ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート62 日本列島人の人のルーツは「アフリカ高地湖水地方」

 縄文ヒョウタンの原産地が西アフリカのニジェール川流域であることから始まり、「主語-目的語-動詞」言語族のルーツがエチオピアケニアあたりと考え、「縄文ノート25(Ⅱ-1) 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』」「縄文ノート41(Ⅳ-1) 日本語起源論と日本列島人起源」などをまとめました。

 そこでエチオピアが気になり、「世界ふしぎ発見」など、ナイル源流、岩塩、大地溝帯、高原・平原の2種類の猿などをテーマにしたエチオピア関係のテレビ番組をよく見ましたが、肌の色(メラミンを作るSLC24A5遺伝子)は違っても中には日本人にそっくりな顔つきの人たちがいてびっくりしたものです。またエチオピアには日本と同じおじぎ習慣があることも知りました。

 ここから、直感的に私は人類は数万年もの間、アフリカにいた時にすでにDNAの多様化を生じ、それから世界各地に数万年かけて何段かに分かれて広がったのではないか、という「人DANのるつぼ」「人DAN爆発」アフリカ仮説を考えるようになりました。縄文人は東アジアで元の部族から分岐して日本列島に来たのではなく、アフリカですでに分岐し、アジアで諸文化を吸収しながら日本列島にきたのではないか、という直感です。

 それはヒョウタン原産地がニジェール川流域であるということから始まり、「イネ科植物のマザーイネ西アフリカ起源説」「日本語の『主語-目的語-動詞』言語エチオピア起源説」を考えてきた延長になります。

 一般的に生物の50~80%が熱帯雨林にいるという生物多様性からみて、赤道近くの強い太陽光は多様な植物を育て、それを食べる多様な動物を生み出し、その一部である人間もDNAの突然変異による多様化を生じた可能性です。人類はアフリカの熱帯雨林で猿から類人猿、原人、旧人、現生人類(ホモサピエンス)へと進化をたどるとともに、数万年かけて人DNAや言語・生活・文化など多様化を起こし、それぞれが出アフリカを果たし、さらに各地の環境変化に応じてDNAの多様化を起こした、というのが私の人類拡散の仮説です。

 

1 白人(コーカサイド)至上主義者の人類史の歪曲

 コロナでも痛感しましたが、DNA分析のような「分析手法」を科学と勘違いし、そのデータや分析方法の適用を誤っているエセ科学が多いのが気になっています。

 単なる「翻訳屋・分析屋・計算屋」があたかも科学者であるかのように振る舞い、誤った情報を流し続けて国民生活や仕事、人権、教育権に多大な損害を与えたのがコロナの忘れてはならない経験です。彼・彼女らは「イタリア・ドイツ・アメリカのような感染爆発が起きる」「42万人死亡」「都市封鎖だ」などと大騒ぎしましたが、一昨年の12月から1月の日本への中国人旅行客(96+114万人)による感染爆発がイタリア・フランス・ドイツ・イギリスのように日本では2・3月におきなかったことを冷静に分析すれば、42万人死亡の感染爆発などありえず、ロックダウンなど必要なかったのです。失職・倒産・自殺・教育空白などの責任は問われるべきでしょう。

 このように、わが国では「和魂漢才」「和魂洋才」といいつつ、実際には「漢才」「洋才」が伝統的に根強く、中華・西欧中心主義ウイルス蔓延しており、歴史学や人類学も例外ではありません。

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 図1はウィキペディア「人種」で紹介されている人類の遺伝子近縁図ですが、この図をみたとたんに怪しいと思わなければ、すでにあなたは白人中心主義ウイルスに100%感染しています。

 この図の中心はコーカサイド(白人)に置き、しかもイタリア(ローマ)からイギリス(ローマが占領)へと人類が分岐し、さらにイギリスが占領したイラン、植民地化したインドなどへと人類が分岐しかのような図にしているのです。ローマ帝国大英帝国を中心に人類が世界に広がったかのような世界観で描かれているのです。

 四大文明は全てアフリカ・アジアで誕生して発展し、当時のイギリスなど地の果ての辺境であったにも関わらず、この遺伝的近縁図はイギリス中心に描かれており、その植民地であったアメリカの白人至上主義者もまたそう思い込んでいるに違いありません。ナチスアーリア人至上主義の現代版はDNA分析を利用しているのです。

 

