ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート72 共同体文明論

 私は岡山県吉備郡社町(両親が岡山市空襲で焼けだされて移住)→岡山市(小学生)→姫路市(中学生・高校生)と移住したため地域コミュニティ(地域共同体)とは縁のない異邦人で、夏休みなどに母親の田舎で過ごした時だけ従兄弟たちとの血縁コミュニティの居心地のよさを感じていました。

 小学校に入学すると同級生たちのほとんどは同じ幼稚園からきていて仲が良く、私だけがまだ文字を知らず、中学校では当てられるたびに「岡山弁(おきゃ~まべん)」を笑われて疎外感を持ち、読書・映画・軍事おたくになり、もっぱら「外れ者」仲間たちと遊んでいました。

 高校ではクラブ活動(ブラスバンド)と山登りでやっと仲間ができ、目的を同じくする「機能集団」こそが重要と考え、大学ではクラス討論やクラブ活動、研究会活動(住宅問題、都市問題、公害)、日本建築学生会議の活動に精を出しました。

 このように私の世代はまだ血縁・クラス共同体・遊び仲間に幸まれていた時代ですが、今や都市化・少子化と職業・雇用の多様化・不安定化が進み「競争社会」「格差社会」「不正規雇用社会」「家庭崩壊社会」などにより、多くの子ども・若者は家族縁・血縁・地縁・クラス縁・遊縁・クラブ縁・職場縁などの薄い、「人と人の関係が砂のような大衆社会」「無縁社会」の共同体(コミュニティ)喪失者となってきています。孤立・孤独化が進む一方でネットの仮想コミュニティ、排外・差別主義団体や新興宗教団体・テロ組織、国家・民族などに帰属感を求めるような事態にもなっています。

 共に支えあう安心・安定感や個々人の役割感・存在感、互いの信頼感や尊敬、支配からの自立・自己実現などが可能な新たな共生共同体をいかに創り出せるか、人類誕生からの歴史に遡り、「共同体(コミュニティ)」の未来を考えてみたいと思います。

 

1 共同体への関心

 1960年代の住民運動市民運動などの中からは、1970年代に入り、地域保育所づくりや生協・産直などの地域コミュニティの取り組みが生まれ、地方圏では過疎化に対し、1980・90年代には一村一品運動有機農業・産直・農産物直売所・道の駅・地産地消・都市農村交流(山村留学・農業体験)・交流イベント・多地域居住などのまちおこし・むらづくりの地域再生の運動が全国各地で取り組まれました。2000年代に入ると田舎暮らし志向のIJUターンの若者などの活躍も見られ、2010年頃からの「地域おこし協力隊」の国の支援にも繋がっています。

 また、1990年頃にはいくつかの情報化計画に関わり、「情報化は人と人のコミュニケーションを増やすか減らすか」について議論しましたが答えはでませんでした。当時は中央集中処理コンピュータによる一方向の情報化であり否定的な意見も多かったのですが、その後、双方向型のインターネット化により少し安心しましたが、今やAIを駆使した国家・情報産業によりあらゆる個人情報管理が可能となり、監視カメラ・GPSによる監視社会化と合わせて「デジタルファッシズム(情報監視社会化)」が心配されるようになりました。

 1990年代の末ごろの大阪市の「コミュニティ推進計画」の調査・計画づくりでは、戦後派世代の町内会・自治会の「地域コミュニティ」、団塊世代の公民館などを中心とした「テーマコミュニティ」(文化・スポーツ・社会活動)、子育て世代の祭りなどに参加するだけの「イベントコミュニティ」、さらに若い世代の「ネットワークコミュニティ」という整理を行い、その分断状況を克服するために4つのコミュニティの交流・乗り入れが必要というような提案を行いました。趣味や防災などのクラブ・グループ活動で町内会・自治会活動が活発になっている例が見られたからです。

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 また青森県三沢市の総合計画では、米軍基地の影響で「バーベキュー文化」が根付いており、熊本県大矢野町(現上天草市)では「農家の後継者がみな結婚している」という4Hクラブの青年たちの活動を知り、「パーティ文化」こそが晩婚・非婚化時代には必要と考えるようになりました。

 都市計画では、伝統的な入会権・入浜権の考えの拡張や清掃・景観形成などの地域維持活動、1960年代からの空き地利用の「ちびっこ広場」、イギリスなどの「プライベートガーデン(私園)」「コモンガーデン(共園:オープンガーデン)」「パブリックガーデン(公園)」からの「所有と利用の分離」による豊かな「共用空間(コモンスペース)」づくりは重要なテーマでした。「公共私」の取り組みです。

