ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論

1 9万年前の骨製の銛

 人類進化関係の『別冊日経サイエンス』を図書館でまとめて借りたところ、1998年4月の122号の『DNAから見た生物進化』に、9万年前の骨製の銛がコンゴ民主共和国(ザイールは1971~97年の国名)のセムリキ川(エドワード湖から北に流れアルバート湖に注ぐ)で見つかったという記事がありました。

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 私はこのエドワード湖とアルバート湖のほとりの高地湖水地方20000~8000年前頃のイシャンゴ文明があり、穀類を粉にする石臼・粉砕用石器とともに多くの骨製のと魚骨を伴い、糖質・魚介食であったということを『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』(木村愛二著)から引用しましたが、その骨製の銛の起源が9万年前へと遡ることが明らかとなったのです。―縄文ノート「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ高地湖水地方』」参照那霊山)信仰のルーツ」より

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 人類の誕生はアフリカの熱帯雨林で地上に降りたサルが川や沼地、海岸で水に浸かって足や棒で魚介類やカエル・トカゲ・ワニなどをとって食べてタンパク質と脂質を摂取して脳の神経細胞ニューロン)を増やし、DHAを摂取してシナプス(神経伝達部)の働きを活発にし、地上では穀類や突き棒でイモ類などの脳のエネルギー源となる糖質を摂取して脳を活発に働かせて知能を向上させたと考えてきました。

 そして36000年前頃の京丹後市上野遺跡の隠岐島産の黒曜石や19000~18000年前頃の高原山黒曜石原産地遺跡群について、黒曜石利用文化がケニアタンザニアエチオピアから伝わった可能性を指摘しましたが、20000~8000年前頃のイシャンゴ文明とは年代が合致しませんでした。―縄文ノート44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」参照

 ところが巨大ナマズやトカゲ・ヘビ・ワニなどを仕留めることができる9万年前の骨製の銛が発見されたのですから、イシャンゴ魚食文明は9万年前に遡ることになり、私の主張とは矛盾がなくなりました。

 DNA分析と合わせて考え、4~3万年前頃に第1波の旧石器人が、16000年前頃に第2波の縄文人が日本列島にやってきたと考えていましたが、そのどちらもが9万年前のアフリカのイシャンゴ水生動物食文明や黒曜石文化を受け継いでいたと考えたことが証明されました。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」の図6・20・21、「62 日本列島人のルーツは『アフリカ高地湖水地方』」の図4参照

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 「肉食進化説」「進化オス主導説」に基づく「大型草食動物ハンター説(マンモスハンター説)」とそこから帰結される「ウォークマン拡散説」の西欧中心史観の影響が根強いわが国ですが、9万年前の骨製の銛を使う「イシャンゴ水生動物食文明」の痕跡が発見され、Y染色体D型の分岐と分布が明らである以上、今こそ「糖質・水生動物食進化説」「母子主導進化説」に基づく「海人族説」の「筏乗り拡散説(ラフトマン拡散説)」への転換を世界に先駆けて主導すべきと考えます。

 日本列島人起源説については、これまで「東アジア閉じこもり史観(アフリカからの全ルートを考えない)」「手ぶら移動史観(人移動だけを考え、種子・技術・言語・文化・宗教などの移動をワンセットで考えない)」「中国・朝鮮文明伝播史観(弥生人征服説などの縄文未開社会史観)」「一方向一段階史観(北方起源説・南方起源説・大陸半島起源説などの還元説)」などの問題があり、この際、分野・学閥などを超えて解明する必要があるのではないでしょうか。 

 

2.モロッコの骨製ナイフと南アフリカ海岸での骨製銛:浮かびあがる海岸ルート拡散

 さらにアフリカの骨製品について検索すると、加工した骨製品がアフリカのモロッコ南アフリカでも見つかっていました。

 ブログ「雑記帳」(劉公嗣さん作成)の2018年10月06日「アフリカ北部の9万年前頃の骨製道具」https://sicambre.at.webry.info/201810/article_9.htmlを要約すると表1のようになります。

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 そして、次のような重要な指摘がなされています。

 

 「近年では、アフリカにおいてヨーロッパの上部旧石器時代よりも古い中期石器時代の骨製道具の報告が蓄積されつつあり、現生人類(Homo sapiens)の起源地たるアフリカにおいて、中期石器時代に『現代的』行動・複雑な認知能力が発達していったことが窺えます」

