ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート64 人類拡散図の検討

 ネットで検索すると人類の拡散について、様々な説の多くの図がみられ、どれを信用していいのか迷いましたが、同じような方は多いと思います。相互に矛盾する図が多いということは、誤った図も多いということになりますが、下に人類拡散図の12例(順不動)を示します。

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 アフリカのどこでホモサピエンスは誕生したのか、どこから出アフリカを果たしたのか、どのようなルートで世界に拡散したのか、途中に大きな分岐点があったのかアフリカですでに分岐していたのかなど、整理しないわけにはいきません。

 アフリカ・アジア各国に行ったこともなく、専門分野でも専門書を読んでもいない私がこのような作業を行うのはおこがましいのですが、ネットで公開されている情報からまずは自分の頭で考え、整理を行いたいと考えます。

 なお私が「日本民族起源論」「日本人起源論」と言わず、「日本列島人起源論」と書いているのは、①「日本国」や「日本民族意識」が形成される以前の旧石器・縄文時代をテーマとし、②そもそもこの国は南方・大陸・朝鮮半島・シベリアからの多様なDNAの人たちにより形成されており国名・民族名から判断すべきではなく、③世界文明の中で「日本列島」という多島海文明の特徴を重視するからです。

 いずれ、意欲的な若者たちがアフリカの誕生地を突き止め、そこからの全移住ルートを総合的な調査と再現実験によって解明することを期待して、基礎的な整理を行っておきたいと考えます。

 

1 私の仮説

 私は若狭の鳥浜遺跡や青森の三内丸山遺跡から見つかったヒョウタンの原産地がニジェール川流域であることを知り、三大穀物などイネ科植物の西アフリカ起源説をたて、「主語-目的語-動詞」言語族の分布を繋いで、日本列島人の起源は西アフリカのニジェール川流域ではないかと考えました。―「縄文ノート25(Ⅱ-1) 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』」等参照

 続いて、温帯ジャポニカの起源や霊(ひ)信仰、農業や宗教語のドラヴィダ語(タミル語)起源説、照葉樹林文化論、Y染色体Ⅾ型がチベット周辺に多いことなどから、縄文人ドラヴィダ系海人・山人族説にたどりつきました。―「縄文ノート37(Ⅲ-7) 『神』についての考察」「縄文ノート38(Ⅲ-8) 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」「縄文ノート41(Ⅳ-1) 日本語起源論と日本列島人起源」等参照

 さらに、エジプトのピラミッドの上が白、下が赤の2色で、ピラミッドは拝み墓であって埋め墓が別にある両墓制であることから、ピラミッドはナイル川上流のルウェンゾリ山信仰をもとにした神山信仰の神殿であると考え、この地のイシャンゴ文明がイモ穀類魚食文明であることや黒曜石の産出、さらには世界各地の神名火山(神那霊山)信仰などから、このアフリカ高地湖水地方こそが縄文文化のルーツではないか、と考えるようになりました。―「縄文ノート56(Ⅲ-11)  ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「縄文ノート61(Ⅲ-12) 世界の神山信仰」参照

 そして最後に、うかつなことに見逃していたのですが、縄文人Y染色体Ⅾ型と分かれたE型が「アフリカに多い。コンゴイド人種」であったのです。

 ウィキペディアによればこの「コンゴイドは、ニジェールコンゴニジェール・コルドファン)語族(バントゥー系民族、イボ人)やナイル・サハラ語族の言語を話し、農耕・牧畜生活を送っていた(もしくは現在も送っている)」のであり、かつてビアフラ独立を目指したイボ人は「黒人系の単一民族としては最大規模のグループの1つである。その人口の大半はナイジェリア東南部に住み、ナイジェリアの総人口の約20%を占める。カメルーン赤道ギニアにも相当数が居住する」とされ、「ニジェールコンゴ語は現代語ではSVO型が圧倒的に多いが、SOV型も見られ、元来の語順は明らかでない」とされているのです。

 DNAでたどるとニジェール川流域に住んでいた部族がアフリカ高地湖水地方に移住した可能性が高くなってきました。―「縄文ノート62(Ⅴ-6) 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」参照

 現時点での私の考えは、日本列島に多いY染色体Ⅾ型の縄文人のルーツはアフリカのニジェール川流域であり、68500年前頃にこの地からコンゴ川に沿ってアフリカ高地湖水地方に移住し、神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石利用、イモ穀類魚食文化を確立し、38300年頃にエチオピア経由で出アフリカを果たし、「海の道・海辺の道」を通ってインドに定住してドラヴィダ系海人族となり、さらにミャンマー海岸部・アンダマン諸島に移住し、一部は山岳地域に移住して山人族となり、後に海人・山人族が協力してスンダランドに移住し、何次かに分かれて日本列島に移住して縄文人となった、というものです。

