ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート71 古代奴隷制社会論

 「日本文明論」に取り組んで感じるのは、マルクスを含めた白人至上主義・西洋中心主義の文明論が「ギリシア・ローマ文明→ヨーロッパ文明」の発展として世界史全体をゆがめ、大多数の「アフリカ・アジア・原アメリカ文明」を野蛮・未開とみなしてきた歪曲です。

 その一番のインチキは、「ノアの方舟」伝説をメソポタミア中心部に近いチグリス川中流のイランのニシル山から、羊飼いのユダヤ人の祖先の住んでいた辺境のチグリス川源流部のトルコ・アルメニア国境のアララト山に移して旧約聖書に記し、終末・選民思想ユダヤキリスト教聖典としたことを受け継いでいることです。―「縄文ノート66 竹筏舟と『ノアの方舟』」参照

 次にマルクス主義の時代区分は「原始共産制」「奴隷制」「封建制」「資本主義」「社会主義」という単線的・一元的発展段階論ですが、「奴隷制社会=古代専制国家」説が成立しないことは、今やエジプトのピラミッド建設が奴隷によるものではないことが建設従事者の住区の発掘やパピルス文書から明らかとされ、インダス文明もまた「戦の痕跡や王のような強い権力者のいた痕跡が見つかっていない」ことが考古学者によって明らかにされているのです。春秋戦国時代以前の孔子が理想とした姫氏の周王朝も伝説や遺跡などから見ても同様であり、民衆反乱によって王朝が滅んできた中国史をみても主体性を持った農民社会であった可能性が高く、奴隷労働中心の専制国家の痕跡は伺われません。

 神山・天神信仰のピラミッドやメソポタミアのジッグラト(山信仰の聖塔)、灌漑・水害対策の大規模治水事業や都市防衛・防災の城壁、道路・運河整備などは奴隷労働ではなく、平民の共同労働によって造られたことが明らかです。―「縄文ノート56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「縄文ノート57   4大文明論と神山信仰」「縄文ノート61 世界の神山信仰」参照

 古代奴隷制度が「生産関係」において一定の役割を占めたのは、戦争による捕虜と奴隷狩りで奴隷を大規模に確保した軍国主義国のギリシア・ローマの植民地(属州)などの大規模農場(ラティフンディウム)の限定的生産体制であり、大規模な奴隷生産体制は16~19世紀にアメリカ大陸で成立した西欧諸国と南北アメリカ植民地の三角貿易による近代黒人奴隷制度です。

 スペイン・イギリス・アメリカなどの絶対王政・資本主義国の植民地支配とプランテーション農業こそが黒人奴隷制度を確立させたのであり、マルクスはこの近代奴隷制度の犯罪的な役割から人々の目を逸らせ、「奴隷制」を「原始共産制」と「封建制」の間に挿入し、「古代専制国家」の産物としたのです。

 そして、アフリカ(エジプト等)・アジア(メソポタミア・インダス・中国・日本等)・原アメリカ(マヤ・インカ等)文明等を野蛮・未開社会に押し込め、近代重商・資本主義の植民地化による資源収奪とアフリカ黒人奴隷化の西欧諸国の犯罪性を見えなくしてしまったのです。

 このようなマルクスを含む白人至上主義の文明論に対し、アフリカ・アジア・原アメリカ中心の人類誕生と共同体文明を中心において世界文明史観の確立が、「拝金宗教・格差社会化・異常気象・新興感染症」などの転換期の今の時代にこそ求められます。

 その解明には、他民族の支配を受けることがなく、アフリカ・インド・中国文明などを吸収しながら独自の発展をとげた日本列島の縄文1万年とスサノオ大国主一族による建国史が大きな役割を果たすことができると考えています。

 

1 私の歴史分析の前提

 私はここで反ユダヤ主義ユダヤ人差別、反中・嫌中、反朝・嫌朝、反米・嫌米、反共などの気運を煽るつもりは毛頭なく、それらには反対の立場であり、そのような偏狭なイデオロギー民族意識の克服に向けて歴史を冷静に分析したいと考えています。