 「本論文はさらに、こうした新技術を用いて骨製道具が製作されるようになったことと、資源戦略の変化が関連している可能性を指摘しています。9万年前頃にアフリカでは海洋資源の利用が増加したと推測されており、それが新技術の採用と関連しているのではないか、というわけです」

 参考文献:https://doi.org/10.1371/journal.pone.0202021

 

 重要な点は、9万年前頃からのアフリカでの海洋資源の利用と骨製道具の加工にみられる知能の向上が同時に起こっていることと、「縄文ノート89 1段階進化説から3段階進化説へ」で書いたように、「700~600万年前頃から80万年前頃までの長い期間に人類はサルから3段階の進化を遂げ、80~60万年前ころに2つに分かれ、第1のグループは病虫害を避けて熱帯雨林から高地湖水地方、さらにはサバンナ、ナイル川下流から地中海東岸沿いに拡散し、第2のグループはアフリカの大西洋海岸沿いを地中 海へと移動した」という人類拡散ルートに加え、第3のグループはアフリカの大西洋海岸沿いを南下して東海岸へと移動した可能性があることです。 

 

3.人類は槍だけ持って移動したか?

 人類進化のイラスト図などを見ると、縄文人は石器と石先槍で進化し、その槍を持って草食動物を追ってサバンナから世界に拡散したかのような錯覚を受けますが、大きな間違いと言わなければなりません。―「縄文ノート87 人類進化図の5つの間違い」参照

 アフリカの熱帯雨林で育んだ言語と生産・生活文化と宗教心を持ち、ヒョウタンや竹筒には水や穀類の種子、種イモを入れて運んだ可能性が高いと私は考えます。また下記のように、弓矢や黒曜石を持ってアフリカをでた可能性も高いと考えます。―「縄文ノート65 旧石器人のルーツ」参照

 

 最古の弓矢が6.4万年頃の南アフリカのシブドゥ洞窟で発見され、アジアではスリランカファ・ヒエン・レナ熱帯雨林洞窟で4.8万年前頃の鏃が発見されていることからみて、日本列島の旧石器人もまた4万年前頃からの黒曜石時代には弓矢を利用していた可能性が高いと考えます。スリランカはドラヴィダ海人族の拠点ですから、黒曜石利用の旧石器人もドラヴィダ系海人族であり、アフリカ高地湖水地方から黒曜石と弓矢を持って南インドスリランカアンダマン諸島を経て4~5万年前に日本列島にやってきた可能性は大いにあります。―「縄文ノート62(Ⅴ-6) 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」参照

 長弓の和弓から人類学者の金関丈夫氏は『発掘から推理する』で「射魚用から起こった日本の弓」論を書き、「東南アジアでは現代でも弓矢を使用して漁をする事例が しばしば確認できる(青柳 2011)」(2014.11.1大工原豊:岩宿フォーラム)とされますから、狩猟だけでなく、銛(もり)漁・簎(やす)漁から弓矢漁への転換があったと考えられます。

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 なお、3万年前頃の沖縄県南城市のサキタリ洞窟から、2.3万年前頃の世界最古の釣り針2本(巻貝製)が発掘されていることからみて、これまで縄文時代と考えていた釣漁・網漁・籠漁・壺漁などのうち、釣漁は後期旧石器時代に遡ることが明らかです。

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 旧石器時代は「石器の種類の豊富化とレベルアップ」で前期・中期・後期と区分されていますが、弓矢の発明や初期農耕の開始という道具革命・産業革命があったと考えます。石器の種類や形は結果であって、それを生み出した人間活動・社会で時代区分すべきです。「モノ分析こそが科学」というような「タダモノ史観」で人や社会を区分すべきではないと考えます。銛(簎)で魚を突いていた旧石器人が弓矢で魚を獲ることを思いつかないことなどありえないと私は考えます。―「縄文ノート65 旧石器人のルーツ」参照

 

 「はじめ人間ギャートルズ」のアニメと「なんにもない なんにもない まったくなんにもない・・・なんにもない 草原に かすかにやつらの足音がきこえた 地平線のかなたより マンモスのにおいとともに やつらがやってきた やってきた」(作詞:園山俊二、作曲:かまやつひとり)の歌のイメージのままで「マンモスハンター・旧石器人」のイメージを追い続けるのでしょうか?

