ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート55(Ⅱ-7) マザーイネのルーツはパンゲア大陸

 2014年6月に縄文社会研究会に向けて書いたレジュメ「『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」を「縄文ノート25」としてアップし、そこでは「3大穀物などイネ科のマザーイネのルーツはパンゲア大陸」という仮説を提案しましたが、それを証明する新たなデータが見つかりましたので、紹介いたします。

 人類がアフリカで生まれ、アフリカから各地に広がったように、はるか前の三畳紀(約2.5~2.1億年前)に陸地がゴンドワナ大陸(南のパンゲア大陸と北のローラシア大陸)の1つであった時、そのパンゲア大陸で米・麦・トウモロコシなどのイネ科植物は生まれて広がり、大陸の分裂により各大陸に野生種がそれぞれ残り、そこからの栽培種が生まれたという全史を明らかにできたと考えます。

 そのうちのアジアイネ(インディカイネとジャポニカイネ)のルーツについては、遺伝子学の分野で「長江流域一元説」と「インディカ・ジャポニカ二元説」で争われ、日本への伝来については「朝鮮半島説」「長江流域説」「南方説」で、時期については「縄文稲作説」「弥生稲作説」で議論されていますが、言語論や食生活・民族論、宗教論など総合的に決着をつけるべきと考えます。

 地球温暖化の異常気象による干ばつ・洪水などによる食料危機がアフリカや中央アジアなどの民族紛争の危機を高めており、今こそ農業と食の文明史をたどってみる必要があると考えます。                       210211 雛元昌弘

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

1.再掲:「3大穀物(米・小麦・トウモロコシ)単一起源説」について

 ―「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』140613」より

 小麦は、中央アジアコーカサス地方から西アジアのイラン周辺が原産地で、1粒系コムギの栽培は1万5千年前頃に始まり、7500年前頃に普通コムギの栽培がメソポタミア地方で始まり、5000年前ごろにヨーロッパやアフリカに伝えられたとされています。

 一方、水田稲作は、揚子江下流の彭頭山(ほうとうざん)遺跡で8000年前頃、河姆渡(かぼと)遺跡で7000年前頃から開始されたとされ、日本では3000年前頃とされています。

 しかしながら、灼熱の気候のアフリカ・インド・東南アジアでは有機物は痕跡を残さず、植民地化され近代化が遅れた国々では、旧石器時代新石器時代の研究は遅れている可能性があります。「考古学のデータ限界」です。

 小麦と米は同じイネ科であることから、「米・小麦同一地域起源説」がアフリカ中央部の熱帯地域において成立する可能性はないでしょうか? 

 さらに、飛躍した仮説になりますが、イネ科のトウモロコシやアワ・ヒエ・キビ、サトウキビ、竹などを含めて、全て単一の「マザー・イネ科」のルーツがアフリカの可能性はないでしょうか?

        f:id:hinafkin:20210211231231j:plain

 パンゲア大陸ペルム紀から三畳紀)の時代でみれば、アフリカのニジェール川流域は南アメリカの東端に接しており、アメリカ大陸にしかないトウモロコシのルーツは西アフリカに近接していたこの地域の可能性が高いといえます。通説では最初の被子植物ジュラ紀(約2~1.5億年前)に裸子植物から分化したとされていますが、その前の三畳紀(約2.5~2.1億年前)に分化したとする説もあり、後者であればその可能性はあります。

 人類の「アフリカ単一起源説」と同様に、「小麦・米・とうもろこしのイネ科三大穀物単一起源説」を検討してみるべきと考えます。

 

2.イネ目・イネ科の分布

 イネ目というのは前回、調べていなかったのですが、アメリカ大陸・西インド諸島の原産とされるパイナップルなども含まれ、このパイナップル科は熱帯のブラジルが原産地とされています。

