今、コロナ対策とオリンピックのどちらを優先するか、という議論が各国でなされていますが、そもそもオリンピックが「平和な世界の実現」にどれだけ貢献できるのか、「平和な世界の実現」のために必要な祭典は何なのか、考えてみました。
「西欧中心史観」はわが国でも根強いのですが、軍国主義・奴隷制度のギリシアの歴史を正視し、オリンピック賛美から目を覚ますべき時と思います。
1 「平和の祭典」を考える
オリンピックは「古代ギリシアの平和の祭典」を復興したものとされていますが、八百万神の霊(ひ)信仰によるスサノオ・大国主建国論から縄文社会研究、さらに日本列島人起源論へと探究を進めるうちに、人類起源の地であるアフリカ湖水地方(通説は大地溝帯地域)で「命(DNA)の祭典」を行うことがもっと重要と考えるようになりました。―「縄文ノート43 DNA分析からの日本列島人起源論」「縄文ノート62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」参照
日本列島はアジア各地から多様な人々が集まったDNA多様性社会ですが、縄文人由来のY染色体DNAのⅮ型が多数を占めており、E型のアフリカのナイジェリアのイボ人などと分岐したアフリカがルーツです。
その後、Ⅾ型1a2aグループはチベット人(中国領)・アンダマン諸島人(ミャンマー沖のインド領)・バイブリヤート人(ロシア領のバイカル湖畔)などと分かれながら日本列島にたどり着いたことが明らかです。縄文遺跡から発見された熱帯産のヒョウタンの原産地がニジェール川流域であり、神山天神信仰はナイル川源流地域のルウェンゾリ山・ケニア山・キリマンジャロをルーツとしている可能性が高く、Y染色体DNA分析を裏付けています。
このように、世界の他のどの人種・民族もまたそのDNAと文化・文明のルーツをたどると、アフリカに行きつくのです。
地球環境・異常気象の危機と食料不安、グローバル化(世界単一市場化の不均等発展)の格差社会化による対立と紛争、人種・民族差別と対立、イデオロギー対立と一神教原理主義者同士の対立の激化と戦闘、パンデミック、生物多様性の危機など、全生類の命(DNA断絶)の危機が心配されている現在、人類はその発祥の地・アフリカから次の時代へ向けた「平和の祭典」を行うべきと考えます。
スポーツなど様々な機会を通した国際的な交流は重要ですが、今はそれよりももっと重要な「平和の祭典」へ一歩を踏み出す時ではないでしょうか?
2 古代オリンピックは「平和の祭典」であったか?
現在の近代オリンピックは、古代オリンピックを真似てフランスのクーベルタン男爵によって提案されたものであり、「スポーツを通して心身を向上させ、文化や国籍の違いを乗り越え、平和な世界の実現に貢献すること」については異議ありません。
しかしながら、古代ギリシアの「オリンピア祭典競技」の歴史に戻ってみると、そもそもは「全能の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭」(日本オリンピック委員会)とされています。
このように、そもそも「ギリシア宗教の祭典」であり、ギリシア国内の戦闘を一時的に休戦した宗教行事でしたが、ポリス(都市国家)同士の戦争・覇権争いが止むはずもなく、ポリス間の戦闘が一時的にスポーツでの競争に置き換わっただけともいえます。
そして、ギリシアがローマ帝国に征服され、キリスト教が国教化されると、多神教のギリシアの神々のための祭典は終わりを迎えたのです。
なお、ギリシアは現在のルーマニア・ウクライナあたりから南下して原住民を征服・支配して建国した国であり、エーゲ海・地中海・アドリア海の島々や沿岸諸国と活発に交易を行い、クレタ島のミノア文明を滅ぼすなど沿岸各地を占領して植民地をもうけ、時にはエジプトの傭兵部隊となるなどの軍国主義国でローマ帝国に先立って古代奴隷制度を確立した国であり、オリンピック種目の短距離走・長距離走・幅跳び・円盤投げ・槍投げ・レスリング・ボクシング・4頭立戦車競争・競馬競争などは軍人養成のための重要な訓練であり、戦闘力の高さを示す国威発揚の手段でした。ペルシアとの戦いも、トロイ戦争に見られるように沿岸部各地を占領して植民地化した結果であり、ペルシャの反撃にあったのです。
スポーツには健康づくり、スポーツ観戦には娯楽の要素もありますが、歴史的には軍国主義の帝国主義国の宗教行事、肉体的・精神的な戦闘訓練、民族意識の高揚、国威発揚の手段であり、その性格は今の近代オリンピックにも強く残っています。
「平和の祭典」というより、「軍国主義国での一時休戦の祭典」というのがオリンピックの歴史的なのです。
プロスポーツを真似た金まみれのオリンピックに対し、すでに招致国がなくなりつつある現状に対し、ギリシアでやるようにしたらという提案が見られますが、ますます「平和の祭典」とは言えなくなるように思います。
3 「世界平和の祭典」として何を選ぶか?
国際交流の「世界平和の祭典」なら、「スポーツ祭典」だけでなく、世界の多くの人々が参加できる「食」「流し踊り」「民俗芸能」「映像」「人形劇」など、これまで日本の各地で行わてきた祭典を世界広げることを提案することも考えられます。
しかしながら、「格差・差別・迫害と紛争・戦争を無くすための祭典」を考えるなら、全人類の誕生地であるアフリカにおいて「命(DNA)の祭典」を行い、交流を深めるべきと提案したいと思います。
夏季オリンピック開催地は図4の通りですが、世界的は不均等発展の格差社会においてオリンピックは金権国の祭典であり、アフリカや西・中央・南・東南アジアでは開かれていないのです。
これまで植民地化され、自主自立の内発的発展を阻まれ、グローバル化により低付加価値産業に押しとどめられてきたアフリカ・アジア・南アメリカを中心において「世界平和の祭典」は考えるべきであり、それは「ヒトDNA」のルーツであり、イネ科作物のルーツであるアフリカで、全人類・全宗教・全思想の共通価値である「命(DNA)」をテーマにした祭典をまずは始めるべきと考えます。
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
邪馬台国探偵団 http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/