 

 

4.これまでの私の主張

 繰り返しになりますが、これまでの私の主張の主なポイントをまとめておきたいと思います。本ブログを読んで来られた方はスルーして下さい。

4-1 人類誕生の地と拡散ルート

⑴ 縄文ノート5 「人類の旅」と「縄文農耕」、「3大穀物単一起源説」

 2014年5月に「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構―海洋交易民族史観から見た鉄器稲作革命」(『季刊日本主義』2014夏に掲載)を書いたとき、12000~5000年前の鳥浜遺跡から見つかったヒョウタンの種がアフリカ西海岸のニジェール川流域が原産地であることを知り、土器人(通説は縄文人)がヒョウタンに水を入れ、竹筏に乗って「海の道」をやってきたことを確信しました。

 さらにニジェールに行っていた次女からアフリカに米があることを知り、アフリカのナイジェリアに水田稲作の指導に行っている元鳥取大学名誉教授の若月利之さんからアフリカ稲が陸稲であることなどを教えられ、イネ科の稲や麦などのルーツもまたアフリカではないかと考えるようになりました。

⑵ 縄文ノート28 ドラヴィダ海人・山人族による稲作起源説

 今や「アフリカ単一起源説」が主流となり、「人類の母方は、約16±4万年前のある女性、ミトコンドリアイブを共通の祖先とする」「人類の父方は、約6万年前のある男性、Y染色体アダムを共通の祖先とする」が定説となっています。

 そして、その場所はアフリカ東海岸で20万年前とされてきていましたが、近年、最古の人類の化石はモロッコの30万年前の頭蓋骨とされる発表もあり、私はウィキペディア掲載の図からニジェール川流域から最古の人類化石が見つかるのではないか、と予想しています。

⑶ 縄文ノート89 1段階進化説から3段階進化説

 ホモ・サピエンス旧人類のネアンデルタール人は80年前頃、デニソワ人は60万年前とされ、現生人類の化石はエチオピアのオモ遺跡から発見された20万年前頃のものが最も古いとされてきましたが、2004年にモロッコで発見された化石と石器から30万年前頃が最も古いとされています。・・・

 このように700~600万年前頃から80万年前頃までの長い期間に人類はサルから3段階の進化を遂げ、80~60万年前ころに2つに分かれ、第1のグループは病虫害を避けて熱帯雨林から高地水地方、さらにはサバンナ、ナイル川下流から地中海東岸沿いに拡散し、第2のグループはアフリカの大西洋海岸沿いを地中海へと移動したのです

 

4-2 糖質・魚介食によるサルからヒトへの進化

⑴ 縄文ノート25 「人類の旅」と「縄文農耕」、「3大穀物単一起源説」 (縄文ノート5に加筆修正)

 2019年11月からNHKスペシャルで始まった食の起源の「第1集『ご飯』~健康長寿の敵か?味方か?~」によれば、アフリカの旧石器人の摂取カロリーの5割以上が糖質で主食が肉というのは間違いであり、でんぷんを加熱して食べると固い結晶構造がほどけてブドウ糖になって吸収され、その多くが脳に集まり、脳の神経細胞が増殖を始めるとされています。火を使うでんぷん食に変わったことにより脳は2倍以上に巨大化したというのです。肉食獣の脳が大きいこともなければ、脳の中は筋肉ではないのですから、「肉食進化説」は棄却されるべきでしょう。

 さらに、「第3集『脂』~発見!人類を救う“命のアブラ”~」ではオメガ3肪酸(青魚・クルミ・豆類など)が脳の神経細胞ニューロン)を形作り、樹状突起同士をシナプスニューロン間の接合部)で結び付け、高度な神経情報回路を生み出すのを促したとされています。

 猿から人間への頭脳の深化には魚食と穀類の組み合わせが有効であったのであり、海岸・河川地域での魚介類やイモ・イネ科穀類・ドングリ類の摂取こそが人類を猿から進歩させたのです。

⑵ 縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論

 青魚やナマズなど、さらには母乳に多く含まれるオメガ3脂肪酸のDHA(ドコサヘキサエン酸)は脳、網膜、神経、心臓、精子に多く含まれ、「発達期の赤ちゃんに欠かせないDHA」「子供にDHAサプリ」などという製薬会社の宣伝の片棒を担ぐつもりはありませんが、DHAには「脳神経を活性化し、記憶力の向上などの効果がある」「学習機能向上作用(記憶改善、健脳作用)がある」とされています。