 他のラパテア科南アメリカと西アフリカの熱帯地帯、トウエンソウ科は主に熱帯および亜熱帯、マヤカ属はメキシコからアルゼンチンにかけての中南米西インド諸島アメリカ南東部、中央アフリカサンアソウ科はおもに南半球の熱帯・亜熱帯、南アフリカマダガスカル、オーストラリア、ニュージーランドインドシナ、チリなどに分布し、トウツルモドキ科は主に熱帯に分布しているとされ(ウィキペディアによる)、熱帯・亜熱帯性の赤道付近で広がった植物であることが明らかです。

f:id:hinafkin:20210211231325j:plain

 イネ目イネ科は「イネ・コムギ・オオムギ・カラスムギ・ライムギ・キビ・アワ・ヒエ・トウモロコシ・シコクビエ・モロコシ」などの穀類や、タケ・マコモ・サトウキビ・ハトムギ・ヨシ(あし:葦)・ススキなどです。

 表のようにイネ・ヒエ・トウモロコシ・サトウキビは熱帯・亜熱帯が原産地ですが、コムギ・オオムギ・キビ・アワは北緯30~45度の中央アジアの乾燥地帯が原産地とされています。

f:id:hinafkin:20210211231406j:plain

 

3.T.Tチャン氏の「イネ科起源ゴンドワナ説」

 生物や人類について進化の系統樹が作成され、DNA分析により人類の誕生がアフリカ大陸であることが解明されながら、重要な食料のイネ科植物のDNA分析から原産地が突き止められていないことに疑問を持っていました。

 佐藤洋一郎氏についてはネットでたまたま論文を知って「縄文ノート26 縄文農耕についての補足」で引用したのと、茅野市の「縄文文化講座」の内容をまとめた『縄文謎の扉を開く』で「イネはいつから日本にあったか」を読み、NHKのDVD「人間は何を食べてきたか」シリーズで見ただけで、恥ずかしいことに氏の膨大な本を読んではおらず、やっと2週間前に10冊ほどの著書を図書館で借りて走読みしたところです。

 氏の多方面にわたる素晴らしい研究活動を知らなかったのですが、『イネの文明 人類はいつ稲を手にしたか』(PHP新書2003/7)によれば、オリザ(イネ目・イネ科・イネ属・イネ)の起源地の研究論文は1つしかなく、国際イネ研究所T.T.チャンが1976年に書いた論文でゴンドワナにあったという説が紹介されていました。

        f:id:hinafkin:20210211231452j:plain

 1976年という古いチャン説が今も成立するのかどうか、とっくに最新のデータがあるのかどうかわかりませんが、チャン説は私のマザーイネ(イネ目・イネ科)のルーツがパンゲア大陸の南半球のゴンドワナ大陸、現在の西アフリカとブラジルの接したあたりにあったという図1の仮説図を裏付ける説です。

 

4.イネの長江流域ルーツ説は成立しない

 この図4をもとに、図1のパンゲア大陸の図に現在の野生イネの分布域を落とすと、図5のようになります。

       f:id:hinafkin:20210211231547j:plain

 この図から明らかなように野生イネの分布はパンゲア大陸の赤道から南にであり、気候条件からみて北半球のローラシア大陸の北端に近い長江流域が原産地ではないことが明らかです。

 野生イネが南アメリカと西アフリカにありながら、イネ科のトウモロコシがアメリカ大陸にしか見られないことを見ても、最初のイネ科植物、マザーイネが誕生したのは両大陸が接していたゴンドワナ大陸時代であることが明らかです。