 さらに1990年代からの高齢者計画や児童育成・次世代育成計画、1995年の阪神・淡路大震災を受けた防災計画では、共に支えあう「地域福祉」と「地域防災」が大きなテーマとなり、特に阪神・淡路では「ボランティア元年」と言われたように、若者の新たな活動が生まれました。

 教育分野では、社会教育や1990年ころからの生涯学習、2000年からの児童・生徒の「総合的学習」などに対し、地域産業や地域文化を見直す学習・教育のボランティア活動が生まれました。

 しかしながら、以上のような取組にも関わらず、1990年代のバブル経済崩壊とIT産業革命失敗による1990年代後半からの若者の4割が非正規雇用という格差社会化に対し、国も市民社会も有効に対応できていないのが現状ではないでしょうか。

 このような60年間の取り組みと限界の中で、どのようにして豊かな「コミュニティ(共同体)」を創り出すことができるのか、サルの群れから離れた「ヒトの共同体」の歴史から考えていきたいと思います。

 

2 マルクスの「一足飛びの先祖帰り」の理想社会説

 「縄文ノート71 古代奴隷制社会論」でも少し書きましたが、「古代―中世―近代」、「古代―中世―近世(織豊徳)―近代―現代」、「旧石器―縄文―弥生―古墳―飛鳥―奈良―平安―鎌倉―室町―安土桃山―江戸―明治―大正―昭和―平成」(土器→墓→都(天皇)→将軍の居住地・城(武家)→天皇年号)という3つの時代区分で歴史を習いましたが、単なる歴史的出来事の「何年に何がおきたか」という「暗記」に何の価値があるのか、「先祖は偉かった」という家系自慢や「昔はよかった」という懐古趣味に何の価値があるのか、と疑問に思っていました。歴史は面白いけど単なる過去の暗記学問で知的興味はわかず、古くさい過去の出来事が現在や未来に役に立つとは思ってもいませんでした。

 ところが大学に入り、所有・階級関係から歴史の発展法則を解明したというマルク・エンゲルスの「原始共産制奴隷制封建制―資本主義―共産主義」(3制度―2主義)という発展段階説に出会い、やっと歴史分析に科学を感じるようになりましたが、「縄文ノート71 古代奴隷制社会論」で書いたように、縄文社会論から人類起源論の分析に進むうちに、マルクス・エンゲルスの「古代奴隷制」説は成立しないと考えるようになりました。

 さらにマルクスが理想とした「原始共産制」説は成立するのでしょうか?

 私は「私有財産制」を無くすれば理想の社会が生まれるという「一足飛びの先祖帰り」などはありえず、近代市民社会の政治・経済・社会・文化・宗教・思想のさらなる全体的な発展形として未来社会があると考えており、「共同体社会」がどのような発展をとげてきたか、分析したいと思います。労働者階級が権力を握り、「私有財産制」がなくなれば、「原始共産制」のような理想社会が実現できるとするマルクス・エンゲルスの「権力奪取論」「経済決定論」は短絡的であり、人間の歴史総体に対する分析を欠いていると考えるからです。

 

3 「原始共産制」社会像と現実

 マルクス・エンゲルスの考えた「原始共産制」の社会は、①富に対する集合的な権利、②社会的関係における平等主義、③支配的階級の不在、という狩猟・漁撈・採取社会であり、牧畜と農業が生まれたことにより、生産手段である家畜・土地・農耕具・奴隷の所有により支配階級が生まれ、奴隷制社会に変わったというものです。しかしながら、すでにみたように奴隷労働は戦争により獲得された部分的・限定的なものであり、奴隷制が主要な生産様式の社会などどこにも見られません。

 確かに狩猟・漁撈・採取社会においては、とった物を全員が共有し、すぐに食べて消費するため蓄積する私有財産に差はなく、社会的平等が図られ、支配階級は生まれないのに対し、農耕社会になると穀物・家畜は保存できるため、略奪や徴税などによる集中がおこり、支配階級が生じた可能性があります。

