、ウィクショナリーは字源は「弓と大を合わせた会意文字。大きな弓で『たいらげる』『やっつける』という意味で、意義は「えびす。未開部族」「たいらげる、やっつける」「ねこそぎにする」とし、『漢語林』は「紐のまきついた矢=いぐるみ」の象形文字で、四方の異民族の総称としています。
「南蛮北狄東夷西戎(なんばんほくてきとういせいじゅう)」という蔑称からみると、「夷」は図3のように東方の異民族になりますが、図4のように「南蛮」が「西南夷」「山越」「南夷」などとも呼ばれていますので、「西南夷」「南夷」「東夷」の範囲が中国製鉄の起源である可能性が高いと考えます。
「銕(鉄)」字からみると、中国の鉄の起源は北北狄・西戎からではなく、東夷が起源であり「照葉樹林の道」か「海の道」から伝わったことが明らかです。
「縄文ノート132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」でも少し書きましたが、ウィキペディアによれば、「西南夷」の名残は少数民族のイ族(彝族、旧族名: 夷族、倭族)に残っており、中国に1100万人(2013年)のほか、ラオス、ミャンマー、ベトナム(3307人:1999年)、タイなどにも分布し、民族名の自称は「ロロ」「ノス」「ラス」「ニス」「ノポス」など地域によって異なり、中国古典では「夷」「烏蛮」「羅羅」「倮倮」などと書かれています。
なお、イ族は中国西部の古羌の子孫で、イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住し、現在では雲南に最も多く居住しているという説が見られますが、「羌(コウ、キョウ)=羊+人」であることからみて遊牧民「西戎」であり、照葉樹林帯に暮らして弓矢による狩りが得意な南の「イ族」とは異なります。
一方、「東夷」は元々は江蘇省・山東省付近の「畎夷・於夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷(九夷)」などであり、後には朝鮮半島や日本列島の「委奴国(いなのくに)」「倭人(いひと・いと・いじん)」「一大国(いのおおくに)」「邪馬壹国(やまのいのくに)」なども指すようになります。
2 「照葉樹林帯ルート」か「海の道ルート」か?
「縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』」からの再掲になりますが、図5のように製鉄の起源としては、ヒッタイト説とアフリカ説の2つがありますが、現時点の考古学ではアフリカの4000~3000年前のブルキナファソ古代製鉄遺跡群(世界遺産登録)が最古であり、ナイル上流のクシュ文明遺跡からさらに古い製鉄遺跡が見つかる可能性があります。
図6のように、「NHKスペシャル アイアンロード~知られざる古代文明の道」(2020年1月13日、10月13・20日)は、「ヒッタイト(紀元前1500~2000年頃)→スキタイ→中国→朝鮮→倭」の「鉄の草原ルート伝播説」です。
一方、日立金属HP「たたらの由来」では、「たたら」語源として「百済、新羅との交渉の場のたたら場、たたら津」説、「ダッタン(タタール)語のタタトル(猛火のこと)からの転化説(窪田蔵郎氏)」、「古代インド語のサンスクリット語でタータラは熱(安田徳太郎氏)」説などをあげながら、図7のように北の「草原ルート説」とチベットから雲南高地経由の「照葉樹林帯ルート説」(揚子江河口伝播説・朝鮮半島経由説)を紹介しています。―「縄文ノート53 赤目砂鉄と高師小僧とスサ」参照
「銕(古字)」字から考えると、この日立金属HPの「照葉樹林帯ルート説」は成立しそうにみえ、Y染色体D型の分布、米やイモ・ソバ・粟・麦・コンニャクなどの焼畑農業、赤飯・もち・納豆食文化、ヒー(祖先霊)信仰・神名火山信仰・神籬(霊洩木)信仰・火祭り宗教などが「倭人(いひと)」と符合します。
しかしながら、インダス文明とメソポタミア文明の交易、アフリカのバナジウム鋼の可能性が高いインドのウーツ鋼とメソポタミアのダマスカス刀剣、日本の天叢雲大刀・蛇行剣、縄文人・縄文文化の海人・山人の両方の性質、ドラヴィダ語起源の農業語・宗教語、南方系の龍神(トカゲ龍)信仰、黒曜石文化などから、私は「雲南→揚子江下流→日本列島ルート」ではなく、「南インド→ミャンマー海岸・高地→スンダランド→中国沿岸・台湾→日本列島」への何次にもわたる海の道伝搬ルートがあった可能性が高いと考えます。
日本語が中国語の「主語―動詞-目的語」言語の影響を受けずに「主語-目的語-動詞」言語構造を維持し、倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語の3層構造であり、しかも金属・金属器語に中国にはない倭音倭語が見られることは、日本列島への金属の伝播が中国・朝鮮半島経由ではないことを示しています。
大野晋氏の『日本語とタミル語』から抜き出すと、表1のようにドラヴィダ語には倭音倭語の金属名に明確に相当するものはなく、表2の農業・食関係語や表3の宗教語の多くがドラヴィダ語(タミル語)ルーツであるのに対し、大きな違いを見せています。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系山人・海人族による日本列島稲作起源論」「37 『神』についての考察」参照
「金(かね、かな)」「銅(あかがね)」「鉄(くろがね)」「鋼(はがね)」などのベースとなる「かね」の語源については、真弓常忠氏の『古代の鉄と神々』は「テツ(鉄)はヒッタイト民族が鉄をもって築いた巨大な王国トルコの名に由来することは広く知られている」としていますが、紀元前15~13世紀のヒッタイトと、トルコ(テュルク)系民族の突厥が552年にモンゴル系民族の支配から独立し、西進したのがトルコの起源であり、真弓氏の「テツ(鉄)トルコ語説」は成立せず、インターネット検索ではその裏付けは得られませんでした。