 どの宗教・思想・民族・国家にも「軍事・全体主義」と「平和・共生主義」があり、私は後者の視点からの歴史解明による未来への指針を考えています。経済・社会・文化・宗教・政治を動かす要因についてはマルクスの「生産関係(搾取)による階級対立」に一元化するのではなく、「金が金を生む資本集中・独占体制」「分業生産体制による国・地域間格差・収奪と対立」「環境破壊による外部コスト削減(収奪)」の全体でとらえ、その矛盾を解決する方法については経済・社会・文化・宗教・政治の総合的な取り組みが必要と考えています。

 階級・思想対立だけでなく世界・地域間の産業不均等発展による格差・対立・抗争・戦争や、一神教同士の宗教対立・戦争、環境や食料を巡る対立・抗争、情報支配体制により、自由や平等・人権、地域主権・民族自立などが複雑に絡まりあう時代を迎え、これまでの文明観を歴史を遡って見直したいと思います。

 

2 現生人類の軍事・全体主義と平和・共生主義

 サル目ヒト科の誕生から遡って考えてみると、ヒト族の「攻撃的チンパンジー」と「平和的ボノボ」に分岐する前の2種類のDNAを現生人類(ホモ・サピエンス:賢い人間)は持っており、氏族・部族・民族・宗教集団・思想集団・国家などの如何に関わらず「軍事主義」と「平和主義」の2つの性質を本能的に受け継いでいると考えます。「縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」で掲載した表を再掲します。

 

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 子孫を残すためのメスを巡る争いや温暖化による人口増、寒冷化による食料危機などに対し、群れ・氏族・部族内の主導権争いや群れ・氏族・部族・民族・階級・国家間の対立が生じた時、「攻撃的チンパンジーホモサピエンス」は「戦争・支配」を選び、「平和的ボノボホモサピエンス」は「平和・共生」という異なる道を選び、現生人類の多数派は後者を選んで世界拡散を果たしたと私は考えます。

 好奇心・変革心・自立心・冒険心にあふれた縄文人Y染色体D型を持った先祖はアフリカのニジェール川流域でE型のイボ人などと分かれて高地湖水地方に移住し、さらにインド、アッサム・ミャンマー高地へと移住し、ドラヴィダ系海人・山人族は協力して「海の道」を進み、ドラヴィダ系山人族はシベリアの「マンモスの道」を通って日本列島に南と北から移住して出合ったと私は考えていますが、これは後者の「平和・分立」のボノボの道であったのです。

 縄文人と同じように、ヨーロッパ・アジア・オセアニア各地や南北アメリカ大陸に「平和的ホモサピエンス」は分住しますが、後に「攻撃的ホモサピエンス」に侵略・支配されてその文明の多くの痕跡は失われてしまいました。ところが奇跡的に東シナ海日本海を障壁とした日本列島文明はこの「平和的ホモサピエンス」文明の痕跡を今に残すとともに漢字文化の助けを借りて書き残しています。

 今や争いを避けて移住することのできる新天地は無くなり、世界の単一市場化が進み、新たな拝金信仰が生まれ、金権社会の軍国主義国が覇権を争う一方、農耕・工業化に続く情報産業革命や異常気象・新興感染症などにより不均等発展と支配・被支配の矛盾はさらに深刻化し、地域紛争とデジタル全体主義国化が進んできています。

 今こそ長い人類の共同体社会の歴史を振り返り、新たな共同体社会を展望する必要があると感じます。

 

3 日本に奴隷制度はあったか?

 「漢才」「洋才」の伝統を色濃く受け継ぐわが国の翻訳学者たちは、マルクスギリシア・ローマ型の「古代奴隷制」を日本に当てはめようとしましたが、その痕跡は魏書東夷伝倭人条の「生口10人+30人」などにしか見つけることができず、日本は「アジア的生産様式(共同体土地所有)」として古代奴隷制の変形としてきました。「足にあわせて靴を造るのではなく、靴に足を合わせる」やり方で、「ギリシア・ローマの古代奴隷制」を世界標準とした歴史観をわが国に当てはめ、「古代奴隷制の派生型」としたのです。