 しかしながら、ゴリラやチンパンジーボノボなどの研究からみて、力の強いボスがメスを独占支配した男系の不平等社会が現世人類(ホモサピエンス)の氏族・部族社会に引き継がれた「攻撃的チンパンジー型」の氏族・部族がいた可能性がないとは言えません。実際、現代におけるアラブなどの男性支配や西欧など世界のドメスティックバイオレンス(配偶者の暴力支配)は、その名残を示しています。わが国のように古代に女王国が各地にあり、「その会同に坐起するに父子・男女別なし」(魏書東夷伝倭人条)というボノボ型の母系制社会だけではないのです。

 また、狩猟・漁撈・採取社会においても、狩猟・漁撈・採取と石器・土器・木器・衣類・装身具生産などの分業や交易・交換、信仰・祭り、防御、秩序維持などの役割により階層社会が形成された可能性が高く、その中から世襲制の支配階級が生まれた可能性があります。

 スサノオ大国主一族の建国をみると、他氏族・部族の支配・収奪により建国が行われたのではなく、新羅と米鉄交易を行い、鉄先鋤を各地に普及させ、治水・利水の共同体事業を主導して水田稲作を普及させ、母系制社会の妻問夫招婚と祖先霊信仰(八百万神信仰)により氏族・部族の統合を図り、百余国の豊葦原水穂国が誕生したのです。

 古事記スサノオが「海原を知らせ」と父から命じられた海人族であることを伝え、日本書紀大国主と少彦名が「力をあわせ、心を一つにして、天下を経営す」「動植物の病や虫害・鳥獣の害を払う方法を定め」、「百姓(おおみたから)、今にいたるまで、恩頼を蒙(こうむ)る」とし、出雲国風土記大国主を「五百(いほ)つ鉏々(すきすき)猶所取り取らして天下所(あめのした)造らしし大穴持」と書き、記紀大国主が各地で妻問を行い180人の御子をもうけたと伝えています。記紀風土記は、スサノオ大国主一族の交易・技術・交流・農耕技術指導・普及、水利事業主導、妻問夫招婚と祖先霊信仰による平和的な建国を伝えています。

 縄文社会研究からみても、縄文中期・後期には狩猟・漁撈・採取だけでなく干物・塩生産、栗栽培や焼畑農耕、黒曜石採掘・加工、土器・装飾品(耳飾り・貝輪・ヒスイ・コハク等)生産、交易などの地域的・広域的分業が行われている母系制の氏族・部族社会であり、祖先霊信仰の共同体祭祀を行う階層社会であり、共同体的生産の農耕社会化とスサノオ大国主建国へと連続していたことが明らかです。

 マルクス・エンゲルスが描いた「原始共産制説」や「奴隷制社会説」は19世紀の西欧の歴史学・考古学・人類学などのレベルの空想に過ぎず、西欧の好戦的軍事氏族による侵略・略奪・生産手段独占・宗教支配が階級社会を生み出したという「軍事進歩史観」であり、氏族・部族共同体社会の分業化が進み、交易・技術・公共事業・共通祭祀を主導した氏族・部族による建国の歴史を無視した偏った歴史観と言わざるをえません。

 「原始共産制奴隷制封建制」へと社会は発展したのではなく、「氏族・部族共同体社会」から、軍事部族が領地争奪戦を行う「封建制社会」が生まれ、さらにアフリカ・アジア・南北アメリカへの交易・侵略・略奪を行う重商主義の「絶対王政」(前期帝国主義)をへて、産業革命により金融・産業の「資本主義社会」(後期帝国主義)が生まれ、帝国主義戦争とアジア・アフリカ・アメリカ大陸の民族独立をへて現代の「グローバル資本支配」社会となったと私は考えます。

 4大古代文明ギリシアスサノオ大国主建国は、船団・隊商を擁した交易部隊(場合によっては略奪・侵略軍となる)が富を集積し、軍団・行政・祭祀組織を握って世襲王として氏族・部族共同体社会を支配したのであり、封建社会においてもその基本構造は変わらず、軍事氏族は各地域に分立して領地支配する分権的社会に変わったと考えます。

 「原始共産制(氏族・部族共同体社会)」が解体され、共同体の成員は支配者階級と奴隷階級に分解し「古代専制国家の奴隷制社会」が生まれ、さらにそれが解体され、領地争奪戦を繰りかえす「封建領主と農奴封建社会」に移行したというのマルクス・エンゲルス説は成立しません。