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 サルから人間への進化において、糖質食とともに魚介食が果たした役割も大きいと考えられ、西アフリカや東アフリカ湖水地方での「イモ・豆・穀類・魚介食」の研究が求められます。

 縄文人に多いY染色体D型と分岐したE型がニジェール川流域のイボ人などに多く、若狭の鳥浜遺跡や三内丸山遺跡で見つかったヒョウタンの原産地がニジェール川流域であることからみて、この地域で糖質・魚介食によりサルからヒトになった可能性が高いと考えます。

⑶ 縄文ノート84 戦争文明か和平文明か

 そもそも、熱帯雨林の樹上で果物を中心に食べていた大型類人猿がそれに代わるだけの糖質を地上で確保するとしたら、イモ類を棒で掘って確保した可能性が高く、火事が起こった機会に匂いにつられて穀類を食べるようになったと考えられます。

 また『アフリカを歩く』(加納隆至・黒田末寿・橋本千絵編著)によれば、コンゴ(ザイール)の人たちはティラピアナマズ・ウナギ・ナイルパーチ・小魚・カニ・エビ・オタマジャクシ・カエル・ヘビ・ミズオオトカゲ・カメ・スッポン・ワニなどを食べており(安里龍氏によれば最も美味なのはミズオオトカゲ)、一般的な漁法は女性や子どもたちが日常的に行う「プハンセ(掻い出し漁:日本では田や池の水を抜く「かいぼり」)」(武田淳氏)で、他にも多種多様な漁法で魚をとっているというのです。・・・

 ヒトの脳の神経細胞は1000億個以上で成人でも乳児でも同じで、神経細胞を繋ぐシナプスの数は生後1~3年前後まで増加し不要なものは削除されて減少し、脳の重さは新生児の約400g、生後12か月で約800g、生後3年で約1000g、成人で1200~1500gとされています。―「脳科学メディアhttps://japan-brain-science.com/archives/1553」参照

 妊娠中に母ザルが神経細胞シナプスをつくる糖質と魚介類をたっぷり食べ、1~3歳の乳幼児期に糖質とDHAたっぷりのおっぱいを飲み、安定した豊かな自由時間(狩猟採取民の労働時間は1日2~4時間:前掲の山極氏)の母親や子育てメスグループ、子どもとの会話により脳は1~3歳の乳幼児期に急速に発達したことが明らかであり、サルからヒトへの進化は、この乳幼児期の濃密なコミュニケーションにあったのです。

⑷ 縄文ノート85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか

 熱帯雨林の小川や沼、海に浸かって毎日のように顔だけ水上に出して立って足で何時間も泥や砂の中の獲物を探していたサルのメスや子たちは、浮力によって長時間直立することは容易であり、オスが草原で獲物を追うよりもはるかに早い段階で二足歩行を定着させた可能性が高いと考えます。

 また、流れを倒木などでせき止め、あるいは水流を弱めて「プハンセ(掻い出し漁)」を行う場合には、木を手で運んだり、棒で獲物を追い込んだり叩いたりする必要があり、二足で立って手で棒を使う機会は格段に増えます。棒を使っての根菜類の穴掘りもまた二足歩行を促しました。」

 「黒田末寿氏は『人類の進化と起源』において、「採食技術としての道具使用は雌の方が上手でかつ長時間行う。これらは採集滑動に相応し、採集仮説で強調される女による採集活動での道具使用の発達の根拠はここにある」と書いています。・・・

 木の上に逃げられる安全な熱帯雨林の小川や沼、海辺で、毎日、数時間の採集活動を行い、雨季には水中に立って獲物を捜すなかで、棒を使って小動物などを仕留めたり、穴を掘ってイモや幼虫などを獲るために棒を使うようになり、二足歩行と道具使用、手機能向上が同時にできるようになった可能性が高いと考えます。

 

4-3 日本列島人のルーツ

⑴ 縄文ノート62 日本列島人のルーツは『アフリカ高地湖水地方

 イシャンゴ文明が石臼・粉砕用石器とともに多くの骨製の銛と魚骨を伴い、漁業が主要な生業であったとされ、さらにサハラ砂漠の南(ニジェール川流域であろう)、ナイル川中流域にも類似の文化があり、近縁関係にあるとされていることです。