2 「人DANのるつぼ」アフリカ

 この白人中心主義者の遺伝近縁図とともに、ウィキペディアの「人種」「人類の進化」は「Y染色体ハプログループの拡散と人種」(図2)を載せており、ここではコーカサイド(桃色)はイランからトルコ・アルメニアを経て、東西に西欧・北欧とカザフスタンアフガニスタン北インドへ分岐して広がったとしていますが、私はこちらが正しいと考えます。

 なお、この図では日本へのⅮ1a2グループをモンゴルから朝鮮半島ルートとしていますが、「縄文ノート43(Ⅴ-1) DNA分析からの日本列島人起源論」で述べたように、ドラヴィダ系海人・山人族が「海の道」を、ドラヴィダ系山人族がシベリア・サハリンルートでやってきたと考えています。

  図2 Y染色体ハプログループの拡散と人種(ウィキペディア「人種」)

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 ウイルス学者・分子人類学者の崎谷満氏の『DNAでたどる日本人10万年の旅』では図3のよう に、9万年前ころからの現生人類は4万年ほどの間、アフリカで多くの部族に分岐し、出アフリカは53000年前頃、38300年前頃、27500万年頃の3段階であり、西ヨーロッパに多いのはY染色体R系という分析が示されています。―「縄文ノート43(Ⅴ-1) DNA分析からの日本列島人起源論)参照

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 この崎谷説が正しいとすると、出アフリカを果たすことになる部族は7万年前頃にアフリカで3つのグループに分かれ、2万年あまりアフリカで暮らし、5万年前ころにまず「JIHG」グループが分岐し、そこから「ONML」グループ、さらに「RQ」グループが分岐したことになります。「DE」グループは4万年頃、「C」グループは3万年前頃に出アフリカを果たしています。

 図4のウィキペディアY染色体亜型による系統樹と合わせてみると、西ヨーロッパ人は「R」グループで図2と同じ結果となり、図1の白人至上主義の遺伝的近縁図など成立の余地はありません。

 

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 ただ、「R」と近い「Q」グループを図4が「南北アメリカ大陸のネイティブアメリカンに非常に多い」としているのはサンプル誤差と考えます。ヨーロッパ人のアメリカ大陸征服後の混血の影響で「R」グループに近くなったと考えられ、この点ではアメリカ大陸に渡った「Q」グループをモンゴリアンとしている図2が正しいと考えます。

 

3 日本人のルーツはアフリカのニジェール川流域

 アフリカのアラブ化とアラブ人支配、イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ポルトガル・ベルギー・ドイツなどの植民地化、スペイン・アメリカによる黒人奴隷化などにより、アフリカの自立的発展は妨げられるとともに、遅れた「未開地域」のイメージが押し付けられてきました。

 しかしながら、猿人(700~130万年前頃)から、原人(180~20万年前頃)、旧人(20~10万年前頃)、新人(9万年前頃~:現生人類:ホモ‐サピエンス)へと発展・多様化し、現生人類が約4万年ものあいだ暮らしてきた「母なる大地」はアフリカなのです。

 これまで人種として「白色人・黒色人・赤色人・黄色人」などの肌の色による差別的な分類がなされてきましたが、現生人類の起源については長い「アフリカ単一起源説」と「多地域進化説」の争いの後、DNA分析により前者が定説となってきました。人DNAの多様性はアフリカで4万年あまりかけてうまれたのであり、肌の色の分岐は出アフリカ後に黒人から生じたわずかな違いにすぎないのです。アフリカこそが「人DANのるつぼ」であり「人DAN爆発」の母体であったのです。

 前掲の図4の崎谷氏のY染色体亜型による系統樹には日本人にとっては興味深い部分があります。それは「Ⅾ・E」グループで、抜粋して図5に示しますが、縄文人はアフリカで「アフリカに多い。コンゴイド人種」の「E」グループと分岐したのです。

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 うかつな私はこれまで日本人に一番多い「D1a1」型や「C1a1」「O1b2」「O2」型にだけに注目し、「E」型のコンゴイドには注意を向けていなかったのです。「つまみ食い分析」の痛恨のミスです。

 「コンゴイドは、ニジェールコンゴニジェール・コルドファン)語族(バントゥー系民族、イボ人)やナイル・サハラ語族の言語を話し、農耕・牧畜生活を送っていた(もしくは現在も送っている)」(ウィキペディア)というのです。―図6参照

 