 なお、この縄文人の移住時期については図の崎谷満氏の説を元にしたものですが、Y染色体C型の日本列島の旧石器人(クロマニョン人やオーストラリア先住民に近く、モンゴル・シベリア・北アフリカ原住民にも近い)とどう関係するのか、それぞれの出アフリカ時期が正しいのかについてはずっと迷ってきており、次の機会に検討したいと思います。

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 2 人類の起源

 アフリカの熱帯雨林をすみかにしているチンパンジーボノボから猿人→原人→ホモ・サピエンス旧人類・現生人類)へと人類が進化し、出アフリカをはたした年代と化石が発掘された場所などは次表の通りです。化石発見などはさらに進みますから、この表はネットで検索したレベルでの現時点でのおおまかな整理です。

 

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  原人化石の発掘、ミトコンドリアY染色体のDNA分析、放射性炭素年代測定法、南極の氷床コアに閉じ込められたメタンとCO2濃度からの気候変動分析により、人類の起源がアフリカであり、その進歩のおおよその状況は定説となっています。ただ、アフリカ熱帯地方は人骨は分解されて痕跡が残りにくく、また、各国での研究も進んでいないというデータ限界があり、実際には猿人や原人、ホモサピエンスの分布はアフリカ海岸沿いにさらに各地に及んでいた可能性があると考えます。

 問題は、いつ、どこから、どのようなステップ、ルートで人類が段階的にアフリカから拡散したのかですが、まだ諸説が分かれています。

 

3 人類の進化仮説

 700万年前頃のチンパンジーと人との分岐については、子どもの頃には「二足歩行説」「火の使用説」「道具使用説」「言語能力説」で習いましたが、さらに猿が木から地上に降りた理由として「気候変動説(氷河期乾燥化説)」「食料豊富化説(草食動物・魚介類・根菜類・穀類等)」、脳の拡大について「肉食説」「火の使用によるデンプン食説(糖質食説)」「言語説」、社会関係として「家族婚説」「共感・協力・コミュニケーション説」や「自然淘汰説」「適者生存の闘争・戦争説」「集団内競争説」などが思いつくままに考えられます。

 諸説の調査・整理については、別の機会に行いたいと考えますが、現時点での乏しい私の知識段階から整理した仮説は、図のようになります。

 

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 3 人類拡散説の整理

 人類の拡散説について、起源地と出アフリカ地点、分岐点、拡散ルート説を整理すると、次のようになります。

  

         表2 縄文人の起源地、出アフリカ地点、分岐点、拡散ルートの整理 

 

