ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社

 長野県諏訪市を中心に中部・関東に広がる「ミサク神」「ミシャグジ神」の解明に向けて、9月10日には中央構造線の断層に沿って「神長官邸みさく邸」から西に進んで北方御社宮司社を見学し、時間がなくて有賀千鹿頭神社はパスし、11日には諏訪湖北岸の下浜御社宮司神社を見学しました。

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 私は「ミサク神」「ミシャグジ神」や「鹿頭(かとう)祭祀」は縄文時代の信仰を受け継いだスサノオ系の物部一族の守矢氏の祭祀と考えており、「守矢氏=縄文人諏訪氏弥生人」説ではなく、縄文時代の信仰を受け継いだ「守矢氏=スサノオ一族、諏訪氏大国主一族」説を神社の立地と環境、祭神から確認したいと考えました。

 なお、下浜御社宮司神社では「ミサク神」「ミシャグジ神」は女神ではないか、という結論に達しましたが、地元でのさらなる調査を期待したいと思います。

 

3.北方御社宮司(みしゃぐじ)社 

  諏訪市大字湖南字砥沢2993 9月10日13:10

<経過>

① 神長官守矢家の屋敷神の「神長官邸みさく神境内社叢」では、神木・かじのきを「みさく神」(御左口神)として祀っており、神=霊(ひ=魂=祖先霊)が神木に憑りつくという「神山天神信仰」(神名火山(神那霊山)信仰)「神籬(ひもろぎ:霊洩ろ木)」信仰を示すと考えてきました。―「縄文ノート23 2020八ヶ岳合宿報告」参照

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② その語源としては2つの説を考えました。

 1つは、『古事記』の石析神根析神(いわさく・ねさく:日本書紀:磐裂神・根裂神)と同じで、「さく=裂く=咲く」(ちなみに、蕾が一斉に裂くのが桜)から、「みさく神」は「御裂神」で死者の霊(ひ)が大地に帰り、大地を割いて木となり天に伸びていく地母神信仰=神木信仰=霊(ひ)信仰であった可能性です。

 「佐久」地名があることや、ウィキペディアで「今井(野菊)の実地踏査で古木の根元に石棒を祀るのが最も典型的なミシャグジのあり方であることが判明した」とあることからみても、地母神信仰の石棒が合祀された可能性が高いと考えます。なお「み」は「蛇」の可能性があり、「蛇裂口」であった可能性もあります。

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 2つ目は、「ミシャクジ神(御左口神)」とも表現されることから、「シャ(漢音)=ジャ(呉音)=蛇(へび、み)」から「御蛇口神」であった可能性です。信仰の対象であった神籬(ひもろぎ:霊洩木)の下に蛇の出入口があり、霊(ひ)を運ぶ神使の蛇信仰の可能性で、出雲大社の龍蛇信仰、大神大社の蛇信仰と同じです。あるいは神名火山(神那霊山)からの地下水が湧き出る「蛇口」信仰であり、諏訪大社上社前宮の「水眼(すいが)」信仰と同じであった可能性もあります。

 諏訪上社では御室(みむろ)の中に藁、茅、またはハンノキの枝で作られた数体の蛇形、「そそう(祖宗)神」が安置され、翌春まで大祝がそこに参籠し、物部氏の神長官守矢氏とともに祭事を行い、諏訪神社の神体は蛇で、神使も蛇であるとされていることと、古事記スサノオ(代々襲名)のもとに大国主スサノオ7代目)が訪ね、スセリヒメ(須勢理毘売)に妻問した時、スサノオ大国主を「蛇の室」に寝かせたという神話が符合していることからみて、「ミシャクジ神」は縄文から続く「蛇神=龍蛇神=龍神信仰」の可能性が高いと考えます。―縄文ノート「35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」参照

③ 以上のような経過をふまえて、今回,他の北方御社宮司(みしゃぐじ)社と下浜御社宮司(みしゃぐじ)神社を見学しました。長野県に750余り(諏訪109社、上伊那105社、下伊那36社、小県104社など)あるミシャクジ社の中から、諏訪大社上社本宮に近いところと、湖畔にあるものを選びました。