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 このイボ人は「黒人系の単一民族としては最大規模のグループの1つである。その人口の大半はナイジェリア東南部に住み、ナイジェリアの総人口の約20%を占める。カメルーン赤道ギニアにも相当数が居住する」とされており、「ニジェールコンゴ語は現代語ではSVO型が圧倒的に多いが、SOV型も見られ、元来の語順は明らかでない」とされています。昔、ナイジェリアから独立を求めたビアフラ戦争で150万人以上が死亡した痩せた子どもたちの痛ましい光景が目に焼き付いていますが、彼らがイボ人なのです。

 ニジェール川流域原産のヒョウタンが鳥浜遺跡(若狭)や三内丸山遺跡(青森)の縄文遺跡で見つかったことから私の縄文人のルーツ探しは始まり、「縄文ノート25(Ⅱ-1) 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』」などに掲載した図7を再掲しますが、「主語-目的語-動詞」言語族のルーツが、Y染色体DNAの分析でも裏付けられたのです。

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 2014年にこのレジュメを書き、2019年・2020年と修正しながら、今日までこの点に気づかなかったのは実に不覚でした。

 私たちの先祖であるY染色体D1a1グループは、ニジェール川流域でY染色体Eグループと38300年前頃に分かれ、ヒョウタンを持ち、コンゴ川を遡って「アフリカ湖水地方」で暮らした後、エチオピアを経て、インド・ミャンマーのドラヴィダ語系海人・山人族となり、日本列島にやってきたのでした。

 このY染色体「Ⅾ・E」グループ分岐の分析結果は「縄文ノート25」で書いたパンゲア大陸時代のマザー・イネの原産地仮説と、「縄文ノート26(Ⅱ-2) 縄文農耕についての補足」で取り上げた中尾佐助氏のサバンナ農耕文化(『栽培植物と農耕の起源』)の起源がニジェールという説を裏付けます。

 

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4 「アフリカ湖水地方」は現世人類のルーツ

⑴ 神山信仰のルーツのルウェンゾリ山とイシャンゴ文明

 「縄文ノート56(Ⅲ-11)  ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「縄ノート61(Ⅲ-12) 世界の神山信仰」では、世界各地に見られる神山信仰が各地で別々に生まれたのではなく、ナイル川源流地域で生まれたルウェンゾリ山の神山信仰がアフリカからの何次にもわたる人類の拡散により、アフリカ→アジア→アフリカへと伝播されたという「神山信仰単一起源説」を紹介しました。

 その発端は、エジプトの2色ピラミッドのルーツが「母なるナイル」源流の万年雪をいただくルウェンゾリ山信仰からきているのではないかと考えたことからですが、その麓のエドワード・アルバート湖畔にイシャンゴ文明があることを木村愛二氏のホームページで知りました。

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 木村氏はこの文明を「紀元前6000年頃」としており、下流のピラミッド信仰のルーツにはなっても、世界の神山信仰のルーツにはならないのではないかと当初は考えていました。ところが、さらに調べるとウィキペディアには「イシャンゴの骨」のページがあり、そこでは「2万年前頃」説があり、2万年頃から8000年前頃にかけて継続したイシャンゴ文明があった可能性が高く、5万年前頃から出アフリカを果たした現生人類のルーツである可能性がでてきました。

 木村氏によれば8000年前頃のルウェンゾリ山の爆発によってアルバート湖アルバートエドワード湖は溶岩流と火山灰で分断され、その端から埋もれたイシャンゴ遺跡が見つかったとされています。

 この地域のさらなる徹底的な調査が求められます。

 

⑵ 石臼・粉砕用石器・銛が示す穀類・魚食文明 

 重要な点は、このイシャンゴ文明が石臼・粉砕用石器とともに多くの骨製の銛と魚骨を伴い、漁業が主要な生業であったとされ、さらにサハラ砂漠の南(ニジェール川流域であろう)、ナイル川中流域にも類似の文化があり、近縁関係にあるとされていることです。

 穀類を挽いた石臼を伴う穀類・魚介食文化となると縄文文明と同じであり、さらに東南アジアやアンデス文明とも類似しています。人の体重の2%の脳が消費カロリーの約20%を使っているとされることからみても、脳の神経細胞の活動には糖質(デンプン)が必要であり、イシャンゴ文明に石臼があるということは文明のルーツとして極めて重要と考えます。肉食人類進歩説がみられますが、脳のエネルギー源はタンパク質ではなく糖質なのです。