 西アフリカのニジェール川流域が原産地とされるヒョウタンが若狭の鳥浜遺跡や青森の三内丸山遺跡から発見されていることや「主語-目的語-動詞」言語族の分布からみても、イネはゴンドワナ大陸時代にまず西から東へと伝搬して野生のアフリカイネから野生のインディカが生まれ、雨季と乾季のある東インドミャンマーで野生熱帯ジャポニカが生まれ、ヒマラヤとミャンマーラオスの山岳地帯で寒さに強い温帯ジャポニカが栽培されるようになり、雲南から長江流域を下って野生イネとともに長江中・下流伝わるとともに、ドラヴィダ海人‣山人族によって、ヒョウタンに米などを入れて南廻りの「海の道」を竹筏と丸木舟により日本列島に伝えられたと考えます。

       f:id:hinafkin:20210211231633j:plain

 私は「嫌中嫌韓派」ではありませんが、習近平主席の「中華民族の偉大なる復興」という「中華民族の最も偉大な夢」という政治目標に沿って、長江流域の野生種から温帯ジャポニカが生まれ、さらに東南アジア・南アジアの野生イネとの交配でインディカ米が生まれたなどといった説が日本の研究者によって定着することがないこと強く願っています。

 

5.イネ科の小麦・大麦・黍・粟などのルーツも赤道直下のゴンドワナ大陸

 では中央アジアの乾燥地帯が原産地とされるコムギ・オオムギ・キビ・アワのルーツは南半球のゴンドワナ大陸か、それとも北半球のローラシア大陸なのでしょうか?

 そのヒントとなるのが、Massimo Pietrobonさん(アーティスト)が作成した図7のパンゲア大陸に現代の国々当てはめた図で、そこにイラン・イラク・トルコなどの読み取れる国名を記して掲載します。

https://www.indy100.com/discover/map-of-what-did-the-world-look-like-300-million-years-ago-panega-maps-7710571

  f:id:hinafkin:20210211231733j:plain

 この図7が地質分析からみて科学的かどうかは私には判断できませんが、コムギ・オオムギ・キビ・アワの原産地とされているトルコ・イラクアフガニスタンゴンドワナ大陸サウジアラビアの東に位置しており、図8のように左廻りに旋回してローラシア大陸と合体するのであり、イネやヒエ(サハラ砂漠以南が原産地)と同じくコムギ・オオムギ・キビ・アワもまたゴンドワナ大陸が原産地であることが明らかです。

  イネ科の「イネとヒエ」「コムギ・オオムギ・キビ・アワ」「トウモロコシ」のゴンドワナ大陸での分布を重ね合わせると、図9に示すようにアフリカと南アメリカが接したあたりがイネ科植物の「マザー・イネ」の故郷と考えられます。

   f:id:hinafkin:20210211231918j:plain

 

         f:id:hinafkin:20210211231955j:plain

 

6.DNA分析の「サンプルの罠」

 私は佐藤洋一郎氏のDNA分析による「縄文時代陸稲(熱帯ジャポニカ)が栽培されていた」「日本のイネは朝鮮半島から伝わったものではない(図10参照)」という説や、氏の「DNA考古学」「稲作文明論」「食の人類史」「古代巨樹信仰」「里と森の環境論」などの幅広い研究と多くの著作活動は高く評価しますが、「温帯ジャポニカ長江流域起源説」からの日本の水田稲作伝搬説には同意できません。      

      f:id:hinafkin:20210211232127j:plain

 佐藤氏が「インディカイネ長江流域起源説」を批判しているのは正しい判断と考えますが、「長江流域から見つかった野生イネから温帯ジャポニカが生まれた」という説は成立するでしょうか?

 「縄文ノート28 ドラヴィダ海人・山人族による稲作起源説」で書きましたが、モン(苗=ミャオ)・ミエン(ヤオ)語族などによって「雲南地方から野生イネと温帯ジャポニカが同時に長江を下って伝わった」という可能性を否定できない限り、「長江流域から見つかった野生イネから温帯ジャポニカが生まれた」という説は1つの仮説に留まります。

 図5に示したように、イネの原産地はゴンドワナ大陸の熱帯地域であり、寒冷なローラシア大陸の外れがイネの原産地である可能性はありません。

 DNA分析がどんなに科学的であっても、「サンプルの罠」を逃れることはできないのです。長江流域で見つかった「野生イネと温帯ジャポニカ」のセットが他地域から持ち込まれた可能性があれば、長江流域が温帯ジャポニカの原産地とは言えないのです。

 「毛髪のDNAが関係者Xと一致した」といっても、「その毛髪は以前にYが現場に残したものである」「その毛髪は真犯人Yがわざと現場に置いた」可能性が排除できなければ、Ⅹを真犯人と決めつけることができないのと同じです。 

 

7.温帯ジャポニカの種の選別を行ったのは誰か?