<概要>

① 北方御社宮司(みしゃぐじ)社は、諏訪大社上社本宮から中央構造線にそって諏訪湖方向に約2㎞ほど進んだところにあり、本殿aとその右横b、右奥c、後d、左奥e、左手前f、少し離れた右手前gの5つの小祠があります。

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② いずれも神木を背にし、参拝者は神名火山(神那霊山)を望み、eとfには水脈があり、gの石には「水神」と書かれています。

③ 主祭神は「諏訪大神御子神」で、「軻具土神、大山祇命五十猛命少彦名命事解男命、速玉男命、素戔嗚命、菅原道眞、市杵嶋姫命、伊弉册尊、火産靈神」など、スサノオ大国主系の神が合祀されています。

<考察>

① これまでの「ミシャグジ」説は次のとおりであり、私は縄文時代からの地母神・性器信仰と天神信仰(神名火山(神那霊山・神籬(霊洩木)・水神・龍蛇神信仰)・農業神信仰が習合されたと考えています。

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② 今回、うかつなことにウィキペディアの「神体として石棒が納められているのが典型的なミシャグジのあり方であるという今井野菊の観察」(大和岩雄)を見ていなかったため、石棒祭祀を確認することができませんでしたが、北方御社宮司社の古い小祠は大木を背にした石祠であり、水源であることが確認でき、地母神信仰と天神(神山・水神・龍蛇神)信仰の習合は確認できたように思います。

 

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③ そのルーツは縄文時代の神名火山(神那霊山)信仰と龍蛇神信仰に遡り、水稲稲作をもたらしたスサノオの御子の大物主系の物部族の神長官守矢家から、スサノオ7代目の出雲の大国主の御子の後継者争いに敗けて追われて頼ってきたタケミナカタ(建御名方)に引き継がれたと考えます。

  なお、私は海人族のスサノオ大国主一族も薩摩半島南西端の笠沙・阿多の猟師である山幸彦(山人(やまと):漁師の海幸彦=隼人(はやと)の弟)を祖先とする天皇家のどちらもが縄文系であり、弥生人(中国人・朝鮮人)による縄文人征服の支配者などではなく、守矢家=縄文人諏訪氏弥生人が制服したという説は支持しません。縄文陸稲稲作から水稲稲作への転換はスサノオ大国主一族の新羅との米鉄交易と製鉄自製による鉄先鍬の普及による縄文農耕からの内発的な発展であったと考えています。―縄文ノート「24 スサノオ大国主建国論からの縄文研究」「53 赤目砂鉄と高師小僧とスサ」「83 縄文研究の7つの壁ー内発的発展か外発的発展か」参照

④ 「縄文ノート38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」で書きましたが、民族学者の佐々木高明氏や大林太良氏、文化人類学者の岩田慶治氏によれば、死霊(祖霊:ピー)が聖山に集まるという「ピー信仰」は中国南部から東南アジアの照葉樹林帯の焼畑民やタイの農耕民社会の間に広くみられ、タイでは「常住するピー」は添付のような祠に祀られているのです。

 

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 この祖先霊の「ピー信仰」は日本人に多いY染色体D型の分布やソバの原産地と重なっており、さらに国語学者大野晋氏によれば、「pee」信仰は南インドのドラヴィダ族にもみられ、小正月(1月15日)のカラスに赤米を炊いて与える「ポンガ」の祭りは青森・秋田・茨城・新潟・長野の「ホンガ」「ホンガラ」の祭りに繋がるとともに、屋敷神の石祠を敷地の西北に設ける信仰とも似ています。

 

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 なお、稲作指導にナイジェリアに通っている若月利之島根大名誉教授によれば、イボ族(ビアフラ内戦で大虐殺された)について「イボにはJujuの森があり、日本のお地蔵さまと神社が合体した『聖なる』場所は各村にあります」と述べています。