 前に「縄文ノート26(Ⅱ-2)」で述べたように、チンパンジーの分布はアフリカ西海岸から赤道直下の熱帯・熱帯雨林地帯であり、そこからサバンナの草原に降りた人類は水と食料を得やすいニジェール川コンゴ川ナイル川にそって移動したと考えられ、特に東西の大地溝帯に挟まれた高地草原地帯は過ごしやすく、草食動物だけでなくアルバート湖ヴィクトリア湖などの魚も得られる「アフリカ湖水地方」は別天地であったと考えられます。

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 この高地草原地帯のアフリカ湖水地方こそ人類がバランスのとれたイモ・穀物食と魚肉食を提供し、分担・協力・分業・協業は濃密なコミュニケーションを通した言語と頭脳の発達を促したと考えられます。

 

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 なお、イシャンゴ遺跡などから黒曜石が発見されたかどうかは確認できませんでしたが、ケニア山一帯やエチオピアは黒曜石の産地であり、メソポタミア文明や縄文文明、マヤ・アステカ文明で大きな役割を果たした黒曜石の採掘・利用にルーツはこの地の可能性が高いと考えます。―「縄文ノート61(Ⅲ-12) 世界の神山信仰」参照

 またイモや穀類などの糖質食ではカリウムとのバランスをとるために塩分摂取が必要不可欠であり、牧畜によるミルク肉食でない場合には、人類は海岸に沿って移動して塩分を摂取するか、内陸部では岩塩の利用が欠かせません。

 「縄文ノート27(Ⅱ-3) 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」でも検討しましたが、日本語「サラリーマン」の語源が「サラリウム(塩:ソルト)」であるように、人の活動に塩は生存に欠かせない食材でした。中国の古代国家の塩の専売制などをみても、農耕文明にとって食塩は欠かせないものであり、今後の研究課題と考えます。

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5 人類拡散図より

 前掲の「図2 Y染色体ハプログループの拡散と人種」の部分を拡大したものを図14に示しますが、Y染色体「A」「B」「DE・CF」グループのネグロイドのルーツをこの湖水地域とし、「D・CF」グループはサウジアラビア半島南海岸を通ってイランに入り、そこから「オーストラロイド(L)」「モンゴロイド(D1・C2・N・O・Q)」「コーカソイド(G・I・L・R)」の3方向に分かれたかのような図としていますが、イラン南部などそれぞれ単なる通過点に過ぎないにも関わらず、分岐点であるかのように錯覚させるのは大いに問題ありです。

   

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 そもそも出アフリカの時期は「FR」グループは53000年前頃であり、「D(チベット縄文人)」が「E(コンゴイド:イボ人など)」と別れてアフリカを出たのは38300年前頃、「C」の出アフリカは27500年頃と別々です。「G・I・J・R」グループがコーカサス地方で、「D1・C2・N・O・Q」がモンゴルあたりで分かれたという証明はありません。

 「D」と「E」がアフリカで別れたように、アフリカの熱帯雨林や高地湖水地方で人DNAの多様化がおこり、別々に出アフリカを果たした可能性を検討する必要があります。前述のように、チベット・日本に多い「Ⅾ1a1」グループは南インド「H」のドラビダ語系であり、南方系のヒョウタンやヤシの実・リョクトウ・エゴマ・ウリなどを持って若狭湾の鳥浜にやってきたことからみて、エチオピアあたりから南インドをへて「海の道」を日本列島にやってきたことが明らかなのです。

 そう考えると、アフリカ高地湖水地方で漁業にたけていたグループは、北へナイル川を下り、地中海沿岸に沿って移動したグループと、北東へ向かったグループはイラン南部からの陸路ではなく、チグリスユーフラテス川を遡り、コーカサスからカスピ海黒海・地中海、さらに黒海からドナウ川ライン川カスピ海からアラル海などへと水路を拡散したグループがあったと考えます。

 肉食・ウォーキング史観だけでなく、魚食史観・ラフティング史観も視野に入れるべきです。

 

6 まとめ

 白人中心史観・西洋中心史観ウィルスにより、人類史は大きくゆがめられてきており、それに無自覚な日本の多くの歴史・人類学もまたそのウィルスに感染しています。

 このやっかいなウィルスに感染していない素人の私やみなさんは、先行説にとらわれることなく「私たちはみんなアフリカ生まれの黒人であった」という原点からの見方が可能と考えます。

 私はアフリカには行ったことがなく、アフリカの本の1冊も読んでいない仮説的な考察ですが、「最少矛盾仮説の構築」として自分の頭で考えてきました。あとは各専門分野の若い世代に期待したいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/