 穀類を挽いた石臼を伴う穀類・魚介食文化となると縄文文明と同じであり、さらに東南アジアやアンデス文明とも類似しています

 人の体重の2%の脳が消費カロリーの約20%を使っているとされることからみても、脳の神経細胞の活動には糖質(デンプン)が必要であり、イシャンゴ文明に石臼があるということは文明のルーツとして極めて重要と考えます。

⑵ 縄文ノート43 DNA分析からの日本列島人起源論

① 以上、16000年前頃からのY染色体Ⅾ系統の縄文人のルーツに焦点を当てて分析してきましたが、その前の旧石器時代は約3.5万年前に始まっており、国内最古の約3.2万年前の那覇市の山下洞人、約3.0万年前のガンガラーの谷のサキタリ洞遺跡幼児人骨、近くの港川フィッシャー遺跡の2.0~2.2万年前の人骨、約2.0万年前の石垣島白保竿根田原洞穴遺跡の数体の全身骨格などが次々と見つかっており、北海道・東北では2万年前頃からシベリア・サハリン系の細石刃文化が広がっています。この南北の旧石器人のルーツはどこに位置付けられるのでしょうか? 

② 前述のように「ドラヴィダ系山人族」はチベット高原から草原が広がるシベリアへ向かい、バイカル湖畔に定住してブリヤード人となっており、さらに東進して2万年前頃に北海道に到達した可能性が高いと考えます。

  一方、3.2~2.0万年前頃の沖縄の旧石器人は、現在の沖縄人に見られるミトコンドリアDNAのB4型、Y染色体O2b系からみて南インドシナ系の海人族と考えられ、さらにドラヴィダ系山人・海人族(ミトコンドリアDNAM7a型、Y染色体Ⅾ系統)がスンダランド水没とともに日本列島に大挙おしよせ、対馬暖流を利用して琉球から日本列島本土へ移住し、活発に交流・交易を進めて「主―動詞-目的語」構造の単一の言語・文化を形成したと考えられます

⑶ 縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと

 2019年5月30日のテレ朝ニュースによれば、西アフリカのギニアの野生のチンパンジーが水たまりの沢ガニを日常的に食べている映像を松沢哲郎京大教授らが公表し、「400万年以上前の森で暮らしていた初期の人類が、すでに水生動物を食料源として食べ始めていた可能性がある」としています。これはニホンザルが貝やカニを食べることを知っている日本人ならではの画期的な発見です。「腹ペコザル進化説」だけでなく、「グルメザル進化説」を考えてみる必要がありそうです。・・・

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 ニジェール川の源流域であるギニア高地にはカニを食べるチンパンジーが生息しており、中流は砂 漠・ステップ(サバンナ)地帯、下流には熱帯雨林があります。下流のナイジェリアの人口は約2億人でアフリカ最大、世界第7位で、石油を産しアフリカ最大の経済大国です。「母なる大河ニジェール川」と言えるように思います。

 この地に住むY染色体Eグループコンゴイド人種(ニジェール・コンゴ語族やナイル・サハラ語族)から日本人に一番多いY染色体Dグループは分かれたのであり、ナイジェリアには残されたDグループのDNAを持つ人が3例見つかっています

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 私たち日本人の故郷がこのニジェール川流域であることは動かしがたいと考えます。・・・

 今、現代文明が大きな転換点を迎えつつある現在、人類のルーツに立ち返る必要があると探求を重ねてきましたが、縄文文明の「第1のふるさと・ニジェール川流域」、「第2のふるさと・アフリカ高地湖水地方のおおまかな姿を明らかにすることができました。

 

4-4 日本の旧石器人(黒曜石人)と縄文人(土器人)

⑴ 縄文ノート65 旧石器人のルーツ

 これらの旧石器時代の遺跡は沖縄から岩手県まで広い範囲に見られますが、①~④の12~5万年前頃の中期旧石器と、3.6万年前頃からの黒曜石と人骨の⑤~⑬の後期旧石器の人々は連続しているのか、それとも異なるのか、という悩ましい問題があります。さらに、この黒曜石人(後期旧石器人)と15000年前頃からの土器鍋人(縄文人)とが連続しているのかどうか、も重要な論点です。