各説

場所

根拠

備考

起源地

ニジェール川流域説

西アフリカ海岸・河川地域

①食料が多く、種の多様性が生じる熱帯地域。

チンパンジーの分布地域。

Y染色体Ⅾ型と分かれたE型の「コンゴイド人種」のイボ人の居住地。

④縄文遺跡で見つかるヒョウタンの原産地。

⑤イモ食地域であり、イネ科穀物原産地の可能性。

①イボ人は高地湖水地方からの移住の可能性。

②高地湖水地方へ移住した可能性。

高地湖水地方

ナイル川源流のルワンダタンザニアケニア

熱帯雨林から雪山までの気候多様性

②山・森・サバンナ・湖・川の多様な環境

チンパンジーボノボ(ピグミーチンパンジー)の生息域に近い。※図6

④猿人化石の発見。

⑤エジプト・メソポタミア文明等の神山信仰のルーツ。

⑥イシャンゴ文明は25000~16000年前頃にかけて継続した穀類・魚食文明である。

⑥黒曜石利用の可能性。

タンザニア等からの竹筏利用の可能性。 ※写真1

⑧「先の丘の国」と呼ばれるルワンダタンザニアなど棚田風景はなじめる。 ※写真2~4

ニジェール川流域からの移住の可能性。

エチオピア

オモ川・トゥルカナ湖・アワッシュ川地域

①高地草原地帯は、高地湖水地方と環境が類似。

②オモ川・トゥルカナ湖・アワッシュ川周辺で多くの猿人化石の発見。

③現生人類の19.5万年前頃の化石(オモ遺跡)。

③黒曜石・岩塩の産出。

高地湖水地方からの移住の可能性。

南アフリカ

南アフリカボツワナ

①猿人化石や現生人類化石の発見。

Y染色体A系統が高頻度で、遺伝子多様性が最も高く「地球最古の人類」と呼ばれるサン人(ブッシュマン)が居住。

高地湖水地方からの移住の可能性。

出アフリカ地点

地中海沿岸説

エジプト

①陸続きである。

ナイル川に沿って下り、起源地から移動できる。

2地点出アフリカ説も。

アラビア海沿岸説

エチオピア

①紅海・ペルシャ湾渡海は容易。

②アフリカ西海岸から竹筏で海岸沿いに移動できる。

分岐点

中東分岐説

イラン付近説

アラビア海沿岸出アフリカ説に対応。

コーカソイドモンゴロイド・オーストラロイド・ネグロイドの4大人種説に対応(崎谷満氏など)。

③中国・日本・アメリカへはモンゴロイド分岐説とオーストラロイド分岐説の2説。

DNAからの推定。

シリア・トルコ付近説

エジプトからシナイ半島経由の地中海沿岸出アフリカ説に対応。

アフリカ分岐説

アフリカ

DNA多様化が生じやすいアフリカで4万年以上かけて人種多様化と分岐がおこり、それぞれ別々に拡散。

拡散ルート

海川・沿岸ルート説

インド洋・太平洋・地中海沿岸

①同じ気候帯を移動。

②魚介類と水と塩、果物などを安定的に確保可能。

③竹筏・竹カヌーで大人数が安全に移動可能。

④後のエジプト・メソポタミアインダス文明の交易に引き継がれた可能性。

 

内陸ルート説

インド・東南アジア・中国・アメリ

①海川ルートの内陸部徒歩移動版。

②オアシスルート(後世のシルクロード)は水・食料などから困難。「砂漠の舟」のラクダ利用は4500年ほど前と新しい。

 

海岸部でなく内陸部移動とした根拠不明。

マンモスルート説

シベリア草原(寒冷期)

マンモスなど大型動物を追って移住。

 

 

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4 主な拡散図の検討

 専門外であり、個々の拡散図の作成方法やデータの妥当性に踏み込んでの評価はできないため、ネットで知りえた範囲での他の拡散図との比較検討とデータ(化石と現在の人DNA・環境・言語・民俗など)の全体的整合性の範囲での評価になります。

 専門家による整理が求められるところです。

⑴ 現生人類の起源は「ニジェール川流域起源説」は1例、多数は「アフリカ高地湖水地方起源説」

 現生人類の起源について、「ニジェール川流域起源説」は女性に受け継がれるミトコンドリアDNA分析による1例にとどまり、女性に受け継がれるY染色体DNA分析による多数は「アフリカ高地湖水地方起源説」です。

 判断としては猿人・原人・現生人類の化石発見地と現代人のDNA分析からですが、前者は熱帯雨林などでは痕跡が残らず、また欧米人研究者の調査や各国の研究レベルにも大きな差があります。後者については、現在の各部族の居住地と起源地が異なる可能性があります。

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⑵ 出アフリカ地点は「地中海沿岸説」1例、「アラビア海沿岸説」5例、「両方説」6例

 出アフリカ地点は現代人のDNA解析からの分析ですが、「地中海沿岸説」1例、「アラビア海沿岸説」5例、「両方説」6例になります。図8の崎谷氏の拡散図は「アラビア海沿岸説」になります。

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⑶ 出アフリカ後の分岐点は「中東分岐説(イラン付近説、シラク・トルコ付近説)」が基本

 ―ただし日本とアンダマン諸島チベットバイカル湖畔に多いD型はアフリカでE型と分岐

 「アラビア海沿岸出アフリカ説」で四大人種説を反映した崎谷満氏の図8は、「イラン付近分岐説」でコーカソイド(白人)・モンゴロイド(黄色人)・オーストラロイド(オーストラリア先住民)の3方向に分かれたとし、「地中海沿岸出アフリカ説」の篠田謙一氏の図9は「シラク・トルコ付近分岐説」となっています。

 なお、崎谷説は北方ルートのモンゴロイドから東アジア人(中国・朝鮮・日本)が分かれたとしているのに対し、篠田氏は南方ルートの東南アジアから東アジア人が分かれるという大きな違いがあります。

 両説などを統合しようとした中田力氏の図13は、イラン・パキスタンあたりで北ルート・南ルート・西ルートに分かれ、南ルートは「海の道」としています。―縄文ノート25(Ⅱ-1) 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」参照