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 このナイジェリアのニジェール川流域は若狭の鳥浜遺跡や青森の三内丸山縄文遺跡から見つかったヒョウタンの原産地であり、Y染色体D型と分かれたE型はイボ人などコンゴイド人種に多く、私はチンパンジーボノボの住むニジェール川コンゴ川熱帯雨林こそ日本人(縄文人)のルーツと考えており、「ミシャクジ神」を祀る祖先霊信仰の原点はこの地から東南アジア高地をへて伝わったのではないか、などと大それたことを考えています。―縄文ノート「62 日本列島人のルーツは『アフリカ高地湖水地方』」「85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか」「88 子ザルからのヒト進化」「縄文89 1 段階進化論から3段階進化論へ」「92 祖母・母・姉妹の母系制」参照

 

4.有賀千鹿頭(ちかとう)神社 

 諏訪市豊田有賀 

 有賀千鹿頭(ちかとう)神社は北方御社宮司社から中央構造線にそって諏訪湖方向に約3㎞ほど進んだところにあり、今回は会議時間が迫りパスしましたが検討した点をメモしておきます。

① 諏訪大社上社では、4月15日御頭祭において鹿の頭(現在は剥製:昔は75もの頭も)や鳥獣魚類等が備えられるとされ、「千鹿頭神社」のことがずっと気になっていました。

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② この行事を縄文時代から続く鹿の豊猟を願う狩猟民の祭礼とし、守矢氏を縄文系とする説が見られますが、私は農耕儀式と考えています。

③ 播磨国風土記には、「大神(伊和大神:大国主)の妻の妹玉津日女が生きた鹿の腹を割いて、稲をその血に播いた時、一夜で苗が生えた」(讃容郡讃容:今の佐用市)、「太水神は『吾は宍(しし)の血をもって田を作るので河の水は欲しない』と述べた」(賀毛郡雲潤里:今の加西市加東市)という記載があり、鹿や猪の血が稲の生育を助けるという血(子宮をイメージ)の中から生命=稲が生まれる「黄泉帰り」の宗教思想があったことが明らかです。―「縄文ノート7 動物変身・擬人化と神使(みさき)、狩猟と肉食」参照

 古事記大国主は少彦名と「国を作り堅め」、少彦名の死後には美和の大物主と「共に相作り」とし、日本書紀大国主と少彦名が「力をあわせ、心を一つにして、天下を経営す」「動植物の病や虫害・鳥獣の害を払う方法を定め」、「百姓(おおみたから)、今にいたるまで、恩頼を蒙(こうむ)る」とし、出雲国風土記大国主を「五百(いほ)つ鉏々(すきすき)猶所取り取らして天下所(あめのした)造らしし大穴持」とし御子を阿遅鉏高日子根あじすきたかひこね)と書いていることからみても、鉄先鋤を各地に配り、水利水田稲作を進め、朝鮮半島に輸出した海人族の大国主一族に対し、それまでの陸稲栽培・水辺水田稲作を行っていた玉津日女や太水神の一族は鹿や猪の血を使う霊(ひ)信仰の農耕を止めようとしなかったことを播磨国風土記は伝えています。

 このような例から見て、鹿の頭を神にささげるのは狩猟行事ではなく、豊作を祈った宗教行事の可能性が高いと考えます。

④ さらに古事記は、薩摩半島笠沙の天皇家の祖先の山幸彦(火遠命、穂穂手見命)は「毛のあら物、毛の柔(にこ)物を取っていた」猟師、山人(やまと)としており、食用の肉より、毛皮をとることを仕事としていた猟師の書き方です。

 岡山県の山奥の山村に住んでいた私の父方の祖父は、田畑に猪や鹿が出てくる季節になると「そろそろ猟師に使いを出せや」と叔父に命じいましたが、山間部での林業・農業にとって、害獣駆除は猟師の重要な役割であったのです。

  播磨国風土記には、大国主一族と品太天皇応神天皇)らの狩りや肉食、鹿と猪の飼育、鹿と猪の血での稲作に関する次のような記述が見られます。

 