 しかしながら、このような小細工は成功していません。縄文時代の巨木建築が紀元1世紀の大国主の杵築大社(きつきのおおやしろ:出雲大社)に引き継がれ、さらに魏書東夷伝倭人条に書かれた3世紀の邪馬壹国(やまのい(ひ)のくに)の「楼観」(たかどの)に引き継がれており、現在の「御柱祭」にその片鱗を残しているように、霊(ひ:祖先霊)信仰の共同作業によって建造されているのです。―「縄文ノート33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「縄文ノート35 蓼科山を神那霊山(神奈火山)とする天神信仰について」「縄文ノート50  『縄文6本・8本巨木柱建築』から『上古出雲大社』へ」参照

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  なお「楼」は「木+米+女」であり、「祖先霊が天に昇り、降りてくる高木に女が米を捧げる」という漢字であり、転じて「高殿で天神に女が米を捧げる」という意味になり、単なる高殿ではなく、高層神殿を指したと考えます。「観」の元字は「雚+見」=「サ+口口+隹(スイ:とり)+見」ですから、「鳥の巣のような高い建物の草屋根の下で人々が口々に祈り(話しあい)、あたりを見渡す」というような意味と考えられ、「楼観」は単なる「見張り台」や「櫓(矢倉)」ではなく、人々が登って天神を祀り、口々に祈る高層神殿と考えられます。大国主の「杵築大社」をそのまま言い換えた宗教施設なのです。

 ではこのスサノオ大国主一族の建国はどのようなものであったのでしょうか? 

 ①侵略・略奪による常備軍と徴税組織の確立、②沖積平野の灌漑・治水事業と鉄器農具による集約的大規模農耕の開始、③共同体祭祀の一元化、という古代専制君主が氏族共同体・部族共同体を束ねた軍国主義専制国家の建設とは、スサノオ大国主の建国は明らかに異なっています。

 スサノオ大国主一族の建国は武力統一ではなく、「縄文ノート24 スサノオ大国主建国からの縄文研究」で紹介したように、①海人王スサノオ新羅との米鉄交易による鉄器稲作の普及、②赤目砂鉄(すさ:朱砂)によるスサノオの鉄器生産と大国主の鉄先鋤による沖積平野での水利水田稲作の普及、③母系制社会の妻問夫招婚と縁結びによる大国主の百余国の新たな氏族共同体づくり、④八百万神信仰の天神信仰による霊継(ひつぎ)宗教の統一、という平和・共生の建国です。

 この建国は他氏族・部族の武力支配による統一ではなく、争いがおきたとしても、それは大国主の国譲り後の百余国と各国の後継者争いにとどまり、氏族・部族全体を巻き込んだ殺戮や捕虜・捕囚の奴隷化にはつながっていません。それは後の武士の領国争いにおいても同じです。

 マルクスが規定した「奴隷制社会」は、もともと交易民族であり、エジプト王の屈強な傭兵部隊であったギリシア軍がエーゲ海の国々を侵略・支配し、ペルシアと覇権を争った軍国主義国家から生まれ、それを受け継いだローマ帝国ユダヤ教キリスト教の選民・一神教思想の助けをえて帝国支配を拡大し、皇帝・貴族による植民地(属州)での特殊な奴隷制大農場の生産様式として生まれた限定的な生産様式であり、ギリシア・ローマ本国の大部分は平民による農業・商工業国家であったと考えます。

 「奴隷制社会」は人類史の中で普遍的なものではなく、古代においては軍国主義帝国主義の皇帝・王・貴族の富の源泉であった特殊生産様式なのです。

 エジプト・メソポタミア・インダス・黄河長江文明においても、軍国主義専制君主による家内奴隷制が一部には見られたとしても、大多数の平民社会は氏族・部族共同体生産体制のままであり、各地域ごとの軍閥と平民への階級分化が進んだ封建社会へ移行したと考えます。

 

4 魏書東夷伝に「奴隷制」は見られるか?