製鉄については多くの研究がありながら、「テツ」語についてヒッタイト語・スキタイ語・サンスクリット語(インド)・チベット語・夷族語・中国語・朝鮮語などの語源説は証明されていないようです。
私は「かね」などの金属語のルーツはさらにアフリカに遡る必要があり、「鑪(たたら)」を「古代インド語のサンスクリット語でタータラは熱」とした安田徳太郎氏の説からみても、インド経由の「海の道鉄ルート説」を考えています。
3 「海の道」の双方向性とスケール
ここで思い切った仮説を提案します。オアシスを結ぶ「シルクロード(絹の道)」を見ても明らかなように、「シーロード(海の道)」もまた双方向の交通・交易路であったと考えるべきという説です。
縄文人は琉球と北海道の間で貝輪とヒスイ・黒曜石の交易を行っていたことが明らかであり、宮古から北海道の距離の範囲を図9の赤点線円で、インダス文明が交易していたペルシャ湾(メソポタミア文明)や紅海(エジプト文明)の範囲を黒線円で示すと、ほぼ同じ大きさになるのです。
水や食料が乏しく、寒暖の差の激しい「草原の道」を旅するより果物やイモ・豆・穀類、魚介類の食料が豊富でありスコールのある熱帯・亜熱帯・温帯の帆船での航海ははるかに楽です。特に鉄のような重量があり、大量に消費する金属の運搬には船しかありません。
太平洋のメラネシアやミクロネシア、ポリネシアの島々に人類が拡散した広大な範囲をみても、海人族の「海の道」を考えないウォークマン史観などありえません。「縄文ノート6 古代国家形成からみた縄文時代―船・武器・稲作・宗教論」で書きましたが、明治45(1912)年に愛媛県の八幡浜の5人の漁民は移民のために打瀬船で76日かけて太平洋を渡り、大正2(1913)年には15名が58日かけて渡り、アメリカへの船での移民は5回に及んでいるように、海人族は冒険者であり自由民なのです。
アフリカ鉄の技術はインドからさらにミャンマーあたりに伝わり、縄文交易圏に入ったと考えられます。
なお、南インドから西インド・ミャンマー高地をへて、Y染色体D型族が「海の道」を通って3万数千年前から1万5千年前頃にかけて竹筏で日本列島にやってきた旧石器人・縄文人には当然のことながら金属器はありません。
4600年前頃に製鉄がアフリカで始まり、インドや4300年前頃にはヒッタイトに伝わり、さらに江南・台湾あたりを経由して日本列島に「海の道」から鉄などが伝わるとともに、対馬・壱岐の海人族とスサノオ一族により朝鮮半島からの米鉄交易による鉄製品の輸入と製鉄技術が伝わったと考えます。
4 「イ族(委)」と「ソ族(曽)」―川下り文明か川上り文明か?
縄文ノート「125 播磨・吉備・阿蘇からの製鉄・稲作・古墳の起源論」「127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考」において、私は図10・11のような曽族(阿曽族・曽根族)と蛇行剣の分布が古代製鉄部族を示し、そのルーツがアフリカ・インド系製鉄であることを示唆しました。
この時は論点が拡散するので書きませんでしたが、「曽族」のルーツは中国の揚子江中下流域の湖北省・湖南省あたりに紀元前11~3世紀の周代・春秋時代・戦国時代に存在した「楚」(図12)と同じルーツの可能性が高いと考えています。
この中国の「楚」は「夷族」が住む雲南の下流になりますから、「照葉樹林帯ルート伝播説」とも符合しますが、ウィキペディアでは「黄河文明に属する諸族が移住して成立したとする北来説と、それとは異質な長江文明の流れを汲む南方土着の民族によって建設されたとする土着説に大きく分かれ」ているとしており、私は「龍信仰」から後者の南方説を支持しており、「海の道鉄伝播説」とも符合します。
長江・黄河文明については、根強いウォークマン史観・肉食人類サバンナ・ステップ拡散史観の影響で、西方・南方からの「川下り文明」説が定説となっていますが、私は日本の縄文文明からみても、インダス文明や長江・黄河文明は「海の道」からの「川上り文明」であると考えます。―縄文ノート「36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」「39) 「トカゲ蛇神楽」が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」参照
インド製鉄を伝えた「ソ族」は黄河を遡って「楚」の国を建てるとともに、日本列島では「曽於」「阿曽」などに定着し、アフリカ・インド系製鉄文化を広めたと考えています。
「縄文ノート127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考」の「6 アフリカ・インド系製鉄説のさらなる探究へ」の再掲になりますが、「アフリカ・インド系製鉄」と「新羅系製鉄」の2ルートの製鉄伝播について若い世代の次のような研究を期待します。
⑴ 直接証拠
① 錆びず柔らかい蛇行剣の成分分析―バナジウム鋼などの可能性
② 大隅(曽於)・阿蘇・阿曽(吉備・播磨・伊勢・美濃・三河・諏訪など)での縦型炉製鉄遺跡の発見と金糞の成分・年代分析
⑵ 間接証拠
① 縦型炉による阿蘇リモナイト・赤目砂鉄などによる製鉄再現実験による金糞成分分析による「アフリカ・インド系製鉄」と「新羅系製鉄」の解明
② ヤマタノオロチ王の「天叢雲大刀」(八雲肌鋼仮説)の再現実験
③ ダマスカス鋼(インドのウーツ鋼の別称)の成分分析との対照
④ 「テツ」語源の探究
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
邪馬台国探偵団 http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/