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 これらの記録から、大国主応神天皇(山幸彦=山人の子孫)らは軍事訓練を兼ねて「鳥獣の害をはらう」狩りをひんぱんに行っていたことが明らかです。

 諏訪大社の御頭祭が4月に行われる「農作物の豊穣を祈って御祭神のお使いが信濃国中を巡回する際のお祭り」であることからみても、「狩猟祭」ではなく「農耕祭」として農作物を荒らす鹿の霊(ひ)を祀り、稲の発芽・成長を祈ったと考えています。―縄文ノート「27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」「44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」参照

⑤ 神に神饌(しんせん:食事)を供え、そのお下がりを参列者が食べる「神人共食」の儀式には鹿肉があればよく、鹿の頭を供えるのは鹿の霊を神のもとに送る行事であり、「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰」を示しており、動物にも人と同じように霊(ひ=DNAの働きを解釈)があると考える宗教思想と考えます。

⑥ 金生遺跡で円形土坑から焼けたイノシシの下顎骨138個体(うち115体は幼獣)が発見されているのは、アイヌイヨマンテ同じように捕獲した猪の子どもを育てて霊送りの儀式と考えられていますが、鹿の頭を供える儀式に受け継がれた可能性が高いと考えます。

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  なお、播磨国風土記には「讃容郡町田:(賛用都比売)鹿を放した山を、鹿庭山と号す」「賀毛郡猪飼野:難波高津宮御宇天皇(注:仁徳天皇)の世に、日向の肥人、朝戸君・・・此の処を賜って、猪を放って飼った」としており、縄文時代から子鹿や子猪を捕まえて飼っていた可能性もあります。

⑦ 諏訪大社上社の鹿の頭を捧げる宗教行事は、75もの頭が供えられることからみて、最大75の氏族が各地区から捧げ、それぞれの地区でも同様の祭祀を行っていた可能性が高く、千鹿頭(ちかとう)神社がどのようなものか、見ておく必要がありましたが、次の機会としたいと思います。

 ウィキペディアに「ミシャグジや天白神と同様に石棒を神体として祀るところもある」と書かれているので、千鹿頭神社の古い祠がミシャグジ社と同じ様式なのかどうか、いずれ調べたいと思います。

⑥ 明治初期の『神長守矢氏系譜』では、千鹿頭神は守宅神(洩矢神の息子)の子であり、祭政を受け継ぐ守矢氏の3代目で、その名前は守宅神が鹿狩りをした時に1,000頭の鹿を捕獲したことから由来するとされていますが、どうでしょうか? なお「建御名方神御子神の内県神と同視されることもある」とされ、後世に諏訪系の内県神と合祀されていますが、元々は守矢系とみて間違いないようです。

⑦ ウィキペディアには、今井野菊氏の調査で千鹿頭社は長野県13社、山梨県8社、埼玉県12社、群馬県20社、栃木県12社、茨城県7社、福島県15社などに分布し、「千鹿頭」「千賀多」「千方」「千勝」「近津」「近戸」「近外」「血方」「血形」「智方」「智勝」「智賀都」「地勝」「親都」などの表記があり、発音も「ちかた」「ちかつ」「ちかと(う)」などが見られるとしています。

  琉球方言などに残る原日本語の3母音の「たちつちつ」と5母音「たちつてと」からみて、「ちかつ」が「ちかと→ちかとう」になり、「千鹿頭」の当て字となった可能性があり、鹿の狩猟からの名前と言うよりも、諏訪湖の「津=港」に由来した「近津」名の可能性もないとはいえないと考えます。―「縄文ノート97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」参照

 

5 下浜御社宮司(みしゃぐじ)神社

 岡谷市下浜字浜浦(湖畔公園傍) 9月11日 9:10

<経過>

① 「ミシャグジ社」のうち、この神社に着目したのは、「専女(たうめ→とうめ)=老女」神(雛元解釈:田産女神)、さらには「三狐神(みけつかみ)=保食神(うけもちのかみ:日本書紀)=大気都比売(おおげつひめ:古事記:イヤナギ・イヤナミの子)=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ=稲荷神:スサノオの子)」と習合され、女神の食物神とされていたからです。