 紀元1~3世紀の歴史を記した魏書東夷伝から、朝鮮半島の各国と倭国の人々の性質、刑罰、下戸・奴婢・生口の状況を整理すると次のとおりです。

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 朝鮮の各国は絶えず漢の侵略・支配にされされており、その戦闘についてはこの表には書いていませんが、「凶悪」「勇敢」の表現は主に漢への民族的抵抗・戦闘と考えられます。奴婢・生口はギリシア・ローマ型の戦争捕虜と奴隷狩りによる奴隷制度ではなく、死刑を免じた刑罰であり、その厚遇の対価として王や貴族などに個別に使われていたと見られます。

 「下戸」の表記がある以上、平民の大多数は中戸や上戸であり、倭国の「法を犯すに、軽者はその妻子を没し、重者はその門戸、宗族を没す」という記述は、彼らが平民(下戸・中戸・上戸)から外され(没落させられ)、家族や本人、一族が「生口」とされたことを示しています。

 高句麗国の「罪があれば豪族たちが評議し、すぐさまこれを殺し」や濊国の「殺人者は死をもって償う」という表記が馬韓国や倭国には見られず、馬韓国においては「逃亡して祖塗(寺に似たところ)に至ったものはみなこれを引き渡さず」というアジール(聖域・避難所・無縁所)があったとされているのはわが国の中世の寺社と似通っており、高句麗国や濊国などとは異なる文化圏であったことが伺われます。

 平安時代桓武天皇第2皇子の52代天皇嵯峨天皇が、818年に中央政界における死刑制度を廃止(保元の乱まで平安時代の338年間継続)したのは、尾張津島神社に「素尊(素戔嗚命)は則ち(すなわち)皇国の本主なり」とし「日本総社」の称号を与えたことをみても、嵯峨天皇スサノオ大国主一族の平和的な建国を理想としていたことを示しています。

 また馬韓国と倭国において「長幼や男女の分け隔てはない」「会同、坐起に、父子、男女は別無し」と漢国には見られない社会であることを特記していることは、両国が母系制社会の伝統を継承していたことを示しています。

 このように魏書東夷伝のどこにも「主要な生産関係」と言えるような奴隷制度の痕跡は見られず、ウィキペディアなどにも見られるマルクス主義に影響された歴史区分には、西欧の白人とくにユダヤキリスト教選民思想に影響された「古代奴隷制」の歪曲があり、アフリカ・アジア・原アメリカの歴史・文化・宗教を本流とした歴史観・文明観の確立が求められます。

 奴隷制度はヨーロッパの軍国・帝国の重商・資本主義社会の産物であり、アメリカにおいては1960年代まで黒人の市民権は回復されず、今も進化論を否定するユダヤキリスト教右派の白人至上主義者による黒人・ヒスパニック・アジア人への差別・人権侵害が絶えないことに対し、アフリカ・アジア・原アメリカからの世界の歴史・文化・宗教・文明の解明と普及が必要と考えます。

 

5 重商主義・資本主義の近代奴隷制度の特徴

 近代奴隷制度は、スペイン・イギリス・フランスなど西欧各国の選民思想キリスト教徒によるアフリカ・南北アメリカの植民地支配が生み出したものであり、北アメリカだけでも数千万人とも1億人を超えるともいわれるアメリカ原住民の虐殺・強制移住・病原菌持ち込みがそもそもの基本原因なのです。

 この虐殺の結果、植民地では人口が減少し、プランテーション(単一作物の大規模農園制度)の労働力不足を招き、アフリカからの黒人奴隷貿易が開始されたのです。中南米においては、スペインがもっとひどい原住民殺戮を行いました。

 図のように近代奴隷制度は産業革命による「西欧―アフリカ―アメリカ」の三角貿易と「西欧―アジア」貿易が生み出したものであり、西欧の金融・産業資本家だけでなく、労働者たちもまたその上に職をえたのです。植民地化されたインドでは綿織物の職人は弾圧され、主要生産地では15万人いた町の住人が2万人まで激減したといわれ、インド総督は「木綿織布工たちの骨はインドの平原を白くしている」と述べ、代わりにイギリスの安い工業製綿製品が輸入され、インドは原料の綿花生産地に突き落とされたのです。