 古代から近代にいたるまで、下部構造としては「共同体社会・生産体制」が維持され、その上に上部構造として「軍事・交易・行政・祭祀を司る支配氏族・部族」が乗っかり、交代したのです。中国の例をみても、大多数の「共同体社会」の平民(農漁業・商工流通・傭兵民など)の反乱がきっかけとなって何度も王朝が倒されており、社会の基礎に「共同体社会」があったと見るべきです。

 まだ試論段階ですが、私は歴史時代区分は次のように、共同体社会(産業・労働・生活・文化)の上に軍事・政治支配体制が変化する2層3時代区分を考えています。

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 マルクス・エンゲルス説は自らの「ヨーロッパ型生産様式」モデルに合わない世界を「アジア的生産様式」として例外的なモデルとし、植民地からの収奪を資本主義の「本源的蓄積」段階としましたが、ヨーロッパ中心主義の文化文明観による世界支配思想であり、「アフリカ・アジア・南北アメリカ的生産様式」を標準とし、例外として「ヨーロッパ型生産様式」を別枠に位置付けるべきだったのです。

 

4 マルクス・エンゲルスの歴史区分から先へ

 ユダヤ人であったマルクス・エンゲルスが労働者の解放やユダヤ人への差別・迫害、女性差別の解消などを強く願ったことを私は疑いません。

 しかしながら、彼らは「遊牧民で土地や都市を持たないユダヤ人が神の命令でカナンの人々を殺戮して建国したという原罪を抱え、3度にわたって国を滅ぼされてカナンを追われた民族」の歴史の影響を強く受け、「ユダヤ人金融資本家が絶対王政や産業資本家を支えた」という負の歴史を正視しなかった、と私は考えます。

 彼らはユダヤ人同胞を擁護し、差別・迫害から守る必要があり、軍事氏族・部族であり侵略・殺戮者であったユダヤ人の歴史から人々の目を逸らし、バビロン・エジプトなどに捕囚・奴隷とされた被害者意識からの「奴隷制社会」像を作り上げるとともに、ユダヤ教を否定したキリストの教えを忘れた後継者たちが旧約聖書の選民・侵略・奴隷公認思想を受け継ぎ、ローマ帝国の侵略や西欧絶対王政・産業資本家のアフリカ・アジア・南北アメリカ侵略・植民地化・奴隷制度を助けたという暗黒史を隠した、と私は考えます。

 現在のイスラエルアメリカを見ても、ユダヤ教ユダヤ教化したキリスト教一神教の軍事民族・軍国主義国家による他民族支配・圧迫・大量殺戮は原爆投下と核武装に見られるように継続しています。なお、他人事ではなく、本居宣長の「世界を照らすアマテラス太陽神一神教」を受け継いだわが国の軍閥もまた、天皇を現人神として侵略戦争に乗り出すという負の過去を持っています。

 「軍事・略奪・侵略思想」はどの時代、どの国・民族、どの体制(資本主義・共産主義)にもあり、多数派であったアフリカ・アジア・南北アメリカの「平和・交易・共生主義」の歴史は抹殺されてしまったのです。

 「所有関係」による階級形成の前に、「分業」による階層社会化があり、その中から「軍事氏族・部族・国家・民族」が「富の集中・格差」と「支配・被支配」を生み出したと私は考えます。

 マルクス・エンゲルスの暴力革命論と他の社会主義者・民主主義者への激しい攻撃性は、ユダヤ民族の軍国主義と「唯一絶対神信仰」のユダヤ教を受け継いだものであり、彼らの共産主義は「主義=信仰」として、レーニン毛沢東などの暴力革命路線と一党独裁制度に継承されています。

 私たちが人類史から「共同体社会」を考えるなら、サルの「群れ」からヒトの「氏族―部族―封建―資本」社会の歴史的変遷の底流に一貫した平民の「共同体社会」が個人の自立・共同による「市民社会」となり、さらにその先に新たな「自由・平等・生類愛・共生」の世界的な共同体社会の構築を目指すべきと考えます。空想的な「原始共産制」への先祖帰りではなく、新たな「共同体社会」は創りあげる以外にないのです。

 

5 追記

 これまで書いてきました文明論については、見直しが必要となりました。

 「縄文社会論・文明論」「日本列島人起源論」についての大枠の検討作業は終わりましたので、今後は、いくつかの小さな論点(自然信仰と霊(ひ)信仰、雛尖(ひなさき)考、ヒマラヤ南部ルート説など)についての追加作業と文明論の修正を行いたいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/