 鋭い貫通力・切断力がある一方、すぐに欠ける黒曜石は斧や農機具などには使えず、その利用は槍の穂先や弓矢の鏃、肉や魚料理の調理器具、革や布を切るナイフなどに利用されたと考えられます。そして、小動物や魚を投槍で仕留める非効率な追跡猟ではなく、弓矢による効率的な待ち受け猟はイモ類や雑穀などの耕作に伴う鳥獣害対策ではないか、と私は考え、黒曜石の鏃と縄文農耕をセットで考えてきましたが、さらに旧石器時代に遡って考える必要がでてきました。―「縄文ノート27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」参照

 最古の弓矢が6.4万年頃の南アフリカのシブドゥ洞窟で発見され、アジアではスリランカのファ・ヒエン・レナ熱帯雨林洞窟で4.8万年前頃の鏃が発見されていることからみて、日本列島の旧石器人もまた4~3万年前頃からの黒曜石時代には弓矢を利用していた可能性が高いと考えます。スリランカはドラヴィダ海人族の拠点ですから、黒曜石利用の旧石器人もドラヴィダ系海人族であり、アフリカ高地湖水地方から黒曜石と弓矢を持って南インドスリランカアンダマン諸島を経て4~3万年前に日本列島にやってきた可能性は大いにあります

 

4 豊かな「労働・生活・精神文明」があった

 発掘された物を分析している考古学においては、残存する無機物の「石・土器研究」になるのは仕方ないとも言えますが、「発掘されなかったものはなかった」としてしまうと科学とは言えなくなります。

 そのいい例が「出雲神話」であり、出雲からこれといった出土品がなかった時代には「出雲神話は8世紀の創作」とされ、荒神谷遺跡から日本最大の青銅器が発掘された現在においても、日本の考古学・歴史学にはその反省と方法論・志向方法の見直しが行われているようには思えません(私が知らないだけならいいのですが)。私には旧石器捏造事件よりはるかに重大な「スサノオ大国主建国隠蔽事件」と思うのですが、「知らぬ顔の〇〇〇〇」を決め込んでいるようです。

 その同じような例が「森林文明」の提案で、異分野の哲学者の梅原猛氏と地理学者・環境考古学者の安田喜憲氏によって提起されていますが、「狩猟・戦争が人類を進化させた」としてきた軍国主義的な西洋中心文明の考古学者には森や木の文明などに何の関心もなく、形の残る「石器・金属器武器文明」しか眼中にないようです。

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 現存する世界最古の木造建築・法隆寺を擁しながら、世界に先駆けて「森と木の文明」の研究を進めていないのは実に残念です。

⑴ 木・竹・貝・骨加工用の石器はなかったか?

 石器の分析においても、狩猟や動物解体、皮なめし、木を切る斧や農機具、調理具、神器(石棒)などの分析はなされていますが、木工や竹細工、貝細工、骨細工用の工作用石器の分析・展示は見たことがありません(不勉強なだけかもしれませんが)。

 沖縄の「ガンガラーの谷」の3万年前頃のサキタリ洞窟遺跡では2.3万年前頃の世界最古の貝製の釣り針が見つかっていますが、貝輪などのアクセサリーもまた工作石器がなくては製作することができないと思いますがそのような石器は目にしたことはありません。6~5千年前の鳥浜貝塚の赤色漆塗りの木製の櫛の製作のためには細かな木工用石器や漆採取用石器、赤色顔料製作の鉱物を粉砕する石臼が必要であったはずであり、縄文土器製作のためには、木や竹のヘラが必要であり、その製作のための石刀もあったはずです。

 縄文時代の竹籠(写真参照)や魏書東夷伝倭人条の「竹箭(ちくせん)或いは鉄鏃或いは骨族」の記述からみても、竹器や骨器づくりのための加工用の石器具があったはずです。縄文の土笛から考えると、その前に竹笛があった可能性があり、竹細工用石器もあった可能性があります。

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 9万年前のコンゴの骨製銛はアフリカに骨器文明があった可能性を示しており、それは木槍の先に取り付けたものでしょうから、先行して木器文明とそれらを加工するための精巧な工作石器文明がセットであったとみるべきです。