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 このように、資本主義社会はアジア・アフリカ・アメリカ侵略・植民地化の上に成立したのであり、奴隷労働は労働力商品化のもっとも悲惨な形態であるにも関わらず、同世代人であるマルクス(1818~ 1883年)は奴隷制度を階級成立後の古代専制国家からの伝統的な野蛮な制度としたのです。マルクスは工場労働者を資本主義打倒の革命の主要な担い手と考え、生産手段の所有関係から歴史を逆算してとらえ、人を商品化した「奴隷制」を古代におき、歴史の発展法則を「資本家と賃労働者」の矛盾に絞って単純化したと考えます。

 しかしながらアメリカ原住民やアフリカ黒人の奴隷が「主要な生産関係」を担っていたのは1619年から1862年までの日本のおおむね江戸時代の間ですが、黒人差別・迫害は1960年代の公民権運動まで300年も続き現在のトランプ元大統領を支持した4割のうちの白人至上主義者に引き継がれているのです。

 古代専制君主は戦争による略奪によって莫大な富を手に入れ、「常備軍」「交易船団」「徴税・行政組織」により氏族・部族社会を統合して支配を確立しますが、奴隷制度を主要な生産関係とはしておらず、重商主義・植民地支配の近代専制君主と市民革命後の国民国家による植民地支配の帝国主義国こそが奴隷制度の確立なのです。

 差別・迫害されたユダヤ人であったマルクス・エンゲルスがこの現実に対して強い怒りを持たなかったことはありえないと考えますが、「乳と蜜の流れる場所」と呼ばれた「カナンの地」を農耕民を殺戮し、簒奪して奪って建国した遊牧民ユダヤ人の原罪の歴史を背負い、アッシリアによって追放・幽閉され、続いてエジプトに征服されて奴隷となり、出エジプトを果たしてカナンの地に戻ったものの、最終的にはローマ帝国によって滅ぼされて国を追われ、各地に分散せざるをえず差別・迫害された民族史の擁護を考えないわけにはいかなかったと考えます。

 さらにユダヤ人金融家たちはヨーロッパ各地で専制君主帝国主義国のアフリカ・アジア各地の侵略・植民地支配に金融とユダヤ教由来のキリスト教の布教で協力しますが、そのようなユダヤ人の負の役割を隠蔽し、マルクスエンゲルスは主要矛盾を「製造業資本家と賃労働者」に単純化・一本化したと考えます。その結果、資本主義の成立に大きな役割を果たしたヨーロッパとアフリカ・アジア・原アメリカの収奪構造を無視し、現代にまで続く「不均等発展」の貧富格差を解消する歴史観にはなりえなかったと言わざるをえません。

 また、ユダヤキリスト教に習い、共産主義思想を一神教化して他の民主主義・社会主義思想を激しく批判・攻撃し、レーニン毛沢東一党独裁への道を開いた点においても、マルクス主義が人類の未来を切り開く思想に値すると言えるかどうか大いに疑問があります。

 

6 自由・平等・生類愛の共生社会へ

 かつてフランス大革命は「自由・平等・友愛」(ジャコバン憲法は「平等・自由・友愛」)を掲げましたが、今や世界は拝金思想の金権社会になり「友愛」などは忘れられ、「自由」は世界単一市場化による金融・産業資本の自由と支配に置き換えられ、中国・イスラエルなどの「デジタル全体主義」の情報操作・支配モデルは世界の独裁国家に広がり個人の「自由と人権」は狭められ、国際・国内の産業間・階級階層間の格差拡大は生命・健康と生活・文化の「不平等」を広げています。

 さらに新興感染症(新型コロナ)は全体主義と命の格差を広げ、地球温暖化による異常気象は食料危機による紛争・戦争を招くことが心配されます。

 このような危機に対応し、私たちは「攻撃的チンパンジー型」の本能に突き動かされて戦争と支配に進むのではなく、「平和的ボノボ型」の理性と共生心を受け継ぎ、「氏族・部族・地域・宗教・民族共同体」を超えた、すべての生類をふくむ「自由・平等・生類愛の共生社会」の非暴力による創出を目指すべきと考えます。

 縄文1万数千年の平和な歴史とスサノオ大国主の建国は、そのモデルになると考えます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/