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 ただ、縄文人に多いY染色体D型はアフリカのE型と分岐していることからみて、アフリカの少数民族のDNA分析が進めば、崎谷氏の図2からみて他のR型・C型、F型・K型などもアフリカで見つかる可能性が高いのではないか、と考えています。図2を再掲しますので、合わせて検討していただきたいと思います。

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  また中田氏の図ではアフリカのE型を「高地湖水地方」と「北アフリカ」に書いていますが、ニジェール川流域が起源と私は考えています。縄文人のⅮ型もチベットだけでなくミャンマー沖のアンダマン諸島にも書き加えるべきです。「縄文ノート43(Ⅴ-1) DNA分析からの日本列島人起源論」の図14を掲載しておきます。

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 私の「縄文人ドラヴィダ系海人・山人族説」は、「ヒョウタン・3大穀物」の起源、「主語-目的語-動詞」言語族の移動ルート、大野晋氏のタミル語起源説と、この中田氏の図13を重ね合わせたものです。

 

④ 拡散ルートは「海川・沿岸ルート説」6、「内陸ルート説」6、「マンモスルート説」8

 拡散ルート(1つの図で複数ルート)は、「海川・沿岸ルート説」が6、「内陸ルート説」が6、「マンモスルート説」が8であり、別に「オアシスルート説」4もみられます。

 表2に書いたように、「オアシスルート」(後世のシルクロード)は水・食料などの確保が難しく、「砂漠の舟」と言われるラクダ利用は6500年程前と新しく、小人数の交易隊商ならともかく、子ども・女性・老人を連れての民族移動は不可能であり、ルート図に乗せているのは経験則違反の誤りを犯しており、撤回すべきです。

 また、肉食史観の「マンモスルート」は一番多いのですが、若狭の鳥浜遺跡で見つかった熱帯性のヒョウタンやウリ、エゴマ縄文人が多毛であることなどからみて、縄文人の主要な移住ルートとは考えられません。

 今のイラン→パキスタン→東南アジア→中国→日本列島→アメリカ大陸の「内陸ルート説」は、東南アジア・中国が「主語―動詞-目的語」言語であり、日本列島・南朝鮮などの「主語-目的語-動詞」言語と異なり、移住ルートとしては考えられません。

 「主語-目的語-動詞」言語族である縄文人は、東南アジア・中国の「主語―動詞-目的語」言語族より先にアジアに来たとは考えにくく、「主語-目的語-動詞」言語族に干渉されにくい「海川・沿岸ルート」でインド・東南アジアを経由して日本列島にやってきたと考えるのが合理的です。

 

5 まとめ

 以上の検討から、私が妥当と考える人類拡散図は、中田力氏の図13に、アンダマン諸島にD型を加えた図になります。

 一方、国立科学博物館の馬場悠男・海部陽介氏が監修したNHKスペシャル人類誕生の『大逆転! 奇跡の人類史』に掲載されたを掲載しますが、この図が正しいかどうか、みなさんはどう思われるでしょうか?

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 第1の疑問は、出アフリカ地点について少数派の「地中海沿岸説」をとり、「アラビア海沿岸説」には「?」を付け、中東を人類発達・分岐のセンターであるかのようにした「西欧中心史観」の図としていることです。

 第2は、「海・海岸の道」史観ではなく「徒歩移動」史観を受け継ぎ、日本列島への移住は台湾・朝鮮半島経由としていることです。前回「縄文ノート63(Ⅴ-7) 3万年前の航海実験からグレートジャーニー航海実験へ」で私は海部陽介氏らの台湾・沖縄黒潮横断渡海実験を批判しましたが、彼らの実験はこのような偏った仮説を証明しようとする実験でした。

 DNA分析を無視した海や筏・舟、魚やイモ・雑穀が嫌いな肉食史観の人たちの暴論という以外になく、「和魂漢才」「和魂洋才」ならぬ「倭魂」を忘れた「漢才・洋才史観」と言わざるをえません。アフリカ文明・インド文明を受け継いだ縄文人1万数千年の歴史を「野蛮・未開社会」に押しとどめ、弥生人(中国人・朝鮮人)こそが文明をもたらして天皇家建国に繋がったとする拝外・大和中心史観がNHKを支配しているようです。なお、弥生時代から奈良時代初期までに150万人の北アジア系渡来人がやってきて人口の8割以上を占めたという埴原和郎氏らの説はDNA分析とは乖離しており、別の機会に批判したいと考えます。

 私は嫌中・嫌韓派ではなく漢字・漢詩文化が好きですが、だからといって日本列島人起源論や縄文論をDNA分析に反してゆがめようとは思いません。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/