 ロシア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟の5万年前にデニソワ人(ネアンデルタール人ホモサピエンスと数万年もの間共存していた)によって作られた最古の鳥の骨製の針を削り、穴を開ける工作石器もまたあったはずです。

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 狩猟・殺人用武器としての石器の分析ではなく、耕作・採集・調理・縫製・なめし・塗装・楽器・祭祀などのための石器・木器・竹器・貝器・骨器などの総合的・全体的な加工・製造を含めた総合的・全体的な文化・文明論への転換が必要と考えます。

⑵ 弓矢・鏃のルーツはアフリカ

 日本最古の6600~6300年前頃の木の弓は若狭湾の鳥浜遺跡で見つかっていますが、黒曜石の鏃は3~2万年前に遡ることから考えて、日本列島における弓矢使用もまた4~3万年前に遡ると考えるべきではないでしょうか。

 弓の発見年代ではなく、鏃の発見年代でみると「最古の弓矢が6.4万年頃の南アフリカのシブドゥ洞窟で発見され、アジアではスリランカのファ・ヒエン・レナ熱帯雨林洞窟で4.8万年前頃の鏃が発見されていることからみて、日本列島の旧石器人もまた4~3万年前頃からの黒曜石時代には弓矢を利用していた可能性が高いと考えます」(縄文ノート65 旧石器人のルーツ)という判断になりませんか?

 前述のように魏書東夷伝倭人条で「兵は矛楯木弓を用う」「竹箭(ちくせん)或いは鉄鏃或いは骨族」「竹に篠簳(じょうかん)桃支あり」と書かれていることからみても、「木と竹と骨」を組み合わせたワンセットの技術・文化が成立していたことは明らかであり、そのルーツは9万年前頃のコンゴの骨器文明、6.4万年前頃のアフリカの弓矢文明に遡る可能性があるのです。

 「呉音漢語・漢音漢語大好き」「海は怖い、舟は嫌い」な、日本の歴史・考古学者たちの多くは「文化・文明は弥生人(中国人・朝鮮人)が持ってきた」「縄文時代は野蛮・未開の前文明社会」という思い込みに支配されているように思えてなりませんが、表2のように「石・土・木・竹・骨・貝・弓・矢・鏃」の全ては呉音漢語・漢音漢語ではなく、独自の倭音倭語なのです。また大野晋氏の『日本語とタミル語』によれば、「朝鮮語と日本語との比較を試み、約二百語の対応語らしいものを得たが、それは精々多く集めてみてこれが限度」ということであり、倭音倭語は別の系統の言語なのです。

 

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 アフリカから日本列島への移動のどこかに「主語-目的語-動詞」言語構造の倭音倭語と類似した言語があるはずであり、アフリカから日本人のルーツを考え、縄文文明を見直すべきでしょう。 

⑶ 「狩猟・殺人武器史観」から「生活・精神文明史観」へ

 文化・文明を石器・鉄器などの武器で分析する西欧文明史観の「狩猟・殺人武器史観」の石器文明ではなく、農耕・調理・縫製や木工・竹工・骨工・貝工・皮工、神具などの加工具としての石器を考え、その文明は「狩猟・殺人の石器文明」ではなく、「農・漁・衣・食・住・装飾・信仰の生活・精神文明」として全体的・総合的に捉えなおす必要があると考えます。

 「だだもの(唯物)」の「石器石頭史観」ではなく、生活・社会・信仰を基本に置いた人類の豊かな産業・生活・社会・文化・文明全体の解明こそ必要なのではないでしょうか? 縄文人の末裔である日本人こそ西欧・中国文明の「狩猟・殺人武器石器史観」から、最初に卒業すべきでしょう。

 そして女王国の歴史を受け、その文化・文明全体を主導したのが女性であったという歴史を全世界に先駆けて解明すべきと考えます。

 前にも書きましたが、さいたま市の私の朝の犬散歩コースの古い農家の屋敷の西北の隅にはお稲荷さんの祠があり、近くのいくつかの古墳の上にもまたお稲荷さんの祠がありますが、この稲荷神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)はスサノオ神大市比売との間に生まれた娘で美和=三輪に祀られた大年神(大物主)の妹なのです。天皇家が仏教を国教とし、徳川幕府が仏教を厚く保護したにも関わらず、未だに女神信仰文化は継承されているのです。―縄文ノート「38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰縄文ノート」「98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社」参照

 

□参考資料□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/