② また諏訪湖畔に祀られていることから、海人族(漁撈民)の神である可能性があり、縄文人がドラヴィダ系海人・山人族であるという私の説とも関係します。―「縄文ノート43 DNA分析からの日本列島人起源論」参照

③ 私は縄文ノート「62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」「88 子ザルからのヒト進化」「89 1 段階進化論から3段階進化論へ」などにおいて、二足歩行はアフリカ熱帯雨林での湖沼・小河川地域での水に浸かってのサルの足での採集活動が起源で、糖質とDHAの摂取が脳の発達を助け、母・祖母・姉妹ザルが子育てを通して家族・氏族集団を生み出し、そのコミュニケーション・おしゃべり・遊びが脳の発達を急速に促したと考えており、棒を使った銛漁と根菜類採集活動が手の機能を高め、芋豆穀類の栽培に繋がったことから女性を中心にした地母神信仰が生まれたと考えてきました。

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 日本各地の田植え神事・祭りを女性が行っているのは、この農作物栽培の起源からの地母神信仰・穀霊信仰に基づいているのではないか、と私は考えています。

 

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 魏書東夷伝倭人条で卑弥呼が「婢千人自ら侍らせ」と書き、古事記スサノオがアマテルの「営田の畔」や「服屋」を壊す乱暴を働いたという記述は、卑弥呼(霊巫女)=オオヒルメ(大霊留女)=アマテルが大勢の女性を集めて稲作と絹織物生産を行っていたことを示していると考えます。

 なお、兵庫県たつの市の私の母方の家は、私の祖母まで代々の娘は大阪の住吉大社から御座船が迎えに来て住吉さんに仕えていましたが、ひょっとしたら日本三大御田植の1つの住吉の御田植に参加したことがあったかも、などと空想しています。

<概要>

① 諏訪湖北岸東北端の岡谷湖畔公園の「希望の広場」の北側に、西方を拝むように建てられた「浜弁財天神社」があり、鳥居は諏訪湖へ向き、社殿は西へ向いています。

 

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 弁財天はヒンドゥー教の女神が仏教に取り込まれ、スサノオの子の宗像三女神の市杵嶋姫(いちきしまひめ)と習合されることが多い女神です。

 本殿の北側には小さな石の祠があり、これも四隅に柱を立てている形式から見て、弁財天を祀るようになる以前の本来の「ミシャグジ社」であった可能性が高いと考えます。

 鎌倉時代製作の弁財天像には頭に蛇を載せているものがあることからみて、巳(み=蛇)、蛇(シャ・ジャ)の神として考えられていたことが明らかであり、「ミシャグジ」名と符合しています。

② 道路を隔てた北側には「下浜御社宮司(みしゃぐじ)神社」があり、八ヶ岳原人氏のHPによれば、「元御社宮司大明神。明治以降御社宮司社と称し、大正11年御社宮司神社と改称」「往古御三狐神(みけつかみ)とも書り」「専女(とうめ)神は保食神(うけもちのかみ)御同體」「専女(とうめ)神は三狐神同座神」などと紹介されています。

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③ 三狐神(みけつかみ)は、「狐」を3母音の「かきくく」で「きつね」、5母音の「かきくこ」で「けつね」と呼んだことから、稲荷神のことを「みけつね神→みけつ神」と呼び、稲の神を表すとともに、神使の「狐」を示したと考えれられます。―「縄文ノート97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」参照

④ 本殿脇にはいくつもの祠があり、元々、この地の各家・集落などに祀られていた祠が祭主がいなくなったなどで集められたと考えられます。

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<考察>

① 重要なことは、守矢氏族の「御社宮司(みしゃぐじかみ)」が前述の弁財天、市杵嶋姫や、御食津神(みけつかみ)=三狐神(みけつかみ)=専女神(とうめのかみ)=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)倉稲魂神=稲荷神、保食神(うけもちのかみ)など全て女神に習合されていることです。なお、保食神(うけもちのかみ)古事記には登場せず、日本書紀の一書・第11にのみ登場しており、古事記に書かれた大気都比売神(おおげつひめのかみ)が置き換えられたと私は考えます。