 佐藤洋洋一郎氏の温帯ジャポニカ米のDNA分析(表2)によれば、RM1遺伝子は中国では「a~g」があり、朝鮮ではbのほかは全てあるのに対し、日本では「a、b、c」しかなく、「d~g」がないのです。

          f:id:hinafkin:20210211232250j:plain

 「サンプルの罠」を免れないことを前提にしたうえで考察すれば、日本には「中国から選別された品種のイネだけが持ち込まれた」か、「日本での栽培で種の選別・純化(品種改良)が進んだ」か、「中国以外の地域から選別された品種のイネが持ち込まれた」という3つの可能性があります。

 すでに「縄文ノート28 ドラヴィダ海人・山人族による日本列島稲作起源」で述べたことの繰り返しになりますが、もしも長江流域から水田稲作が伝わったのなら、関係する言葉は全て「呉音漢語」のはずですが、表3に示すように、むしろドラヴィダ語系の「倭音倭語」なのです。

f:id:hinafkin:20210211232403j:plain

 人間の移動と稲作技術・米食文化、言語の伝播なしに「物(ブツ)」だけが伝播することなどありえないのであり、「サンプルの罠」を免れない「ただもの(唯物)主義」「物証絶対主義」で稲作・米食のルーツを決めるべきではないと考えます。

 RM1-abc遺伝子の温帯ジャポニカはなぜ生じたかですが、多様なRM1-a~g遺伝子の栽培を行っていたアバウトな中国人や朝鮮人が「品種選別・品種改良」を行ったとは考えられません。イネの「選択的持ち込み」あるいは「選択的栽培」を行ったのは倭人であり、弥生人(中国人・朝鮮人)ではないのです。

 

8.「葦原中国」「葦原水穂国」とは何か?

 「縄文ノート24 スサノオ大国主建国からの縄文研究」などで書いてきたことの繰り返しになりますが、記紀スサノオ大国主の国を「葦原中国(あしはらのなかつくに)」「豊葦原(とよあしはら)の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂(みずほ)国」としています。

 重要なのは「葦原」と「千秋長五百秋」という2つのキーワードです。スサノオ大国主7代の建国は葦(ヨシ・アシ)が生える沖積平野で「水穂」を栽培することによって行われたと考えます。

 このイネ科の「葦」は世界の温帯・熱帯地域が原産地とされており、同じイネ科のイネと同じ気温・水環境の条件で栽培できたことを示していると考えます。

 注目したいのは、何度も書きましたが「千秋長五百秋」というと、スサノオ大国主の活躍した起源~2世紀から遡ると唐津市あたりから各地に「水辺水田稲作」が始まった紀元前10~5世紀のころであり、さらに「五百(いほ)つ鉏々(すきすき)猶所取り取らして天下所(あめのした)造らしし大穴持」(出雲国風土記)と書かれたように、鉄先鋤により大国主一族は鉄器水利水田稲作を葦原の沖積平野で大規模に行い、妻問夫招婚により百余国の統一を成し遂げたことを記紀は伝えているのです。

 古事記日本書紀の「神代」の神話は天皇家による8世紀の創作として無視されてきましたが、スサノオ大国主建国をリアルに伝えているのであり、その分析は縄文時代の歴史解明に欠かせないと考えます。

 「倭音倭語」と「呉音漢語・漢音漢語」との関係は、記紀分析によって始めて明らかにでき、その「倭音倭語」の分析から縄文時代の宗教・農耕・民俗・文化が明らかにできるのです。

 

◇参考◇

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/