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 このような女神の習合は、次の重要な事実を浮かび上がらせます。

  第1は、「ミシャグジ神は女神」である可能性が高いことです。

  第2は、「ミシャグジ神は食物神・稲神」の可能性が高いことです。

  第3は、「ミシャグジ神はスサノオ大物主大神)一族」の可能性が高いことです。

  第4は、「ミシャグジ神は蛇神」の可能性が高いことです。

  第5は、「ミシャグジ神は縄文時代の女神信仰・龍蛇信仰を引き継いでいる」可能性が高いことです。頭に蛇を載せた弁財天像は、井戸尻藤内頭蛇土偶に見られるような龍蛇信仰の影響を受けた可能性があります。

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 「守矢氏=縄文系、諏訪氏=弥生系=中国・朝鮮系の征服者」とする説に対し、私は「守矢氏=スサノオ系、諏訪氏大国主スサノオ7代目)系」説であり、いずれも縄文系とみています。

② 古事記は、イヤナギが子の迦具土(かぐつち)を殺した時、その血から8神、死体から8神が生まれたとする男系神話であるのに対し、スサノオが姉の大気都比売を殺し、その死体の頭から蚕、目から稲種、耳から粟、鼻から小豆、陰(ほと)から麦、尻から大豆が生えたとし、女性の死体からの蚕・五穀誕生という黄泉がえり神話としており、養蚕・農耕の地母神であることを神話形式で太安万侶は秘かに伝えたと私は考えています。

 太安万侶は「スサノオによる大気都比売殺人事件」(日本書紀一書は月読による保食神殺人事件)をでっち上げて煙幕を張りながら、養蚕・農耕社会への移行をスサノオ一族の女性たちが担ったことをちゃんと伝えたのであり、嘘っぽい神話仕立にして真実を伝えるしたたかな「史聖」であると私は高く評価しています。

③ 巫女(みこ:御子=神子)は神に仕える女性であり、『魏志倭人伝』では「卑彌呼 事鬼道 能惑衆」と書かれ、通説は「卑弥呼は鬼道で衆を惑(まど)わした」と新興宗教の教祖のような解釈を行っていますが、私は「鬼道で衆を惑星のように引き付けた(魅惑した)」、宗教的・政治的女王と解釈します。

 高句麗馬韓・弁辰では「鬼神」信仰と書きながら、倭国では「鬼道」と書いたのは、孔子の「道が行なわれなければ、筏(いかだ)に乗って海に浮かぼう」を受けて、儒家陳寿倭国を「道」の国と考えるとともに、「夷狄(いてき)の邦(くに)といえども、俎豆(そとう:供え物を載せる台と高坏)の象(しょう:道理)存り。中國礼を失し、これを四夷(しい)に求む、猶(な)を信あり」と書き、倭国を「道・礼・信」の国とみていたことが明らかであり、「卑弥呼(霊巫女)」の宗教を尊敬とあこがれを込めて「鬼道」としたのです。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

④ 天宇受売(あめのうずめ)が「胸乳をかき出で、裳緒を陰(ほと)に押し垂らし」てアマテル(本居宣長説はアマテラス)の石棺の上蓋(石屋戸)の上に桶を置いてその上で足音を鳴り響かせて神がかりして踊ったのは、陰(ほと)への死者の「霊(ひ)の黄泉帰り」を願う神楽であったと考えます。

 竪穴式住居の入口に死んだ子を壺に入れて埋め、その上をまたぐ母親のホトへの霊(ひ)の回帰・再生を願った縄文人の宗教思想は、3世紀の卑弥呼(霊巫女)=大霊留女(おおひるめ)=アマテルの時代に引き継がれているのです。

⑤ この「ミシャグジ女神説」については、さらに他のミシャグジ神社の調査が求められ、地元での研究を期待したいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/